書名 日本人はどう死ぬべきか?
著者 養老孟司
隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2014.12.15
価格(税別) 1,300円
● 日経BP社の養老さんと隈さんの対談集は『日本人はどう住まうべきか?』に続いて,本書が2冊目。
この二人の対談が面白くないはずがない。読み始めれば,グイグイ読んでいくことができる。
● タイトルは「どう死ぬべきか?」となっているけれども,こういうふうに死ぬべきだという提言はない。
「はじめに」で養老さんが次のように語っている。
僕は,自分が死ぬことに関してあれこれ考えるのは「意味がない」と決めてしまっています。もし,それが問題ならば「生き残ったやつが考えればいいだろう,俺の知ったことじゃないよ」というのが,基本にして不動のスタンスです。(養老 p8)
● ふたりの話は四方八方に飛ぶ。だから面白いのだが。論より証拠で,以下に多すぎる転載。
若い人たちが今,移るところは,ただの田舎じゃないんです。(中略)年寄りのいない田舎なんです。若い人にとって,年寄りって邪魔なんですよ。だって既得権を持っているでしょう。(中略)年寄りって,いるだけで邪魔という面があるんです。今,そういうことをはっきり言わなくなっちゃったけど,とりわけ若い人にとっては,うっとうしいに決まっていますよ。(養老 p21)
一神教の世界では,神様と自分が向かい合わせにあるということで,社会秩序を押さえていますが,日本の場合は,世間で押さえているんですよ。(中略)それが,状況で押さえているということです。だから,状況が変わると,社会秩序のバランスが崩れるんです。(養老 p63)
養老 建築家は,そもそも共同体の外に存在しているところがありますよね。 隈 共同体の外にいる,さみしい孤独の人という印象があるからこそ,共同体からモニュメントを発注されるんです。共同体に属しているイメージが強すぎる人には,仕事を頼みたくないですよね。(p71)
隈 男と女で生命力が違うとか。 養老 それはもう分かりきっていることで,女性の方が強いに決まっているんですよ。哺乳類は女性の方が平均寿命が長い。哺乳類の染色体は女性がXXで男性がXY。メスの染色体が基本で,そこから作られるのがオスなんです。そうやって無理して作られているからね,オスは弱いんです。(p78)
自然の世界ってそこが面白い。理屈で考えられることは,たいてい起こっていて,考えられないことまで起こっているんです。(養老 p79)
日本の世間って結構うっとうしくて,そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないですよね。でも,丸々付き合ってしまって,にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。(養老 p81)
やっぱり仕事にあんまり本気でなかったんだろうね。そう言うとけしからんと怒られるんだけど,実はそのくらいの態度が大事なんじゃないかと思っています。(中略)人って,あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては,適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をする人って,本来は仕事に関心がない人なんです。(中略)しょせん仕事なんて,誰かが代われるものなんです。そういうことに真剣になりすぎるって,逆にいえば使い物にならないということですからね。(養老 p84)
人間の気持ちって,材料でものすごく変わります。それを知ってから,すごくこだわるようになりました。(隈 p98)
隈 その「武士は食わねど高楊枝」が本当に太平洋戦争ぐらいまで受け継がれちゃったんですね。 養老 まさしくその通りなんですよ。一番ひどかったのは日本陸軍でしょうね。戦死者の七割が餓死と言いますから。(中略)日本は厳密な意味で戦争をしてないんですよ。他人の土地とか熱帯とかに行って,勝手に餓死している。すごく無駄なことをやっているんです。 隈 日本企業っぽいな。(p111)
ちょっと疑っているのは,危険ドラッグを使うやつって,たばこを吸っていないんじゃないかということなんです。(養老 p113)
ヒトラーとムッソリーニは,たばこを吸わなかったんですよ。反対に,ルーズベルトもチャーチルも,ご存知のようにぷかぷか吸っていたよね。人を捕まえて,「俺の言う通りにしろ」というのがたばこを吸わない人。(養老 p113)
「乱世」という言葉自体は,平和な時代の人が見て,言っているだけのことだから,乱世に暮らしている人はそれが乱世だとは思っていない。(養老 p114)
日本人は「ともあろうものが」という言葉をよく使うんですよ。(中略)これは世間のある種の期待というか,暗黙の前提でね。世間がそうやって押し付けてくる標準に人は無意識に従っている。それに対して個人が「そうじゃない」って訂正しようとすると,世間を訂正することになるから,すごく負担なんです。(養老 p117)
デザインの中に哲学が宿るみたいに思っているところが日本人にはあります。僕の実感からすると,それは世界の中で案外と少数派です。日本人は「建築ドリーマー」が多い。(隈 p121)
日本語って視覚中心の言語ですからね。だから教育もやけに書き方中心で整っているでしょう。対してヨーロッパの民族は,二千年前のプラトンのころから,金を取って弁論術を教えてきたわけですからね。(養老 p122)
武道館を作れと言ったのは誰だっけ? あ,板垣退助だ。外国人に日本のものを見せるんだ,と。それで,そこで相撲を取ったから相撲が国技になったんですよ。その前までは,相撲は別に日本の国技だったわけじゃない。(養老 p150)
それには,やはり建築のスケールが影響するんです。人間という生物は自分の体に比べてすごく巨大なものが存在すると,そこにある威圧感や永続性のイメージに圧倒されて,背後にどんでもないものを感じてしまう。人間に限らず生物ってそういう弱さ,流されやすさを持っていると思います。(隈 p150)
日本人に馴染みのある「歌舞伎座」という型ができあがっていき,多少ずれていても頭の中で補正して見るようになった。だからその型の範囲でぼくが多少いじったとしても,みんな気がつかない。型という日本文化が持つ力を感じます。(隈 p159)
建築って人間にいろんなことを錯覚させるんですよ。例えば破風屋風の下には特別なものがあるという錯覚。その錯覚は不思議なことに,時間がたつと錯覚じゃなくて本質になったりもするんです。(養老 p161)
丹下健三さんとか黒川記章さんとか,巨匠と言われていた建築家は「都市計画」の概念を日本に持ってきた人たちです。でも,彼らの語る都市計画というものは壮大な大風呂敷なわけですよ。(隈 p183)
女性は「何のために」という質問をよくしたがるんだよ。それを問うから,世間がつまらなくなる。面白いから行くのであって,だから当然,自己責任だよね。(養老 p210)
人は生きる舞台があって,その舞台の継続性がちゃんと保証されていれば,それほど死を怖れることはなくなるんじゃないでしょうか。世界史の中で見ても,都市というものは,そのような舞台であったし,個人の死を超える生き方を探るために,王様や皇帝は街を作ってきたのです。(隈 p231)
書名 新・都市論TOKYO
著者 隈 研吾
清野由美
発行所 集英社新書
発行年月日 2008.01.22
価格(税別) 720円
● 東京の都市シーンを5つ巡りながら,著者二人が都市論,建築論を展開する。その5つとは,汐留,丸の内,六本木ヒルズ,代官山,町田。最後にカウンターとして北京が登場する。
● 自分が当事者として都市再開発や建築に関わることは絶対にないという安心感と,東京に住むこともまずないという部外者意識から,読みものとして楽しく読むことができた。
やっぱり頭のいい人っているもんだなぁ,ってなものだ。都市は失敗の集積で,失敗を抱えていない都市なんてつまらないというくだりがある。ほほぅと思う。
● 以下にいくつか転載。
ネットショッピングか,さもなくば老舗の本店まで足を伸ばそうかという時代に,中途半端な店が集積した大規模商業施設は本当に必要だろうか。(p33)
大きな都市開発プロジェクトほど,クリエイティビティではなくリスク管理が求められる。その意味では世界が日本化している,といえるんですね。(p44)
ナポレオン三世がどうしてパリの大改造をなしえたか--それはパリに住んでいなかったからという説があります。(中略)都市計画なんて個人の生活や都合を理解したらできない。(p50)
一つの企業の内部だけでなら,この国の潜在能力はきわめて高い。『プロジェクトX』程度の話は,実はそこら中の企業の内部にころがっている。しかし,複数の主体が調整に調整を重ねて大きな計画を実行するとなると,この国は個の企業の優秀さとは比較にならない未熟さを示すのである。(p69)
いいにしろ,悪いにしろ,三菱は己をよく知っていますよね。突出したデザインなんて街区には無駄だと,ちゃんと分かっている。(p73)
建築や都市再開発が成立するには,上に建てるハードだけではなく,そもそもそこにある「場所」の力が不可欠なんです。(p147)
ある時期,日本人は必死になって都市から「村」を排除してきたわけですが,それがきわまった時代には,逆に「村」が持つノスタルジーこそが余裕の証となります。(p159)
六本木ヒルズを悪く言う「良心的都市計画家」の,その良心っていうものをいざ実現させてみると,結局「良心的テーマパーク」程度のものでしかなかったりする。(p198)
汐留は,バブル崩壊後というネガティブな時代に計画が進んでしまった不幸もあります。ネガティブな時代の計画は,結局,資産にならないんですよね。逆に,どんなに反感が多くても,ポジティブな時代の計画は成功する。(p223)
街並みに対する感受性は,教養の中でも一番上位にくるものです。日本人は歴史的にもその教養,感受性が高い人々でしたが,ここにきていかにそれを失ったか。東京を歩きまわると,日本人の教養の断絶をひしひしと感じます。(p231)
書名 対談集 つなぐ建築
著者 隈 研吾
発行所 岩波書店
発行年月日 2012.03.29
価格(税別) 1,800円
● 隈さんと次の7人の対談を収録してある。
御厨 貴(日本政治史)
藤森照信(建築家)
原 武史(日本政治思想史)
佐々木正人(生態心理学者)
蓑原 敬(都市プランナー)
伊東豊雄(建築家)
岡田利規(演劇作家)
● 以下に多すぎる引用。この多すぎる引用をどう回避するかが,ぼくにとっての最大の課題なんだけど,これといった妙案が出てこない。
いや,ひとつある。引用を強引にやめてしまえばいい。
書名 建築家,走る
著者 隈 研吾
発行所 新潮社
発行年月日 2013.02.25
価格(税別) 1,400円
● 清野由美さんが隈さんにいろいろと話を振り,そのやりとりを文章化したもの。聞き語り。変な言い方だけど,たっぷり面白い。
● まずひとつ転載。
過去の仕事を振り返ると,「表現」にこだわったものは,建築としては逆に弱いものになったように思います。何かを表現したいということより,「自分の嫌いな建築は作りたくない」という一念にこだわって,建築を磨いて,磨いて,磨き続けると,強い建築ができるようなのです。(p2)
● 日本はグローバル化について行けていないのではないかとの問題提起。いくら終身雇用が良かった,年功賃金が良かった,と言ってみたところで,日本だけがグローバル化の波から超然としているわけにはいかない。
小泉構造改革の是非を問う論説もけっこうあると思うんだけど,あれをやっていなかったら今頃はもっと切実な事態を迎えていたような気もするんですよね。グローバル化には適応するしかない。どう適応するかだけが問題だ。
著者は以下のように批判するんだけど,ひょっとすると,一見鈍重に見える日本の建設会社の方が賢い対応かもしれないと思ったり。急がば回れを地で行っていると見ることはできないか。もとより,意識的にそうしているわけではないだろうけど。
韓国は日本にとって真の脅威だと思います。ここのところ,特に彼らの持っているグローバリぜーションのDNAが,経済危機を乗り越えた後に自信を得て,一挙に加速した印象があります。韓国のクライアントの自信と志の高さを前にすると,「ああっ,ぼくって日本という田舎の人間なんだな」とさびしい気持ちになりますから。(p44)
● 歌舞伎座をどう改修するか。プランを作ったのは著者。それにまつわる話。
日本にも古典主義の名建築はありますが,岡田作品はプロポーションや,素材選びのセンスが他の人とはまるで違う。要するに,建築がエッチなんです。官能的なんです。 奥さんが,赤坂一の芸妓と謳われた萬龍さんだったこととも関係があるでしょう。(中略)そういう女性と添い遂げたというだけで,岡田信一郎はすごいと思います。(p51)
生き物は,どんなに長い目で物を見ようとしても,結局は自分の生きられる短い時間のことしか考えられない弱い存在です。その短い時間を基準にして,いいとか悪いとかをつぶやく。それが自分自身を含めての,生き物の宿命です。(p65)
今は,場所の固有性がそれぞれに際立つ時代で,「場所」の意味する範囲が刻一刻と小さくなっている感じなんですね。(p70)
● 特に集合住宅を所有の対象にしたことが,都市政策の最大の失敗だと著者は看做す。それと,リスクを取らない日本社会の閉塞感について警鐘を鳴らす。管理社会が行きつくところまで行くとこうなる,っていうかねぇ。
ひょっとすると,日本人はとんでもなく図々しくて,かつ,人がいいのかもしれないね。自分の安全を他人に守らせて恥じないわけだし,誰かが守ってくれると信じているんだろうから。
「私の家」を持ちさえすれば一生の安心,という住宅ローンのシステムを発明したアメリカは,それをエンジンにして20世紀資本主義を牽引しました。しかし皮肉なことに,その幻想が一番うまく効いてしまったのが,戦後から今に至るまでの日本だったのです。「私の家」をめぐる幻想は,住宅ローンによって一生を会社にしばられるサラリーマンと,家に閉じ込められた専業主婦を生み出しました。 ぼくの20世紀批判も,コンクリートのモダニズム批判も,すべての始まりはぼくの母親の姿にあります。家で一人,淋しくしていた母親です。(p103)
サラリーマンに大金を渡すと,昔の成功例をコピーするだけなので,結局,失敗します。高度成長の時代には,成功をコピーすれば成功するという図式も成立しましたが,情報が一瞬に行き渡る21世紀の世界では,昔の成功とは即,今の失敗なんです。(p110)
● 人生観,人生戦略,仕事観,仕事に対する姿勢や方法論を語る。
人のせいにするのが上手な人は,そもそも建築という仕事には向いていません。敷地が悪い,クライアントの趣味が悪い,頭が悪い,金がない,近隣の住民がうるさい---人のせいにするネタは,無限に見つかります。でも,その「人のせい」がすべて,ほかにないユニークな建築作品を作るためにきっかけになる,ということが身に染みてわかれば,状況は俄然,変わってきます。(p142)
これって,建築に限らず,たいていの仕事は同じでしょうね。この境地に至れればすごいことだ。著者は体験を通じて身体でわかっている。
誰でも体験は否応なくすることになるんだけど,そこで浅く達観しちゃうんだよね。ここへは至れないんだなぁ。
● 東日本大震災を受けて,著者が感じたことは。
ぼくが最もショックを受けたのは,高台にある住宅街から,被災した市街地を見下ろしたときです。高台では典型的な20世紀型の住宅が何事もなかったかのように並んでいる。道路にはヒビさえ入っていない。でも,そこから下をみると,都市そのものが赤茶色の破片へと徹底的に,完全に粉砕されている。そこには激しいギャップがあり,すべてが非連続でした。(p165)
書名 自然な建築
著者 隈 研吾
発行所 岩波新書
発行年月日 2008.11.20
価格(税別) 700円
● 本書に紹介されている著者が設計した建築物のうち,3つが栃木県内のもの。
那須町(芦野)の「石の美術館」。素材は芦野石と呼ばれる地元で産出される石。
高根沢町の「ちょっ蔵広場」。大谷石の米蔵をリニューアル。あるいは,解体して作り直した。
那珂川町(旧馬頭町)の「広重美術館」。杉と和紙を使った。
「石の美術館」にはじつは行ったことがない。が,「ちょっ蔵広場」と「広重美術館」には馴染みあり。気取らない造作が好印象だと思っていたんだけど,当事者には苦労がたくさんあったんですな。言われなければ気づけない。
● アヴァンギャルドという言葉を思いだした。前衛芸術という意味で使われるのだろうが,著者は最先端に立つ人っていうイメージ。変革者っていうか。変革の結果をしっかりと形にするっていうね。
書名 新・ムラ論TOKYO
著者 隈 研吾・清野由美
発行所 集英社新書
発行年月日 2011.07.20
価格(税別) 760円
● 本書でいう「ムラ」とは「その場所と密着した暮らしがある場所すべて」(p22)。「ムラ」に着目する問題意識は次のとおり。
二〇世紀初頭,弱者は「建築」によって救出可能であると人々は信じた。建築は神の代用品ですらあった。誰でも「持ち家」という建築を与えられることで救われる。公共建築によって,その工事プロセスが生み出す雇用によって,弱者を救済することができる,と人々は信じた。 しかし結局のところ,「空間の商品化」は誰も救うことができなかった。全員が傷つき,ヤケドをした。土地というもの,それと切り離しがたい建築というものを商品化したことのツケは大きかった。商品の本質は流動性にある。売買自由で空中を漂い続ける商品という存在へと化したことで,土地も建築も,人間から切り離されて,フラフラとあてどもなく漂い始め,それはもはや人々の手には負えない危険な浮遊物となってしまった。(p20)
● 著者二人が,下北沢,高円寺,秋葉原,小布施(長野県)を訪ねて,現地を歩きながら,言葉を交わしていく。清野さんの合いの手が絶妙で,小気味よく話が展開していく。
話題は都市や建築ということになるわけだけど,四方八方に飛ぶ。本書に収録されなかった部分が相当以上にあるに違いない。それも読んでみたい。
● 隈さんは,まことにもって博覧強記。この言葉は今はあまり褒め言葉にはならないのかもしれないが,自分の足でスックと立って,自分の頭で世間と対峙している感じ。かっこいいねぇ。
書名 小さな建築
著者 隈 研吾
発行所 岩波新書
発行年月日 2013.01.22
価格(税別) 720円
● 1755年のリスボン大地震の影響については,前に読んだ黒崎政男『今を生きるための哲学的思考』でも取りあげられていたが,本書でも冒頭に登場する。
この未曾有の災害によって,人々は神に見放されたと考えた。神学や教会の権威を揺るがし,啓蒙思想を生む契機となった。
著者によれば,リスボン大地震によって,建築は「地震にも火災にも耐えうる,強く合理的な」方向に向かった。「不燃の強く合理的で大きな建築」である。
けれども,あの3・11が「強く合理的で大きな建築の無力さをわれわれにつきつけた」。
● 読みものとして抜群の面白さ。頭のいい人が書いたものは面白い。書き手の頭がいいっていうのが,面白さの構成要素のひとつってことなんでしょうね。
書名 日本人はどう住まうべきか?
著者 養老孟司・隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2012.02.06
価格(税別) 1,200円
● 自分が何も知らないってことを教えられるね,こういう本を読むと。自分のバカさかげんを突きつけられるといいますかね。
建築世界のアレコレを知らないのは当然だからこれは許すとしても,モノの見方がコンクリになっているとか,発想の貧しさとか,そもそも自分の頭で考えるとはどういうことかを知らなかったとか,根底的に自分はバカなのだなということを知らされる。
● 読みものとしても群を抜く面白さ。読みやすいしね。読み始めれば一気通貫で読了できる。
● 全編すべて引用したくなるが,いくつか引いておく。
日本の大工さんは技術力が高くて,ベニヤを手早く組み立てることができた。それが逆説的にまずかったのかもしれませんが,建築家がどんなに勝手な造形で図面を描いても,日本の大工さんがいればたちまち世界で一番きれいなコンクリートが打ち上がるんです。建築家の妄想みたいなものを実際に形にしてくれる,素晴らしい職人さんがいたわけです。日本の建築と建築家は,丹下健三さん以来,黒川紀章さんも,安藤忠雄さんも,ベニヤをうまく組み立てられる日本の職人さんがいたおかげで世界に名前を知られた。まあ,甘やかされていたようなものなんですよ。もちろん,僕もその恩恵にあずかっています。それで,ものづくりの厳しさを,どこか忘れちゃったのかもしれない。(隈 p42)
原理だけで建築を作ると,そのロジックが時代遅れになったときに,とんでもない負債を背負うことになります。(隈 p65)
サラリーマン的であって一番よくないことと言えば,日本の場合は機能的じゃなくなることですね。現場にいる人は,機能的じゃないととても困るんです。(中略)現場というのはルールでは動かない。適当にごまかす方が早いしスムーズにいく。(養老 p73)
都市というのは基本的に,賃貸という形を採用することで,家族形態の変化やライフスタイルの変化などに応じて,フラフラと移動しながら住むようにできているんです。経済状況だってしょっちゅう変わるし,それにつられていろいろなことが変わっていく。都市という生き物は,住宅を分譲して「資産だよ」と言った途端に,大きな病を抱え込むことになります。(隈 p99)
プレハブはもう大変です。だって100年工法とか200年工法とか言われていても,その価値は100年なんか持たないもので,朽ち果てるだけですから。100年後には誰も住みたくないデザインのくせに,材料だけは200年持つということは,解体にお金がかかるだけ。手に負えません。(隈 p118)
冷暖房を例に取ると,普通,人は寒いから暖かくして,暑いから冷やすんだと考えるわけ。これは機能論と言われますが,でも,本当はそうじゃないんです。人が冷暖房を使う理由をよくよく詰めて考えると,気温一定という秩序を意識が要求しているからなんですよ。要するに,人は暑くても寒くてもエネルギーを使っている。 (中略)その秩序を20世紀にどうやって手に入れたかというと,石油という分子をバラバラにして,無秩序を増やしたからです。秩序には,エントロピーという無秩序が付いてきて,それでもってつじつまを合わせています。都会で暮らしている人間は,頭で秩序を作り,秩序を要求しますが,それには必ず無秩序が伴うことを自覚した方がいい。そのためには,自分たちが要求しているのは秩序だということに,まず気が付いてもらわないといけない。で,次に,秩序ってそんなに望ましいものなのか,ということを考えてもらわなきゃいけない。(養老 p157)
教育で一番大事なのは,向かない人に早くあきらめてもらうことだ。(隈 p170)
国の診療制度だと今は出来高払いになっているから,あきらめた方がいい医者でも仕事を続けるし,あきらめた方がいい対象でも医療行為が続いてしまう。だから大変なことになっちゃったわけですよ。患者さんは,死ぬまで我慢の一生。(養老 p170)
何もない平和なとき,人は何かをしたり,何かを考えたりはしないものらしい。大災害が起きたときに,人は新しいことをしたり,考えたりするのである。その意味で,人類史とは災害史である。(隈 p187)