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2015年1月9日金曜日

2015.01.08 小澤征爾 『おわらない音楽』

書名 おわらない音楽
著者 小澤征爾
発行所 日本経済新聞出版社
発行年月日 2014.07.25
価格(税別) 1,300円

● 2014年1月に日経新聞に連載された“私の履歴書”をまとめたもの。
 一読して感じたのは,才能や実力の他に,小澤さんが陽性の人であったことだ。明るくて可愛げがあったようだ。だから,多くの人に好かれた。
 相手の懐に入っていくのが巧いというより,入っていきやすい状況を作るのが巧かったのではないだろうか。作ると意図しなくても,自ずからできるような人だったのではないか。

● 一度目の奥さんとは,離婚した後も良好な友人であり続けたとある。ここまで人好きがするのは,天性のものとしか言えないでしょ。

● ラグビーで指を骨折しなければピアノに進んだかもしれないし,斎藤秀雄氏との出逢いがなければ,指揮者に方向転換したあとも,だいぶ異なった軌跡を残すことになっただろう。
 出逢い(事故との出逢いも含めて)を引き寄せる強運の人でもある。その強運を引きこむのは,小沢さんの熱意だったろう。

● 桐朋高校で斎藤氏にしごかれたのが,とにかく効いているように思える(思えるように書いてある)。
 数年後に,貨物船でフランスに着き,たまたま知ったブザンソン国際指揮者コンクールに出場して,優勝してしまうわけだから。

● このコンクールに出場できるまでのすったもんだも非常に面白い。ほんとに強運なんだな。諦めなければ,結果的に強運になるのかもしれないけれども,そういうことではなくて,ツイてるんだよなぁ。ツキがある。
 そのツキがずっと離れなかった人だ。それも,陽性とか可愛げとかっていう人柄の然らしめるところなんだろうか。

● カラヤンとの交流(師弟)を語っているところから,ひとつだけ転載。
 カラヤン先生は僕が立っている指揮台の真下の椅子に座り,鋭い目でじっと見ている。技術について細かいことをいわない代わり,大事にしていたのが音楽のディレクション,方向性だ。曲の中でいかに音楽の頂点を見定めて,そこへ向かうか。いかに自分の気持ちを高ぶらせていくか。途中で流れを止めず,よどみなく演奏を導くにはどうするか。そのことをカラヤン先生はシベリウスの交響曲第五番のフィナーレを使って,僕に教え込んだのだった。

2013年11月28日木曜日

2013.11.28 小池真一 『小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽』

書名 小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽
著者 小池真一
発行所 講談社+α新書
発行年月日 2003.08.20
価格(税別) 840円

● 小澤さんの来し方や価値観,音楽への姿勢といったものを,本人や関係者,他の音楽人への取材を通して,まとめたもの。スラっと読めて面白い。
 タイトルの所以は,「美しい音楽は,一人で夕陽を見つめた時のような悲しい味がする」という小澤さんの述懐。

● たとえば,次のような珠玉の言葉が登場する。
 世界の基準と自国の基準を分けて考えるダブルスタンダードがある国はだめだと思うんです。「世界はすごい,日本はこの水準でいいや」と逃げることができちゃう。いろいろと世界中を見てきたけれど,それがある国はだめですね(小澤征爾 p44)
 社会が豊かになって,商品やサービス,情報など選択する幅が広がり,かえって選べなくなっている。(中略)そこで人気という“偏差値”で選ぶようになる。(中略)そういう人たちはヒットを仕掛けられやすいんです(秋元康 p114)
 『何かをする』ではなく『何かである』ことが大切。人間として経験を積み重ねて心を豊かにした上で,『何かである』という状態に自然になることで,音楽家の中から無意識な『自然』が出てくる。(オーギュスタン・デュメイ p139)
 心に染みわたる美しさとか,心を打たれる美しさというのは,少し悲しみの味がするのよ。(小澤征爾 p148)
● 未来に理想を描けば,現在のどこかを批判することになる。典型としてあげられているのが,年でのBGMの多さ。ホテルに行っても,ショッピングセンターに行っても,必ずといっていいほど何かの音楽が流れている。こうしたことがやり玉にあがる。言われてみればなるほどと思う。
 ただ,どう注意していても,批判に回るときにはどこかに甘さが入りこんでしまう。批判に安直さが混ざってしまう。そういうことはないのだろうか。

● 昔は良かった式の言いぶりになる。けれども,その昔においても,さらに昔を措定して,昔に比べると今はここが問題だ,というような言論があったに決まっている。
 上に転載した言葉も,その昔に,誰かが言っているに違いない。そういう意味では,目新しさなど滅多にあるものではないのだろう。