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2016年10月16日日曜日

2016.10.14 疋田 智 『電動アシスト自転車を使いつくす本』

書名 電動アシスト自転車を使いつくす本
著者 疋田 智
発行所 東京書籍
発行年月日 2016.08.18
価格(税別) 1,500円

● 電動アシスト自転車は,今や原付バイクよりはるかに売れているらしい。疋田さんが仰るように原付よりずっとエコなんだろうけど,電動アシストといえども自転車なんだから,たぶん歩道を走るよなぁ。
 こんなのが歩道を走って危なくないのかと,まずは思ったんだけど。

● そこも含めて電動アシスト自転車のメリットや可能性を,いろんな方面から分析していく。ぼくは田舎に住んでいるものだから,特に地方の高齢者にとって福音であると説くところに惹かれた。

● 以下にいくつか転載。
 ふと気づくと,周囲の自転車(主にママチャリ)が少しずつ電動アシストに入れ替わっていることに気づかないだろうか。静かだが,しかし,何か力強いものが,そこには息づいている。大げさにいうと,交通社会が変わりつつある。(p2)
 現在,高齢ドライバーがさまざまなところでシリアスな事故を起こし,問題になっている。しかし彼らからクルマを取り上げることなどできない。日本の地方においてそれは完全なライフラインだからだ。だが,もしも電動アシスト自転車が,クルマ需要の大部分を肩代わりできるなら。 事故のシリアスさが減じるだけではない。自転車はそれ自体,ボケ防止になるし,クルマに比べるとはるかに健康との親和性が高い。そして電動アシストならば,高齢者といえど,無理なく走れるのだ。(p6)
 日々,会社まで自転車通勤する私にとって,目の前の東京という街は,一気にフラットな街となった。ほんの少しの「電動アシスト」という力を得ただけなのだ。(p8)
 デザイン全般に言えることだと思うけど,若い女性は「いかにも女性用」「これってフェミニンな感じでいいでしょ?」なんてものにはノラないと今さらながら思う。(中略)本気で考えた上で決まったデザイン「こういう必然からこうなった」「これが本格派なのだ」というものにこそ反応する。このことは,あらゆるマーケティングのヒントになるものと,私は考えている。(p23)
 ルールを守れば安全は後からついてくる。これもひとつの事実だ。もしそれが「自分だけが守る」という状態であっても,効用は変わらない。(p69)

2015年9月8日火曜日

2015.09.04 疋田 智 『自転車ツーキニストの作法』

書名 自転車ツーキニストの作法
著者 疋田 智
発行所 ソフトバンク新書
発行年月日 2010.10.25
価格(税別) 760円

● 自転車通行をめぐる法規やその運用の実態,野次馬(自転車にのったことがない)としか思えない自転車政策の担当者,など話題はもりだくさん。
 だけども,いつもの疋田節でスイスイ読めるところが味噌。

● 基本的には,面白い面白いと文章を味わいながら読んでいけばいいものだと思った。

● 以下にいくつか転載。
 自転車こそが人類の未来を救うかもしれません。環境にも,医療費の削減にも,幸福な老後にも,交通事故の低減にも効くんです。何より愉しいですよ,自転車というものは。ただし,そのためには,自転車はルールを守らなくてはならない。まず自転車は車道の左を走らなくてはならないのです。(p7)
 世界の人々と比較しても,こんなに遵法精神が豊かな日本人なのに,こと自転車に関してだけは支離滅裂なのだ。 欧米諸国にお住まいの人々には,自転車が歩道を走るなんてこと自体,野蛮すぎて想像の埒外である。(p9)
 乗るときには,どんなに「おえー」であっても,着いた頃には,しゃっきりしている。自転車には,血液を循環させ,早めに体調を立ち直らせ,次の行動に移させてくれるという,そういう効用があるのである。 つらいのは漕ぎだしだけ,なのだ。(p51)
 高齢者や子供,ベビーカー,車椅子,視覚障害者などが,安全に通行できるスペース,それこそが歩道だ。自転車は道路交通法上「軽車両」であり,その歩道にいる資格が本来はない。(p114)
 環境,健康,経済,他の要因から,自転車というものがブームとなり,あまつさえ「知的なモノ」としてすら語られるようになった。そこで,すり寄るように「自転車っていいね」「エコだね」「もっと自転車が普及するといいね」などと言い始める人がどこからともなく湧いてきたのだ。ところが,そういう人々が自転車のことを理解しているかというと,さにあらず。(p183)
 そもそも,「自分が知りもしないことについて,平気でゴタクをたれる」というような人は,鈍感に決まっているわけで,そういう人に「あんたは鈍感だ」と言っても仕方がない。我々としては,早めにこの「贋者自転車人」を見分け,早めに敬して遠ざける,極力自転車に興味を持たせない,ましてや自転車政策などには触れさせない,それしか対処法はないのだ。(p185)
 パリのベリブも1ヵ月に8000台(現在の台数のおよそ半分)が修理に回るという。 これはつまり「共有の自転車は大事にされない」という,人間の根源的な欠陥を示していると言えるだろう。モラルとかマナーの問題ではない。人は自分のものであって初めてモノを大切にするのだ。 ということで,普通にちょっと考えるだけで,さまざまな疑問が湧いてくる「自転車シェアリング」なんだが,しかしまぁ,何だ。昨今「推進したい!」と言う人がホントに引きも切らない。(中略) 勉強が足りない,と思う。私は別に「失敗すること」自体が悪いと言っているわけじゃない。「失敗に学ばない」のが悪いのだ。(中略) もしくは,学ぶべきだということに気付かない。それは,自転車について知らないからであり,知ろうとしないから。さらに言うと,自転車というもの自体には興味がないのに,何か社会の中でプレゼンスを発揮したいという思いだけで,自転車シェアリングをやるからだ。(p202)
 ちょっとでも自転車に慣れた者なら誰でも知っていることだが,本来,自転車で日本一周なんてのは「頑張る」話じゃない。ヒマさえあれば誰にでもできる。努力も根性も要らず,単に楽しく有意義な娯楽だ,しかも非常に廉価。(p220)
 「テントで寝ることが可能」なんて国は数えるほどしかない。(中略)海外の場合は,安宿でもいいから宿をとるべきだろう。テントは,まったくおすすめでない。(p226)
 輪行袋を持って行く際,微妙な重量差が大きくモノを言ってくる。 私の経験では,11㎏でもかなり重く感じられる。(中略)それが9㎏未満の自転車だと,体感が大幅に変化する。(p256)

2015年6月22日月曜日

2015.06.19 疋田 智 『天下を獲り損ねた男たち』

書名 天下を獲り損ねた男たち
著者 疋田 智
発行所 枻出版社
発行年月日 2005.12.10
価格(税別) 1,400円

● 自転車で歴史の舞台を廻るという趣向だけれども,自転車は陰に隠れて,メインは歴史の話になる。大変な蘊蓄の持ち主と驚愕するよりは,個々の出来事に対する疋田さんの評価が面白いわけだ。
 それと文章の魅力。

● 巻末に高千穂遥氏との対談が収録されている。そこで,日本史に興味を持ったキッカケは「井沢元彦さんの本との出会いが大きかった」と言っている。

● 以下にいくつか転載。
 現代とかつての時代の違いはといえば,何が一番大きいと言って,やはり「日本は狭くなった」「地球は狭くなった」ということに尽きるだろう。距離というものが昔の人にとってどんなに障壁であったことか,そして,それゆえ「土着すること」というのが,どれほど大きな価値を持っていたのか,そういうことを知るのに「自転車で」というのは,実に最適なやり方であった。(はじめに)
 自転車ツーリングの場合,一日の適度な距離はどの程度だろうか。(中略) 私は,取材でなくとも七〇キロ程度が一番かなと思っている。一〇〇キロも二〇〇キロも走るのはそれはそれで悪くはないが,そうなると旅の思い出は「自分はいかにして自転車を漕いだか」ばかりになってしまう。(p45)
 自分のコダワリの地を設定し,そこここで必ず「ペダルを踏まない時間」を過ごす。すると,あら不思議,帰った後に,旅が印象に残っているとともに,自転車に乗っていた自分,というのをより鮮明に思い起こせたりもする。(p46)
 この幕末の両者を見つつ,私は常に感謝することがある。戦はどちらにとっても後のない,必勝の戦であったはずなのに,どちらの勢力も外国の物資に恃まなかったことだ。この時期,フランスもイギリスも「武器を貸しましょう」「借金のご用は」と,薩長や幕府ににじり寄ってきていた。だが,両者ともにそれをはねつけた。(中略) その選択は正しかった。日本はそれらの国々の支配下になることを避け得た。私は涙が出るほど有り難いことだと思っている。それが「民族自決」というものだろう。(p202)
 結局のところ,この山崎の合戦,そして,本能寺の変とは何だったのか。 私はやはり簡単に言ってしまうと「新旧の対決,そして,旧弊さの完膚無きまでの敗北」ということに尽きると思うのだ。(p216)
 信長は新しい時代のシンボルだった。旧態依然としたシステムを次々と破壊していった。(中略)各方面に軋轢を生んだのも確かだろう。実際に残しておきたい伝統やいい習慣が失われることも少なからずあったと思う。インテリ光秀は,きっとそれが許せなかった。この時代にインテリであることは,すなわち過去を学んできたことであり,結果として過去の文化や知識の蓄積,伝統といったものを大切にすることだからだ。(p216)
 現地に行くまでに情報収集とうものは必須作業だ。あらゆる旅で私はそう思うのだが,「まっさらな状態」で行くか「下調べをして」行くかで,旅の密度はまったく変わってくる。 時折「まっさらな状態」で行った方が,先入観なく物事を見ることができ,旅の印象は鮮烈に残るものだ,というようなことを仰る方がいるが,私はあまり賛成しない。(p222)

2015.06.15 疋田 智・ドロンジョーヌ恩田 『明るい自転車相談室』

書名 明るい自転車相談室
著者 疋田 智
    ドロンジョーヌ恩田
発行所 東京書籍
発行年月日 2011.04.26
価格(税別) 1,300円

● 自転車に絡む諸々の疑問に答える。まじめな質問もあるし,おちゃらけた質問もある。
 この二人の共著はこれが3冊目。前2冊はドロンジョーヌ女史の持ち味が存分に出ていて面白かったんだけども,この形式になると経験豊富な疋田さんの独演場になる感じ。

● その疋田さんの回答からふたつほど引用。
 さすがは“万年青年”。20年後,私もそういう60代を迎えたいと思ってます。これは本気の本気。やはり女性への興味は人生への興味,性の力は生の力でありますから。(疋田 p54)
 おそらく自転車運動は(いや,自転車に限らず移動物体を運転するということは)脳内にセロトニンやらエンドルフィンやらの幸福系物質を生む行為なのである。未確認だが,たぶん本当だ。(疋田 p122)

2015年6月9日火曜日

2015.06.06 疋田 智 『疋田智のロードバイクで歴史旅』

書名 疋田智のロードバイクで歴史旅
著者 疋田 智
発行所 枻出版社
発行年月日 2008.05.30
価格(税別) 1,400円

● 「はじめに」で自転車歴史旅の優位性を説いている。
 あらゆる「旅」のカテゴリーの中で,ロードバイク・ツーリングこそがもっともスペシャル&エキサイティングな旅だと思う。なにがすばらしいといって「旅」というものに支払う代償(たとえば金銭的,精神的,または肉体的な)に比較して,受ける喜び,愉しみの比重が,著しく大きい。つまり,安くて,精神的なストレスが皆無で,誰でも気軽に利用できる。それでいて大変楽しく,すばらしく爽快。こんなエクセレントな旅の手段はない。
 日本の道路インフラの唯一とも言っていい美点は,ひとえにアスファルトの優秀性にあって,この国ほど道路がツルツルな国は世界中どこにもない。ということは,ロードバイクの身上のひとつである「超高圧のタイヤ」が生きる,ということなのだ。
● 読みものとして面白い。自転車に興味がない人でも,歴史好きなら楽しめる。文章も独特。真似したくなる言い回しがいくつも出てくるけれども,うかつに真似てはいけない。
 疋田さんが,悪戦苦闘の末(?),生みだしたものだろうからね。たんに真似だけしても,全体の収まりがぎごちなくなるだけだろうね。

● 以下にいくつか転載。
 鬼があらわれる恐ろしい場所とは,大まかなところ「辻」であり「門」であり「河原」であった。それぞれに共通しているのは,浮浪者が屯しやすい場所であることではないか。 思うに平安時代ほど「庶民の生活」が蔑ろにされていた時代というのはない。(中略) その「塀の外の人々」が,食い詰めて門の内外に集まった。一般庶民の中にも,目端の利く人間はもちろんいた。黙って餓死したくない,と思う輩も当然いただろう。その彼らが多少の武装をし,塀の中の食料や物資を狙った。(中略)それこそが「鬼」だ。(p37)
 怨霊を祀ることで祟りを封じ込め,現世の貴族たちが安寧を得た。そもそも「オカルト」と「精神的な癒し」とは,ほぼ同義である。私は,オカルトとは「後ろめたさ」があるところに発するものだと思っている。(p39)
 武士は武士でなければ政権を維持できない。貴族になった武士は必ず滅びる。これは日本史の隠れた法則のひとつだ。(p147)
 北関東の各都市は他の地方都市と比較すると,存在感が低く見られがちだ。(中略)なぜなのか。私には確信に近い仮説がある。 問題なのはテレビ局の配置なのだ。普通の県,地方都市にはあるはずの民放ネットワーク局が,茨城,栃木,群馬の3県にはない。その地域は東京の電波がそのまま入るからだ。だが,これはつまり地元に強力なテレビ局が存在しないという事実に繋がってくる。(p159)
 ここが渋沢の卓越したところで,この時代,日本の指導者の多く(特に高級武士たち)は,天下国家を論じたがるが,商業や工業は軽んじた。軍艦は重く見たが商船は軽く見た。ところが渋沢だけが違ったのだ。(p176)
 私は思う。日本の歴史教科書というものは,そもそも「政治史」に偏りすぎている。本当に歴史に大書特筆されるべき人は,このような人(渋沢)ではないだろうか。(p180)
 (元寇のとき,壱岐では)日本軍は誰一人逃げず,全員が死んだ。もしかして日本軍が対外的に喫した最初の「玉砕」なのではなかろうか。だが,それはとりもなおさず本土に「どのような敗北を喫したか」「元軍はそのような軍だったか」を伝える人間がいなくなったということであり,結局,日本軍は九州でも同じことをやってしまった。日本人は色々な意味で「情報戦」に弱い。これは今も昔も変わらず,だ。(p279)
 せいぜい聖武天皇程度の『かわいい暴君』がいるくらいで,彼は,確かに大仏や国分寺を作らせましたけど,それ以上はしなかった。道をきれいにして平らにして,車を動けるようにするなって大工事には手を出さない。こういう大事業って暴君が大号令をかけてやるしかないんですよ。それがこの国にはなかった。(夢枕獏 p296)
 日本の文化として『別の呼び方』をして誤魔化す,ということはありますから。たとえばウサギを『これは獣ではなく鳥だ』といって食べてしまうような。だから今でもウサギを数えるのに一羽二羽って言いますね。(中略)これが古代の中国だとぜんぜん比較にならない。もろに人間の肉を売り買いしてましたから。自分の奥さんを殺して肉屋に売りにいくんです。場合によっては,生きたまま肉屋に連れて行って,肉屋で肉にされて・・・・・・(夢枕獏 p298)
● 重箱の隅を突っつくような指摘。
 「滅ぼされた最後の執権,北条高時」(p140)とあるんだけど,北条高時はこのとき執権ではなかった。執権職はすでに形骸化されていて,すったもんだの末に北条一門の赤橋守時が就いた。高時は北条氏得宗家の当主で,実質的な権力を握ってはいたろうけど。
 北条氏の中でも様々な確執があったろうね。藤原氏しかり,平氏しかり,徳川氏しかりで,そんな家に生まれてしまうのは不運以外の何ものでもない。ヨーロッパだとハプスブルグ家なんて,典型的にそうだよね。哀れな末路を辿った人が多いんじゃないか。
 吹けば飛ぶような平民に生まれたことを言祝ぐべきだと思うね。

2015年6月6日土曜日

2015.06.04 疋田 智・片山右京・今中大介・勝間和代・谷垣禎一 『自転車会議!』

書名 自転車会議!
著者 疋田 智
    片山右京
    今中大介
    勝間和代
    谷垣禎一
発行所 PHP
発行年月日 2009.09.24
価格(税別) 1,300円

● 疋田,片山,今中,勝間の4人が自転車をめぐって,肩肘はらずにお喋りしたのを文字にしたもの(谷垣さんは,インタビューを受けているだけ)。
 したがって,こちらも肩肘はらずに読める。難しい話は出てこないし。

● 自転車の魅力や効用について主に話が進み,後半で自転車に関する道路政策や交通規則に話題が及ぶ。
 ぼくも自転車通勤をしたりしてるんだけど,この本を読んで感じたのは,自分は自転車の魅力を満喫できていないっていうか,わかっていないんじゃないかってこと。

● ひょっとして縁なき衆生のひとりなのか。いやいや,体力,運動神経ともにない自分のような人間にもできる数少ないスポーツが自転車だと思っているので,もうちょっと付き合ってみたい。
 あるいは,スポーツそのものが好きじゃないのかもしれないけどさ。

● 以下にいくつか転載。
 「馬の上と自転車の上は同じなんだな」と思ったんです。からだが適度に動いて,でも一応拘束されているので,頭の中で考えをぐるぐる,ぐるぐる回すじゃないですか。そうすると,パッと思いつくんです。それを忘れないうちに,ボイスレコーダーでメモする。(勝間 p76)
 普通に何か仕事をしているときって,インプットかアウトプットか,どちらかをやっていますでしょう。でもたぶん,インプットもアウトプットもしないぼんやりした時間っていうのがないと,せっかくのインプットもアウトプットも,実は有効に活かせないと思うんです。なにもない一見無駄な時間こそが,本当は一番,考えがまとまる時間。それが自転車の上なのかなと思うんです。(疋田 p76)
 電車に乗っているときは,何も考えまいと,無念無想になろうとしても,できないじゃないですか,いろんなことを考えてしまう。(中略) でも自転車乗っている場合は,物事を考えよう,アイデアを練ろうみたいなこともできるし,かつ,無念無想にもなれるっていう。(疋田 p78)
 日本のプロのレーシングドライバーって言える人たちが,やっぱり言葉遣いとかを,ちゃんとやってこなかったと思うんです。暴走族の延長戦上だったり,若い人の暴走族の先導的な部分があって。自転車もそういうふうに,存在をちゃんと文化として,スポーツとして認知されなかったら,同じようなことになっちゃうと思うんです。(片山 p94)
 自転車本をいくつも書きながらいつも思うんですが,私なんかが雑誌や本,さらにはネットにいくら書いたって,それよりもメッセンジャーの台数が増えてくれたということが,東京の自転車環境を変えたっていう気がするんです。(疋田 p107)

2014年8月11日月曜日

2014.08.10 疋田 智 『だって,自転車しかないじゃない』

書名 だって,自転車しかないじゃない
著者 疋田 智
発行所 朝日文庫
発行年月日 2013.05.30(単行本:2007.08)
価格(税別) 780円

● 『それでも自転車に乗り続ける7つの理由』(朝日新聞社)を加筆・修正したもの。その元版は読んでいない。
 とはいえ,疋田さんのものは『自転車通勤で行こう』以来,わりと読んでる方(だと思う)。メルマガも読んでるしね(ネットに公開されたバックナンバーを)。

● 読むようになったキッカケは4年前に自分も自転車通勤を始めたことにある。その前に『自転車通勤で行こう』を読んでいて,それに背中を押されるようにして,自転車に乗るようになったのだったかもしれない。
 ところが,ここ2年以上,自転車に乗ることがなくなってしまった。そうなると,現金なもので,メルマガも読まなくなるし,本も買わなくなった。
 こうして,また読みだしたのは,再び自転車に向かおうと思っているためだ。

● 本書は自転車に関するよろず屋的なもの。自転車の歴史から交通法規の問題まで。自転車の歩道通行については,上のメルマガで執拗に警鐘を鳴らし続けていましたね。
 著者の強みは独自の文体を獲得していること。ブログでも独自の文体を見かけることはしばしば以上にあるんだけれども,たいていは“このバカがっ”と吐き捨てたくなるものだ。言うも愚かながら,著者の文体はそうした凡百の独自とは一線も二線も画している。

● ところで,著者の疋田さん,TBSのプロデューサーであって,これだけで相当な激務なんでしょ。それに加えて,自転車というライフワークを見つけてしまった(自転車につかまってしまった)。多くの著書を出し,ネットでも発信し,雑誌にも寄稿する。
 遊ぶ暇なんてないんでしょ。寸暇を惜しむ生活をしているんだろうな。奥さんが音をあげることはないのかなと,余計な心配をしたくなる。

2013年9月16日月曜日

2013.09.16 疋田 智 『日本史の旅は,自転車に限る!』

書名 日本史の旅は,自転車に限る!
著者 疋田 智
発行所 枻出版社
発行年月日 2004.11.30
価格(税別) 1,400円

● 自転車は高校以来,あまり縁のない存在だった。それがどういう風の吹き回しか,忽然と,通勤に車ではなく自転車を使ってみようと思いたち,片道29キロを自転車で通うようになった。3年前の6月のこと。
 もちろん毎日ではない。そんなことをしたら死んでしまう。週に2回程度。通勤に乗るようになると,休日にも乗るようになる。いろいろと苦労はあったんだけども,なかなかいい感じに生活が転んでくれた気がしてた。
 のだが,昨年4月に転勤になり,電車通勤になった。通勤で自転車を使わなくなると,すべてが逆回転。バッタリ乗らないようになって,現在に至る。

● 著者は,その自転車ツーキニストの元祖。何冊かの著書を面白く読んだし,Webにも多くの文章を載せているので,それも読むようになった。独自の文体を確立しておりますな。
 本業はTBSのプロデューサー。自転車本がヒットして,そちらの仕事も増え, いうところの二足のわらじを履いてることになるんだけども,どちらかひとつでも大変だろうに,この人,相当に忙しいのではあるまいか。しかし,現在に至るも勢いは衰えを見せない。

● 自転車から離れると,その疋田さんの本も読まないようになった。本書は久しぶりの疋田本ってことになる。
 読んでみれば,やはり面白い。

● 「はじめに」で次のように書いている。
 実は前々から,私は「歴史探訪」と「自転車」は相性がいいと思っていた。自転車のよさというのは,適当なスピードで,等身大の距離を行けるところにある。(中略) 自分の力で進んでいくという感覚もいいし,その地の風の匂いや気温などを感じていると,そこに流れる地元の「気分」のようなものが,より多く見えてくる。本来見えなかったものまでも,ひょっとしたら見えてくるのではないかとも思った。
 たぶん日本の歴史ってヤツは,自転車と同じぐらいのスピードで進んでいる,なんて思ったりもした。よくは分からないが,牛車より速く早馬より遅い。それぐらいが日本史の進むスピードなのではないか。ホントに。
● 自分も同じことをしたくなるわけだけど,まずは自転車に復帰しないとねぇ。すっかり億劫になっているのが情けないんだけど。