著者 出口治明
発行所 小学館新書
発行年月日 2017.04.04
価格(税別) 800円
● 人と本と旅から学び,“数字・ファクト・ロジック”で考えよと説く。
情報過多と言われるけれども,必要な情報は昔も今もそんなにたくさんあるわけではない。
時間は戻らないのだから,過ぎたことを悔やむのはムダ。
見聞を記憶するには言語化することが大切で,一番いいのは人に話すこと。
● 以下に多すぎるかもしれない転載。
鎖国をプラスに捉える考え方が根強くありますが,僕は愚策だったと思っています。理由は単純で,鎖国のせいで日本は世界の発展に取り残されて世界に占めるGDPシェアがほぼ半減し,人々を土地に縛りつけたので,日本人の身長・体重が著しく小さくなったからです。(p17)
当時の日本人は,中国などの先進億と同様にビビッドな朱色と緑色のコントラストをこそ「美しい」と感じていたのです。(中略)現代を生きる僕たちが,「日本人の特性」とか「日本的な価値観」などと評している事柄の大半は,戦後日本の高度成長社会で醸成されたものです。はなはだしきは,「江戸しぐさ」のひょうに,戦後につくられた偽りの伝統すらあるのです。(p20)
とてもおもしろいデータがあります。新聞・雑誌に対する信頼度が,わが国では約70%と,先進国のなかでは突出して高いのです。(p28)
泣く子どもを「うるさい」と指弾し,親に「すみません」と謝らせるような社会は,ホモサピエンスの歴史から見て,どう考えても不健全であるとしかいいようがありません。(p60)
本当に情報は溢れすぎているのでしょうか。僕は,けっしてそうは思いません。人間にとって本当に大切な情報は,本来,限られていると思うからです。(p63)
インターネットは,持たざる人の最良の武器です。数字・ファクト・ロジックを容易に検証でき,また自分の気持ちの持ち方ひとつで,さまざまな機会にアクセスができるからです。SNSを見て,他人と自分を比較し,劣等感を抱えて鬱屈としてしまう人は,公平に与えられているその機会を生かしていない,と考えてもいいでしょう。(p69)
日本の官庁や大企業では,優秀な人材を大学院に通わせたりしていますが,ほとんどが海外留学です。これはつまり,自国の大学院ではハイレベルな教育が期待できないということにほかなりません。(p93)
英語力はそのまま,国際競争力とイコールで繋がるといっても過言ではありません。(中略)人口が減少していく日本には,今後,長い目で見れば海外から優秀な人材が流入してくるでしょう。彼らはおそらく必死に日本語を学ぶでしょうし,英語は当たり前のように使いこなす人がほとんどです。他の能力が同じであっても,語学力で劣れば,国内ですら競争に負けてしまう可能性があると思います。(p100)
インターネットも結局のところは,人間社会の縮図でしかないからです。人間がつくるものはすべて人間に似ています。言い換えれば,人間にはその程度の想像力しか備わっていないのです。(中略)バーチャル空間にも悪い人がいるのはごく当たり前のことなのです。その意味で,僕はインターネットで流布されている言説に問題があったとしても,中長期的に見れば自浄作用が働いて,正しい方向へ進んでいくと考えています。(p111)
王政においては,市井の人々が無知で従順であるほど治めやすく,為政者にとって都合がいい環境になるので,“民は愚かに保て”という方向に進みがちです。(p117)
どんなに後悔したところで,過去は取り戻せません。ですから,後悔しても意味がないのです。そして「もう遅いのでは」などと悩む暇があるのなら,四の五の言わずに,いますぐ勉強を始めればいい。(中略)今晩から勉強をスタートすれば,明日には1日分成長することができます。(p124)
選挙に多額の税金が投入されるのは,民主主義を正常に機能させるためのコストです。もし「選挙にかかる税金がもったいないから,続投させよう」ということになったら,それこそ民主主義の原点が問われます。(p158)
同じ書くのであれば,日記よりもブログやSNSなどをおすすめします。自分しか読まない日記だと,どうしてもメモや箇条書きのような形式で書いてしまうので,記憶に残りにくい。一方,ブログやSNSだと,他者に読まれることを意識するので,自分の思いが伝わりやすいよう,わかりやすく書こうとするインセンティブが働きます。(p178)
むしろ,みんながチョボチョボだからこそ,人間の社会はここまで成長したのだと思います。(中略)仮に人類のあいだに,どう頑張っても超えられないような,10倍,100倍単位での圧倒的な能力差が存在していたら,大半の人は努力することを早々に諦め,おそらく集団は崩壊していたことでしょう。(p183)
人間は,アホですぐにサボる生き物です。だから,サボれないような状況をつくってしまえばいいのです。(p199)
数字・ファクト・ロジックで物事を捉え,自分の頭で考える習慣が身に付くと,周囲の人や物事から受けるノイズで判断に迷ったり,あとで悔やんだりすることが圧倒的に少なくなるので,精神的にも時間的にも余裕が出てきます。(p208)
まずひとつ目は,「ロクな候補者がいない。ロクな政党がない。だから投票に行く気になれない」というものです。僕は,この意見に大きな違和感を覚えます。なぜなら,よく考えれば,この見方は「政党は優れた組織であらねばならないし,選挙に立候補するような人物は立派でなければならない」という,およそありえない幻想を前提にしているからです。(p212)
地位や権益が固定化されて,どうしても覆らないのであれば,社会に閉塞感が生まれます。人々は既得権益層を憎悪し,努力することを諦めてしまうでしょう。そのような格差は社会の害悪にしかなりません。しかし,流動性が十分に担保されていて手の届くところにある格差は,むしろ社会に成長と活力をもたらしてくれるのです。(p228)
一息入れたところでアイデアが浮かんできたりするのは,それまでのインプットや考え抜いたことの積み重ねが,再整理された結果。つまり,日ごろの積み重ねがなければ,何も浮かんではきません。(p233)
僕はいつも「いま,この瞬間がいちばん楽しい」と思って生きています。過去にあった楽しい出来事も,つらい出来事も,正直あまり興味はありません。(p233)
同じことをやるにしても,どうしたらもっと楽しくなるかというチャレンジに取り組むほうが,人生はより充実するものなのです。(中略)バカバカしくなるような単純作業でも,やるしかないなら,どうすればおもしろくなるかを必死に考える。同じことをするにせよ,イヤイヤやるよりは楽しんだほうが得です。(p234)
手垢のついたような常套句や,定型化された主義主張は,新聞や雑誌などメディアに溢れ返っていますが,そのようなものを鵜呑みにしても,ぜんぜん楽しくはありません。でも,物事を根本から見つめて,自分の頭でラディカルに考えるようになると,あらゆる事象が興味深く思え,かつシンプルな輪郭が浮かび上がってきて,考える作業そのものが楽しくなります。(p235)
日本社会の不幸な点は,社長は偉い,部長は偉い,課長は偉い・・・・・・といった具合に,単なる機能にすぎない組織内でのポストが,社会的評価と同一視されていることだと思います。そうした価値観が根底にあるから組織にしがみつきたくもなる。(p240)
恋人ができた場合,その喜びは100ポイントのプラスになったとします。でも,不幸にして振られてしまった場合,今度はマイナス100ポイントに相当しそうです。つまり,プラスマイナスゼロ。(中略)でも,僕はそうは考えません。その経験を絶対値で捉え,恋人ができたのも,振られたのも100ポイント。合計すると経験値が200ポイント上がったと考えるのです。つまり,喜怒哀楽の総量として,人生を捉えるようにしています。(p243)
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