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2022年4月16日土曜日

2022.04.16 野口悠紀雄 『「超」メモ革命』

書名 「超」メモ革命
著者 野口悠紀雄
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2021.05.10
価格(税別) 880円

● 副題は「個人用クラウドで,仕事と生活を一変させる」。著者の言う超メモ,超アーカイブとは何なのか。じつはよくわからなかった。
 が,紙にペンで書くのではなく,パソコンやスマートフォンを使ってデジタル化しておくことと,それを端末のハードディスクやSSDに保存するのではなく,クラウドに置いておくこと。この2つを満たしているものを超メモと呼んでいいんだろうか。

● であれば,研究者や文章を書くことを職業にしている人は格別,普通の人ならSNSやnote,ブログにあげておけば自動的に超メモ,超アーカイブになるのではないか。すでにあるプラットフォームを使う方が簡便だと思うが。
 絶対に人目に触れさせてはいけないものは別の形にしておく必要があるが,そういうものはそんなに多くはないだろう。

● 以下に転載。
 頭の中で考えているだけでは,アイディアは成長しません。バラバラでとりとめもなく,体系もないからです。しかし,それを音声入力でテキスト化すれば,目に見える形になります。(p48)
 問題は,最終的なプロダクトに至るまでの,情報の加工過程なのです。この過程において,紙よりデジタルが圧倒的に優れているのは,論じるまでもなく明らかなことです。(p67)
 検索ができないのは,情報の処理手段としては致命的な欠陥です。検索ができるとできないとでは,情報の利用に大きな差が生じます。(p68)
 考えついたアイディアを保存しいつでも取り出せる態勢を作ることは,アイディアを考えつくのと同じように重要なことです。(p70)
 モノでも情報でも,「要らないモノを捨てる」ためのコストは,決してゼロではありません。(中略)そこで,「捨てるという努力をすること」を捨てることにします。データ保存料の成約がなくなったので,「要らないものを捨てる」という考えを捨て,「必要なものを後から見い出す」という考えに転換すべきなのです。すると,大きな可能性が開けます。(p81)
 頻繁に使うものについては,箱を作っておいてそれを固定し,その中身を変えていくようにしたほうがいいのです。(p118)
 押し出しファイリングは使い続けることによって機能する仕組みなのですが,「超」メモも同じです。逆に,使い続けていないと,錆びてしまいます。(中略)維持し続けるとは,使い続けることです。(p119)
 Googleドキュメントにはコメント機能があり,これをうまく利用すると,リンクの代用とすることができます。ファイル内の任意の文字列に対して,コメントを書き込むことができます。(中略)本文に関連して思いついたアイディアなどをそこに書き込んでおけばよいのです。(中略)このシステムは,断片的なメモを見失わないために便利です。(p131)
 自分が持っている資料やデータをクラウドに上げるということは,書斎や研究室そのものを常時持ち歩いているようなものです。これまで思いもよらなかったことができるようになっても,不思議はありません。(p208)
 一つの仕事は,完成するまでそれにかかりきりになるのが望ましい進め方です。途中で中断してしまうと,その仕事の細部に関する記憶が失われてしまうからです。(p225)
 「数日後の自分は別の人間なのだ」と自覚し,「別の人間である将来の自分」に,親切な引継ぎメモを作っておく必要があります。(p225)
 写真をいくら撮っても,ほとんど無料で,事実上いくらでも保存できるようになったのです。これは,写真に対する基本的条件の大転換です。(中略)いまや,メモを取るための最も簡単な方法は,「写真を撮る」ことになりました。新聞記事,紙に書いたメモ,紙で送られてきた通知などは,写真に撮って保存するのが最も簡単です。(p228)
 自分の頭の中にあることのメモであれば,最も簡単な方法は,音声入力です。(p229)
 新聞社が提供している新聞記事のデータベースでは,非常に大量のデータが手に入ります。しかし,あまりにも大量であるために,そこから必要なものを探し出すのが困難です。(中略)結局,自分用のデータベースを作らなければ役に立たないということになります。(p245)
 人類が他の動物とは違って進歩できたのは,すべてのことを覚えているのではなく,その大部分をメモや記録の形で脳の外に記録してきたからです。(p262)
 記録は紙のメモ用紙に書いただけ。どこにいったかわからない,といった状態では,AIといえども利用することはできません。最低限,情報がデジタル化されている必要があります。そして,次の段階として,クラウドに上がっている必要があります。(中略)ここで蓄積された情報は,将来の世界において,大きな価値を持つことになります。いま「超」アーカイブの形で個人情報を蓄積している人は,将来の世界において技術進歩の恩恵を享受することができるのです。(p268)

2020年11月23日月曜日

2020.11.23 野口悠紀雄 『年金崩壊後を生き抜く「超」現役論』

書名 年金崩壊後を生き抜く「超」現役論
著者 野口悠紀雄
発行所 NHK出版新書
発行年月日 2019.12.10
価格(税別) 850円

● 大学の経済学部や経営学部で,年金経済論あるいは高齢者雇用政策論というタイトルの4単位の講義のテキストになりそうな本。今はどうなのか知らないが,40年前の大学だと新書本1冊は4単位の講義に相当する内容があったような気がするな。
 卒業に必要な単位は124単位だから,新書を31冊読めば学士になれるという,非常に大雑把な計算。大学なんてその程度のものと考えておいて,まず当たらずとも遠からず。文系の場合はだけどね。

● 以下に転載。
 「働こうとすれば職を得られるにもかかわらず,働こうとしない」高齢者が多いのです。(p7)
 組織に頼れば組織に使われてしまいます。組織をいかに使うかを考えるべきです。(p10)
 まず最初に,「有利な資産運用法などありえない」ということを知るべきです。昔から,金融資産の運用において巨万の富を築いた人は大勢イます。(中略)ただし,彼らは偶然そうなっただけです。(中略)バフェットが巨万の富を築けたのは偶然の結果なのですから,その真似をするのは,原理的に不可能なことです。(p39)
 この予測を用いて株を買えば,金持ちになれるでしょうか? 答えは「No」です。なぜなら,現在の株価は,その予測を前提として成り立っているからです。その予測はすでに使われてしまっているのです。(中略)公にされた予測を用いても,人を出し抜くことはできないのです。(p42)
 (日本老年学会が)現在65歳以上とされている高齢者の定義を,75歳以上に見直すべきだと提言しています。名前や呼び方は重要です。実態が変わっても,名称が変わらないと,古い観念に囚われる場合が多いからです。(p117)
 在職老齢年金制度は,就業する場合にも低賃金の就業を促進することになります。低賃金の就業を促進することによって,高齢者の能力発揮を妨げているとも言えます。つまり,この制度は,低賃金で高齢者を雇用する企業への補助金として機能しているのです。(p135)
 病気になって就労できなくなり収入がゼロになっても,前年の所得が多ければ,高額の自己負担額が発生し,払いきれなくなる事態は容易に想像できます。(中略)「働いていなければ命が助かったが,なまじ働いていたために,命を落とす」ということがあり得るのです。高齢者になって働くことは,現在の制度の下では,単に「損する」だけでなく,きわめて「危険」なことなのです。(p142)
 医療保険におけるペナルティは,所得にかかるのではなく,「働くこと」に対してかかります。したがって,現在の制度下で最も賢い方法は,退職金を金融資産に投資して,そこから所得を得ながら,医療費の自己負担からは逃れることです。(p144)
 医療,介護保険制度においては,所得を勘案して自己負担額が決められています。問題は,資産が勘案されていないことです。(p152)
 氷河期世代が深刻な問題を抱えていることは間違いありませんが,この世代「だけ」が特別に深刻な問題を抱えているというのは,多分にマスメディアが作り出した虚像なのです。(p163)
 日本では,道路運送法によって,許可のない人が自家用車を使って有償で人を送迎することは,「白タク行為」と見なされまず。(中略)新しい働き方を実現するには,規制緩和が不可欠です。(p177)
 問題そのものがはっきり捉えられていない場合もあります。漠然と不安を抱えているだけで,何が問題なのかを把握できない。だから,そもそも具体的な質問をすることができないのです。(p184)
 人間は,自然が作った平均寿命の限界を超えたのです。これは,誠に喜ばしい変化だといわなければなりません。(p219)
 多くの人が,「仕事は辛いけれども,生活のためにやらなければならない」と考え,仕事から解放される時間を「自分の時間」と考えています。しかし,私には,「仕事をやることこそが生きがいだ」としか考えられません。(中略)私にとっての悪夢は,仕事ができなくなってしまうことです。(中略)こうした仕事を見いだせたことは,本当に有り難いことです。(p222)
 AIの機械学習について,「過学習」ということが問題とされています。これは,AIが機械学習を行う際に,与えられたデータの中で学習しなくてもよいことまで学習してしまうことです。この結果,判断を誤ることになります。これと同じことが,日本の縦型社会において生じているように思われてなりません。(p223)
 日本には,「新しい仕事をやれ」と言われると,「その前にやり方を教えてくれ」と言う人が多くいます。「海図がなければ,航海には出ない」と言うわけです。しかし,それは,間違いです。新しい仕事に挑戦するとは,海図のない航海に出ることなのです。(p228)
 安定した社会が壊れる時は,意欲のある人間にとっては,チャンスの時になります。(中略)いまの日本は,表面的にみれば,安定しています。しかし,その内実を見れば,どうしようもないほど行き詰まっています。(中略)日本はいま「食い詰め」ようとしています。経済停滞が始まったのは1990年代のことで,それ以降,経済はほとんど成長していません。(中略)16世紀のポルトガルと同じ立場に置かれた日本に,いまこそ,エンリケやマゼランが現れて,新しい航海を始めなければなりません。(p230)

2020年6月5日金曜日

2020.06.05 野口悠紀雄 『AI時代の「超」発想法』

書名 AI時代の「超」発想法
著者 野口悠紀雄
発行所 徳間書店
発行年月日 2019.10.02
価格(税別) 890円

● ご用とお急ぎの方は,「はじめに」「序章」と最終章の第8章だけを読めばいいだろう。が,どうも本書の白眉は第7章,つまりKJ法のダメさ加減を完膚なきまでに指摘しているところにある(と思う)。
 ぼくも若い頃にKJ法の研修を受けたことがあるが,まったく盛りあがらなかった。自分の受講態度に問題があるのかと思ったのだが,そうではなかった。そのときに,薄々感じていたことではあるのだが,KJ法じたいがダメだったのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 ものを作ったり,植物を育てたりする場合には,確かに一定の手続きを,指定されているとおりに実行すれば,必ず一定の成果が得られます。これまで提案されてきた発想法の多くは,そのような考えを延長して,「発想においても,一定の手続きにしたがえば,よいアイディアが得られる」という考えのもとになされてきたのです。ところが,発想は,このような定型的な作業によってなされるものではありません。(p3)
 発想は必ず模倣から出発するものであり,(中略)真に独創的な考えとは,模倣から出発しながら,模倣にとどまらずにそこから脱却したもののことです。(p4)
 とにかく仕事を開始し,継続するのが重要であることも強調します。仕事を続けていれば,何らかのことがきっかけになって,新しいアイディアが生まれるでしょう。(p5)
 科学の基本的な方法は,過去に成功したモデルを新しい問題に応用するという「独創的剽窃行為」です。アイディアの発想でも,この方法が最も強力です。「モデル」は,多くの学問分野で基本的な働きをしています。これは,現実を抽象化したものです。(p7)
 アイディアは,組み合わせから生じます。そして,組み合わせは頭の中で行われます。あるいは,頭の中でやるほうが効率的です。(p34)
 人間の脳は,無意味な組み合わせを排除する能力を持っている。あらゆる知的活動の中で最も重要なのは,「無用なものを試みないで捨てる」という直観力。(p39)
 重大な発見がなぜ偶然のきっかけで得られたかについて,ニュートンが明確に答えています。彼は,「どのようにして万有引力の法則を発見できたのか?」と尋ねられて,「いつもそのことを考えていたから」と答えたのです。(中略)重要なのは,きっかけではなく,彼らが「考え続けていたこと」なのです。(p53)
 多くの人が,「〈発想法〉という特別の方法があり,発想力を高めるにはそれを学ぶ必要がある」と考えています。しかし,この考えは間違っています。(中略)具体的な対象と独立した「汎用的発想法」というものは,考えにくいのです。「どの問題にどの方法を適用すべきか」といった判断は,実際の問題に即して訓練するほかはありません。(p76)
 発想のための方法も,(中略)癖になって無意識のうちに使えるのでなければ,駄目なのです。これは,人間の能力が限られているため,複数のことに同時に注意を集中できないからでしょう。方法論に気を取られていると,肝心の対象からは注意が離れてしまうのです。(p78)
 数学の成績を上げるための最も確実な方法は,「数学は独創」という思いこみをやめることです。そして,「数学は定型的パターンの当てはめ」「その意味で,暗記」と割り切ってしまうことです。このような発想の転換ができれば,数学の成績は間違いなく向上します。逆にいうと,「自分が編み出した方法で解かねばならない」とこだわっている限り,数学の成績はよくなりません。(中略)発想一般に関しても,数学の場合と同じように,過去に成功したパターンに当てはめるのが,最も強力な方法です。しかし,数学の場合と同じように,こうした方法を批判する人が多くいます。「パターンに当てはめるだけでは,定型的な思考しかできない。自由に発想しないと創造はできない」というのです。しかし(中略)発想とは,無から有を生み出すことではありません。既存のアイディアを組み替えることなのです。(中略)「模倣なくして創造はない」のです。(p80)
 物理学の方法論も,基本的に同じものです。つまり,「古いアイディアを再利用する」のです。例えば,水素原子の古典的なモデルは,陽子の周りを電子が回るというものです。これは,地球の周りを月が回るモデルを借りてきたものです。(p81)
 ガリレオの成功は,「本筋に関係ないことは全部切り捨てる」という方法によってもたらされました。これこそが,「モデルを作る」ということの本質的な意味です。そして,このことが,近代科学の基本的な方法論なのです。しかし,切り捨てるのは難しいことです。「たとえ不要な情報でも捨てたくない」というのは,人間の自然な欲求だからです。この欲求に打ち勝つことこそ,物理学で最も重要な態度であると,クラウスは述べています。(p95)
 一般に,「理解」のためには,具体的な説明のほうがよいと考えられています。しかし,「発想」のためには,抽象的な形で表現されているほうがよい場合があります。それによって,新しい結びつきが可能になるのです。(p98)
 多くの科学において,観測は,仮設を検定するために行います。少なくとも,解明したい問題や主張したい命題がまずあり,それらに関連したデータを集めて分析するのです。最初から闇雲にデータを集めても,「理論なき計測」になってしまいます。(p104)
 「遊び」ができるのは,高等動物に限られます。長時間遊びに熱中できるのは,人間だけです。(中略)重要なのは,好奇心が持続するという点です。進化の頂点にある生物にこのような能力が与えられているのは,決して偶然のことではないでしょう。遊びには,きっと深い理由があるに違いありません。(中略)実際,科学者は強い好奇心だけに導かれて研究に没頭します。その意味では,遊びと同じことをやっているのです。(p113)
 発想の必要条件は,「考え続けること」です。考えていないときに発見や発想が天から降ってくることはありえません。(中略)考え続けるためには,その前提として,仕事に関して現役である必要があります。(中略)潜在意識で発想が進むためには,関連情報が頭に残っている必要があります。(p122)
 PCの最大の特徴は,編集が著しく容易なことです。(中略)清書という余計な労力なしに,つねに最新版の文章が読みやすい形で得られます。そこで,紙の場合とは異なる書き方になります。(中略)紙の場合のように一方向的に順を追って書くのではなく,「行きつ戻りつ」という書き方になります。(中略)このため,きわめて大量の書き直しを行うことになります。(p126)
 「仕事を始めること」は,絶大な効果をもたらします。なぜなら,その仕事について考えるようになるからです。(中略)これは,大変重要な意味を持ちます。なぜなら,新しい発想は「考え続けることによって生まれる」からです。(中略)構えてしまって仕事に取り掛かれないでいると,この段階には入れません。(p130)
 書いた文書は,あたかも他人が書いた文書のように批判的に読むことができる。これによって,自分自身との会話ができる。(p133)
 頭に材料を一杯に詰め込んでから散歩すると,「材料が頭の中で撹拌されて」,発想ができるような気がします。(中略)少なくとも,体を動かすことは,発想にプラスの影響を与えるようです。「歩く」ことは,アイディアを得るための,最も手軽で最も確実な技術です。(p137)
 こま切れの仕事に時間を取られ,多くの人と会う生活に明け暮れていては,「発想」はできません。手帳を予定で埋め尽くしている人は,発想とは無縁でしょう。(p141)
 ホワイトボードにマーカーで書くことには,どうしてもなじめません。単なる懐古趣味かもしれませんが,黒板からホワイトボードへの変更は,大学の知的レベルの低下を象徴しているように思えます。(p155)
 カジュアルな接触や簡単な意見交換を行なうための溜まり場が研究者には不可欠でるにもかかわらず,日本の大学や研究所には,なかなか見当たりません。(中略)大学院生も,研究室は要求するにもかかわらず,集会室は要求しません。これは,日本の研究スタイルが,「研究室閉じこもりスタイル」であることを如実に示しています。(p167)
 読書は,うまく行えば,著者とのディスカッションとなります。対話の相手として読むことができるのです。したがって,本は,理想的なインキュベーターの代替物となります。(中略)しかも,相手は,現在生きている人に限られません。歴史上の最高の頭脳と対話することもできるわけです。考えてみれば,素晴らしいことです。(p174)
 本を読むとき,多くの人は,学ぶ姿勢で読みます。(中略)しかし,ここで述べている読書は,受動的に読むのではなく,能動的・積極的に読むのです。対話するつもりで,本に語り掛ける。大袈裟にいえば,本と格闘するのです。このためには,こちらで問題意識を持っていることが必要です。読み手の頭が空では駄目です。(p176)
 私の観察では,官僚病患者は,中央官庁より地方や関連組織に多く見られます。そして,幹部職員よりは下級職員に多く見られます。また,日本の大企業の多くは,官庁より官僚的です。こうした組織が,創造的な日本人の潜在力をなんと無駄にしていることか。これらのエネルギーが解放されたら,日本は大きく変わるでしょう。問題は,個人の能力でなく,それを殺してしまう社会制度なのです。(p231)
 官僚組織とは,小さな失敗を認めないために,知らぬうちに大きな失敗を犯す組織なのです。(p234)
 私は,(KJ法に代表される)マニュアル的発想法に頼ろうと思ったことはありません。その理由は非常に簡単です。これらを使って優れた発想が生まれたという実例を,知らないからです。(p244)
 「定型的なルールを覚え,それにしたがわなければならないのだとすると,発想とは何と面倒で退屈な作業だろう」と,私は感じます。(中略)自由であるべき発想を,定型的な方法に閉じ込め,一定の手続きで行われなければならないというのは,本質的なところで誤っています。(p248)
 思考は,最終的には文章,図,数式などの形で顕現化されます。ですから,どこかの段階で,形のあるものとして外部化されなければならないのは事実です。問題は,「どの段階で外部化するか」なのです。KJ法は,これを素材の段階(あるいはそれに近い段階)で行っています。つまり,まとまりのない四国の断片を書き出し,それらの関連付けを物理的な作業として行なおうとしています。そのことを川喜田氏は,「データをして語らしめる」と述べています。しかし,まさにこの点こどが問題なのです。(中略)コンピュータにたとえれば,KJ法は,いちいち外部メモリと情報交換するようなものです。したがって,スピードが著しく遅くなります。発想のためのデータはワーキング・メモリーになければならないのです。そして,高速の情報処理をやらないと駄目なのです。このように,「普通の人は頭の中でやっている作業を,なぜわざわざカードに書く必要があるか?」という点が,KJ法に対する最大の疑問です。(p256)
 より本質的な問題は,「日常的な観察,見かえ上の関係,あるいは表面上の類似性などに囚われては,真の関係は見ぬけない」ということです。(中略)もし人類がKJ法的な方法にこだわっており,「データをして語らしめる」という方法論から抜け出せなかったら,近代科学は生まれなかったでしょう。(p261)
 関連付けを考えたり,マトリックスで考えたりという方法は,部分的には,あるいは無意識的には,われわれが日常的に行なっていることなのです。問題は,それを定式化し,ルール化することです。そして,ルール化された手続きに固執することであり,「そのルールにしたがえば自動的に発想できる」と依存してしまうことです。(p262)
 他人の研究を読まないことによってのみ独創的である人もいるが,これはしばしば見せかけの独創性であり,シュンペーターが〈主観的独創性〉と皮肉って呼んでいたところのものである。(サミュエルソン p277)
 積極的に求め,挑戦しなければ,何事も起こりません。しかも,時間さえかければ結果が生まれるというわけでもありません。真剣にならなければ,決して成果は生まれません。そして,必要性がなければ人間は真剣になりません。ですから,どうしても何かを生み出したいという,強いインセンティブとモチベーションがなければなりません。そうでなければ,寝食を忘れて仕事に没頭する状態にはならないでしょう。(p280)
 創造的活動を行なうのに,高い知的能力は必要でしょうか? これに関して,つぎのような話があります。ある出版社の社長が,創造性がない社員が多いことを心配して,心理学者に調査を依頼しました。1年間社員を綿密に調査した結果,創造性のある人々とない人々の間には,たった1つの差異しかないことが発見されました。それは,「創造的な人々は自分が創造的だと思っており,創造的でない人々は自分が創造的でないと思っている」ということでした。(中略)これは,歴史上の大学社や文学者などを見ても裏付けられます。発想や創造に知能指数はあまり関係がないのです。(p290)

2020年3月1日日曜日

2020.03.01 野口悠紀雄 『話すだけで書ける究極の文章法』

書名 話すだけで書ける究極の文章法
著者 野口悠紀雄
発行所 講談社
発行年月日 2016.05.20
価格(税別) 1,500円

● 音声入力による文章作成を論じている。2016年の発行。ということは,2016年ですでにこういうことができるようになっていたのか。知らんかったわ。これにGoogleレンズの話を加えたものが『「超」AI整理法』ということになるか。
 スマホの音声入力は1分間しか保たないらしい。ウルトラマンの3分の1のスタミナだ。が,そこを改善するアプリがある。そのあたりの解説もある。

● 以下に転載。
 音声入力機能を用いれば,PC(パソコン)のキーボードで入力するのに比べて,約10倍の速さで文章を書くことができます。つまり,文章を書くという作業の性質が一変してしまったわけです(p4)
 一昔前のアメリカ映画を見ると,会社のボスが秘書に手紙を口述させる場面がよく出てきます。これは,書くという作業よりも話すほうがずっと楽であることを示しています。(p18)
 これまで私は,文章を書く作業を,机に向かって座り,PCのキーボードを叩くという形で行っていました。音声入力を用いるようになって,それがさまざまなスタイルに拡散しました。スマートフォンを用いる入力は,どこでもできるからです。(p23)
 仕事のスタイルというものは,固定化しがちなものです。そのときの最先端の技術に適合した仕事の仕組みをいったん構築すると,それが固定化してしまいます。その後に技術進歩が生じても,それを受け入れなくなるのです。(中略)これまでスマートフォンの仮想キーボードを頻繁に使っていた人たち(とくに,フリック入力方式に習熟していた人たち)は,音声入力の価値を過小評価し,それを利用できることを知っていても利用していない人が多いのではないかと思われます。(p25)
 とくに愕然としたのは,「自分は話す内容を持っていない」と気付く場合があることです。散歩時間にスマートフォンに話しかけようとしても,何も出てこないことがあるのです。つまり,「私は何も考えを持っていない」ということです。(中略)音声入力をすることによって,私の頭の中の状態が明白になったのです。音声入力は,頭の中を「見える化」する手段です。これは,重要な発見でした。(p27)
 これまで,私にとってスマートフォンは,主として閲覧装置(出力装置)でした。しかし,音声入力機能が使えるようになって,スマートフォンは,いつでもどこでも簡単に使える入力装置に変わったのです。この変化は非常に大きなものです。(p32)
 音声入力を用いればキーボードを用いなくても入力ができるため,スマートフォンを積極的に使うことができます。これによって,高齢者のスマートフォン利用は格段に進むでしょう。そしてそれは高齢者の生活を豊かなものにしてくれるでしょう。(p37)
 音声入力機能の最も有効な使い途は,長文のテキスト化であると私は考えています。長文を簡単に入力できることは,知的作業において新しい可能性を開きつつあります。(p41)
 書いたことさえ忘れてしまったメモがスマートフォンにきちんと残っているのを見ると,きわめて強力な「外部脳」が出現したと実感し,感激します。(p54)
 これまでは書くスピードに限界があったので,「考えていることのすべてを書き終わらないうちに忘れてしまう」ということもありました。しかし,いまや,頭の中で考えていることを,きわめて迅速に文字という形にすることが可能になりました。(中略)キーワードだけの要点メモではなく,文章そんものを書いてしまうことができます(音声入力は,切れ切れに話すよりは,長い文章を速く話すほうがうまく変換してくれます)。(p54)
 後から編集はいくらでもできるので,どんどん入力していくべきです。思いついたこと,アイディア,新聞や書籍に書いてあったこと,買いたい書籍,買いたいもの等々。どんなことでもメモできるし,したほうがよいでしょう。そのうちに使い方が分かってきますし,メモしたことの中に,思いがけない宝物が見つかるかもしれません。(p55)
 文章を執筆する場合も,「何を書くか」というアイディアが重要です。(中略)文章の価値は,どのようなテーマを見出すかで,ほとんど決まります。(p78)
 問題に集中する能力が優れていることが,創造のための第一の条件です。アイディアを発想する能力は,集中する能力とほぼ同じだと言ってもよいでしょう。(中略)よく,「あの人の頭の中は空っぽだ」と言います。しかし,実際には,空っぽなのではなく,いろいろなことを考えているために,考えがまとまらないのです。(p85)
 では,集中するにはどうしたらよいでしょうか? きわめて有効な方法は,メモを「見る」ことです。それによって,考えが,考えが,その案件に固定されます。(中略)何も見ずに注意を集中するのは難しいと,私は思います。(p89)
 メモを書く理由は,「備忘」ということだけではなく,「集中の支援」ということもあるのです。(p90)
 メモを残しておかないと,10分前に考えていたことでさえ忘れてしまうことが,往々にしてあります。そのため,重要なヒントを逃してしまうのです。(p91)
 アイディアは,何もないところに突然現われるのではなく,ほかのアイディアとの関連付けによって生まれます。いわば,「ほかのアイディアの肩に乗って生まれる」のです。(p92)
 私は,しばしば講義をアイディアを得る目的のために利用しています。講義の際の質問から,アイディアを得ることがあるのです。このため,私はできるだけ多くの時間を質疑にあてることにしています。(p94)
 人間の話し相手はアイディアを生み出すための理想的な触媒なのですが,しかし,見つけるのがまことに難しい対象なのです。それに対して,音声認識による自己対話なら,誰でもすぐに始めることができます。考えていることを音声認識によって文章の形にし,それを後から見れば,相談相手とおなじような刺激を与えてくれることがあります。(p95)
 短い言葉で世界の真理を表現できる人は,ごく少数です。われわれ普通人とは,あまり関わりのない世界だと言っても良いでしょう。われわれが通常関わることについて言えば,内容の充実度とその量はほぼ比例関係にあります。1時間分の分量を持っていれば,そのテーマについてエッセイや論文を書くことができるでしょう。しかし,(中略)1分しか話せないというのは,あなたがその問題について素人だということです。それを引き延ばしてブログに書いたとしても,誰も反応はしないでしょう。(p112)
 多くの人は,口頭でも文章でも,150字程度のメッセージは頻繁に発信していますが,1500字程度以上のメッセージは,受け入れるだけであって,自分から発信する機会はあまりありません。また,そのレベルのメッセージを順序立てて述べるという訓練をしていません。(中略)150字と1500字の間には,「構造を作る必要があるかどうか」という点で,決定的な差があるのです。(p126)
 メモを取るのに特別のコストがかかるわけではありません。後で使わなかったとしても,それで損失が生じるわけでもありません。ですから,「メモを取るべきか否か」などと考えず,どんなことでもメモします。また,音声入力で作ったメモは,紛失することがありません。(p134)
 文章を書くために最も重要なことは,「とにかく書き始める」ことです。ところが,スタートさせるのは,容易なことではありません。書き始めようとしても,非常に大きな慣性が働くのです。(中略)しかし,音声入力を用いると,この関門を突破することができます。なぜなら,思いついたことをしゃべるだけで文章が出てくるからです。(中略)文章を書く作業のスタートがこんなに簡単になったのは,革命的なことです。(p146)
 では,どのようにしてテーマを見つければよいのでしょうか? この問いに対する答えは,「とにかく考え抜くこと」です。「切羽詰まれば何か出てくる」というのが,私の経験です。ただ,いくつかのノウハウもあります。(中略)まず問題意識を持っていなければなりません。そして,アイディアは,別のアイディアに関連して出てくるので,とにかく仕事をスタートさせることが重要です。(p152)
 自分自身の視点を持つには,専門分野を持つことが重要です。「この分野のことに関しては,世の中の誰にも負けない」という分野です。それを出発点として,関心を広げていけばよいのです。(p155)
 本を書く場合には,(中略)各章の最後に「まとめ」を作ることも,有効です。これは,もちろん読者の便宜のために作ったものですが,実は,私自身のために作っているという側面もあります。これによって,各章のメインの内容が何であるかを,常に把握しようとしているのです。(p166)
 電子的なメモの大きな利点は,順序を簡単に変えられることです。(中略)これまでも,複雑な内容の文章を書く場合,頭の中だけで論理構成を組み立ててきたかといえば,そうではありません。(p167)
 知りたいことがあったら,すぐに「話して検索する」習慣をつけることです。「知りたいことのほとんどは検索でわかる。そして,検索するには話すだけでよい。だから,話そう」と考えること。そうした習慣をつけることです。(p193)
 音声入力ができるようになって,(ディジタルスケジュール表も)紙の手帳と同じような書き方をするようになりました。つまり,終日予定の欄,あるいはメモ欄に,時刻も含めて予定を記入してしまうのです。このほうが,時刻ダイヤルをあわせたりすることなく即座に入力ができるので,簡単です。(p228)
 与えられたスケジュールを記録しておき,それを実行するというだけの受け身のスケジュールしかなければ,スマートフォンで十分でしょう。しかし,積極的に時間を管理しようとすれば,どうしても紙の手帳が必要になります。(中略)「即時対応可能性と一覧性」という2つの点において,紙を超える装置はいまだに登場していません。(p237)

2020年1月19日日曜日

2020.01.19 野口悠紀雄 『「超」AI整理法』

書名 「超」AI整理法
著者 野口悠紀雄
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.06.29
価格(税別) 1,500円

● 副題は「無限にためて瞬時に引き出す」。いらないものを捨てるという発想をやめて,検索で必要なファイルを引きだすということ。

● 本書の肝は2つ。スマホ&音声入力による「超」メモ帳の提唱。Googleレンズの勧め(写真を撮るだけで紙の文書をテキスト化できる。外国語で書かれたものが格段に読みやすくなった)。
 著者の野口さんは御年79歳。それでこの柔軟性。これからロシア語の勉強も始めるという。爪の垢をいただきたい。

● 以下に転載。
 整理はそれ自体は何も生み出さない仕事なので,いかに整理に時間を使わずに仕事をこなしていくかが重要です。(p5)
 世の中には,ノウハウでないノウハウが多すぎる(p5)
 デジタル情報について重要なことは,「いらないものを捨てる」という努力をやめて,「必要なものを検索する」という方針に転換することです。(p6)
 不要と分かっているものを捨てないで溜め込んでおくというのは人間の本能に反することなので,決して容易ではありません。(p74)
 音声入力によって,キーボード入力に比べて文章を書くスピードを飛躍的に向上させることができます。ただし,速さより重要なのは,いつでもどこでも,思いついたことをすぐにメモにとれるようになったことです。(p7)
 音声入力が可能になったので,われわれは2000年前の権力者と同じことができるようになりました。いや,同じではありません。それ以上です。なぜなら,カエサルといえども,真夜中に思いついたことを即座に口述筆記させることはできなかったろうと思われるからです。それに対してわれわれは,スマートフォンを枕元に置いて寝るだけで,真夜中であっても,簡単に口述筆記ができます。(p28)
 グーグルレンズは,印刷された文字を読み取って,テキストに変換してくれます。これによって,検索が実に簡単にできます。(中略)どんな国の言葉も簡単に翻訳や検索ができます。いまやわれわれは,どんな外国語も読め,森羅万象と歴史と文学とあらゆる学問に通暁した世界一の物識り博士を,いつでも引き連れているような身分になったのです。(中略)グーグルレンズを使っていると,「カメラというのは眼にすぎず,重要なのはその後ろにある脳なのだ」ということがよく分かります。(p31)
 整理法の本にあるもう1つの大きな間違いは,「整理は分類である」としていることです。しかし,分類とは思想です。思想によって分類は変わります。(p54)
 パスポートを収納した封筒を,新聞記事を収納した封筒の隣に置くことは,どうしても心理的抵抗が働きます。「重要なものは,隔離して別のところに置く」というのは,人間の本能だからです。別の場所に置くために紛失してしまうにもかかわらず,この本能を克服できません。「超」整理法の実行は,一見したほど簡単ではないのです。(p59)
 『アルゴリズム思考術』では,「図書館では,返却された本を完全にソートして書架に戻すという作業を行っているが,これは,実は秩序を乱しているのだ」と指摘しています。返却された本がまず置かれる分別用の棚には,最後に利用されてから最も時間が短い本が集まっています。これらこそ最も重要な本なのですから,「そこから本が運び去られるというのは,犯罪行為に近い」としています。そのとおりです。(p65)
 ファイルを名前の順に並べるのは,住所録の発想です。デジタル情報にはまったく適していません。(p75)
 「捨てる努力をやめて,検索で目的のファイルを引き出す」「ファイルの数は,いくら多くなってもきにしない」という方針に転換したのです。すると,用途が一挙に広がりました。(p79)
 私はこれまで,音声入力で長い文章が書けることに注目していたのですが,それだけではなく,検索に音声入力が使えるというのが重要な点です。(p86)
 重要なことがあります。それは,「いらないものを捨てる」「重要なことだけを書き残す」という考えから脱却することです。これは,人間の本能なので,克服するのは容易ではありません。この本能を克服して初めて,「超」メモ帳を駆使することができます。(p88)
 庭は,少しずつでも毎日手入れをしていれば,美しく保つことができます。しかし,放置すれば荒れてしまいます。情報を蓄積するアーカイブもまったく同じです。作っただけで使わなければ,荒廃します。毎日使っていれば,効率的なシステムを維持できるのです。(p129)
 音声入力機能の最も有効な使い途は,長文のテキスト化であると私は考えています。長文を簡単に入力できることは,知的作業において新しい可能性を開きつつあります。(中略)ところが,不思議なことに,長文入力がきわめて有用であることに気がついている人は,あまり多くないように思われます。(p134)
 音声入力が使えるようになってから,スマートフォンは入力装置になりました。この変化は非情に大きなものです。なぜなら,PCと違ってスマートフォンは,いつでもどこでも使えるからです。(p136)
 メモはきわめて重要です。(中略)メモは,あらゆる知的活動の基礎です。メモが必要なのは,人間の脳は,短期記憶の保持について,能力が低いからです。そのため,思いついたことをメモに取らなければ,すぐに忘れてしまします。(p142)
 「メモすべきかどうか」などと思い悩まず,何でもメモするほうがよいのです。「考えがまとまってから入力しよう」と考える必要もありません。後から編集はいくらでもできるので,思いついたことをどんどん入力していくべきです。(p144)
 私は,「文章を書く際に最も重要なのは,とにかくスタートすることだ」と考えており,「全体の構想がまとまらなくても,とにかく書き始める」ことを心がけていました。(p152)
 適切な構造は,全体がかなりの程度でき上がってからでないと,分からないのです。(中略)この点から見ても,とにかく書き始めることが重要なのです。(p163)
 せっかく文章の形に整えたものを捨てるのは,いかにも惜しいことです。しかし,不要なものが残っていると,文章が弱くなります。(中略)音声入力を利用するようになると,さまざまなことを簡単に書けるため,このことの正しさがさらに増します。(p164)
 まず,思いついたことをツイートします。これは思考の断片でしかありません。しかし,保存しておきたい思考の断片です。(中略)同じ内容のことを何度もツイートしてしまうこともありますが,あまり気にしないことにします。(p188)
 文章に残すことによって,時間を隔てた自分との間で伝達をすることができます。つまり,1人の人間が2人分,3人分の仕事をできるようになるわけです。これはきわめて大きな効果です。(中略)文字は,時間を隔てて別人になってしまった自分自身との間の,伝承や継承をも可能にするのです。(p193)
 グーグルレンズの画像認識を用いて,独学を進めることができます。とくに,外国語の勉強には有用です。(中略)具体的には,つぎの方法によって,正確な翻訳が得られます。まず,ある程度長い範囲を訳させます。一部は間違っていても,全体としておよそ何を言っているかは分かります。そこでとくに知りたいところを訳します。すると,正解に近づきます。さらに細かく取り出すと,正解を出します。専門分野の文献については,こうした「分解法」で,文献をかなりの程度,読みこなすことができます。(p198)
 グーグルレンズを用いれば,グーグル翻訳の読み上げ機能を利用して,音読が聞けます。(中略)これは,外国語を勉強するための最強の方法です。(p206)
 新聞(とくに一般紙)の紙面は,もともと,詳しいニュースを伝えるというよりは,ニュースの入り口としての意味が大きいと考えられます。(中略)印刷物の役割は,詳細な情報を伝えるというよりは,ウェブの世界への魅力的な入り口を作ることになっていくでしょう。(p219)
 いくらストックしても,必要なときに引き出せなければ,宝の持ちぐされです。というよりは,単にゴミの山でしかありません。(p251)
 重要なのは,「ほぼ目的が達成でき,しかも簡単に実行できる仕組み」を考え出すことです。「完璧に機能するが,実行するのが面倒な仕組み」では意味がありません。(p252)
 既存の知識と問題意識のぶつかり合いでアイディアが生まれるのです。(中略)新しい情報に接したとき,それにどのような価値を認めるかは,それまで持っていた知識によります。(p272)
 一般に,文学作品は,原語でしかその価値がわかりません。詩はとくにそうです。(p273)

2019年2月2日土曜日

2019.02.02 野口悠紀雄 『「超」独学法』

書名 「超」独学法
著者 野口悠紀雄
発行所 角川新書
発行年月日 2018.06.10
価格(税別) 840円

● 座学で何とかなるものは,学校に行くより,独学の方がずっと効率がいい。IT化によって,独学が格段にやりやすくなっている。以上が本書の骨子。
 いい時代に生きているのだなと,元気になれる本だ。

● 大学で勉強することには,重要な意味があると考えている。それは,「大学での勉強とはこの程度のことだ」と知りうることだ(p84)。言い得て妙。 
 大学を出た親が自分の子供を大学に行かせることの不思議。東大OBは子供を東大に行かせようと思っていない,なぜなら東大の程度を知っているからだ,と聞いたことがある。だとすると,さすがは東大OBってことになりそうだ。

● 以下に多すぎる転載。
 周到な準備をしてからおもむろに歩み出すのではなく,とにかく始めるのだ。何事においても最初の一歩を踏み出すことができれば,物事は進展する。難しいのは,第一歩目を踏み出すことだ。(p4)
 英語の勉強のためには,通勤電車の中でYouTubeの動画を聞くのが一番よい。(p7)
 社会人にとっての独学は,学校での勉強の補完物でも代替物でもない。多くの場合に,それより効率的で優れている。(p23)
 人間は,生まれたときには,ごく限定的な能力しか持っていない。人間の能力のほとんどは,後天的な勉強(学習)によって獲得する。こうした意味で,人間はきわめて特殊な動物なのだ。人間の本質は,勉強にある。勉強こそ,人間の人間たる所以だ。だから,勉強することは本能的に楽しいのだ。(p31)
 毎日最低1つは,新しい言葉を調べること。これを習慣にしよう。これは独学の第一歩である。(p36)
 「学校選び」から始めるのでは,間違った選択をした場合のやり直しのコストが高い。(p39)
 私は,「敵・味方理論」というものを信じている。あるものが敵であると考えると,自分からますます遠ざかってしまって,本当に敵になってしまう。その反対に,味方であると考えると,自然に自分に近づいてくる。分からないことは,自分の敵である。それを調べないで放置しておけば,敵のままだ。(p40)
 「丸暗記方式」というのは,ユダヤ人の伝統であるようだ。熱心なユダヤ教徒は,旧約聖書を自由自在にそらんじることができると言う。一般にユダヤ人に知能の高い人が多いのは,本の丸暗記という教育方法が伝統的にあるからだと言われる。(p50)
 ITは,知の制度化を大きく破壊している。大学で学んだ知識は陳腐化してしまっている。他方で,ウェブを見れば,最先端のことまで分かる。制度化された現代の最強のギルドである医学さえ,最先端の分野では,変化から免れない。(p71)
 最初に買ったのは,過去の問題集である。そこに出ている問題い答えられるように勉強を開始した。つぎに,経済学百科事典を買ってきて,問題を解くために必要な箇所を拾い読みしていった。経済学の教科書を購入したのは,その後である。つまり,教室で順序立てて勉強するのとは,ちょうど逆方向に勉強したのだ。(中略)公務員試験が目的であれば,功利主義的であっても,一向に構わないだろう。教科書を最初から読むのに比べると,この方法のほうがずっと効率的であり,しかも(これが重要な点だが)興味を失わずに勉強を続けられる方法なのである。(p77)
 では,教師と学生の差はどのくらいか? 昔であれば,実年齢だったろう。つまり20年程度は離れていただろう。(中略)しかし,現代の世界では,それでは到底追いつかない。とくに変化の激しい分野では,そうだ。(中略)新しい分野であれば,教えるほうも独学で勉強するしかないのだ。(p81)
 私は,「大学で勉強することが無意味」と言っているわけではない。むしろ,大学で勉強することには,重要な意味があると考えている。それは,「大学での勉強とはこの程度のことだ」と知りうることだ。(中略)人間は誰も,知らないことや分からないことに対しては,畏敬の念を感じるものだ。大学の外にいる人間にとって,大学というのは,まさに近寄りがたい知の殿堂なのである。(中略)しかし,そうではないのである。(p84)
 日本の企業は,これまで普遍的知識や技能を評価するのでなく,企業に特有の条件を強調してきた。そして,実務のための専門的知識は,学校の勉強ではなく,OJTによって取得するものを考えられていた。だから,実務経験しか評価しない。(p92)
 なぜ世の中が変わるのか? それは,技術進歩が加速化するからだ。とくに,ITによって,経済社会は大きく変わり,これからも変わり続ける。(中略)社会の変化が急速になると,勉強し続けていないかぎり社会の変化についていくことができなくなる。(p94)
 変化が激しいとは,新しいフロンティアが広がるということだ。そこにはまだ誰も手をつけていないので,思うがままの発展をすることができる。社会が大きく変われば,新しいチャンスが生じる。それを捉えることができれば,新しい成長ができる。(p95)
 ごく少数の人間の革新的なアイデアが,現代のリーディング企業を作っているのである。このため,アメリカをリードするハイテク企業は,さまざまな工夫をして,個人の創造性を引き出そうとしている。(p96)
 日本の経営者は,大学で法律や経済を勉強した人が多い。それらの知識は,実際の企業経営や経済運営とはほとんど関係がない。(中略)そのために,専門的な経営者が生まれなかったことは,事実である。その結果,「企業は人なり」とか,「企業の社会的責任」などという薄っぺらなことしか言えない人が多い。(p98)
 勉強するのは若いときのことであると考えている人が多い。しかし,これからは,高齢者の独学が重要な課題になる。高齢者は,それまで得た知識のストックを保有しているわけだから,新しい知識を吸収し,それを解釈し,それを活用することを,若い人よりは容易にできるはずである。(p100)
 ITによって,少なくともコンピューターパワーに関するかぎり,資本の重要性は著しく低下した。「持たざる経営」が可能になってきているのだ。(p105)
 フリーランサーとして仕事をするためには,インターネットを通じて情報発信することが不可欠だ。ブログを開設したり,自分のホームページを作るのがよい。したがって,これについて勉強することが必要になるが,それは自分でやるのが最も効率的だ。この類の情報は,実はウェブで一番手に入りやすい情報である。(p111)
 まず最初に注意すべきことは,これら(英会話学校,パソコン教室等々)がビジネスとして行われているという事実である。これらは,授業料を稼ぐために行っている営利事業である。そのため,勉強をしたい人のニーズに本当に応えているかどうか,疑問である。(p114)
 社会人の勉強では,必要とされる知識が,人によって大きく違う。また,達成したいと思う目的も個人によって違う。一般的な社会人講座で得られるような知識では,仕事には役立たないことが多い。(p118)
 シリコンバレーのベンチャーの多くがスタンフォード大学から生まれた。それは,スタンフォード大学で(あるいは大学院で),「ベンチャービジネスの起こし方」という講義を行ったからではない。学生同士(あるいは,大学のスタッフ)が一緒に仕事をし,情報交換をしたからだ。こうした効果を独学に期待するのは難しい。独学をするなら,そうした機会は別途見つける必要がある。組織が外に対して閉鎖的である日本の場合に,これは,とくに重要なことだ。(p125)
 計画が長続きしないのは,長期目標ばかり考えて,中期計画がないからである。(p137)
 勉強を進めるためのインセンティブの基本は,向上心だ。これが勉強の原点だ。あからさまに言えば,「勉強をして自分の社会的地位を向上させたい」という欲求だ。(中略)多くの人は実利を目的として勉強している。その実利とは,「社会をよくする」といった類の抽象的で利他的なものではない。もっと利己的なものである。貧しい社会では,明らかにそうだ。(p138)
 子供から教育の機会を奪うのは,最も憎むべき犯罪行為だ。(p140)
 貧しい社会では,本人が「勉強したい」と考えていても,それが必ずしも親に支持されるとはかぎらない。高度成長期以前の日本では,多くの子供たちが,親に隠れて勉強した。(p140)
 「人に見せたいから,あるいは自慢したいから努力する」というのは,決して悪いことではない。「政治家は,偉くなるほど能力が高まる」と言われる。それと同じことである。人間のこうした心理は,勉強においても積極的に活用すべきものだ。(p142)
 勉強の最も強いインセンティブは,好奇心である。面白いから,楽しいから勉強するのだ。研究者は,社会に貢献しようとして研究しているのではない。面白いからやっているのだ。(p143)
 問題意識を持っていれば,情報が捉えられる。問題意識を持って情報をプルする人と,プッシュされる情報をただ受ける人の差は大きい。(p143)
 「知識を増やしたければ教えよ」と言われる。これは正しいと思う。「人に教える」ことは,勉強の強力な牽引力になる。(p146)
 昔であれば,自費出版には大変な費用がかかった。しかし,いまではそれと同じことが,ブログで簡単にできる。無料だから,誰にも文句を言われることはない。少々間違えても,後で訂正すればよい。そして,それを友人に知らせる。あるいは,ツイッターで広める。「人に教えるほどの専門知識はもっていない」と言われるかもしれない。それなら,「勉強のまとめ」を作ればよい。(p148)
 最も重要なのは,余計なことをしないことである。人生は短い。私は,だいぶ前から,省庁の委員会の類への出席を一切やめた。(p151)
 自分でしなくてよいことは,金を払ってでも,人に任せたほうがよい。(p152)
 独学のための理想的な環境は,通勤電車の中だ。(中略)満員の電車の中では他にすることがないから,気が散らない。集中できる。地獄の満員電車は最高の勉強場になる。(p153)
 まず重要なのは,問題そのものを「探す」ことである。何を目的にして何を勉強したいのかという問題意識を明確にすることが重要である。学校秀才に欠けている能力は,これである。日本の学校教育では,問題を探す訓練をしない。(p160)
 勉強できる学生はまんべんなくやっているのではなく,重要な点を押さえている。つまり,不均質な努力をしているのだ。(中略)「どこに努力を集中するか」こそが,重要なのである。(p161)
 新しい分野を勉強するとき,基礎から一歩一歩というのが普通だ。しかし,私は,この方法に疑問を持っている。私が強調したいのは,「途中で分からないところがあっても,とにかく全体を把握せよ」という勉強法だ。とにかくできるだけ早く山頂に登る。(中略)「高いところから見れば,よく見える」からだ。(p163)
 読みたいところから読む。順番にこだわる必要はない。小説は最初から読まないとだめだが,ビジネス書や教科書であれば,最初から読む必要はまったくない。(p166)
 本の中核となっている部分は,全体の2割にもならないということだ。2割どころか,数%しかない場合も多い。そして,そこを重点的に読めば,すべてを平板に読むよりずっと多くを学べるということだ。(p169)
 1980年代には,「日本企業で仕事をしたいので,日本語を習いたい」と言っていた学生が多かったのだが,そうした時代ははるか大昔だ。(p173)
 「仕事に使う道具」という視点がないことが,日本人の実用英語学習における大きな誤りである。語学教室で,こうした英語教育を提供できないのは,専門分野の知識を有する教師を揃えることができないからだ。(p179)
 外国語を勉強する方法は,シュリーマンが言っていることに尽きる。つまり文章を丸暗記するのである。単語を孤立して覚えるのでなく,文章として覚えるのだ。孤立した単語を1つずつ覚えようとしても覚えるのは難しい。だが,ある程度の長さの文章であれば,何度も繰り返し読めば,覚えることができる。何度聞けばよいかは個人差があるが,普通は20回程度聞けば覚えられるだろう。20回繰り返して読むためには,独学で行うしかない。つまり,外国語は独学でしか習得できないのだ。(p180)
 人間の記憶は,関連のない単語を孤立して覚えられるようにはできていない。意味がある一定の長さの文章を覚えるように,できているのだ。(p181)
 英語のリスニング訓練は,完全な独学が可能である。英会話学校に通ったり個人教師について勉強する必要はない。(中略)いまやインターネットからいくらでも教材が入手できる。市販の高価な教材を買う必要もない。というより,自分用の教材を作り,1人で勉強するほうがはるかに効率的だ。(p185)
 言語の勉強で最も重要なのは,興味を失わないことである。学校の教科書の最大の問題は,興味をひかれないことだ。(p190)
 外国語の勉強で陥りやすい誤りは,「日本語に翻訳して理解しようとすることである。そうではなく,外国語のままで理解しなければならない。そうしないと,英語を実用的な目的に使うことができない。(p193)
 コンピュータの脅威だけを言うのでなく,AIやブロックチェーンを利用することが必要だ。そうすることのできる人が,未来の勝者になるだろう。(p222)
 新しい情報に接したとき,それにどのような価値を認めるかは,それまで持っていた知識による。新しい情報に接しても,知識が少なければ,何も感じない。しかし,知識が多い人は,新しい情報から刺激を受けて,大きく発展する。(p230)
 何かを知りたいと思うのは,知識があるからだ。そして,質問を発することによって,探求が始まる。知識が乏しい人は,疑問を抱くこともなく,したがって,探求をすることもなく,いつになっても昔からの状態に留まる。(中略)創造的な人は,それまで他の人がしなかった問いを発することによって,新しい可能性を開く。(p231)
 知識は,何かを生産するための手段として必要なものと考えられてきた。しかし,実は知識そのものが重要なのかもしれない。つまり,知識を得ることそれ自体に価値があるのかもしれない。これは知識に関する深遠な問いだ。(p233)

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 野口悠紀雄 『知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能』

書名 知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能
著者 野口悠紀雄
発行所 朝日新書
発行年月日 2016.11.30
価格(税別) 780円

● グーテンベルクが活版印刷を確立したことは,中学か高校の歴史で習った。しかし,それが社会を揺らすほどの画期的なものだったことを知ったのは,もっとずっと後だった。
 グーテンベルク以前,知識は少数者の独占物であり,支配の資源になっていた。そういうことを本書であらためて認識した。

● 今は,書店にも図書館にも書籍が溢れていて,誰でも安価または無料で読むことができる。読み書きは義務教育で教えてくれる。
 ありがたいことです。それがなかったら,ぼくのような者は間違いなく社会の落ちこぼれになっていたはずだもの。

● 本書では百科全書の革新性,Googleの検索エンジンの画期性も説かれる。百科全書が採用したアルファベット順。もし,Googleの検索エンジンがなかったら,インターネットは行き詰まっていたかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 大学もまた,1つのギルドであると見なすことができます。(p27)
 16世紀の宗教改革に続いて,17世紀のピューリタン革命,18世紀末のフランス革命などが起こりました。これらは,活版印刷が生み出す活字媒体なしには起こりえなかったことです。(p36)
 知識の拡散について,印刷術の発明や俗語で書くことは重要な変化だったが,百科事典というのはそれほど大きなことではないように思われるかもしれません。しかし重要なイノベーションがあったのです。それは事項をアルファベット順に並べることです。(中略)各項目の配列を,編集者の価値観に秩序づけられる概念の関係によるのではなく,機械的で一律なアルファベット順に並べたことです(p56)
 「学問は,基礎から順に学ばなければならない」 いまでも学者や専門家の間には,こうした考えが強く残っています。例えば大学ゼミにおける研究発表で,「何を参考資料に使ったか?」と教授に問われたとしましょう。そのとき「経済学事典で調べました」と(正直に)白状する学生がいます。この答を聞いて黙っている教授はいません。(中略)教授がこのように反応する理由は,既得権益を侵されるからです。百科事典を用いれば,素人が簡単に専門知識を入手できます。そのため,専門家の役割が低下し,専門家は専門家としての優位性を主張できなくなってしまうのです。(p68)
 知識が必要だと考える第1の理由は,新しいアイディアを発想するためには,知識が不可欠だからです。既存の知識と問題意識のぶつかり合いでアイディアが生まれるのです。(中略)その場合,知識が内部メモリ,つまり自分の頭の中に引き出せていない限り,それを発想に有効に使うことはできません。(p104)
 知識が必要だと私が考える第2の理由は,質問をする能力を知識が高めるからです。何かを知りたいと思うのは,知識があるからです。知識が乏しい人は,疑問を抱くこともなく,したがって,探求をすることもなく,昔からの状態に留まるでしょう。(p104)
 あるIT関連事業者は,「グーグルは全能で,インターネットのすべてを支配している。それが,IT企業の繁栄や破滅を決めてしまう」と言っていますが,そのとおりです。「検索ランキングの下位では生き延びられない」のが事実なのです。(p129)
 検索機能の重要性は,情報に対する態度が受動的か能動的かで,大きく異なります。日本では,「プッシュ」された情報を受けるだけの人が多くいます。それは,テレビの視聴時間が長いことに現れています。(p136)
 情報技術の進歩によって情報や知識の価値が低下していますが,それは複製が容易にできるからです。これに対して,リアルな公演そのものは,複製することができません。したがって,インターネット時代になってから,その相対的価値が著しく上昇したということができます。(p160)
 豊かになるにつれて,「それまでは資本財であったものが消費財になる」ということがしばしば起こります。何かのための手段ではなく,それ自体が目的になることが多くなるのです。同じことが,知識についても言えます。というより,知識は,最も価値が高い消費財になりうると思います。(p241)
 知識が増えれば増えるほど,体験の意味と価値は増します。それによって,生活は豊かなものになるのです。(p242)
 シュテファン・ツヴァイクは,『マゼラン』の中で,次のように言っています。 「歴史上,実用性が或る業績の倫理的価値を決定するようなことは決してない。人類の自分自身に関する知識をふやし,その創造的意識を高揚する者のみが,人類を永続的に富ませる」(p244)

2015年10月8日木曜日

2015.10.06 野口悠紀雄 『「超」集中法』

書名 「超」集中法
著者 野口悠紀雄
発行所 講談社現代新書
発行年月日 2015.09.20
価格(税別) 740円

● わりと既知のことが書かれていた。もちろん,知っていることと実行していることとは,まるで別だけどね。

● いくつか転載。
 われわれは,無意識のうちに,現象が一様分布や正規分布に従うと考えてしまうのですが,現実の世界はもっと「偏っている」のです。(p6)
 2割を制する者は8割を制し,8割を制する者は天下を制する(p20)
 明晰な文章を書くには,「いかに切る捨てるか」が重要です。「いかに盛り込むか」ではありません。(中略) 重要なものが何かを見出し,それに集中しなければなりません。2:8法則は,文章執筆ではとくに重要な原則です。枝葉をとり,幹を見せることが重要です。(p38)
 世界は複雑です。だからといって,「この世にはいろいろなことがある」では,人に伝える価値のある論述にはなりません。すべてをカバーしようとする人は,結局何もカバーできないのです。(p39)
 「コア」とは,「重要なもの」のことであり,分量で言えば全体の2割くらいしかありません。問題は,いかにしてそれを見出すかです。 これに関して,つぎの2つのことが言えます。第1は,書類や資料などの「情報」については,「新しいものが重要」ということ。第2は,「繰り返し利用するものが重要」ということです。(p73)
 いつまでも使わないものを,後生大事にとっておく人が多いのですが,買ったときに高価だったからといって,使わないものには価値がないと考えるべきです。(p76)
 できる学生は,どこが重要化を捉えています。(中略)成績の悪い学生は,怠け者や能力が低い学生とは限りません。多くの場合に,勉強方が下手なのです。具体的には,2:8法則に従っていないのです。勉強ができるかできないかの差は,まさに,ここにあります(そして,この点にのみあります)。(p96)
 よい教師とは,「どこが重要なのか」を教えてくれる教師です。(中略)教科書に比べて講義がすぐれているのは,重要な点を強調できるからです。逆に言えば,それを示せない教師は無能です。(p99)
 古典は,学問が現代のように専門化し細分化していなかった時代の知を表しています。ですから,古典をいま読むことは,全体像を把握する上で,有用です。(p141)
 日本企業の実情を見ると,日常業務のレベルにおいてデータを有効に活用しているとは,お世辞にも言えません。(中略)いまや,エクセルなどの表計算ソフトを用いれば,数字の処理は,誰にでもごく簡単にできます。 その際,難しい統計学の手法は必要ありません。昔なら回帰分析や有意度検定をしましたが,いまではデータのグラフ表示が実に簡単にできるので,それだけで,多くのことが分かります。グラフ化されたデータは,日常業務を漠然と観察しているだけでは気が付かないことを知らせてくれることがあります。エクセルのグラフとは,プレゼンテーションの際のカザリではなく,問題を発見するための道具なのです。(p144)