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2014年11月12日水曜日

2014.11.12 邱永漢 『鮮度のある人生』

書名 鮮度のある人生
著者 邱永漢
発行所 PHP
発行年月日 1997.03.07
価格(税別) 1,165円

● 邱永漢さんの著書は,すべて読んでいる(と思う)。小説や食味エッセイから,経済評論や利殖関係のものまで,書店の新刊コーナーで見かければ必ず買って,その日のうちに読む。ずっとそうだった。
 したがって,邱さんの本はだいぶ書棚に溜まっている。それら(邱さんの本に限らない)を処分する作業を進めている。基本,古紙回収の日にゴミステーションに持っていく。大量になる。一部は,こっそり地元図書館のリサイクルコーナーに置いてくる。

● 最近,その作業が加速している。躊躇なく捨てることができるようになった。本に投じた金額を考えない。
 よほどのことがなければ再読することはない。読んでいない本も大量にあるけれども,それらも含めて読みそうにないものはどんどん捨てよう。

● 自分が死んだあとのことも考えなくちゃいけない年齢になった。本など残されたら,遺族(=ヨメ)にとっては迷惑でしかない。人に迷惑をかけるくらいなら,自分で処分できるものは処分しておくべきだ。
 再読のための時間だってすでに限られていることを認識せざるを得ない。

● という次第でガンガン処分中。本書も捨てようとしたものなんだけど,背表紙のタイトルが目にとまった。捨てる前に読み返しておこうと思った。
 なぜ目にとまったかといえば,自分の年齢がそうさせたんでしょうね。歳をとったらどう生きるかという本だからね。

● 昔のように一気通貫では読めなくなっていた。何日間かかけてしまった。内容は明晰だし,歯に衣着せぬ潔さがあるし,読みやすい文章だから,そんなに時間がかかる理由はないんだけど。
 若い頃と違って,身に染みる度合いが大きくなっていたからかもしれない。

● まず,老いて気をつけなければいけないのは,惰性に身を任せないことだ。
 「馴れは好奇心の最大の敵」だから,日常生活の中に次々と新しい発見をするか,新しい物を探してそれを生活の中に取り入れるか,でなければ,新しい体験をするチャンスを自分でつくるかしなければすぐにも退屈してしまう。(p86)
 面倒臭がって同じことをくりかえすのが年寄りのおちいりがちな習性だが,それを意識的にやめなければ,毎日が新しい日にはならないのである。そのためには,お金を溜め込んでしまっては駄目で,毎日,努力してお金を使わなければならない。これが案外できそうでできないのである。(p213)
 その前に老年期がどういうものが,しっかりと認識しておくべきだ。
 人生は六十歳で終わりだったのが八十歳まで延長されたというが,最後の二十年を安逸に送れるという保証があるわけではない。それどころか,老後は心配事の多い,煩わしい,しかも故障続きのポンコツ人生が多いのである。(p176)
● 著者はかなり早熟の人だったようで,中学生のときにはホメロスの『オデュッセイア』やダンテの『神曲』など片っ端から読破する文学少年だったらしい。
 尋常科(七年制高等学校の中等部)の二年の時から文学書を読みはじめ,三年生の頃には,もう『文芸台湾』というオトナの雑誌の同人に名をつらね,新聞記者や学校の教師をしている連中と肩を並べて雑誌に寄稿をしていた。(p114)
 惰性に身を任せないためには,克己のほかに知性が必要だろう。その知性が老年期に突如としてわきでることはあるまいから,老年期に足を踏み入れたときには,もう勝負はついているのだろう。

● 他の職業に対する著者の味方も斬新というか,本質をついているというか,ウゥーンと唸らされる。
 著名なトーナメントには莫大な賞金がかかっているから,それに優勝するプロゴルファーを英雄みたいに扱う風潮があるが,棒で球を叩くことがどんなにうまくとも,人間として何ほどの事があろうか,と改めて考えさせられる。(p35)
 物書きは知的な作業を伴うから,頭脳の働きが鈍ると世間からお呼びがかからなくなって仕事がなくなってしまう。(中略)その点,画描きは死ぬまで絵筆を離さない人が多い。不思議と長生きするから,もしかしたら小手先の仕事ではないか,と憎まれ口の一つも叩きたくなる。(p139)
 芸術活動に従事している人でもほんの一握りの例外を除いては,ほとんどがあとに残らない仕事に一生を賭けているだけといってよい。(中略)生きている間が花で,自分の生命を賭けて仕事に打ち込むことができれば,それでよしとしなければならないのである。(p141)
● 健康に対する著者の提言。
 昔から中国では,九のつく年齢は転運,つまり運の変わる曲がり角でるといわれている。そういった意味では,四十九歳も,五十九歳も人生の曲がり角である。五十九歳の曲がり角を無事乗り切ることができたら,あと十年は健康で生きる確率が高いといわれている。(中略)六十九歳の坂はさらに一段と厳しい坂になっている。(中略)そこに至る坂がどのくらい険しいかについては実際に自分で登ってみなければわからないものである。(p155)
 「腹八分目は健康のもと」といわれているけれども,長生きをする人を見ていると,食欲旺盛で大食いの人が多い。少々くらいの暴飲暴食など気にするほどのことではないのである。つまり,丈夫な胃袋に恵まれた人のほうが小心翼々として健康に気をつけている人よりは健康に恵まれるものである。(p192)
● その他にもいくつか転載。
 自分のいままでのライフ・スタイルに限界を感じ,それを一新しようという時は,自分がこれだけは自分のものとして大事にとっておこうと思う物を真先に捨てなければならない。(p23)
 物書きにとっては異常体験が財産で,馴れ合いが一番禁物だと思ったので,文士の集まりにもほとんど顔を出さなかったし,趣味もなるべく同じでないように,と心がけた。(p29)
 人間の生きている時間は,医学の発展と共に延長されたのに,社会が人間を必要とする時間は逆に短縮されつつある。(p64)
 年をとったら,経験を積んだ分だけ賢くなるというのも嘘で,人間の才能には思い切って開花する年齢があるように思う。たとえば,先入観にとらわれず独創的なアイデアを生むのは,多分,三十歳になるまでの五年か十年くらいだろうし,経験を積んで賢くなった分だけ経験を事業や学問に生かせる年齢はせいぜい五十歳までであろう。(p118)
 うまい料理をつくったら,うまいと誉めてくれる人がいないと,料理の水準だって高くはならないのである。日本料理にしても,中華料理にしても,またフランス料理にしても,賞味してくれるそうしたパトロンがいるおかげで発達してきたものである。(p194)

2012年10月31日水曜日

2012.10.30 邱永漢 『相続対策できましたか』


書名 相続対策できましたか
著者 邱永漢
発行所 PHP
発行年月日 2009.03.26
価格(税別) 952円

● 副題は「お金はあの世に持っていけない」。相続税を払わされるほどの資産をぼくが持っているはずもない。あの世に持っていけるほどのお金はない。
 にもかかわらず,なぜこの本を読んだかといえば,邱永漢さんの作品だからということになる。若い頃からこの人の著書は必ず読んでいた。小説から食や旅のエッセイ,株やお金に関するものなど,えり好みはしなかった。
 この『相続対策できましたか』だけ買いそびれていた。書店を探しても見つけられなくて,やっと今回読むことができた。

● なぜそんなにハマッたのか。透徹したリアリズムに惹かれたのかもしれない。目がくらむような知の発露に憧れたのかもしれない。文壇と実業の両方に籍をおき,巷にピタッと着地している安定感が心地よかったのかもしれない。
 台湾人の父と日本人の母。台湾人として生き,香港の女性と結婚し,日本に住み,晩年は中国に活動の拠点をおいた。そうした場所に絡め取られない生き方を羨望したのかもしれない。
 生命が危うくなるような目にも遭った。お金を商売の種にしながらお金と距離をおいていた。ほとんどの人にはできないはずの,自分と自分がいる環境に対する冷徹なまでのメタ認知。そういう姿勢に感嘆していたのかもしれない。
 その邱さん,今年の5月に故人となられた。

● 「まえがき」で次のように書いている。
 コツコツお金を貯めることからはじめて大事業家になり,税金をどう払って,あの世に持っていけない莫大な遺産はどうするかというところまで,全六巻でお金儲けのシリーズの本を書こうかという気を起こしました。
 一冊目の『お金持ちになれる人』(筑摩書房)からはじまって,『損をして覚える株式投資』『企業の着眼点』『東京が駄目なら上海があるさ』(以上PHP研究所),『非居住者のすすめ』(中央公論社)と続けて五冊を世に出し,今回やっと一番最後の『相続対策できましたか-お金はあの世に持っていけない』を書きあげたところです。
 これで無一文からスタートして億万長者になるためにはどうすればいいのかという目のつけどころについて,ひと通り私の考え方を申し述べたつもりです。世に株式評論家とか,経済研究所の所長とかをつとめる人は少なくありませんが,ご自分でお金儲けができて,原稿料やサラリーはいらないという人は滅多におりません。それに比べると,私がこの六冊の本で述べているようなことを実践すれば,少なくとも私程度の小金持ちにはなれる,場合によっては私以上の世界的な大富豪になれるという自信を私は持っています。
 ぼくはそのすべてを読んでいる。が,お金持ちにはなっていない。たんに読むだけの人は貧乏なまま。当然だね。

● 続いて,いくつかを引用。
 年を取るということは生きている間,家庭の恥をいかにして世間から隠すかということだと妙な確信を持つようになった(p16)
 家業のスケールだった仕事を上場企業のスケールまで伸ばした人たちを私はたくさん知っています。そうした人たちの中で,最初から自分の子供たちに見切りをつけて、親のつくった企業を継がせることを断念した人もたまにはいますが,大抵は何とかして後任社長に育てあげたいと涙ぐましい努力をします。でもほとんどが成功していません。(p40)
 中国には昔から「状元仔(高等文官試験に合格する子供)は生みやすいが,生意仔(商売の上手な子供)がなかなか生まれない」という諺があります(p87)
 私はお金儲けを球乗りの名人にたとえて,新しく大きな屋敷を構えた家には必ず球乗りのうまい人が一人いて,あとの家族は皆,その人に抱えられて生きている姿を想像します。その人が生きている限り,家族は何の心配もないですが,その人が死んだり,球から滑り落ちたりすると,皆その家から出ていかなければならなくなります。(p125)
 本当のことをいえば,人間の社会はどこまでいっても格差社会が続くのではないでしょうか。そうした格差社会のせめてもの救いは,お金儲けの才能は遺伝しないということです。(p142)
 お金は儲けただけではまだ半製品で,使ってはじめて完全品になるものです。でも,お金儲けのうまい人は,お金儲けには夢中になりますが,一生をそのために使ってしまって半製品のまま死んでしまいます。(p145)