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2021年11月6日土曜日

2021.11.06 夢枕 獏 『平成釣客伝 夢枕獏の釣り紀行』

書名 平成釣客伝 夢枕獏の釣り紀行
著者 夢枕 獏
発行所 講談社
発行年月日 2016.11.29
価格(税別) 1,600円

● 小説家の釣り紀行といえば開高健の『オーパ!』がまず思い浮かぶ。本書は『オーパ!』よりも知的で洒脱という言い方ができるかもしれない。
 おそらく,釣りの腕前は夢枕さんの方が上ではないか。

● 以下に転載。
 文士が山に登って,山の物語を書くという流れもあった。大町桂月とか,串田孫一とか,新田次郎とかね。文学と山の関係が密だった。(中略)だから苦労するのは当たり前。楽をするということは堕落を意味する,そういう風潮だった。その点,川旅は楽しいよね。(p24)
 川旅の楽しみとは何か。端的に言うと「自由」ということかな。(中略)山小屋だと「何時までに到着して何時までに出発してください」みたいな決まりがあるけれど,川の旅にはそういう窮屈さがない。(p29)
 火を見る楽しみって,人間の根源につながる喜びなのだと思う。それは,川の流れを見ているとココロア落ち着くことにも通じる。どこがいいのかと聞かれても答えるのが難しい,理屈のない喜び。(p30)
 初めての海外は,ヒマラヤだった。二十三歳のときかな。ある意味,その旅で僕の人生は狂ったね。人間,何をやっても生きていけるんだな,ということがわかってしまった。(p32)
 一番大きかったのは,「理想郷はどこにもない」ということがわかったこと。若い頃は,自分はどこにいるべきかがわからない。「もしかしたら,自分にとって,もっといい場所があるんじゃないか」そう思ってウロウロしたけれど,二十代の後半になってようやく,「自分の居場所は原稿用紙の前しかない」ということがわかった。それは大事な認識だった。だから旅に出ても早く家に帰って原稿を書きたいと思うようになった。(p32)
 小説の題材を探すには,近道はないと思う。自分がすきなことを続ける,これしかない。(中略)書いているうちに,書きたいものが増えてきて,四十歳のときに計算したら,僕の頭の中にあるアイディアを一生のうちにすべて書き尽くせないことがわかりました。(p37)
 体を使って,魚という実体のあるものを釣っているけれど,基本的に頭の中の作業でイメージの世界です。(中略)想像力が働かないと釣りにならないんです。(p43)
 誰も正解を教えてくれない。その,正解がないことを楽しむんです。(p45)
 釣りの楽しさのひとつに「いきなり本番に臨める」ということもありますね。例えば楽器を演奏するとき,いきなり本番ということはあり得ないでしょう。(中略)ところが釣りは,どんなに下手でもいきなり本番に入れる。僕はトレーニングの時間があるとダメなんです。(p51)
 生きていると,辛いことや苦しいこともたくさん経験してくるわけだけど,そういう人生経験の引き出しが豊富な人ほど,キングサーモンと対決するときに強いと思いますね。掛けるまでは,いろんなテクニックも必要なんだけど,一度掛かって一対一の戦いになったら,そこから先はテクニックではない。自分の存在すべてを懸けて,真っ向から勝負を挑まなければならない。ちょっとでも弱みを見せたら,負けそうになるんですから。(p67)
 釣りの醍醐味はパニックになれるところにあると,僕は思っているんです。(p69)
 僕にとって釣りは,世界を認識するためのひとつの方法です。竿は世界を知るためのアンテナといってもいい。だから,旅に出ると,必ず竿を出してみる。(p87)
 フライフィッシングを始めてから,イギリス人が世界にどんな影響を与えたのか,わかるような気がしました。(中略)冗談抜きで,フライフィッシングがわかると,イギリス人がわかる。(中略)僕の釣り人生の中で唯一,縛られる釣りであり,縛られることが不愉快でない釣りがフライです。(p97)
 フライをやる以上,フライのルールのもとに身を置かなければならない。(中略)「軽かったらオモリを付ければいいじゃないか」という安易な妥協をかたくなに拒否して,それで成立させているんだから,すごい。(p99)
 釣りは,自分のイメージ通りに釣れてこそ快感なのであって,偶然とか,たまたま釣れるのは嬉しいけど悔しいんだよね。フライは特にその傾向が強い。(p101)
 この物語で書いてみたいテーマは,“幸せな人間は旅には出ない” ということですね。命がけで旅に出るということは,満たされない思いを抱えているから。(p109)
 僕が想像するに,何もかも自分の思い通りになる人生って,一番つまらないような気がします。(p116)
 僕が自分の釣り小屋を作った動機は,「自分はこれとこれをやるために生まれてきた人間だ」ということがはっきり見えたことでした。(p117)
 フジモリ氏が別荘を三軒建てたという話を聞いたとき,実は「はるほどな。よくわかりますよ,その気持ち」と思いました。どういうことかというと,別荘を一軒建ててみると,理想と現実のギャップがよく分かるんです。(中略)そうした経験でわかったことを実証するために,二軒目がほしくなるんです。(p125)
 アラスカで釣りをやるときは,まだ人間が作ったルールの範疇に収まっている感じがするんだよね。(中略)その点アマゾンは,(中略)ルアーを投げたら,あるいは釣り糸を垂れたら後は,出たとこ勝負する以外にない,みたいなところがある。(中略)得体の知れない,何か未知の世界に向かって釣り糸を垂れているような感じがするんです。(p135)
 釣りに出かける時も,しめ切り近い原稿を抱えてゆく。仕事で出かける時も,バッグの中には竿をしのばせてゆく。(中略)当初は,仕事を終わらせて釣りに--などとがんばったこともあったのだが,これがかえってストレスになることがわかった。(p188)

2018年10月16日火曜日

2018.10.16 夢枕 獏 『夢枕獏の奇想家列伝』

書名 夢枕獏の奇想家列伝
著者 夢枕 獏
発行所 文春新書
発行年月日 2009.03.20
価格(税別) 780円

● 玄奘,空海,安倍晴明,阿倍仲麻呂,河口慧海,シナン,平賀源内の7人を取りあげる。著者はこの中の過半の人を題材に小説も書いている。それらを読んでいく楽しみもある。人生はそんなに退屈しないですむようにできている。 

● 以下にいくつか転載。
 危ないところは助けてもらって,おいしいところだけをいただいて帰ってくる。こういう軟弱なことしかやれないという方がほとんどではないでしょうか。(中略)一つのことのために十七年もの歳月をかけるなんて,よほど心の中に激しい飢えとか欲望のようなものがなければできないはずです。玄奘三蔵は心にそうした気持ちを持っていた人なのです。(p31)
 玄奘三蔵は名声を獲得し,歴史に名を残すことになりました。でも,それは無事に帰って来られたからです。(中略)道半ばで死んだ人のなかには,彼ら成功者と同じぐらいの,もしくはもっとすごいものを持った人たちがいたかもしれません。(p34)
 人間の集団では,必ず成功者の陰に隠れる役回りの人が出てきます。それは集団としてどうしても必要なことです。(p34)
 仏教の考え方の中に,次の仏陀は五十六億七千万年後にこの地上に現れるという考え方がありますが,(中略)そこで空海は思うのです。「五十六億七千万年も待たなければいけないなんて冗談じゃない」 ここが空海の発想のおもしろいところです。(中略)空海の偉大なところは,こうした発想力にあると思います。(p46)
 空海は自分のことをたいへんな能力の持ち主だと思っていましたから(それはまったく正確に自己評価していたと思いますが),自分がやらなければこれからの日本の仏教はやっていけないというような感覚を抱いていたと思います。(p52)
 昔は今よりも言葉の力が強いと信じられていましたので,言葉にすることで天地が動く-簡単に言えばそういうことも信じられていたわけです。だから祈れば叶う。祈りが弱いと叶わない。その技術のもとになるのが言葉の持つ力です。その言葉の持つ力のことを,私は呪と呼んでいるのです。(p84)
 玄宗が残してきた庶民はどうしたかというと,これがまた傑作で,彼らは玄宗のいなくなった宮殿に乗り込み,したい放題に略奪を働きました。宮殿の最初の略奪者は安禄山の兵ではなくて,玄宗が守ろうとした長安の市民だったのです。(p126)
 イスラムのモスクは,キリスト教の教会と違って偶像を使いません。人間であるとか,神であるとか,動物すら描かれていない。描かれているのは植物,それも幾何学模様にされた植物の図柄だけです。そういったものだけで構成されているモスクという空間に,これが意外に,神の姿が見えてくるのです。キリスト教の教会は人間の偶像が多すぎて,人の声がやかましくて,かえって神の姿が見えない。(p158)
 そこに飾るべき絵や,調度品を建物が選ぶのです。音楽でも,この建物ではどういう音楽を聞きたいかというのが出てくるのです。だから,建物がふさわしい芸術作品を選んでいくのであって,逆ではない。(p175)

2017年5月24日水曜日

2017.05.24 夢枕 獏 『幻想神空海』

書名 幻想神空海
著者 夢枕 獏
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2014.05.29
価格(税別) 1,500円

● 面白かった。一気通貫で読了。
 夢枕獏さんの着眼のユニークさ,発想の奇抜さを堪能できる。空海はそのための素材にすぎない。

● とはいえ,その素材が凡百の人物であれば,着眼も発想もインスパイアされないだろう。空海ならば,相手にとって不足はないというところか。

● 以下に少し多すぎる転載。
 司馬さんが書いてきたものの絵解きをすると,キーワードは戦なんだよね。司馬さんはね,戦争で大陸に行っている。太平洋戦争の時,一発でも弾丸が入ってきたら,跳弾で中にいる人間がズタズタになっちゃうような戦車に乗っていたんだよね。日本人って,なんでこんなバカな戦争したんだろう,という大きな疑問を,司馬さんは,戦争体験で背負っちゃったんだろうね。(p12)
 宗教として現役感のあるお寺というのは少ないんだよね。みんながお寺にもとめているのは,庭であったり,紅葉だったり,そういう侘び寂びや歴史的な由来だったりする。(中略)でも,高野山は凄いことに信仰がまだ生きているんだね。(p19)
 空海はね,古代の神と仲良くするのが上手だった。もともとは高野の地に住んでいた丹生都比売とか,狩場明神とかね。で,その古代の神は何かというと,ぼくは「縄文の神」なんじゃないかと思ってる。(p20)
 最澄は,頭の良さというところは,空海と同じくらいの知識人だったと思うんだけど,ただ,空海と何が違っていたかというと,真面目さだと思うんだよね。すごく真面目な人だったと思う。人間の持っている弱さを許せない,もしくは許す時に何かのロジックが必要な人だったと思うね。(中略)でも,空海が許す時は「人間とはそういうものだ」という,短い一言で許したと思えるね。(p38)
 ぼくは日本が世界に誇れる三大偉人に,空海,宮沢賢治,アントニオ猪木と,言ってた時期があったんだけど,外国人と渡り合った日本人というのは,わりといるんだよね。平安前後だと,空海と阿部仲麻呂。阿部仲麻呂は唐で出世しちゃって。明治くらいになるとまた出てきて,講道館柔道の前田光世,博物学者の南方熊楠,作家の森鴎外。ポイントは,外国で外国の言葉でケンカをして,相手をやっつけることができた,というところ。(p48)
 空海はやっぱり言葉のマジックを信じていた人だったから,言葉とか文字をめちゃくちゃ大事にしてるよね。(p54)
 ぼくの感覚では,漢字は一文字ずつが物語であり,神話なんですよ。一文字の中に,エジプトの象形文字と比べても,遜色のない,深いドラマ性がある。それを空海は知っていた。空海は呪力としての漢字を知っていたと思う。だから彼は言霊の魔術師なのだ。『三教指帰』の時にはもうその片鱗はあって,自分のものにしていたと思うね。(p89)
 空海は若い頃『虚空蔵求聞持法』を唱えて,記憶力を高めたと言われているけれど,この虚空蔵というのは,アガスティアの葉のことであり,アカシックレコードのことだと思う。空海がやっていた『虚空蔵求聞持法』というのは,まさにサイババであったり,そういったすてきで面白くて,いかがわしい人たちのやっていたことに,つながっているわけで。(中略)まかり間違えれば,空海なんかは,そういう人たちの一人だったかもしれない。違うのは,空海は私腹を肥やそうとしていない,ってところだね(p74)
 李白の持っている白髪三千丈の要素と,俺ならば何でもできるさ,という要素が,もうこの『三教指帰』の中にある気がするんだよ。(p79)
 当時の南都六宗にも,まったく納得してなかった。でも,否定もしなかった。これも空海のすごいところ。否定したのは,むしろ最澄。(中略)でも,空海は逆に東大寺を抱え込んでしまう。最澄が捨てたものを,空海は拾った。(p83)
 ぼくが伝奇を書きたいと思ったきっかけも,宇宙論の話なのだと思うんだ。根本的なものを要素としてはらんでいないと,なかなか書ききれない。書くモチベーションが途切れてしまうんだよ(p90)
 今,ぼくらが知っている,いろいろな神様や妖怪のものは,縄文時代にあると思ってるんだ。あるいは縄文的な発想で,妖怪って生まれていると思うんだよね。八百万の神,すべてのものに神が宿る,という。まさしくこれは縄文の信仰だと思う。(p91)
 闇が怖いな,と思って人間が見ていると,闇は怖いものに変質して,ある特徴を持っていく。だから,ある石を人間が先年拝んでいるとして,それを神として拝んでいれば,石は神になる(p93)
 例えば曼荼羅もそう。大日如来という根本原理があれば,あらゆるもの,つまり縄文の神々だって,絵として描かれていてもまったく問題ないわけ。神仏混淆というのは,空海以降の考え方だと思う。(p96)
 空海は破壊を伴わずに革命を起こした,珍しい人。血を流してないでしょ? 空海は多分。あれだけの革命をしたのに。(中略)だから『理趣教』的なところから言うと,やっぱりみんな肯定しなきゃいけないんだよ。人間の心の問題だけじゃなくて,村同士,民族同士の関係でも,お前も正しい,けれど俺も正しい,なぜならば,もとを正せば同じ大日如来だから,というロジックが空海にはあった。(p97)
 阿弥陀如来だろうが,禅だろうが,それって格闘技の流派と同じなんですよ。(宮崎信也 p106)
 真理はおのおのすべてにあるという金剛界的理解と,根本の真理は一つだ,という胎蔵部的な理解。一つの生命からすべては広がっていって,収束していくという話と,おのおのに真理というのは拡散して存在している,とう両方に真理の形があるという。(宮崎 p110)
 空海以前はなんて言うんだろう,一人の人間が修行して仏に近づこう,っていうような発想ってあんまりなかったよね。(p114)
 奈良時代の仏教って,学問として中国のそういうものがあるからって翻訳してやってますけど,南部六宗の法相宗にしてもそうですし,華厳宗にしみてもそれは言葉の上であって,それを自分の中で体現しようとはしていない。奈良の大仏なんてめちゃめちゃ大きいけれど,あれ単に天照大神ですよね,たぶん。(宮崎 p117)
 あんなにたくさん一人の人間が書いたものが残ったっていうのは,空海が最初じゃない? 今だって,こんな分厚い空海全集がまるごと残っていて。あと思い浮かばないよね。空海以前はないよね。その後もあんまりないよね。あんなに膨大な量を書いた人。(p118)
 音楽も,レコードが生まれる前は一次産業だったんですよ。音楽は自然と人を直接に結ぶものだった。(宮崎 p121)
 「方便をもって究竟と為す」って言葉あるじゃないですか。何かをしていくための方法論を「方便」って言いますけど,それが絶えず現実的な意味を持って,ダイナミックに動いてないと,それは意味がないんじゃないか,と。闘っていないチャンピオンはチャンピオンじゃないってことです。(宮崎 p128)
 空海は,綜藝種智院という日本で最初の私立大学を作るわけですけれども,『三教指帰』などで仏教の優位性を主張したのは,俺の若気の至りだ,間違っていた,って言ってるんですよ。(宮崎 p141)
 空海は中国に行くまでは,自分のことしか考えていないんですよ。(宮崎 p142)
 (宮沢賢治は)知識が中途半端だったらしいんですよ。頭でっかちで,農民学校で,専門学校で勉強したことをすぐ農村で応用しようとしたら,どういう土地であるとか,そういうことを宮沢賢治は理解せずに,上から頭でっかちでやったもんで,農民から馬鹿にされるわけですよ。(宮崎 p155)
 農民は自然と一緒に大きなサイクルの中で生きようとしているのに,宮沢賢治はもっとちゃんと土地改良に励めとか,石灰をまかなくちゃいけないとか,窒素肥料がないとか言って,糾弾するわけですよ。(宮崎 p156)
 宮沢賢治のすごいのは,そこにある阿褥達池っていうマナサロワール湖のことをね,詩に書いてるんだよ。実際に行くとね,ホントに「すごい! なんでわかるの?」っていうくらい似てる感じなんだよね。すごいよ賢治は。そういうところは。(p158)
 空海はね,どこに生まれても,空海になっていたと思うんだよね。(中略)宮沢賢治もね,どこに生まれても宮沢賢治になった人なんだよ。二人とも,どこに生まれても,その場所から銀河系を見ていたんだから。地球上のどこに生まれても,銀河系や宇宙との距離は同じなんだよ。(p160)
 空海は一つの真理だけじゃ,絶対に人は幸せにならないと思っていたのは確かなんですよ。だから金剛界で示される真理は,根本的なものではあるけれども,世の中がこうなってしまったからには,この世界を否定して新しいものを作ってもだめで,今生きている人たちに恩を返すような方法として考えなくちゃいけない,と。この世界が間違っているなんて,思わなかったみたいなんですね。(宮崎 p166)
 基本的には「犀の角の如く独り歩め」っていうくらい,集団で教団を作るのって良くないと,お釈迦様は思ってたみたいで。集団で活動して,例えば三人でひとつの村に托鉢に行くと,村はみんな迷惑しちゃう。(宮崎 p175)
 戒律っていうものがもともとできたのは,仏教教団というものが世間から悪く見られたら困る,という常識を気にしてるんですよ。(宮崎 p180)
 いやぁ,学ばないよ人は。歴史に学んでないし。理不尽なことだらけだよね,歴史見てると。(中略)人間って反省しないんだよね。もう理不尽なことだらけでできてるんだよ,社会って。だから,もう自分さえよければいいや,ってところへ行っちゃうよね,突き詰めると。みんなのためにやっても無駄だっていう証明じゃない。いろんなことがあっても結局みんな死んでいくしさ。(p207)
 官僚というから僕らは誤解してしまうのであって,あれは貴族ですよ。(宮崎 p210)
 例えば「私というものは存在しない」っていうところまで,脳科学ってきてるじゃない。(中略)運動準備電位っていうのがあって,それは,それを持とうと思う前に,それを持つための電位がもう,脳の中に発生してるんだって。だから,私がいて何かの行為をしているのではなくて,行為を脳で発動した時に,その途中で私というものができてくる。だから,私というのは,脳が便宜上作った架空のまやかしの存在じゃないか,というのが,脳科学の最先端の話なんだよ。(p217)
 臓器移植やiPS細胞やクローンもそうだけど,やっぱり今は哲学や宗教が圧倒的に遅れている。十八世紀くらいからそうでしょうけどね。文系が理系に追いついていない。(宮崎 p230)
 大衆はね,ある意味最強でしょう。結局,どんな天才も,最後には大衆に消費されてく運命を持ってるからねぇ。(p233)
 空海は,良きもの悪しきもの,そのどれも全て人の心の生態系として,受けとめる。それを肯と空海が高らかに歌っている。そこに,迷いがないように思える。(p238)

2015年11月16日月曜日

2015.11.09 夢枕 獏 『秘伝「書く」技術』

書名 秘伝「書く」技術
著者 夢枕 獏
発行所 集英社インターナショナル
発行年月日 2015.01.31
価格(税別) 1,100円

● タイトルに惹かれて読んでみた。こういうものは真似しようとしてできるものではない。
 が,実績ある人が書いたものは,一般知がそこここに落ちていて,それはそれで参考になる。参考になるという言い方は不遜かもしれないけれど。参考にできるかどうかはこちら側の力量にもよる。

● しかも,優れた人が書いたものは,読みものとしても面白い。本書はまさにそれ。一夕の歓を尽くすことができる。ああ面白かったという上質の消費としての読書ができる。
 読書なんて消費でいいと思っている。というより,自分を高めるだの知識を得るだのっていうのは,下賤な感じがする。

● 以下にいくつか転載。
 小説のアイディアを思いつくと,ぼくはカードに書いています。(中略)一つのカードに書くのは,一つのアイディアと決めています。時と場合によりますが,基本的に思いついたままに,脈絡とか使えるとかを気にせずに,とにかくメモしていくんです。 ぼくは小説を書く前に必ず取材に出かけるのですが,取材のときもカードを使います。(p5)
 書かない日というのは基本的にありません。サラリーマンの土日のような日はない。好きなことをやっているわけですから,休みたいとは思わないんです。(p14)
 「書くぞ」と気合を入れて机に向かうことは,若い頃はありましたけれど,この頃は少なくなりました。やる気をつくってから書くのは,時間がかかってしまうんですね。そうではなくて,机に向かって書くという行為によって,やる気が湧いてくる。「やる気」があるから「やる」のではなく,「やる」から「やる気」が出てくるんですね。これは書くことに限らず,何かを長く続けていくには必要な姿勢ではないかと思います。(p14)
 小説に関連する資料を読む上でいちばん重要なのは,「何がわかっていないか」を知ることです。当然ながら,本に書いてあるのはわかっていることで,わかっていないことは書いてない。文献資料などを読み込んでいくうちに,どこまでがわかっているのかがわかるようになる。容易なことではありませんが,わかっていることと,わかっていないことの間に線を引くことがとても重要です。(p29)
 ぼくの場合,大きなアイディアはわりと出てくるのですが,細部にいくほどアイディアを出すのがしんどい。そんなときどうするか。 まず「死ぬほど」考えるんです。(中略)考えるべきことだけに集中して必死に考えます。家にソファがあるので,そこにごろんと寝転がって,一時間でも二時間でも考えます。(中略)考えに考えて,そのときのぼくの感覚を言葉にするならば,「脳が鼻から垂れるまで」考える。 こうやって考え抜くことで,「神を生む力」が得られるんです。言い換えれば,小説のアイディアを生み出す力ですね。(p38)
 脳が鼻から垂れるまで考えても,うまくいかないときがあります。(中略)そんなときはどうするかといえば「とにかく書く」。これが最終兵器です。 とにかく書く,というのは素晴らしいんです。何が素晴らしいって,一行書くと,次の一行が出てくるんですね。(p40)
 書くことによって自分を物語世界のなかに入れていくんです。そうすることで,外側から物語を構築しようとしていたときには思いもよらなかったこと,あるいは見えなかったことが,浮かび上がってくることがあるのです。(p42)
 小説の書き方次第で,複数のラストを書くことができるはずだと,ぼくはいま考えているんですね。 何のためにこんなことをするかと問われれば,答えはしごく単純,「面白そうだから」。面白いことを書きたい,これはもう,作家の生理的な欲望です。もう一つ言えば,新しいものができるかもしれないから。特定の人だけのために書くやり方も,ネットで読者の注文を取り入れていく方法も,他者の声を物語に反映させていくという面があります。これによって,ぼくという一人の作家の殻を破れるかもしれないという期待があるのです。(p61)
 小説に限らず,ものを生み出そうとする人には,誰もやったことのないことをやってやろうという野心があってしかるべきで,逆に言えば,そういった野心なしに,面白いものは生まれ得ないとぼくは思っています。(p81)
 将棋では,この手を指したら確実に負けるという手を「悪手」といいます。対局をしていると,どんな手を指しても「悪手」になりそうだという局面が訪れることがあるんです。これが勝負をしてはいけない局面ですね。そんなときに打つのは「紛れの手」です。これは言わば,何も指さないで相手に「どうぞ」とパスをするような手。(中略) 小説でも「紛れの手」を打たなければいけない局面はときにやってきます。そんなときは勇気を持ってストーリーを前に進めないようにしています。(p103)
 長い作家生活のなかでぼくが必要だと感じているのは,一つ一つの作品を完結させていくこと。年月をかけてでも終わらせる作業をしていかないと,ステージが上がっていかないんですね。(p105)
 ぼくをさまざまなジャンルに向かわせたのは,同じことをしていては書けなくなるという恐怖感です。(中略)いくつもの引き出しを持つことで,こっちがダメなときはこっちが助けてくれる,というリスク分散が可能になりました。(p117)
 考えたアイディアは決して無駄にならない,むしろ,あるとき無駄だと思われたアイディアが,ひょんなところで我が身を助ける,ということを学んだわけです。だからアイディアは,使えるかどうかは二の次で,まずはどんどん練って,どんどん出していくのが良いとぼくは思っています。(p121)
 描写は訓練すればするほどうまくなります。一つの場面をどれだけでも長く描写できるようにもなるし,もちろん長い描写が良いわけではなく,細部に目が届くようになると,おのずと無駄な描写がなくなります。(p125)
 表現力を付けるためには,才能プラス,面白がる心と訓練,いわば真似です。小説に限らずさまざまな表現に接して,面白がる心が自然に育つというのがいいと思います。(p128)

2013年7月30日火曜日

2013.07.28 夢枕 獏 『作家の道楽』

書名 作家の道楽
著者 夢枕 獏
発行所 KKベストセラーズ
発行年月日 2013.06.25
価格(税別) 1,000円

● 著者は本業(小説を書くこと)が一番の道楽だとも言う。のだが,それ以外に,本書では次の10個について語っている。
 歌舞伎,漫画,落語,格闘技,カヌー,登山,書,陶芸,写真,釣り。

● それぞれ,本格的にのめりこんでいる。たとえば,登山。夏に富士山に登るんじゃない。チベットやヒマラヤの話だ。ひょっとしたら命がないという状況に自らを置く。

● ま,普通の人にはできないし,勧めもしないってことだろうね。当然,ぼくも読むだけで終わりにさせてほしい。