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2018年8月22日水曜日

2018.08.22 pha 『ひきこもらない』

書名 ひきこもらない
著者 pha
発行所 幻冬舎
発行年月日 2017.06.20
価格(税別) 1,200円

● いつもやっていることを別の場所でやるのがいいのだから,旅に出たからといって,そこでしかできないことをやろうとしなくていい。ビジネスホテルはどこも画一的なのがいい。など,自分の感性との共通点を感じた。
 決定的に違うのは,ぼくは毎日のルーティンを我慢できること。著者はそうではない。

● 以下に転載。
 僕は昔から一般的な家や家族という概念に対して閉塞感を覚えてしまって苦手なところがある。メンバーが少数で固定している「家」よりも流動的にいろんな人が出入りしている「場」のほうが好きだ。家なんて自分の寝る場所だけあればいい。(p16)
 今の家に引っ越してきて一番初めに調べたことは近くの店で半額シールが貼られ始める時間帯だった。これは貧乏人が都会で生きていくための基礎知識だと思う。(p20)
 僕は人間の様子を一方的に見ているのは好きだけど,人間と会話をするのはあまり好きじゃない。(p21)
 コミュニケーションでも文字によるもの(チャットやメールなど)ならまだ比較的負担が少ないのだけど,音声による会話は消耗が激しい。(中略)人間はなんでこんな伝達手段を生み出したのだろうか。(p22)
 店に行くときはチェーン店がいい。チェーン店の店員はマニュアル以外の余計なことを話さない。(p23)
 僕は回転寿司でレーンに流れていないものを直接注文することはほとんどしない。発声するのがしんどいのもあるし,そもそも何を食べたいかを考えるのが面倒だというのもある。(中略)回転寿司だと,なんの選択も決定もしないままで,とりあえず席に座ってしまえば自動的に食事が始まるのがよいのだ。(p25)
 食事のときくらいは人とのコミュニケーションから解放されたい。(p27)
 この「場所にアイデア・エナジーがたまる」という考え方が好きなので真似をしているところがある。人間は周りの環境の影響をとても受けやすい生き物だから,自分がいる環境によって考えることが変わってくる。一つの場所にずっといると考え方が固まって視野が狭くなるし,別の場所に移動するだけで違う発想が生まれてきたりする。(p31)
 漫画喫茶は僕にとって,心のMP(マジックポイント)を回復してくれる魔法のほこらだ。現実の人生のややこしさを忘れて漫画の世界に浸ると心が安らぐ。大量の絵と物語を目から流し込んで脳をじゃぶじゃぶ洗濯するようなイメージだ。(p37)
 一度読んだ漫画をもう一度読むのも頭にあまり負荷がかからないのでよい。年を取ると昔よんだものをどんどん忘れていくので便利だ。(p38)
 旅行中の宿として漫画喫茶に泊まるのも好きだ。2000年前後くらいからだったと思うけど,漫画喫茶(ネットカフェも大体同じ)が宿泊場所として使えるようになったときは衝撃的だった。(中略)数万冊の漫画が所蔵された静かな閉じられた空間。ここで朝まで9時間滞在できて2000円なんて天国だと思う。(p38)
 僕はコーヒーとチョコレートが大好きだったのだけど,一切摂るのをやめた。ちょっとつらいがしかたない。(中略)一番初めに気づいた効果は,心がなんだか穏やかになっているということだ。(中略)カフェインを抜いたら昼寝がスッとできるようになったのにも感動した。(中略)それまでたまに吸っていたタバコも,カフェインを抜いたら全く吸いたくなくなった。(p44)
 カフェや喫茶店が本当に売っているのは時間と空間なのに,それがコーヒーやお茶などの飲み物の提供と結びついているのはよく考えると不思議なことだ。その結びつきには特に必然性がない気がする。(p48)
 旅というのは非日常,計画の外を求めてするものなのに,その旅をきちんと計画を立ててするというのは,ちょっと衝動を社会に飼いならされすぎじゃないか? そんなに自分をうまく管理できるならそもそも旅になんか出なくていいのでは?(p64)
 旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない。景色なんて見ても2分で飽きる。食事も一人のときはできるだけ短時間ですませたい性格なので,土地の名物などは食べず,旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。(p65)
 いる場所を変えるだけで考えることは変わる。特に家からの距離が重要で,同じように見える街でも家から1時間の場所と3時間の場所と6時間の場所にいるのでは気分が違ってくる。物理的に遠くに離れれば離れるほど,普段自分が属している世界を客観視しやすくなるのだ。(p66)
 地方では大体なんでも,値段は東京と同じか少し安いくらいで,部屋や敷地は2倍くらい広くて,お客さんの数は2分の1くらいだったりする。結果として,東京より地方のほうが同じ値段での快適度が3倍から4倍くらいある。(p93)
 僕は旅の中で移動中が一番楽しいというか,目的地に早く着いちゃうともったいないような感じがあって,移動が長いのはあまり苦にならない。(p117)
 普段都会に住んでいると意識しないけど,日本は本当に山と海と田んぼばっかりの国だ。(p119)
 宿を探すにはある程度大きな街に行く必要がある。安く一夜を過ごせるネットカフェやサウナやカプセルホテルは,ある程度以上の繁華街にしかない。(p120)
 ホテルというのは日によって値段が変わるものだけど,日曜が一番安いことが多い。平日は出張の人が泊まるし,週末は休日に出かける人が泊まる。そのどちらも来なくて空いているのが日曜の夜だからだ。(p121)
 ビジネスホテルのあの,とりあえず生活に必要なものは一通り揃っているけれど,全部高級ではなく安っぽくて,部屋も狭くて,でもそれなりに清潔感だけはある,という最低限かつ機能的な感じが好きだ。(p122)
 ビジネスホテルはどこに泊まっても画一的で同じような部屋なのもいい。(p122)
 見てるものは同じはずなのにいつもと違う場所で見るインターネットはなんであんなに楽しいんだろうか。(p123)
 「ずっとひきこもっていたい」と「ずっと家にいると飽きる」という矛盾した欲求を両方満たすのが,「一人でビジネスホテルにひきこもって普段と変わらない生活をする」なのだと思う。(p124)
 ビジネスホテルに泊まるのは好きだけど,同じ部屋に続けて2泊したいとはあまり思わない。せっかく日常から逃れて新しい場所に来たのに,2泊目に突入するともう部屋の新鮮さが腐り始めて,空間が日常に侵されていく気がするからだ。(p124)
 歩くことには何か考えを促進するものがあるのだろう。体が止まった状態で考えるよりも体を動かして意識に流れを作ってやったほうがポッとよい発想が湧いてくる。(p145)
 外をふらふら歩くことが生活の中心としてあるので,思うように歩けないときは不調になる。(中略)普段立ち止まらない場所で立ち止まってみたり,普段上を見ないところで上を見てみたりするだけで新しい世界が見えてくるので楽しい。(p146)
 知らない街の駅前の商業ビルを見て,知っているチェーン店ばかりがあるとほっとする。その街ならではの特色などはないほうがいい。(中略)どこにでもあるような街で(中略)その土地の人間の行動パターンを推測するのが好きなのだ。(p156)
 僕がどこにでもあるような街を見るのが好きな理由は,多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。日常というのは平凡で退屈で閉塞感だらけのつまらないものだけど,つまらないのは自分だけじゃない。(p158)
 寝る場所があってパソコンがあってインターネットさえつながっていればそこが家だ,それくらいでいいんじゃないだろうか。思えば自分のそれまでの暮らしはいらない物に取り囲まれすぎていた。(p166)
 不動産というのは自ら放棄することができない。つまり,誰かが買い取ってくれなければ,死ぬまでずっと維持費を毎月数万払い続けなければいけないということだ。要は激安物件というのは,他人に維持費を払う義務を押し付合おうとする「ババ抜き」みたいなものなのだ。(p188)
 人間は,単純にサイコロを振るだけといった確率だけのゲームでも楽しむことができる。その理由は,人は全く意味のない偶然にも意味を見出してしまう生き物だからだ。(中略)人は無意味に何かが起こることには耐えられない。なぜならば,無意味を無意味としてそのまま受け止める心の強さがないからだ。(p196)
 昔,パチンコというのは1玉4円で遊べた。1000円で250発だ。だけど最近では1玉1円で遊べる1パチというのが増えているし,もっと安い0.25パチというのもある。これらのパチンコは安く遊べる分,当たりがで出た場合の勝ち分も少ない。なぜそういう安いパチンコが増えているかろいうと,儲けようと思ってパチンコを打つ人が減っているからだ。(p198)
 京都より東京のほうが大きい都市だけど,京都にいた頃のほうが都市全体を広々と活用できていた気がする。京都が一つの都市だとすると,東京はたくさんの都市の集合体という感じがある。(p211)
 結局自分たちみたいな真っ当に生きられない人間が真っ当に生きられない人間のままで暮らせる場所は東京しかないのかもしれない,ということを最近よく考えている。その理由は主に二つで,「人口が多いので自分と同じようなマイノリティの仲間を探しやすい」というのと,「人口が多いのでどこかでトラブルを起こしても他のコミュニティに逃げやすい」ということだ。(p220)

2018年8月1日水曜日

2018.08.01 pha 『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』

書名 人生にゆとりを生み出す 知の整理術
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2017.12.25
価格(税別) 1,300円

● 最も印象に残ったフレーズは「すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ」。疑いようもなくそのとおりだ。
 類書にはない新たな知見が披露されているわけではないと思えるのだが,同じ内容でもphaさんの文章で読みたいと思う人は多いだろう。ぼくもそうだ。

● ものの見方がひねくれていない。少し油断するとひねくれてしまうものだが。
 自分も図書館の恩恵を受けていながら,図書館は無料の貸本屋だなどと貶めてみたくなったりするのだが(ぼくのことだ),そういうお粗末とは当然ながら無縁。

● 扉に次の一文が書かれている。
 この本で伝えたいことはただ一つ。“一生懸命,必死でがんばっているやつよりも,なんとなく楽しみながらやっているやつのほうが強い”ということだ。
 本文はその各論,具体論ということか。しかし,ここでは各論まで目を通しておいた方がいいと思う。上の総論だけでは,どうしたらそうなれるのか,少々戸惑うだろうからだ。

● 以下に転載。
 知識があれば避けられる不幸が,人生には結構ある。だけど,たまたま知らないばかりに苦労し続けてしまっている人は世の中に多い。(p3)
 勉強でも仕事でも何でも,どれだけ根性を出してがんばるかということよりも,習慣や環境の力を利用して,無理なくなんとなく続けることが重要だ。できる人ほど,力を入れずにいろいろなことが回っていく習慣や環境を形作っている。(p7)
 勉強はゲームだし,仕事もゲームだ。試験の点数や順位や給与や売上高はゲームのスコアだ。もちろん人生だってゲームだ。人生は世界最大規模でやろうと思えば何でもできる自由度MAXの超オープンワールドゲームだから,プレイできる限り,思う存分楽しまないと損だ。(p15)
 ゲームとして楽しむときに必要なものは2つ,「余裕」と「達成感」だ。何かを楽しめないときはこの2つを持てていないことが多い。(p16)
 なかなか余裕を持ちにくいときには,僕は自分が宇宙人か未来人だと想像するようにしている。(中略)ヒマ潰しにバーチャルリアリティの世界で21世紀の地球人の人生を仮想体験しているだけ,みたいに考えるのだ。(p17)
 基本的に勉強というのは,自分が楽しいと思うことだけやればいい。これは勉強に限らず,すべてのことに言えるかもしれない。(中略)人間の体は,自分に必要なものはおいしく楽しく感じるようにできているのだ。(p21)
 僕は何か思いついたことや考えたことは,何でもすぐにツイッターやブログに書くようにしている。それは,考えていることを言葉にすると,考えが前に進むからだ。(中略)「言語化する」というのは,人間の持っている最も偉大な問題解決能力だ。(p44)
 言語化するというのは,「アナログで連続的な世界を言葉でデジタル化する」と言い換えることもできる。(p46)
 「何が問題か言葉にできたら,もう半分は解決したようなものだ」とよく言われる。対象を言語化するということは,それくらい大事なことなのだ。(p48)
 僕は,過去の自分のブログやツイッターを読み返すのが好きだ。(中略)書いたものを読むと,過去や未来の自分とやり取りできるので,一人でいながら誰かと相談するような効果が得られるのだ。(p48)
 授業中に余談をしてくれる先生はいい先生だ。(中略)人間の脳は物語や感情と結び付いたことを強く記憶するようになっているから,余談と一緒に覚えるのは効率のいいやり方なのだ。(p52)
 本に載っている無味乾燥の情報に,自分なりの思い入れや思い出や思想などを絡ませながら,自分の中の血肉としていく。無色透明の情報に自分なりの色を付けていく。(中略)情報を自分のものにするというのはそういうことなのだ。(p55)
 僕が文章をわりと書けるようになったのも,しゃべるのが昔から苦手だったせいだ。口でスラスラと思っていることをすべて表現できる人間だったなら,今頃文章なんて書いていなかっただろう。(中略)だから,自分の欠落は不幸ではなく,むしろ自分のやりたいことを決めてくれる個性だと考えるのがいい。(p58)
 想像力や創造性というのは,限られたリソースの中で何とかやりくりしようとするときに生まれる。(p60)
 僕はまったく知らないジャンルについて勉強するときは,本を最低3冊読むようにしている。そうすると,知識がちょうどいい感じに曖昧になるからだ。(p70)
 勉強のノートというのは,書いただけでは意味がない。ノートは何回も読み返すためにとるものだ。(p75)
 今の時代はもう,テレビも新聞もブログもツイッターも全部,情報源の一つとして並列している。これは歴史上初めてのとても特殊な時代だ。僕はそんな状況が楽しくてたまらない。ただ,誰でも情報を発信できるようになったことの弊害もあって,それは(中略)「誰でも気軽に発信できる」ということは,「内容がどんなにデタラメでも発信できる」ということでもあるので,ネット上の情報には嘘や間違いも多く玉石混交だ。見る価値のないようなゴミ情報も非常に多い。そこで必要となるのが,「キュレーター」と呼ばれる人の役割だ。(p87)
 ぼくがヒマ潰しにネットで見る場所は,ツイッター,はてなブックマーク,タンブラーなどなのだけど,それら全部に共通しているのは,自分の好きな人をフォローして自分だけのタイムラインを作れるというところだ。(p89)
 情報を実際に役に立てるには,単にその情報だけを知っているだけではダメで,その情報をどう位置付けるかという「文脈」や「思想」といったメタ情報が必要なのだ。(中略)本というのはそれを与えてくれるものなのだ。(p94)
 本の中に一つでも「へー」とか「よい」とか思う箇所があったらそれで十分に価値のある読書だ。もし,1冊の中に3つくらいいいフレーズを発見できたら,「大量だ!」というふうに考えよう。(p100)
 本を書く側の立場から言うと,(中略)その本で本当に伝えたいエッセンスのような内容は,どんな本でも20ページもあれば収まるものだと思っている。(p101)
 本を読んだらできるだけ読書メモをとるようにしよう。その理由は2つある。一つは,「読み返して情報を頭に定着させるため」だ。(中略)もう一つの理由は,「書くことで覚える」からだ。(p103)
 本というのは,自分自身を映す鏡のようなものでもある。だから,自分とまったくかけ離れている本を,人はおもしろいと思うことができない。(p107)
 人間の心理として,身銭を切ったものは身につきやすい。(中略)ただ,人間というのはすぐに刺激に慣れる生き物だ。お金を払うことに慣れすぎると,身銭を切る痛さがだんだん薄れてくる。(p112)
 知識というのは生きることにおいて大きな武器で,知識が多いほど有利に生きていくことができる。もし図書館がなかったとしたら,本を読むにはお金を払わないといけないので,たくさん本を読めるのはお金持ちだけになってしまう。(中略)そうすると貧富の差が固定されてしまう。(p123)
 僕がブログや本でこんなふうに文章を書いている最大のモチベーションは,「自分がもっといろんなことをわかりたいから」だ。「誰かに読んでほしい」とか「収入につながる」という理由は,なくはないけどオマケのような感じだ。普段なんとなくぼんやりと考えていることは,誰でもあるだろう。でも,それを文章にしようとすると,あやふやな理解ではうまく説明できないことに気づく。(中略)そうしたあやふやな思いつきを,ちゃんと調べてちゃんと考えて,「これはこうです」と発表できるところまで持っていくという作業を,本を書くたびに毎回やっている。(p134)
 「軽いアウトプット」のコツは,とにかく気軽にやることだ。それが良いか悪いか考えない。失敗しても気にしない,というか,むしろ失敗を積み重ねるためにやる。(中略)そして「軽いアウトプット」のツールとしてとても向いているのが,インターネット,つまりブログやツイッターだ。(p137)
 物事は何でも,「自分のため」「自分が好きだからやっている」という点がないと長く続かないものだ。自分自身のために何かをやって,あくまでおすそ分け的に他人の役にも立ったらいいな,というくらいがいいスタンスだと思う。(p140)
 大体みんな,人の話を聞くよりも自分の話を聞いてもらいたいと思っているので,この世界ではいつも話の聞き役が不足している。誰かに何かを話したいとき,一対一で聞く人を捕まえて話すのではなくネット上にかいたものをなんとなく置いておくという感じにしておくと,特定の聴手を拘束しないで済むので便利だ。(p146)
 何かを調べて文章にまとめてブログに書くと,「うわー勉強になります」というい自分より知識のない人と,「ここは正確にはちょっと違いますよ」という自分より知識のある人が,両方いる。そのどちらもが大事な読者だ。(中略)「自分には発表するだけの知識がないから」と遠慮することはない。無知な状態でもどんどん書いたほうがいい。(p147)
 作家の坂口恭平は,ツイッターにひたすら文章を書き続けて,それをあとからまとめるという形で出版していたことがある。僕もツイッターに書いたことを,そのままブログに載せるというのをよくやる。とりあえずツイッターに文章を連投して,それをあとからまとめて長い文章にするというやり方はなかなかいい方法だ。(p150)
 何かを書いたり作ったりするとき,とりあえず雑にたくさんアイデアを出してみて,それをあとから厳選したり整理してまとめ直したりするという手法がよく使われる。その最初のアイデア出しに,ツイッターはすごく向いているのだ。(p152)
 実名はなるべくネットでは使わないようにしている。それは,リアルの世界とネットの世界は分けておきたいからだ。(中略)表に出せないような一面を出したり,言えないような意見を言えるからネットはおもしろい。なので,ネットをヘビーに使うなら,ハンドルネームか匿名にすることをおすすめする。(p157)
 「ハンマーを持つとみんな釘に見える」という言葉がある。これは,手にしている道具によって思考や行動が影響を受けるという意味だ。(中略)小さい紙を前にしているとそれに収まるくらいの少しのアイデアしか出てこないし,大きい紙に書いていると自分でも思っていなかったような発想がどんどん広がっていったりする。(p164)
 アイデアを出すときの紙は横向きに使うのがよい。(中略)縦長の紙より横長の紙のほうが,アイデアに広がりや幅が出やすいからだ。人間の空間認識は,上下方向と左右方向に違う味付けをしている。上下は順番や階層といった概念などと結び付きやすいし,左右は並列や多様性といった概念と相性がいい。(中略)いろんなアイデアを出したいという場合,多様性を重視したいので,左右方向を優先したい。(p165)
 文章というのは,最初と最後がそれっぽい感じになっていれば,中間部分は適当に雑な内容を並べていても意外とバレないものだ。(p169)
 大事なポイントは,「最初から完成度を上げすぎないこと」だ。とりあえず,50%~70%くらいの完成度で,最初から最後まで作り切ってしまうのがいい。(p170)
 ある程度完成度が上がったと思ったら,そこで切り上げるのも大事だ。100%の完成度というのはありえないものなので目指さないほうがいい。(p173)
 僕は本を書くとき,大体いつも「今度は誰をパクろうかな」ということを初めに考えている。パクリは別に悪いことじゃない。(中略)誰も「無」から何かを作り出すことはできなくて,すべてのものはそれ以前からの集合体だ。そう考えると,人の作品をコピーするのは悪いことではなく当然のことでもある。(中略)パクリ問題が生じてしまうのは,一つのものからだけパクったときだ。(中略)それから,パクっても陳腐にならないための心がけとしては,「形をマネるのではなく,気持ちをマネる」というのが大事だ。(p175)
 僕はノートを最後まで使い切ったことはほとんどない。同じノートをずっと使い続けることにうんざりしてきてしまうからだ。(p186)
 「このノートはこういうふうに使おう」と決めていても,使っているうちにだんだん最初の意図や用途とはズレてきて,余計なものが積み重なってきてよくわからなくなってくるものだ。そういうときは,必要な情報だけを別の場所に書き写して,ノートを捨ててしまうとスッキリする。作業環境は定期的にリセットするのがいい。(p186)
 いいアイデアというのは,一生懸命何かをやっているときではなく,いったん考えるのをやめて休んでいるときに,フッと出てくるものだ。体力がある人は,なまじがんばれてしまうので,つい休まずに何時間もずっとダラダラと働き続けてしまう。(p187)
 勉強した内容は,勉強してすぐよりもちょっと時間が経ってからのほうが理解が深まる,ということが脳科学でも言われている。(中略)だから,いったん忘れてしまって,次の日また別人のような気持ちで見直しをする,というのが大事だ。いったん思いついたアイデアも,すぐに発表するのではなく,一晩か二晩寝かせて見直してみると,さらに改良できる場所を見つけられたりする。(p188)
 行き詰まったらダラダラと悩み続けるのではなく,こまめにリセットして休むようにしよう。(p190)
 大事なのは,細かい知識自体を知っていることよりも,どういうふうに調べれば必要な情報が出てくるかという,「情報についての情報(メタ情報)」をつかんでいることだ。(p194)
 文章を書いているとよく思うのは,「文章というのは,自分の中である程度終っているものや,ある程度一段落しているものについてしか書けない」ということだ。なぜなら,本当に何かの真っ最中にいるときは,何がなんだかわからなくて文章を書くどころじゃないからだ。(p195)
 「書くこと」,つまり他人に伝わるように言語化して説明するということは,ぼんやりしたものに形を与えるという効果や,終わりかけているものをハッキリと終わらせるという効果がある。(p195)
 僕は,やる気がしないときは,ツイッターに「だるい」「やる気がしない」「今日はあかん」などと書くようにしている。「だるい」とか「できない」という気持ちを文字にすることで,自分の中のだるさややる気のなさが書いた文字にいくらか移動して,少しだけ体が楽になるような感覚があるのだ。(p200)
 すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ。僕は,山田風太郎の『人間臨終図鑑』という,人の死ぬところだけを享年順に並べた本をときどき読んで,定期的に死を思い出すようにしている。自分の今の年齢で死んだ人の死にざまを見ると,「せっかく生きているんだから何かやろうか」という気分になってくる。(p207)
 精神や肉体が健康な状態なら,本当にやるべきことは自然にやりたいと思って体が動き始めるはずだ。どうしてもやる気がしないのは,自分は本当は「それをやらなくていい」と思っているからではないだろうか。(p208)
 「考えてみてもどこから手を付けていいのかまったく見当がつかない・・・・・・もうだめだ」というときは,視野が狭くなってしまっているので,ちょっと一息入れよう。(中略)基本的に,まったくどうにもならない問題というのはこの世に存在しない。だけど,敵との距離が近すぎるとうまく敵の全体像が把握できなくて,相手が攻略不可能の巨大な壁に見えたりする。(p213)
 なぜ,細かくスケジュールを区切るのがいいのか。それは,細かくスケジュールとタスクを分けることで,その段階で気にしなくていいことを全部忘れることができて,目の前の作業への集中力を上げることができるからだ。(中略)人間の脳内のメモリには限界があるので,気にしなくていいことはとりあえず忘れてしまったほうが,作業がはかどる。(中略)メモやノートや予定表というのは,とりあえず必要じゃないことを忘れて頭の中をラクにするためにある。(p220)
 特に問題なく予定通りに進んでいるときでも,週に一度は新しく作り直したほうがいい。古いメモやスケジュールというのはだんだんと鮮度が落ちて腐ってきて,そうするとやる気も下がってくるものだ。(p222)
 気分次第でやることを変えていけるのが人間の楽しさだし,僕らはいつだって,今やっていることと何か別のことをやりたいと思っているのだ。(p223)
 無制限にだらだらと何かをするよりも,時間が制限されていたほうが人間の生産性は上がる。時間というのは区切れば区切るほど増えるものだからだ。たとえば,「3時間仕事をして30分休む」よりも,「1時間仕事をして10分休むを3回繰り返す」というほうが,2倍くらい仕事ははかどる。(p224)
 散歩をしながら音楽を聴くというのが,僕の最強の気分転換術だ。勉強中や作業中は歌詞のない音楽や歌詞の聴き取れない洋楽を聴いて,休憩中は歌詞のある歌を聴くようにしている。(p228)

2017年9月28日木曜日

2017.09.28 伊藤浩志・pha 『フルサトをつくる』

書名 フルサトをつくる
著者 伊藤浩志・pha
発行所 東京書籍
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,400円

● 「フルサト」とカタカナなのは,生まれ故郷という意味での故郷ではなく,今住んでる都会とは別の場所に人為的に住まいを作ろうよ,という提言だから。
 著者たちは東京に住んでいる。でもって,熊野の廃屋(?)を共同で購入して住めるように直して,地域共同体とも係わりながら,自分たちの「フルサト」を作っている。
 主には,その熊野での活動を例にしながら,なぜ「フルサト」なのかを諄々と説いていく。

● “地域共同体とも係わりながら”と言ったけれども,著者たちはそこに意味を見出しているようでもある。たんなる田舎暮らしの良さということではなくて。
 ある意味で,流行の先端なのかもしれない。現代社会病理学のテキストとしても読めるように思う。

● ぼく一個は,これが滔々たる流れになるとは思わないけれども,過疎に見舞われて,何とか地域振興を図る手立てはないかと悩んでいる,地方の人たちにも参考になるのじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 変化が大きい現代社会は,常識的に安定と思われることのほうがリスクが高いことが往々にしてある。安定しているとは,世の中が動いている時期に止まっていることであるから当然である。日々チャレンジいていったほうが,変化に適応できるから長期的に見たら安定していると言える。(伊藤 p11)
 何か変化を生み出すには小さな常識を超えることが不可欠だ。不安で思考が充満すると視野狭窄になって変化を生み出せなくなる。(伊藤 p11)
 大事なものの多くは感覚的なものだ。例えば,暖かさだ。人間は,寒いと後ろ向きな気分になりやすい。(伊藤 p11)
 並列に並んだ情報を比較していくうちに決められなくなる。こういうのは,勘と人との出会いで決めてしまうのがいい。(中略)理屈を超えた衝動が起きないと変化は起こせない。(伊藤 p18)
 コミューンみたいな移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。(伊藤 p19)
 イエス・キリストも自分の生まれた土地では奇跡を起こせなかったという。自分の子供の頃のことや自分の家族を知っている人たちがたくさんいる場所では思い切ったことがなかなかできないものだ。(pha p38)
 通常,建築物というのは,計画とコンセプトを最初にがっちり決めて作り上げる。これは西洋的な手法と言ってもよいだろう。この,企業では当然の手法はそれなりの教育を受けて経験をみっちり積んでいて感覚の優れた人でないと大したものはできない。(中略)だからこそ,素人は1日といわず住みながら考えるぐらいのことをすればよいと思う。(伊藤 p92)
 生活すること自体が価値になるのが21世紀だろうと思う。そこがおろそかだと,いくら時間をかけて働いても人生の質が上がりにくい。(伊藤 p94)
 世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは,集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。(伊藤 p95)
 同じ人間だけでずっと過ごしているとどうしてもいろいろ溜まったりよどんだりしてくるものがあるので,「人がある程度循環している」というのが居心地の良い場所を作るときに大事な点だ。(pha p126)
 どんな世界でも新規ユーザーに厳しいジャンルは衰退する。(pha p128)
 あまり先のことを決めすぎるのは不自然だと思うし,誰かが何十年もずっと継続しているようなことだって,結局は短期的な予定の積み重ねだったり偶然の成り行きだったり単なる惰性だったりすることが多い。(中略)人生なんて結局「ちょっと,とりあえず」の積み重ねに過ぎないんじゃないだろうか。(pha p129)
 フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一には面白いからであり,さらに他者との関係をつくるためであり,そのついでに生活の糧を得るという順番である。(伊藤 p143)
 遊びになるくらいの感覚で働くほうが集中力が出て質があがるだろうし,無理して働いているよりも人の能力が発揮されると思う。なにしろ個人のやるべき仕事は工夫と細やかさが勝負なので,やっている人の精神の余裕が鍵になってくる。(伊藤 p144)
 自給活動はマネーを稼ぐための活動よりも費用対効果がよいことが多く,狙い目の分野なのでいろいろ検証してみる価値がある。(中略)自給力をあげたほうが楽だし,コントロールできる生活の範囲が広がる,というのが私の意見である。(伊藤 p148)
 現代社会が何かとお金がかかるのは,サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが,直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。インターネットは基本的にこの中間をなくすように発展していくので,全体の傾向としてはこのような中間のコストは省かれていくだろう。(伊藤 p157)
 もしかしたら,交換するものは究極的には物資やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれれば,無料で気分よくなれるのだからかなりの儲けもんだ。(中略)しかし一方では,昨今の挨拶は「あいつは挨拶ができない」と減点評価するために使われている。とてもつまらない現象だ。(伊藤 p158)
 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない,とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている,これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金と交換してもらう」とか,そういう意識で捉えている人は,はっきり言ってズレている。(伊藤 p159)
 モノが飽和したこの時代においては,モノによる充足よりも自分の体を動かして普段できないことをする,ということにも価値がある。(伊藤 p169)
 徳島県上勝町の葉っぱビジネスは,発案者の横石知二氏が自ら料亭に通い詰めて,どういう葉っぱがつまものにふさわしいかを実感できるレベルまで探求した,ということから発展してきていた。(中略)使う側の生活実感をしるかが勝負どころだった。生活を探求するというのがいかに大事かというのが分かる。(伊藤 p174)
 バックパッカーが集まる都市には必ず安宿街がある。そして安宿街には,安く泊まれるゲストハウスと,気軽にごはんを食べられるレストランやカフェと,古本屋があるものなのだ。(pha p211)
 都会にはどんな文化でも同じジャンルに詳しい人がたくさんいるので,ちょっとやそっとのレベルではなかなかイベントを開いて人を集めにくかったりする。田舎だったら人が少ないので他に同じことをやっている人があまりいないから,趣味の延長として気軽に文化的なイベントを開催しやすい。(pha p215)
 ともすると経験値のある人ほど「めちゃくちゃ大変やぞ」と脅してくることがあると思う。それが正しいこともあるが,しかしどう大変なのかということを具体的に聞いてみないと,それが真実味があるのか分からない。(伊藤 p231)
 高齢化社会の問題の一部に,老害問題がある。私は,ごく一部の権力を持った高齢者が力を振り回して被害を起こすという老害は,メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大,高齢化による思考力の減退,さらには趣味文化の低下による暇の処理不能,この三点がセットになったときに発生すると考えている。(中略)もし追求したい趣味があれば隠居のタイミングを逃さずにすむのだが,無趣味だとやることがないから仕事に逃げる。(伊藤 p236)
 そこで大事なのは,書を書くなら書くこと自体を目的にすることである。うまく書いて褒めてもらおうとか,狭い業界で評判を得たいなどと考えていると本末転倒だし,来訪客に自分の作品を無理矢理見せたりして迷惑がられるのがオチなので,せめて老年期までにはつまらん承認欲求を軽々と無視して技芸趣味に没入できる枯れた境地を目指したい。そのためには若いうちからやれることをやっておく必要がある。(伊藤 p238)
 理論をレクチャーするタイプの授業は講師によって質にバラツキのある集団講義じゃなくて動画で開いてしまえばよい。人から直接教わるのも大事なので,それは別途集中的に実習や研究を現場で行う。動画配信と合宿の組み合わせの教育を行えば,これまでの教育機関の内容を超えられる可能性は十分ある。(伊藤 p247)
 人の活力が落ちれば企業の活力も落ちる。これまで地理的な高齢化や過疎化が問題視されてきたが,今後は企業の高齢化問題が顕在化してくる。過疎化する企業が出てくるだろう。(伊藤 p254)
 世の中を見渡してみると,様々なジャンキーが存在する。延々と転職情報を集め続けて行動しない,というのは転職情報ジャンキーであるし,使わない資格を取り続けるのも資格ジャンキーである。使わないのに一気に買い物してしまうというのも消費ジャンキーだし,他人の悪口を収拾して話すのがやめられない,というのも罵詈雑言ジャンキーであろう。これらの原因は共通している。「暇」である。(伊藤 p255)
 デジタルジャンキーが生まれやすいというのは個人的にはスマートフォンなどのデバイスやツールの問題だけではなく,他に刺激的なことが無いからだと思う。多くの人にとって一見刺激的なように見えて都市の風景は視覚聴覚どちらの面でも退屈である。(中略)直線的な建物が並ぶだけなので複雑性が圧倒的に足りない。(中略)だから自然の複雑な環境からの情報を得るための感知能力を持て余してしまう。(伊藤 p256)
 空き家が急増していて,しかも人口が増えない状況を考えると,家をもっていることよりも,住むことのほうが価値を生み出すといえる段階に来ていると思う。この際,逆家賃を発生させてもよいかもしれない。つまり,住むこと自体が仕事になるような状況である。(伊藤 p262)
 社会というのはおおむね保守的なものだから,追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。(pha p274)
 その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。(中略)だから,ときどきいる場所を変えるといろんな視点を持ったり考え方を柔軟にしたりしやすくなるので良いと思う。(pha p302)

2017年7月23日日曜日

2017.07.23 pha 『持たない幸福論』

書名 持たない幸福論
著者 pha
発行所 幻冬舎
発行年月日 2015.05.25
価格(税別) 1,200円

● 副題は「働きたくない,家族を作らない,お金に縛られない」。
 この本の特徴は,見切りの小気味良さに尽きる。仕事とは,人生とは,人間とは,社会とは,こんなものだという見切り。

● 理屈をいくらつないでも見切りに至る道は整わないわけだから,断層をエイヤッと飛び越える跳躍がある。決断と言い換えても同じこと。要は,その小気味良さ。
 すべてを見切った哲人の趣がある。

● phaさんと堀江貴文さんって,真逆の生き方を行っているようだけれど,背骨のあり方はとても似ているような気がする。
 この二人,会えばウマが合うんじゃないだろうか。

● 以下にいくつか転載。
 周りにいる人たちとの生活だけでそれほど違和感を覚えないのならわざわざ本を読む必要はないけれど,自分の考えていることを分かってくれる人が周りにいないようなとき,遠くにいる顔も知らない誰かが書いた文字列が自分を支えてくれることがある。(p18)
 眠りたいときに十分に眠れない生活は,なんか生き物としてちょっと間違っている気がする。(p24)
 みんな何もせずぼーっとしているのが苦手だから,何か意味のありそうなことを見つけてやって時間を潰しているだけ,ということが世の中には多い気がするのだ。(p27)
 人は体力が余っているとなんか体がウズウズしてそれを発散したくなって,何かをやらなきゃいけないような気になってしまう。結局なんでもいいから動き回って体力を消耗させて,ちょっと何かをやった気分になれればそれで満足するものだ。年をとるとだんだん体力がなくなってくるから,そんなに行動しなくてもすぐに疲れて「もういいや」って気分になる。僕は人より体力がないので,そういうのに気づくのが人より早かったというだけなんだと思う。(p29)
 人間が人生で成し遂げられることなんて,頑張っても頑張らなくてもあまり大差はない。(p32)
 「本当にやらなければいけないこと」というのは存在しなくて,ただの幻想にすぎない。人間は何かをやっていないと気が狂う生き物だから,そういうのがあると思いたいだけだ。(p35)
 物はできるだけ持たないようにしている。持っている物が多ければ多いほど,いろいろと身動きがしづらくなったり思考が狭められたりして,人生の面白さが減るような気がするからだ。(p36)
 「人間に自由意思はあるのか?」「全ての問題は決定されているのか?」というトピックが昔から激しく議論されてきたという事実から分かることが一つだけある。それは,「人間は自分に自由意思がないということに耐えられない」ということだ。(p46)
 「宇宙から見ればどうでもいい」という言葉を僕はよく思い出すようにしている。(p68)
 全てに意味がないということは,全てに意味があるのと同じことだ。意味のない全ての中から自分の好きなものに意味を持たせればいい。世界の全てはそういう主観でしかない。(p69)
 結婚とか家族とかいう仕組みは,若干今の時代に合っていないというか,少し効力が切れてきているんじゃないかということも思う。(中略)「結婚」や「家族」というパッケージはすごく多機能で包括的だ。(中略)そんなに多くの機能を「結婚」と「家族」という一つの仕組みだけで全部満たしていこうとするのは無理があるのだと思う。(p74)
 「介護保険なんかを導入すると日本の家族はお互い支え合う心を持たなくなって崩壊する」という批判も当時はあったらしい。だけど二〇〇〇年に介護保険制度が施行されたことによって家族が崩壊したかというとそんなことはなくて,むしろ「それが家族の崩壊を救った」と上野(千鶴子)さんは言っている。(p102)
 会社の仕事よりも日常生活のほうが面白い(中略)日常生活の中でやりたいことや面白いことはたくさんあるし,どっちかというとお金よりも時間のほうがやりたいことを全部やるにはたりない,だから仕事とかしている暇はない,というのが僕の実感だ。(p110)
 お金をかけずに生活を楽しむコツというのは一度身に付ければ一生残る資産だ。(中略)個人的には読書と料理が特にお勧めです。(p119)
 他人と自分を比べるということはあまり意味がないと思うのだ。僕は,自分と自分以外の人間とは,イヌとかネコとかヤギみたいに違う生き物だと思っている。(p120)
 お金をかけないことのメリットは,お金に追われないということだ。お金をたくさんかけるとどうしても資本主義のスピードに巻き込まれてしまって,お金や時間に追われてしまうようになる。(p132)
 ドワンゴという会社を創業した川上量生さんが「経営者は善人だと務まらないから,起業すると性格が悪くなる。だから起業は勧めない」とよく言っている。(p136)
 合わない人同士が近くにいてもお互いにイライラするだけで不毛だから,無理に近くにいる必要はない。最近はインターネットの世界でも,「いかに人と繋がるか」よりも「いかに苦手な人と繋がらないか」という機能が重視されつつある。(p156)
 人を集めるのに特別なスキルは必要ないし,お金をかけなくてもできる。人はみんな集まりたがっているものだから,何か集まるための口実を適当に設けてやればそれでいい。(p163)
● 読書と料理をわがものにしていれば,お金をかけないで楽しく時間を過ごせると言ってるわけだが,本書に紹介されているのは,以下のとおり。たしかに,本格的な読書家という趣あり。

 本田由紀『社会を結びなおす』(岩波ブックレット)
 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)
 見田宗介『宮沢賢治』(岩波現代文庫)
 岩明均『寄生獣』(講談社)
 グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(ハヤカワ文庫)

 信田さよ子『母が重くてたまらない』(春秋社)
 上野千鶴子・信田さよ子『結婚帝国』(河出文庫)
 上野千鶴子・古市憲寿『上野先生,勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)
 近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)
 養老孟司『養老孟司の旅する脳』(小学館)

 宮本常一『生きていく民俗』(河出文庫)
 ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)
 湯浅誠『反貧困』(岩波新書)

2017年7月1日土曜日

2017.07.01 pha 『ニートの歩き方』

書名 ニートの歩き方
著者 pha
発行所 技術評論社
発行年月日 2012.09.01
価格(税別) 1,580円

● 副題は「お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法」となっているが,インターネットの話は少ししか出てこない。
 主な話題は,なぜ会社を辞めてニートを選んだのかということ。多数の人たちのように,毎日電車に乗り,職場で同僚たちと世間話をすることに,極度の疲労と嫌悪を感じるということになれば,自分を守るために辞めるしかない。やむにやまれぬ大和魂ということだ。

● 辞めたあと,当面は貯金を取り崩すとしても,どうやって食いつなぐか。けど,どうにかなるものなんだね。
 生活は食うことだけでできているわけではない。それ以外のところでインターネットが著者を大いに助けてくれる。ネットがなかったら,ニートになる決心ができたかどうかわからないと言う。

● 現在の自分の暮らしぶりへの目線,自分の暮らしをめぐる社会との折り合いのつけ方,その社会をどう捉えるかという社会観。
 それらも存分に語られる。本書は学術書ではもちろんないんだけれども,現代社会論のテキストとして読んでもかまわない。

● 著者には賢者の趣がある。損得計算をすれば明らかに損なのだけれども,自分を守るためにニートになった。その損得を超える部分についてのアレやコレを読んでいると,賢という言葉が浮かんでくるわけだ。
 断行の人でもある。断行というと重すぎるか。足腰が軽い人なんだと思える。与えられた人間関係での付き合いには耐え難いストレスを感じるけれども,一ヶ所にじっと佇んでいる人ではないようだ。大事なところだろう。

● 本を出すくらいだから,読書家でもある。自分を納得させるための読書もあったろう。
 本書では以下のものが引用または紹介されている。
 坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
 中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』
 保坂和志『プレーンソング』
 『よつばと!』(電撃コミックス)
 よしながふみ『きのう何食べた?』
 うえやまとち『クッキングパパ』
 真鍋昌平『闇金ウシジマ君』
 西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
 工藤 啓『「ニート」支援マニュアル』
 中島義道『働くことがイヤな人のための本』
 橋本 治『青空人生相談所』
 山田風太郎『人間臨終図巻』
 高村友也『Bライフ 10万円で家を建てて生活する』
 松本 哉『貧乏人の逆襲 増補版』
 津田大介『情報の呼吸法』
 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』
 池上 彰『そうだったのか! 日本現代史』
 稲葉振一郎『増補 経済学という教養』
 長谷川英祐『働かないアリに意義がある』
 真木悠介『自我の起源』
 エリック・レイモンド『伽藍とバザール』

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 学校に行くのも会社に行くのもだるいし,人と会ったり話したりするのは面倒臭いし,毎日満員電車になんか乗りたくない。人生ってそんなどうしようもないクソゲーなんだろうか。(p3)
 人生は有限だから全てを選ぶことはできない。自分に本当に大切なこと以外は諦めるのが大事だ。いろんなことを諦めると人生はわりと楽になる。(p6)
 じゃあなぜ,日本に生きる若者がこんなに生きづらさや閉塞感を感じているんだろう。それは多分,日本の経済がまだ成長している頃に作られたルールや価値観が生き残っていて,それがみんなを縛っているせいなんじゃないかと思う。(p8)
 ちゃんと働かなきゃいけない,真っ当に生きなきゃいけない,他人に迷惑をかけてはいけない,といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで,日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。(p10)
 世間体なんでいう誰の評価か分からないものを気にするのはやめて,(中略)ゆるく生きていけばいい。お金とか地位とか名誉とかやりがいとかそんな大層なものがなくても,そりあえずの食べる物と,寝る場所と,暇を潰す手段と,あと友達さえいれば,人生なんてそれで十分だ。(p11)
 あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。(中略)人間いつ何が起こって死ぬか分からないし,いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい。(p11)
 「仕事をせずにいるとすぐに自分から働きたくなる」という俗説は嘘だと思う。それは多分,本当は働きたくないのに嫌々働いている人が自分を納得させるための言い訳なんだろう。(p24)
 僕がニートでありながらいろんな人とつながったり,なんとか楽しく生活を送れているのは9割くらいインターネットのおかげだ。(中略)この現代で会社やお金にできるだけ頼らず生きていくにはインターネットは必修科目だ。(p31)
 京大に入ったまでは傍目にはエリートコースに見えるかもしれないけれど,机の上の勉強ができるだけでレールの上を進んで来られるのは大学入学までだ。(中略)社交性もないし労働意欲もないし技術もない僕には,大学を出たあとに行くあてはなかった。(p35)
 計画どおりにその職場はかなり暇だった。一日二時間か三時間もあれば仕事は終わるし,あとはパソコンに向かって仕事をするふりをしながらインターネットでもしていればいい。いわゆる社内ニートというやつだ。嘘みたいに恵まれた職場だったと思うんだけど,それでも僕には苦痛だった。(p37)
 それ(ツイッター)はブログ時代にはないコミュニケーションだった。ブログを書くとなるとある程度の長文を書かないといけないけど,ツイッターではブログよりももっと日常の生活に近い何気ない会話ができたし,知らない面白そうな人に声をかけて仲良くなるのも気軽にできた。(p43)
 ツイッターが登場したときに思ったのは「これはオンラインとオフラインの区別がなくなる」ということだった。それくらいツイッターは他人の生の日常をそのまま伝えてくれる。(p63)
 都会で無料で時間を潰せる場所の代表格は公園と図書館とブックオフだと思う。(p70)
 もっと適当に,お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんなないのだろうか。(中略)だから,労働以外のよく分からない理由でもっとお金が適当に動けばいい。(p86)
 インターネットは現実ではなかなか口に出しにくいような人間の濃い部分が出ていることが多いから面白いのだ。(p102)
 選択肢が多いほどそこから漏れてしまう人間は減る。選択肢が多いということは絶対的な善だし,この世の不幸の大部分は選べる選択肢が少ないせいだと僕は思っている。学校でのいじめなんかは選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。(p104)
 僕は特定の個人の能力や熱意によって実現されるものよりも,凡庸な人間でもやる気のない人間でも,その中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような仕組みに興味がある。(中略)中心となる人物の存在に依存するのではなく,中心人物が急に死んでも組み上げられたシステムは変わらず回り続けるようなのがいい。(p120)
 人間のすることなんて所詮やってもやらなくてもいいようなことばっかりだ。ほとんどのことは自分がやらなくても他の誰かがやるし、ほとんどのしたことは数ヵ月か数年も経てば消えてしまう。(p142)
 「努力教」を,向いていない人間にまで強いようとするのが日本の悪いところだと思う。 そもそも,頑張ったり我慢したりしないと良い仕事ができないという考えが間違っていると思う。(中略)世の中にある本当に良いものっていうのは,努力とか頑張りとかそういうゴリゴリした感じでつくられたのではなく,もっと軽やかに自然な形で作られたものじゃないだろうか。(p144)
 僕なんかひたすらウィキペディアを読んでいるだけで何時間も過ぎていることがよくある。(p158)
 何かちょっと物を作ったりすることを楽しみにできる人は貧乏に強い。創作は消費ほどお金がかからないし,作ったものがお金に変わることもときどきあったりする。(p159)
 故・中島らもは「『教養』とは学歴のことではなく,『一人で時間を潰せる技術』のことである」と言っていた。(p160)
 時間や体力の余裕があれば安く済むところを,仕事をしていると余裕がないので余分にお金を出して解決してしまうことも多かった。(中略)それは,会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど,その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。(p161)
 ニートにはできるだけ本を読むことを勧めたい。本を読むのって大事だ。一つは,それはいろんなことを考える力を付ける基礎になるから。本の中にはいろんな人間のいろんな思考が渦巻いていて,しかもインターネットよりも密度が濃い。(中略)あと,暇潰しとしても本は最適だ。(p202)
 自己責任論を言う人たちは,そもそもある程度恵まれた環境で育って,たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで,そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。(p210)
 頑張るとか能力があるとかそんなこと以前に,頑張れなくても能力がなくても人間は生きていていいと思うんだよね。人間ってそれくらい幅の広いものだし,そうでないとたくさんの人間がいる意味がない。(p217)
 個人の行動の結果をその人が全て負わなければいけないのなら,社会や国家などの共同体がある意味はないだろうと思う。(p220)
 人間なんてみんないろんな要素をランダムに並べた順列組み合わせにすぎなくて,自分の意志で変えられることなんてあんまりないし,自分でなければならないことなんてないような気がしてくる。(p222)
 人間は自分が若かった頃の常識を当たり前と考えて,そのまま生きていくものだというだけだ。(中略)若い人間は抱えている過去が少ないから自由に動けるというだけにすぎない。ただ大事なのは,上の世代が抱えている固定観念に若い人間が縛られる必要は全くないということだ。(p225)
 お金持ちの人ほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない」「ニートでもいいんじゃないの」って思っていて,そんなにお金がないから嫌々仕事をやっている人ほど「働かざる者食うべからず」「ニート死ね」って批判していたりする。(p232)
 労働なんてもっと適当でいいし,日本人は店に過剰なサービスを求めすぎだ。それは自分の首を絞めるだけなのに。(p235)
 世の中が実用的なものばっかりだと息が詰まるし,無駄に見えるようなものがたくさんあるからこそ,社会に余裕ができたり,世界の多様性が保たれたり,混沌の中から今までにないような新しいものが生まれたりするのだ。ふらふらしてわけ分かんないことをしている人間がたくさんいれば,世界はもっと豊かになるはずだ。(p241)
 ニートが全くいない世界は,人間に労働を強制する圧力がキツくて社会から逃げ場がなくて,自殺者が今よりもっと多いディストピアだと思う。(p246)
 ニートもサラリーマンも,警察官も犯罪者も,起業家も自殺者も,右翼も左翼も,同性愛者も異性愛者も,農家も漁師も,ホームレスもサッカー選手も,みんな現在の社会のある一面を引き受けている。それは全体として一つのものであって,そのうち一部分だけを切り捨てることなんてできない。社会の一部を切り捨てようとすることは,一つの個体が自分を手足を切り落とそうとするのと同じだと思う。(p256)

2017年6月9日金曜日

2017.06.09 pha 『しないことリスト』

書名 しないことリスト
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2016.01.01
価格(税別) 1,200円

● やりたいことだけやって,寝たいだけ寝て,食べたいときに食べて,やりたくないことはやらないですます,という生活をやっていこうと,会社を辞めた。
 その会社というのは某国立大学法人だそうだから,仕事がきつくて,残業につぐ残業,家に帰ったら寝るだけ,というはずがない。仕事だけでいえば,楽勝の職場だったはず。
 電通にいた故高橋まつりさんと同じ状況だったわけではない。っていうか,対照的な職場だったと思う。

● それでも毎日決まった時間に出勤するのがイヤ,混んでいる電車に乗るのがイヤ,職場の人と顔を合わせるのがイヤ,話をするのがイヤ。
 とにかく,わがままなのだ。そこまで言うか,というくらいの。しかし,著者に言わせれば,そういうことが苦にならない,あるいは苦にはなっても忍耐の範囲内,という人はそのまま仕事を続ければいいが,自分はそれができない少数派だったのだ,と。

● 結婚とか家庭を持つとか,そういうことにも向かないと悟っていたようだ。そういうことは諦める。自分ひとりを何とかすればいい。
 たとえ自分ひとりの問題ですむとしても,若い身空で会社を辞めて無職になることに対しては,経済的なことを含めて,不安がなかったはずはない。
 しかし,断行したのだ。というくらいだから,本書から感じたのは痛快さだ。こういう生き方もあって,実際にやっている人がいるのだという新鮮な発見も。

● 著者は京都大学を出ているのだ。世間的な見方をすれば,もったいないってことになるだろう。
 が,著者に言わせればそうではないのだ。そんなことはどうでもいいのだ。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 でね,こうして転載してみると,著者はやはり頭のいい人なんだなと思うんですよね。ここまでの文章が書けるんだもんね。ニートの代表にするわけにはいかない人ですよね。ニートという多様性の真ん中にいる人ではない。
 今の世の中には無数の,「しなきゃいけないこと」があふれている。テレビを見ても,ネットを見ても,本屋に入っても,そこらじゅう,「これをしないとヤバい」というメッセージだらけだ。なぜ,こんなにも「しなきゃいけないこと」に追われるのだろうか。 その理由の一つは「情報が多すぎるから」だ。(中略)そして,もう一つの理由は,「そのほうが儲かるから」だ。(p1)
 「モノをたくさん持っているのが豊かだ」という考えは,もうだいぶ古くなってきているんじゃないかと思う。モノというのは,持っていると管理コストがかかるものだ。(中略)持っているものは少ないほうが,身軽に生きられる。(p16)
 世の中は広いから,大抵のものはどこかで余っていて捨てられようとしているものだ。だからうまく捨てたい人を見つけられれば,結構タダでもらえる。自転車や家電など,捨てるのにお金がかかるものは特にもらいやすい。(p18)
 昔,インドで物乞いをやっていたという知人がこんなことを言っていた。「乞食のコツは,『何かください』という曖昧な要求じゃなくて『5ルピーください』とか『食べ物をください』みたいに要求をはっきりさせることだ」(p19)
 「注意資源」という概念がある。これは人間が何かに注意を払うエネルギーのことなんだけど,大事なのは「人間の注意資源は有限」ということだ。たくさんのモノを持つほど,一つ一つの扱いはおろそかになってしまう。(中略)知人や友人の数や記憶や体験の数でも同じことが言える。たくさん持てば持つほど,一つ一つに対する思い入れや感動は少なくなっていく。(p21)
 他の人からどう見られるかとう問題についても,自分が気にするほど他人はこっちを見ていない,と思うようになってからは気にならなくなった。(p23)
 お金を稼ぐために働いて,そのことでストレスを溜めて,そのストレスを解消するためにお金を使ってしまう,ということがないだろうか。(中略)それだったら,あまり働かずに毎日時間に余裕のある生活をしたほうが,お金がなくても健康で幸せになるんじゃないだろうか。(p26)
 知識というのはモノよりも共有しやすいもので,ネットは低コストで知識をシェアするのにすごく向いている空間だ。(p37)
 何かを知っているだけということにあまり意味はない。その知っていることをいかに自分の血肉にして,生きた情報として活用できるかが大事だ。そして,単なる情報を血肉にするには,他人の目を意識して文章をアウトプットしてみるのが有効な手段だ。(p49)
 紙の本のほうが記憶に定着しやすいのは,それが「本を持つ」とか「ページをめくる」とか「ページの手触り」といったような,非言語的な刺激を伴うからでもあるだろう。(p50)
 文章を書くときは最終的にはパソコンで書くのだけど,最初のアイデア出しや大まかなイメージをまとめる段階では紙とペンを使う。最初はとりあえず断片的に思いついたことをひたすら大きな紙に書き出すところから始めていく。(p53)
 「がんばるのは無条件でいいことだ」という精神論をまず捨てよう。がんばることもいいけど,それよりも一番いいのは「がんばらないでなんとかする」ということだ。(p67)
 他人から期待されないほうが自分の好きなように行動がしやすい。(p78)
 人に下に見られることを恐れる必要はない。僕は他人に下に見られることは,まあ当たり前のことなんじゃないかと思っている。例えば,Aさんから見ると世界の中心はAさんなんだから,僕の存在なんて取るに足らないものだ。誰にとってもその人自身が世界の中心だし,自分自身の価値観が絶対的な基準であるのは当然のことだ。(p81)
 睡眠というのはすごくよくできた娯楽だと思う。(p85)
 最も大事な点は,人は結構何かを頼まれたがっている,という点だ。大体みんな,よっぽど余裕がないとき以外は,誰かに声をかけてもらいたかったり,頼りにされたがっていたりするものだ。人は本質的に孤独だからなんだろう。(p87)
 決断が早い人よりも決断が遅い人のほうが,優しさがある気がする。優柔不断でためらいがちな性格というのは,「自分は間違っているかもしれない」という謙虚さにも繋がっているからだ。そうした柔らかさがあったほうが,人間関係がスムーズにいくことは多い。(p93)
 仕事で成功を収めている人というのは,大体の場合,自分の適性を見つけて自分に向いていることをひたすらやり続けた人だ。「イヤなことでも歯を食いしばってやれ」という人もそうで,それは彼が「イヤなことでもがんばる」というのに向いていたというだけだ。(p94)
 どんな場所でも長期的に生き残るのは,「自分のイヤじゃないことを自分に無理のないペースでやっている人」だ。(p96)
 「人間は環境に左右される」という視点を持つと,何かに失敗した人,もしくは何かに成功した人が,すべてその人自身の責任でそうなっている,というのを単純に信じられなくなってくる。個人の努力ではどうしようもないことが人生には多い。(p109)
 人の発言はすべてポジショントークに過ぎないんじゃないか,ということをよく考える。(p112)
 世の中にはいろんな人がいて,それぞれのポジションにいないと見えないものがたくさんある。だから,いろんなポジションのいろんな考え方の人が存在してそれぞれが意見を交換できるように,人間はこんなにたくさんいるのだ,と考えよう。(p113)
 ジョン・ロールズという哲学者は,「『努力できる』という能力も恵まれた環境の産物だ」と言う。(p117)
 世の中には,毎日ハードに働きながら平日の夜や週末も精力的に趣味の活動をこなすような人もいるけれど,そういう「体力オバケ」みたいな人は例外だと思う。人それぞれ持っているエネルギーの量は違うので,自分に合ったやり方を探すしかない。(p120)
 僕が実家にいた頃や会社員をしていた頃,すごく孤独で閉塞感を持っていた理由は,まわりに自分と同じようなダメ人間を見つけられなかったからだ。(中略)結局,僕がダメ人間の知り合いを作れるようになったのは,インターネットと都会のおかげだった。(P124)
 人間が持っている人間関係の処理能力には限界があるから,SNSで何千人とつながったとしても,一人一人とちゃんと有益な付き合いができるわけがないのだ。(p127)
 予定というのは守らないほうが楽しい。(p130)
 そうした「あいつらとは違う」という意識の「俺たち」の中だって,一枚岩ではなくて,その中を細かく見てみると「隣の県の奴らはなんか違う」とか「隣の町の奴らはなんか違う」とかバラバラだらけの集団だ。(p136)
 弱音や愚痴は,人に直接聞いてもらうのもいいけど,相手にも負担をかける。その点,ネットなら気軽にグチれる。(p147)
 リアルの会話とネットのコミュニケーションとの一番の違いは,「複数のやりとりを同時進行できるかどうか」という点だ。会話だと,一つのやりとりに100%集中しないといけない。(p160)
 閉じた人間関係はおかしくなりやすい。閉じた空間というのはコミュニケーションのチャンネルが一通りしかなくて,そこで一番力のある人が主導権を握ることになる。そして,閉じた空間で外部の人の目がないと,「暴力を振るう」とか「誰かの悪口をみんなで言い続ける」とか,外の人から見ると明らかにおかしい行為がその中で普通に行われるようになったりする。(p161)
 何かをするときは,「それが何の役に立つか」を考えるよりも,そのこと自体を楽しむのが健全だ。(中略)そもそも人の人生は,何か大きな意義のために生きるというものではなく,その「生そのもの」を充実させるためにあるのだ。(p165)
 世界には一生が何百回あっても経験し尽くせないくらいの面白いものがある。(p175)
 他人というのは,自分の都合で好き勝手なことを言うものだ。人の話を真に受けて自分が失敗したとしても,その人が責任を取ってくれるわけじゃない。(p178)
 否定の言葉ばかりをぶつけられるとへこむかもしれないけど,大抵の場合,反論しても大して得るものはない。(p179)
 議論が得意は人は優れているというよりも,単に議論というスポーツに勝つことが好きなだけだ(p181)
 新幹線や飛行機で速く移動するよりも,移動時間が長いほうが僕にとっては贅沢な旅だ。(p185)
 「自分はもっと早く死んでいてもおかしくなかった。今の人生は余生とうかオマケみたいなものだ」と思えば,どんな厄介な出来事が起こっても「人生はいろいろあるなあ」と思って楽しむ余裕が出てくる。そんな感じで生きていくのがいいんじゃないだろうか。(p191)
 生きるにあたって何か思想や信念を持つのはいいのだけど,あまりにもその思想や信念を完璧に実行しようとすると大体破綻する。どんな素晴らしい思想でも,原理主義は行き詰まりやすい。(p193)