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2019年4月6日土曜日

2019.04.06 田坂広志 『自分であり続けるために』

書名 自分であり続けるために
著者 田坂広志
発行所 PHP
発行年月日 2006.01.09
価格(税別) 1,100円

● 2006年の発行。心静かにこういう本を読むことがあってもいいでしょ。
 箴言とは言わないだろうけれど,それに近いものなので,こういうものを読んでリコウになったと勘違いしないように,そこだけは気をつけないといけないけどね。

● こういうものから転載するのもアレなんだけど,2つほど。
 我々が,相手との相性が悪いと感じるとき,それは,相手に対して寛容になれないときなのでしょう。そして,その理由を考えるとき,我々は,しばしば,一つの事実に気がつきます。自分に似ている。(p93)
 極限の意思決定を前にして,最も大切なことは,いかなる「選択肢」を選ぶかではない。いかなる「心境」で選ぶかなのです。(p105)

2016年1月31日日曜日

2016.01.21 田坂広志 『なぜマネジメントが壁に突き当たるのか』

書名 なぜマネジメントが壁に突き当たるのか
著者 田坂広志
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2002.04.25
価格(税別) 1,600円

● 本書を読むと,自分がいかにダメな仕事人だったかがわかる。三度生まれ変わっても,やはりダメだろうと思う。
 ビジネスマンとして真っ当な人生を生きるのと,仕事はほどほど(あるいは,ほどほど以下)にしてヌーボーとしたうだつの上がらない生き方をするのと,どちらがいい。
 いいも悪いも,ぼくはヌーボーとしか生きられなかったので,そういうことを考えても仕方がないのだけど。
 ヌーボーとして生きるのがいいとまでは行かなくても,ヌーボーと生きてもいいのだという結論を得て安心したいと思っているんだろうな。

● 「言葉」や「論理」で表現できないもの,割り切れないもの。割り切ってしまうと,そこからこぼれ落ちてしまう,何か大切なもの。
 本書ではそれを「暗黙知」と呼んで,いくつもの側面から光をあてる。

● その成果を以下に転載。
 要素還元主義にもとづく「分析」という手法は,(中略)二〇世紀の後半において,一つの根本的な問題に直面したのです。(中略) その理由は,「ものごとが複雑化すると,新しい性質を獲得する」という「複雑系」の特性にあります。この特性のため,複雑な対象を単純な要素に還元した瞬間に,獲得された「新しい性質」が失われてしまうのです。(p38)
 言葉も論理も,その本質は「世界を分節化するロゴス」なのです。そして,言葉や論理によって断片化されて見失われた部分や,単純化されて排除された部分にこそ,「大切な何か」があるのです。(p42)
 多くのマネジャーが,このことを誤解しているようです。直観力や洞察力とは,論理とは対極にある間隔や感性の世界を深めていくことによって獲得されるものであると誤解しているのです。 不思議なことに,真実は,その逆にあります。 一つの極に徹すると,その対極に突き抜ける。 それは,我々が生きる世界の「理」に他ならないのです。(p53)
 そもそも「創造性を身につける」といった発想そのものが,ある種の「倒錯」であり,真の創造的な芸術からは対極にある発想と言えるでしょう。(p59)
 なぜ,これほど直観力や洞察力を身につけたいと願うマネジャーが溢れているにもかかわらず,それを身につけるマネジャーが少ないのか。(中略) その原因は,「直観力や洞察力を身につけるための特別な方法がある」「その方法を知ることによって手軽に直観力や洞察力を身につけたい」と考えるマネジャーの「精神の安易さ」にこそあるのです。(中略) なぜならば,安易な方法を選んで得られるものは,その精神の安易さを鏡のごとく映し出してしまうからです。(p61)
 深い直観力が求められる重要な意思決定の場面において,最も大切なことは「何を選ぶか」ではありません。最も大切なことは「いかなる心境で選ぶか」なのです。(p69)
 なぜ,我々マネジャーは,「矛盾」と対峙し続けなければならないのか? 「矛盾」とは「生きたシステム」の本質に他ならないからです。(中略)複雑系のような「生きたシステム」は,相対立する「矛盾」の狭間の絶妙のバランスの中にこそ出現するのです。従って,その「生きたシステム」の「矛盾」を解消してしまうと,そのシステムは文字通り「生命力」を失ってしまうのです。(p108)
 会議は,最終的には,それぞれの組織のマネジャーが「責任」を持って意思決定をしていくための場に他なりません。それにもかかわらず,ある種のマネジャーは,こうした原則を忘れ,会議の雰囲気に流され,無意識に多数決の意思決定を行ってしまうのです。(p118)
 分析力や推理力については,「一人の個人」が単独で発揮する能力よりも,「複数の人間」が集団で発揮する能力のほうが一般に高いと言えます。 しかし,直観力や洞察力については,優れた「一人の個人」が発揮する能力のほうが,「複数の人間」が集団で発揮する能力よりも高いことが多いのです。(中略) そして,このことが,現代の企業においては,多数の意見が必ずしも成功を保証しない理由に他ならないのです。(p123)
 決断力を持ったマネジャーとは,いかなるマネジャーでしょうか?(中略) 勘が鋭く,腹がすわり,言葉に力のあるマネジャーです。(p126)
 これからの「複雑系の時代」が,「未来がどうなるか?」との客観的予測よりも,「未来をどうするか?」との主観的意志にこそ,大きな価値が置かれる時代になっていくということです。(p128)
 「未来に何が起ころうとも自分の責任である」という覚悟。こうした「結果責任」という覚悟を持つことのできる力,すなわちコミットメントする力こそが,決断力の要件となっていくのです。(p130)
 言葉に力を与えるものとは何でしょうか? それを適切に表現する言葉はないのですが,敢えて言葉を選びましょう。それは「信念」です。 その企画が必ず成功するという確信,その企画を絶対に成功させるという決意,そうした意味での「信念」をどれほど持っているか。そのことが,実は,隠しようもなく言葉に表れてしまうのです。(p132)
 「普遍的な成功方法は存在しない」ということです。(中略)なぜならば,「成功」とは常に「個性的」なものだからです。(p156)
 深い暗黙知とは,現場での悪戦苦闘と,それを通じた成功体験の中からのみ,体得されるものです。マネジャーは,その真実から目を背けるべきではありません。(p174)
 「経験の豊富さ」を持っていながら,「知恵の貧困さ」を感じさせるビジネスマンが,なぜ生まれてくるのでしょうか? その理由は,明らかです。彼は,「経験」はしても,「体験」をしてこなかったからです。(中略) 別な言葉で言えば,「経験を突きつめる姿勢が弱い」,さらに言えば「経験に徹する姿勢に欠ける」ことを意味しているのです。(p182)
 もし,「経験を突きつめよう」「経験に徹しよう」と考えているにもかかわらず,それができないビジネスマンがいるとするならば,その原因はひとつです。それは「基礎体力」がないからです。(中略)では,ビジネスマンの基礎体力とはなんでしょうか? 「集中力」です。(p189)
 「集中力」を鍛えるための方法は,一つしかありません。それは,「集中力」が求められる場面を数多く体験することです。(中略)いかなる小さな会議においても精神を集中して臨むという訓練を自己に課することです。しかし,このことは極めて難しいことです。(p192)
 操作主義のマネジメントは,その人間集団の持つ,精神的に未熟な部分や,権力追随的な部分や,打算的な部分を引き出してしまうのです。 なぜならば,マネジャーの「こころの世界」と,組織のメンバーが創り出す「こころの生態系とは,あたかも「一対の鏡」となっていくからです。(p223)
 「部下の共感を得よう」という発想によって,部下との間に共感が生まれることはないのです。では,マネジャーと部下との間に共感が生まれるときというのは,いかなるときでしょうか?マネジャーが,部下に共感したときです。(p227)
 若き日に,私は,ある著名な画家に聞いたことがあります。「なぜ,パリでは,あれほど多くの優れた若い画家が育つのですか?」 (中略)その画家から返ってきた答えは,私の予想外のものでした。「パリには,本物の絵がたくさんあるからだよ」 それが,答えでした。(p252)
 新入社員だからこそ,最も「高み」にあるものを見せなければならないのです。(p255)
 マネジャーは,「部下が育たない」と嘆く前に,「自分が成長しているか」をこそ問わなければなりません。そして,もし,我々マネジャーが成長し続けているならば、そこには必ず、メンバーを成長させる「空気」が生まれてきます。そして,その「空気」こそが「成長の場」が生まれるための,最も大切な条件なのです。(p259)
 我々が為すべきことは,無理に「エゴ」を消し去ろうとするのではなく,ただ静かに「エゴ」を見つめることなのです。(中略) 不思議なことに,無意識の中にある劣等感や恐怖感は,それを意識の世界に浮かび上がらせ,静かに光を当てるだけで,その力を弱めていくのです。(p273)

2015年9月17日木曜日

2015.09.14 田坂広志 『人生で起こること すべて良きこと』

書名 人生で起こること すべて良きこと
著者 田坂広志
発行所 PHP
発行年月日 2015.08.06
価格(税別) 1,300円

● 医者からもう長くないと言われたほどの大病を経験したことは,本書で初めて語られることか。真摯に人生に向き合って来た人が到達できる地点が語られる。
 自分のそうした体験を踏まえているのだから,説得力もある。

● なんだけど,二度読むことはないように思う。著者の作品はいくつか読んでいるんだけど,再読したものはない。
 これは文体によるものだろうか。一度読むと,文体に飽きてしまうんだろうか。

● 以下にいくつか転載。
 我々が逆境を超えられないのは,我々の心が,その逆境に「正対」できていないからなのです。その逆境に「正対」する,すなわち,「正面」から向き合わなければならないにもかかわらず,心が,別な方向を向いてしまっているからなのです。(p15)
 「人生で起こること,すべて良きこと」と思うことができるようになれば,目の前の逆境に正対する力が湧いてくるのですね。(p17)
 その「厄介なエゴ」の動きに処する「こころの技法」は,ただ一つです。(中略)心の中の「エゴ」の動きを,否定も肯定もせず,ただ静かに見つめる。それだけです。(p76)
 (本当の強さとは)「引き受け」ができるということです。「引き受け」とは,本来,他人に直接の責任があることでも,自分の責任として引き受け,それを自分の成長にむすびつけようとする心の姿勢のことです。(p83)
 まず最初に,自分の生々しい感情や思いを,決して抑圧せず,ありのままに,文章にして書くのです。 その上で,一度冷静になり,心を整えた静かな環境で,それを読み直すと,自然に,それを書いた自分とは違う「もう一人の自分」,すなわち「静かで賢明な自分」が現れてくるのです。そして,その「静かで賢明な自分」が,いま書いたばかりの文章を,冷静に,そして客観的に読み,その感情や思いを語った自分との「対話」を始めるのです。(p94)
 このとき,避けるべきは,表面的に飾った「綺麗ごと」を書くことです。例えば、心の中では,「彼とは,もう口も利きたくない!」という生々しい感情が渦巻いているにもかかわらず,「今後,彼との交流は控えたい」といった形で,表面的に飾った表現をしてしまうことです。それをすると,心の中で,無意識に「感情の抑圧」が起こってしまい,その感情と向き合うことができなくなります。(p99)
 「自己嫌悪」の極みにおいて生まれてくる,この意味での「自己肯定感」は,とても大切なのですね。(中略)「未熟さや欠点も含めて自分を愛する」ということができなければ,「未熟さや欠点も含めて他人を愛する」ことができないからです。(p108)
 その人が好きになれない理由を,次々と書き出してみることです。(中略)そうした書き出しをしていると,ときおり,ある真実に気がつくことがあります。(中略)その人が,自分に似ている・・・・・・。そのことに,気がつくときがあります。(p118)
 我々は,自分の中にある「嫌な面」を抑圧して外に出さないようにしていると,その抑圧した「嫌な面」を他人の中に見るとき,その人に対する嫌悪感が,増幅されてしまうのです。(p120)
 「人を好きになる」ということには即効的な技法は無いのですが,嫌いな人,苦手な人に対して,自分の感情をコントロールする技法は,あります。(中略)心の中で,ただ,「有り難うございます」と祈る技法です。 すなわち,好きになれない人に対して,心の中で,その人の顔や姿を思い浮かべ,ただ,「有り難うございます」と唱える。それだけの技法です。(p124)
 起こった「不運な出来事」を,「なぜ,この最悪のタイミングで・・・・・・」「なぜ,よりによって,自分が・・・・・・」といった後向きな姿勢で見つめるのではなく,前向きな姿勢で「正対」することです。(中略) 「正対」するとは,一つのことを,心に定めることです。人生で起こること,すべてに深い意味がある。そのことを,心に定めることです。(p140)
 我々人間は,誰もが,人間としての未熟さを抱え,エゴという厄介なものを背負い,怒り,嘆き,苦しみ,悲しみながら,思うままにならない人生を,そして,限りある人生を生きているのですね。誰もが,精一杯に生きている。それが,人間の真実の姿であり,それは自分だけでなく,相手もそうなのですね。 そのことを理解し,相手を見つめるということが,相手を「一人の人間」として見つめるということです。(p150)
 たとえ百年生きても,宇宙や地球の悠久の時の流れから見るならば,我々は,誰もが,「一瞬」と呼ぶべき短い人生を駆け抜けているのです。 そうであるならば,この地上での人間同士の出会いは,その「一瞬」と「一瞬」が巡り会う,「奇跡の一瞬」。 もし,我々が,そのことを理解するならば,人間の出会いを見つめるまなざしが,大きく変わるでしょう。(p150)
 我々が,「人間,いつ死ぬか,分からない」「誰にも,明日は,約束されていない」という「人生の真実」を直視するならば,そして,その「死生観」を定めるならば,我々の中の,何かが開花し始めます。(p189)
 かつてスウェーデンの海洋学者,オットー・ペテルソンが,九三歳で亡くなる直前,やはり海洋学者であった息子に残した言葉があります。 死に臨んだとき 私の最期の瞬間を支えてくれるものは この先になにがあるのかという 限りない好奇心だろう(p222)

2015年3月25日水曜日

2015.03.20 田坂広志 『知性を磨く 「スーパージェネラリスト」の時代』

書名 知性を磨く 「スーパージェネラリスト」の時代
著者 田坂広志
発行所 光文社新書
発行年月日 2014.05.20
価格(税別) 760円

● 著者のいう「知性」とは,本を読んだり,机に向かって勉強することによって磨かれるものではない。経験によってしか獲得できないものだという。
 「知識」とは,「言葉で表せるもの」であり,「書物」から学べるものである。「知恵」とは,「言葉で表せないもの」であり,「経験」からしか学べないものである。(p54)
● 「頭は良いが,思考に深みがない」と評すべき人物がいる。「高学歴」であるにもかかわらず,深い「知性」を感じさせない人物(p12)が。それはなぜなのか。
 知能と知性は異なるからだ。 「知能」とは,「答えの有る問い」に対して,早く正しい答えを見出す能力。「知性」とは,「答えのない問い」に対して,問い続ける能力。(p15)
 この「知能」が,「答えのない問い」に直面したとき,何が起こるか? 端的に言おう。 「割り切り」 「知能」はそれを行う。(p25)
 そうであるならば,「精神の弱さに流されない迅速な意思決定」とは,何か? それが,昔から語られる,もう一つの言葉である。「腹決め」(p31)
 前者の「割り切り」の心の姿勢は,心が楽になっている。しかし,後者の「腹決め」の心の姿勢は,心がらくになっていない。(p33)
● では,著者のいう知性の基礎にあるものは何か。精神のエネルギーだという。
 臨床心理学者の河合隼雄が,かつて「愛情とは,関係を断たぬことである」との言葉を残しているが,まさに,その通り。(中略)それができるほどの「精神のエネルギー」を心に宿しているからだ。(p33)
 その精神のエネルギーこそが,「知性」というものの根底にある力。「知性」を磨き続けるために求められる力。(p34)
● その精神エネルギーは加齢によって衰えるものではない。
 我々が意識と無意識の境界で抱いている「人間の精神は,歳を重ねると,エネルギーが衰えていく」という強固な「固定観念」によって,実際に,我々の精神は,歳を重ねるに従って,エネルギーが衰えていく。(p46)
 人間の能力というものは,「一〇〇」の能力を持った人間が,「九〇」の能力で仕事に取り組んでいると,その仕事をたとえ「一〇〇〇時間」行ったとしても,確実に力は衰えていく。 もし,「一〇〇」の能力を持った人間が,自身の能力を高めていきたいと思うならば,「一一〇」や「一二〇」の能力が求められる仕事に集中して取り組む時間を,たとえ「毎週数時間」でよいから持たなければならない。(p48)
● ところが,知識偏重は現在でも止んでいない。そのことに警鐘を鳴らす。
 現代の日本においては,初等教育から大学教育に至るまで,「知識」というものを,大量に,速く,正確に記憶し,必要なとき,それを速やかに取り出せる人間が「優秀」とされてきたからである。そのため,実社会に出ても,まだ,その「知識偏重」の意識から抜け出せず,本来,「経験」を通じて「知恵」として掴むべきものを,ただ「知識」として学んだだけで,「価値ある何かを掴んだ」と思い込んでしまうのである。(p63)
 そもそも,世に溢れる「プロフェッショナル論」の本は,それが真っ当な本であるならば,「いかに楽をしてプロフェッショナルになることができるか」を語ることはない。それが真っ当な本であれば,「プロフェッショナルになるためには,どのような苦労を積むべきか」を語っている。(p66)
 こうした「安直な精神」が生まれてくる背景にも,長年続いた「知識偏重教育」と「受験教育」の弊害がある。なぜか? 「知識の学習」には,「うまい秘訣」があるからだ。(p67)
● ぼくらはそうならないように用心しなければならない。といって,手っ取り早い方法論があるわけではない。
 我々は,無意識に,自分の思考を,自分が得意だと思っている「思考のレベル」に限定してしまう。そして,その「自己限定」のために,自分の中に眠る「可能性」を開花させることができないで終わってしまう。(p92)
 知識社会とは,実は,「知識が価値を失っていく社会」。彼が考えるべきは,本を読み,「知識」を身につけ,資格を取るという方針で,若い世代と同じレベルで競争することではなく,過去の経験から掴んだ「知恵」の「棚卸し」である。(p119)
● 戦略について,独自の見解を披瀝する。
 「戦略」とは,「戦い」を「略く」こと。すなわち,「戦略」とは,「いかに戦うか」の思考ではなく,「いかに戦わないか」の思考に他ならない。(中略)真の知性は,「戦って相手を打倒し勝つ」ことに価値をおくのではなく,「無用の戦いをせずに目的を達成する」ことに価値を置く。(p137)
● 最後にまとめ。
 「自分の心」「相手の心」「集団の心」の動きを感じ取る修行を積むことは,「人間力」のレベルの知性を磨くためには,最も基本的な修行である。 なぜなら,「相手の心」の動きを感じ取ることができるからこそ,その相手に対して,最も適切な言葉を選んで語りかけることができ,最も適切な行為をしてあげることができるからである。(p173)