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2014年6月28日土曜日

2014.06.27 小沢昭一 『小沢昭一がめぐる寄席の世界』

書名 小沢昭一がめぐる寄席の世界
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2008.09.10(単行本:2004.11)
価格(税別) 800円

● 対談集。対談の相手は次のとおり。
  桂米朝(落語家)
  延広真治(落語史研究者 東大名誉教授)
  柳家り助(落語家)
  桂小金治(俳優・タレント)
  国本武春(浪曲師)
  小松美枝子(お囃子)
  神田伯龍(講談師)
  あした順子・ひろし(漫才師)
  笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)
  北村幾夫(新宿末廣亭席亭)
  立川談志(落語家)
  矢野誠一(評論家)

● 落語の聞き方の手引書としてぼくは読んでみたんだけど,もちろん本書は手引書ではない。これ以上はいないだろうと思われる語り手が,寄席の表や裏や前や後や右や左を無尽に語るといった趣。
 面白かった。だけど,けっこう重い内容だったりもするので,休み休み読んだ。

● 地方にいると,落語をライヴで聞く機会というのは,まずないものだ。大きなコンサートホールで年に1回か2回,行われる。
 もっとも,東京でも寄席は少なくなっているのだろう。身近な媒体はやっぱりテレビってことになるのかね。

● CDでときどき聞く。CDだから古今亭志ん生の噺を聞くこともできる。
 できるんだけれども。
 本書に,落語で人生を教えてもらう,という言い方が出てくる。同時代の落語家の噺をライヴで聞いて,一緒に時を過ごしていく。そうして初めて,“落語で人生を”ということになる。のかどうかわからないけど,そういうふうにぼくは受けとめた。

● 以下に,いくつか転載。
 人間というのは本当に,年とってからのことが若いときから分かれば,ずいぶん生き方が違うんだろうというふうにおもいますけれども,なかなかどうも。そういうなかでもう本当にね,若いときに話の数を増やして,年とったらば体のなかに入っているものを一つ一つ磨けばいいという。これは噺家だけではなくて,いろいろなお仕事をしている人にも共通する名言,至言だと私は思うんですよ。(小沢 p29)
 テレビでも落語でも,迎合していくことによってお客さんは離れていくんですね。やっぱりお客さんを引っ張っていかないと。つらい時期はあるけれども,そこを越えてしまうと絶対にこっちへ来させる自信はありますから。(鶴瓶 p227)

2014年5月31日土曜日

2014.05.31 小沢昭一 『珍奇絶倫 小沢大写真館』

書名 珍奇絶倫 小沢大写真館
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2006.10.10(単行本:1974.04)
価格(税別) 950円

● もう20年も前になるだろうか,放送大学に「芸能と社会」という講義があった。講師は小沢さん。テレビをよく知っている人が講師を務めるんだから,面白くないわけがない。
 オープニングで,学生に扮した小沢さんが先生の目を盗んで,早弁しているところが放送される。これが何とも味があって。
 現場の人に登場してもらって,小沢さんがインタビュー。終わりに,小沢さんが総括らしきことをする(昔のことだから,よく憶えてはいないんだけど)。

● 放送大学ならではの講義だと思っていた。講義じたいがひとつの芸だったし。今の放送大学にはそんな余裕はないようだ。
 講義は一切無視して,印刷教材だけ読んで単位を取っていくのが賢いやり方でしょ,今なら。

● この本を読んで,そんな昔のことを思いだした。

2014年5月30日金曜日

2014.05.29 小沢昭一 『雑談にっぽん色里誌 仕掛人編』

書名 雑談にっぽん色里誌 仕掛人編
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2004.03.10(単行本:1978.03)
価格(税別) 840円

● 小沢さんが,遊里で口を糊している人に寄り添い,「放浪芸」の発掘に力を注いだのは,自分もまた漂白民だとの思いがあったからだろう。
 売色は漂白民のなりわいであった。漂白民は土地を持たない人々である。わがニッポンは農耕社会であったから,支配者は,土地をはなれず農耕に励む定住者中心に社会のしくみを作りあげ,政治から道徳まで定住者の側の規範が確立した。だから,必然的にその規範から逸脱せざるをえない漂白民は,定着民より蔑視をうけることになる。その蔑視は今もって続き,はやいはなし,住所不定といえば,「社会的信用」はゼロなのである。(p11)
● 本書も4つの対談(座談)からなる。ひとつめは「銘酒屋」と呼ばれた私娼宿を経営していた人が登場。
 「籠の鳥」というのは実は公娼(吉原)をいうんで,私娼は籠の鳥じゃなかった。だから,面と向かって折衝するために女も新しい服装をし,うけこたえもうまかったんです。(p60)
 この分野でも官民が競えば,民の方がより良いサービスを客にも働き手にも提供するらしい。
 話の中に一見直吉という人が登場する。浅草でこの業界を仕切って,秩序を保った人。こういう人の名をとどめたのも,本書の功績のひとつだろう。史料としての価値だ。

● 戦争中,中支で従軍慰安所を営んでいた人。
 それからだんだん,中国人経営者とか朝鮮人経営者がふえてきまして,経営者がね。(p117)
 あの時分でね,日本人,朝鮮人,中国人のなかでね,まあ朝鮮のコがいちばん強かったと思いますね。体力的にも強かったし,それから金銭的にもね,非常に・・・・・・よし,どうしてもこのさい,儲けてやろうという・・・・・・。(p160)
 というような話を聞くと,朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したという話は,にわかには信じがたい。

● 「世界の人類がね,消滅すれば別ですけれども,生きてる間はね,どうしても性のハケ口は,なんらかの形でもっているわけなんですよ」(p165)っていうのは,そのとおりだと思うんだけれども,吉原や玉ノ井が殷賑を極めていた頃に比べると,このへんの事情もだいぶ変わってきているように思う。
 カタギの女性たちの性規律がだいぶ緩くなっているのじゃないか。対して,男衆は大人しくなっている。ゆえに,こうした「ショーバイニン」に対する需要はかなり減っているのではないかと想像する。

● 昔だったら売色で喰えた女性たちの,食べていくためのフィールドが狭まりつつあるような気がしていてね。むしろこちらの方が問題ではないかと思ってるんだけど。
 もっとも,そうした女性たちもまた減りつつあるのかもしれなくて,そうであるならぼくなんかが心配する必要もないわけだ。

● ほかにいくつか転載。
 ショーバイ女が〈慰め職〉につくのは,「慰め」から見はなされた定めを背負っているからこそ,「慰め」が売れるのであろう。どうすれば慰めることができるかを,身にしみて知っているのだ。幸せうすき人が,幸せを売る側にまわる(p99)
 手練のショーバイニンならば,「身の上ばなし」の何通りかを用意し,客の好みを見抜いてから,それに応じて「身の上ばなし」を使い分けたりする。女たちが「身の上」を開陳しないのは,真実を語ったところで一文の得にもならないからであるが,さらにいえば,ショーバイニンの「身の上」が,所詮カタギとは,元来無縁であることを知っているからでもあろう。(p172)

2014年5月28日水曜日

2014.05.28 小沢昭一 『雑談にっぽん色里誌 芸人編』

書名 雑談にっぽん色里誌 芸人編
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2004.03.10(単行本:1978.03)
価格(税別) 840円

● 本書における色里は主として吉原。それも,戦前の。それについて,三遊亭円遊,高砂家ちび助,古今亭志ん好,桂枝太郎の4人の噺家が,小沢さんを相手に語る。
 吉原話だけではなく,芸談も登場するし,世相巷談的な話もある。今となっては,歴史の証言ということだろう。たぶん,その証言を残すことが,出版の動機のひとつだったろう。

● 単行本は昭和53年の出版だけれども,「やっぱり,なんですよ,むかしは私ら若い時分はね,どうもおもしろかったですからね。いまの若い方にはほんとにお気の毒ですけどもね」(p70)とか,「いまの噺家は,とにかくカレーライスで育ってきた。だから,ほんとの粋ということがわからない」(p179)と言われている。
 そのカレーライスで育った人が,今の若いもんはハンバーガーで育っているから,と言っているに違いない。

2014年5月12日月曜日

2014.05.11 小沢昭一 『日々談笑 小沢昭一対談集』

書名 日々談笑 小沢昭一対談集
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2010.06.10(単行本:2000.10.30)
価格(税別) 860円

● 芸能談義。吉原談義。遊び談義。食談義。面白いことは言うまでもない。今となっては,史料的な価値もあるだろう。

● まず,柳家小三治さんと。
 あの,うまく見せることは努力すれば誰でもできるんです。その上ですよ,落語でもねえ,うまいなあ,とかっていうのはねえ,これはまだ駄目なんですよ。その先に・・・・・・。 洗いあげてしまわないもの,ほんとうに素朴なもの,持っている魂だけで,漂ってくるようなもの。それがねえ・・・・・・。(柳家 p45)
● 松島トモ子さんとトイレのあれこれ。高山の蒔絵が施されたトイレの話には驚いた。贅沢さにおいてインドのマハラジャのトイレをしのぐという。なるほど。
 昭和の初めに育った人間は,戦争のこともあるけれど,働くことが尊くて遊ぶことは罪悪だ,遊び人というのは人間のクズだ,と。だから遊び下手なんです。ずいぶん僕も遊んだけれども,つねに一生懸命遊ぶ,というナサケなさ・・・・・・。その遊びがまた営業になったりするところがあって,なんにもならない。(p64)
● 金子兜太さんと戦中派の世代論。
 中学校に入ってからですけれども,クラスに一人,反戦的なことをいう男がおりましてね。僕なんかはそれを反戦とも理解できなかったんです。変人といいますかね。 そのような感覚でしかその男をとらえられなかったことをいま非常に恥じますが,しかし,そうであったことは事実ですね。(p107)
 金子 僕は俳諧をやっていてよく思うんですけどね,俳句仲間だとね,例の兼業農家,三チャン農家というやつですな。あおの兼業農家のおじさんとかおばさんが意外にしっかりしているんですよ。よき俳人なんですね。生活姿勢がしっかりしているし,句もいいわけです。 小沢 そういう方たちは,面白ければ面白い,つまらなければつまらない,ごたくは並べません。何もかもお見通しで,都会のモダニズムなんかにごまかされないというジトッとした怖い目で見据えられているという感じを僕はもっています。(p121)
● 高瀬礼文さんとそば談義。
 僕は,料理人っていうものに,僕らの立場と,とっても近い感じをもちます。一種の技芸人とでもいいますか。単に腕一本で,おいしい料理を出すとか,見た目美しく盛り付けるとかだけじゃなく,お客と勝負していく。どうだ,こういうものがおまえらにわかるか,わかんねえだろう。(p125)
 ふつう,名人っていうもののニュアンスのなかに,一道を貫くっていうことがありましてね。それはすばらしいこととされているんですが,あれには非常に,まやかしとか,胡散臭いものとかが混ざり込んでいる場合がある。少し乱暴にいいますと,あれはね,自分の人生を無反省に美化して,納得して,自分で自分の一生を安易に終わりにするような,そんな陶酔がありましてね。むしろ日本人の恥部というか,弱点ではないでしょうか。(p125)
 なんとかね,ここで一生懸命働いて,この店をものにしてやろうという若夫婦。子どもを育てている最中の若夫婦。人もやとわずに,二人で一生懸命やってる店って,たいていおいしいです。(p129)
 僕らの商売もね,売り出そうというね,恥も外聞もかなぐりすてて,今やらないことには芸能人として認められないっていうときが,一番使いごろ,おもしろい。そのうちに,やがてベテラン,功なり名遂げてくるとですね,あとはもうロクな仕事にならなくなってくるのが多い。(p130)
 ちかごろは感性ばやりですから,どんな感性でも感性なんでしょうけど,でも感性,感性って,何百年もかかって,大勢の人間が智慧を積み上げてきたものをね,昨日今日の感性で簡単にきらいだなんてね・・・・・・。(p134)
● 郡司正勝さんと吉原について。
 浅草の三社様(浅草神社)の境内に久保田万太郎先生の句碑と並んで,吉原の粧太夫の献碑がございますね。吉原を称揚するために敢えていうんですが・・・・・・万太郎先生のほうは独特の,クチャクチャした小さい字でよく読めない。粧太夫はすごい達筆で,大変な教養の持ち主であることが字からうかがい知れます。あれはびっくりする。(p141)
 太夫ってのは,書とか和歌とか句とか将棋,碁まで勉強した。大名の相手もできるという教養を身につけているのが,太夫の資格なんです。(郡司 p141)
● 網野善彦さんと被差別民と芸能の歴史について。
 周防猿まわしの復活は,お兄さんのほうもそうですけど,弟さんの猿舞座のほうも,猿まわしで食べていこうとしたところが,猿まわし復活のキー・ポイントでしたね。「保存会」というのは,やっぱり駄目ですね。 芸能に関しては,商売にしよう,稼ごうというのがないと駄目だと,かねがね思っていましたが,本当です。(p194)
● 清川虹子さんと浅草の笑いについて。
 やっぱり浅草がいちばん修行になった。だってあなた,浅草ではお客が吉原の帰りでしょ,遊び疲れてダレてるんですよ。 だから,ちょっとやそっとのおもしろさじゃ笑わないのよ。泣くのはすぐに泣くんですよ。だけど笑いませんよ。(清川 p223)
● 井上ひさし,関敬六さんと,渥美清を語る。
 もう,あの人(渥美清)にかかったら誰だって食われちゃうんです。僕が観たかったのは,藤山寛美さんが渥美さんに食われちゃうところだな。(p247)
● 阿川佐和子さんとの四方山話。
 テレビの機械っていうのは,映画のそれと違って何だか知らないけどみんな吸いとられてしまう。生きる力も精気も。 人間の生きている時間の何倍もの時間を吸いとってしまうバキュームです。あれでいい年して平気で出ている奴は,差し障りがあるかな,相当の神経してますね。根本のところが違ってないとダメ。(p283)
● ほかに,内海好江,バルタバス(騎馬劇団を主宰するヨーロッパ人),佐野洋子,小宮悦子,立木義浩,黒鉄ヒロシ,柴田政人の諸氏が登場。

2014年5月1日木曜日

2014.05.01 小沢昭一・永 六輔 『平身傾聴 裏街道戦後史 遊びの道巡礼』

書名 平身傾聴 裏街道戦後史 遊びの道巡礼
著者 小沢昭一
    永 六輔
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2007.06.10(単行本:1972.04)
価格(税別) 840円

● これまた大変面白く読めた。殿山泰司に『三文役者あなあきい伝』という名作があるけれども,テイストが似ているように思った。軽くて飄々としている。飄々としていられるのは強靱でしたたかだからだ。あきれるほどのインテリジェンスも裏にある要素のひとつだと思う。
 こういうのが週刊誌に連載されていたんだから,日本の大衆文化というのはなかなか大したものだ。

● 「裏街道」というのは,いつの時代でもどこの国にでもあるものだろう。ところが,今の日本はどうなんだろう。裏といえるほどの裏があるんだろうか。
 風俗産業はある。数年前になるが,山谷から吉原あたりを歩いてみたことがある。いやいや,さすがは東京だと感じ入った。しかし,これは裏なのか。
 本書で登場するストリップなどはすでに崩壊したと言っていいような気がする。宇都宮にひとつだけあったストリップ小屋もとっくの昔になくなっている(ぼくが知らないだけで,場所を変えて健在なのかもしれないけど)。いわゆるエロ雑誌も売れなくなっているだろう。インターネットの影響だけではないと思う。
 裏が裏でいることが難しくなっているんだろうか。表に引きずりだされて,表とないまぜにされるようになった。そんな印象を持つんですけどね。

● ぼくは実直に(というと聞こえがいいけど,臆病に)生きてきたので,この世界はあまりよくわからない。しかし,今どきは表の世界の自由度がかなり上がっていて,それが裏の存立を難しくしているような気がしている。
 いい女っていうのも,表にいるじゃないか。ぼく一個は,裏に向かう動機を(怖いもの見たさ以外には)あまり感じることはない。

● 以下にいくつか転載。
 男性のほうが真剣味があるといいますか,薄情じゃないですね。ですから,薄情という言葉は女性に通じるものであって,男性に通用しないと思うんです。(p60)
 そりゃ,ホステスの世界では,わたしがお客と寝ようとなにしようと,自分のふところが大きくなって,いいものを着て,いいものをはめてりゃ,そのほうが勝ちなんですよ。でも,そういう人は絶対一本立ちはできない。一匹オオカミで終わりです。結局,お客さんが認めないわけです。あれはすぐ寝る女だからって。そうなったら終わりですね。(p64)
 警察の取り締まりがなくなれば,ストリップの客入らなくなる。取り締まりがあればこそ,客が来ると思うんですよ。(p112)
 彼女(一条さゆり)はふだんはおとなしいけど,なにかそういうほとばしるようなものが出るんですね。だから,踊り子仲間にピンと感じるわけです。それでイケズされる。 わたしは,よくイケズされますね。衣装を破られたり,先週は使っている傘をお便所に捨てられたり,靴のなかにガラスのびんを入れられたり,そういうことはしょっちゅうあります。(p114)
 男が働くのは女房以外の女とやりたいからですよ。これは断言できますね。女房とだけやるくらいなら,あたしゃ死んじゃうよ。(p222)
 でも格式が高いのっていうのは,疲れるだけで考えものですよ。やっぱり,遊びっていうのは馬鹿馬鹿しくなきゃいけません。(p230)
  テレビ以前では,恵まれた環境で育ち,恵まれた環境でスターになるということはあり得なかった。女をだますことぐらい平気でやってきた人の笑顔にこそ,共感を抱いてきたのである。正義の味方ぶるマスコミが,芸人の私生活をあばきたてる。そんなことではビクトモしない悪党であるべきだ。やっぱり芸の世界というのは,気の弱い奴のいられる場所ではないところでありたいと思う。(p285)

2014年4月30日水曜日

2014.04.30 小沢昭一・永 六輔 『平身傾聴 裏街道戦後史 色の道商売往来』

書名 平身傾聴 裏街道戦後史 色の道商売往来
著者 小沢昭一
    永 六輔
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2007.05.10(単行本:1972.04)
価格(税別) 880円

● 元版の単行本は昭和47年の刊行。その元になった週刊誌(アサヒ芸能)連載は昭和42年。その頃に生まれた人はそろそろ50歳になる。半世紀前の世界。まさしく戦後史。
 「アサヒ芸能」の連載がちくま文庫になるというのも,戦後史ゆえでしょうか。

● 週刊誌の連載だから,とにかくスラスラ読める。
 が,業界人からここまでの話を引きだすのは,誰にでもできることじゃないだろう。っていうか,普通の人では触ることもできないだろう。小沢さんの実力の一端が垣間見える。

● 当時の日本社会は元気だったとも思わせる。男たちが元気だった。
 日本のオヤジたちが徒党を組んで韓国や東南アジアに買春に出かけ,顰蹙を買っていたのは,ついこの間のことだと思うのだが,今の日本男児にそんな元気があるのかどうか。元気といっちゃいけないのかな,陽性の無邪気さっていうかね。今は内に籠もりすぎっていうか。
 あと,性観念の弛緩もあるだろうね。彼女がいくらでも応じてくれるんだから,そんなことにわざわざお金を払うってのがわからない。そういう若い衆も多いんじゃないかなぁ。
 いわゆる草食化もあるんだろうな。欲求じたいの減退。今の社会って,若者には相当な閉塞感を与えているのかもしれないね。上が詰まりすぎている。
 インターネットにその種の動画は無数に転がっている。美人でスタイルのいい女の子が,惜しげもなく全部を見せてくれる。それですんじゃう。生女(なまおんな)は見目麗しくないうえにめんどくさい。

● 以下にいくつか転載。
 街を歩いていても,わたしたちみたいなことをしている女性(コールガール)ってわかりますからね。声をかければ話はつきます。(p123)
 (進駐軍慰安婦の募集をかけたら)ゾロゾロ来るんです。ゾロゾロ・・・・・・当時,警察署長の月給が百五十円くらい。ところが,女の子に三百五十円,だから集まりましたよ。(p206)
 (彼女たちは慰安施設であることを知っていましたか)給料が高くて,メシを食わせて,着物も化粧品も支給するんですから,覚悟はしてましたね。(p206)
 (慰安婦の存在は)相当の防壁になったということは事実でしょうね。あれがなかったらどんな結果になっているか・・・・・・。そりゃ性の欲求なんてものは,はげしいですからな。しかも,あんなすさんだやつに・・・・・・。そんなのがなかったらたいへんだったでしょうよ。(p214)
 今でもその仕事は終わっていない。そして,オリンピックとか,見本市とか,外国から大量の人が来る時には,今でも接待用女性は集められ,供給されているのだ。 (中略)大手の商社では,外国人バイヤーのための手持ちの慰安婦をチャンと契約している。(p217)
 だって,むかしの歌舞伎の女形は,男を知るのが修行のはじまりなんですって。 そう,痔になるようじゃ駄目だった(笑)。(p234)
 ぼくは,ロケーションで(刑務所の)房のなかを見せてもらったことがあるんですがね。男の房よりも,女の房のほうが落書きがワイセツなのが多いですね。(p290)

2012年11月19日月曜日

2012.11.17 小沢昭一 『川柳うきよ鏡』


書名 川柳うきよ鏡
著者 小沢昭一
発行所 新潮新書
発行年月日 2004.04.15
価格(税別) 680円

● 「小説新潮」の連載をまとめたもの。「小説新潮」の川柳欄に読者から投稿を募り,小沢さんが選者となって選んだものに,小沢さんの選評というか解説というか口上を加えての連載。
 1994(平成6)年からの10年分の連載を集めているので,だいぶ昔のようでもあり,ついこの間のようでもあるが,懐かしい事象が川柳の対象になっている。

● 政治ネタを川柳にするのは難しいらしい。新聞などマスコミ報道そのままのが多いと,何度か小沢さんが苦言を呈している。独自の視点からヒネリを加えてください,と。
 「茶の間の正義」で憤るだけでは川柳にならないのはわかるけど(思考停止だからね),実作するのは難しそうだな。

● 川柳で気楽に楽しめると思ってたんだけど,これだけまとめて読むとけっこう疲れるものですね。