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2023年3月26日日曜日

2023.03.26 糸井重里・小堀鷗一郎 『いつか来る死』

書名 いつか来る死
著者 糸井重里
   小堀鷗一郎
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2020.11.12
価格(税別) 1,400円

● 小堀鷗一郎さんは父が画家で,母方の祖父が森鷗外という人。東大医学部を出て外科医になり,外科医としてもかなり鳴らしたらしい。
 どういう転機があってかわからないが,訪問医療に転じて在宅看取りに関わるようになり,その分野での発言が糸井重里さんの目に留まり,「ほぼ日」で対談するに至った。それを書籍化したのが本書。

● 以下に転載。
 人生って,みつ豆のさくらんぼを最後のお楽しみに取っておいたら誰かに食べられちゃった,みたいなことだらけです。後で,後で,と考えていると,せっかくいただいた命を,存分に使えないままにしてしまう。「やりたいこと」って,意外とできていないものですよ。(p3)
 死を意識すれば,やりたいことが見えています。そして,ただやりたい放題やるんじゃなくて,ぼくが思いっきり動くことが,みんなも喜ぶことになるよう,一致させる意欲が湧いてくる。(中略)「上からの命令」や「社会の仕組み」といった,やりたいことを邪魔する要因から解き放たれるためには,「死」というカードを持っておくと強い。(p3)
 子どもたちは最初の頃はお見舞いに来ていたのですが,だんだん来なくなって。その女性は10ヶ月あまり,寝たきりのまま,暗い集中治療室の中で生き続けました。(中略)入院によって,命は永らえたけれど,実際は,病院における孤独死といっていい状態だった。それが,果たして,本人と家族の希望だったのか。(中略)患者本人や家族の意向は,思い込みや誤解を含んでいることもあります。だからこそ,彼らの意向に全面的に従うことが,必ずしも患者本人の最期の希望を代弁することにならないんです。(小堀 p20)
 「もうダメです」と言われてどうするか。(中略)大部分の人は,それでも病院で何とか生かしてほしいと願うものです。それに,骨と皮のような状態になって病院から出された人でも,多くの場合は「訪問診療にするのはもう少し待ってください」「病院い通いたい」と言う。死を受け入れたくないんでしょうね。(小堀 p34)
 自己犠牲の精神で仕事ができるのは立派だと思いますが,それは極めて稀な存在ですよ。そういう人たちをスタンダードとして,みんなに強いるのはとんでもない話です。そういう意味で,ぼくは「寄り添う」という言葉が嫌いです。(小堀 p40)
 医師にとって,死は敗北なんです。救命,根治,延命,その三つが医師の使命。そうなると,「死なせない」ことにはものすごく興味がありますが,死をどう迎えるか,どう受け入れるかといったことはなるべく避けようとしますね。(小堀 p46)
 最後は医師が心臓マッサージをして,さらに心臓に直接アドレナリンを注射することもありました。そうするとちょっと脈拍が出るんですよ。(中略)一般の人が考える「最期まで手を尽くしてくださった」というのは,そういう行動なんですおね。してほしい,と思っていることはご家族は多い。その現実を忘れてはいけないと思っています。(小堀 p48)
 ちゃんと生きてない人は,ちゃんと死ねないんですよ。死ぬときになって急に自分が生きてきた軌跡を立派にはできないから。(小堀 p51)
 この仕事をしていると,人それぞれにカルミネーション(最高点,頂点,極致)というものがあるのだなと実感します。(中略)すごく貧乏だったんだけど,「風呂場から海の見えるような家に住みたい」という夢を持って,夫婦二人で実現した患者さんもいた。もう負たりとも90歳超えてから,別荘を作ったんです。そのときに奥さんが「努力すればなんでもできるんです」と言っていました。よくある言葉といえばそうだけど,実際に夢を実現した人が言うと重みが違う。(小堀 p52)
 赤ちゃんや子犬って,「生きていくつもり」の塊なんですよね。その感じが,死ぬ間際の犬にもまだあって,何をしていいかわからなかった。そばにいることしかできませんでした。(p57)
 ぼくはその人が望む最期を実現できるように手助けしたいけれど,本人に死ぬつもりがないとどうしようもない。(中略)本人が死期を悟ってくれるのを待つことになります。(小堀 p57)
 年をとると,要請されること,望まれることが減っていくんですよ。そんななかで,恋愛関係になると「あなたを待っています」というメッセージが毎日来るものだから,そっちに転んでしまうんでしょうね。それがお金目当てだったとしても。誰からも要請されていないと思ったときから,心の死が始まるんです。(p63)
 二十歳で大失敗しても,何日か経てば忘れられる。生命そのものがあるから。でも生命力が落ちて,人から望まれなくなっていくと,大きなダメージを受けてそのまま引きこもってしまう。(p64)
 64歳と65歳の境目は明確にある。65歳からは死ぬ旅をしているんだ,という自覚が芽生えます。きれいに言えば「諦観」ですね。山登りをしているのではなく,下っているのだとわかる。で,下っているなら,その途中のどこでいなくなっても同じだな,と思うんです。そうなると,やっぱり死がこわくなくなる。(p65)
 仕事にしても,人間関係にしても,やりすぎると「おもしろくない」ところまでいってしまうんです。生きることも,「それ以上は面白い?」という質問に対して「そうでもないな」と答えるポイントがあると思います。「このへんでいいんじゃないかな」というところ。(p66)
 吉本(隆明)さんは,あるとき「死は自分のものじゃないんですよ」と言ってくれました。死は自分に属さない。命を所有物のようにして,死は決められないんです。(p67)
 逆らわずに自然に老いていくのが良い,とはあんまり思えないですね。自然,なんてないですよ。意識と肉体,両方自分でつくっていくものですから。でも,自分ではどのへんで一生懸命になるのをやめるか,についてはよく考えます。(p68)
 現在に夢中なのはいいことなんです。ぼくが犬や赤ん坊が大好きなのは,とにかく現在を生きているから。そっと歩かないと転ぶ,なんてまったく思っていないじゃないですか。それはもう,たまらないですよね。(p69)
 真に自由なのは赤ん坊ですね。思ったように生きるってすばらしい,感じたように動くってすばらしい,と赤ん坊は教えてくれます。それって,芸術の役目と同じなんですよね。だから,赤ん坊は動く芸術なんですよ。(p70)
 先がそんなにないと思うと,ピリッとするんですよ。「なんでもはできないんだから,好きなようにやろう」と度胸が出る。(中略)若い人のほうが,慎重ですよね。先があることを考えると,おいそれとは踏み込めない。(p73)
 お墓の前で泣かないでっていう歌があるでしょう。私はそこにいませんって。それは,墓参りしてる人もわかってるんです。わかってるんだけど,墓の前に行きたいんです。(p79)
 楽しく生きてこれた理由の一つは,自分自身なんだと思います。みんなに感謝できる人生にするために,ぼくもそれなりの努力をしてきました。(p83)
 ぼくはプライバシーをかなり大事なものだと考えています。近年取材などが増えたんですけど,妻や子どもについては,極力話さないようにしている。(小堀 p86)
 要素が増えてくるとみんな論理が追いつかなくなって,感情が強くなり,余計なところに迷い込んでしまうんじゃないかなあ。(p88)
 ぼくは,カッコいいなと思う人を,真似して生きてきたんです。(p89)
 自分というのは,周囲120メートルくらいのところまで自分なんだなと感じます。その自己認識が守られていることが,心の安定につながるし。生活圏が維持されるって,大事ですよね。(p91)
 身を粉にして,私生活を犠牲にしてやるからこそ,伝わるものがある。そんなふうに人は思い込んでしまいがちです。(p91)
 ぼくは自分のやっている仕事を,使命だとか,人のためにやるべきだとか,思ってないんですよ。今でも新しい発見があって,おもしろいからやってるんです。(小堀 p92)
 ぼくはやっぱり,最後の最後まで仕事を続けたいですね。(小堀 p101)
 なぜかぼくたちは,死を暗いところに追いやってしまった。そのおかげで生きることが楽しくなったかというと,決してそんなことはない。(p110)
 親と子にしかわからない事情とか理屈が,どんな家族にもあるんですよね。(中略)死は「普遍的」という言葉が介入する余地がないのだと思い知らされますね。(小堀 p115)
 「親の死に目に会えないかもしれない」と心配している人がたまにいますが,親の気持ちも確認しないでナンセンスなことだ,と思います。(小堀 p137)
 妻はうちで看取りました。妻もそれを望んだし。(中略)でも,満足する看取りができたかというと,それはまた別の話です。(中略)本人の希望を叶えても,叶えられなくても,残された家族は何かしら後悔するんです。(小堀 p140)

2019年4月7日日曜日

2019.04.07 川島蓉子・糸井重里 『すいません,ほぼ日の経営。』

書名 すいません,ほぼ日の経営。
著者 川島蓉子
   糸井重里
発行所 日経BP社
発行年月日 2018.10.22
価格(税別) 1,500円

● サラリーマン(ウーマンも)は読んだ方がよいと思う。頭がスッキリする。
 大量に付箋を貼ってしまった。もう一度読み返して,貼った付箋を剥がす必要があるかも。

● その大量に付箋を貼ったところを以下に転載。
 ほぼ日手帳は,社員のひとりが「ほぼ日読者の生徒手帳をつくろう」と言い出したところから始まりました。(p22)
 当時,若くて一番ひまそうなスタッフに「担当をやってみたら」と言ったら,その人がすごくたくさんの手帳を買ってきて,事務所の一室に広げて,うんうんと考えていました。ぼくは「そんなことはすぐにやめなさい」と言いました。ほかにないものをつくろうとしているのだから,ほかのものを見て考えても意味がありません。(p23)
 たとえば試験の問題を解くとき,秀才はすぐに解ける問題を片づけて六〇点くらい確保してから,答えのわからない問題にかかるそうです。(中略)うちはどちらを選ぶかというと,取れるかどうかわからない四〇点を大事にしているんです。もっと言えば,誰にも解けない一%の難問に,あえてつっこんでいくことが重要だと考えています。(p25)
 じぶんがお客さんになったら本当によろこぶかどうかを,本気で考えることにしています。(p26)
 「いい」「悪い」で判断するようになると,みんながどんどん同じになります。なぜかというと,「悪い」より「いい」を選ぶからです。だから,「いい」「悪い」で判断しなくていいんです。「好き」と言っているものは,やっぱりどこかに魅力の分量がたっぷりとあります。(p27)
 手帳に書くことは,スマートフォンのアプリを立ち上げて書くのとは少し違います。すぐに生の言葉が手帳に乗っかる。(p30)
 大企業がうちの手帳と同じものをつくって,一〇〇倍の量を売ろうとしたとします。「ほぼ日よりもはるかに安くすれば,みんながほしがるよ」というビジネスモデルも描けます。けれど,それは間違いです。どうしてダメかというと,その手帳には「心」の問題が抜けているからです。(p32)
 手帳は毎日のように接するものだし,手帳にものを書いている時間はじぶんひとりです。そんな時間を持っている人たちがお客さんであるというのは,ものすごくありがたいことです。「いい時間」を過ごすお客さんと,ぼくらはつながることができていますから。共有しているものの広さと深さが大きい。(p39)
 たとえば成功した八百屋さんの本があったとして,ほかの人がそのノウハウを読んでも,おそらくブレるだけだと思います。八百屋さんで成功した人は,ほかの道を選ばずにそれだけをやってきたから成功できたわけです。けれど,その八百屋さんの成功物語を読んだ人はまだなにも選んでいない。その違いは実はものすごく大きいんです。(p40)
 チームで仕事をするようになって,「ゼロから生み出すクリエイティブなんて案外ないぞ」と気づいたんです。クリエイティブにはやっぱり「供給源」が必要です。それは成功しているものを模倣することとはまったく違う話です。(p42)
 ぼくはいつもなにかを始めると,枠を決めてその中でやるのではなくて,「もっといい考え方があるんじゃないの」と,言葉を超えてものを言いたくなるんです。(p56)
 買いものというのは面倒や手間ではなくて,実は楽しみなんです。じぶんのポテンシャルの表現であり,自由のシンボルでもある。選挙に近いものがあるんです。(p57)
 株式上場して経済系のメディアから取材を受けると,「経済人」としてのコメントを求められます。そういうときも,どうにか「生活人」として放そうとしてきました。(中略)「ほぼ日」は買いものの場でもありますが,それを楽しむ街でもある。人が幸福に暮らしている状態,あるいは人が幸福に暮らしている場をつくりたい。そして,それに参加していたと思って,ほぼ日をやってきたんです。(p73)
 洪水のように情報があふれている中で,本当に知っておきたいことはなんだろう,知っても知っても飽きないものはなんだろうと考えたときに,やっぱり古典だと思ったんです。(中略)じぶんひとりで古典を勉強してもいいけれど,じぶんたちが主催したほうがもっと勉強できると思ったんです。いままでのような方法ではなく,学ぶ時間に浸れるような楽しみ方で,うちができないかと考えました。(p74)
 普段の仕事の中で漫然と過ごしている時間がとにかくもったいないと思ったからです。そんな時間があるなら遊べよ,と。(p92)
 「働き方改革」といっても,額に青筋を立てて,息を止めて集中するような働き方がいいと思ったら大間違いです。(中略)「もっといい考えがあるんじゃない?」と繰り返し問い続けることが大事なのであって,それは集中力とは違います。(p93)
 その難しいことをやるから給料がもらえていると,みんなが思っています。でも,難しいことに直面する大変さそのものは,本当のところなにも稼いでいません。そこではなく,考えれば考えるほどおもしろくなって,みんなのよろこぶものになっていく。それが稼ぎを生むんです。(p94)
 どんなミーティングだって「じぶんだったらこうする」と考えてから集まらないと意味がありません。個人が一生懸命に考えたことを集めるから,お互いに「ああ,それはいいな」とか,「じゃあ,そこは頼むぞ」と言い合ってチームプレーになるはずです。(中略)ひとりで考える時間がないと,なにも始まらないし,ひとりで考える時間が基礎だぞ,ということをもっと前面に打ちだそうと思ったんです。(p95)
 企業の風土を決めるのは,「なにがかっこいいか」ということです。「ダラダラして見えるけれどなんとかなっている」ことがかっこいいと思われれば,それがその会社の社風になります。(p97)
 (おもしろいアイデアがどんどん出る会社をつくるための糸井さんの役割は)あえて言えば,消極的でいたほうがうまくいくような風土をなくすことかもしれません。(p99)
 好きなものについて考え続けたり,興味のあることを続けたりすることが,人の能力を伸ばしていきます。それを邪魔されないことが「集中」ということの本当の意味なのではないでしょうか。(p100)
 いまの時代,給料というエサだけで人は本気で働かないのではないでしょうか。お金で人材が釣れる時代は終わったような気がしています。(p102)
 会社の中で女の人が働きづらく,伸び伸びとできないのが一番つらいことですよね。ルールでは「どうぞ」と書いてあっても,ルールでないところで「どうぞじゃない」ということもあって,それでは意味がないと思うんです。(p106)
 「きちんと時間を守って遅刻をしない人が,だらしない人を非難しないように」とみんなに言ったことがあります。「きっちりできる」ということだけが,ほかに増してなによりも大事なことではないんです。(中略)「身を粉にしてすべてを捧げられます」という人がえらくなってはダメなんです。(p106)
 ぼくは,ハンディを負っている人に対して,そうじゃない人が意地悪になるのがとてもいやなんです。「じぶんは子どもがいる人のぶんまで責任を持たされました」ではなくて,「よーし,俺がやるよ。頑張ろう」となってほしい。いつ,じぶんが支えてもらう側になるかわかりませんから,じぶんが支えられるときは支える。それが社会というものです。(p109)
 「面接用の人格」が現れてしまうんです。たとえば「明るくはきはきしている人」と書くと,明るくはきはきした演技ができる人が来てしまう。(p112)
 これ見よがしなのはダメで,そういうことはじぶんから言うべきではないと思っているかどうかが,センスなのだろうなと思います。(p113)
 少なくともうちでは,「いい人ではないけれど力がある」という理由だけで人をとることはないようにしています。(p114)
 採用基準に「一緒に働きたいか」という気持ちのようなものを入れてはいけないというのが,いいルールをつくりたい人たち,いわば昔の官僚のような人たちの言ってきたことなのでしょう。なぜそんな理由を入れてはいけないかというと,説明しきれないからです。(p118)
 ルールや基準を決めるときに,完成形には達しないまでも,いい点を取ろうとするから苦しくなるんです。その一番大きな原因は「不平等ではないか」という問題に応えようとするからです。けれど,そこには永遠に答えがありません。(中略)(平等には)できませんよ。それをわかっていない人とは,そもそも付き合えないと思います。たとえば,「なぜぼくを落としたんですか。理由を聞かせてください」という問い合わせをしてきた人がいたとしたら,それを聞いてきたことがすでに失格です。(p119)
 うちには,伝家の宝刀のような言葉が二つあって,「誠実」と「貢献」です。「誠実」については,「誠実は,姿勢である。弱くても,貧しくても,不勉強でも誠実であることはできる」ということ。「貢献」については,「貢献は,よろこびである。貢献することで,人をよろこばせることができる。そして,じぶんがよろこぶことができる。貢献することにおいて,人は新しい機会を得る」です。そして,「誠実」と「貢献」では,「誠実」のほうが重要です。(p130)
 効率を優先したり,じぶんの成果を期待しすぎたりすると,「信頼」は失われてしまいます。(p136)
 「誰がつくったか」よりも,「どんな場がつくったか」のほうが大事だと思っています。(p168)
 信頼できる先輩から「お前はできるよ」と言われたら,「できないかもしれない」と考える時間はなくなりますよね。そこがとても大事なんです。(中略)一方で,「一度は小説を書きたいんだよね」と言っているけれど,実際にはなかなか書かない人もいますよね。あれは,「お願いします。あなたはきっとできるから」と頼まれていないからだと思うんです。(p170)
 「上が聞いてくれない」と文句を言っている人が,「上がどんどん聞いてくれる」ようになったときにどうするか。その人の本気度が問われます。(p177)
 俳優さんたちが,舞台を見事につとめたカーテンコールで,右,左,正面,上,と見回して手を広げるときのうれしそうな顔。あれは,誰かから「お金を出すから,好きに遊んでこいよ」と言われて得られるものではありません。そういう楽しみを会社の中でつくっていけたらいいなと,いつも考えています。(p180)
 これからの時代のおもしろさというのは,誰かひとりがおもしろいと思ったものと,何億人がおもしろいと思ったものが重なるところにある。(p195)
 ぼくが感じたのは「人は口で言えないことを書けるようになったときに,じぶんがわからないことを言えるようになってしまった」ということです。それを,どこまでじうんがわかることだけを言うように戻せるか。(p206)
 あらゆることにおいてぼくは「これは正しくて,これは正しくない」と対立的に考えるのはつまらないと思っています。(p208)
 「こんなことがあったらうれしい」ということが実現したら,そこに人が集まり,たくさんのやりとりが生まれる。新しい顧客が創られるとはそういうことだと思ったんです。(p215)
 ぼくらは「スペック」や「情熱」の競争は避けたいと考えてきました。(中略)そんなことばかりしてきたから,会社が生き生きしているかどうか,社員がよろこんでいるかどうかは,あまり関係のないこととされてしまったのかもしれません。(p218)
 うちに入社する人の大半は,ほかの会社を辞めてほぼ日に来てくれるわけですから,それだけの魅力がないといけないと思います。(p230)
 ぼくの思う社長の役割は,社長がいなくても大丈夫なようにするにはどうするかを考えることです。(p239)
 みんなが渋い顔をしているところから,いいものは生まれません。「うわー,みんながよろこんでいるぞ」といった笑顔が見られるのが最高なことで,いいに決まっています。(p246)
 三年先を考えるには,一〇年先のことも考えていないといけません。そんな先のことが見えるはずがないと言いたいところですが,「いい方向」はあるわけですから,そこに向かう航海図を描くようにしています。そして,「こっちに行こう」と決めたら,勝算を証明できなくても行っていい。(p255)
 ぼくが大事にしているものは肯定感のようなものです。同じものを見たときにおもしろいと肯定するか,つまらないと否定するかは,人それぞれです。ぼく自身は否定感を抱えている人間ですが,「生まれてよかった」と思える人が集まる社会のほうが人を幸せにするはずです。だから肯定感につながるものを提供することが,ほぼ日のベースにあるのだと思います。(p259)
 魚を治療するより水の問題を考えて,できるだけなにもしないようにすること。魚を飼うということは,水を飼うことだという結論にたどり着きました。組織にも,同じように自然治癒力があるのだと思っています。一つひとつの問題に向き合って,「きみの言いぶんを言ってみろ」とやるよりも,環境を整えたほうがずっとよくなる。(p263)
 以前は社員みんなと順番にご飯を食べたりもしていましたが,それがまぁ,つまらなかった。全然楽しくありませんでした。お互いに義務になってしまいますから。社員全員と面談したこともあります。そのときも楽しいことは一つもありませんでした。みんな結局,おもしろいことを言わなくなってしまいますから。(p265)
 チームの仕事をやっていくということは,フリーであることと決定的な違いがあります。それは,とても簡単に言えることでもあります。「なにかあったとき,投げ出せない」ということです。(p279)

2016年1月3日日曜日

2016.01.01 糸井重里 『ふたつめのボールのようなことば。』

書名 ふたつめのボールのようなことば。
著者 糸井重里
発行所 ほぼ日文庫
発行年月日 2015.08.08
価格(税別) 740円

● “「ほぼ日刊イトイ新聞」に書いた原稿から,こころに残ることばを厳選”した「ベスト・オブ・糸井重里」。箴言あり,詩あり,エッセイあり。
 巻末のは重松清さん。

● そういうものから転載するのも何なんですけど,以下にいくつか転載。
 毎日のように,何度でもトライできると思ったほうが,のびのびと,じぶんのなかの新しい能力を発見できる。(p20)
 いちばん大事なことっていうのは,基本的に「みんなが持てるもの」のなかにあるんだと,ぼくは思っているんです。(p39)
 力って,使うほどついていくものだ。「だれかの力になりたい」というのは,本能に近いようなことなんじゃないかと思う。(p57)
 おそらく「集中して死ぬほど考える」ということよりも,「しっかり感じる,そして毎日やすみなく考える」ことのほうが,難しい問題を解決に近づけてくれる。(p59)
 目がじぶんに向いているうちは,ふらふらと不安定でしかいられないんだよなぁ。目をじぶんから離さないと,力は出せない。(p77)
 上機嫌というのは,ある意味,最大の美徳じゃないかなぁ。(p143)
 未来から見て「あきらめなかった」人間に,こころからなりたいと思う。(p169)
 リーダーは,じぶんのことは棚に上げている。そうでないと無理,そして,それができるのがリーダー。(p205)

2014年12月24日水曜日

2014.12.22 糸井重里 『ボールのようなことば。』

書名 ボールのようなことば。
著者 糸井重里
発行所 ほぼ日文庫
発行年月日 2012.04.17
価格(税別) 740円

● 9月7日に渋谷ロフトで“ほぼ日手帳2015-「LIFE is...」展”が開催された。久米宏-糸井重里対談が生で聞けるというので,ぼくも出かけていった。
 そのイベント会場で本書が売られていた。

● 栞がわりのスピンが付いているのは,新潮文庫だけになったと思うんだけど(昔は福武文庫なんてのもあって,それもスピン付きだった),本書も文庫本だけどスピンが付いている。
 総じて,贅沢な作りの文庫だ。

● 内容は糸井版箴言集(のようなもの)。そういうものから転載するのも何なんだけど,最も印象に残ったところをひとつだけ。

 断言してみたい。
 じぶんとは,子どものじぶんである。
 大人のじぶんは,じぶんがつくったじぶんである。
 つくったじぶんよりも,
 じぶんのほうが,よっぽどじぶんのはずで。
 押し入れに閉じこめられても,
 わるぐつわをかまされて黙らされても,
 そいつは生きて足をばたばたさせている。

 よし,言おう。
 言ってしまおう。
 人間とは,子どものことである。

2013年9月24日火曜日

2013.09.23 南 伸坊・糸井重里 『黄昏』

書名 黄昏
著者 南 伸坊
    糸井重里
発行所 東京糸井重里事務所
発行年月日 2009.10.07
価格(税別) 1,400円

● 「ほぼ日」の連載時に読んでいる。書籍で読むと味わいが違ってくる。電子書籍は試したことがまだないんだけど,紙っていいものだ。

● 内容はたわいもないお喋り。なんだけども,そのたわいもないお喋りが,ちゃんと読ませる内容になっているところがすごい。芸になってるっていいますか。普通の人がこの種の話をしたのを文章化したって,どうにもつまらないものにしかならないだろうからね。
 相手の話をどう受けるか。背面キャッチがあったり,いったん素手で受けてから自分のグラブに入れてみたり,っていう。反射神経が並みじゃないってことですね。

● あと,やっぱりね,蓄積があるんでしょうね。人生の振幅が大きかったんでしょう。いろいろあったんだろうなぁって思わせる。

2013年3月5日火曜日

2013.03.04 糸井重里・小室淑恵・陰山英男・八代英輝・佐久間英彰 『賢人の手帳術』


書名 賢人の手帳術
監修者 糸井重里・小室淑恵・陰山英男・八代英輝・佐久間英彰
発行所 幻冬舎
発行年月日 2012.12.20
価格(税別) 1,300円

● 糸井重里さんの発言から引用。
 (ほぼ日手帳が)「どうしてこれだけ支持されるようになったんですか?」とよく質問されるのですが,僕ら自身も「どうして?」と思っていて,それを知りたいと思いながらつくっています。 でも,そのことが逆に重要なのかもしれないですね。つまり「こうだから,こうなる」みたいな記号的な発想であったり,急ぎのマーケティングで人が動くとは思っていなかった。実はそれがすごく大事なことなのかもしれません。(p14)
 「手帳」という言葉からイメージする「自分を管理する道具」というような発想から,一回外れてみる必要があるんでしょうね。それは僕らもそうですし,手帳を使うそれぞれの人にとっても重要なことなんだと思います。そこから,何か新しい世界が見えてくるのかもしれません。(p15)
 僕は昔「メモしなきゃ忘れるようなことは大したことじゃない」と思っていたのですが,違っていましたね。 思いや考えって,言葉にしないと消えちゃうんです。でも書いておけば,あとで使える道具にできる。メモそのものが役立つこともあれば,メモとメモが結びついて大きなアイデアになることもあります。 ただ,焦っちゃダメですね。アイデアというのは,直接,効率よく結びつけようとすると痩せてしまいます。思いついたばかりのヒヨコみたいなアイデアは,手帳にメモをして放っておいて,放っておくけどまた考える。それを続けていくと,あっちこっちのネットワークが並行に進化して,つながるときが来ます。(p16)
 メモするときは,目的意識を研ぎすませすぎないほうがいいと思います。ムダだと思うことも書いておく。それが重要なポイントです。(p19)
 「欲しい」と思う心は,体全体が無意識まで含めて決めているので,本当に大事なヒントやアイデアはそこに隠れているんです。その無意識を捨てずに,そのまますくいとって,一緒に考えていく。これはすごく大事なことだと思います。 パソコンを使うと,ムダを省いて整理しちゃいます。(中略)その点,手書きは無意識を含めてそのまま残せる。これは紙の手帳ならではのよさですね。(p30)