2024年6月5日水曜日

2024.06.05 下川裕治 『旅する桃源郷』

書名 旅する桃源郷
著者 下川裕治
発行所 産業編集センター
発行年月日 2023.07.18
価格(税別) 1,250円

● 本書で取りあげられる「桃源郷」はラオスのルアンパバーンをはじめ19の街にのぼる。19の街がそれぞれどのような理由で著者にとっての桃源郷になったのか。そこが本書の要なのだが,それを説明するよりは,本書を読んでもらった方が話が早い。
 旅行作家にとってはコロナ禍は相当以上のダメージをもたらしたらしい。が,それ以上のダメージを,日本の経済力の衰えと円安がもたらしているのではないかと思っていた。大方の日本人にとっては海外旅行など高嶺の花になりつつあると思えるからだ。

● 日本人は内向きになったと言われるが,正確には,内向きにならざるを得ない状況に置かれているということだろう。日本でならひと月はもつ現金が1週間ももたずに消えていくようなところへ,どうして行くことができよう。
 行けるわけがないのだから,そんなところに興味を持っても仕方がない。

● 子息を欧米へ留学に出せる世帯がどれほどあるか。授業料だけで年1千万円もかかるというではないか。無理,無理。そんなことに興味を持つな,となる。
 シンガポールや香港で暮らすのは,大企業の部長クラスの給料ではとても無理だろう。そういう時代になった。
 日本で半年働けば,2,3年は東南アジアを放浪できるという前提が消滅した。これではバックパッカーも激減するしかない。

● 以上の事がらは,著者のような旅行作家の読者が減ることにつながるだろう。多難な状況になったものだと思っていたのだが,ぼくはこうして著者の作品は出るたびに読んでいる。
 ぼくがそうだということは,他の読者も同じである可能性が高い。旅には出なくなっても,著者の文章は読まれ続けているのかもしれない。

● 文章じたいに香気があること。本書でも触れられているのだが,単なる紀行文ではなくて,その国の歴史や民族構成などを視野に入れて,多面的な情報を伝えてくれること。
 著者の作品を読んでいると,文化人類学の本を読んでいるのか,それにしては(学者が書くものとしては)文章が巧すぎないかと錯覚するようなこともあった。

● ともあれ,以下に転載する。
 みごとな眺めや味は,それぞれの人生にシンクロしてはじめて桃源郷という天上界にも似た世界に昇格するということなのだ。だから旅の桃源郷は人によって違う。しかしそこに至るプロセスは酷似している。(p6)
 旅に出ない日々のなかで出合う世界は生々しい。人生と一体化している。しかし旅で出合う桃源郷は,旅という日常を離れた世界の先に見えてくるものだ。(p6)
 七十歳近い年齢になったが,僕はこれからも旅に出る。つらくなったら,これまでつくってきた僕の桃源郷に逃げ込む。それが僕の財産のようにも思う。(p7)
 ルアンパバーンは音のない世界だった。はじめてその川岸に立ったとき,街の音をメコン川が吸いとっているような気になったものだった。(p18)
 以前,ネパールのアンナプルナのトレッキングルートを歩いたことがあった。登山道が整備され,登山隊や多くの観光客が訪れるようになった。山で暮らしていた人々は宿をつくり,生活は豊かになった。しかしいとつの村の村長さんがこういった。「富は貧困を連れてくる」
村に金を狙った窃盗団がやってくるようになったのだ。(p52)
 「遊ぶのは 楽しすぎて たまらない」
 沖縄の多良間島。島の中央を走る道沿いでひとつの看板が目を引いた。(p58)
 かつて未成年の喫煙を防ぐために,煙草の自動販売機の販売時間を制限していた時代があった。(中略)しかし沖縄では買うことができた。違法の自動販売機があったのだ。その自販機は電気が消えていて,一見,買うことができないように映ったが,硬貨を入れてボタンを押すと,コトッという音を残して煙草が受けとり口に落ちてきた。(中略)「沖縄は夜が遅いから,十一時以降は販売禁止になると不便だからさー」
沖縄生まれの知人は,そう説明してくれたものだった。(中略)本土のルールを軽くいなしてしまうような沖縄が好きだった。(p69)
 そこには本土への反骨精神などなにもなかった。(中略)島に流れる風に従っているだけのようにも映る。(p72)
 人はひとりの小市民として生きていくために,さまざまなルールを守っていかなくてはならない。それは社会人としての規範でもある。ときにそのルールは大きなストレスにもなる。そこから解き放たれたとき,ここは桃源郷ではないかと思えてくる。人が暮らす社会だから,沖縄にも独自のルールはある。しかしそこには本土の決まりごとが入り込まないエリアがある。旅人はその世界に触れたとき,圧倒的な開放感に包まれる。それが旅の醍醐味だと思っている。(p73)
 僕もどちらかというと話をしなくてすめばそうしたいタイプだ。(p76)
 ここ(沖縄)には,国家というものを鼻で嗤ってしまうような風土があった。日本と中国の狭間で生きてきた人々の遺伝子に刷り込まれた自由さ。それは憧れだった。ときにアナーキーなものに映る発想が僕には心地よかった。(p77)
 僕は学生の頃から,足繁くタイに通った。ときにこの国は桃源郷のように映ってもいた。その流れでバンコクに暮らしたのだが,その日々のなかでは見たくないものが見えてしまう。聞きたくもない言葉が耳に届く。(中略)タイの暮らしで学んだことは,その社会に深入りしないことだった。(p77)
 タイという国は,ときおり,その発散するエネルギーに辟易とすることがある。アメリカの西海岸をはじめて訪ねたときは,あまりに明るい日射しと,無駄に明るい人たちに気圧されてしまった。そこへいくとギリシャの街を歩いていると,心が落ち着いてくるのがわかる。ひとりでぽつねんと旅をするならギリシャだった。(p83)
 なぜ,ここまでの原色を選ぶのだろうか。それが民族の主張であることに気づくまで少し時間がかかった。彼ら(ラカイン人)は,コックスバザールという街では少数派だった。街を埋めているのは圧倒的にベンガル人が多い。そのなかでは民族を主張しなければ押しつぶされてしまう。原色での服装は精一杯の自己主張だった。(p106)
 路線バスの車掌は女性が多い。彼女らは傘もささずに外に出ていく。(中略)制服はぐっしょりと濡れ,パーマをかけた髪はちりちりになり,ぽたぽたと水が落ちるような状態で戻ってきた若い女性の車掌の顔が,うれしくなるぐらいに輝いているのだ。雨に打たれたことが,まるで楽しいことだったようにしゃきっとしてくる。(p134)
 (タイ料理と中国料理が融合したタイ中華の)特徴はあまり辛くないこと。そして(中略),味が混ざりあっていることだ。この味の融合はどういう効果を生むかといえば,早く一気に食べることができる。働く人々の昼食向けということになる。もうひとつのカテゴリーは純血タイ料理である。(中略)大きなポイントは,それぞれの味が交わっていないことだ。(中略)味が交わることなく,それぞれがおいしい・・・・・・。それが純血タイ料理の王道ということなのだ。(中略)そして純血タイ料理はかなり辛い。(中略)急いで食べることができないのだ。(中略)純血タイ料理は,ある意味,現代の時間感覚と合っていない。ゆっくりと時間が流れていた時代の料理といってもいいかもしれない。(p171)
 「私たち(チベット人)はものではないものを守って生きていますから」
 ガイドはなにを思ったのか,突然,日本語で僕に伝えた。(p195)
 チベットは貧しい(漢民族の)物乞いも惹きつけているが,心の空白を抱えてしまった豊かな中国人も呼び入れている。(p197)
 飛行機や列車,バスなどで移動し,新しい街に着く。そんなとき,必ずといっていいほど,それまで滞在していた街に戻りたくなる。当然の話だ。前にいた街は,多少なりとも様子がわかっている。(中略)新しい街では,旅の日々をゼロからつくっていかなくてはならない。(中略)新しい街に向かうということは,新たなストレスに晒されることだ。それを乗り越えていかないと旅は続かない。(p200)
 移動することが旅だとすれば,沈没とは旅へのテンションがさがっているということにもなる。旅というものは,それなりのエネルギーがいるものだ。(p201)
 シンガポールはストレスのない街だ。空港や繁華街の出口で客を待つ客引きもいない。タクシーに乗ると,運転手は黙って料金メーターのスイッチを入れる。騙されるという不安の中で,つい表情が硬くなってしまうようなことがない。(中略)しかしそれは一日しかもたない。翌日から,この快適さを維持する装置のようなものが目につきはじめる。(中略)二日目から眺めるシンガポールは,薄気味悪さが浮き立ってくる。(p204)
 僕は旅行作家という肩書きを持っている。旅はその国の経済状況や歴史,文化と無縁ではない。単純な旅を描いても,読者は納得してくれない。ひとつの国に入ると,アンテナを何本も立て,現行のテーマを探してしまう。猥雑なエネルギーが弾ける国を,その経済環境から読み解こうとする。旅をしているようなふりをしながら,テーマを探しているようなところがある。僕の頭は旅先で休まることがない。(中略)しかし僕も年をとった。若い頃から続けてきた旅のスタイルが,ときに重く肩にのしかかってくる。(p206)
 暑い空気のなかで,ほとばしるアジアのエネルギーに身を沈めなければ旅ではないといった頑なな思いあがりもあった。(p219)
 世界のなかでも最貧国に数えられていたバングラデシュは,逆に見れば援助受け入れ大国でもあった。(中略)自立を促すことの難しさは,現地の人々と直接話す立場では,いかに難しいことか・・・・・・。僕は痛感していくことになる。(p227)

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