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2023年4月1日土曜日

2023.04.01 帯津良一 『不養生訓 ときめきのススメ』

書名 不養生訓 ときめきのススメ
著者 帯津良一
発行所 山と溪谷社
発行年月日 2017.10.30
価格(税別) 1,200円

● 健康診断の結果に一喜一憂するな。人間は一人ひとり違うのだから,平均値に意味はない。好きなものを食べてよし。楽しいことをしてればそれが一番。
 といった,こちらに都合のいいことを言ってくれるので,著者が書いたものはいくつも読んでいる。何もしなくていいような気がして楽なのでね。

● 退職する年の人間ドッグで糖尿病と肝硬変の疑いを指摘されたが,病院に行き始めたところでコロナになった。感染予防には三密を避けるよりも何よりも病院に行かないことだと思って,それを機に病院通いを止めた。
 まぁ,やめる時点で肝硬変の疑いは晴れていたのだけど,糖尿の方は後回しにされて,薬も何も処方されていなかったのはたぶん幸いだった。
 ほかに血圧もかなり高い。脂肪肝やら尿酸値やら,色々と悪い。が,退職後はもちろん健康診断など受けたことはない。糖尿病も何もしないで放ってある。

● まぁ,酒は飲まなくなった。努力して飲まなくしたのではなくて,自然に飲みたくなくなった。旅行に出た折りは旅先のホテルなどで飲んでいるが,酒量は退職前の1割以下になっているだろう。
 他には,特に節制はしていない。食べたいだけ食べている感じ。起床が遅いので1日2食。

●  本書にあることは,だいたい,すでに著者の別の著書で読んでいる。のだけれども,以下に転載。
 身体を労って病を未然に防ぎ天寿を全うするといった身体を対象とした養生は真の養生ではなく,日々生命のエネルギーを高め続けて,死ぬ日を最高に,その勢いを駆って死後の世界に突入するといった攻めの養生こそ真の養生なのである。(p2)
 まず自分の好きなことを楽しもう。酒も良し,美食も良し,女も良し,不養生も歓喜を伴えば,最大の養生となるのだ。(p3)
 貝原益軒の『養生訓』では,“飲食” について,それなりに十分な枚数を費やしているが,その要諦はたった一行。「好きなものを少しだけ食べる!」。その理由として,好きなものは命が要求しているのだから,“薬にあたるべし” といい,だからといってたくさん食べたのでは胃の “気” を損なうという。(p14)
 私は肉食反対論者ではない。肉食好みで長命な人をたくさん見てきているからである。(p18)
 私自身はタバコは一切吸わない。学生時代に,知人からライターをいただいたので,バーのママさんから一本もらって吸ってみたが,なんの魅力もないのでやめてしまった。それ以降,まったく縁がない。(p27)
 60歳を超えたら,世阿弥のいう「能に,体・用の事を知るべし。体は花,用は匂いのごとしで,きちんとした服装をして,できればそれなりの風情を醸し出していたいものである。(p39)
 その大好きな女性たちのなかに人妻がいてもいいではないか。要は付き合い方なのだ。作家の半村良さんも言っているではないか。男は謎めいていたほうがよいと。(p45)
 最前線の目的は言うまでもなく,戦いに勝利を収めることである。そのためには優れた戦術をたくさん持てばよいというものではない。最前線という “場” を制した者にのみ勝利は訪れる。場を制するものは(中略)複数の戦術を統合した戦略である。(p48)
 エビデンス・ベイスト・メディスンをいうことが高らかに語られ,エビデンス! エビデンス!と実に喧しい時期があった。エビデンスすなわち科学的根拠というものは(中略),あるとすれば医学についてであるのに,医療現場で声高に叫ばれるので,なんとなく馬鹿の一つ覚えのように思えてならなかった。(p54)
 ラクナ梗塞が認められなかったのは,(中略)ナットウキナーゼを成分とするサプリメントを数年来服用していたためであり,前立腺が小さいのは,50年来,春夏秋冬,晩酌の友としてきた湯豆腐のイソフラボンに起因することは明らかである。(p59)
 これも以前に読んだ著書で触れられていた。が,本書を読んだのを機に,ぼくもナットウキナーゼのサプリを飲み始めた。父親も何度か脳溢血で入院しているので,注意しておくにこしたことはない。
 サプリはヤフオクで買うのが吉。ドラッグストアで買うよりずっと安く買える。メーカーも販売店も相当美味しいマージンが取れる製品のはずだから,言い値で買うのはバカバカしい。
 メタボリックシンドロームは,大いに働き,大いに道を楽しんでいれば,ごく当然の帰結であって,殊更これをあげつらうのは余計なお世話というものだ。(p59)
 少しぐらい年齢より若く見えても,所詮は徒花(中略)人生の本当の味わいは後半にある。いたずらに若さを誇るよりは “老化” という偉大な流れに従って,年齢に応じた味わいを噛みしめていくことのほうがずっと大事なのではなかろうか。(p73)
 手術上手といわれる人は,(中略)多少手振りが派手なのと,メス捌きや糸結びが幾分速いというだけなのではないだろうか。外科医になりたての頃は器用な人とそうでない人の間で,技量の差が目につかなくはないが,誠実に仕事をしたとして,10年たてば10年の外科医,20年たてば20年に外科医と大体同じレベルになってくるものだ。(p74)
 世の中には,薬をできるだけ使用せずに生活環境を整えることによって慢性疾患をコントロールすることを是とする人が少なくはないが,これはまったくの誤解である。(p76)
 喫煙は内臓脂肪の蓄積を促進するといわれている。(p105)
 脳はその70%が脂肪からできている。(中略)脂肪の中には当然コレステロールが多く含まれているので,コレステロールの低下は,さまざまな脳機能の低下を引き起こす。(中略)次に大事なのは,多くのホルモンの原料がコレステロールだということである。(p108)
 色っぽい人を眺めているだけでも心が豊かになるものだ。(p159)
 ある臓器のある病期の余命を統計学的に示した数字はあるとしても,その後のライフスタイルやら物の考え方は皆違うのだから,余命告知なんて土台無理な話で,先のことなどわかるわけがないのだ。(p169)
 あくまでも一瞥であって,分析的に見てはいけないのだ。一瞥だからこそ閃くのである。(p175)
 色気の始まりは生命のあふれ出ること。いつも躍動する心を抱いて事に臨むことだ。(p183)

2020年11月5日木曜日

2020.11.05 帯津良一 『達者でポックリ。』

書名 達者でポックリ。
著者 帯津良一
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2008.10.23
価格(税別) 1,300円

● 高齢者向けの生き方論。帯津さんのこの分野についてのエッセイはすでにいくつも読んでいる。が,また読みたくなる。
 なぜかというに,こうだったら都合がいいのになぁと思うことが説かれているからだ。健康診断の数値? そんなものはクソだよ,とか。ときめきを大切にしろ,とかさ。
 それでいいんだったら自分にもできるかも,と思うじゃん。実際にできるかどうかは別にして。何か,中世ヨーロッパで教会が販売したという免罪符に似たものを買っている気がするんだよね。
 同じように考える人が多いのだろう。帯津さんの本は高齢者にかなり読まれているのではないか。

● 以下に転載。
 私たちの命は宇宙の大きな流れの中で循環しています。「死」は終わりではなく,魂のふるさとである「虚空」への旅立ちなのです。旅立ちなのですから,今を生きながら「死」に向かって,日々エネルギーを高め続けることが大事です。(p3)
 「人は死に損なうとろくなことにならない」というのが私の持論です。人間には死ぬタイミング,つまりそれぞれに「死に時」があると思うのです。(p21)
 高齢者がじっとしているというのは実によろしくないことです。からだのめぐりに支障をきたして,すぐになにかを起こすのです。(p23)
 舞台だってリハーサルなしの一発勝負ではうまくできません。それと同じで,死ということも普段から折に触れて考えておかないと,本当に死を迎えたときに上手にポックリいけないのです。(p52)
 死の不安に打ち克つために一番大事なことは,「死後の世界」を信じることだと思います。(p56)
 自分の死を折に触れ考えている人が来ると,死に直面している人は,死への恐怖が和らぐというのです。生を謳歌している人がいくらなにをいってもダメなのです。(p57)
 食の養生は「旬」であるといつも私は言います。旬で地場のものを食べるのが一番いいのです。なぜならばそれは「場」を共有しているから。(p117)
 食養生で一番大事なことは「おいしい」という心のときめきだと思います。食べたいものをガマンして食べなかったり,苦手なものを無理に食べたりするのはダメなのです。(p118)
 「ときめき」こそが生命のエネルギーです(p130)
 サプリメントもいろいろあって玉石混交の面があります。選び方のコツとしてはまず値段です。適正な価格であることです。月に何十万もするようなものはダメだと思います。そんなに高いわけがないのです。それからそれを売りに来る人の人相,これも大事です。人相の悪い人から買ってはいけません。(p160)
 私は食事の前に手も洗わないし,ガラガラやるのも苦手ですから,うがいもしたことがありません。あまり意味のない健康常識に振り回され,神経質になることは生命場を高めるうえでもいいことはありません。(中略)そもそも,からだ全体を考えず,細かい点にとらわれて命を永らえようとするのは,「達者でポックリ」の概念からは大きくはずれてしまいます。(p166)
 血圧を低めに抑えると,「脳出血」は抑えることができるのですが,今度は「脳梗塞」になるリスクが高まるのです。(p172)
 うちの病院でも以前は,落語家さんに来ていただいたり,落語のテープを聞くなど,笑い療法を取り入れていました。患者さんからも評判がよく,それなりによい効果もあったのですが,今は積極的には行っていません。それは人間,無理にでも笑えばいいものではないということに気づいたからです。(中略)ただ,あるがまま,つらいとき,かなしいときは,泣いたり,ため息をついたりしていいのです。(p177)
 もちろんリラックスは大事ではあるけれど,そればかりでも人生は面白くありません。人間はストレスや困難な状況があると,かえって命が爆発するのです。それが病気を治す起爆剤にもなりうるはずです。(p178)
 交感神経が一回働いて,それから副交感神経系が出てくるというバランスが大事です。一日リラックスして副交換神経だけ働いていてもよくないのです。(p179)

2020年10月30日金曜日

2020.10.30 帯津良一 『はつらつと老いる力』

書名 はつらつと老いる力
著者 帯津良一
発行所 ベスト新書
発行年月日 2019.01.25
価格(税別) 860円

● あんまりストイックにならなくてもいいよ,ゆっくりかまえて自分の欲望を大事に考えなよ,というメッセージ。しかも,そのメッセージを発するのがお医者さん。
 となると,こんなに勇気づけられることはない。何だか,自分に都合がいいように思える。それを知っているから,帯津さんの書いたものは読んでみようと思う。ぼくはそんなサイクルで読んでいるんですけどね。

● 以下に転載。
 私の場合,血液検査で毎回いくつかの異常値が見つかるのですが,なかでも,γ-GTPは,二十年以上ずっと異常値です。ちていの人には負けません。(p4)
 人間ドッグの数値がすべて正常でも,心身の不調を訴えている人はたくさんいます。それでも,検査で異常が見つからない限り,その人は「健康」と診断され,本人の不調は無視されてしまいます。(中略)人にはそれぞれ,その人に適した「正常値」があります。つまり,健康の「正常値」は,人によって違うのです。(p5)
 健康法にしても,「からだ」だけをみていると,病気を怖れて,「これは危ない」「あれはやめよう」といって,生活をあれこれと制限してしまうことになりがちです。これでは,、毎日がただ苦しいだけで,生きる喜びが失われてしまいます。(p6)
 彼らを見ていると,人のために生きるというのは,どうも免疫力を上げるのではないかと思えてきました。世話人の中には,闘病中の人もいますが,途中で亡くなった人は一人もいないのです。(p41)
 一般的には「食べないほうがいい」といわれている食品であっても,大いなる喜びにときめいて食べれば,食材の不利を補ってあまりある,というのが私の食養生の極意です。(p45)
 ゲルソン療法のような極端な食事療法は,がんが進行して背水の陣になったようなとき,日常性を変えるうえでは悪くはないと思うのです。ただし,肩の力を抜いて,懐を少し深くして行うのがコツです。まなじりを決して,厳しい決まり事を守り抜くとなると,どうしても途中で疲れてしまいます。(p52)
 食べたくなくて食べないなら,それは構わないのです。ただ,肉を食べるのは,からだによくないと聞いたので,食べたいけど我慢している,という場合は,あまり賛成できません。(p63)
 サプリメントは,「旨い」という喜びはありませんが,利用していることで得られる安心感は,まちがいなく養生となります。(p79)
 目元がきりっとしていて,全知の佇まいが凛としている。凛としていることと色気は,案外,裏表になっているのではないかと思います。(p89)
 貝原益軒は,朝の行事をとても大切にしていました。(中略)朝の時間を大切にしているところは,私も共通しています。病院で仕事をする日は,朝二時半に起きます。そして,三時半に病院に到着して,そこから仕事を始めます。患者さんの診療が始まる前に,机の上でできる事務的なことをすべて済ませてしまうのです。(p93)
 貝原益軒は,寝る時間は短いほうがいいと強調しています。(中略)眠りが少ないほうが,気の巡りがいいし,体調もよくなるということです。私も,実感としてそう思います。(中略)なるべく早く起きて,そして睡眠時間は短くする。こういう生活が,年をとるにつれて,より大事になってくると思います。(p96)
 楽しく誰かと酒を飲んでいれば,認知症にならないような気がしています。(p108)
 気功は,ある程度の遊び心をもって,大いなる喜びを感じながら行います。毎日やることよりも,長く続けることが大事です。(中略)しゃかりきになってやったから,高いレベルに早く達するというものでもありません。(p126)
 気功の場合は,気功をやる道場の「場」というのも大切です。一人でこつこつやる時間も必要ですが,いい指導者のもとで,いい仲間を得て,一緒にやる時間を作る。(p131)
 医療をやっていると,祈りというのが非常に大事だと思うようになります。(p149)
 私の患者さんの中には,今日亡くなる方もいらっしゃいます。とすれば,こちらも今日が最後だと思って活きていないと,患者さんより一歩でも二歩でも死に近いところに立つことはできないからです。今日が最後だと思って生きていると,今日一日しっかり生きようという気になります。朝の気功も,日中の診療も,患者さんや職員との何気ない語らいも,すべて今まで以上に愛おしく思えてきて,より大事に時間を過ごすようになります。中途半端なことはしなくなる。(p196)

2020年2月9日日曜日

2020.02.09 帯津良一 『Dr.帯津の老いから学ぶ「大逆転」のヒント』

書名 Dr.帯津の老いから学ぶ「大逆転」のヒント
著者 帯津良一
発行所 海竜社
発行年月日 2019.07.26
価格(税別) 1,100円

● 老いてどう生きるか。その手引書として傑出している。励ましてくれる。その励まし方が上手い。
 自分よりγ-GTPの値が高い人はいないだろうと言いながら,毎晩酒を飲む。検査結果の数値? そんなものを気にするなんて時間の無駄だよと言い放つ。医者にそう言ってもらえると,ぼくなんかとても嬉しい。

● 以下に転載。
 武力で革命を起こしても,しばらくすれば別の武力に倒されてしまうことはよくあります。力では世の中を変えることはできません。手間がかかるようですが,場を変えていくことでしか,地球は良くならないと,私は思っています。(p7)
 作家の五木寛之さんはあっぱれです。かつては文壇の酒豪番付で大関をはったほどの人です。お酒は大好きなはずです。しかし,晩酌は小さなコップについだ日本酒だけです。それも一杯でおしまい。(p22)
 感情も,そのまま外に発散するのでは幼稚すぎます。(p23)
 食欲がなくなるのも,性欲が減退するのも,あまり眠れなくなるのも,すべてからだを守るための自然現象です。ネガティブにとらえないで,流れに身を任せることも大切です。(p25)
 足腰が弱ると,生きる楽しみのかなりの部分が失われてしまいます。(p26)
 大した運動ではなくても,自分が動いていることを意識すれば,筋肉にもいい意味で負荷がかかるのではないかと思います。(p28)
 セロトニンがたくさん出る歩き方というのがあります。ぶらぶらとまわりの景色を見ながら歩いていても効果はないそうです。歩くことに集中することです。(p32)
 スキンシップをすればオキシトシンは出ます。このオキシトシンがセロトニン活性を誘発します。(p35)
 そんなこと(検査数値)をいちいち気にして生きるのは時間の無駄です。(p38)
 いのちをかけてでも成し遂げたいプロジェクトがあれば,そんなときにがんが見つかるのは迷惑ですから,検査なんかしないほうがいいでしょう。(p39)
 食への欲望が少ないほうが健康でいられるのです。何でもかんでもばくばくと食べるのは若さの特権ですが,がつがつしていて人間として未熟だと思います。(p40)
 いくらからだにいいものでも,嫌々食べていては力になりません。食べることがストレスになってしまっては逆効果です。(p42)
 お金を稼ぐことが立派なことだという高度成長時代の価値観から脱却して,手持ちのお金で十分に楽しむことを考えてみてください。(p47)
 人間は必ず死にます。これほどの絶対はありません。逃れようのないことから逃れようとするのは無駄な努力。そんな努力を続けていると,「どうせ死ぬのだから」と厭世的になってしまいます。(p75)
 死後の世界も自分で勝手に決めればいいのです。どんなところかということはだれも知りません。これも自分で決められます。遠路することはありません。(p78)
 かなしみ,孤独という闇があるからこそ,ときめきという光が花火のように目立つのです。(p82)
 不自由な現実の世界を生きているのですから,イメージくらいは自由に広げてもいいのではないでしょうか。(p85)
 楽しいことを思うかつらいことを想像するかはその人の癖です。癖を直しましょう。日ごろから楽しいことをイメージするトレーニングをしていると,どんなときにも楽しいことが考えられるようになります。(p87)
 病気になるというのは「生は有限である」ことを実感するチャンスです。得にがんだと,人生に締切がることを突き付けられます。限られた時間で何をするか。それこそ人生の総決算です。生きる醍醐味です。(p92)
 がんばれば何とかなると信じて,がんばり過ぎて体調を崩す人はたくさんいます。なぜそれが良くないのかといえば,人は一人で生きているわけではないからです。(p104)
 若ければ若いほどエネルギーが大きいというのは大きな勘違いです。確かに体力はありますが,内に秘めた力は年をとればとつほど高まります。人生の晩年というのはもっともエネルギーが高まる時期です。(中略)花鳥風月を愛でるのは,あの世での楽しみにとっておいて,もっとアグレッシブに生きるべきだと思います。(p117)
 年をとると頑固になりますが,逆に年をとればとるほど謙虚で素直にならないといけません。本を読んだり,講演を聞いたり,映画や演劇を見るのも,人の言葉に耳を傾けることです。(p119)
 できないことは重要な指針です。そちらに進む必要はないというメッセージだと,私は理解しています。(p124)
 学びも養生のひとつです。せっかく勉強したのだから生きている間に活かしたいと思うかもしれませんが,死後の世界があると思えば,中途半端な勉強であっても,死んだあとに必ず役に立つと信じて,明日死ぬとわかっていても勉強をすることができます。学びに終りはありません。(p127)
 虚しさの最大の原因は,「死は悪者だ」と信じていることではないでしょうか。(p145)
 死を悪とか不幸とか敗北と考えるのは,死でしべてが終わってしまうと考えてしまうからです。私は死後の世界があると信じています。ですから,新しいことを始めるのに躊躇はありません。途中で倒れても,続きは死後の世界でやればいいという気持ちですから,いつも「今度は何をやってやろう」と目を輝かせています。(p149)
 いのちのエネルギーがあふれ出て,それが色気になる,と私は考えています。いくら着飾って,外見を整えても,いのちが躍動していなければ,色気を感じることはできません。異性にももてません。(p161)
 いつも自分を向上させようと考えて行動することが大切です。年齢など関係ありません。(中略)小さなことに感動し,ときめくことも大切です。(中略)小さな感動はいのちのエネルギーの小爆発です。小爆発がたくさん起これば起こるほど,あるとき大爆発が誘発されます。これが色気になります。(p162)
 邪険にされるには理由があります。たいていの場合,いのちのエネルギーがしぼんでいるからです。(p194)
 私にも足りないところはいくらでもあります。私よりも優秀な人はいくらでもいます。それでも人は人,自分は自分と,割り切って,自分がやりたいことを粛々とやるようにしてきました。人には身の丈というものがあります。(中略)それを見極めて,そこに力を集中すればいいと思っています。(p196)
 人には死にごろがあって,それを逃すと,逆につらいことになる場合がよくあります。人生百年時代などといって,百歳まで生きるのを目標にしている人がいますが,百歳は生き過ぎだと思います。(p199)
 人生はあまり悩んだり迷ったりしなくても,結果的にいい方向に進んでいくというのが私の考え方です。逆に,「こうしてやろう」と力んでしまうと,あらぬ方向に進んでしまって,しなくてもいい苦労をするはめになったりします。(p208)
 老化とは自然の摂理です。(中略)神がすべての生き物が幸せになれるようにとおもんばかってくれたものです。摂理の根底には神のやさしさがあります。アンチ・エイジングは,自然の摂理である老化に逆らうことです。(中略)神のやさしさを裏切ることです。(p215)
 ゲーテは七二歳のときに一七歳の少女に熱烈な恋をしてプロポーズしました。画家のピカソは八〇歳で結婚しています。ホメオパシーの創始者であるハーネマンも八〇歳のときに三度目の結婚をしています。魅力ある人は,常に異性にこころをときめかせていたようです。(p224)
 人生の後半こそ,やりたいことができるチャンスです。ここからが勝負です。昔を懐かしんでいる暇などありません。(p228)

2019年11月30日土曜日

2019.11.30 帯津良一 『いつでも死ねる』

書名 いつでも死ねる
著者 帯津良一
発行所 徳間書店
発行年月日 2017.07.25
価格(税別) 1,000円

● 諦めてはいけないけれども,諦めないことにシャカリキになってもいけない。著者が言いたいことはそういうことのように思われる。
 もうひとつは,ときめきを失うなということ。ときめくことができる対象を失うな。男性にとっては女性がそれにあたるんだけども,女性にとっては?

● 以下に転載。
 粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。粋な人は,いつも生き生きとしています。(p5)
 常識にとらわれていては粋には生きられません。(p5)
 そういう医者の態度の根っ子にあるのは,エリート意識です。エリート意識というのは,人間を堕落させる大きな要因になっていると,私は感じています。(p32)
 この方法で,「私も治った」という人が続出すればすごいことになります。まさしく,がんの特効治療です。そころが,そんなことにはなりませんでした。最初にやった女性のように劇的な回復を見せた人はひとりもいなかったのです。(p56)
 五年生存率が三〇%だと言われて落ち込んでいる患者さんがいました。(中略)しかし,落ち込んだままだと,免疫力が低下して,間違いなく治らないほうの七〇%に入ってしまいます。ここは大きな分かれ道でもあります。(p62)
 では,あきらめなければいまくいくのかというと,そうでもないところが人間のこころとからだの複雑さです。(中略)あきらめない気持ちは大切ですが,その気持だけではいい結果を引き寄せることはできません。(p65)
 今日を最後の日と考えて生きようというのは,最初は患者さんのために始めたことです。しかし,長く続けてみると,これこそ,自らの生命エネルギーを高める最高の養生ではないかと,最近は思えてきました。(p96)
 いざというときのために貯めたお金は,ほどんどの場合,使われないまま残ってしまうものだそうです。いざということが起こっても,まだ先にもっと大きな“いざ”がくるかもしれないと思うと,貯金をおろせなくなってしまうのです。(p98)
 定年まで働き,退職金をもらって,経済的に問題のない中でのんびり暮らすというのは,私の性分には合っていません。不安定で浮いたり沈んだりがあるからこそ,その後の楽しみが二倍,三倍になって戻ってくるのです。(p103)
 体力が低下したり,からだが老化することを嫌がって,アンチエイジングに夢中になっている人もいますが,私に言わせれば,せっかく実がおいしく熟しているのに,それを青い未完熟なものに戻そうとしているようなものです。(p106)
 老化や病気や死を怖れ,おどおどしながら一〇年長生きするよりも,老化も病気もまるごと飲み込んで勢いよくあの世に飛び込んでいく。そんな覚悟をもって生きたほうが,充実した人生を送れるのではないでしょうか。(p108)
 死は怖いということを受け入れ,その気持ちをごまかさずに,落ち込むときには落ち込み,本を読んだり,人の話を聞いて,何とかそこから這い上がろうとうする。そういう過程の中で,ぱっと何かが吹っ切れることがあります。(p114)
 ときめきが多ければ多いほど,人は元気でいられます。(p119)
 人の魅力というのは,男でも女でも,内に志を秘めているかどうかです。(中略)大事なのは,遠くに思いを馳せることです。特に,死後の世界というのは,ある年齢にならないと意識ができません。死後の世界があるかどうかはどうでもいいのです。私が言いたいのは,それくらいの遠い先を見ながら,今を精いっぱい生きるくらいのスケールが大事だということです。それが,志につながります。(p125)
 どっちみち,人は必ず死にます。ですから,死ぬとか死なないということにとらわれないで,死ぬまでに何をするかに意識が移ったとき,そこにときめきが生じるのです。(p144)
 彼の代名詞でもある『養生訓』を書き上げたのは,八〇歳を過ぎてからです。彼もきっと,書くことにときめきを覚えていたのだろうと思います。(p144)
 都会という俗なる世界で,さまざまな欲望に振り回されそうになりながら,ぎりぎりのところでブレーキをかけ,これではいけないと,また聖なる志に向けてがんばるのは,最高の修行です。田舎で花鳥風月を愛でるのは死んだあとでいいと,私は思っています。(p153)
 いい映画は,例外なくラストシーンがすばらしい。それが私の持論です。ラストシーンをいかに光り輝かせるか。順風満帆,平穏無事に生きる主人公では面白くも何ともありません。(p155)
 法外な治療費がかかったり,危険が伴うようだったらやめたほうがいいし,「この治療法で絶対治る!」と断言するような治療家なら考えたほうがいいとアドバイスします。そして,それでも迷うようなら治療家の人相を見て判断しなさいと言っています。(p161)
 私が見る限り,すてきに年を重ねている人は,食べたいだけ食べ,飲みたいだけ飲んでいます。(p167)
 野垂れ死にを怖がらず,死ぬまで動き回りましょう。人間,何歳になっても,いくらでも可能性があります。やりたいことがあれば,年齢に関係なく行動すればいいのです。理想を追って,倒れるまで進み続ける。そんな中で,やっと自分がこの世に生を受けた意味がわかってくるのです。(p171)
 私は死が終着点ではないと考えています。(中略)帯津良一という私は死んでも,私のいのちは永遠に生き続けます。いのちという視点で見れば,日々を一生懸命に生きることがいのちを育て,それは私自身の成長につながります。(p185)
 相手を思い遣る気持ちが強ければ,セロトニンのような脳内物質の分泌が高まり,あるいは昆虫でいわれる,相手を魅きつけるフェロモンのような物質も出てくるのではないでしょうか。だから人は,恋うる気持ちはいつも大切なのです。(p191)

2019年6月22日土曜日

2019.06.22 帯津良一 『若者がうらやましがる老人になってやろう』

書名 若者がうらやましがる老人になってやろう
著者 帯津良一
発行所 海竜社
発行年月日 2017.12.13
価格(税別) 1,100円

● 酒と女でときめこう,メタボなんか気にするな,体にいいからと嫌いなものを食べても無意味,これを仕上げるまでは死ねないなどと考えるな(あっちの世界で続きをやったらいい),といったことが説かれている。気が楽になる。

● 以下に多すぎる転載。
 益軒は『養生訓』を通して,人の生き方,死に方を説いていたのです。『養生訓』を読むなら,ぜひそこまで読み取っていただきたいと思います。(p4)
 私は,幸せは人生の後半にあるという益軒の考え方に全面的に賛成です。私自身も,六〇歳から急に人生が充実してきました。人生後半の幸せを実感しています。仕事にも集中できるし,お酒もおいしいし,女性にももてるし,六〇歳は最高だと悦に入っていました。ところが,七〇代になるともっと楽しくなりました。今は八〇代に入ったばかりですが,これがまたいい感じで,うきうきしながら毎日を過ごしています。(p5)
 死を意識することで,「ああ,これで良かった」と納得して死んでいける人生後半を演出することができます。「健康第一」などと言っていると,いい人生後半は遅れません。健康は目的ではなく手段です。(中略)ですから,健康は第二か第三でいいのです。(p7)
 それまでに成功しているとかうまくいかなかったとか,そんなことはそこで精算してしまって,六〇歳からの新しい日々に期待と希望をもって,心をときめかせて,一気に加速してください。(P7)
 夫婦だけでなく,家族もずっと一緒にいるとか,仲良くするとか,あまりそんなことに重きを置く必要はありません。(p25)
 一人だと寂しいと思うこと自体が老化です。若いときには一人暮らしをすることにワクワクしたものです。(p26)
 惰性で生きていると,老化が進んでいきます。人には刺激が必要なのです。(p27)
 見かけの若さは,大抵の場合,八〇歳を過ぎれば差がなくなります。私は外科医でしたが,若いころは手術の巧拙は顕著に現れます。器用な人は手際がいい。しかし,下手な人でも一〇年たつと上手な人に追いついてしまいます。二〇年,三〇年たてば,横並びです。それと同じで,見かけの若さも,差が出るのは六〇~七〇代までです。見かけも大切ですが,それ以上に内からわき出てくるエネルギーに目を向けてもらいたいと思います。年を取ることをネガティブにとらえるとエネルギーは低下してしまいます。(p29)
 年を取るのを嫌がるのではなく,年を取る喜びを見つけること。これも老いに逆らうことのひとつです。老いとは喧嘩をせずに上手に逆らってみることです。(p33)
 できれば,貝原益軒が文章を書くことに没頭したり,伊能忠敬が暦学や天文学を学び始めたように,本当にやりたかったことにチャレンジするイメージが大事です。(p46)
 私たちは,生から死をへて死後の世界へ旅立っていきます。その旅は,川のように滔々と流れていくものだとイメージしています。(中略)死んだらすべて終わるわけではありません。死んだあとも,今やっていることの続きをすればいいのです。(p50)
 しっかりした土台とはどういうものか。私は,「ときめき」だと考えています。(中略)私は,「酒と女」でときめきます。(中略)年を取ったので酒はやめましたとか,この年で女性のことを言うのははしたないという情けないことを言ってはいけません。(p58)
 私は,まったく逆のことを患者さんに言います。「酒は養生だから,毎日飲まないとダメだ」(中略)心配しなくても大病をした人は無茶をしません。(p63)
 若いころは,陸上競技や水泳で言えば予選のようなものです。力のある選手は,ゴール前で力を抜いたりします。しかし,決勝は本気を出します。人生の後半は決勝です。力をすべて出し切るくらいの生き方が必要です。(p70)
 いい年の取り方をしているなと思える男性は,必ずと言っていいほどすてきな女性がそばにいます。(中略)私はできるだけ恋をしようと心がけています。片想いで十分です。(p74)
 「恋なんて関係ない」と思っていると,どの女性も同じ顔,スタイルに見えてきてしまいます。世の中にはさまざまな魅力を湛えた女性があふれています。(p77)
 お金と名誉でもてるというのは,私に言わせれば底の浅い恋です。品がありません。年を取ったら,そんな物質的なことではなく中身でもてたいものです。中身でもてるためにはいのちのエネルギーが高まっている必要があります。(中略)男性も女性も志をもって生きているともてます。志といっても,これから大仕事をやってやろうということである必要はありません。小さなことでいいので,こんなことをやってみたいという夢をもってそれに向けて努力している人は魅力的です。(p80)
 たとえば,腹立たしいことがあったとします。腹立たしさの原因をとことん追求して,それを排除しようとすると,これには大変な労力が必要です。(中略)その人に文句を言っても,素直に「すいません」と謝るはずもありません。(中略)私は,余程のことがない限り,「しょうがない」ですませることにしています。(p93)
 ある年齢になれば,あるところまでは諦めずにがんばっても,ここが引きどきだなと思ったら,さっと身を引くことも覚えた方がいいでしょう。引き際は,経験からわかるはずです。(中略)諦めることは負けではありません。諦めることによって局面が変わって,いい方向に物事が進むことはよくあることです。(p95)
 私は,色気というのは内なる生命場のエネルギーが高まってあふれ出ることにあると考えています。色っぽさというと,女性の専売特許のように思ってしまいますが,男女の別なく生命エネルギーの高い人のことを言います。それが外にあふれ出すわけですから,かなりの高いエネルギーをもっていないといけません。(p101)
 死に対する不安や恐怖を癒すには,その人よりも死に近いところにいる必要があります。大病をしたことのない元気な人に「大丈夫だよ」と言われても,がんの患者さんのこころは安らぎません。(p103)
 自分のことばかりではなく人のことを考えて生きられる人は色気が増すのかもしれません。(p104)
 凛として老いているかどうか,ひとつの指標が「歩き方」です。ヨタヨタとしているようでは凛としているとは言えません。(中略)九〇歳になってリズミカルに歩けるには,それまでの鍛錬が必要です。鍛錬と言っても,日常生活の中で,なるべく便利さに甘えないで自分の足で歩くようにしていれば大丈夫です。粋に老いている人は,からだを動かすことを厭いません。まめに動きます。(p108)
 健康は大事ですけれども,健康を目的として生きていると,生き方が小さくなってしまいます。(p110)
 九〇歳を過ぎて粋に生きている人はみなさん,子どものように好奇心が旺盛で,ちょっとしたことに感動し,うきうきしながら新しいことにチャレンジしています。とても初々しいのです。(p117)
 平然とすることなどありません。いつまでもおどおどしていればいいのです。(p118)
 食事も,「私は何でも感謝していただきます」というのも立派ですが,私のように好き嫌いがけっこうあると,好物が食卓に出ているのを見たときにはうれしくてこころが大いにときめきます。(p119)
 明るく前向きに生きれば免疫力が上がって体調も良くなると言われてきました。本当にそうなのでしょうか。明るく前向きだから元気になるのか,元気だから明るく前向きになれるのか。私は後者ではないかと思うようになりました。(p123)
 もとはと言えば,たった一人でこの世にやって来て,たった一人であの世へ旅立っていくのです。それが私たちの本質であって,この世でわいわいやっているのは幻に過ぎないのです。それからは,私は患者さんに「私たちの心の奥底に広がる,揺るぎのない大地は,かなしみであり,さみしさです」とお話ししています。(中略)明るく前向きという,宙に浮いたような状態を当たり前だと思ってしまうと,何かあったときにバランスを崩して落下してしまいます。(p125)
 プラス思考が浅はかに感じられるのは,自分では苦しくてつらいのに「これはプラスなのだ」と自分に無理やり言い聞かせるところです。どこか痛々しさを感じてしまいます。(中略)いくら笑いがからだにいいと言っても,自然に湧き上がった笑いならいいのですが,おかしくもないのに無理に笑っても効果はいかがなものかと思います。プラス思考には,おかしくもないのに笑おうとするような不自然さが感じられるのです。(p126)
 江戸時代の随筆家・神沢杜口は,「生涯皆芝居なり」という名言を残しています。(中略)そう思えば,失敗だったなという人生も,たまたまそういう役を演じさせられてきたのだとあきらめがつくというものです。成功する人だけではいいドラマはできません。(p129)
 これまでの自分を,映画を見るかのように客観的に振り返ってみると面白いと思います。思い出したくなりこともあるかもしれません。しかし,それも物語を盛り上げる要素になっていることもあります。まだまだ舞台の途中ですから,これからどんな展開にもできます。ハッピーエンドだけが名作ではありません。続編に向けて含みをもたせた終わり方でもいいのです。(p131)
 もし,あの世へ行くのが楽しみだという心境になったらどうでしょうか。死ぬのは嫌だ,死んだらどうしようとびくびくして生きるよりも,楽しくて輝く老後を送ることができるはずです。(p136)
 仕事や夢をこの世で完結させることはありません。あの世へ行けば,いくらでも時間があります。この世以上に,やりたいことに没頭できます。(中略)死後の世界については,どうがんばっても本当のことはわかりません。わからないことはわかろうとせず,開き直って自分の好きなように考えればいいのです。(p142)
 人間とはそういうものですから,それを恥ずかしいと思う必要はありません。(p148)
 人生にはいろいろな晴れ舞台があります。誕生日,入学式,卒業式,就職,結婚式などです。しかし,死というのは,そんなのとは比べものにならないくらいの一世一代の晴れ舞台です。(p157)
 死ぬとわかったら,今までの自分をじっくりと振り返ったり,それまでやれなかったことをやって死んでいきたいと思っていたことがあります。(中略)しかし,あるときからそんな考え方をやめました。(中略)漱石が,死ぬときには一瞬のうちに過去を振り返ることができると書いています。市に瀕すると過去の記憶が走馬灯のように流れると言います。どんな死に方であっても瞬間的に一生を見ることができるのかもしれません。それなら,わざわざじっくりと自分を振り返る必要もありません。(p160)
 やり遂げたかどうかは関係ありません。いのちのエネルギーが高まっていれば,納得してあちらの世界に行けます。私たちが生きている目的は,何かを成し遂げることではなくて,少しでもいのちのエネルギーを高めることですから,結果に執着する必要はないのです。(p162)
 死を意識することで,生がきゅっと引き締まります。(p171)
 統合というのは足し算することではありません。一度バラバラにして再構成して新しいものを作り出すことです。(p175)
 がん細胞は死なない細胞です。死なないからどんどん増殖していって,大きくなっていって,栄養を横取りし,臓器を痛めつけ,最終的には人間を死に追い込んでしまします。(中略)人類全体を見ても,死んでいく人がいるからこそ全体の秩序が保たれてします。(p179)
 足腰が丈夫で,近くの居酒屋mまで歩いて行ければ,体力は良しとしましょう。(中略)マイナスには目をつむる。プラスを見つけて大いに喜ぶ。そうすると,間違いなくときめきは増えていきます。それが老いを楽しむ方法です。いのちのエネルギーもどんどん高まっていきます。(p182)
 日ごろからできることで,いのちのエネルギーを高めるのにもっともいい方法は気功です。(中略)姿勢を整える(調身),呼吸を整える(調息),ここをと整える(調心)の三つがあれば気功と言うことができます。(p188)
 少々のストレスには負けてはいられません。受けて立ってやる! という気持ちになれば,だいたいのストレスははねとばすことができるものです。(p205)
 人は場の影響を受けます。(中略)いのちのエネルギーを高めようと思うなら,いのちのエネルギーの高い人と会うべきです。(中略)親しくならなくても,そばにいるだけでいい影響を受けられるはずです。(p207)
 予感は人生を豊かにしてくれます。予感のない人生は無味乾燥です。一瞬先は何が起こるかわかりません。だからこそ面白い。わからないからそこに予感が入り込む余地があるのです。予感に私たちはときめきます。先がわからないことで人生は豊かになります。私は,予感というのは虚空から送られてくるシグナルだと思っています。(p215)
 予感と直感を受け取るためにはこころを空っぽにしておく必要があります。こころが空っぽというのは何も考えないとかぼーっとしているということではなく,常識にとらわれないこころをもつことです。思い込みを外すことです。(p220)

2017年10月9日月曜日

2017.10.09 帯津良一 『まぁるく生きる』

書名 まぁるく生きる
著者 帯津良一
発行所 海竜社
発行年月日 2014.07.02
価格(税別) 1,300円

● 著者がそちこちに起稿したエッセイを集めたもの。ので,テーマが線に沿って展開していくというものではない。
 細かいことにこだわるな,歩け,早起きしろ。そういうことが元気な老後の秘訣なのだよ,と言っている。

● 以下にいくつか転載。
 自分の時間が欲しいなどと思わないのはこの忙しさのすべてが自分の時間だからなのだ。(p47)
 朝が好きだ。だから早起きの人が大好きだ。何の仕事であれプロフェッショナルは早起きである。良い仕事をするためにはかならず仕込みの時間が必要だからだ。(p48)
 足腰が衰えると,どうしても世間が狭くなって,頭脳の衰えにつながるのではないだろうか?(p69)
 卵管がんと闘いながら『がん患者学』なる力作を物にした柳原和子さんは,多くのがん患者さんたちに頼られて,交流を深めていた人だが,あるとき私に,永く生きている人の共通項は何だかわかりますかと問うたことがある。さあ? と口籠っていると,歩いている人ですよと言う。(p98)
 気功の三要は調身,調息,調心。調身は上虚下実すなわち肩の力が抜けて下半身に力が漲っている状態。調息とは息を整えることで調心とは雑念を払って一つ事に集中できる心を用意することである。反対に調息,調心。調身の三要素を備えていれば気功ということになる。(中略)いちばん手っ取り早いのは呼吸法ではないだろうか。(中略)吸うことと吐くことに少し気持ちを込めればいいのである。(p102)
 食とは大地のエネルギーが作物として結実したものを食物として体内に取り入れて,内なる生命場のエネルギーを高めることである。この場合,大地のエネルギーをふんだんに持ち合わせている作物とは,いま目の前でにょきにょきと生えて来たものであることは言うまでもない。そこで旬のもので地場のものが好いということになる。(p123)
 この世は修行である。修行には困難が付き物である。というよりは困難によってこそいのちのエネルギーは飛躍的に高まるのである。(中略)その困難の一つが病なのである。(p155)
 彼ががんになってよかったと話してくれたことがある。それは自分が宇宙人であることが確信できたことだという。広大な宇宙を構成するまぎれもない当事者であると。(p159)
 まずは日用品に愛着をおぼえない。(中略)人さまのものを借りてすませて平気の平左なのだ。(中略)大体がこれでなければいけないということがないのである。(p183)
 以前は早朝ということもあって観音像に向かうだけで声に出さずに心の中だけで読経をしていた。ところがある時,いまでも敬愛してやまない鎌田茂雄先生に一喝されたのである。腹の底から出る大声で唱えなければ駄目だと。たしかにその通りだ。すかっとした気分になる。(p190)
 生命の謎はあくまでも深く,宇宙の広大無辺さはとても手の内に入らない。だから人間,いくつになっても初々しさを失わないのが道理なのだ。(p201)
 主治医が生きているのが不思議なくらいだと言うほどの病状で,しかも感染性の病だというのに,彼らはものともせずにやって来るのだから,子規がいかに魅力的な男だったか想像がつくというものである。(p242)

2017年9月24日日曜日

2017.09.24 帯津良一 『不良養生訓』

書名 不良養生訓
著者 帯津良一
発行所 青萌堂
発行年月日 2011.01.27
価格(税別) 1,300円

● 副題は「まじめな人ほど病気になる」。本書のキーワードは「攻めの養生」。ストイックになりすぎるな,ということだろうか。
 健康診断の数値にあまりとらわれるのはバカバカしい。玄米食,菜食,マクロビオテックなどに凝り固まるのは,よろしからず。健康に悪いとされることに過度にビクビクするな。体にいいものより美味しいと思える食事がいい。
 つまり,ぼくのようなズボラな人間には,はなはだ都合のいいことが説かれている。

● 以下にいくつか転載。
 「養生」は,体を休ませる「守りの養生」ではなく,「攻めの養生」でいくべきで,小さくまとまらず,時にははみ出したり,狼藉を働いたり,あるいは死んだふり(?)をして体をかわしたりということも大事なのです。(p3)
 健康のための健康を目指すのではなく,楽しく充実した人生を送るために健康を目指すことです。そうすることで,このタイプは身も心も活発で,心のときめきを感じ,それによって命のエネルギーを高めています。(p21)
 ウォーキングには大きく手を振る,いつもより速く歩く,といった方法がありますが,私はただ楽しく歩くをモットーにしています。長続きさせるには,それくらいの気楽さが必要で,目尻を釣り上げて「健康のために鍛えなくては」と意気込む必要はありません。(p34)
 たとえば,「早寝早起き」がすべての人にとって善ではなく,時間が許すのなら「遅寝遅起き」でも一向にかまいません。他人から,ぐうたらと見られようと,自分の信念を貫き通す覚悟が必要なのです。(p54)
 症状が重くない限り,お酒の量に一喜一憂しないほうがいい,というのが私の考えです。一生懸命に働いて,その疲れやストレスを癒してくれる代償と考えれば「γ・GTP」の値なんぞに神経質になり過ぎるのはナンセンスの極みなのです。(p61)
 がん細胞などを攻撃し,体をウイルスなどから守ってくれるリンパ球は,副交感神経を高めることによって増えるそうです。(中略)それには体を温めることが最も効果的なのです。(中略)お酒もまた血液の循環をよくさせ,体を温める効果があるのです。(p61)
 世間一般でいう「健康にこだわった食事」は往々にして“主義”になりがちで,菜食主義や玄米主義など,あらゆる主義が横行しているように見えます。(中略)食物によって得られる栄養価の吸収は人それぞれでまったく異なり,排出のされ方にも個人差があります。(p70)
 ニジマスはエサの多い川の真ん中に集まる習性があるそうです。一方,一部にはエサの少ない川の岸辺を泳ぐニジマスもいます。魚の世界にも異端児がいるのでしょう。この二つの習性を持つニジマスを比べると,川の真ん中にいるニジマスのほうが大きいと思いがちですが,そうとは限らないのです。その理由は川の真ん中は流れが速く,体力を消耗してしまうからです。ひろさんは,日本人は川の真ん中に行きたがる傾向が強い,と話していますが,それは人生観や仕事観に限らず,健康観にも通じるところがあります。(p77)
 人体のなかにも物理量の総体が連続してあるわけですから,当然そこには「場」が存在するはずです。(中略)人体は「気」を物理量とする「場」によって構成しており,そこに臓器と臓器が浮かんでいるのです。その場こそが「生命場」であり,この「場」のエネルギーと自然治癒力を高めるために「攻めの養生」が不可欠になってくるのです、(p90)
 私の周りの医者で食事の前にせっせと手洗いをする人はまずいないと思います。さらに,それが原因で何らかの病気になったという話も聞いたことがありません。(p97)
 医や食に関する“常識”は不変ではなく,研究などによって新たな“常識”が出現する可能性は非常に高いのです。それなのに,今“常識”とされている医学情報や健康知識にかんじがらめになっているのはナンセンスの極みです。(p127)
 いくら栄養価の高い食品でも,おいしいと思って食べなければ身にならないのは当然のことで,食と心は深くつながっていると考えられます。(p133)
 人間の本性はかなしみにあり,人間は明るく前向きにはできていないということをここで強調したいと思います。(中略)「明るく前向き」と思われていた人ほど,じつは精神的に弱い面があることがわかってきました。病状の悪化を告げると「明るく前向き」な人ほど落ち込みが激しいのです。(p148)
 藤原(新也)さんによれば,かなしみを抱いた人は自分の胸に聖火のような炎を抱いていて,その聖火には他人をいやす力があるというのです。(p151)
 閑職に身を委ね,汗もかかず,同僚ともたいしてコミュニケーションを取らずに5時頃退社するような人生が幸せでしょうか。このような生活を続けていたら,交感神経は働かず,副交感神経ばかりが働いて体調は次第に悪化してきます。(中略)ストレスをなくそうとしたり,解消しようと悩まず「ストレス,どんと来い」くらいの気概を持てば,うまくつき合えるのではないでしょうか。(p156)
 私の知る限り玄米食やマクロビオテックを実践している人たちは,顔が青白く,声が小さくて滅多に笑わないことが多いのです。(p160)
 いわゆる,難病の会のような組織がありますが,そのごく一部では健康食品やサプリメントを法外な値段で売っているところがあります。(p166)
 欧米と比べ,日本人に比較的多いがんの一つに肝臓がんがありますが,アルコール摂取量がはるかに少ない日本人に肝臓がんが多いのは,薬と関係しているという説があります。たしかに,胃薬,風邪薬,鎮痛剤などのコマーシャルがこれほど,テレビ,雑誌などのメディアに登場している国はめずらしく,薬好きの国民といえます。(p168)
 受診勧奨判定値は国内の各臨床学会が認定した基準にのっとっているのですが,保健指導判定値には何の科学的根拠もないといわれています。それなのに数値ばかりが一人歩きをして,検診の結果,一喜一憂する人が増えているのは合点がいきません。(p179)
 高血圧の原因には塩分の摂りすぎ,肥満,分銅不足,喫煙,ストレスなどが指摘されています。しかしこれも気にしすぎるとろくなことはありません。(中略)塩分やおいしいものをガマンすることがストレスになり,血圧を上げてしまうことが多いのです。(p188)

2017年6月24日土曜日

2017.06.24 帯津良一 『ピンピン,コロリ。』

書名 ピンピン,コロリ。
著者 帯津良一
発行所 青志社
発行年月日 2010.02.24
価格(税別) 1,300円

● 副題は「気持ちよく生き 愉しい死に方を するために」。ぼくも「死に方」が気になるお年頃。

● いわゆるアンチエイジングに対する警鐘(ほとんど非難)など,説得力のある内容。死ぬにもタイミングがあって,そのタイミングを逃すな,という言い方にも共感を覚えた。長く生きればいいというものではない,と。

● 以下に,いくつか転載。
 覚悟のできた人たちの言葉は,いつも祈りに満ちていて,周囲の万物を動かす力があります。(p5)
 私の追い求めているホリスティック医学では,人は誰でも生きているかぎり,日々「いのち」のエネルギーを高め続けていると考えます。(中略)なんのために「いのち」のエネルギーを高め続けるかというと,(中略)死後の世界へうまく飛び込んでいくためです。(p18)
 途中までどんなに感動的な映画でも,ラストがよくないとすべて台無しになってしまいます。人生も同じだと思うのです。長寿にしがみついて,死に方を間違えると人生がすべて台無しになってしまいます。(p22)
 なぜ亡くなるときに患者さんの顔が“いい顔”になるのかとても不思議でした。やがて何度も経験するうちに,これはふるさとへ帰る顔だと,ふと思いました。患者さんたちのおだやかな表情を見て,文部省唱歌の『故郷』という歌の三番の歌詞が頭に浮かんだのです。 志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷 今,患者さんはこの世での務めを果たしてほっとして,これからふるさとへ帰っていくに違いない。だから,誰もがおだやかでやすらぎに満ちた顔で旅立っていくのだろう,と思ったのです。(p26)
 本当の美しさは,意外と年相応の自然さの中にあると思うのです。(p34)
 自分たちの“老い”を恥じ,アンチエイジングと称して必死で若さにしがみつこうとしたり,若者文化にすり寄ったりしている姿は,決して美しいものではありません。とうてい尊敬の対象にはならないでしょう。(p41)
 自然の流れに逆らうとろくなことはありません。あるがままに身をまかせて,その中で少し配慮するくらいがちょうどいいのです。(p44)
 「いのち」のエネルギーは,日常生活の中でも高めることができます。決して難しいことではなく,こころときめく生活を心がければいいのです。(中略) ときめく対象はなんでもいいのです。私の場合でいいますと,大好きなカツ丼を食べると,そのたびに大いにときめきます。(中略)ときめかない食品を渋々食べるよりは,たとえからだには好ましくなくても,大いにときめきながらカツ丼を食べたほうがはるかにいいと,私は思うのです。(p63)
 長野県の伊那谷に居を構えている翻訳家で詩人の加島祥造さんは,御年八六歳。伊那谷の老子と呼ばれている人ですが,数年前に「加島さんはどんなときにときめきますか」と尋ねたとき,「そりゃ,女だよ」と,さらりとおっしゃっていました。その迷いのない即答は「あっぱれ」という感じでした。(p66)
 がん治療の現場で経験を重ねるうちに,人間はもともと明るく前向きにできていないことに気づきました。病気の最中に,明るさや前向きさを無理に求めると,患者さんにとって大きなストレスになります。(p67)
 生きることの本質は哀しみであり,表面的な明るさ,前向きさはもろく崩れやすいものなのです。反対に,哀しみの大地は盤石です。これ以上崩れ落ちることはないからです。(p68)
 好きなものをおなかいっぱい食べるのはよくないが,好きなものを少し食べていると養生になる,というわけです。これは真理だと思います。(p110)
 無関心がもっともよくありません。若い人でよく,食べること自体がめんどうくさくて,とりあえず“あるもの”を食べるという人がいます。こうした食生活を続けていると,必ずあとでツケが回ってきます。(p113)
 人間はもともと,自分のからだに必要なものはわかっていて,食べすぎないかぎりは結構うまく食べているものなのです。(p122)
 医者がスピリチュアルになれないいちばんの理由は,エリート意識です。(中略)それがすべての元凶だと私は思っています。(p170)
 ホリスティック医学のいちばんの肝は治療法ではなく,その治療法がどういう「場」で行われるか,その「場」づくりが大切なのですね。(p178)
 西洋医学しかやらない病院では,患者さんが代替療法を行うのを嫌がる医者が結構います。これはとてももったいないことです。患者さんの「やってみたい」「試してみたい」という気持ちは,がんを治すうえで欠かせないものだからです。(p224)
 医学はサイエンスでいいとしても,医療は生身の人間が営む「場」の働きです。医療者が科学ばかり重視して「こころ」の問題をないがしろにしていると,いい医療にはなりません。(p227)
 毎朝五時前に病院に入って,夕方六時まで目のまわるような忙しい日々ですが,それでも,診察や回診で患者さんとお話ししていると,私が患者さんに癒されている部分も多いのです。(p239)