2025年2月22日土曜日

2025.02.22 角田陽一郎 『人生が変わるすごい「地理」』

書名 人生が変わるすごい「地理」
著者 角田陽一郎
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.08.02
価格(税別) 1,500円

● 地理とあるけれども,若い人への人生論のようなもの。

● 昭和50年代まで「中国の子供たちは目がキラキラしている(日本の子供にはなくなったものだ)」という爺様がいたが,どうもそれに近い印象を持ってしまうところもあった。
 後半では中国の経済力を称賛する記述がけっこうあるのだけれども,現在の中国は破綻の危機に瀕しているわけで,経済に限らず,目先の情勢トレンドをどう扱えばいいかはなかなか難しい。

● 以下に転載。
 縄文時代は,約1万5000年前から約2300年前(紀元前3世紀頃)までの結構長い時代を指します。僕ら日本人がこの時代を「縄文時代」と意識しはじめたのは,モースが大森貝塚から縄文式土器を発掘してからのことで,150年も経っていません。日本史の中で一番長い時代であるにもかかわらず,織田信長も徳川家康も坂本龍馬も,縄文時代を知らなかったということです。このささいな事実に気づくことが,「地理思考」をするうえで重要な要素となります。(p26)
 現代に生きる僕たちが,僕たちの目線や常識でかつての時代を判断すると,歴史を曲解してしまう危険をはらむような気がします。(p27)
 「地理思考」で大事なことは,だいたいの標準的な数値を肌感覚で知っていることだと思います。(p33)
 コメと小麦には特筆すべき違いがあるのです。それはなにかというと,米がおもに自給を目的として作られる一方で,小麦は商品的な性格を持つということです。(p38)
 産業革命によって効率化を優先するようになった人類は,働き方も効率優先で考えるようになりました。そこで生まれたのが会社という組織です。(中略)この会社の誕生によって,人間の生活は「食べるために働く」から「働くために食べる」へと転換してしまいました。(p43)
 僕は,世界とは「子どもの集まり」だと思っています。(中略)世界とは「組織化されていない人間社会である」とまずは理解し,1つひとつの国は一個人と同じなのだと考える。それも,上から統制されない,原始的で野蛮な人間関係が如実に現れるものなのだと認識することが,地理試行的な考え方といえます。(p58)
 平和を維持するために,“なあなあで済ましておく” というのは,実は平和の本質なのではないかと僕は感じています。(p67)
 地名は,「人間が環境という外部から影響を受けると,どうリアクションする(してきた)かの集合体」と言い換えることもできます。(p92)
 淀んだ場所だから,街ができる。すごく淀んだ場所だから,街が大都市になる。(p95)
 知の本質は,物事の「縁起」を丁寧に深堀りすることで見えてきます。(p100)
 報道のあり方というのは,テレビ局の内部の視点でいうと,そんな大仰なことではないのです。(中略)それは,スタッフが日々の仕事に忙殺されていることです。それが,結果として雑な仕事になって現れているのだと思います。(p143)
 一時期,築地市場の移転問題と,相撲問題ばかりが取り上げられていたことがありました。それはなぜだと思いますか?(中略)それは,「築地と両国国技館の距離が都心のテレビ局に近かったから」。(p143)
 雑多な人と接触し,情報を寄せ合い,そして情報の混交が進む。それが果たせないのなら,もはや都市に集まっている意味がないのではないでしょうか?(中略)渋谷の高層インテリジェントビルに隔離されたIT企業。そこで働く人は日中ほとんど外部の人と合うことはなく,ほとんどの情報交換をネットですませます。外部の人と接触するのは通勤の満員電車のなかだけという,なんとも皮肉な現実です。(p144)
 ひとすじ縄ではいかない世の中で,僕たちは僕たちはどう生きていけばよいのか? 私も途方にくれることが多くあります。しかしながら,「途方にくれそうになるのが世界なのだ」あるいは,「それが,人間が生きている社会の常なのだ」と理解してしまうことも,意外と有効な考え方ではないかと思っています。(p170)
 結局のところ,地図は「嘘つき」だと僕は思っています。なぜなら,「地図には制作者のイデオロギーが入り込んでいる」からです。(中略)そして,やっかいで,肝要なのは,そのイデオロギーはときとして「人の目には気づかれないように(巧妙に)隠されている」ということです。(p176)
 何かを学ぶ際,いや,人生を送る際にもっとも大切なことは,「適度に信じて,適度に疑う」ことだと僕は思います。そして,その具体的な方法とは,1つの観点から物事を見るのではなく,上から,横から,斜めから,まさにバラエティに富んだ観点を持つことが大切なのです。(p181)
 鎌倉幕府の定義がぼやけるのは,その呼称そのものが後世に名付けられたためです。(中略)学校で習う “勉強” の多くは,つまり若い頃に大人たちから教わる情報は,その定義が曖昧か厳格かなんて要素はまったく考慮されずに,ただ “決まったこと(=定義)” として降ってくるのです。(中略)でも,本当の勉強とは,過膜幕府の成立年を覚えることではなく “鎌倉幕府という定義は,曖昧なのだ!” と理解することなのです。(p211)
 物事の始まりは曖昧です。(中略)事実を追求することも大切ですが,僕は,この歴史で起こった減少もつねに「始まりは曖昧だ」ということを理解することの方が,人生にとって重要なことだと思うのです。(中略)“決まり” とは,誰かが “決めた” から “決まり” なのではありません。(中略)みんなが(意識する・しないにかかわらず)そう思うから “決まり” になるのです。(p217)

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