著者 帯津良一
発行所 海竜社
発行年月日 2017.12.13
価格(税別) 1,100円
● 酒と女でときめこう,メタボなんか気にするな,体にいいからと嫌いなものを食べても無意味,これを仕上げるまでは死ねないなどと考えるな(あっちの世界で続きをやったらいい),といったことが説かれている。気が楽になる。
● 以下に多すぎる転載。
益軒は『養生訓』を通して,人の生き方,死に方を説いていたのです。『養生訓』を読むなら,ぜひそこまで読み取っていただきたいと思います。(p4)
私は,幸せは人生の後半にあるという益軒の考え方に全面的に賛成です。私自身も,六〇歳から急に人生が充実してきました。人生後半の幸せを実感しています。仕事にも集中できるし,お酒もおいしいし,女性にももてるし,六〇歳は最高だと悦に入っていました。ところが,七〇代になるともっと楽しくなりました。今は八〇代に入ったばかりですが,これがまたいい感じで,うきうきしながら毎日を過ごしています。(p5)
死を意識することで,「ああ,これで良かった」と納得して死んでいける人生後半を演出することができます。「健康第一」などと言っていると,いい人生後半は遅れません。健康は目的ではなく手段です。(中略)ですから,健康は第二か第三でいいのです。(p7)
それまでに成功しているとかうまくいかなかったとか,そんなことはそこで精算してしまって,六〇歳からの新しい日々に期待と希望をもって,心をときめかせて,一気に加速してください。(P7)
夫婦だけでなく,家族もずっと一緒にいるとか,仲良くするとか,あまりそんなことに重きを置く必要はありません。(p25)
一人だと寂しいと思うこと自体が老化です。若いときには一人暮らしをすることにワクワクしたものです。(p26)
惰性で生きていると,老化が進んでいきます。人には刺激が必要なのです。(p27)
見かけの若さは,大抵の場合,八〇歳を過ぎれば差がなくなります。私は外科医でしたが,若いころは手術の巧拙は顕著に現れます。器用な人は手際がいい。しかし,下手な人でも一〇年たつと上手な人に追いついてしまいます。二〇年,三〇年たてば,横並びです。それと同じで,見かけの若さも,差が出るのは六〇~七〇代までです。見かけも大切ですが,それ以上に内からわき出てくるエネルギーに目を向けてもらいたいと思います。年を取ることをネガティブにとらえるとエネルギーは低下してしまいます。(p29)
年を取るのを嫌がるのではなく,年を取る喜びを見つけること。これも老いに逆らうことのひとつです。老いとは喧嘩をせずに上手に逆らってみることです。(p33)
できれば,貝原益軒が文章を書くことに没頭したり,伊能忠敬が暦学や天文学を学び始めたように,本当にやりたかったことにチャレンジするイメージが大事です。(p46)
私たちは,生から死をへて死後の世界へ旅立っていきます。その旅は,川のように滔々と流れていくものだとイメージしています。(中略)死んだらすべて終わるわけではありません。死んだあとも,今やっていることの続きをすればいいのです。(p50)
しっかりした土台とはどういうものか。私は,「ときめき」だと考えています。(中略)私は,「酒と女」でときめきます。(中略)年を取ったので酒はやめましたとか,この年で女性のことを言うのははしたないという情けないことを言ってはいけません。(p58)
私は,まったく逆のことを患者さんに言います。「酒は養生だから,毎日飲まないとダメだ」(中略)心配しなくても大病をした人は無茶をしません。(p63)
若いころは,陸上競技や水泳で言えば予選のようなものです。力のある選手は,ゴール前で力を抜いたりします。しかし,決勝は本気を出します。人生の後半は決勝です。力をすべて出し切るくらいの生き方が必要です。(p70)
いい年の取り方をしているなと思える男性は,必ずと言っていいほどすてきな女性がそばにいます。(中略)私はできるだけ恋をしようと心がけています。片想いで十分です。(p74)
「恋なんて関係ない」と思っていると,どの女性も同じ顔,スタイルに見えてきてしまいます。世の中にはさまざまな魅力を湛えた女性があふれています。(p77)
お金と名誉でもてるというのは,私に言わせれば底の浅い恋です。品がありません。年を取ったら,そんな物質的なことではなく中身でもてたいものです。中身でもてるためにはいのちのエネルギーが高まっている必要があります。(中略)男性も女性も志をもって生きているともてます。志といっても,これから大仕事をやってやろうということである必要はありません。小さなことでいいので,こんなことをやってみたいという夢をもってそれに向けて努力している人は魅力的です。(p80)
たとえば,腹立たしいことがあったとします。腹立たしさの原因をとことん追求して,それを排除しようとすると,これには大変な労力が必要です。(中略)その人に文句を言っても,素直に「すいません」と謝るはずもありません。(中略)私は,余程のことがない限り,「しょうがない」ですませることにしています。(p93)
ある年齢になれば,あるところまでは諦めずにがんばっても,ここが引きどきだなと思ったら,さっと身を引くことも覚えた方がいいでしょう。引き際は,経験からわかるはずです。(中略)諦めることは負けではありません。諦めることによって局面が変わって,いい方向に物事が進むことはよくあることです。(p95)
私は,色気というのは内なる生命場のエネルギーが高まってあふれ出ることにあると考えています。色っぽさというと,女性の専売特許のように思ってしまいますが,男女の別なく生命エネルギーの高い人のことを言います。それが外にあふれ出すわけですから,かなりの高いエネルギーをもっていないといけません。(p101)
死に対する不安や恐怖を癒すには,その人よりも死に近いところにいる必要があります。大病をしたことのない元気な人に「大丈夫だよ」と言われても,がんの患者さんのこころは安らぎません。(p103)
自分のことばかりではなく人のことを考えて生きられる人は色気が増すのかもしれません。(p104)
凛として老いているかどうか,ひとつの指標が「歩き方」です。ヨタヨタとしているようでは凛としているとは言えません。(中略)九〇歳になってリズミカルに歩けるには,それまでの鍛錬が必要です。鍛錬と言っても,日常生活の中で,なるべく便利さに甘えないで自分の足で歩くようにしていれば大丈夫です。粋に老いている人は,からだを動かすことを厭いません。まめに動きます。(p108)
健康は大事ですけれども,健康を目的として生きていると,生き方が小さくなってしまいます。(p110)
九〇歳を過ぎて粋に生きている人はみなさん,子どものように好奇心が旺盛で,ちょっとしたことに感動し,うきうきしながら新しいことにチャレンジしています。とても初々しいのです。(p117)
平然とすることなどありません。いつまでもおどおどしていればいいのです。(p118)
食事も,「私は何でも感謝していただきます」というのも立派ですが,私のように好き嫌いがけっこうあると,好物が食卓に出ているのを見たときにはうれしくてこころが大いにときめきます。(p119)
明るく前向きに生きれば免疫力が上がって体調も良くなると言われてきました。本当にそうなのでしょうか。明るく前向きだから元気になるのか,元気だから明るく前向きになれるのか。私は後者ではないかと思うようになりました。(p123)
もとはと言えば,たった一人でこの世にやって来て,たった一人であの世へ旅立っていくのです。それが私たちの本質であって,この世でわいわいやっているのは幻に過ぎないのです。それからは,私は患者さんに「私たちの心の奥底に広がる,揺るぎのない大地は,かなしみであり,さみしさです」とお話ししています。(中略)明るく前向きという,宙に浮いたような状態を当たり前だと思ってしまうと,何かあったときにバランスを崩して落下してしまいます。(p125)
プラス思考が浅はかに感じられるのは,自分では苦しくてつらいのに「これはプラスなのだ」と自分に無理やり言い聞かせるところです。どこか痛々しさを感じてしまいます。(中略)いくら笑いがからだにいいと言っても,自然に湧き上がった笑いならいいのですが,おかしくもないのに無理に笑っても効果はいかがなものかと思います。プラス思考には,おかしくもないのに笑おうとするような不自然さが感じられるのです。(p126)
江戸時代の随筆家・神沢杜口は,「生涯皆芝居なり」という名言を残しています。(中略)そう思えば,失敗だったなという人生も,たまたまそういう役を演じさせられてきたのだとあきらめがつくというものです。成功する人だけではいいドラマはできません。(p129)
これまでの自分を,映画を見るかのように客観的に振り返ってみると面白いと思います。思い出したくなりこともあるかもしれません。しかし,それも物語を盛り上げる要素になっていることもあります。まだまだ舞台の途中ですから,これからどんな展開にもできます。ハッピーエンドだけが名作ではありません。続編に向けて含みをもたせた終わり方でもいいのです。(p131)
もし,あの世へ行くのが楽しみだという心境になったらどうでしょうか。死ぬのは嫌だ,死んだらどうしようとびくびくして生きるよりも,楽しくて輝く老後を送ることができるはずです。(p136)
仕事や夢をこの世で完結させることはありません。あの世へ行けば,いくらでも時間があります。この世以上に,やりたいことに没頭できます。(中略)死後の世界については,どうがんばっても本当のことはわかりません。わからないことはわかろうとせず,開き直って自分の好きなように考えればいいのです。(p142)
人間とはそういうものですから,それを恥ずかしいと思う必要はありません。(p148)
人生にはいろいろな晴れ舞台があります。誕生日,入学式,卒業式,就職,結婚式などです。しかし,死というのは,そんなのとは比べものにならないくらいの一世一代の晴れ舞台です。(p157)
死ぬとわかったら,今までの自分をじっくりと振り返ったり,それまでやれなかったことをやって死んでいきたいと思っていたことがあります。(中略)しかし,あるときからそんな考え方をやめました。(中略)漱石が,死ぬときには一瞬のうちに過去を振り返ることができると書いています。市に瀕すると過去の記憶が走馬灯のように流れると言います。どんな死に方であっても瞬間的に一生を見ることができるのかもしれません。それなら,わざわざじっくりと自分を振り返る必要もありません。(p160)
やり遂げたかどうかは関係ありません。いのちのエネルギーが高まっていれば,納得してあちらの世界に行けます。私たちが生きている目的は,何かを成し遂げることではなくて,少しでもいのちのエネルギーを高めることですから,結果に執着する必要はないのです。(p162)
死を意識することで,生がきゅっと引き締まります。(p171)
統合というのは足し算することではありません。一度バラバラにして再構成して新しいものを作り出すことです。(p175)
がん細胞は死なない細胞です。死なないからどんどん増殖していって,大きくなっていって,栄養を横取りし,臓器を痛めつけ,最終的には人間を死に追い込んでしまします。(中略)人類全体を見ても,死んでいく人がいるからこそ全体の秩序が保たれてします。(p179)
足腰が丈夫で,近くの居酒屋mまで歩いて行ければ,体力は良しとしましょう。(中略)マイナスには目をつむる。プラスを見つけて大いに喜ぶ。そうすると,間違いなくときめきは増えていきます。それが老いを楽しむ方法です。いのちのエネルギーもどんどん高まっていきます。(p182)
日ごろからできることで,いのちのエネルギーを高めるのにもっともいい方法は気功です。(中略)姿勢を整える(調身),呼吸を整える(調息),ここをと整える(調心)の三つがあれば気功と言うことができます。(p188)
少々のストレスには負けてはいられません。受けて立ってやる! という気持ちになれば,だいたいのストレスははねとばすことができるものです。(p205)
人は場の影響を受けます。(中略)いのちのエネルギーを高めようと思うなら,いのちのエネルギーの高い人と会うべきです。(中略)親しくならなくても,そばにいるだけでいい影響を受けられるはずです。(p207)
予感は人生を豊かにしてくれます。予感のない人生は無味乾燥です。一瞬先は何が起こるかわかりません。だからこそ面白い。わからないからそこに予感が入り込む余地があるのです。予感に私たちはときめきます。先がわからないことで人生は豊かになります。私は,予感というのは虚空から送られてくるシグナルだと思っています。(p215)
予感と直感を受け取るためにはこころを空っぽにしておく必要があります。こころが空っぽというのは何も考えないとかぼーっとしているということではなく,常識にとらわれないこころをもつことです。思い込みを外すことです。(p220)
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