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2023年4月9日日曜日

2023.04.09 下川裕治・中田浩資 『沖縄の離島 路線バスの旅』

書名 沖縄の離島 路線バスの旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉社
発行年月日 2022.09.18
価格(税別) 1,750円

● コロナ禍で打撃を受けた業界というと,飲食,宿泊,旅行業界というのが定番になるが,旅行作家も仕事ができなくなったはず。あるいは,仕事がなくなってしまったはず。
 半世紀前なら本を出して,その中から文庫本になるのが10冊あれば,どうにか印税で喰えると言われていたらしいのだが,今はそんなわけにいかない。文庫も絶版になるし,賞味期限が短くなった。それ以前に文庫が売れなくなった。

● だから,新刊を出し続けなければいけない。コロナで身動きが取れなければ,新刊の出しようもない。けっこう以上に辛い状況だったのではなかろうか。
 現在,日本を代表する旅行作家といえば,沢木耕太郎さんのような大御所もいるけれども,下川さんが代表格ということになるのではなかろうか。その下川さんにしても,お座敷はだいぶ減ったのではなかろうか。

● “お家時間” が増えた分,本を読む人が増えたとは思えない。読む人は状況のいかんに関わらず読むし,読まない人は読まないからだ。
 コロナ禍は事実上過ぎ去ったといえる状況になったが,従来の延長線上に仕事があるのかどうか。何を書けばいいのか,どう書けばいいのか,を模索しなければいけなくなっているのではないか。今までだって模索はあったに決まっているのだが,深刻さの度合いが深まっているだろう。
 と,勝手な想像を巡らせている。大きなお世話だろうな。

● 以下に転載。
 僕は長く沖縄とつきあってきた。その間に目にしてきたことは,猛烈な早さで進む本土化だった。沖縄らしさが次々に失われ,日本の一地方に変貌しつつある。(中略)しかし沖縄の離島の路線バスに乗って,なにかが吹っ切れた。沖縄の路線バスは,とことん沖縄だったのだ。(p3)

 沖縄の本土化を促進した最大要因はいわゆるIT革命でしょうね。常なるパンクチュアリティーを,ITが人間に要求する。これはもう地域の特性だの何だのお構いなしで,あらゆる地域,あらゆる業種を忙しくした。

 「このくらいなら歩けよ」という気分になる。沖縄の人たちは歩くことを嫌うが,ゆっくり歩いても二分なのだ。(p15)

 沖縄ではヨモギをよく食べる。本土でもヨモギは食べるが,(中略)火を通す。しかし沖縄では生でそばに載せてしまう。この食べ方を目にしたとき,日とナムのフォーとつながった。ベトナムでも麺に生のハーブを載せる。(中略)沖縄料理は生のハーブを通してアジアにつながっていた。(p20)
 沖縄生まれの若い女性の,「沖縄そばはおじさんの食べ物というイメージ」という声を聞いたときは,僕自身,少々うろたえた。(p34)
 沖縄の人は皆,泡盛ばかり飲んでいた。(中略)沖縄はそいういう土地だと思っていた。それがブームというものの怖さだと知ったのは後のことである。(中略)いま沖縄の人たちは,沖縄そばから離れ,ハイボールのグラスを手にする。それは無理などせず,好きなものを口にするようになっただけのことではないのだろうか。(p35)
 宮古島の路線バスは,始発と終点を単純往復するのではなく,途中からぐるりと一周する周回路線が多かった。(中略)つまり,終点という発想ではなく,目的地によっては,かなり遠回りをして到着するという乗車法になる。(p39)
 宮古島のバスの乗りつぶしを面倒にさせている理由のひとつが,バスターミナルがないことだった。ターミナルがあれば,そこを軸にして乗り尽くしていく順を組み立てていくことができる。しかしそんな拠りどころがないと,どんな組み合わせもできるようで,いざ実際のルートを考えるとすぐに行き詰まってしまう。(p40)
 端数もちゃんとあるから,「まあ,九百円ぐらいにしておくか」といった金額ではない。沖縄の人は,こういう面では本土以上に律儀な面がある。いい加減に映るのは,元の構造が杜撰ということが多い。(p70)
 どうしてそういうことを考えるわけ? 宮古の人は誰もそんなことは考えんよー。運転手が口にした運賃が運賃さ。(p72)
 カレー粉と合成酢。これは昔ながらの食堂であることを示すアイテムだと思う。(中略)料理人はこの味変を素直に受け入れられるのだろうか。(中略)料理人は完成品としてひとつの料理を出すはずだ。麺料理なら,麺とスープの微妙なバランスが味を左右する。それを客が勝手に変えてしまうというのは,料理人には失礼な行為に映ってしまう。(中略)ところが沖縄では,味変はあたりまえのように行われていた。(p74)
 これは本土でもあたりまえのように行われていたし,今も行われているのでは。高級レストランは別にして,B級グルメ的な食堂では最後の味はお客が作るのが普通だ。沖縄に限ったことではない。
 さすがに本土ではカレー粉と合成酢ではないだろうけど,味変を許さない食堂はないのでは。
 沖縄のウィルスへの怖がり方というか警戒の温度は,日本のほかの地方とは違っていた。沖縄本島と離島の間にも温度差があった。動きが遅い沖縄本島に比べ,離島の人たちは敏感だった。(p77)
 島の外から入ってくるものへの警戒心。それと同時に,外来文化を積極的にとり込んでいく顔。沖縄は常に,そのバランスの中で生きてきた。(p79)
 長崎に代表される出島という発想は,江戸時代の鎖国体制を下敷きにして語られることが多い。しかしウイルスや細菌が引き起こす感染という視点を当てると,ある種の水際対策という解釈もなりたってくる。(p80)
 深く考えないこと・・・・・・。これは沖縄ではよくあることだった。彼らには悪気はまったくない。むしろその逆で,利用者へのサービスとしてはじめたのだろうが,その先の詰めが甘いから,矛盾が生まれてしまう。いや,そう思うのは本土からやってきた人たちだけで,島では,そよそよと暖かい風が吹いているだけなのだが。(p93)
 こういう生き物(イリオモテヤマネコ)がいる島の人たちは愚痴っぽくなる。(中略)「この島じゃ,人間より,イリオモテヤマネコのほうが大事さ!」
 泡盛の酔いがまわると,そんな冗談をよく耳にする。(p114)
 本土では,アメリカ軍の基地や施設に忍び込み,食料や薬などの物資を盗みだしたという話はあまり聞かない。しかし,沖縄では,アメリカ軍基地から物資を盗むという状況が起きる。それは危険な行為だったが,彼らはそうやってアメリカと戦ったのである。(p136)
 大変なことを先にすませるか,簡単なものから攻めていって最後にあたふたするか・・・・・・。僕はやはり後者なのだろう。こういう性格だから旅をつづけてきた気もする。旅というものは計画通りにはいかない。しっかり計画を立て,それをこなしていくことに快感を得るようなタイプはストレスが溜まる。厄介なことは先送り・・・・・・その精神だと思う。(p144)
 石垣島は沖縄本島や宮古島などから移住した人が多い。沖縄のなかの合衆国のような島である。その気風は沖縄本島に通じるところがある。石垣市はミニ那覇の雰囲気すらある。(p145)
 沖縄の人たちにとっておでん屋は,完全に飲み屋である。(中略)が,最近,少し様子が違う。若い女性ふたりの観光客やカップルを,かなりの確率で目にするのだ。(中略)常連客は,「俺たちの世界にずけずけ入ってくるなよ」といいたい空気を背中で発信している。しかし若い女性やカップルは,そういう雰囲気に無頓着だから,ガイドブックに書かれていた「絶品おでん」といった見出しを頼りに,繁華街の路地に分け入ってくるわけだ。(中略)流れはもう止められないことも知っている。(p178)
 沖縄本島と離島の距離感を,本土にあてはめたら,隣の県への距離以上あるんです。(中略)それが離島の距離感なんです。新型コロナウイルスへの対応を考えたら,本土の各県が独自の宣言を出すのと同じなんです(p180)
 台風が去った沖縄の海は穏やかだった。沖縄の海はたまに,海の神様が休養をとっているのではと思うほど静かになることがある。(p183)
 沖縄でのんびりしたいといっても,日程をたてるのは自宅である。その時点では本土の空気や仕事といったものの時間間隔に支配されているから,伊平屋島まで,バスとフェリーで片道四時間半と耳にすると,どうしても敬遠してしまう。(p206)
 この離島度がコロナ禍では,渡航規制に影響する。渡航規制は主に観光客に向けて出されるものだから,離島度が高い島ほど,規制の解除が遅れることになる。観光客の渡航を止めても,島の経済にそれほど影響はない。それよりも島民の感染を防ぐことにシフトしていく。(p207)
 本土からやってきた人は,アジアの屋台文化が沖縄にもあるようなイメージをもつ傾向がある。そのなかで生まれたスペースが『国際通り屋台村』という気がする。そう,本土の発想で演出された沖縄・・・・・・。沖縄の人たちは,冷房のない野外での飲み会があまり好きではない。(p265)
 沖縄料理のひとつの特徴。それは揚げることだと思う。(中略)焼くという料理法が省略されてしまっている気がする。(p267)

2015年8月13日木曜日

2015.08.06 下川裕治・中田浩資 『一両列車のゆるり旅』

書名 一両列車のゆるり旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2015.06.14
価格(税別) 694円

● 著者初めての日本旅の紀行文集。本書のキーワードは特定地方交通線と駅前旅館。赤字線に乗って,駅前旅館に泊まる。

● 日本における安宿っていくつかあって,代表的なのはカプセルホテル。が,これは都市部にしかない。
 もうひとつは駅前旅館。駅前旅館はしかし,絶滅危惧種であって,だいぶ少なくなってしまったし,これからもどんどん減っていくのではないか,ということ。泊まるなら今のうちに。

● 以下にいくつか転載。
 川を堰き止め,斜面に水路をつくり,電気をつくりだしているエリアを走る列車は電化されず,下界の列車がその電気を使っていく。(p118)
 特急は速く,快適なのだが,無人駅を無視するかのように通りすぎていくことを繰り返していくと,人のいない駅に流れる風のにおいがふと思いだされ,なにか損をしたような気にもなってしまうのだ。(p134)
 こういうときは,できるだけ早く行動する。これまで何回となく出合ってきたトラブルからの経験である。ほとんどが日本ではなく,海外で遭遇していた。僕のようなバックパッカー風の旅を続けていると,列車やバス,飛行機の故障や自己にはしばしば出合う。飛行機の機材トラブルのときは,別の航空会社に振り替えられることが多いが,その飛行機の席にも限りがある。そこを支配するのは,早い者勝ちの論理である。(p272)

2015年8月4日火曜日

2015.08.02 下川裕治・中田浩資 『不思議列車がアジアを走る』

書名 不思議列車がアジアを走る
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2013.04.14
価格(税別) 686円

● まだ読んでいない下川さんの文庫本を3冊買った。本書はその中の1冊。『鈍行列車のアジア旅』に続く,アジア列車旅。
 実際に“取材”に行った時期も明記されている。かなり頻繁に出かけている。その合間に書くという厄介な作業があるわけで,どうもなかなか楽な仕事じゃない。

● 過去の体験を刈り取っているというのではないかもしれないけれども,力まないで書いているようだ。そう見せるのが腕なんだよってことかもしれない。

● 韓国の群山が登場する。廃線の街。もとからあった群山線は廃止されたようだ。ぼくも,昔,韓国の鉄道に乗りに行って,群山線にも乗ってくるはずが,乗らないまま引き返してしまったことがある。
 こういう記事を読むと,乗っておくんだったと思うわけでね。群山線に限らない。加恩線とかね。短い盲腸線がいくつかあったのだが,今は残っていないんだろうな。

● ひとつだけ転載。
 冷房というものは,暑い地域では乗り物のヒエラルキーを決める要素のひとつである。(中略) 東南アジアでは,服装でその人を判断する傾向が強い。ラフな恰好への評価は低い。たとえば昼どきのバンコク。屋台街で,白い長袖のワイシャツにネクタイ姿の男性がそばを啜っているとする。その男性がどんなに金がなくても,タイ人は彼をエリートだという。理由は実に単純で,ワイシャツにネクタイ姿でいるからだ。そういう意識が定着した背後には冷房がある。涼しい部屋で働いている証なのだ。(p40)

2015年6月10日水曜日

2015.06.08 下川裕治・中田浩資 『鈍行列車のアジア旅』

書名 鈍行列車のアジア旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2011.02.13
価格(税別) 686円

● 朝の5時から読み始めたら,面白くて止まらなくなってしまった。出勤しないといけない時刻が刻々と迫ってくる。でも,やめることができない。
 ええぃ,面倒だ,今日は休んでしまえ。つまり,ズル休みを決めてしまった。

● 鈍行列車でアジアを巡って,その見聞を文章にすれば,誰が書いても面白くなるかといえば,当然,そんなことはない。
 ぼくが同じコースを廻ってみても,こういう文章は書けるはずがない。

● 視点の角度が著者ならでは。視点だの角度だのと書いてしまうとそれまでなんだけれども,これは真似しようとして真似できるものではない。
 下川さんは文学を書いているつもりはないと思う。が,できあがった文章は紀行文学というレッテルを貼りたくなるようなもの。おそらく,この分野では当代随一というか,当代唯一の人なのではないか。

● 次のように書いている。
 日本の鉄道ファンは、どちらかというと乗り換えなしで釜山とソウルを結ぶ列車に興味をひかれるようだった。その感覚が僕にはわからなかった。そんな列車に乗ってしまったら,途中の街に止まることができないではないか・・・・・・。短い区間でも,鈍行列車を乗り継ぎ,気に入った街で泊まっていくような旅をしたかった。(p202)
 僕は海外に出ても観光地にはあまり足を運ばない。名物料理に食指が動かないわけではないが,あえて行くほどの熱意はない。(p220)
● ぼくもずいぶん昔にJR全線完乗に走ったことがる。このときに最優先したのは,時刻表と首っ引きで,うまい乗り継ぎを見つけることだった。短時間で効率的に乗る。
 途中下車なんてあり得ない。乗って乗って乗り続けること。それはそれで,面白いといえば面白かったけど,今となってはだいぶ記憶からこぼれている。
 人との触れあいといった要素は皆無に近かったからね。見えない檻に入って,電車に乗ったり,ビジネスホテルに泊まっていたようなものだから。

● それでも(つまり,ことさら人との触れあいなんていうものを求めなくても)紀行文学にしてしまえたのが宮脇俊三さんだと思う。

● 観光地に興味がないのは,ぼくも同じ。名物とされる料理にさほど興味がないのも。
 昔は「名物に旨いものなし」とよく言われた。半ばは負け惜しみだったのかもしれないけれども,子どもながらそうだよなぁと思っていた。それが今に至るもぼくを縛っている。
 長じると例外があることも知った。が,讃岐うどんと高知の鰹のたたきがたった二つの例外だと思っている。

2015年5月31日日曜日

2015.05.30 下川裕治・中田浩資 『週末アジアでちょっと幸せ』

書名 週末アジアでちょっと幸せ
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2012.08.30
価格(税別) 660円

● 下川さんの著書は『12万円で世界を行く』以来,ほぼすべてを読んでいる。旅から離れたノンフィクションもいくつかあるようだけれども,それは逆に大半,読んでいない。
 下川さんのすごみは,旅を取りあげられたら生きられない人ではないかと思わせるところにある。ギリギリのところで命をつないでいるという趣がある。

● したがって,彼の文章で表現される旅も,娯楽や遊びという範疇を自ずと超えて,ある種の香気を放つ。たくまずして紀行文学になるというか。上手に世渡りができる人,世間と苦もなく折り合える人には,まず書けない文章のように思われる。
 これを才能といってもいいけれども,その才能のために彼が払っている犠牲を思うと,自分はその才能を持たなくてよかったと思う。

● 金子光晴『マレー蘭印紀行』の跡を辿る章がある。このときの金子光晴もまた傷心を抱えていたというか,思い屈して光が見えない状態だったと思うんだけど,それをわざわざ辿ってみようと考える人はあまりいないように思う。
 ひょっとすると,編集側の企画だったのかもしれないけれども,どうしたって金子光晴と下川さんを重ねたくなってくるわけでね。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ旅に出るのか。「人はなぜ山に登るのか」という問いかけの答に似た,含蓄のある言葉を期待する人には申し訳ないが,僕の答はいたって単純である。 逃げたいから。 ただそれだけである。仕事や知り合いや家族からの逃避である。(中略) しかし僕にはいくじがない。糸が切れた凧になる勇気がない。ぎりぎりまで行くのだが,引き返してくる。(p8)
 しかしいまになった気づくことがある。 原稿用紙に書き込んでいく僕の旅のエッセンスは,その二十七歳のときの一年にぎっしり詰まっているのだと・・・・・・。書く内容や国が違っても,そこに流れる旅は,あのときのものだったと・・・・・・。(p113)
 地名というものは,旅の目的地を決める動機になると思っている。こういう感覚は,目的地を決めず,さて,次はどの国に行こうか・・・・・・といった長い旅を経験すると身に付いてしまう。(中略) 長い旅を続けていると,旅の欲求のレベルがどんどん下がっていってしまう。「ソウルで参鶏湯が食べたい」「台北で足裏マッサージ」などと週末旅のプランを練る人には想像もつかないほど,密やかで控えめな,旅の目的で十分になってくる。(p149)
 中国人は列をつくることができず,声が大きい。世界のあちこちで,中国人観光客と接した人々が溜息まじりに呟く。しかし中国では,そうでもしなければ,ほしい物は手に入らず,切符も買うことができなかったのだ。それが彼らの行動に染みついてしまっている。(p158)
 新彊ウイグル自治区の,穏やかな人間関係のなかで育った彼らが,漢民族の世界に入っていく。(中略)いじめられることがわかっている世界が待っているのだ。 果てしない異国といわれたエリアから,星星峡を越え,東の厳しい社会に向かっていかなくてはならない。それが少数民族となってしまった人々の生き方だとしたら,少し切ない。(p185)