書名 99.996%はスルー
著者 竹内 薫
丸山篤史
発行所 講談社ブルーバックス
発行年月日 2015.02.20
価格(税別) 860円
● 著者の一人は「調子が良ければ,新書を1時間かからず読んでしまえるから,僕は見開き30~40秒で読んでいることになる」と言うんだけど,ぼくはこの新書を読むのに3時間かかった。
ぼくの黙読は音読より遅いのだ。何か文句ある?
● 以下に転載。
商品の売り上げランキングでも,爆発的に売れるのは「1番だけ」と相場が決まっている。ランキングの2番以下は,1番を目立たせて,さらに売れるようにするための応援団。(中略)恋愛にせよ新発売の商品にせよ,スルーされたらそれでおしまい。そして,スルーされないためには勝者,すなわち「1番」にならなければいけない。(p4)
すごく確率の低い「何か」が起きることこそ,重要で貴重な情報なのだ。(p67)
「エントロピーは増える一方で,宇宙は『秩序から無秩序へ』という方向に進む」というのが巷間に広がった「エントロピー増大則」だろう。しかし,このようなイメージでエントロピーを理解していると,とても情報量との関係など思い浮かばない。(p87)
科学リテラシーを持つことで情報評価の精度を高めることができるだろう(個人的には,中学校から高校くらいまでの数学・理科の知識で充分だと思う)。(中略)信じようが,疑おうが,事実は揺るがないはずだ。揺らぐのは,常に,人の解釈なのである。(p114)
実際,僕らは,割と機械的に,環境からの影響を受けて,感情を動かされることが,実験で示されている。例えば,温かい飲み物を持ちながら会話すると,僕らは優しい気持ちで対応してしまう。(p129)
初期のサブリミナル刺激に関する研究結果は,捏造されたものである(研究者が,自ら白状した)。だから,都市伝説が一人歩きしている部分もある。(p130)
僕らに知覚される情報は,知らない間に(知る前に?)検閲されていて,「無意識のスルー」によって意識されないだけではなく,「意識されないまま」意識に影響していたりもするようなのだ。(p135)
入力される感覚の情報量は,毎秒千数百万ビットであり,意識が処理している情報量は,なんと,毎秒たった数十ビットなのである。(中略)意識は,99.9999%の感覚情報をスルーしているのだ!(p136)
もしかしたら,そもそも意識が生まれるためには,意識の100万倍の情報量が,背後に控えている必要があるのかもしれない。(p138)
意識は,情報量で評価されるべきではないのかもしれない。意識は,外から観測される対象としては,情報量が極端に少ないのだ。(中略)おそらく意識の評価に重要なのは,スポットライトの「当て方」なのだ。(p139)
僕らは,流通している情報量の約2.7万分の1しか消費できず,消費したといっても,その1000分の1しか知覚できていない。その上,知覚した情報の100万分の1しか意識していないのだ。(中略)ようすうるに,意識で全ての情報を処理しきるのは,事実上,無理だ。諦めて,無意識に頼るしかない。その無意識でも消費している情報の99%をスルーしているのだ。(p140)
僕らの無意識は,文字や単語に注目して文を眺めると,意識の中に,文の意味を浮かべてしまうのである。(中略)僕らの持つ,こうした能力に,物理化学者にして科学哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知」と命名した。(p149)
僕ら人間を含めた生物の,進化を含む生命のメカニズムの中には,そもそも情報を大量に蓄積しつつ,情報の処理にはスルーが基本,という流れがあるように思うのだ。(p156)
遺伝情報は,生物にとって,ある種の初期条件と考えるべきなのかもしれない。(中略)生物は,生き続ける限り,次から次へと自分自身の情報量を増やし続け,限りなくネゲントロピーを増大させていくのだ。DNAを読み取るだけでは,生命のことは分からない。(p159)
ハイギョやシーラカンスは,姿かたりが化石と変わらないから,一見,進化していないと思われていたけど,実はゲノムの大きくして(遺伝情報を増やして)環境の変化に対応するような進化を選んだのかもしれない。(p165)
どうやら,僕らは,身体的な痛みと同じ神経回路で,社会的なコミュニケーションのストレスを処理している可能性がありそうだ。だからこそ「無視されること」のダメージが大きいのかもしれない。これが本当だとすると,イジメで「誰かを無視すること」は,暴力で身体を傷つけることに匹敵するくらい,罪深いものだろう。(p186)
少なくとも,ブロックされないようにしたいなら,他人をコントロールしようと思ってはいけないのだ。情報に接したときの不快感の源泉は,おそらく,「コントロールされること」や「不自由さを感じさせること」の漠然とした予感にあると思う。(p190)
文字に意味を託することは,文字にできない何かをスルーすることでもある。ソクラテスは,そのスルーされてしまう「何か」にこそ,考えを深めるヒントがあると考えていたのかもしれない。(p191)
仏教・禅宗の教えは「不立文字(言葉にできない)」という。(中略)しかし,そうはいいつつ,数多くの禅籍があるのはなぜだろうか。ようするに,言葉で語れないものは,言葉で語り尽くした果に残るものだから,ではないだろうか。(p191)
たとえば,アイデアが行き詰まったとき,「それ,めっちゃすごいアイデアやんか! このアイデアやったら,問題解決やで!」と,アイデアが出ないまま,先に喜んでしまうのだ。(中略)おもむろに休憩に入る。(中略)わざと思考を中途半端に打ち切って,気分転換するのだ。行き詰まっていたことなど忘れてしまうくらい,リラックスしよう。(p203)
書名 99.9%は仮説
著者 竹内 薫
発行所 光文社新書
発行年月日 2006.02.20
価格(税別) 700円
● 副題は「思いこみで判断しないための考え方」。この本も読みものとして面白い。楽しく消費できた。これが一番のポイントだ。あまり深く考えたことはないんだけど,本なんて面白けりゃいいのだ。
● 科学哲学者のポパーの話が出てくる。昔,学生時代に彼の著作をいくつか買ったが,結局読むことなく現在に至っている。
反証可能性という言葉だけは,ずっと記憶に残っているけど。
● 以下に,ぼくのアンテナにひっかかったところを転載。
この人(ピエール・デュエム)は,こういうことをいうんです。「データが仮説をくつがえすわけではない。データが理論を変えるということはない」と。 彼は,「理論を倒すことができるのは理論だけである」と主張しました。理論というのは,仮説といってもいいと思います。 だから,「仮説を倒すことができるのは仮説だけである」ということです。(中略) つまり,こういうことです。 仮説というのはひとつの枠組みですから,その枠組みからはずれたデータはデータとして機能しないわけです。(p70)
世界の見え方自体が,あなたの頭のなかにある仮説によって決まっているわけなのです。(中略) 「裸の事実」などないのです。 ということは,データを集める場合も,やっぱりその仮説-最初に決めた枠組みがあって,その枠組みのなかでデータを解釈するわけです。 つまり,「はじめに仮説ありき」ということです。(p74)
ひとりの人間をひとつの人格だけで説明することができないように,ひとつの現象をひとつの仮説だけでかたづけることなんてできないんです。(p186)
いろんな場面で,「この仮説をはずしてみても大丈夫かな?」と考えるのは,生きていくうえで非常にためになる考え方です。 だれもがその仮説のことをあたりまえだと思っているけれど,意外とはずしてみてもOKなことってあるんですよね。 そして,それに気づくことができる人は,やはり天才と呼ばれます。(p198)
書名 自分はバカかもしれないと思ったときに読む本
著者 竹内 薫
発行所 河出書房新社
発行年月日 2013.03.30
価格(税別) 1,200円
● 河出書房新社の「14歳の世渡り術」シリーズの1冊。中学生をなめちゃいけないですよね。中学生向けの書籍や図鑑って,大人が読んでも面白い。有用だ。
● バカをこじらせないこと,という言い方が何度も出てくる。巧い言い方ですね。バカもこじらせると慢性化してしまうことがあるんでしょうかねぇ。
まわりからバカだと思われてると,人間っていうのはバカになっちゃう。這い上がれないんですよ。抜け出せないんですよ。ホントに不思議なことなんですけど,他者からのイメージによって自己イメージがゆがめられちゃうんですよね。(p28)
● 努力を継続することが,持って生まれた才能より大事だってこと。努力に勝る天才なし,って昔から言われているけど。
才能よりも,努力を続けられるかどうかのほうが重要です。継続できる人のほうが結果的には伸びることが多いんですね。もちろん,すごく才能のある人にすごく努力されてしまうと,凡人は追いつけません。けれど,才能がある人って意外に努力しないんですね,たいていのことはできちゃうから。怠けることも多いんです。 そういう意味では,ほんとうの才能とは継続する力。でも,継続するためにはある程度自分を信じる必要があるんですね。バカだと思っていると何も始まらない。(p29)
● 多様性が大事。これもはるか昔から言われてきたことだと思う。が,統一が好きな人って,ほんと多い。「統一=チームワーク=勝利」という等式しか持っていないやつ。すなわち,バカ。
基本的に,多様性が失われるとバカになるからです。個々人がバラついて見えるので,統一したがるのですが,実は多様性が確保されているほうがバカじゃない。(中略) 文化もそうです。文化の多様性が失われて考え方が統一され始めると,だんだん社会がバカな方向に進んでいくんですよ。(p66)
どんなに客観的に見える文章だって,誰かが書いたものである以上,書いたときの文化的,歴史的制約を受けています。(p71)
● この文章の前に例としてあげられているのは大学の先生。いまどきだから,大学教授を賢いと思っている人はさほどいないとも思うんだけどね。大学教授しか務まらないヤツが大学教授になっているんだもんな。例外はあるんだろうけど。
この社会のなかでバカかそうでないかを分けるのは,どれだけフィードバックを受けられるかってことなんですね。フィードバックを受けることによって自己修正がどれぐらいできるか,行動をどれぐらい変えられるかということで,たぶんバカかそうでないかが決まるんですよ。 自己修正のサイクルを止めてしまったときに,バカが始まるといってもいい。(p100)
● 以下も特に目新しいことではないけれども,時々誰かに言ってもらう必要がある。バカの意見は有害だし,バカどおしの議論は百害あって一利もない。
この社会にはいろんな問題が次々と出てくるわけじゃないですか。経済の問題とか,原発の問題とか,領土の問題とか。それらについていろんな人がいろんな意見をいって論じるんだけれども,まず正確な情報に基づいて論じていない人がほんとうに多いんですよね。(中略) そういう議論(もどき)には,ひとつの特徴があります。 たいてい,「~らしいですよ」って,いうんです。(p104)
● インターネットが普及してから,英語の重要性は突出した感がある。ぼくは手を拱いているけど。
玉石混淆の情報が溢れかえるこの現代社会において,インターネット社会,情報化社会といわれますね,精度の高い情報っていうのは,どうしても英語に偏っているんです。(p106)
● インターネットは便利だけれども,便利なネットを使いこなすには,使いこなすだけの条件がある。
読書の基本的な役割のひとつに,知識を仕入れるということがありますが,知識の絶対量が少ないとどうしても人はバカになっちゃうんですよ。 知識を増やすためにインターネットをやる? それもいいけれども,インターネットで適切に検索し,インチキ情報をかいくぐって,信頼に足る情報にたどりつくには,その手前で,ある程度の知識の基本量が必要なんです。(p123)
● 瞬発力とスタミナ。サラリーマンと呼ばれる人たちに求められるのは,後者の方。
このあいだ,銀行に勤めている友人がしみじみいっていたんですが,社会に出て必要なアタマの力は,耐久力だっていうんですね。つまり,持続してずっと使い続けてもへたらない力ですね。学生時代の受験勉強のように,決められた時間内に問題を解くというような能力はいっさい効かない,と。(p133)
● 天才とはなろうしてなれるものではないということ。
いわゆる天才を見ているとですね,集中の時期がほんとうにすごいんですよ。ただね,自分で進んで集中する時間を確保しているんじゃないように思えるんです。(中略) なんといえばいいのか,天才というのはそういう運命の下に生まれてるんですね。集中する時間が降りてくる。(p140)
● 以下は,いくつかのティプス。ティプスというには,基本的な事項だと思うんですけどね。
人間って,どんなにアタマがよくてもアタマのなかだけで考えることには限界があるんです。考えているうちに,なにやらごちゃごちゃしてきて,何を考えていたのかわからなくなることはありませんか? そんなときにはアタマのなかにあることを,ちょっと外に出してあげると,びっくりするくらい物事が整理されて見えてくることがあります。(p145)
● これも知っておくべき大切なことだ。努力の成果は,時間の経過とともに一様に現れるものではない,ということだ。
成功している人はやっぱり根気があるんです。諦めない。諦めた瞬間にもうそれは達成できなくなるからです。(中略) なぜ途中で諦めてしまうのか。 一番の理由は,達成感がないから。いいかえると,成果が出ないから。 そうなんですけれど,ここに大きな勘違いがひそんでいます。 成果というのは,比例関係にはないんです。(p173)
特殊技能を必要とする職業,たとえば野球選手とかピアニストとかカメラマンとかになるために必要な修行期間はだいたい1万時間だといわれています。子どものときピアノを習ったけど,うまく弾きこなせない人は,せいぜい練習時間が数千時間止まりだったのでしょう。(中略) でも,やってできない時間じゃない。あとは,根気が続くかどうかです。(p182)
● これは正直,耳が痛い。ぼくは職業人スタートの時点で,この点を誤ってしまった。バカの極みというべきだ。
仕事ってすべてそうだなと思うんですよね。たくさんの人が関わっているんだけど,ひとりでもこだわりが足りない人がいると全体がダメになっちゃうことがある。(p193)
仕事ができる人は何がちがうのか。 ぼくもいろいろな人を見てきましたが,できる人は,「つまらない」という状態に陥らないですね。どんな仕事にもそれなりのおもしろさというのを見出す。そういうふうに見える角度を探し出すんです。 ダメな人は逆ですね。その仕事のネガティブな面ばっかりに注目するんですよ。しかもその一方向からしかものを見ることができない。(p194)
書名 面白くて眠れなくなる素粒子
著者 竹内 薫
発行所 PHP
発行年月日 2013.03.08
価格(税別) 1,300円
● 眠れなくなるほどではなかったけれど,面白かった。もちろん,本書で説かれていることをぜんぶ理解できたわけではないんですけどね。
著者の難しいことをわかりやすく語る技術に脱帽。科学しか知らない人では,こういう文章は書けないわけで,いわゆる教養の蓄積が凄いんでしょうね。それとサービス精神に富んでいること。
● 物理学では,たとえば「九七パーセントの確率」というときは,ガセネタの可能性があること,素粒子の世界は徹頭徹尾「確率」であること,自分の脳で構築したイメージの延長線上には素粒子はないこと,など,へええと思わされることのオンパレード。
● しかし。それにしても。こういう理論を考えつくというか,構想できる人間の頭脳って凄いものですなぁ。
正確にいうと,人間の中のほんの一部の人の頭脳は,ってことだけど。