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2024年6月5日水曜日

2024.06.05 下川裕治 『旅する桃源郷』

書名 旅する桃源郷
著者 下川裕治
発行所 産業編集センター
発行年月日 2023.07.18
価格(税別) 1,250円

● 本書で取りあげられる「桃源郷」はラオスのルアンパバーンをはじめ19の街にのぼる。19の街がそれぞれどのような理由で著者にとっての桃源郷になったのか。そこが本書の要なのだが,それを説明するよりは,本書を読んでもらった方が話が早い。
 旅行作家にとってはコロナ禍は相当以上のダメージをもたらしたらしい。が,それ以上のダメージを,日本の経済力の衰えと円安がもたらしているのではないかと思っていた。大方の日本人にとっては海外旅行など高嶺の花になりつつあると思えるからだ。

● 日本人は内向きになったと言われるが,正確には,内向きにならざるを得ない状況に置かれているということだろう。日本でならひと月はもつ現金が1週間ももたずに消えていくようなところへ,どうして行くことができよう。
 行けるわけがないのだから,そんなところに興味を持っても仕方がない。

● 子息を欧米へ留学に出せる世帯がどれほどあるか。授業料だけで年1千万円もかかるというではないか。無理,無理。そんなことに興味を持つな,となる。
 シンガポールや香港で暮らすのは,大企業の部長クラスの給料ではとても無理だろう。そういう時代になった。
 日本で半年働けば,2,3年は東南アジアを放浪できるという前提が消滅した。これではバックパッカーも激減するしかない。

● 以上の事がらは,著者のような旅行作家の読者が減ることにつながるだろう。多難な状況になったものだと思っていたのだが,ぼくはこうして著者の作品は出るたびに読んでいる。
 ぼくがそうだということは,他の読者も同じである可能性が高い。旅には出なくなっても,著者の文章は読まれ続けているのかもしれない。

● 文章じたいに香気があること。本書でも触れられているのだが,単なる紀行文ではなくて,その国の歴史や民族構成などを視野に入れて,多面的な情報を伝えてくれること。
 著者の作品を読んでいると,文化人類学の本を読んでいるのか,それにしては(学者が書くものとしては)文章が巧すぎないかと錯覚するようなこともあった。

● ともあれ,以下に転載する。
 みごとな眺めや味は,それぞれの人生にシンクロしてはじめて桃源郷という天上界にも似た世界に昇格するということなのだ。だから旅の桃源郷は人によって違う。しかしそこに至るプロセスは酷似している。(p6)
 旅に出ない日々のなかで出合う世界は生々しい。人生と一体化している。しかし旅で出合う桃源郷は,旅という日常を離れた世界の先に見えてくるものだ。(p6)
 七十歳近い年齢になったが,僕はこれからも旅に出る。つらくなったら,これまでつくってきた僕の桃源郷に逃げ込む。それが僕の財産のようにも思う。(p7)
 ルアンパバーンは音のない世界だった。はじめてその川岸に立ったとき,街の音をメコン川が吸いとっているような気になったものだった。(p18)
 以前,ネパールのアンナプルナのトレッキングルートを歩いたことがあった。登山道が整備され,登山隊や多くの観光客が訪れるようになった。山で暮らしていた人々は宿をつくり,生活は豊かになった。しかしいとつの村の村長さんがこういった。「富は貧困を連れてくる」
村に金を狙った窃盗団がやってくるようになったのだ。(p52)
 「遊ぶのは 楽しすぎて たまらない」
 沖縄の多良間島。島の中央を走る道沿いでひとつの看板が目を引いた。(p58)
 かつて未成年の喫煙を防ぐために,煙草の自動販売機の販売時間を制限していた時代があった。(中略)しかし沖縄では買うことができた。違法の自動販売機があったのだ。その自販機は電気が消えていて,一見,買うことができないように映ったが,硬貨を入れてボタンを押すと,コトッという音を残して煙草が受けとり口に落ちてきた。(中略)「沖縄は夜が遅いから,十一時以降は販売禁止になると不便だからさー」
沖縄生まれの知人は,そう説明してくれたものだった。(中略)本土のルールを軽くいなしてしまうような沖縄が好きだった。(p69)
 そこには本土への反骨精神などなにもなかった。(中略)島に流れる風に従っているだけのようにも映る。(p72)
 人はひとりの小市民として生きていくために,さまざまなルールを守っていかなくてはならない。それは社会人としての規範でもある。ときにそのルールは大きなストレスにもなる。そこから解き放たれたとき,ここは桃源郷ではないかと思えてくる。人が暮らす社会だから,沖縄にも独自のルールはある。しかしそこには本土の決まりごとが入り込まないエリアがある。旅人はその世界に触れたとき,圧倒的な開放感に包まれる。それが旅の醍醐味だと思っている。(p73)
 僕もどちらかというと話をしなくてすめばそうしたいタイプだ。(p76)
 ここ(沖縄)には,国家というものを鼻で嗤ってしまうような風土があった。日本と中国の狭間で生きてきた人々の遺伝子に刷り込まれた自由さ。それは憧れだった。ときにアナーキーなものに映る発想が僕には心地よかった。(p77)
 僕は学生の頃から,足繁くタイに通った。ときにこの国は桃源郷のように映ってもいた。その流れでバンコクに暮らしたのだが,その日々のなかでは見たくないものが見えてしまう。聞きたくもない言葉が耳に届く。(中略)タイの暮らしで学んだことは,その社会に深入りしないことだった。(p77)
 タイという国は,ときおり,その発散するエネルギーに辟易とすることがある。アメリカの西海岸をはじめて訪ねたときは,あまりに明るい日射しと,無駄に明るい人たちに気圧されてしまった。そこへいくとギリシャの街を歩いていると,心が落ち着いてくるのがわかる。ひとりでぽつねんと旅をするならギリシャだった。(p83)
 なぜ,ここまでの原色を選ぶのだろうか。それが民族の主張であることに気づくまで少し時間がかかった。彼ら(ラカイン人)は,コックスバザールという街では少数派だった。街を埋めているのは圧倒的にベンガル人が多い。そのなかでは民族を主張しなければ押しつぶされてしまう。原色での服装は精一杯の自己主張だった。(p106)
 路線バスの車掌は女性が多い。彼女らは傘もささずに外に出ていく。(中略)制服はぐっしょりと濡れ,パーマをかけた髪はちりちりになり,ぽたぽたと水が落ちるような状態で戻ってきた若い女性の車掌の顔が,うれしくなるぐらいに輝いているのだ。雨に打たれたことが,まるで楽しいことだったようにしゃきっとしてくる。(p134)
 (タイ料理と中国料理が融合したタイ中華の)特徴はあまり辛くないこと。そして(中略),味が混ざりあっていることだ。この味の融合はどういう効果を生むかといえば,早く一気に食べることができる。働く人々の昼食向けということになる。もうひとつのカテゴリーは純血タイ料理である。(中略)大きなポイントは,それぞれの味が交わっていないことだ。(中略)味が交わることなく,それぞれがおいしい・・・・・・。それが純血タイ料理の王道ということなのだ。(中略)そして純血タイ料理はかなり辛い。(中略)急いで食べることができないのだ。(中略)純血タイ料理は,ある意味,現代の時間感覚と合っていない。ゆっくりと時間が流れていた時代の料理といってもいいかもしれない。(p171)
 「私たち(チベット人)はものではないものを守って生きていますから」
 ガイドはなにを思ったのか,突然,日本語で僕に伝えた。(p195)
 チベットは貧しい(漢民族の)物乞いも惹きつけているが,心の空白を抱えてしまった豊かな中国人も呼び入れている。(p197)
 飛行機や列車,バスなどで移動し,新しい街に着く。そんなとき,必ずといっていいほど,それまで滞在していた街に戻りたくなる。当然の話だ。前にいた街は,多少なりとも様子がわかっている。(中略)新しい街では,旅の日々をゼロからつくっていかなくてはならない。(中略)新しい街に向かうということは,新たなストレスに晒されることだ。それを乗り越えていかないと旅は続かない。(p200)
 移動することが旅だとすれば,沈没とは旅へのテンションがさがっているということにもなる。旅というものは,それなりのエネルギーがいるものだ。(p201)
 シンガポールはストレスのない街だ。空港や繁華街の出口で客を待つ客引きもいない。タクシーに乗ると,運転手は黙って料金メーターのスイッチを入れる。騙されるという不安の中で,つい表情が硬くなってしまうようなことがない。(中略)しかしそれは一日しかもたない。翌日から,この快適さを維持する装置のようなものが目につきはじめる。(中略)二日目から眺めるシンガポールは,薄気味悪さが浮き立ってくる。(p204)
 僕は旅行作家という肩書きを持っている。旅はその国の経済状況や歴史,文化と無縁ではない。単純な旅を描いても,読者は納得してくれない。ひとつの国に入ると,アンテナを何本も立て,現行のテーマを探してしまう。猥雑なエネルギーが弾ける国を,その経済環境から読み解こうとする。旅をしているようなふりをしながら,テーマを探しているようなところがある。僕の頭は旅先で休まることがない。(中略)しかし僕も年をとった。若い頃から続けてきた旅のスタイルが,ときに重く肩にのしかかってくる。(p206)
 暑い空気のなかで,ほとばしるアジアのエネルギーに身を沈めなければ旅ではないといった頑なな思いあがりもあった。(p219)
 世界のなかでも最貧国に数えられていたバングラデシュは,逆に見れば援助受け入れ大国でもあった。(中略)自立を促すことの難しさは,現地の人々と直接話す立場では,いかに難しいことか・・・・・・。僕は痛感していくことになる。(p227)

2023年4月9日日曜日

2023.04.09 下川裕治・中田浩資 『沖縄の離島 路線バスの旅』

書名 沖縄の離島 路線バスの旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉社
発行年月日 2022.09.18
価格(税別) 1,750円

● コロナ禍で打撃を受けた業界というと,飲食,宿泊,旅行業界というのが定番になるが,旅行作家も仕事ができなくなったはず。あるいは,仕事がなくなってしまったはず。
 半世紀前なら本を出して,その中から文庫本になるのが10冊あれば,どうにか印税で喰えると言われていたらしいのだが,今はそんなわけにいかない。文庫も絶版になるし,賞味期限が短くなった。それ以前に文庫が売れなくなった。

● だから,新刊を出し続けなければいけない。コロナで身動きが取れなければ,新刊の出しようもない。けっこう以上に辛い状況だったのではなかろうか。
 現在,日本を代表する旅行作家といえば,沢木耕太郎さんのような大御所もいるけれども,下川さんが代表格ということになるのではなかろうか。その下川さんにしても,お座敷はだいぶ減ったのではなかろうか。

● “お家時間” が増えた分,本を読む人が増えたとは思えない。読む人は状況のいかんに関わらず読むし,読まない人は読まないからだ。
 コロナ禍は事実上過ぎ去ったといえる状況になったが,従来の延長線上に仕事があるのかどうか。何を書けばいいのか,どう書けばいいのか,を模索しなければいけなくなっているのではないか。今までだって模索はあったに決まっているのだが,深刻さの度合いが深まっているだろう。
 と,勝手な想像を巡らせている。大きなお世話だろうな。

● 以下に転載。
 僕は長く沖縄とつきあってきた。その間に目にしてきたことは,猛烈な早さで進む本土化だった。沖縄らしさが次々に失われ,日本の一地方に変貌しつつある。(中略)しかし沖縄の離島の路線バスに乗って,なにかが吹っ切れた。沖縄の路線バスは,とことん沖縄だったのだ。(p3)

 沖縄の本土化を促進した最大要因はいわゆるIT革命でしょうね。常なるパンクチュアリティーを,ITが人間に要求する。これはもう地域の特性だの何だのお構いなしで,あらゆる地域,あらゆる業種を忙しくした。

 「このくらいなら歩けよ」という気分になる。沖縄の人たちは歩くことを嫌うが,ゆっくり歩いても二分なのだ。(p15)

 沖縄ではヨモギをよく食べる。本土でもヨモギは食べるが,(中略)火を通す。しかし沖縄では生でそばに載せてしまう。この食べ方を目にしたとき,日とナムのフォーとつながった。ベトナムでも麺に生のハーブを載せる。(中略)沖縄料理は生のハーブを通してアジアにつながっていた。(p20)
 沖縄生まれの若い女性の,「沖縄そばはおじさんの食べ物というイメージ」という声を聞いたときは,僕自身,少々うろたえた。(p34)
 沖縄の人は皆,泡盛ばかり飲んでいた。(中略)沖縄はそいういう土地だと思っていた。それがブームというものの怖さだと知ったのは後のことである。(中略)いま沖縄の人たちは,沖縄そばから離れ,ハイボールのグラスを手にする。それは無理などせず,好きなものを口にするようになっただけのことではないのだろうか。(p35)
 宮古島の路線バスは,始発と終点を単純往復するのではなく,途中からぐるりと一周する周回路線が多かった。(中略)つまり,終点という発想ではなく,目的地によっては,かなり遠回りをして到着するという乗車法になる。(p39)
 宮古島のバスの乗りつぶしを面倒にさせている理由のひとつが,バスターミナルがないことだった。ターミナルがあれば,そこを軸にして乗り尽くしていく順を組み立てていくことができる。しかしそんな拠りどころがないと,どんな組み合わせもできるようで,いざ実際のルートを考えるとすぐに行き詰まってしまう。(p40)
 端数もちゃんとあるから,「まあ,九百円ぐらいにしておくか」といった金額ではない。沖縄の人は,こういう面では本土以上に律儀な面がある。いい加減に映るのは,元の構造が杜撰ということが多い。(p70)
 どうしてそういうことを考えるわけ? 宮古の人は誰もそんなことは考えんよー。運転手が口にした運賃が運賃さ。(p72)
 カレー粉と合成酢。これは昔ながらの食堂であることを示すアイテムだと思う。(中略)料理人はこの味変を素直に受け入れられるのだろうか。(中略)料理人は完成品としてひとつの料理を出すはずだ。麺料理なら,麺とスープの微妙なバランスが味を左右する。それを客が勝手に変えてしまうというのは,料理人には失礼な行為に映ってしまう。(中略)ところが沖縄では,味変はあたりまえのように行われていた。(p74)
 これは本土でもあたりまえのように行われていたし,今も行われているのでは。高級レストランは別にして,B級グルメ的な食堂では最後の味はお客が作るのが普通だ。沖縄に限ったことではない。
 さすがに本土ではカレー粉と合成酢ではないだろうけど,味変を許さない食堂はないのでは。
 沖縄のウィルスへの怖がり方というか警戒の温度は,日本のほかの地方とは違っていた。沖縄本島と離島の間にも温度差があった。動きが遅い沖縄本島に比べ,離島の人たちは敏感だった。(p77)
 島の外から入ってくるものへの警戒心。それと同時に,外来文化を積極的にとり込んでいく顔。沖縄は常に,そのバランスの中で生きてきた。(p79)
 長崎に代表される出島という発想は,江戸時代の鎖国体制を下敷きにして語られることが多い。しかしウイルスや細菌が引き起こす感染という視点を当てると,ある種の水際対策という解釈もなりたってくる。(p80)
 深く考えないこと・・・・・・。これは沖縄ではよくあることだった。彼らには悪気はまったくない。むしろその逆で,利用者へのサービスとしてはじめたのだろうが,その先の詰めが甘いから,矛盾が生まれてしまう。いや,そう思うのは本土からやってきた人たちだけで,島では,そよそよと暖かい風が吹いているだけなのだが。(p93)
 こういう生き物(イリオモテヤマネコ)がいる島の人たちは愚痴っぽくなる。(中略)「この島じゃ,人間より,イリオモテヤマネコのほうが大事さ!」
 泡盛の酔いがまわると,そんな冗談をよく耳にする。(p114)
 本土では,アメリカ軍の基地や施設に忍び込み,食料や薬などの物資を盗みだしたという話はあまり聞かない。しかし,沖縄では,アメリカ軍基地から物資を盗むという状況が起きる。それは危険な行為だったが,彼らはそうやってアメリカと戦ったのである。(p136)
 大変なことを先にすませるか,簡単なものから攻めていって最後にあたふたするか・・・・・・。僕はやはり後者なのだろう。こういう性格だから旅をつづけてきた気もする。旅というものは計画通りにはいかない。しっかり計画を立て,それをこなしていくことに快感を得るようなタイプはストレスが溜まる。厄介なことは先送り・・・・・・その精神だと思う。(p144)
 石垣島は沖縄本島や宮古島などから移住した人が多い。沖縄のなかの合衆国のような島である。その気風は沖縄本島に通じるところがある。石垣市はミニ那覇の雰囲気すらある。(p145)
 沖縄の人たちにとっておでん屋は,完全に飲み屋である。(中略)が,最近,少し様子が違う。若い女性ふたりの観光客やカップルを,かなりの確率で目にするのだ。(中略)常連客は,「俺たちの世界にずけずけ入ってくるなよ」といいたい空気を背中で発信している。しかし若い女性やカップルは,そういう雰囲気に無頓着だから,ガイドブックに書かれていた「絶品おでん」といった見出しを頼りに,繁華街の路地に分け入ってくるわけだ。(中略)流れはもう止められないことも知っている。(p178)
 沖縄本島と離島の距離感を,本土にあてはめたら,隣の県への距離以上あるんです。(中略)それが離島の距離感なんです。新型コロナウイルスへの対応を考えたら,本土の各県が独自の宣言を出すのと同じなんです(p180)
 台風が去った沖縄の海は穏やかだった。沖縄の海はたまに,海の神様が休養をとっているのではと思うほど静かになることがある。(p183)
 沖縄でのんびりしたいといっても,日程をたてるのは自宅である。その時点では本土の空気や仕事といったものの時間間隔に支配されているから,伊平屋島まで,バスとフェリーで片道四時間半と耳にすると,どうしても敬遠してしまう。(p206)
 この離島度がコロナ禍では,渡航規制に影響する。渡航規制は主に観光客に向けて出されるものだから,離島度が高い島ほど,規制の解除が遅れることになる。観光客の渡航を止めても,島の経済にそれほど影響はない。それよりも島民の感染を防ぐことにシフトしていく。(p207)
 本土からやってきた人は,アジアの屋台文化が沖縄にもあるようなイメージをもつ傾向がある。そのなかで生まれたスペースが『国際通り屋台村』という気がする。そう,本土の発想で演出された沖縄・・・・・・。沖縄の人たちは,冷房のない野外での飲み会があまり好きではない。(p265)
 沖縄料理のひとつの特徴。それは揚げることだと思う。(中略)焼くという料理法が省略されてしまっている気がする。(p267)

2023年3月18日土曜日

2023.03.18 下川裕治 『アジアのある場所』

書名 アジアのある場所
著者 下川裕治
発行所 光文社
発行年月日 2021.08.30
価格(税別) 1,300円

● 日本のバブル崩壊後の “失われた30年” で,アジアに対する日本の経済的優位性は相対的に大幅に低下した。一人当たりの国民所得で日本を追い越した国は,シンガポールをはじめアジアにもいくつか誕生した。抜かれないまでも,日本と他のアジア諸国の差は少なくなった。
 バックパックを背負ってアジアを貧乏旅行できたのは,個人の嗜好云々よりも先に,日本の経済的優位性があったからだ。日本で3ヶ月肉体労働をすれば,1年間はアジアを旅できた。

● その優位性が日本から消えた以上,バックパッカーは存在し得ない。一人もいないわけではあるまいが,細い流れながらもひとつの潮流とはなり得ない。
 そもそも,アジアの諸国よりも日本の方が物価が安かったりする。当然,お金のない若者は日本に留まる。海外を放浪するより,国内の方が生活コストが安いとなれば,当然そうなる。

● 下川裕治といえば,アジアを貧乏旅行して,それを文章にして生計を立てている人というイメージだ。が,下川さんがそれをやっていた頃と今とでは状況が違ってしまった。彼の文章世界は過去形で語られるものになった。
 唯一の救いは,彼の紀行文に社会派の成分が濃厚だったことだ。これは経済状況が様変わりしても命脈を保てることがある。
 本書においても社会派の部分が読み応えがある。著者ならではという感じがする。文献を読み込んでいるのだろう。

● 以下に転載。
 込み入った会話ができないことが居心地のよさにつながる気もする。アジアから日本に帰るとき,いまでも緊張する。(中略)言葉が通じない世界を歩いてくると,日本語の嵐がストレスになる。(中略)インドに一年近く滞在した日本人バックパッカーが帰国し,羽田空港から電車に乗った。しかし日本人が怖くなってインドに戻ったという話を聞いたことがある。その心境がよくわかる。(p4)
 バンコクという街で,彼らは冷遇されていた。バンコクに生まれ育ったタイ人は,こちらが心配になってしまうほど彼らをバカにしていた。田舎者--それがイサーンの人々の代名詞だった。彼らが口にするイサーン方言を真似,皆で嗤う。(p52)
 ここ十年,いや二十年でタイはずいぶん豊かになった。賃金も上がった。(中略)もう,日本で働いても割に合わないのだ。(p70)
 大家は外国人に貸したくはないということだけだった。(中略)外国人が店を出すエリアが偏っていく理由がわかった。ミャンマー料理店が高田馬場に多いのは,簡単に物件を借りることができるためだった。(p102)
 「浅草ってね,東京のたとえば,新宿や渋谷って考えないほうがいい。村です。私たちだって,ふたりとも浅草寺幼稚園の出身。横でしっかりつながっているんです」(p120)
 日本人なら昼寝を起こされ,不機嫌そうな顔をつくる人もいるのかもしれないが,彼ら(タイ人やミャンマー人)はとりあえず笑顔をつくる。あれは天性だといつも思っていた。(p122)
 日本での仕事は気遣いが多かった。フリーランスといっても,編集部の人間関係に振りまわされ,そのなかを泳いでいかなくてはならなかった。体はいつも重く,どこか地面の下から得体の知れないものに引っぱられているような気がした。(p127)
 軍事政権の時代だった。人々は軍人の奴隷のようになって生きなければならなかった。希望は国を出ることだった。(中略)皆が裏金で生きなくてはならなかった。軍事政権とはそういう時代だった。パスポートをつくるときの裏金は,日本円で百万円を超えていたと思う。当時のミャンマーではとんでもない額の金だった(p135)
 日本のなかに星の数ほどあるエスニック料理店には申し訳ないが,現地のなにげない食堂に勝る店に出合ったことがない。(中略)香辛料だと思う。香辛料の鮮度が違うのだと思う。(p152)
 自由貿易型の植民地が利益を生むには時間がかかる。(中略)本国のイギリスはそれを待ちきれなかった。(中略)日本の台湾統治にしても,はじめこそインフラを整え,農業の技術者を派遣し・・・・・・といった長い目でみた統治を進める。しかし気長には待てなかった。背後には軍事力をもっているわけだから,手っとり早い台湾利用に走る。それが植民地政策の本質なのだから,すぐにその安易な手法に傾いていってしまうのだ。(p159)
 中国に長く暮らす日本人から,まとまることができない中国人の話をよく聞く。
「中国人って,砂のおにぎりみないなものだと思うんです。いくらひとつに固めようと思っても決してひとつにならない。ぱらぱらと崩れちゃうんです」(p188)
 史明の行動を見ていると,育ちのいいロマンチストという言葉が浮かんでくる。どこかオノ・ヨーコに似ていないくもない。理想を胸に革命運動に身を投ずる姿に酔っているようなところもある。(p190)
 史明は身分を隠し,青島から台湾に脱出する。日本人の妻も一緒だった。妻は中国共産党での日々を後にこう話していたという。
「あれは人間が住む世界ではなかった」(p192)
 李登輝という人物への評価は,台湾より日本のほうが高いように思う。台湾の人々はより冷静に彼を見つめていた。というのも,李登輝は人々を苦しめ続けた国民党の人間だったからだ。(p205)
 いまのリトルオキナワ(中野区昭和新道)には,ボリビアやブラジル料理店が何軒かある。そのメニューを見ると,牛肉料理の横に沖縄そばの写真が載っていたりする。この店を経営しているのは,南米に移住した沖縄の人たちの二世,三世だった。(p219)

2020年6月5日金曜日

2020.06.05 下川裕治 『10万円でシルクロード10日間』

書名 10万円でシルクロード10日間
著者 下川裕治
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.09.02
価格(税別) 1,700円


● ガイドブック的要素を加えた紀行文。下川さん,『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』や『シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ』でも中央アジアへの思いを語っている。
 だいぶ気に入ってるらしい。タイに次いで,中央アジアが彼の第3の故郷になったのかと思うほどだ。ビザが不要になって旅しやすくなったこともあるようなんだけど,気候風土,食べ物,市場,人といったところに魅せられているようだ。

● 以下にいくつか転載。
 そのなかで気をひそめるようにクラスウイグル人だが,笑顔は失っていなかった。(中略)つらい時代でも,笑顔を忘れないという遺伝子。シルクロードは,時代の権力にいつも晒されてきた。そのなかを生き抜いてきた彼らの処世術こそ,シルクロードそのものにも思えるのだ。(p45)
 ウイグル人に囲まれる旅は楽しい。彼らは歌が大好きだ。10人にひとりぐらいはギターをもち込んでいて,それに合わせて,仲間や車内で居合わせた客が声を合わせる。(p48)
 陸路で国境を越えると,風景や風習,そして人の顔がグラデーションのように変わっていく。おそらくシルクロードの時代もそうだったろう。しかし近代に入り,この国境は緊張が続いた。(p56)
 旅を彩るものは想像力だと思っている。僕のように,あまり人が行かないエリアを歩くタイプは,想像力に頼る部分が大きくなる。(中略)僕は困り,路上に落ちていた石を拾い,バッグに入れた。その石をじっと眺める。(中略)その小石に,どれだけ想像力を込められるかということなのだ。(p98)
 僕はどちらかというと,ホテルの予約は避けたタイプだ。それによって,旅の日程が決められてしまうと旅がつまらなくなってしまうのだ。気に入った街に出会ったらそこに泊まってみる・・・・・・。そんな自由を失いたくない。(p134)
 インターネットの発達で,以前に比べれば,はるかに多くの情報を手に入れることが可能になったが,情報というものは,すべて見知らぬ人が得たものにすぎない。自分がその街の土を踏んだときの印象とは違う。旅とは自分でするものだから,僕は五感に届いた感覚を大切にしようと思っている。(p134)
 海外への旅を前に,「言葉が・・・・・・」と不安を募らせる人は少なくない。しかし僕はそれほど不自由さを感じることなく,シルクロードの旅を続けてきた。(中略)旅をスムーズに進ませるもの--それは言語ではないと思っている。表情や目の力,体からにじみ出るエーテルのようなもの・・・・・・。そんな言葉にならないものでコミュニケーションは成立していく。(p137)
 運賃を提示しないことである。なにもしない。英語を口にすることもしない。これが僕流の根切り術である。しかしこれはそれなりの精神力が必要になる。ただ黙っているというのは,意外なほどにつらい。(中略)僕の心境は穏やかではない。なにしろ相場を知らないのだ。(p139)
 食通でもないのに,有名料理を避けようとし,それでいながら店になかなか入ることができない小心者。それが海外を歩く僕の姿である。そういう面倒くさい旅行者の編みだしたワザ・・・・・・。それが同じ店に何回も通うということだった。(p141)
 はじめて店に入るときは勇気がいる。エイッ,と自分を奮いたたせて,1軒の店に入る。心のなかでは,店の主人や店員が,言葉もわからないひとりの外国人を邪険にしないことを願っている。優しさにすがるわけだ。だから混みあっている店は避ける。(p141)
 僕はときどき台北に行く。小籠包で有名な鼎泰豊に行くことがある。しばしば,シニアの男性が,ポツンと座っていることがある。この店はあまりに有名だから一度は・・・・・・といったところなのだろうが,どこか寂しげにも映る。(中略)どこか情報に振りまわされている気がしないでもない。その時間があったら,泊まっているホテルの近くの店に通い詰める。そのほうがはるかに,その街の料理が見えてくる。そんなことを思ってしまうのだ。(p142)

2020年5月16日土曜日

2020.05.16 下川裕治 『シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ』

書名 シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ
著者 下川裕治
発行所 平凡社新書
発行年月日 2019.06.14
価格(税別) 860円

● タイトルは「シニアひとり旅」。シニアにひとり旅を勧めるというのではなく(最終的にはそうなのだが),自身の経験を紹介し,どんなところなのか,何に気をつけたらいいか,などを説く。
 が,下川さんのこととて,内容は社会派。歴史や地政学的な位置づけを踏まえて,現状を論じるものになっている。

● 以下に転載。
 ここ数年,カオサンにやってくる日本人は一気に減ってしまった。バンコクでは,カオサン以外に多くのゲストハウスができたことも一因だが,やはり日本人の若者が旅から離れてしまったことが最大の原因かと思う。(p10)
 旅を是とする人からは,旅をしなくなった日本の若者が愚に映るかもしれないが,かつての若者が賢で今の若者が愚だとは考えにくい。どちらも愚に決まっている。
 では,なぜ今の若者が旅に出なくなったのかといえば,そういう時代だからだという他はない。ありていに言うと,外国より日本の方が安全だし,物価は安いし,インフラはきめ細かく整っていることが,広く知られるようになったからでは。
 もうひとつ。バックパッカーになって外国を彷徨ってみても,さほどに得るものはないということも知られてきたからではないか。あえて時間の無駄をしなくても,と。さらには,バックパッカーに稀少価値がなくなったことも影響しているだろう。
 かつてのバックパッカーは日本社会に馴染めない若者が外に活路を求めるという意味合いがあったが,今のバックパッカーは,馴染めないんじゃなくて単なるバカというイメージ。格好悪いものになってしまった。
 時代はバブル景気のただなかだった。派手は話が飛び交うほど,物質的な豊かさへの警鐘は高まるもので,物質文明の先にある精神世界といった文脈から,インドに憧れる若者は少なくなかった。(p17)
 「いまの若者はシャワーでしか水を浴びたことがないようなんですね。宗教的な儀式が,生活習慣の変化のなかで崩れはじめているんですよ」 サリーを捨ててスカートに走り,川での沐浴を嫌う。そんな若者がインドの中間層を中心に増えているようだった。(p23)
 北インドの人々にはそんなところがあった。弱さを見せようとしない。南インドの人たちは北インドと違うのかもしれない。シンガポールにいるのはタミル人が多かった。南インドに暮らす人たちだった。(p27)
 「でも絶対にどかせないとだめ。うろうろしていると,そこが彼らの席になっちゃうんです。インドは自己主張が強い国だってこと・・・・・・肝に銘じないといけません」 (中略)しかしその行動が正しかったのか。いまの僕は少し首を傾げてしまう。そこにあるインドの流儀,インド人の優しさのようなものが少しわかってきたからだ。(p31)
 インドと中国は,膨大な人口とどう向き合っていくかという面で,同質の問題を抱えている。列車のシステムはその一例である。中国のそれは,ひたすら管理である。(中略)そこには怖いほどのシステムがある。(中略)しかしインドは違った。同じように多くの乗客をさばく際に,最終的に人に委ねるのだ。これがインドという国をわかりづらくさせていた。(p38)
 いま,日本の山にのぼっているのが,六十歳台という,団塊の世代より十歳ほど若いグループになる。彼らは日本の山にはのぼるが,ネパールまでは行こうとしない。(中略)団塊の世代は退職しても勢いがある。(中略)そこから十年くだった世代は,(中略)なにかと慎重になる。乗りが悪いのだ。(p77)
 イスラム教徒を揶揄するつもりはないが,彼らは内部より外観にこだわる傾向が強いと思う。インドのタージ・マハルにしても,外観はみごとだったが,その内部はひどかった。(p97)
 クンジュラブ峠を越えるカラコルム・ハイウェイは,バックパッカーたちの憧れだった。(中略)その過酷さが,彼らの冒険心をかきたてもしたのだが,いまや,パキスタン人のカップルが気楽にやってくるエリアになってしまった。(p105)
 (バングラデシュは)人の多さに辟易もするが,同時に守られている感覚もある。路上でスリや置き引きにあったとき,声を出せば,近くにいる見知らぬ人が反応する。(中略)欧米の治安が悪い一帯は,いくら僕が被害に遭っても,近くにいる人が無関心を装う空気がある。あれは怖いと思う。(p117)
 洗脳の核にあるのはイスラム法だった。すべてがイスラムの法に基づいて統治される国家の建設,という理想を若者に吹き込んでいった。その論理は,こんな言葉に結びつく。後進国はいつまでたっても先進国に追いつかない(p118)
 バングラデシュと聞くと,なにか大変な国というイメージがつきまとうが,実際に歩くと,意外なほどスムーズに移動できる。選択肢がそれほど多くないこともあるのだが,バングラデシュ人はかなりのお節介だから,なんとかなってしまう。(p123)
 僕はいま,「もう援助は必要ないのではないか」と思っている。バングラデシュはまだ,多くの貧困を抱えているが,富裕層や中間層が次々に生まれている。そのなかで知恵を絞れば,新しい学校運営のスタイルも可能のようなきがする。これからの日本人は,金ではなく知恵を出す時代だとも思う。(p128)
 なぜ,中央アジアをすすめるのかといえば,二〇一八年の五月,ウズベキスタンを歩いたとき,「もう大丈夫」と確信したからだった。いちばんのポイントはビザだった。(中略)世界の国境が,職員たちの小金稼ぎの場というところは珍しくない。(中略)これまでも何回となく,「旅行者から金をくすねるな」といった指示は出ているはずだった。しかしその種の通達は効き目がない。それが公務員社会というものだろう。いちばん効果があるのは,経済成長と民度のように思う。(中略)ビザ免除になり,イミグレーションの職員がなにもいわずに,ポンとスタンプを捺したとき,僕が感じ取ったのはそういうことだった。(p133)
 独立というと,国内でナショナリズムが高まり,宗主国に対して独立を勝ちとるという構図が描かれることが多い。(中略)その国がいまも存続していることが多いから,独立戦争は美化されたストーリーに仕立てられがちだ。しかし中央アジアは違った。中央アジアが属していたソ連が崩壊し,たなぼた式に手にいれた独立だった。いや,多くの人が独立など望んでいなかった。(p142)
 旧ソ連時代につくられたものは,ほとんどが使いものにならなくなっていた。かといって,自分たちの力で産業を興すことも難しい。残る手段は出稼ぎだけだったのだ。(p147)
 中央アジアの人々は,シルクロードを担った人々の血を継いでいるから,国境というものへの関心が薄いのかもしれない。茫漠とした草原の国は,水田を開墾し,そこに水を引いて稲を育てる民族とは,土地というものへの認識が違う。(p155)
 そんなキャラバンが運んだ荷は,シルクロードの交易量の一部にすぎなかったといわれる。流通量が多かったのは,各オアシスにいる人たちが,次のアイアスに運び,そのオアシスの人がまた先のオアシスに届けるという駅伝スタイルで運ばれた物だったといわれる。(p159)
 幾度となく受ける検問にも,彼ら(ウイグル人)はへこたれない。いつも笑顔でバスに戻ってくる。(p203)
 ひとり旅は立場が弱い。しかしそれだからこそ,みえてくるものがある。新疆ウイグル自治区の旅は検問だらけだが,同じように,セキュリティーチェックに並ぶと,ウイグル人の心のなかが少しわかったような気にもなる。そして彼らの笑顔と優しさが心に染みる。(p204)

2016年12月11日日曜日

2016.12.11 下川裕治・阿部稔哉 『週末ちょっとディープな台湾旅』

書名 週末ちょっとディープな台湾旅
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2016.08.310
価格(税別) 700円

● 今日,八重洲ブックセンター本店を覗いた。ピンポイントで買いたい本があったので,それを買うため。
 そしたら,この下川さんの新刊が目に入ってきた。8月に出ていたのだな。今まで気がつかなかったとは。本屋には何度も行っているのに。

● 紀行文学という言葉が現在も生きているのかどうか知らない。紀行文をたくさん読んでいるわけではないけれど,文学の香りがするというか,文章で読ませるのは,現在では下川さんを第一人者としていいのではあるまいか。
 けっこう,“社会派”が入っているのではあるが。で,その“社会派”が下川さんの真骨頂ではあるのだが。

● 読み終えた本は処分するようになった。残さない。
 が,何人か手元に残す著者がいて,下川さんはそのひとりだ。

● 今回は,最後の章で,沖縄がアジアより東京に近くなってしまったことを淋しそうに記しているのが印象的。もっとも,アジアじたい,猛烈な勢いで変化を続けていて,どんどん東京化しているようだ。古き良きアジアを旅するのなら,今しかないのかもしれない。
 けれどもね,こういうのっていつの時代でも言われていたことかもしれないのでね。アジアほどではないにしても,東京も変わっている。この変化に棹さしてはいけないのだと多う。棹さす術などないわけだけど。

● 以下にいくつか転載。
 世界の料理は,保存技術のなかで育まれてきた面がある。現代のように冷蔵や冷凍といった手法がなかった時代,食品を腐らせない技術は,人が生き延びていくための重要な要素だった。(p36)
 アジアの飲食店は酒で儲けるという発想が薄いから,多くがしっかりした料理を出す。(p57)
 台湾を歩くと,そのあまりにあっさりとした酒への思いに足を掬われてしまうことがある。酒というものへも思い入れが少ないのだ。(p59)
 「彼ら,外省人だね」 李さんは日本語でいった。周りの人は日本語がわからないから堂々と話すことができる。「あだれけ酒を飲んだら,明日の午前中は仕事にならないよ。(中略)まあ彼らは,午前中,休んでも大丈夫な仕事に就いてるってことだよ。本省人はそうはいかない。朝からしっかり働かないと,金が稼げないからね。(中略)」 李さんの言葉に険があった。(p74)
 海外に出向くと,買うものもないというのにコンビニに入る日本人は多い。言葉がわからなくても,安心できるスペースがコンビニである。日本で慣れ親しんだ世界でひと息つく・・・・・・そんな感覚だろうか。(p81)
 蒋介石への憎しみを抱いても不思議はないのだが,行き場のなくなった蒋介石像を前に悩んでしまったのだろう。彼らのなかには,像を破壊する感性はなかった。それが台湾人なのかもしれない。いや,アジア人というべきだろうか。記憶を引き出しにしまうことがうまい人々である。(p112)
 一般の人々がアップする情報が,ネット系ガイドを真似ていることが鼻につく。(中略)文章などへたでもいいから,本音で語ってほしいのだ。店選びにも主張がない。(p124)
 北回帰線の南にあるこの街(台南)には,ともすれば硬直化しがちな東アジアとは別の文脈が流れている気もする。(p160)
 台南の街に流れる空気はどこか違う。その奥にあるものは,香港やマカオ,シンガポールといった植民地になった都市に共通した処世術なのかもしれない。これらの街にはさまざまな人が住みついていく。流入する人々と渡りあっていく術をこの街はもっている気がする。(p165)
 台湾の人って,カラオケ大好きだからね。彼らって,カラオケと酒がつながっていない。素面でがんがん歌うからね。(p224)
 台北より静かな台南の街からやってきたのだが,こうして那覇の街に立つと,その静けさに足を掬われそうになってしまうのだった。(p243)
 アジアの都市は,ここ二十年でずいぶん変わった。(中略)生活が豊かになり,中間層が急増したが,彼らは金の動きに敏感になり,権利を守ろうとする保守化の道を歩きはじめている。金はないというのに,将来のことも考えない底が抜けるようなエネルギーは,影を潜めつつある。日本とアジアの温度差は年を追ってなくなってきている。(p252)
 十年という年月は,沖縄を変えていた。空気のなかから,アジアらしさが消えてしまったように映る。(p254)

2016年3月10日木曜日

2016.03.06 下川裕治・阿部稔哉 『週末シンガポール・マレーシアでちょっと南国気分』

書名 週末シンガポール・マレーシアでちょっと南国気分
著者 下川裕治
    阿部稔哉
発行所 朝日文庫
発行年月日 2016.01.30
価格(税別) 700円

● 下川さんの著作はほぼすべて読んでいる。朝日文庫の週末シリーズも読んでいないものはない。

● そこで思うのは,下川さんの真骨頂は,その国や地域の現在がなにゆえに今あるような現在なのか,そこを歴史を遡って素描する際に発揮される。
 本書では,プラナカン(海峡華人)やプミプトラ政策(マレー人を優遇するマレーシアの政策)について,鮮やかに切り取って見せてくれている。

● 貧乏旅行,お金を使わないでどこまでやれるか,という旅でデビューしているから,そっち方面についてのノウハウも膨大にお持ちのはずで,それも披瀝される。
 だけれども,それよりも文章の妙と,この歴史素描の冴えが,下川作品の魅力だと思う。

● 以下にいくつか転載。
 (シンガポールでは)少なくとも,タクシーに乗るときに,「運賃メーターを使え」などという必要はない。だいたい,客待ちをするタクシーもほとんどない。民度がここまであがるということは大変なことなのだ。(p18)
 シンガポールに限らず,窓のない部屋は少なからずある。台湾,上海,香港,カンボジアのシェムリアップ,マレーシアのマラッカ・・・・・・華人が多い街の傾向のようにも思う。(p42)
 宿の予約をすることが性に合わない。決められた日に,その街に着くことができるかどうかわからない旅が多いという事情もあるが,予約を入れてしまうと,そこに行かなくてはならないということが面倒なのだ。しかしシンガポールは事情が違った。ネットを通して予約したほうが安いのだ。(p45)
 シンガポールで節約すること。それは庶民の世界になると,セントの世界の攻防だった。バス運賃といい,ホーカーズといい,一ドル以下,八十六円以下の積み重ねが安くあげるコツだった。(p78)
 シンガポールの一日目は快適だ。堪えるのは物価の高さだ。そのなかで二日目,なんとか抗ってみた。しかし二日目の晩になると,収まりのつかないものがむくむくと頭をもたげてきてしまう。(p90)
 歩くのもままならないような人混みのなかを,ぐいぐい歩くのは,大陸の中国人の得意技である。(p154)
 国家という枠組みは,海峡植民地に生まれたプラナカンのおおらかさを削いでいくことになる。それは国家というものがもつ宿命でもある。(p165)
 (イスラム圏の)アルコールを禁止するという戒律は,かなり揺らいでいる。(中略)国によっての違いはあるが,アルコールは財力に結びついているようなところもある。国際社会で成功し,英語を口にするイスラム教徒というイメージには,アルコールがついてまわる。(p186)
 LCCは中距離や短距離では,目を疑うような運賃を導くことができる。しかし長距離になると,一気に精彩を欠いてしまう。LCCには運賃を安くするさまざまなノウハウがある。しかしその多くは,中短距離で機能する。(p268)

2015年8月28日金曜日

2015.08.22 下川裕治・阿部稔哉 『週末ソウルでちょっとほっこり』

書名 週末ソウルでちょっとほっこり
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2015.08.30
価格(税別) 700円

● ぼくは今のところ韓国に旅行に行きたいとは思わない。目下の日韓関係からして,韓国に嫌気がさしている。ウォン高もあるけどさ。
 自分は日本人なんだなぁと思うんだけども,国と国の関係がどうかってところに影響を受けてしまうのは,少し以上に寂しいというか情けないというか。

● その点,下川さんはそういうふうにならず,相手がタイ人だろうと韓国人だろうと,国籍に関係なく,個対個の関係を最優先にする人なんだろうなと思う。
 個対個の関係を持っていれば,ぼくでもそうなるのかもしれない。そうした人間関係を一切持っていないので,国対国の関係を自分とその国との関係を同一視してしまうわけだ。

● 本書の話題は食と酒,Kポップ,安宿。以下にいくつか転載。
 滞在日数の短い日本人は,ソウルの食堂で,食べたい韓国料理を網羅しようとする。たとえば,サムギョプサルという豚の三枚肉の焼肉を食べたあとに,冷麺を注文したりする。(中略)これは韓国人にしてみたら「?」がつくオーダーである。サムギョプサルを食べたあとは,テンジャンチゲという韓国風味噌汁と決まっている。(中略) 日本人の節操のない注文を質すつもりがあったわけではないが,やはり韓国にこだわれば,韓国の食べ方に倣うのが筋というものだ。食べてみればわかることだが,そのほうがはるかに,胃へのおさまりはいい。(p10)
 この料理(クルポッサム)はもともとポッサムという料理だった。茹で豚を包んで食べていた。そこに,「生ガキを加えてみたら・・・・・・」と発想した韓国人がいたのだ。僕のような平凡な舌をもつ者にはなかなか思いつかない大胆さである。いや,無謀にも映る。そころが,一緒に食べてみると・・・・・・いけてしまうのである。人間には一定の割合で,食べ合わせの天才がいるらしい。(p37)
 韓国人のなかには,ひとつの経験則があるのかもしれない。においがきついものやくせのあるものは,茹でたり蒸したりした豚肉と一緒に食べればいい。韓国料理が少しわかったような気がした。(p41)
 韓国には解けない謎が山のようにあるが,そのひとつが酒である。なぜ,あんなにも飲むのだろうか。(p50)
 十代の頃からジャニーズ系のグループのコンサートは欠かさないという女性に会ったことがある。彼女はすでに三十代の後半に差しかかっていた。「二十代との違い? コンサートの最中,泣かなくなったことかな。ちょっと寂しい思いはあるけど」 そんな話を聞くと,やはり同じようにコンサートの会場に入っても,湧きあがる興奮のエネルギー総量のようなものが落ちているのかもしれないと思う。それでもチケットを買いに走ってしまうのだ。(p88)
 国と国との間には,深刻さのレベルはあるにせよ,常にこの種の問題が横たわっているものだ。陸の国境のある国々の人は,それないrの自己防衛のロジックをもっている。しかし,日本人は島国に育ったためなのか,こういったプレッシャーに弱い気がする。小規模な騒乱でも報道されると過剰に反応し「あの国は治安が悪いから訪ねるのをやめよう」と考えてしまう。日本人観光客が多い国は,この種のナーバスさに,しばしば戸惑うことになる。(p101)
 人は麺を啜るとき,視線が器に向かうはずである。(中略) オタクと追っかけ・・・・・・。共通した因子をもっているという話を読んだことがある。男はオタクに走り,女は追っかけになる。そしてこの同じタイプの男と女は,心を食事に移さずに食べることができる。(p110)
 皆,若い頃,誰かの追っかけをやってたんです。ジャニーズ系が多いかな。Kポップのアイドルと出会って,突然,ファンになるわけじゃない。そういう因子をもった女の子だって気はしますね。(p110)
 ファンが口をそろえるのは,Kポップアイドルの踊りや歌のうまさだった。(前略)デビューするときは,かなりの完成度に達しているのだという。 このあたりが日本のアイドルと違う。ジャニーズ系やAKB48にしても,デビューしたあとに育っていくという感覚がある。ファンにしてみたら育てていく感覚だ。(p111)
 かつて日本で『たまごっち』という電子ゲームが大流行したことがあった。「たまごっち」と呼ばれるキャラクターを画面のなかで育てていくゲームである。しかしこのゲームは,韓国ではあまり流行らなかった。韓国の人は,育てていくということに興味を示さないのだろうか。(p112)
 日本ではビジネスホテル,ラブホテル,ゲストハウス,ホテルといった性格分けがはっきりし,その外観からもわかるのだが,韓国はその境界が曖昧なのだ。(p238)
 温泉マーク宿が妙に落ち着くのは,鼻腔に届く部屋のにおいが理由かもしれなかった。あの頃,なにをしたらいいのかもわからず,狭い部屋でひとり悩んでばかりいた。年をとっても,戸惑ってばかりの人生に変わりはないが,いま,心を占めている苦痛はより現実的な悩みだった。若い頃は幸せだったというのはそういうことなのかもしれない。(p263)
 週末のソウルで,ほっこりとした気分に浸ることができるのは,重い歴史のなかでの決断を後悔しない彼らの優しさのためではないかと思うのだ。(p297)

2015年8月13日木曜日

2015.08.06 下川裕治・中田浩資 『一両列車のゆるり旅』

書名 一両列車のゆるり旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2015.06.14
価格(税別) 694円

● 著者初めての日本旅の紀行文集。本書のキーワードは特定地方交通線と駅前旅館。赤字線に乗って,駅前旅館に泊まる。

● 日本における安宿っていくつかあって,代表的なのはカプセルホテル。が,これは都市部にしかない。
 もうひとつは駅前旅館。駅前旅館はしかし,絶滅危惧種であって,だいぶ少なくなってしまったし,これからもどんどん減っていくのではないか,ということ。泊まるなら今のうちに。

● 以下にいくつか転載。
 川を堰き止め,斜面に水路をつくり,電気をつくりだしているエリアを走る列車は電化されず,下界の列車がその電気を使っていく。(p118)
 特急は速く,快適なのだが,無人駅を無視するかのように通りすぎていくことを繰り返していくと,人のいない駅に流れる風のにおいがふと思いだされ,なにか損をしたような気にもなってしまうのだ。(p134)
 こういうときは,できるだけ早く行動する。これまで何回となく出合ってきたトラブルからの経験である。ほとんどが日本ではなく,海外で遭遇していた。僕のようなバックパッカー風の旅を続けていると,列車やバス,飛行機の故障や自己にはしばしば出合う。飛行機の機材トラブルのときは,別の航空会社に振り替えられることが多いが,その飛行機の席にも限りがある。そこを支配するのは,早い者勝ちの論理である。(p272)

2015年8月4日火曜日

2015.08.02 下川裕治・中田浩資 『不思議列車がアジアを走る』

書名 不思議列車がアジアを走る
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2013.04.14
価格(税別) 686円

● まだ読んでいない下川さんの文庫本を3冊買った。本書はその中の1冊。『鈍行列車のアジア旅』に続く,アジア列車旅。
 実際に“取材”に行った時期も明記されている。かなり頻繁に出かけている。その合間に書くという厄介な作業があるわけで,どうもなかなか楽な仕事じゃない。

● 過去の体験を刈り取っているというのではないかもしれないけれども,力まないで書いているようだ。そう見せるのが腕なんだよってことかもしれない。

● 韓国の群山が登場する。廃線の街。もとからあった群山線は廃止されたようだ。ぼくも,昔,韓国の鉄道に乗りに行って,群山線にも乗ってくるはずが,乗らないまま引き返してしまったことがある。
 こういう記事を読むと,乗っておくんだったと思うわけでね。群山線に限らない。加恩線とかね。短い盲腸線がいくつかあったのだが,今は残っていないんだろうな。

● ひとつだけ転載。
 冷房というものは,暑い地域では乗り物のヒエラルキーを決める要素のひとつである。(中略) 東南アジアでは,服装でその人を判断する傾向が強い。ラフな恰好への評価は低い。たとえば昼どきのバンコク。屋台街で,白い長袖のワイシャツにネクタイ姿の男性がそばを啜っているとする。その男性がどんなに金がなくても,タイ人は彼をエリートだという。理由は実に単純で,ワイシャツにネクタイ姿でいるからだ。そういう意識が定着した背後には冷房がある。涼しい部屋で働いている証なのだ。(p40)

2015年7月11日土曜日

2015.07.11 下川裕治 『南の島の甲子園 八重山商工の夏』

書名 南の島の甲子園 八重山商工の夏
著者 下川裕治
発行所 双葉社
発行年月日 2006.12.20
価格(税別) 1,400円

● 沖縄の離島から初めて甲子園に出場した八重山商工。その八重山商工を追ったルポルタージュ。
 だけれども,本書は八重山商工を話材にした沖縄文化論といったほうがいいだろう。下川さんは本書によって自身の沖縄観を集大成したいと思ったのではあるまいか。

● 沖縄人の気質,沖縄が置かれた経済状況,沖縄の風土,本土との関係。そういったものが次々に展開される。

● それらを以下に転載。
 南の離島の子どもたちは意識を持続する力に欠ける。負けたときは,沖縄本島や本土の子どもたちと同じように唇を噛む。その後の練習にも熱が入るのだが,一カ月,二カ月とつづくうちに悔しさを忘れていってしまう。本土の人間のように根にもつようなしつこさがない。それは島の人たちのおおらかさでもあるのだが,裏を返せば甘さでもある。(p50)
 二〇〇五年の九月五日,沖縄県の秋季大会の組み合わせ抽選があった。それを眺めた仲里拓臣は少し顔をしかめた。組み合わせを辿っていくと,準々決勝で浦添商業と対戦することになる。その表情をみた伊志嶺は仲里に語りかけた。 「拓臣,そういうマイナス思考だからおまえはだめなんだよ。もう負けるような気分でいるんじゃないか。絶対に勝つ,気持ちで負けたらだめなんだよ」(p53)
 横浜高校の渡辺元智監督と小倉清一郎部長が野球の指導をしながら教員免許をとったのは有名な話だ。生徒と長く接することやふたりでベンチに入るための方策でもあったのだが,おそらく学校にしても,生徒に授業を教え,職員会にも出席する野球部の指導者のほうが教育者としての意識を共有できるのだろう。ただ単に野球だけの指導では優秀な選手は育たない。高校の授業とまったく違うところに野球部があるわけではないのだ。 千葉経済大付属の松本吉啓監督も,埼玉栄時代に大学に通って教員免許をとっている。 「野球の練習はきついです。どうしても授業中眠くなる。それを我慢して頑張る強さ。そういう生徒がいい選手になっていく。ふだんの生活がすごく大切なんですよ」 これがいまの野球部の多くの監督の考え方なのだろう。(p133)
 八重山ポニーズから十一人が入部するとき,伊志嶺は銀行から二百万円を借りている。甲子園融資などと本人は笑うが,八重山商工の監督を引き受けたとき,それは覚悟していたことだった。 野球は金のかかるスポーツである。(中略)その金も一年間でほぼなくなってしまったという。(中略)甲子園という夢。それはなかなか金がかかる夢でもあるのだ。(p147)
 本土のある私立高校は,甲子園に出場すると,在校生の家庭から一律二十万円の寄付を集めるという話を聞いたことがある。それを東舟道に話すと,嘘でしょ,といった顔をした。島ではそれより二桁低い資金集めに父母会は奔走していたのだ。(p159)
 八重山から甲子園。それはどうしても野球のレベルの話になりがちだ。しかしかつての八重山の野球が,そのレベルで甲子園に遠く及ばなかったように,島の経済力もそれを支えることができなかったのだ。(p160)
 元々,「男が働かず,女がしっかりしている」という南の国の構図が流れている。沖縄には「男逸女労」という言葉が生きているし,「男のひとりも養えないでなんで女か」という諺までいい伝えられている。つまり男が頼りない社会なのだ。 そんな沖縄社会は,家族を背負い,社会的な責任も果たさなければならない本土の男たちにしたら,心の芯がとろけてしまいそうな世界に映る。それを世間では癒しなどというのかもしれない。(p161)
 強いチームとあたっても接戦だが,弱いチームとあたっても僅差のゲームなのである。決して二十対〇といった大勝ちはしない・・・・・・。(中略) 八重山商工のOBたちともその話をした。(中略) 「そうだよな。なんとなくわかるな。八重山っぽい。相手をこてんぱんになるまでやらないんだよ。刺さないっていうかね。本土の人に比べて,沖縄の人はいろんなことを根にもたない気がするな。こう,このへんでいいよって思っちゃう。甘いっていわれれば甘いんだけど」(中略) その傾向は,沖縄本島より,離島に行けば行くほど強くなる。(p179)
 沖縄に限らず,南の国の人々は意味もなく頑張ることを嫌う。(p186)
 楽をして勝ちたい。だがこの言葉は禁句に近い。常に全力疾走が高校野球のイメージである。「勝てそうだから手を抜く」などといったら冷たい視線に晒されるだろう。(中略)しかし八重山商工野球部の戦いぶりを見ていると,どうしてもそんな発想が潜んでいるような気がしてしかたないのだ。(p187)
 沖縄,なかでも離島という土地はやはり本土とは違う。会社というものがしっかりしていないためか,終身雇用が定着しなかった。職を転々とし,ときにアルバイトをしながら働かないと生きていけないのだ。(中略) その分といってはなんだが,沖縄では仕事というものへのプロ意識も希薄である。ひとつの職種のプロになったところで生きていけないということなのだろう。なんでもこなさないと生きていけない土地だが,その分,要求される能力も高くない。職を転々とすることがあたり前になってくる。(p199)
 島の子はもっと本質的な島気質も備えもってしまっていた。それはタテ社会というものへの未熟さのような気がする。それは封建制というものへの不適応といい変えてもいいのかもしれない。もっとも沖縄の魅力もそのあたりにあるのだが,野球で強くなっていくには,それは決定的な島の弱さに伊志嶺には映っていた。(p224)
 夏の甲子園出場校のなかで,八重山商工の部員数は二番目に少なかった。それがまた好感を呼んだ。島の子どもばかりで,その人数も少なければ,どうしても応援したくなる。しかしそれは本土の感覚にすぎない。もし,八重山商工野球部の部員数が百人を超えていたら,チームがなりたたなかったのではないかという気がするのだ。本土のようにタテ社会が育ちにくいから,練習も上下の関係のなかで行えない。上級生が下級生を教える構造がないから,いつも伊志嶺が指示を出すことになる。伊志嶺の指導にも限界がある。島の野球部は,いつも少ない人数でなければ強くなることはできないのではないか。(p232)
 まだ若い高校生が,野球に秀でたというだけで人生を決めていく姿は残酷ですらある。ましてや彼らは石垣島で生まれ育ってきた。仕事というものへのプロ意識が薄い社会なのである。そこに本土から高額の契約金だの,年俸などといった世知辛い話が大手を振って舞い降りてくる。島の空気に触れながら,そんな話を聞くと,本土とはなんといぎたない世界なのか・・・・・・と思えてしまうのだ。(p246)

2015年6月27日土曜日

2015.06.23 下川裕治・阿部稔哉 『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』

書名 週末香港・マカオでちょっとエキゾチック
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2015.02.28
価格(税別) 680円

● 「茶餐廳」の話で1章分書いている。色々なメニューを試しているわけだけど,これだけで1章分書ける筆力がすごい。たんに書くだけじゃない。読ませる文章だ。しかもグイグイと。

● 下川さんは社会派でもある。現在の香港の苦境とその理由を丁寧に説明する。中国に対する学生たちの反発についても,学生側に立って諄々と解き明かすという感じ。
 文献も渉猟しているのだろうが,基本,現地で確認している。それが下川さんの真骨頂でもあるわけだけれども,説得力のある1章になっている。

● これで下川さんの作品の手持ちはなくなった。すでに読んだものを再読するという手はある。それで糊口をしのぐか。

2015年6月15日月曜日

2015.06.14 下川裕治・阿部稔哉 『週末沖縄でちょっとゆるり』

書名 週末沖縄でちょっとゆるり
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2014.08.30
価格(税別) 680円

● 最も印象に残るのは,波照間島で自殺した友人を語るくだり。編集者だった。ベストセラーを送りだした。下川さんが世に出たのとほぼ同じ時期だった。下川さんのデビュー作『12万円で世界を歩く』もヒットした。
 ので。友人の悩みの襞がわがことのように思われたのだろう。気が入っている文章が連なる。
 マスコミは怖い世界である。ヒット作がなければ見向きもされないが,一度,売れる本を作ると,それを超える本を暗に要求してくる。僕は出版社にいわれるままに本を書き続けたが,貧しい旅行者というイメージは強く,そこからはずれることは許されないようなプレッシャーを感じていた。(中略) 僕はそのなかでアジアを書きはじめた。そして,タイのバンコクに暮らすことになる。自分のなかでは,アジアをもっと知らなくてはいけないという思いはあったが,いまになって考えてみれば,ある種の逃避だったような気がしてしかたない。バンコクのとろりとした空気のなかに身を置くことで,次の本を書かなければいけないという息苦しさから逃げた気もする。それは一時的なことであることもわかっていたのだが。(p178)
● 以下にいくつか転載。
 沖縄病に罹った人たちの一部は,移住を決意する。(中略) 暮らしはじめると,沖縄はまた違った顔を見せる。(中略)蜜月はそう長くない。あれほど好きだった沖縄への思いに綻びが目につくようになる。それを呑み込んで生きていかなくてはならない。(p64)
 東京にいても,さまざまな祭りはある。しかしそれに加わる気にはなれなかった。ひねくれ者といわれればそれまでだが,少し離れた場所で,祭りを見ることのほうが心地よかった。 いつも客観視しようとすること・・・・・・そこに美意識を見いだしているようなところがあった。実際には手をくださず,周囲から眺めているだけという謗りを向けられれば返す言葉もなかった。(p87)
 沖縄の人の多くは,気がつくと手をあげ,カチャーシーを踊っている。彼らのなかにも,僕のような性格の男はいるだろう。しかしウチナーンチュのなかには,それを越える世界がある。それが彼らのアイデンティティなのかもしれなかった。 「笑顔ッ」 カメおばぁが何度となく口にした言葉の意味がわかった気がした。カチャーシーは踊りではなく,嬉しさを示す手段なのだ。(p88)
 ホテルのマネージャーをしている知人はこんなことをいう。 「リーマンショックのあと,観光客が一気に減ったんですよ。それでホテルは値段をさげた。そこから値段を元に戻せないでいるんです。(中略)新しくやってくる観光客は,すごくシビアなんですよ」 これもLCC効果というらしい。人は不思議なもので,安いLCCに乗ってやってくると,石垣島で使うお金も節約モードに入ってしまうようなのだ。それを島の人たちは見抜くことができなかった。(p126)

2015.06.13 下川裕治・阿部稔哉 『週末ベトナムでちょっと一服』

書名 週末ベトナムでちょっと一服
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2014.03.30
価格(税別) 660円

● ベトナムといえば日本の中高年はベトナム戦争を連想する。しかし,日本人の連想したものと現実とはかなり違ったらしい。
 本書もそのあたりを詳述しており,その部分が最も面白かった。

● そこのところを書こうとすれば,いきおい,ベトナム戦争当時に学生だった自分を語ることになる。そこを含めて,読みごたえがあった。

● ちなみに,ぼく自身のことをいえば,興味がなかった。興味がなかったといってしまっていいと思う。
 遠い世界の出来事だったし,政治やイデオロギーを熱く語る輩には相当以上の違和感を抱くタイプだった。そういう人を信用しないところがあった。たんに冷たい性格だったというだけかもしれないけれど。普通にはノンポリといったのか。


● 以下にいくつか転載。
 戦争が終わってから,南部も急速に社会主義化が進んだ。おばさんは配給制度も経験しているはずである。しかしそのふるまいからは,社会主義のにおいがしないのだ。タイと同じように愛想がいいし,サービスということを知っていた。(中略) 社会主義という制度は受け入れたが,人と人の間にあるアジアはなにひとつ変わっていなかった。東南アジアの気質は,勘定高さと絡みあい,イデオロギーをも呑み込んでしまっているかのようだった。(p32)
 大学へ入り,それが自然な流れのような感覚で,左翼運動に加わっていった。デモの隊列のなかで足並みをそろえ,夕暮れの三里塚で放水車の水を浴びた。しかしいまになって考えてみれば,それは全共闘世代のまねごとにすぎなかった気がする。若者はそうするものだと思い込んでいる節すらあった。遅れてきた青年だったのだ。(p119)
 記憶というものは不思議なものだ。視覚に刻まれたものは,折に触れ,脳細胞の奥のほうからのっそりと顔をのぞかせるのだが,においの記憶というものは,なにげなく甦ることはない。しかしそのにおいが鼻腔に届くと,視覚の記憶とは比べものにならないほど鮮明に,そのときのシーンが脳裡に広がる。においの記憶は,より本能的なもののような気がする。(p157)
 ローカル列車の車掌は,本当に働かない。自分の利権を使って,車内販売おばさんに,さまざまな用事をいいつけるのだ。 これも社会主義国の公務員らしい話といいたいところだが,同じことがタイでも行われている。タイの鉄道も多くは国営で,職員は皆,公務員である。公務員という人種は,どの国でも,こういうことをする。それは社会体制とは別次元の話である。(p232)

2015.06.13 下川裕治・阿部稔哉 『週末台湾でちょっと一息』

書名 週末台湾でちょっと一息
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2013.08.30
価格(税別) 660円

● 読みだしたらとまらない。
 ひとつには文章。この人の文章はコントロールが効いている。すべて自分のコントロール下に置かずんばやまずといった気概(といっていいのか)を感じる。
 神経質といってもいい。これでは疲れるはずだと思う。

● 日本社会の神経質さかげんが嫌で旅に逃げる。一方で,文章に関してはここまで神経質。じゃなければ人に読んでもらえる文章にならないとしても,人はどこかで神経質のスイッチが入る分野を抱えているのか。

● もうひとつは,そこはかとなく漂うせっぱつまった感じ。タイトルどおりにはゆるみ切れない哀しさというか。
 それとユーモアだ。ひょっとすると狙っているのか。狙っているわけではないとしても,たくまざるユーモアというのではないような気がする。

● 旅をしてその体験をそのまま書けば事が成るというわけではないだろう。読者の気を惹くエピソードが必要だ。旅の場合,その多くはトラブルということになる。あるいは,現地人との心暖まる交流ってやつ。
 本書にはそのどちらもあまり登場しない。著者の内面の表出が過半を占める。それでも面白い。

● 台湾史については蘊蓄が溜まるほどの勉強をしたろうし,文献も読み込んでいると思う。が,勉強の結果を書いてもらっても,面白くも何ともない。
 著者の体液を通しているから,読むに耐えるものになる。

● 以下にいくつか転載。
 僕は,ドミトリーというスタイルが苦手である。もともと,陽気な旅行者ではない。自分から知らない人に声をかけることも少ない。そういう性格がわかっているから,ドミトリーに泊まると,ことさら陽気に振る舞ってしまうようなところがある。自分で笑顔をつくっておきながら,自分でその表情に疲れてしまうのだ。(p42)
 すっかり台湾庶民派食堂の心地よさが,薄味の台湾料理と一緒に刷り込まれてしまった。こういう店を覚えてしまうと,丸テーブルが並ぶレストランは宴会場に映り,四川や広東と銘打つ店は高級エスニック中華に思えてきてしまうのだった。(p83)
 清は台湾への移住を制限するために,女性の渡航を禁じていた。開拓民のほとんどは男だったのだ。(中略)しかし,この土地には平埔族という先住民族が暮らしていた。次々に漢民族の男性と,平埔族の女性のカップルが生まれていく。混血が進んでいく。移住した漢民族は世代を重ね,やがて平埔族は姿を消してしまうことになる。(中略) 本省人の体のなかには,北回帰線から赤道あたりのエリアに住む人々の血が流れている。ゆるい空気を共有していることになる。本省人のなかで,最も多いのは福建系の人々だが,大陸にいる福建系の人々とは違うのだ。(p236)

2015.06.12 下川裕治・阿部稔哉 『週末バンコクでちょっと脱力』

書名 週末バンコクでちょっと脱力
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2013.03.30
価格(税別) 640円

● 「はじめに」に次のように書いている。
 旅はいつか終わる。怖い日本社会に戻らなければならなかった。そんな繰り返しのなかで,バンコクという街に出合った。この街で救われた。 しかしバンコクという街が,高度経済成長の波に乗ってしまった。僕を救ってくれたバンコクは,次々に姿を変えていった。僕が愛したバンコクは,しだいに色を失い,若いタイ人から「時代遅れの日本人」と冷ややかな視線を浴びるようになっていた。若い日本人がバンコクを描くようになっていく。内容は,元気なバンコクにアップデートされていく。そんな書籍を書店で眺めながら,忸怩たる思いに包まれていた。(中略) それから十年---。 バンコクが変わりはじめた。誰しも十年も走れば疲れがでる。ましてやタイ人である。彼らの波長と再び合ってきた感覚がある。そういう十年だった気もするのだ。(p8) 
● 下川さんはタイについてはたくさんの本を書いている。タイは彼のホームグラウンドのようなもの。ただし,ホームだからといって,たくさんの人たちがそこで生活している以上,それは竜宮城にはなり得ない。

● 日本に帰国したときに下川さんが感じること。だけれども,外国から戻ってくると,誰しもそう思うのじゃないか。
 気分を暗くさせるのは,空港からの電車である。飛行機の時間帯によっては,朝のラッシュとかち合ってしまう。ただでさえテンションは低く,体は寝不足で重く,電車は脇に置いた荷物への視線がきついほど混み合っている。しかしそれ以上につらいのは,車内を支配する思い静けさである。会話ひとつなく,人々はスマホや新聞に目を落とす。いつから日本人は,こんなにものっぺりとした顔をした民族になってしまったのだろうか。(p200)
 日本人は車内では静かにするものだと思っている。車内放送でも静かにするよう言うことがある。うるさい人がいると,眉をひそめるのが一般的ではないか。ぼくもその例にもれないんだけど。
 それが行き過ぎちゃってるんだろうか。

● 「いまのバンコクは,ぼんやりしていると,毎食,チェーン店で食事をすることになってしまう」(p212)という状況のようだ。日本と同じ。
 で,ぼくはチェーン店で食事をすることにほとんど抵抗がない。飲むときも,和民とか海蔵とか,けっこう使っている。が,ものには限度があって,日本国内どこに行っても飲むのは和民というのでは味気がなさすぎる。
 下川さんは貧乏旅行を出版社(ひいては読者)に強いられているのかもしれないけれども,彼が書くものを読むと,アジアは安くて旨いものにあふれている。これなら,レストランやホテルで食事をするのはお金を捨てるようなものだと思えてくる。

2015年6月10日水曜日

2015.06.08 下川裕治 『僕はこんな旅しかできない』

書名 僕はこんな旅しかできない
著者 下川裕治
発行所 キョーハンブックス
発行年月日 2015.05.25
価格(税別) 1,200円

● 「あとがき」に次のように書いている。
 『こんな旅しかできない』僕である。自負するでもなく,卑下することもなく,受け入れようと思っている。(p255)
 もちろん,矜恃もあるのだと思うが,その矜恃さえ超えた枯淡の境地に至っているのかもしれない。いや,枯淡の境地にいるのであれば,このタイトルの本を出すことはないか。

● ぼくは,正直なところ,下川さんの作品が受け入れられる土壌は消えかかっているのではないかと思っていた。こういったストイックとも見える,費用を切り詰めた旅の仕方は,大方には受けないだろう,と。
 書店の旅行コーナーで目を惹くのは,景気回復を反映してか,ファーストクラスだとか豪華ホテルだとか,そういうのが多い。バックパックを背負って,安宿に泊まり,長い期間を旅の空で過ごす若者も少なくなったろう。

● そもそも成長著しいアジアの各国に安宿がいつまであるのかと思う。
 でも,ま,これはずっとあるのかもね。東京にだって2,000円で泊まれる宿がある(嘘だと思ったら山谷に行くといい)。カプセルホテルという新手の安宿も登場している。

● ところが。下川さん,エリートビジネスマンなんか及びもつかないスケジュールで,外国を行き来しているのだった。
 要するに,彼の文章に対する需要は衰えていないようなのだ。

● おそらくは,日本の妙に細やかな,行方不明になることすら許さない,息苦しささえ覚えるほどの,ダラシがありすぎる空気に嫌気がさして,タイのほどよく抜けたいい加減さに自然を感じて,タイにハマッていったのだと思う。
 にもかかわらず,この調子で日本と外国を行き来して,それを文章にする生業を続けているのだとすると,なかなか楽な話じゃないね。楽どころか相当シンドクないかねぇ。旅が義務になっているような。

● 以下に,いくつか転載。
 バンコクを見てみたい・・・・・・そんな知人を連れて何回となく,イミグレーションの列に並んだ。彼らのうち何人かはバンコクで暮らしている。しかしそのなかには,つらい病に罹り自ら命を絶っていった知人もふたりいる。(p16)
 誰がそういいはじめたのかわからない。チェンマイではなんでもできる・・・・・・。それが不安の種になる。人が暮らす街で,なんでもできる街などないのだ。ボタンのかけ違いではじまったチェンマイ暮らしは,結局,自分の矮小さをつきつけられる結末に向かっていってしまう。その隘路に入り込んでしまった老人の背中は寂しい。(p29)
 憧れの文体というものがある。僕にとってのそれは,金子光晴であり,開高健である。その内容もさるものながら,彼らの文体がもつ息遣いとか間には太刀打ちできない。 文章というものは,ときに立ちあがることができないほど重い内容を綴らなくてはならないことがある。書くほうは酸欠状態のようになりながら筆を進める。読むほうも息が詰まる。そんなとき,ふっと息を抜いてくれる間のようなものを,ふたりの作家は身につけていた。天性の重みと軽さである。(p42)
 僕には,宿についてのイメージがない。昔から貧しい旅ばかりしてきたから,受け入れる宿の許容範囲が海のように広くなってしまった。こういうタイプは,宿を事前に決めることは面倒なことだ。その宿に行かなくてはならないからだ。(p48)
 宿を決めない僕のような旅行者は少数派であることはわかる。いまの予約システムを否定もしない。 しかし,Tシャツに汗をにじませながら,部屋を探してくれた香港人の背中から,「旅とはいろんな人に助けられてやっと実現するもの」ということを学んだ。そのなかで生まれてきた人間関係が,僕とアジアを結んでいる。それもまた事実である。(p49)
 僕のような男から見ると,インターネットの予約サイトは,大いなる無駄に映る。店と交渉してメニューを紹介し,地図を貼り込み,評価をまとめていく。そういう情報に価値を見いださない人間にしたら,そのサイトに費やされる膨大なエネルギーに首を傾げてしまう。(p73)
 さまざまな国を歩く。ナショナリズムが前面に出る国ほど気を遣う。足どりがぎこちなくなってしまう。だが,台湾にはそれがない。(p99)
 海外を舞台に日本人が登場する作品は,寡黙なほどリアリティが出てくる。それを補うのが,役者の演技力であり,原稿でいったら文章力である。(p100)
 ものを書くということは,「人間嫌いの人恋し」といった性格でなければ続かない。評価されるのは原稿だけであって,人間関係は二の次のようなところがある。人間的に破綻していても,面白い原稿さえ書ければ認められる世界なのだ。(p136)
 世の中には情報が溢れている。インターネットで,人は膨大な情報を得ることができるようになった。しかし,そこに流れている情報というものは,本物を前にすると,あまりに薄っぺらなものに映る。(中略)誤解を恐れずにいえば,本物からどんどん遠くなってきたものを情報と呼ぶのかもしれない。(p139)
 電車に乗り,前に座るカップルが羨ましく映る。東京はとんでもなく暑い。しかしそのなかで,笑顔を絶やさずに生きている。海外旅行に出るわけでもないが,日本での生活を大切にしている。 疎外感に包まれる。僕は日本人のことがわかっているのだろうか。こんな人間が,本を書いていいのだろうか・・・・・・。 僕は旅を書く。しかし旅とは,日本での日常がなければ輝きを失う。僕の旅は,もう色褪せているのではないか。(p146)
 旅行で訪ねた国を好きになるか,ならないか。それは人それぞれだ。バンコクのツーリストエリアには小悪党がうじゃうじゃいる。観光客は当然,騙されるのだが,そこでタイが嫌いになるかどうか。それは微妙な問題に思える。(p165)

2015.06.08 下川裕治・中田浩資 『鈍行列車のアジア旅』

書名 鈍行列車のアジア旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2011.02.13
価格(税別) 686円

● 朝の5時から読み始めたら,面白くて止まらなくなってしまった。出勤しないといけない時刻が刻々と迫ってくる。でも,やめることができない。
 ええぃ,面倒だ,今日は休んでしまえ。つまり,ズル休みを決めてしまった。

● 鈍行列車でアジアを巡って,その見聞を文章にすれば,誰が書いても面白くなるかといえば,当然,そんなことはない。
 ぼくが同じコースを廻ってみても,こういう文章は書けるはずがない。

● 視点の角度が著者ならでは。視点だの角度だのと書いてしまうとそれまでなんだけれども,これは真似しようとして真似できるものではない。
 下川さんは文学を書いているつもりはないと思う。が,できあがった文章は紀行文学というレッテルを貼りたくなるようなもの。おそらく,この分野では当代随一というか,当代唯一の人なのではないか。

● 次のように書いている。
 日本の鉄道ファンは、どちらかというと乗り換えなしで釜山とソウルを結ぶ列車に興味をひかれるようだった。その感覚が僕にはわからなかった。そんな列車に乗ってしまったら,途中の街に止まることができないではないか・・・・・・。短い区間でも,鈍行列車を乗り継ぎ,気に入った街で泊まっていくような旅をしたかった。(p202)
 僕は海外に出ても観光地にはあまり足を運ばない。名物料理に食指が動かないわけではないが,あえて行くほどの熱意はない。(p220)
● ぼくもずいぶん昔にJR全線完乗に走ったことがる。このときに最優先したのは,時刻表と首っ引きで,うまい乗り継ぎを見つけることだった。短時間で効率的に乗る。
 途中下車なんてあり得ない。乗って乗って乗り続けること。それはそれで,面白いといえば面白かったけど,今となってはだいぶ記憶からこぼれている。
 人との触れあいといった要素は皆無に近かったからね。見えない檻に入って,電車に乗ったり,ビジネスホテルに泊まっていたようなものだから。

● それでも(つまり,ことさら人との触れあいなんていうものを求めなくても)紀行文学にしてしまえたのが宮脇俊三さんだと思う。

● 観光地に興味がないのは,ぼくも同じ。名物とされる料理にさほど興味がないのも。
 昔は「名物に旨いものなし」とよく言われた。半ばは負け惜しみだったのかもしれないけれども,子どもながらそうだよなぁと思っていた。それが今に至るもぼくを縛っている。
 長じると例外があることも知った。が,讃岐うどんと高知の鰹のたたきがたった二つの例外だと思っている。

2015年5月31日日曜日

2015.05.31 下川裕治 『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』

書名 「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦
著者 下川裕治
    阿部稔哉:写真
発行所 新潮文庫
発行年月日 2015.04.01
価格(税別) 630円

● 海外を旅するっていったって,今どきは航空券もホテルもネットで予約できるんだし,スマホという便利至極なものがあって,それを持っていって現地でも使えるんだから,あとは身体を動かせばいいだけじゃないか。
 間に合うように成田か羽田の空港に着けば,あとは何もしなくても飛行機が現地まで運んでくれる。着けば着いたで,入国手続きと両替をすませれば,バスか電車で街中に入るだけでしょ。

● ところが,もちろん,そんなものじゃないですよね。旅のリテラシーは厳然としてあると思う。リテラシーを要しない旅の仕方ももちろんあって,多くの人は(当然,ぼくも)そういう旅行しかしていないだけのことで。
 バックパッカーになっての旅だって,リテラシーなしでやろうと思えばできるんだろうと思う。そういうやり方もあるんでしょ。バックパッカーの多くはそのやり方を採用している(と思う)。

● その点,下川さんは『12万円で世界を行く』から,旅のトラブル処理の専門家的な役割を,出版界から求められてきたようなところがある。そうした現場での嗅覚やリテラシーは相当な水準になっているんだろう。
 が,還暦を迎える年齢になっても,その役割を果たさなくちゃいけないってのもなぁ。

● 当の下川さんは,身体の衰えを嘆きながらも,わりと嬉々としてその任務を果たしているように思われる。
 とは言いながら,ミャンマーではバスが横転して肋骨を3本折るというめにも遇っている。平穏とはほど遠い。

● 「裏国境」とは旅行者がまず通過することのないゲートの意味で使われている。ただし,国際情勢の基本方向は“安定”のように思われる。「裏国境」の裏性も薄らいでくるのではないか。
 そうなると,下川さんの活躍の場もなくなってくるのではないかと余計な心配をしたくなるんだけれども,まぁ,そんなことはない。「裏」だけが彼のフィールドでもないし。

● 以下にいくつか転載。 
 戦乱に明け暮れた国は産業が停滞する。豊かな自然は,流れる血や土に還る死体を養分にするかのように育まれていく。そんな話を傭兵として雇われて戦地に向かう日本人から聞いたこともあった。彼はその眺めを懐かしむかのように,「戦場の自然は,うっとりするほどきれいなんだよ」などというのだった。(p13)
 長距離バスを使うのは,高度成長に乗ることができなかった人や若者たちである。ターミナルに飛び交う言葉はつっけんどんで,流れる空気は寒々しい。(中略) 数年前まで,北バスターミナルを埋めるタイ人たちの瞳は,もう少し輝いていた気がする。久しぶりに故郷に帰る若者の顔には無邪気さがあった。(中略)いまは瞳の底に,都会の澱のようなものがべったりとくっつき,精彩が薄れてきた。(p22)
 中国人観光客は,アジアの主だった観光地でできれば一緒になりたくない人々だった。(中略)多くの国の団体客は,個人旅行者に気遣いの態度をみせてくれる。しかし中国人団体客にはそれがない。(p48)
 救済など人が暮らす土地にはないと悟るにはやはり彼らは若かったのだろう。ドラッグが誘う一時的な快楽とないまぜになったイメージがネパールやインドを中心にできあがっていった。日本の若者もその後を追いかけることになる。(p64)
 ベトナムは若い国だ。皆,元気にご飯を食べている。 日本のテーブルとは,そこに漂うエネルギーが違った。全員の食べ方が太いのだ。高齢化が進む日本はさまざまな階層で食が細くなっている。老人の食は細く,シニア層はメタボを気にして食を細め,ダイエットに支配された若者の食も細い。先細りとは,つまりこういうことなのかもしれなかった。(p135)
 しかしこの寒さと雨である。(中略)僕の前に座った男の子はTシャツ一枚と短パン姿にビーチサンダルだった。雨のなかで船を待っていたのだろう。体は冷え切っているらしく歯の根が合わないほど震えていた。唇の色も変わっていた。それでも子供である。年長の子が口にした冗談に無邪気に笑った。震えながら笑う顔をいうものをはじめてみた。(p169)
 ベトナムからラオスに入り,急に旅のストレスが減った。宿や食堂では英語が通じ,どこもぼることをしなかった。旅というものは,それだけで心が軽くなる。(p179)
 それはおそらく密度の問題なのだろう。ラオス人が図抜けて正直なわけではない。何万人もの人が暮らす街と数百人が集った町との違いなのだろう。(p179)
 こういう経験をすると,中国人には悪いが,ラオス人の宿に泊まりたくなる。ラオス人が経営する宿は,質素だが清潔だった。そして泊まり客と宿の関係が普通だった。(p200)
 国境を通過できるか,どうか。それは一国の問題ではなかった。ひとつの国の公式ホームページに掲載できる性格の情報ではないのだ。(p312)

2015.05.30 下川裕治・中田浩資 『週末アジアでちょっと幸せ』

書名 週末アジアでちょっと幸せ
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2012.08.30
価格(税別) 660円

● 下川さんの著書は『12万円で世界を行く』以来,ほぼすべてを読んでいる。旅から離れたノンフィクションもいくつかあるようだけれども,それは逆に大半,読んでいない。
 下川さんのすごみは,旅を取りあげられたら生きられない人ではないかと思わせるところにある。ギリギリのところで命をつないでいるという趣がある。

● したがって,彼の文章で表現される旅も,娯楽や遊びという範疇を自ずと超えて,ある種の香気を放つ。たくまずして紀行文学になるというか。上手に世渡りができる人,世間と苦もなく折り合える人には,まず書けない文章のように思われる。
 これを才能といってもいいけれども,その才能のために彼が払っている犠牲を思うと,自分はその才能を持たなくてよかったと思う。

● 金子光晴『マレー蘭印紀行』の跡を辿る章がある。このときの金子光晴もまた傷心を抱えていたというか,思い屈して光が見えない状態だったと思うんだけど,それをわざわざ辿ってみようと考える人はあまりいないように思う。
 ひょっとすると,編集側の企画だったのかもしれないけれども,どうしたって金子光晴と下川さんを重ねたくなってくるわけでね。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ旅に出るのか。「人はなぜ山に登るのか」という問いかけの答に似た,含蓄のある言葉を期待する人には申し訳ないが,僕の答はいたって単純である。 逃げたいから。 ただそれだけである。仕事や知り合いや家族からの逃避である。(中略) しかし僕にはいくじがない。糸が切れた凧になる勇気がない。ぎりぎりまで行くのだが,引き返してくる。(p8)
 しかしいまになった気づくことがある。 原稿用紙に書き込んでいく僕の旅のエッセンスは,その二十七歳のときの一年にぎっしり詰まっているのだと・・・・・・。書く内容や国が違っても,そこに流れる旅は,あのときのものだったと・・・・・・。(p113)
 地名というものは,旅の目的地を決める動機になると思っている。こういう感覚は,目的地を決めず,さて,次はどの国に行こうか・・・・・・といった長い旅を経験すると身に付いてしまう。(中略) 長い旅を続けていると,旅の欲求のレベルがどんどん下がっていってしまう。「ソウルで参鶏湯が食べたい」「台北で足裏マッサージ」などと週末旅のプランを練る人には想像もつかないほど,密やかで控えめな,旅の目的で十分になってくる。(p149)
 中国人は列をつくることができず,声が大きい。世界のあちこちで,中国人観光客と接した人々が溜息まじりに呟く。しかし中国では,そうでもしなければ,ほしい物は手に入らず,切符も買うことができなかったのだ。それが彼らの行動に染みついてしまっている。(p158)
 新彊ウイグル自治区の,穏やかな人間関係のなかで育った彼らが,漢民族の世界に入っていく。(中略)いじめられることがわかっている世界が待っているのだ。 果てしない異国といわれたエリアから,星星峡を越え,東の厳しい社会に向かっていかなくてはならない。それが少数民族となってしまった人々の生き方だとしたら,少し切ない。(p185)