書名 老いてこそ上機嫌
著者 田辺聖子
発行所 文春文庫
発行年月日 2017.05.10(単行本:2010.01)
価格(税別) 680円
世にあまたある老人本を読んでいる暇があったら,本書を繰り返し読み返す方がよほどいいなと思った。
● 名言集というか箴言集なので,そういうものから転載するのも何だかなぁと思うが,以下にいくつか転載。
私は,人間の最上の徳は,人に対して上機嫌で接することと思っている。しかしこれは中々にむつかしい。(p3)
幼なごころにも,殊に好きだったのは,幼な子の初節句などの寄合いで,赤子をかこむ家族たちの,輝くような笑顔だった。いま,年を重ねた私は,歳月を経て,人生を重ねた人々の面輪に,深い共感と,愛を感じずにはいられない。(p4)
時間を自由に使えるというのは,これは,無為に生きている人間には拷問であるが,人生が充実している人には,すばらしいおくりものである。(p27)
私がはかない物あつめをするのは,「驚かされたい」という気分があるからだ。(p30)
女の幸福は,男のひとに対して,好奇心むらむら,という状態でいられるときであるように思われる。(p32)
「熟年は和して同ぜず,若輩は同じて和せず」である。老婦人は貴婦人でもあらねばならぬ。群れること無用(p34)
若さ・美貌・才気などというものも,一生持ちつづけて終点へ到着できると,いちばんいいのだが,こういうのは,わりに早く乗り換えの駅がくる。(p42)
何よりも気概がないから人を招べないのではあるまいか。「自分の領土に,客を迎える領主」の気概である。(p49)
〈コンマ以下は切り捨て〉というのである。コンマ以下とはなんぞ。人の世の,もろもろの下らぬことである。(p54)
士はおのれを知るもののために死に,女はおのれを喜ぶもののために化粧をするそうだが,こういう人がいなくちゃ,私も長生きしている甲斐がない。(p57)
シンプル対ゴテゴテ,これは各人の好みであろうけれど,人間の世の面白み,という点からいえば,「コトバのゴテゴテ」がなるべくあるほうがいい。(p78)
仕事を一生けんめいして,丈夫で「よく笑う」女の子は,抛っておいても美人になってくることを発見した。そうしてその美人性は伝染する。(p92)
私は,自我定期券説である。定期券を改札口で出してみせるように,出すべき処だけ,自我を出せばいいのであって,いつもいつも出して見せびらかすものではない。(p99)
元気の光源になれるような人は,どんなに年をとっていても,少女であり,少年である。(p112)
思いこみがあっては,べつな考え方なんてできないのだ。(中略)思いこみがあると,センスも技術も退歩してゆく。(p155)
私は,若い女性は絶対に正直であってほしいと思う。(中略)若い女性らしい感性的な正直さで,「なんや,気色わるいやないの」という,肌になじまないものはいやだ,というふうな正直さを身につけてほしいと思う。(p179)
司会の釣瓶サンが,「女の子は僕からみると,みんなかわいらしいのに。ブスなんか一人もおらへんよ」といっていた。私も全く同感である。(p195)
誰や,女はかよわいもの,なんていう奴。たくましいでェ。すばやいでェ。しかもたのもしいでェ。(p200)
失われたものを取り返そうと思うと,これは「しんどい」ことである。(中略)それよりも,あとへ残されたもので勝負する,日々少なくなるカードを切り直し切り直し,手持ちのカードだけでなんとかやりくりするほうがよい。(p206)
老成というが,あれはウソである。(中略)あるときから鍍金は剥げはじめるのではないかと私は疑っている。蓄積した知識は錆びつき,共用はストンとずり落ち,洞察力は偏見と独断で曇るのではないか。(p210)
自分では若さを失いつつあることを,よく知っている。しかし「若さ」から「いさぎよく引退」したくはない,また,人にもそう思われなくない,その矛盾に不安をおぼえつつ,去勢を張らずにいられない,そのへんのマゴマゴぶりに私は何ともいえぬ人間の旨味を見出す。男も女も,そのへんに色気があるといってもよい。(p211)
お心にまかせて,先のとりこし苦労をせず,昔のことは忘れて,今を元気にたのしく,というのが私の方針である。(p216)
年をとれば,自分で自分を敬わなければいけない。自分がへりくだってつつしむのはほんとに好きな人,尊敬できる人の前だけである。(p220)
人生の最後まで,たのしめて,「おもしろかったネー」「じゃまた。バイバイ」と,たがいにそれぞれの棺へ入り,フタをしめることのできる,そんなうれしい相棒は,男なのだ。子供ではないのだ。(p222)
