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2018年8月23日木曜日

2018.08.23 見城 徹 『読書という荒野』

書名 読書という荒野
著者 見城 徹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.06.05
価格(税別) 1,400円

● 『編集者という病い』以来の,ぼくは読者。本書は読書を切り口にした自叙伝だが,その要諦は第3章のタイトルでもある「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」にある。
 努力は圧倒的であって初めて努力になる。つまり,強烈なアジテーションに満ちている。

● 著者はまた過剰なほどの感情家だ。飛行機の中で本を読んで号泣したことがあるというのだ。
 どの分野であれ,第一人者になるほどの人は,喜怒哀楽が激しいものだと思っている。感情家であることは,その道で名を成すための必要条件ではないか。冷静で淡々としているのでは,その他大勢になるしかない。

● 以下に転載。
 読書で学べることに比べたら,一人の人間が一生で経験することなどたかが知れている。(p4)
 本を読めば,自分の人生が生ぬるく感じるほど,過酷な環境で戦う登場人物に出会える。そのなかで我が身を振り返り,きちんと自己検証,自己嫌悪,自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ,情けない自分と向き合ってこそ,現実世界で戦う自己を確立できるのだ。(p6)
 僕は編集者という仕事をしている。編集者の武器はただ一つ,「言葉」だけだ。言葉によって作家を口説き,心を揺さぶり,圧倒的な熱量の作品を引き出す。(p7)
 読書体験を重ねた人は,必然的に一度は左翼思想に傾倒すると僕は考える。人間や社会に対する思想が純化され,現実が汚れて見えて仕方がなくなるからだ。(p9)
 教養とは,単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察,言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。(p14)
 アート作品も,作品にまつわる情報をあれこれ取得するのではなく(もちろん,そうすることでさらに深く味わうこともできるのだが),アートを目にしたときの心の動きを知覚するほうが重要だ。(中略)アートは自分自身が「価値がある」と思えば,どのような作品であれ価値が発生するのだ。(p15)
 この詩(吉本隆明『転位のための十篇』)から学んだのは,戦いとは常に孤独であるということ。誰にも理解されないことが前提だということだ。それを飲み込み,絶望した上で,戦いを貫徹しなければならない。(p60)
 僕はかねがね,人生を生き切るには「善い人」でなければ駄目だと考えている。たとえ共同幻想の所産であっても良心がなければ,自分を突き詰め,追い込むことはできない。他者と本物の関係を作ることはできない。人生や仕事において,したたかさやずる賢さも時には必要だろう。しかし,それで一時的にはうまくいったとしても,そういう人間はどこかで必ず落ちる。(p66)
 誰だって全盛期があれば,衰退期も必ず訪れる。しかしピークを過ぎたあとでも,過去の栄光に浸るのではなく,暗闇でジャンプする。圧倒的努力と覚悟を持てば,どんな逆境からでも巻き返せる。(p75)
 ヘミングウェイに触発され,僕は27歳から37歳までの時期にウエイト・トレーニングに傾倒した。「身体が締まっていなければ,意志もたるんでしまう」と考えたからだ。(中略)僕はヘミングウェイの没年である61歳をはるかに超えてしまった。しかし依然として,身体がだらしなくたるんでいる状態では,仕事という戦場で戦えないと思い,苦しいトレーニングに励んでいる。(p77)
 今思えば,公文式にはベストセラーになる条件が揃っていた。まず,オリジナリティーがあること。(中略)オリジナリティーがあるということは,極端だ。そして極端なものは明解である。(p85)
 作家をパートナーとする編集者が本を作ろうとすれば,自分が魅力的な人間であることによってしか仕事は進行しない。つまり,どれほど相手に突き刺さる刺激的な言葉を放ち,相手の奥底から本当に面白いものを引き出すか。ただそれだけなのである。これは,テクニックでなんとかなるものではない。問われているのは,今までの自分の生き方そのものだ。生きてきた人生のなかで培った言葉が,相手の胸を打つかどうかだ。(p85)
 出版とは虚業である。(中略)人の精神という目に見えないものを,商品に変えて流通させ,それを何億もの金に変える商売だ。こんな商売はいかがわしいとしか言いようがない。それを誠実な営みとして成立させるには,編集者の生き様が厳しく問われる。編集者の仕事とはそういうものである。(p87)
 すでに作家として活躍している彼らと一緒にいると,自分には才能もないし,彼らのような「書かずには救われない」という強烈な情念がないことを思い知らされた。(p87)
 よく僕は「圧倒的努力をしろ」と言う。「圧倒的努力ってどういうことですか」と聞かれるけれど,(中略)人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない,手がつけられないくらい膨大な仕事を一つひとつ片付けて全部やりきること。それが圧倒的努力だ。努力は圧倒的になって初めて意味がある。(p90)
 リスクとは,絶対に不可能なレベルに挑戦することをいう。そうでなければリスクとは呼べない。また,それくらい無理なことをしなければ,鮮やかな結果など出ない。(中略)そして鮮やかに結果を出していれば,それまで無名であってもブランドになる。ブランドになりさえすれば,あとからビジネスも金もついてくる。(p92)
 五木寛之は社会に横たわる差別構造を鮮やかに描き出す作家だ。(中略)差別こそが感動の根源であることをこれほど理解している作家はいない。(p99)
 「野生時代」に配属された僕が自分に課したルールは,とにかく,人ができないことをやろうということだった。上司や同僚ができることをやっても,僕がいる意味はない。他の人ができないこととはつまり,角川書店とは仕事をしない作家たちの原稿を取ってくることだ。(p101)
 僕は常々言っているのだが,感想こそは人間関係の最初の一歩である。結局,相手と関係を切り結ぼうと思ったら,その人のやっている仕事に対して,感想を言わなければ駄目なのだ。(中略)その感想が,仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり,次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。(p102)
 僕は43年の文芸編集者生活を通じて,会社の看板や肩書きで商売をしないということを徹底して心がけてきた。すべて見城徹という個人として仕事をしてきたつもりだ。だからのちに幻冬舎をつくったときも,まったく無名の幻冬舎に錚々たる作家が書いてくれたのだ。(p103)
 文芸作品は想像力が現実を凌駕しなければ意味がない。リアリティのある「極端」が必要なのだ。それは生き方においても同じである。極端に貧しいか,極端に豊かなものからしか,人の心を揺さぶる表現は出てこない。(p108)
 仕事をする上で譲れない美意識を持っているということは大切だ。見栄や利害損得で行動する人は大きなことを達成することはできない。(p112)
 作品というのは,その人がいちばん書きたくないものを書かせたときにいちばんいいものができるし,売れるのである。(p123)
 作家だけでなくスポーツ選手もミュージシャンも俳優も,表現者である。僕は常に150人ぐらいの表現者と付き合っている。その一人一人に僕は「これを書いてください」というキラーカードをいつも3枚ずつ持っていようと努力している。(p124)
 表現とは結局自己救済なのだから,自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。(p127)
 僕が編集者として心がけていたのは,「3人の大物と,きらめく新人3人をつかむ」ことだ。(中略)そうやって大物作家と若い世代を押さえると,中間にいる作家たちは向こうから声をかけてきてくれる。(中略)3人のスーパースターと3人のきらめく新人をつかむこと。プロヂューサーや編集者ならそこに全力を尽くすべきである。(p130)
 人間は「極」をどれだけ経験したかで,度量が決まる。真ん中を歩いている人からは何も生まれてこない。極端を経験してこそ,豊饒な言葉を発することができるのだ。(p132)
 どんな社会も差別構造を持っているが,その差別はどこから来るかといえば,僕の考えでは「自然=時間=季節」から来る。季節があるから行事が生まれ,役割が決まり,それが差別を作り,物語を生むという構造だ。(p139)
 林真理子の原動力となっているのは,「美人ではない」というハンディキャップだ。その点では僕と通底する。その上で,劣等感が自意識を育み,その裏返しとして放蕩の限りを尽くしていた。文学は,このような過剰か欠落を抱えた人間からしか生まれない。(p143)
 小説家はマジシャンと似ている。両者はいずれも,「タネはこうだ」と指摘されたら不愉快に感じるのだ。それが合っていたとしても,間違っていたとしても,だ。(p146)
 残念ながら,村上春樹と仕事をする機会はほとんどなかった。彼の心をつかもうとして,多分,不愉快にさせてしまったことを悔いる気持ちもある。しかし,人間関係において小手先の技は通用しない。正面から本音を言って,それでうまくいかない関係があっても,それはそれでいいのだと思う。(p146)
 彼女(草間彌生)のアート作品の特徴でもある細かいドットは,性器のシンボルである。おそらく彼女には,性に対する強烈な原体験がある。そう考えた僕は,性の情念を小説にぶつけるよう助言をした。(p155)
 尾崎豊は「猜疑心」「嫉妬心」「独占心」など負の情念の塊だった。彼は「愛」とか「信頼」「絆」や「友情」「献身」などをまったく信じていなかった。信じていなかったからこそあれだけの歌詞とメロディで,感動的な歌を歌えたのだと思っている。(p163)
 テクニックで書いてもその人に切実な表現したいものがない限り何も伝わらない。(p165)
 本書(沢木耕太郎『深夜特急』)に魅せられて,多くの若者が旅に出た。しかしほとんどの旅は浅薄なものだ。それは旅の持つ本質に気づいていないからだ。旅の本質とは「自分の貨幣と言語が通用しない場所に行く」という点にある。貨幣と言語は,これまでの自分が築き上げてきたものにほかならない。(p172)
 五木さんは僕に「これで買い物をしていらっしゃい」とポンと100万円をくれた。その当時の僕にとってとんでもない大金だ。ジャケットから鞄,靴まで,欲しいものを片っ端から買いまくった。一種の恍惚状態になったとも言えるだろう。あれほど買い物が官能的だと思ったことはない。(中略)あれは僕にとって唯一無二の体験で,「物事は徹底的にやり切らなければ見えない世界がある」と感じる出来事だった。(p177)
 読書し尽くす,飲み尽くす,お金を使い尽くす。動き方が極端であればあるほど,官能が生まれ,文学的なメッセージを帯びる。狂ってこそ初めてわかることがある。(p184)
 恋愛の理不尽さに比べれば,仕事のそれなど甘いものだ。(p185)
 困難に陥ったときには,人は藁にもすがろうとする。そのときに心のよすがをどこから得るかといえば,やはり読書しかない。困難を突破する答えは,スマートフォンで検索すると出てくるように錯覚しがちだ。しかしそうして出てきた答えが,自分の人生を前に進めることはない。(p192)
 出版界の未来とか,電子書籍がどうなるとか,そんなことはどうでもいい。僕はエゴイストだから,目下の関心事は「どうやって微笑しながら死ぬか」。それだけだ。そもそも僕がなぜここまで仕事に没頭するかといえば,死の虚しさから逃れるためだ。(p196)
 死の瞬間を迎えるとき,僕は何もかも失っているかもしれない。信じていた人に裏切られているかもしれない。しかしどんなに貧乏で,どんなに孤独だったとしても,僕が○だと思えば○だ。人が決めることではない。(p198)
 社会の中で何も実践していないときは,人間は「天使」だ。しかしいざ,現実の生を生きようとしたときに,さまざまな困難や危険にさらされる。葛藤し苦悩し,血を流さずにはいられなくなる。つまり「天使」ではいられなくなるのだ。(p220)
 しかし世の中には,認識者にすらなれない人間が多い。「認識者」という土台なくして,良き実践者になることは絶対に不可能だ。(中略)そして認識者になるためには,読書体験を重ねることが不可欠だ。(p220)
 人生は短く,一瞬で消える夢のようなものだ。だから真面目くさって生きるのではなく,ただ狂って色濃く生きればいい。(中略)人生なんて一夜の夢にすぎない。だったら極端をやり切ったほうが面白い。(p222)
 ただ,団鬼六は,16歳でオペラ歌手になると決意したことを皮切りに大学時代は演劇に熱中,劇作家としてデビューし,翻訳の仕事をしながら小説も発表,中学の英語教師を始め,テレビや映画の仕事も猛烈にこなしている。生涯,小説を書き続け200以上の本を出版している。ものすごい量の仕事をやり遂げた上で,「一期は夢よ,ただ狂え」と言っているのである。(p223)
 彼らの作品は,民主主義国家にとっては都合が悪い。なぜか。それは民主主義国家の支配を揺るがす三つの要素を含んでいるためだ。その三つとは,変態性癖,非定住者,暴力である。(p224)
 縛りや制約と格闘すればするほど,その葛藤と懊悩の深さは,黄金の果実を実らせるはずです。(p233)
 正確な言葉がなければ,深い思考はできない。深い思考がなければ,人生は動かない。(中略)読書はそのための最も有効な武器だ。(p236)

2016年3月10日木曜日

2016.03.03 林 真理子・見城 徹 『過剰な二人』

書名 過剰な二人
著者 林 真理子
   見城 徹
発行所 講談社
発行年月日 2015.09.29
価格(税別) 1,300円

● 宇都宮駅ビルの八重洲ブックセンターで購入して,しばらく読まないでいた。読み始めてみれば一気通貫。第一級の人生訓が収められている。

● 見城さんがしばしば書いていることが,本書にも登場する。
 彼らとの付き合いが深まるにつれ,僕ははっきりとあることを自覚した。それは,「この人たちは,書かずには生きていけない」ということだ。彼らは自分の中に,侵み出す血や,それが固まったかさぶたや,そこから滴る膿を持っている。それらを表現としてアウトプットしなければ,自家中毒を起こして死んでしまうのだ。 それだけのものは,僕にはない。書かなくても,僕は生きていける。(見城 p48)
 創造するとはどういうことか。創造には何が必要なのか。それをここまで簡潔明瞭に解き明かしている文章を,ぼくはほかに知らない。

● 以下に,長すぎるであろう転載。
 小説は,文章描写の芸術である。しかし,ただの描写ではいけない。細部を描くことによって,人物なら人間性や肉体を感じさせ,その人の人生まで表現しなければならない。(見城 p56)
 細部にこだわることの大事さは,小説に限らないと僕は思う。ビジネスもそうだ。ビジネスとは一般的に,合理的な経済活動と思われている。そのため,人間的な要素を軽視する人が少なくない。しかし,ビジネスは,何よりまず,人間の営みである。それは多くの感情的な細部から成り立っている。(見城 p58)
 僕はとにかく,才能のある人間が好きだ。僕が編集の仕事をしているのも,いろんな才能に出会えるからだ。(中略) すべての素晴らしい作品は,たった一人の熱狂から生まれるのだと思う。逆に,熱狂のないところに,創造はない。熱狂のないところから出てきた作品は,結局,人の心に響くことはないだろう。(p67)
 匿名のジャーナリズムなど,ありえない。匿名である限り,ネットが正当性を認められることは,絶対にない。(見城 p75)
 人間は,便利さがすべてではない。僕などは,劣等感をバネにして仕事をし,生きてきた。もし僕の少年時代からネットがあり,そこで憂さ晴らしをしていたら,僕の人生はもっと薄っぺらなものになっていただろう。 人間は,負のエネルギーを溜めなければだめだ。それが醸成されて,何かを成し遂げ,人生を豊かにできるのである。(見城 p76)
 仕事の一番重要な点は,嫌なことでも我慢しなければならないこと。給料は,ガマン代と言っていいでしょう。この我慢が,忍耐力という,生きてゆく上で何より大事な力を身に付けさせてくれるのです。(林 p84)
 若い頃は,モテたい気持ちが強かったが,年齢を重ねると,そうではなくなったと言う人がいる。そういう人は,仕事に対する意欲も落ちているのではないだろうか。僕はいつまでも女性に振り向いてもらうために,仕事を頑張り続けたい。(見城 p88)
 自己顕示欲が,仕事の原動力になるのは,間違いない。しかし,それだけではだめだ。僕は,一方で,同じ分量の自己嫌悪が必要だと思う。(中略)自己顕示と自己嫌悪の間を揺れ動くから,風と熱が起きる。それがその人のエロスであり,オーラなのだ。(見城 p88)
 仕事は,あくまで生活の手段であり,家族との時間など,プライベートを充実させることが,人生の目的だと言う人もいる。僕には,そのような仕事との向き合い方が信じられない。(見城 p90)
 僕は角川書店の社員の中で,一番稼いでいたと思う。入社1年目から退職するまで,それは続いた。誰よりも仕事をしている自信もあった。ギリギリまで頑張っている手応えが,僕を支えていた。(p121)
 仕事のできる人には特徴があります。それは,見た目がシンプルだとうこと。(中略)私は,プロとアマチュアの違いとは,無駄の差だと思います。プロはとにかく無駄がありません。これは女性の場合,とくに顕著です。ファッションや立ち居振る舞いがすっきりとし,どことなく引き締まった感じがします。(林 p123)
 私自身,型やスタイルの大切さに気付いたのは,大人になってからです。日本舞踊を始めたり,着物を着るようになったりして,ようやくわかりました。姿勢がよくなったり,動作ががさつでなくなったり,見た目がよくなることは,大変な自信を生みます。(林 p126)
 僕自身,仕事のできる女性には,とても魅力を感じる。仕事とは厳しい半面,正直でもある。打ち込めば,必ず実りがある。そこに,男女の違いはない。(見城 p131)
 人の心をつかむには,努力しかない。それもただの努力ではない。自分を痛めるほどのものでないと,意味はない。この痛みが,人の心を動かすのだ。自分を痛めない表面的な努力では,決して人の心はつかめない。(見城 p143)
 売れるコンテンツには4つのポイントがある。オリジナリティ,明快,極端,そして癒着である。僕はこれを,「ベストセラー黄金の4法則」と呼んでいる。(見城 p151)
 自分が生きるべき場所への嗅覚が,働いたのだと思います。この嗅覚は,誰にでもあるのではないでしょうか。ただし,自信のある時しか働きません。そのためにも,自信を持つことは,とても大事だと思うのです。(林 p155)
 僕は編集という仕事を選んで,本当によかったと思う。とりわけ僕は,相手が書きたくないものを書かせることに,心血を注ぐのが大好きだ。編集者の一般的なイメージは,作家から原稿を受け取り,それに赤を入れて本にするというものだろう。間違いではないが,ほんの一部でしかない。それよりもっと大事なのは,作家に刺激を与えることだ。(見城 p161)
 何でもいい,自分が好きで,熱狂できるものを仕事にしなければダメだ。熱狂していれば,苦痛はもとより,退屈も虚しさも感じない。そこから必ず,結果という実りが生まれるのだ。 これはとても大事なことである。好きではないことを仕事にしても,本当にいいものが生まれるはずがない。それは人生という限りある貴重な時間の,とてつもない空費である。(見城 p162)
 日本人は,野心を剥き出しにすることを嫌います。「分相応」「身の程を知る」といった言葉も,そうした土壌から生まれたのでしょう。それは建て前にすぎません。建て前を鵜呑みにしてしまっては,損をするのは自分です。 人は常に上を目指していないと,充足感のある人生を送れないのではないでしょうか。「身の程」を知りすぎることは,この充足感を奪ってしまいます。(林 p187)
 私は,運命の正体を知っています。それは意志なのです。(中略)その人はチャンスに,間違いなく自分から近づいて行ったはず。それが運や運命と言われるものの正体ではないでしょうか。運は,自分からつかみに行こうとすれば,必ずつかめます。(林 p194)
 運と意志は,相乗効果を起こします。強い意志を持つ人のところに幸運は,やってきます。するとその人は,ますます強い意志を持つことになるのです。逆に,運はいったん離れると,どんどん遠のいてしまう。(林 p197)
 いい結果に導くのは,どこまでも努力である。努力とは,意志の持続のことだ。多くの人は,簡単に諦めすぎだと僕は思う。(見城 p199)
 僕が会社を始めた時,出版界はすでに斜陽だった。死んでもいいと思うくらいの覚悟がなければ,始められなかったのだ。出版界が下り坂であることを,僕は逆手に取ろうと考えた。(中略)逆風だからこそ,圧倒的努力をして結果を出せば,鮮やかに見えるのだ。(見城 p200)
 「ゆとり教育」とは,個性は余裕の中から生まれるという考え方だと思いますが,私はまったく逆だと思います。個性は厳しさの中からはみ出そうとして生まれるものだと思います。甘やかしの中からは生まれません。(林 p227)
 仕事が,滞りなくすらすらと進んでいるとしよう。たいていの人は,安心するだろう。しかし,僕は,かえって不安になる。そのスムーズさこそ,危険の兆候にほかならない。スムーズに進んでいるとは,自分が楽をしているということだ。そんな時,僕はより辛いほうへ,より困難なほうへと舵を切る。当然,負荷が生じるが,それがいい仕事の実感なのだ。(見城 p231)

2015年3月31日火曜日

2015.03.30 見城 徹 『たった一人の熱狂』

書名 たった一人の熱狂
著者 見城 徹
発行所 双葉社
発行年月日 2015.03.22
価格(税別) 1,300円

● 本書のオビに村上龍の推薦文。見城は濃い男だ,と。まさしく,濃い。どうしたらこうなれるのか。

● これから世に出る若い人に向けての人生指南とでもいうべき内容。結論は,「あとがき」にある。
 僕はいつも「苦しくなければ努力じゃない」「憂鬱でなければ仕事じゃない」と口を酸っぱくして言っている。往く道は苦しい。仕事は憂鬱なことだらけだ。苦しさと憂鬱に耐えて耐えて耐え抜き,精進を重ねて仕事をまっとうする。暗闇の怖さにおののかず,思い切ってジャンプする。こうして生が終わり,死を迎えれば悔いは少なくて済む。(p234)
● 著者は子どもの頃から「死」を怖れる気質だったらしい。怖れるというか,敏感だった。
 死を宿命づけられた生の虚しさを紛らわせるために,僕は子どもの頃から常に何かに入れ込んで来た。そうでもしなければ,死への虚しさに押しつぶされそうになって,居ても立ってもいられなかった。(p22)
 こうしてこの本の原稿を書いている僕も,僕の原稿を読んでいる君も,死というゴール地点へ向かって今も刻々と時間を過ごしている。どうせ生きるならば,仕事に熱狂し,人生に熱狂しながら死を迎えたいと僕は思うのだ。(p39)
 人は必ず死ぬ。今この瞬間は,死から一番遠い。今から1分経てば,僕も君も1分だけ死に近づく。死があって生があり,生があって死がある。生と死は不可分だ。「自分には死が訪れる」と認識した時,生が輝き始める。生きているうちにやるべきことが見えて来る。(p139)
● 著者の造語の代表作が「圧倒的努力」。
 自分で言うのもおこがましいが,「ベストセラーの裏に見城あり」「角川書店に見城あり」と言われる仕事ぶりだったと思う。「月刊カドカワ」編集長になってからは,少部数だった雑誌を30倍にまで発展させた。無論,これだけの結果を出すからには,人知れず圧倒的努力を積み重ねていたことは言うまでもない。 また当時の上司であった角川春樹さんと僕は,一心同体となって昼夜を分かたず熱狂の時代を過ごした。なにしろ春樹さんが女性と二人の時間を過ごしている時でさえ,僕は女性の家のリビングに待機して,勝手にレコードをかけていたくらいだ。(p25)
 朝から晩まで仕事について考え抜き,骨の髄まで仕事にのめり込む。そして上司や同僚ができない仕事を進んで引き受け,結果を出す。そうすれば,自然と仕事は面白くてたまらなくなるはずだ。(p27)
 圧倒的努力とは何か。人が寝ているときに寝ないで働く。人が休んでいるときに休まずに動く。どこから手をつけていいのか解らない膨大なものに,手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び,その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても,自分だけはあきらめない。(p29)
 「もうダメだ」からが本当の努力である。(p31)
 他人には想像もつかないような圧倒的努力を積み重ねて初めて,結果は後から付いてくる。薄っぺらな野心や野望如きで這い上がれるほど,現実は甘くはない。「頑張れば夢はかなう」などと言っている時点で,すでにその人は戦わずして戦いに敗れている。(p153)
● しかし,その圧倒的努力も,それが好きであればこそだ。何に対しても,圧倒的努力を注げるわけではない。
 好きだからこそ圧倒的な努力ができるのであって,出版物のデジタル化に向け僕が圧倒的努力をするのは無理だ。そういうのは部下に任せる。(p113)
● 一方で,著者は小さなことにクヨクヨする人間でありたいとも言う。義理人情を大事にしない人間はダメだとも。
 仕事ができない人間には決まって共通点がある。小さなことや,片隅の人を大事にしないことだ。(p91)
 つまらなく地味な雑用でも自分の心がけ一つで黄金の仕事に変わる。僕は常に小さなことに後ろ髪を引かれ,小石につまずき,小さなことにクヨクヨする人間でありたいと思っている。(p93)
 GNO(「義理」「人情」「恩返し」)こそが,仕事においても人生においても最も大事だと思っている。 相手の心をつかみ,いざという時に力になってもらうにはどうすればいいか。「あの時良くしてもらった」「お世話になった」と相手に思ってもらうことが大切なのだ。(p95)
 僕はこれまで何人もの政治家と会って語り合い,食事をして来た。政治家の中でも,安倍晋三さんは傑出している。 安倍総理はGNOの人だ。(中略)人の信用と信頼を損ねることがないし,約束は必ず守る。驕らない。無私無欲に生きる。人間として超一級の総理大臣だ。お会いするたびに,リーダーとは斯くあるべきだと感嘆する。(p97)
● もうひとつ。ビジネスはまず儲けてなんぼだということ。利益をあげなければ次に進めない。
 視聴率にこだわるテレビマンを批判する人がいるが,きれい事だけでテレビは成り立たない。面白く,なおかつ視聴率を取れる番組を量産してこそ,低視聴率だが骨太のドキュメンタリーにまで予算を回せるのだ。(p46)
 僕は部数がいくら出たか,利益がいくら上がったかという数字にこだわり続けたい。売れる本は良い本である。視聴率を取るテレビ番組は優れている。大衆は愚かではない。大衆の支持によって数字を弾き出すコンテンツは,おしなべて優れているのだ。愚かなのは,数字を曖昧にして自分の敗北を認めない表現者や出版社の方なのである。(p47)
 ビジネスの成功を証明する解答はたった一つしかない。自分は圧倒的な努力によって,圧倒的結果を出した。そう断言できる根拠はただ一つ,数字だ。数字にごまかしはきかない。逆に言えば,数字を曖昧にする人間はビジネスの成否をごまかしている。(p133)
 儲かることは善である。ビジネスという戦場で金を儲けて結果をだした段階で,始めて理念を訥々と口にすればいいのだ。 「理念のために起業する」といきなり宣言するような生半可な起業家は,まず成功しないと考えて間違いない。(p134)
 極論を言えば,起業家に理念なんて必要ない。「この仕事なら自分は無我夢中で働ける」という仕事に懸命に取り組む。圧倒的努力を費やし,結果を出す。結果が出た時に初めて「実はあの時,僕はこういう理念を持っていたんですよ」と言うくらいでちょうどいい。さらに言えば,理念なんてあと付けで作ったって構わないのだ。(p134)
 今の日本では,「金儲けは善である」と言えばバッシングされる。成功者はたちまち攻撃され,足を引っ張られて階段から引きずり下ろされてしまう。利益を上げることが一番の善だと信じない限り,ビジネスなんてできはしない。 「自分は金のためだけに仕事をしているわけではない」と言う人は,何をエクスキューズしたいのだろう。仕事が成功して金が儲かる。おおいに結構ではないか。(p157)
● その他,転載。
 どこまで自分に厳しくなれるか。相手への想像力を発揮できるか。仕事の出来はこうした要素で決まるのであって,学歴で決まるわけではない。(p17)
 身体がだらしなくたるんでいる状態では仕事という戦場で闘えないから,僕は今日も身体を鍛える。(p34)
 家に戻ると,「報道ステーション」「NEWS ZERO」などその日のニュースを一通りチェックする。テレビを消してからは,今日の自分の言動はどうだったか,経営者としての判断はどうだったか省察する。自分が発した言葉によって誰かを傷付けていないか,やり残したことはないか,その日起きた出来事を振り返って思いを巡らせる。(p50)
 僕は1日に10回は手帳を広げる。そこには(中略)todoリストが書いてあり,用事が済んだ時には赤いボールペンで線を引いて消す。相手が言ったことのうち,感動したセリフや心に引っかかった言葉も手帳にメモする。改善すべき点,部下に確認し忘れたことがあれば,すぐさま手帳に書く。翌日の用事を確認し,前夜のうちにやっておいた方がいい準備があれば進める。(中略)不眠症は何十年も続いており,これからものんびり眠りにつける日は当分訪れないだろう。(p51)
 会議に要する延べ時間を計算してみるといい。1時間の会議に10人が出席していれば延べ10時間。その会議を3回繰り返せば延べ30時間だ。これだけの時間を集中して仕事をすれば,どれだけの成果を上げられることか。(中略) 僕が担当者一人ひとりと企画について話し合い,心を切り結んで行けばそれでいい。(p64)
 定型にとらわれた会議でしか企画が生まれないとすれば,それらの企画は平均点のつまらない内容になりがちだ。脳みそを洗濯機にかけるように,頭の中で考えていることをシャッフルする。直感とヒラメキに耳を澄ます。イノベーションとは,会議室から荒野へ飛び出した瞬間から生まれるものだ。(p65)
 僕は常々「10万部のヒットを1回出せた編集者は,それから何度でも10万部の本を作れる。30万部のヒットを1回出せた編集者は,それから何度でも30万部の本を作れる」と言っている。 ひとたび成功体験を得れば,壁を突破するための方程式が見える。それが肉体化する。(p68)
 傲慢な人間からは仲間は離れ,謙虚な人の周りには協力者が集まる。ビジネスの世界を勝ち抜く本当のしたたかかを持っていれば謙虚に振舞うのは当然だろう。おごれる者は久しからず。謙虚であることは,成功を続けるために必須の条件なのである。(p69)
 おそらく出版界で,僕ほど作家の原稿に朱を入れた編集社は少ないと思う。相手がどんな大物作家であっても,僕は僕の価値観で朱を入れてきた。濡れ場を描くシーンであれば「こんな性格の人はこんなセックスをしません」と,ズバズバ思ったことを指摘する。作品に正解なんてないのだから,それは完全に僕の勝手な価値観だ。 しかし,編集者として向き合っている以上,僕は僕の想いを全身全霊でぶつけるしかない。(p72)
 銀色夏生と僕の価値観は全く違う。あくまでも価値観が相違しているだけであって,不愉快とか嫌いと感じるのは筋違いだ。銀色夏生という異物と妥協するのではなく,異物を丸ごと呑み込んでしまえばいい。そう思った瞬間,一度は腹を立てた彼女にまた会いに行けると思ったのだ。 この異物感こそが,この世にあらざる価値を生み出すに違いない。(p84)
 極端な例で言えば近親憎悪や親殺しまで含め,物語の筋書きにしても人間の感情の揺れにしても,せいぜい30パターンくらいしかないものだ。(p87)
 正面突破で仕事をすることによってギアがピッタリ合う作家もいれば,波長が相容れず縁がないまま終わる作家もいる。後者のパターンになることを怖れ,作家と可もなく不可もないやりとりなんてしたくない。相手の顔色をうかがい,お世辞に終始する仕事などやりたくないのだ。(p89)
 『麻雀放浪記』を書いた阿佐田哲也さんか,麻雀とは何ぞや,人生とは何ぞやという哲学を僕は何度も教えてもらった。ある時,阿佐田さんが僕に語ってくれた言葉が,今でも忘れられない。 「見城,君は10万円を手に競馬に出かけ7万円も負けた時点でもう勝負に負けたと思うだろう。それは違うよ。9万9900円負けても,負けが決まったわけじゃないんだ」(p104)
 なぜ僕がいつも「ゼロに戻す」と自分に言い聞かせているのか。ひりついていたいからだ。ゼロに戻せば持ち物はなくなる。(p108)
 そんな僕も,50代半ばになってからは億劫になることもある。以前は1週間に2回は映画や舞台を観ていたが,「雨だからな」とか「今日は腰が痛くて嫌だなと足が遠のく。 しかし「まぁいいか」と思った瞬間,崖の下へ転げ落ちる。(p109)
 世界で活躍するアスリートは,次から次へと現れるライバルにいつ消されてもおかしくない。経営者も同じだ。(中略) 幻冬舎を立ち上げてから,僕は鉄板の上で火あぶりにされるようなジリジリした緊張感にさらされて来た。この重圧は,角川書店時代にはまったく味わったことがないものだった。(p122)
 今の日本で,普通に大学を卒業した人なら,少し努力すれば就職先なんて見つかるに決まっている。 厳しい言い方だが,何も仕事が見つからない人は背筋が曲がっているのではなかろうか。すべては生き方の集積だ。現状に甘んじ,当たり前の努力すらできない生き方をまず変えるべきなのである。就職が決まらないのは誰のせいでもない。君のせいだ。君がまったく方向違いの生き方をして来たせいで,どこの企業にも採用してもらえない。(p126)
 終身雇用に守られて一つの職場で働き続けるにせよ,転職や起業をするにせよ,一番駄目なのは現状維持だ。現状維持していれば波風も立たないし,面倒くさいこともない。苦労もしなくていい。悪く言えば,今まで通りに流されていればいいわけだ。 人は易きに流れるものだから,現状維持の心地よさにどうしても甘んじてしまう。だから今いる職場で,生まれ変わったように仕事に打ち込むことができない。(p138)
 「彼女に愛を告白しようと思います。自分は高収入ではないのですが,どうしたらいいでしょうか」と質問して来る人もいる。答はこうだ。「彼女はあなたのことを何とも思っていないでしょう。『自分は高収入ではない』なんて卑屈なことを言っているようでは話になりません。他にあなたの魅力はないのですか? 諦めるべきです!」。(p195)
 大事なのは自分がコントロールできる範囲の負けを自ら作ることだ。勝っている時に敢えて負ける局面を作り,勝ち負けのアップダウンを制御できれば「運を支配した」と言える。海外のカジノは,勝ちの記憶にしがみついているせいで勝ち逃げできない人だらけだ。(p207)
 絵には不思議な引力があり,気に入った絵は1億円だろうが2億円だろうがどうしても欲しくなる。ギャラリー巡りをしていると,しばしば一目惚れする絵に出会ってしまうから恐ろしい。(p211)
 大富豪のくせに金払いが悪い残念な人を見ると,僕はげんなりしてしまう。何百尾君と持っているのに使おうとせず,30~40万円をケチる人が結構いるのだ。(p215)
 時計や服にしても,絵画にしても車にしても,中途半端な気持ちで欲しいと思うものを5個も6個も買ったところで,そのうち飽きて要らなくなってしまう。 安い買い物をしてあとで後悔するくらいならば,本当に欲しいものだけを一点買いした方がいい。(p219)

2013年12月16日月曜日

2013.12.16 NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ編 『見城徹 編集者 魂の戦士』

書名 見城徹 編集者 魂の戦士
編者 NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ
発行所 KTC中央出版
発行年月日 2001.12.27
価格(税別) 1,400円

● 以前,NHKで放送されていた「ようこそ先輩」を書籍化したもの。一気通貫で読了。落ちこんだときのカンフル剤としては最上のものでしょう。
 この本に登場するのは小学6年生の男の子と女の子たち。今は大学を卒業して社会人になったかどうかの年齢だ。今の彼ら彼女らに,このときのことを訊ねてみたい。

● だれもが見城さんのように生きれるわけではない。なぜなら,彼ほどの欠落を抱えている人は少ないだろうから。正確にいうと,欠落を欠落と認識できる人は少ないだろうから。
 あるいは,たいていの人は小器用に世間に合わせていけるだろうから。

2012年11月12日月曜日

2012.11.12 見城 徹 『異端者の快楽』


書名 異端者の快楽
著者 見城 徹
発行所 太田出版
発行年月日 2008.12.15
価格(税別) 1,600円

● 『編集者という病い』は強烈だった。尾崎豊との関わりは凄まじかった。ここまでやらないと本や雑誌は作れないのか。
 尾崎豊は普通にいえば生活破綻者。ひょっとすると人格障害という診断名まで付いてしまうのではないか。その破綻者に徹底的に寄り添っていくと決めた,見城さんの決意と見通し(打算といってもいい)はあまりにもプロフェッショナルで,こんなことができるのは千人に一人いるかどうか。当然,ぼくにはできない。裸足で逃げだすに違いない。
 一方,生活は破綻していても,見城さんをしてそう決意させるだけの力を尾崎豊は持っていた。

● 本書の「序章 異端者の祈り」はアジテーションとして出色。若者がこれを読むと,自分も異端者たらんとする人が出てくるかもしれない。もちろん,なろうとしてなれるものではない。やめておけ。
 坂本龍一や尾崎豊に象徴されるようにクリエティブな活動に関わる才能は,それを持とうとしてもてるものではない。真の表現者はつねに異端であり,石原慎太郎の言葉で言えば「ゲテモノ」でありフリークスなのだ。異端のDNA。マジョリティ=共同体からこぼれ落ちる悲しみと他人には通じない官能の回路を持って,暗闇に向かって跳躍を続ける表現者たち。(p13)
 自分は共同体の規範から外れた快楽原則に突き動かされてきた。どうにもならない本能で動いているから,どんな辛苦にでも耐えられる。(中略)表現に関わる仕事に寄る辺などない。まして社会的権威,政治的正義,道徳や良識などどこにもない。(p14)
● 本書は見城さん自身のエッセイ,見城さんが受けたインタビュー記事,対談によって構成される。
 対談の相手は,さだまさし,中上健次,石原慎太郎,藤田宜水,鈴木光司,内舘牧子,田島照久,杉山恒太郎,熊谷正寿。

● さらに,多すぎる引用。
 いい奴には大した作品はつくれないと思っている。作品さえよければ,相手が殺人者であろうと性的異常者であろうと,誰だってかまわないと思っている。俺を感動させてくれれば,どんな相手でも体を張って守ってやろうと思うわけです。(p26)
 ぼくの持論で,売れたりブレイクしたり感動させるものには,必ず四つの要素があります。 それは,「明快であること」「極端であること」「癒着があること」「オリジナリティがあること」。この四つを満たしていれば,本は必ず売れる,芝居もヒットする,テレビは視聴率を取る,と思っています。(p35)
 不可能だ,無理だ,無謀だと言われることを,圧倒的な努力で可能にしたときに,結果というのは出てくる。それが一番鮮やかなんです。それがその人や,その組織の伝説を作っていく。(p46)
 アルバムが100万枚売れていくミュージシャンっていうのは,みんな例外なくツアーをやってるんですよ。(中略)ツアーをやって,その人の声やその肌触りみたいなものがちゃんと伝わる。胸の鼓動や吐く息が。その上でアルバムを出すことを,音楽界ではとうの昔からやってる。それを出版界ではやってないんですよ。(p151)
 幻冬舎で売れている本を指して「こんな本が売れてもねぇ」と言われることがある。でも,それが売れてしまうのは,「こんな本」のなかに大衆が嗅ぎ分けた価値が潜んでいるからだと僕は思う。「大衆が欲していたものがそこにある」ということにほかならない。100万部売れたら,100万人が買ったという事実が,すべてを物語る。僕は,文学や文化は「こういうものだ」と大上段に言うつもりはまったくなくて,人々が望んでいるものを提供するのが僕にとっての「本当にいいことをやる」ことだし,そこに価値があると思っているんです。(p187)
 テレビというあの形態を,インターネットが凌駕するとか,包摂するということはあり得ないというふうに思っています。インターネットで何かやっても,本に関してはほとんど影響力はないですよね,今。僕の実感としては。(p197)
 その共同体から滑り落ちる羊の内面を照らし出すのが表現だというふうに思っているんですね。そのために表現はある。(中略)表現がある限りはすべてを奪われても,表現というものが残っている限りは,その人はすべてを失ったことにはならないというふうに思っているわけです。 (中略)だからものすごく抑圧されているものからしか,芸術というのはあまり出てこない。能でも歌舞伎でも狂言でも,華でもお茶や庭でも,全部それは差別があるところからしか出てきていない。(p199)
 すべては死ぬということから人は一回きりの人生を,短い生涯で体験して死ぬという,それがあるからあらゆる感動はあると思うんです。切なさも哀しみも恍惚も絶頂も,すべては死ぬということが定義づけられているからあると思っているんです。だから人が死ぬ運命にある限り表現というのは不滅なわけです。(p204)
 活字離れとか文芸の衰退なんて世間では言われているようですが,衰退しているのは文芸を編集する側ですよ。出版社側は,作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに絶えず耳を澄ましているべきなのに,それができていないだけなんです。(p257)
 そもそも編集者っていうのは,「人の精神」という目に見えないものから商品を作り出すという,じつにいかがわしいことをやっているわけです。それを誠実な営みとして成立させるためには,「これはお決まりのお仕事です」というような安全地帯に編集者がいるようでは話にならない。その生きざまが激しく問われることになるわけですよ。(p258)
● 見城さんのキーワードは,タイトルにもなっている「異端者」と「圧倒的努力」。こうして引用なんかしているようなやつには,無縁の世界だとわかっている。
 見城さんとぼくを分かつものは何なのだろう。結局,ぼくは共同体に馴染める体質だったってことか。だから自分の人生を徹底して見つめる必要に迫られなかった。安逸に生きることができるタチだった。
 でも,それだけじゃないよなぁ。