著者 川島蓉子
糸井重里
発行所 日経BP社
発行年月日 2018.10.22
価格(税別) 1,500円
● サラリーマン(ウーマンも)は読んだ方がよいと思う。頭がスッキリする。
大量に付箋を貼ってしまった。もう一度読み返して,貼った付箋を剥がす必要があるかも。
● その大量に付箋を貼ったところを以下に転載。
ほぼ日手帳は,社員のひとりが「ほぼ日読者の生徒手帳をつくろう」と言い出したところから始まりました。(p22)
当時,若くて一番ひまそうなスタッフに「担当をやってみたら」と言ったら,その人がすごくたくさんの手帳を買ってきて,事務所の一室に広げて,うんうんと考えていました。ぼくは「そんなことはすぐにやめなさい」と言いました。ほかにないものをつくろうとしているのだから,ほかのものを見て考えても意味がありません。(p23)
たとえば試験の問題を解くとき,秀才はすぐに解ける問題を片づけて六〇点くらい確保してから,答えのわからない問題にかかるそうです。(中略)うちはどちらを選ぶかというと,取れるかどうかわからない四〇点を大事にしているんです。もっと言えば,誰にも解けない一%の難問に,あえてつっこんでいくことが重要だと考えています。(p25)
じぶんがお客さんになったら本当によろこぶかどうかを,本気で考えることにしています。(p26)
「いい」「悪い」で判断するようになると,みんながどんどん同じになります。なぜかというと,「悪い」より「いい」を選ぶからです。だから,「いい」「悪い」で判断しなくていいんです。「好き」と言っているものは,やっぱりどこかに魅力の分量がたっぷりとあります。(p27)
手帳に書くことは,スマートフォンのアプリを立ち上げて書くのとは少し違います。すぐに生の言葉が手帳に乗っかる。(p30)
大企業がうちの手帳と同じものをつくって,一〇〇倍の量を売ろうとしたとします。「ほぼ日よりもはるかに安くすれば,みんながほしがるよ」というビジネスモデルも描けます。けれど,それは間違いです。どうしてダメかというと,その手帳には「心」の問題が抜けているからです。(p32)
手帳は毎日のように接するものだし,手帳にものを書いている時間はじぶんひとりです。そんな時間を持っている人たちがお客さんであるというのは,ものすごくありがたいことです。「いい時間」を過ごすお客さんと,ぼくらはつながることができていますから。共有しているものの広さと深さが大きい。(p39)
たとえば成功した八百屋さんの本があったとして,ほかの人がそのノウハウを読んでも,おそらくブレるだけだと思います。八百屋さんで成功した人は,ほかの道を選ばずにそれだけをやってきたから成功できたわけです。けれど,その八百屋さんの成功物語を読んだ人はまだなにも選んでいない。その違いは実はものすごく大きいんです。(p40)
チームで仕事をするようになって,「ゼロから生み出すクリエイティブなんて案外ないぞ」と気づいたんです。クリエイティブにはやっぱり「供給源」が必要です。それは成功しているものを模倣することとはまったく違う話です。(p42)
ぼくはいつもなにかを始めると,枠を決めてその中でやるのではなくて,「もっといい考え方があるんじゃないの」と,言葉を超えてものを言いたくなるんです。(p56)
買いものというのは面倒や手間ではなくて,実は楽しみなんです。じぶんのポテンシャルの表現であり,自由のシンボルでもある。選挙に近いものがあるんです。(p57)
株式上場して経済系のメディアから取材を受けると,「経済人」としてのコメントを求められます。そういうときも,どうにか「生活人」として放そうとしてきました。(中略)「ほぼ日」は買いものの場でもありますが,それを楽しむ街でもある。人が幸福に暮らしている状態,あるいは人が幸福に暮らしている場をつくりたい。そして,それに参加していたと思って,ほぼ日をやってきたんです。(p73)
洪水のように情報があふれている中で,本当に知っておきたいことはなんだろう,知っても知っても飽きないものはなんだろうと考えたときに,やっぱり古典だと思ったんです。(中略)じぶんひとりで古典を勉強してもいいけれど,じぶんたちが主催したほうがもっと勉強できると思ったんです。いままでのような方法ではなく,学ぶ時間に浸れるような楽しみ方で,うちができないかと考えました。(p74)
普段の仕事の中で漫然と過ごしている時間がとにかくもったいないと思ったからです。そんな時間があるなら遊べよ,と。(p92)
「働き方改革」といっても,額に青筋を立てて,息を止めて集中するような働き方がいいと思ったら大間違いです。(中略)「もっといい考えがあるんじゃない?」と繰り返し問い続けることが大事なのであって,それは集中力とは違います。(p93)
その難しいことをやるから給料がもらえていると,みんなが思っています。でも,難しいことに直面する大変さそのものは,本当のところなにも稼いでいません。そこではなく,考えれば考えるほどおもしろくなって,みんなのよろこぶものになっていく。それが稼ぎを生むんです。(p94)
どんなミーティングだって「じぶんだったらこうする」と考えてから集まらないと意味がありません。個人が一生懸命に考えたことを集めるから,お互いに「ああ,それはいいな」とか,「じゃあ,そこは頼むぞ」と言い合ってチームプレーになるはずです。(中略)ひとりで考える時間がないと,なにも始まらないし,ひとりで考える時間が基礎だぞ,ということをもっと前面に打ちだそうと思ったんです。(p95)
企業の風土を決めるのは,「なにがかっこいいか」ということです。「ダラダラして見えるけれどなんとかなっている」ことがかっこいいと思われれば,それがその会社の社風になります。(p97)
(おもしろいアイデアがどんどん出る会社をつくるための糸井さんの役割は)あえて言えば,消極的でいたほうがうまくいくような風土をなくすことかもしれません。(p99)
好きなものについて考え続けたり,興味のあることを続けたりすることが,人の能力を伸ばしていきます。それを邪魔されないことが「集中」ということの本当の意味なのではないでしょうか。(p100)
いまの時代,給料というエサだけで人は本気で働かないのではないでしょうか。お金で人材が釣れる時代は終わったような気がしています。(p102)
会社の中で女の人が働きづらく,伸び伸びとできないのが一番つらいことですよね。ルールでは「どうぞ」と書いてあっても,ルールでないところで「どうぞじゃない」ということもあって,それでは意味がないと思うんです。(p106)
「きちんと時間を守って遅刻をしない人が,だらしない人を非難しないように」とみんなに言ったことがあります。「きっちりできる」ということだけが,ほかに増してなによりも大事なことではないんです。(中略)「身を粉にしてすべてを捧げられます」という人がえらくなってはダメなんです。(p106)
ぼくは,ハンディを負っている人に対して,そうじゃない人が意地悪になるのがとてもいやなんです。「じぶんは子どもがいる人のぶんまで責任を持たされました」ではなくて,「よーし,俺がやるよ。頑張ろう」となってほしい。いつ,じぶんが支えてもらう側になるかわかりませんから,じぶんが支えられるときは支える。それが社会というものです。(p109)
「面接用の人格」が現れてしまうんです。たとえば「明るくはきはきしている人」と書くと,明るくはきはきした演技ができる人が来てしまう。(p112)
これ見よがしなのはダメで,そういうことはじぶんから言うべきではないと思っているかどうかが,センスなのだろうなと思います。(p113)
少なくともうちでは,「いい人ではないけれど力がある」という理由だけで人をとることはないようにしています。(p114)
採用基準に「一緒に働きたいか」という気持ちのようなものを入れてはいけないというのが,いいルールをつくりたい人たち,いわば昔の官僚のような人たちの言ってきたことなのでしょう。なぜそんな理由を入れてはいけないかというと,説明しきれないからです。(p118)
ルールや基準を決めるときに,完成形には達しないまでも,いい点を取ろうとするから苦しくなるんです。その一番大きな原因は「不平等ではないか」という問題に応えようとするからです。けれど,そこには永遠に答えがありません。(中略)(平等には)できませんよ。それをわかっていない人とは,そもそも付き合えないと思います。たとえば,「なぜぼくを落としたんですか。理由を聞かせてください」という問い合わせをしてきた人がいたとしたら,それを聞いてきたことがすでに失格です。(p119)
うちには,伝家の宝刀のような言葉が二つあって,「誠実」と「貢献」です。「誠実」については,「誠実は,姿勢である。弱くても,貧しくても,不勉強でも誠実であることはできる」ということ。「貢献」については,「貢献は,よろこびである。貢献することで,人をよろこばせることができる。そして,じぶんがよろこぶことができる。貢献することにおいて,人は新しい機会を得る」です。そして,「誠実」と「貢献」では,「誠実」のほうが重要です。(p130)
効率を優先したり,じぶんの成果を期待しすぎたりすると,「信頼」は失われてしまいます。(p136)
「誰がつくったか」よりも,「どんな場がつくったか」のほうが大事だと思っています。(p168)
信頼できる先輩から「お前はできるよ」と言われたら,「できないかもしれない」と考える時間はなくなりますよね。そこがとても大事なんです。(中略)一方で,「一度は小説を書きたいんだよね」と言っているけれど,実際にはなかなか書かない人もいますよね。あれは,「お願いします。あなたはきっとできるから」と頼まれていないからだと思うんです。(p170)
「上が聞いてくれない」と文句を言っている人が,「上がどんどん聞いてくれる」ようになったときにどうするか。その人の本気度が問われます。(p177)
俳優さんたちが,舞台を見事につとめたカーテンコールで,右,左,正面,上,と見回して手を広げるときのうれしそうな顔。あれは,誰かから「お金を出すから,好きに遊んでこいよ」と言われて得られるものではありません。そういう楽しみを会社の中でつくっていけたらいいなと,いつも考えています。(p180)
これからの時代のおもしろさというのは,誰かひとりがおもしろいと思ったものと,何億人がおもしろいと思ったものが重なるところにある。(p195)
ぼくが感じたのは「人は口で言えないことを書けるようになったときに,じぶんがわからないことを言えるようになってしまった」ということです。それを,どこまでじうんがわかることだけを言うように戻せるか。(p206)
あらゆることにおいてぼくは「これは正しくて,これは正しくない」と対立的に考えるのはつまらないと思っています。(p208)
「こんなことがあったらうれしい」ということが実現したら,そこに人が集まり,たくさんのやりとりが生まれる。新しい顧客が創られるとはそういうことだと思ったんです。(p215)
ぼくらは「スペック」や「情熱」の競争は避けたいと考えてきました。(中略)そんなことばかりしてきたから,会社が生き生きしているかどうか,社員がよろこんでいるかどうかは,あまり関係のないこととされてしまったのかもしれません。(p218)
うちに入社する人の大半は,ほかの会社を辞めてほぼ日に来てくれるわけですから,それだけの魅力がないといけないと思います。(p230)
ぼくの思う社長の役割は,社長がいなくても大丈夫なようにするにはどうするかを考えることです。(p239)
みんなが渋い顔をしているところから,いいものは生まれません。「うわー,みんながよろこんでいるぞ」といった笑顔が見られるのが最高なことで,いいに決まっています。(p246)
三年先を考えるには,一〇年先のことも考えていないといけません。そんな先のことが見えるはずがないと言いたいところですが,「いい方向」はあるわけですから,そこに向かう航海図を描くようにしています。そして,「こっちに行こう」と決めたら,勝算を証明できなくても行っていい。(p255)
ぼくが大事にしているものは肯定感のようなものです。同じものを見たときにおもしろいと肯定するか,つまらないと否定するかは,人それぞれです。ぼく自身は否定感を抱えている人間ですが,「生まれてよかった」と思える人が集まる社会のほうが人を幸せにするはずです。だから肯定感につながるものを提供することが,ほぼ日のベースにあるのだと思います。(p259)
魚を治療するより水の問題を考えて,できるだけなにもしないようにすること。魚を飼うということは,水を飼うことだという結論にたどり着きました。組織にも,同じように自然治癒力があるのだと思っています。一つひとつの問題に向き合って,「きみの言いぶんを言ってみろ」とやるよりも,環境を整えたほうがずっとよくなる。(p263)
以前は社員みんなと順番にご飯を食べたりもしていましたが,それがまぁ,つまらなかった。全然楽しくありませんでした。お互いに義務になってしまいますから。社員全員と面談したこともあります。そのときも楽しいことは一つもありませんでした。みんな結局,おもしろいことを言わなくなってしまいますから。(p265)
チームの仕事をやっていくということは,フリーであることと決定的な違いがあります。それは,とても簡単に言えることでもあります。「なにかあったとき,投げ出せない」ということです。(p279)
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