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2022年4月11日月曜日

2022.04.10 伊集院 静 『読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ』

書名 読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ
著者 伊集院 静
発行所 小学館
発行年月日 2022.02.02
価格(税別) 1,700円

● 3部構成で第3部はヨーロッパ(主にはスペインとフランス)の美術館を巡ったときのアレやコレを使って文章を紡いでいる。
 美術館巡礼(?)の旅は10数年前に大部の2冊本になって刊行されている。スペイン編は読んだが,フランス編は未読。読んだのも10年も前のことだから,あらためて両方を読んでみようかと思った。

● 以下に転載。
 路地は都市の顔である。情緒のある路地がある都市はたいがい藝術が盛んだし,恋愛の場所を提供してくれている。パリを舞台の恋愛映画が多いのは絵になるからである。(p13)
 銀座もそうですかね。ブラタモリでも銀座の路地は強調されていたんじゃなかったっけ。銀座には何度も出かけているけれども,田舎者が行くと名前の付いた通りだけで手一杯になる。路地は歩いたことがないんだよねぇ。
 バルセロナとアドリードの路地にはどんなにちいさくとも名前が付いている。面白いのでは “幻滅通り” というのもある。こちらは娼婦街の中にある。どこにでもあるのは “親不孝通り” “酔いどれ通り” だ。(p14)
 これはたぶん世界共通。“親不孝通り” は日本にもどれだけあるだろうか。
 スペインが日本人に人気なのは,ひとつは国民気質がきさくな点と,背丈がアジア人と並んでもまぎれる感じで異邦人に見えない。次に彼等は大のマリア信仰を持つ。イエスよりもマリアを慕う。日本で言う,観音信仰に近いかもしれない。しかも親孝行である。(p15)
 ヨーロッパでの原発事故の報道は,日本では公開が自粛された原発の建物の水素爆発のシーンが何度も映され,おそらくメルトダウンをしているとほぼ確信を持って伝えられていた。(p20)
 旅をしていて,美しい都市というものはそれ自体が不思議な力を持っていると感じることがある。パリも京都もまさにその典型ではなかろうか。(p48)
 戦火の下でも,モランディは創作を続けていた。(p55)
 世の中は平和が続くと,必ずファシズムが台頭して来る。それは世の慣いのごとくである。(p55)
 (『サン・ピエトロのピエタ』は)完成直後,マリアが若すぎるとかイエスの身体が筋肉質に作られ違和感があると注文主(教会)から文句が出たという。しかしこの像を見た大衆はこぞって称讃した。それはそうだ。誰だって美しい方が良いに決っている。(p64)
 旅は独りで歩くことである。ましてや原作,脚本を構想するなら,主人公の街を歩く姿が湧いた方がいい。(p96)
 今こうして,去年の夏から秋にかけて散策した折の様子を書いたが,そのすべてが文章になるわけではない。むしろならないももの方が多い。それは調べた取材,資料も同じで,そういうものに依った作品は小説のもっとも大切な情緒,哀しみが希薄になると私は考えている。(p119)
 人の何倍も練習することは,正直,他のプロも実行している。それがプロの世界というものであり,それができない人間は,当初,才能や,幸運で勝つこともあるが,長続きはしない。その点は,私たちの仕事と共通している。(p125)
 基本はアマチュアが世界のゴルフを成立させている。なぜなら世界のゴルフ人口の九九パーセントはアマチュアであるからだ。その上,アマチュアゴルファーにはプロがどう太刀打ちしてもかなわないユーモアと,これが一番肝心なのだが,品格を持った人々がいるのである。(中略)ゴルフは上手いだけが価値ではないとこが,大半のプロにはわかるまい。(p128)
 考えて考え抜いて練習して,練習をやり抜いて,ようやく何かが出るのが,私たちの人生であり,たとえ結果が出ずとも,それをやり続けることにしか,生きる尊厳はないのだと思う。(p129)
 完璧を求める人は,完璧というものにとらわれて,何ひとつ身に付かないケースの方が多いのではなかろうか。それはゴルフのプレーで例えると,ナイスショット以外は,つまらぬショットと考えるのと同じで,面白味がないし,ゴルフの肝心をいつまで経っても理解できないことになるだろう。(p131)
 今年は日記をちゃんとつけて,いい一年にするぞ,と決心して書きはじめる。ところが,或るデータによると,日記は約九割の人が最後まで書かずに終るらしい。これも人間らしくていい。(p131)
 “人の喜び,幸福の表情には皆どこか共通しているものがあるが,悲しみ,不幸せのかたちはどれも違う表情をしている” という言葉がある。(中略)それが事実であるとしたら,悲しみの只中にいる人に,そう簡単に慰めの言葉や,軽口を叩いてはいけないことになる。基本は見守ることであろうが,それでも私は “悲しみにはいつか終りが訪れる” と敢えて言うようにしている。(p134)
 五十歳を越える前までは学生時代に懸命にプレーした野球のハードなトレーニングで培った体力があった。ところが少しずつ体力の貯金は目減りする。そこで何か運動をというので以前からやっていたゴルフを二週間に一度ラウンドすることにした。(p137)
 ゆっくり成長する木は大木になるそうだよ。(p153)
 ひとつのスポーツが大衆をとりこにさせる時は新しいスターの出現が不可欠だ。それまで大衆が見たこともない魅力あるヒーローがあらわれた時,人々はヒーローの存在とともに,そのスポーツの素晴らしさを知る。(p155)
 大衆が何よりも惹かれたのは長嶋さんの,あの明るい性格と屈託のない笑顔であろう。チャーミングであったのだ。いったい何人のファンが,あのプレー振りを見て仕事の,日々の疲れを癒されたことだろうか。(p156)
 何十人かの選手を育てましたが,松井選手はトレーニングすることを惜しまなかったという点では,一,二番目でしょう。夜中のどんな時刻に連絡しても彼はバットスイングをしていました。あの姿勢があったから育ったんです。(p157)
 長嶋さんは今も懸命にリハビリをなさっている。(中略)今,日本全国でリハビリに励んでいるたくさんの人と家族が長嶋さんからどれだけ勇気をあたえられているだろうか(p158)
 美術館の鑑賞のしかたを知ったのもプラド美術館である。それはエウヘーニオ・ドールスの美術館の鑑賞案内の本で『プラド美術館の三時間』。(中略)三時間以上,美術鑑賞をするものではないと書いてあった。(p172)
 その人生は決して恵まれたものではなかった。(中略)絵が売れるどころか暮らしにさえ困ることが多かった。借金をしながらモネはそれでも懸命に絵を描き続けた。モネの生涯を見ていて感銘を受けるのはいかなる時にでも彼は絵画から離れようとしなかったことだ。絵画をあきらめたり,見放すことが一度たりともなかった。これが並の画家と違っていた。(p176)
 近代絵画はいつもそうだが,画料,画材の進歩がひとつの才能と出逢い,新しい世界を生み出す。(p210)
 「この器を見て下さい。この島の陶工が作ったものです。千年以上こうして私たちの生活に役立っています。しかも素朴で美しい。作った人の名前はわかりません。私は本来創作とはこうした無名性の中にあるのではないかと思います。彼等こそが真の創作者なのです」
 私はミロの言葉に感激した。(p222)
 こころをときめかす出逢いがあったなら,あなたの旅はかなり上質なものだと言えるだろう。そしてそういった出逢いには少なからず運命のようなものがかかわっているケースが多い。私の短い半生は大半が旅の日々だった。その中で,あの時間は誰かの力で,そこに導かれたのかもしれないと思えるものがある。(p225)
 これがミロのかつてのアトリエと知らなかったら,誰の目にも子供の落書きにしか映らない。しかし,このちいさな作品から,ミロは彼でしかなし得なかった宇宙を創造した。(p228)
 『糸巻きの聖母』と題された作品で,私はこの作品を十年以上前に,スコットランドのエジンバラにあるナショナルギャラリーで見たことがあったが,その折は作品を鑑賞しても強い印象を受けなかった。その理由はたぶん,レオナルド・ダ・ヴィンチというルネッサンスを代表する画家についてよくわかっていなかったこともあったのだろう。(p238)
 世界中で一番カレンダーを大く制作しているのも日本と日本人である。それを知ると,日本人は希望や,明日への願いを他の国の人より抱いているのかもしれない。(p250)
 七十一歳のマティスは十二指腸癌の手術をしたが,手術の後遺症が残り,車椅子での生活を余儀なくされた。絵筆を握ることが不自由になった。それでも画家の制作意欲はおとろえることはなく,マティスは着色した紙をハサミで切り抜き,これを貼り合わせて “マティスの切り絵による世界” に挑んだ。(p251)

2022年1月24日月曜日

2022.01.24 伊集院 静 『ひとりをたのしむ 大人の流儀10』

書名 ひとりをたのしむ 大人の流儀10
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2021.03.03
価格(税別) 909円

● 著者の生死に関わる病気から回復した後の文章も含まれる。強運というのか強靭というのか,強をまとっている人なのだろう。
 ついに愛犬が亡くなった。そのことも記される。それからコロナのこと。

● 著者の文章のほかに,福山小夜さんの挿絵も味わいの対象になる。

● 以下に転載。
 子の喪失を嘆いてばかりでは,少なくともそれまであったはずの楽しい語らいや,ともに見つめた豊かなものや美しいものの記憶が甦ることもなく,違った記憶ばかりをたどることになる。たとえ三歳の早逝でも,三歳なりの四季や楽しいことがあったはずだ。大切なのは,出逢ったことである。たとえともに過ごした時間がわずかでも,出逢いはすべてのはじまりだから,何ものにも代えがたい。(p4)
 一人,独りで生きることには,忍耐が必要だ。忍耐は養わなければ成長しないし,耐えてみて初めて,同じように耐えているひとがいることに気づく。(p6)
 数十年過ぎて,本を読んでいたら,『流言は,智者に止まる』(荀子)の一行を見た。なるほど昔からこういう考えがあったのか,と感心した。(p34)
 「あの頃は良かったナ・・・・・・」などと語る神経が自分の中にない。普段から,私は過去を振り返るということを一度もしたことがない。おそらく死ぬ間際でさえ,そう思うことはあるまい。過去を振りむいたところで,何もありはしないのは本人が一番良く知っているからである。(中略)同時に,社会に出て,今,敬愛したり,見習わねばと思う先輩,同輩,後輩,若い人たちを見ていて,その人たちが過去を振りむいている姿を一度として見たことがないからだ。(p36)
 創作,創造を才能や,天賦のものがこしらえると考える人が多いが,それは違う。失敗の積み重ねが,わかり易い文章を作ってくれる。才能がかかわるのは,ほんの一部でしかない。(中略)一番注意,警戒しなければならないのは,失敗を知らない人,失敗をしたことのない人である。(p46)
 まだ誰も踏み入れていない場所を進むことには,誰も知らない故の,孤独感,おそれがともなう。実は,この孤独感,おそれが,人間の思考能力,とぎすまされた第六感のようなものを身に付けさせる。(中略)できるか,できないかということを思いあぐねても,その先のものは見えない。できるか,できないかは,やはりやってみるしかないのである。(p47)
 私は五十年近くゴルフをしてきたが,(中略)ゴルフの上手い人で,性格,人間性も素晴らしい人を,ほとんど見たことがない。(p73)
 哀しみを救う言葉は,実はない。見守るだけである。(p77)
 二枚目がジジイになると,やはり切なさが漂う。その点三枚目は年を取れば “味が出る”。若い時の口惜しさ,苦労が報われる。(p78)
 この人と以前,ゴルフのあと風呂に入った。同時にドアを開けて入ったが,私がタオルを忘れて取りに戻った。再び入ろうとすると,大兄はもう外へ出てこられた。えっ? もう身体洗って,出て来たの? ともかく速い。(中略)短気(イラチでもイイ)の上に瞬間湯沸かし器。でも私はこういう人が好きである。こういう人は人の何倍も責任感が強いし,人一倍やさしい。(p87)
 大きな峰ほど登り切る直前に,険しい下り坂と,考えられない試練を与える。(p88)
 文章が上手い人は,エッセイストとしては月並みな人が多いように思います。文章が難しいのはこの点です。ただエッセイ,随筆でベストセラーとなるには,よほどその書き手が独特の世界を持っていなければなりません。(p97)
 小説家は小説のことばかり言いがちですが,出版界支えているのはコミックです。(p97)
 銀世界と言えば美しく聞こえようが,美しく見えるものは,実は強靭なものを併せ持っている。厳しすぎるほどの寒さであった。(p107)
 私自身も,脱稿した一昨年の秋には,もしかして何かが書けたかもしれん・・・・・・という気持ちがあった。そう思う作品は,これまで四百冊以上の作品を書いて来て,数点しかない。(p109)
 哀しみと歩くと平然と言える人の神経を私などは,困ったものだと思ってしまう。(p111)
 “スマホがあれば何でもできる” とホリエモンが本を出していたが,あのタイトルは間違いだし,“何を抜かしてやがる,このボケ” と正直思った。こう書くとホリエモンが嫌いなのかと思われるが,そんなことはない。(中略)嫌いで言えば,元ZOZOのあの男のほうが百倍も嫌いだし,孫正義などは千倍も大嫌いである。第一,税金をほとんど払っていないで,何がグローバルだ。(p118)
 いったん,死を覚悟すると,行動の理よりも,情が先を行くことがわかる(p134)
 運が良かったのである。会社でも,雑誌でも,さらに言えば国家であっても,運が良くなくては滅びる。(p149)
 女子プロゴルフの渋野日向子が強い。スポーツにおいて “思いっきりの良さ” が大切なのを,この娘さんからあらためて教わった。(p149)
 スポーツなんて,たいしたもんじゃないって。日本のプロスポーツのスター選手に逢って少し話をすれば,そのことがよくわかる。(p150)
 “薀蓄” という言葉があるが,あれも大嫌いである。品性の欠けらもない。美食家と呼ばれる,どうしようもない連中が語る内容も大半がこの薀蓄である。その文章を読んでいても下品としか思えない。大人の男は,それを十分知っていても,「さあ,詳しくは・・・・・・」と応えねばならぬ時が多々あるものだ。それを待ってましたとばかり喋り出すのはただのガキで,バカである。(p162)
 もうすぐ手術から一年になる。(中略)以前からやろうと思っていたこともやるつもりだ。例えばフランス語をきちんと勉強し直す。もうフランスへ渡ることはかなわないかもしれないが。それなら次はラテン語をやればイイ。(p172)
 これを速いうちに学ぶと,生きものに対する考えが根本的に違ってくる。名著『ソロモンの指輪』ではないが,通じると信じて接していれば,生きものとて,相手の言葉を理解しようとするし,信頼も増す。(p177)
 十七年の歳月の中でも,彼には命の危機は何度かあったし,大勢の犠牲者が出た災難とも遭遇した。犬一匹でそうなのだから,ましてや強欲の一点張りの人間なら,無事に生きてるほうがおかしい。(p179)
 この病気,生きて帰る人はたまにいるが,ほとんどの人が重度の後遺症をかかえて余生を送る。(中略)回復振りのめざましさに,奇跡だ,こんな人初めて見た,素晴らしい,と言われても,私は何とも応えようがない。(中略)この病気は他の癌疾患や血液の病気,糖尿の方も全員そうだが,再発した折,または症状が進んだ時への覚悟を持たねばならないからだ。(p181)
 人類が感染病で滅びることはない。なぜか? 人類の誕生,進化にはおそるべきエネルギーと偶然の重なり合いが必要であった。私たちの肉体,立っている環境には,信じられないエネルギーと奇跡の連鎖があるのだ。この目に見えないエネルギーが,ウィルスと戦い続け,やがてワクチンや彼らを封じ込める方法を創造するだろう。(p186)

2022年1月8日土曜日

2022.01.08 伊集院 静 『ひとりで生きる 大人の流儀9』

書名 ひとりで生きる 大人の流儀9
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2019.10.01
価格(税別) 909円

● 「週刊現代」の連載をまとめたもの。著者がクモ膜下出血で倒れる前の文章だと思う。
 週刊誌はすっかり読まれなくなったが,それでもこういう連載がある。「週刊現代」に限らず,「週刊文春」や「週刊新潮」にも単行本にまとめて読まれる連載はある。

● が,週刊誌に未来があるかとなると,なかなか難しい。読者が高齢化している。高齢化の後はこの世の人ではなくなる。つまり,読者の多くが死亡適齢期にあって,この世から退場していく。
 それを埋めるだけの新規参入はあるか。ない。若者はどんどん減っているのに加えて,週刊誌は老齢ファッションになっているから,若い人は近寄らない。

● 以下に転載。
 “孤独” と遭遇したり,“孤独” を知ることが,生きることである。(p17)
 基本,他人と同じ学び方をしないで,その人独自の学び方を,どのくらいの時期に獲得刷るか,という点が大切になる。早ければ早いほどイイが,早すぎると,精神,情緒がともなわない場合が多く,私は優秀な人間であると勘違いをするし,傲慢になる。勘違いと傲慢は,その人の成長をたちまち止まらせる。(p22)
 「近しい人の死の意味は,残った人がしあわせに生きること以外,何もない」 二十数年かけて,私が出した結論である。そうでなければ,亡くなっとことがあまりに哀れではないか。(p27)
 仲良くしろ,一人で立って一人で生きよ,は相反しているように聞こえるが,実はどちらかを選択させようとすれば,後者の方に重きを置かなくてはならない。(p35)
 一度ならず逃げ出した経験を持つことは悪いことではないと思う。(中略)むしろ,そういう心境を味わうことをしてみることだと思う。(p40)
 今やっていることが少々辛くとも,(中略)目前のものは過ぎてしまえば何ということはないのである。(p42)
 私は “教える” という行為は,この世の中にほとんど存在しないのではないかと思っている。敢えて言えば “学び合う” ということはあるかもしれない。(p47)
 三十歳代,私はほとんど何も持たず(鞄さえ)旅へ出ることが大半だった。取材とて,カメラもテープも持たなかった。目で見たものと,耳で聞いたものが私の身体に入っていれば,それですべてが済んだ。(p50)
 ホテル暮らしです,と言うと,あら羨ましいと言う人がいるが,何か特別なものはないし,むしろツマラナイことの方が多い。(p52)
 昼間の銀座へ行くこともあるが,私に言わせると,昼間の銀座は,女,子供の街だ。(p56)
 絵画鑑賞で大切なのは,静寂と孤独だと私は思っている。だから日本の美術館がやたら入場数にこだわるのは,愚の骨頂なのである。(p82)
 犬,猫にはぎりぎりまでいらぬ手助けをしないことだ。(p85)
 人間は肌を切られて血を流してあわてるのである。銃で撃たれて,何が今,自分の身体の中に起こったのだと思うのである。それではすでに遅いのだが,大衆はいつも遅いことに気付かない。(p115)
 神楽坂は,どこからこれだけのジジイとババアが出て来たのかと驚いた。どう見ても何か用があって来ているのではない。その上,高齢者であふれているので歩調もゆっくりだし,合わせて歩いていると,こちらも段々おかしくなる。今の高齢者の大半は,高齢者ということに甘えているように映る。(p118)
 遊び盛りの少年で読書好きという子供はかなり変わっていると私は大人になった今でも思っている。(中略)作家になってから,新人の方や,たまに先輩作家でも,子供の頃から本が好きだったと来歴に記してあると,やはり人間の質が違っていたのだと思う気持ちと,本当かしら? という気持ちを半々抱く。(p120)
 今はシゴキはなくなっていると聞いた。あんなことをして気合いを入れさせるという発想がおかしい。日本人が持ついくつかある最悪な性癖のひとつである。(p147)
 私たちはテレビや新聞,雑誌が普及したことで,これが当たり前のことだとか,これが正義というものだ,と他人から,誰かから教えられた情報を,どこかで正しいと信じてしまう風潮の中で生きている。しかし,生きる実践(生きているという真剣な現場)で,そんなことは十にひとつもありはしない。(p152)
 時折,銀座の遊び場でネエさん方が,「今のお客さんの時計見ました? ✕✕✕✕で三千万円するのよ」と耳に聞こえることがある。よほどの成金か,バカなのだろう。(p162)
 私は今,この原稿をボールペンで書いている。“ジェットストリーム” という三菱鉛筆が製造しているものだ。(中略)今はこれが一番,指,腕に負担がかからない。(中略)私は毎月,四百枚から六百枚(四百字詰)の原稿を書いている。その大半が紹介したボールペンである。(中略)「書き易いですね。少し根を詰めて書くと,このペンのインクが二晩でなくなります」(p165)
 今頭に浮かんだ文章が印刷文字と同じようにあらわれると,何やらまともに映って,文章が上達しないのでは,と思う。(p167)
 乗り物に乗った時,私はずっと車窓から見える風景を眺めている。(p180)

2021年3月23日火曜日

2021.03.23 伊集院 静 『作家の贅沢すぎる時間』

書名 作家の贅沢すぎる時間
著者 伊集院 静
発行所 双葉社
発行年月日 2020.09.20
価格(税別) 1,000円

● 話材は酒場,ギャンブル,ゴルフから,人生論,来し方を語る的なものまで多岐にわたるが,ぼくには京都人の合理性についての文章が一番面白かった。
 粗野な田舎者が都を荒らすときの身の処理方について,京都とパリに共通性があるという話。

● 以下に転載。
 私は店の味覚は覚えていないが,主人の顔と人となりは忘れない。行き着く処,味覚より人である。信頼する人がこしらえれば,それが一番なのである。(p33)
 横浜の時代は,早朝から夜遅くまで働きっぱなしだった。(中略)早朝五時半に起きて,アメリカ軍専門の移動の車を運転し,夕刻まで荷積みから荷揚げまでをくり返し,夕刻からコックまがいのことを夜の十二時までやり,十二時からゴルフ練習場のボール拾いを深夜二時までやり,事務所の土間で休んだ。どこで睡眠を摂っていたのかわからないが,何も持たない人というのは,他人と同じことをしていてはどうにもならないのだろう。(p34)
 私の基礎体力は中学,高校,大学と野球部のグラウンドでの日々の練習で培われたものではなく,むしろ学生の身分で社会に出て,日々,働いていた中で,(中略)本当の意味での “地の体力” がついたのではないかと思うことがある。(p42)
 あれは絶品の鍋だった。競輪場でさんざん打ち負かされた後でも,笑顔になれたのだからたいした味である。(p45)
 労務者風の客が多いのもどこか安心できる。(p47)
 やがて少しずつ仕事が増えても,腹が満たされればそれでよかったから,特別な店もない。私に言わせれば,そんな若い時から,どこそこの何が喰いたい,と思う方がおかしい。(p53)
 私はこの店の主人に,店に活けてある茶花,掛けもので,京都の大半を教わった。茶花だけで百種類近くを酔った目で眺め,三年間,四季を三度巡ることで覚えることができた。それは花器もともに覚えることで,陶器を学ぶことができた。(中略)しかし肝心は,京都には “奥のまた奥” があることを知ったのが何より役に立った。(p69)
 京都人はなかなか本音を口にしないと言う。(中略)彼等は表面上で挨拶をしている時は,男も女もあのとおりのやわらかい物腰とはんなりとして聞こえる京都弁から伝わって来る印象は,まことにソフトである。しかしソフト,やわらないだけで京都人は千年も,この都で生きながらえるわけがない。(p76)
 京都人は合理的なんですよ。そこが他の土地の人間と違ってるんです。(中略)さてこの合理性が癖者なのである。この合理性の源泉になっているのは徹底した個人主義なのである。どこかの街の人間に似ていないか? どう近代以降のフランス人に,パリの人々に似ている。パリもフランス革命以来,何度も戦場となった。しかしパリの人々は戦争の間はじっとしていたのである。(中略)ふたつのみやこびとに共通しているのは,どんなことがあろうと自分たちだけは生き抜く,という精神である。合理性,個人主義のバックボーンはそこにある。(p77)
 京都は古い伝統を守っているかのように思えるが,それは違う。(中略)京都人ほど新しいもの,モダンなもの,異国にあるものを積極的に受け入れて来た街も珍しい。(中略)新しい店だからと言ってあなどらない方がイイ。むしろそういう店が狙い目のように思う。京都だから,京料理というのは観桜客と同じで間違っている。(p78)
 それまで閑古鳥が鳴いていた店が,何名かの遊び人が,ここはと言いはじめるとたちどころに連日連夜,満杯になる。銀座の凄みのひとつだ。(p96)
 鮨屋ってものは丁寧にやってさえすれば傾くことはないんです。そうですね。粗く見積っても利は八割を超える仕事です。(中略)しっかり修行して仕事さえ身に付ければ,それから先は,少しの運があればいいんです。(p114)
 私は職人にも,店にも「美味い」とは言わない。どこかおべんちゃらを言ってるようで,こちらが金を払っているのだから,しかもそれなりの値段を取る。不味いじゃ,おかしいだろうという考えだ。(p122)
 身体の大きな鮨職人は半分以上がおかしな味覚である。名人と呼ばれた人は小柄な人が多い。(p123)
 私は,飲食店の主人は無口な方が良いと思っている。(p145)
 神楽坂は,よくぞこれだけ,どこから出て来たんだ,という高齢者で満杯である。見ているだけで食欲がなくなる。(p150)
 取材の折,私は小紙を数枚持っていくだけで,カメラやテープは持たない。自分の目で見て,それで記憶するだけである。撮影した写真で,あれこれというのは,いざ文章にする時にかえって邪魔になる。脳裏に刻まれないものを小説,文章にしても,それはどこか甘さがあるのではないかと思っている。(p162)
 正直に言って海外の酒造メーカーは百年前の味覚を百年前と同じ製法で作って売っとるんだよ。企業努力をしないので呆れたよ。(p166)
 何をやっても上手く行かない時はあるものだ。そういう時は一目散に,その場所から遁走するのが一番らしい。私も,その考え方に賛同する。(p169)
 戦争は,国と国との喧嘩である。喧嘩の場合を考えれば,迎撃ミサイルで攻撃ミサイルが射ち落とせないのは子供にだってわかる。攻撃目標,つまり喧嘩相手にむかって突進して来た者を,気楽に受けて勝った喧嘩など,この世にひとつもない。(p171)
 世間には昔から考えてもどうしようもないことがヤマほどある。答えが出ないことの方が,実は私たちが生きている社会にはあふれているのだ。(p175)
 私は二十歳を過ぎたあたりから,休日を取ったことがない。いつも仕事か,何かに追い回されていた。(p188)
 大勢の人が集まったり,群れる場所へついつい出かけるという行動は,あまりよろしくない。どこへ行ってもロクなことはない。(中略)人と同じ行動をしていると,疲れるだけである。(p190)
 本屋へ行くもよし,旅に出るのもよし,ただし思い立ったらすぐに立ち上がるのが人間行動の初期の重要な点である。(p194)
 それまでに自分でこしらえたフォームを崩さずに辛抱していると,やがてプラスの領域に自分が入りそうだという予感がして来る。(中略)その予感がすると,大半のケースがプラスになっている。(p209)
 私は気取ったり,斜に構えることができないので,ひさしぶりに逢うと,「元気だったの? どうしたかね,仕事の件は?」と声をかけてしまう。それが結果として,百人余りの人のサインで,二時間を超えてしまう。(p215)
 最初から,ストーリーも,構成も,最終シーンもできている小説は実際書いてみると,実につまらない作品になってしまうんです。(中略)これまで書いたどの小説も,不安というか,果たしてこの作品は最後まで書けるんだろうかと,ひと文字,ひと文節を手探りで進めて行った方が,何かとぶち当たることが多いのはたしかなんだ。ずっとその理由がわからなかったのだけど,もしかして,不安や恐れの中にしか核心は潜んでいなかったのかもしれないね・・・・・・(p217)
 ギャンブルで勝つということは,麻雀なら百点差でいいのである。勝ちに,大勝も,僅差の勝利もないのである。(中略)大金をせしめるだけが目的なら,ギャンブルなんぞしない方がいい。(p219)
 的中する時は,買い目が少ないものです(中略)買い目の点数を絞れるということは,その勝負への勘が鮮明なんだろうね。(p219)
 麻雀でバラバラの配牌が来た時,どんな手牌も五巡目でテンパイできるのだから,その一見バラバラに見える牌の,どこにビクトリーロードがあるのかを,真剣に考えれば,まず大きなマイナスになることはない。(p220)
 家族と言っても,家人と数匹の犬しかいないのだから,彼等がそう希望すれば言うことをきくしかない。(p221)
 絵画でも,彫刻でもそうだが,どう鑑賞するかは個人個人で受け止めることで,イイ作品は見ればひと目でわかる。それが大人でも子供でもである。どんな時代に,どんな立場で,どう描いたかは,さして重要ではない。(p232)
 ルネサンスの大パトロンであったメディチ家の礼拝堂を見た時,昔の金持ちはどれだけ悪いことをしたのだろうか,と昔も現代も金持ちのありようは変わらぬものだと思った。(p234)
 クラブを手にして,目標を決めたら,考えずに,サーッと打つことだ。(p268)
 物というものにいっさい興味が,或る時から失くしてしまった。その理由はここでは書かないが,ともかく物にいっさいこだわるということを三十代半ばでやめた。(p273)
 皆が皆同じようなフォームでスイングしていたら,そりゃビックリするような新人は出て来ませんよ。(p281)

2020年2月1日土曜日

2020.02.01 伊集院 静 『女と男の絶妙な話。』

書名 女と男の絶妙な話。
著者 伊集院 静
発行所 文藝春秋
発行年月日 2019.05.10
価格(税別) 1,000円

● 週刊文春連載の人生相談をまとめたもの。人生相談をするような人ってのは,大体がどうしようもないやつ。でなければ,ホストをおちょくってやろうという手合じゃないかと思ってるんだが,それをどう料理しておアシを頂けるものにするか。本書はその手際を味わうためにある。
 高齢者からの恋愛相談がいくつかあるのが,世相を反映していると言えるだろうか。人はいくつになっても賢くはならないものだよ。
 っていうか,80歳男性とあるんだけど,本当に80歳なのかね。そのまま受けとめた方が情緒があるので,本当なのだと思っておきたいけどね。

● 以下に転載。
 上手くなるにはどうしたらいいか? やめときなさい。ゴルフの上手いのにロクなのはいないから。(p8)
 そのミニなんとかで,身の回りのモノをどんどん捨てれば,物欲が涸れ,迷いが消える? その程度のことで消える迷いは,迷いとは言わんでしょ。いつもわしが言っとるでしょう。すぐにカタがつくよなもんはすぐにまたおかしくなると。すぐに役に立つもんはすぐに役に立たなくなると。(p9)
 手前の人生に何があったかなんてのは,死ぬ間際にチラッと振り返って見て,何もなかったナと思って死ぬの。(p36)
 今でも時々,大学の同級生と逢うのですが,野球を終えてからの人生が大切で,そこでも堂々とやり通し,大きな企業の副社長になった人や,商いをきちんとしている人には,実は現役の時,控えであった選手が多いんです。(p39)
 絵を描いた画家が何世紀の人でどういう生涯を送ったか,などということは,知る必要もありません。ただ絵画を眺めて楽しめばいいんです。(p49)
 平均寿命が百歳なんてのは,もうすぐそこまで来てますよ。大切なことはふたつ。何かを学ぶ姿勢を持ち続けること,やりはじめたらやり通す気力を常に持つことです。青二才に負けてたまりますか。(p63)
 あなたの日記が続かないのは,日記は一日の終りに書くでしょう。普通の人間は一日の終りはもう眠くてしかたないのが,日常というもんでしょう。日記をつけなかった日は,一日あなたが懸命に生きたということです。(p83)
 男というものは,死ぬまで男でしかありません。女の人が考えるより,助平で,どうしようもない生きものなんです。(p104)
 たとえ話の中に面白い部分があっても,長いスピーチをすることは,ゴルフのプレーが遅いことと同じで,私は犯罪だと思います。(p116)
 恋愛ってのは,出逢いってのは,人がこの世に生をうけた価値を証明するかなり程度のイイものだと私は思っている。(p131)
 根本はいかにやり甲斐がある仕事ができるかだ。やり甲斐のある仕事とは,その仕事であなた以外の人がゆたかになれることだ。(p136)
 “渡る世間はアホばかり”というのが,私の基本姿勢だから。(p164)
 男が女をダマすより,女が男にちいさな嘘をついて男がダマされる方が世の中は上手く行くの。カミソリみたいに切れる男なんてたいしたことないから。鈍感くらいの方がいいの。(p174)
 子供に贅沢をさせることは,一番悪い教育のやり方です。(p193)

2020年1月29日水曜日

2020.01.29 伊集院 静 『一生に一度旅してみたいゴルフコース 世界の名門22コース』

書名 一生に一度旅してみたいゴルフコース 世界の名門22コース
著者 伊集院 静
発行所 日本経済新聞出版社
発行年月日 2019.12.13
価格(税別) 1,500円

● ゴルフはやらないんだけども,読んでみた。文章の調べや勢いを味わう。

● 以下にいくつか転載。
 プロゴルファーはあまい好きではないが,彼(トム・ワトソン)は数少ない人格者のプロゴルファーである。(p13)
 優雅にプレーするゴルファーなど一人もいない。自らのミスショットに,唖然,茫然,憤怒,絶望。ゴルフは辛いことを強いるスポーツである。(p32)
 ゴルフには挑むプレーもあるが,己を律して耐える精神も必要である。アマチュアゴルファーの大半は傲慢である。なぜならほとんどの人が,反省というものを知らないし,練習をしようとしない。(p38)
 夜明け前,独りで黙々と重いカメラ機材を背負って歩き,凍てつく海風の中で震えながら,一瞬の時間を待っていたカメラマンの姿を想像する。美しいものに巡り逢うためには人は苦境に身を置かねばならない。(p44)
 記憶に残っているのは,なぜか,むなしく消えていったショットばかりである。短い半生を振り返ってみると,なぜか苦しかったり,辛かったりした日々ほど懐かしく思い出されることと似ていなくもない。(p104)
 普段,懸命に働き,週末くらいは思い切って派手に明るい服装で一日を楽しみたいという考えもあっていいだろうが,私にはそれができない。なぜか? 私にとってゴルフは人生の大切な友であるから,せめて礼節,礼儀を持ってむかいたいからだ。私にとって礼儀のひとつは,他人を驚かせることはしない,というモットーがあるからだ。(p127)

2020年1月27日月曜日

2020.01.27 伊集院 静 『一度きりの人生だから 大人の男の遊び方②』

書名 一度きりの人生だから 大人の男の遊び方②
著者 伊集院 静
発行所 双葉社
発行年月日 2019.04.14
価格(税別) 926円

● このタイトルを著者はあまり気に入っていないようなのだが,かといって編集者に文句をつけることもない。大人の男とはそういうものなのだろう。
 著者は女性にも男性にもモテる人だけれども,その理由がわかるような気がする。かといって,凡人が迂闊に真似ようなどとは思わない方が見のためだとも思う。

● 以下に転載。
 毎週,読者が感心するようなものを書くと,どうも嘘っぽくなる。人が感動したり,涙するものはどこかに企みがあると私は考えている。(p4)
 男が自立をする折,一番大切なのは,自分がまだどこの何者でもないことを,いつの時期に知るかということである。たとえその若者が,王の子供で,王子であっても,実は,その若者はただの若者でしかないことを知ることができるかどうかが肝心なのである。(p15)
 人類の歴史がはじまって以来,人間が平等なことは一度だってあったためしはない。(p17)
 若い時に度に出なかったら,それは人生の中のかなり大切なものを失うことになるのは事実である。(p17)
 なぜ荷物は最小限の方が良いか? それは旅というのはいつも危険を孕んでいるからである。(中略)危険を察知すれば,逃げるしかないのである。そんな時に,荷物をまとめなくてはいけないという状況は,愚か者の旅なのである。(p19)
 近頃の雑誌がよく特集しているような,度に必要なアイテム,なんてのはバカがやることである。(p20)
 現役時代に人一倍働き,仕事で成果を上げ,会社からも評価され,部下も育てたという人が,実は,潔く退職してから上手く行かなくなるケースが多い。(中略)なぜか? 再出発ができないのである。(p22)
 人生は晩年をどう過ごせるかで,当人の生きざま,死にざまが決まるケースが大半なのである。(p24)
 だいたい私には的中車券以外,欲しいものがない。家,車,時計,洋服・・・・・・まったく興味がない。だから家も,車もすべて私のものはない。(p25)
 私は貧乏たらしいギャンブルが嫌いなので,競輪でもそうだが,開催地へ着くと,まずその街で一番美味い料売を出す店へ行き,一番酒が美味い,バーなり,クラブへ行く。そのくらいの金を使っても何と言うことはない勝ち方をするのが“旅打ち”だと思っているからだ。(p61)
 私が言いたいのは,一人のギャンブラーがいたとして,そのギャンブラーが勝ち得る金額は限度があるということである。(中略)それは,その人の生まれ持った度量である。(p74)
 人間の手でこしらえるものの量には限界がある。それがウィスキー,スコッチの本来の姿なのである。(p93)
 私が知り得る限り,ギャンブルをする人,ギャンブルが何より好きな男たちはお洒落な音尾が多い。(中略)大前提に,--くたばる時にみっともない格好をしない。ということがあったのではないかと思う。(p116)
 まずユニホームの着方を覚えなさい。どんな格好のユニホームの着方をしても勝てばいい,という発想をするな。勝つ者は,勝つかたちをしてるんだ。(p118)
 やたらと光り物(装飾品)を付ける男で,格好のイイ男はほとんどいない。だからち言って光り物だらけの男でも,そこにバランスがあれば,それはそれで良いと私は思う。(p119)
 お洒落の基本は,何事においても無頓着にならない姿勢を持っていることが大切である。(中略)流行を追う必要などはならさらないが,流行に無頓着であったり,これを自分の中に受け入れない姿勢では,お洒落がおかしくなる。(p124)
 ほとんどの人は,スーツの上着なり,ジャケットを着た後,背中をきちんと直さない。(p126)
 私は,今でもそうだが,基本としてパーティー,宴会,慶事で人が集まる場所へ行かない。結婚式もほとんど欠席する。そういう関は苦手なのである。フォーマルと呼ばれる服装をすると,それだけで着せかえ人形をやらされているようで嫌になる。(p135)
 肝心なのは主旨がきちんと書いてあることで,基本としては簡単で,明瞭で,余計なことを言わぬことである。長い手紙にロクなものはない。(p143)
 手紙だけではなく,絵画も小説も,音楽も・・・・・・すべてにおいて“上手くやろう”と下こころを抱くとまず上手くいかない。(p148)
 手紙は夜半に書くものではない。むしろ朝早く起きて仕事の前に書く方が良い。なぜか? 夜半はどうしても人間が情緒的になる。(p148)
 目上の人へ書く時は,いつもより大きな文字で書くようにした方がよい。相手が読み辛いこともあるが,文字というものは,ちいさく書くものではない。(p149)
 それよりも少し,先を見てやれば,羨ましい,とか妬み,嫉妬というつまらない感情はなくなる。(中略)嫉妬の対象である金持ちのボンボンと自分の先ゆきを見ればいいのである。(p163)
 今から四十年近く前,作家デビューをした頃,色川武大さんから,「伊集院君,週刊大衆を支持して読んでくれている人こそ,私は本物の大人の男だと思います。そういう人たちに面白いと思われるものが書けなくちゃいけませんよ」と言われた。(p164)
 人間の身体というのは少々のことではくたばらないようにできているのだが,いったんマイナスの領域に入ると,驚くほど呆気なく一巻の終りになる。(p174)
 (ゴルフの)スロープレーに関しては良い点がひとつとしてない。(p184)
 “出逢い”こそが,もしかして生きることの,すべてかもしれないと,私が思うようになったのは,自分のこれまでの歳月を思い返してみてのことである。誰一人,出逢わなくて済んだ人がいないのである。(p191)
 プロスポーツにとって素晴らしい新人の登場ほどありがたいことはない。一人のルーキー,新人が,その世界を,今まであった常識を,こともなげに変え,そのスターを中心として,プレーヤーたちも,ファンも変わっていくのである。(p197)
 私は器用より,不器用な方が将来,大成する確率が高いと思っているし,ゴルフに限らず,ひとつの仕事をきちんとこなせるようになり,やがてその分野で素晴らしい仕事をする人の大半は,不器用なタイプだ。(p220)
 なぜ星野はあれほどのチーム作りができたのか? その答えは,情熱しかない。(中略)いったん情熱というものがひとつのかたまりになると,技量,才能を超えてしまう。(p244)
 本を読む愉しみというのは,人間に生まれて来て,かなり贅沢な趣味なのだなとあらためて思った。(p285)
 私は食とか味の話はほとんど書くことがない。それはグルメと称する評論家や,その道のエキスパートの書く文章と,当人たちの面が気に入らないからである。この連中の文章はまあひどいもので話にならないが,面はもっとひどい。(p289)

2019年6月1日土曜日

2019.06.01 伊集院 静 『いろいろあった人へ 大人の流儀 Best Selection』

書名 いろいろあった人へ 大人の流儀 Best Selection
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2018.03.12
価格(税別) 926円

● 『大人の流儀』既刊7巻からの抜粋。著者はご意見番というか,現代版長屋のご隠居というかな。ご隠居にしてはずいぶん精力的ではあるんだけど。
 たまにはこういう文章も読まないと。嘘を書かない人だよね。

● 以下にいくつか転載。
 いい時と悪い時は交互に訪れるという人がいるが,それは嘘である。運のいい人間と,運の悪い人間は明らかにいる。昔から人間が何か,誰かに祈ったり,頼み事をするのは,運,不運の存在を知り,運の悪い方に自分が入らないように願うからである。(p120)
 一度,談志の楽屋を訪ねたことがある。高座に出る直前,談志がふと真顔になった瞬間を見たことがある。ハッ! とするほど艶気があった。その折,楽屋口で談志の履物を見た。綺麗なものだった。お洒落なのだと感心した。(p125)
 幕末から明治にかけて,日本人を初めて目にした欧米の外国人が,総じて語っている日本人の印象は,“好奇心が強く,人に対して好意的で,よく笑う人々である”というものだ。この印象は多分に先進国の人々が途上国の人間を見る時に言われるものであるが,私は日本人の印象としては,そう間違っていないと思う。(p159)
 若い人の特権に,-未だどこにも所属せず ということがある。青春時代の君たちの目は,すでに私たちが失いつつある視点である。(p160)
 旅は旅することでしか見えないものが大半である。これは決して若い人だけへの提案ではなく,大人にも言える。(p161)
 「こんな酷いことが起こるなんて・・・・・・」 母親は悲痛な顔をして少年と二人で歩き続けた。母親は何度も手を合わせていた。少年はその母親に手を合わせる必要がないと言った。母親は少年が周囲の日本人から苛められ,いつも喧嘩し,彼等を憎んでいることを知っていた。だから死体を見て「いい気味だ」と口にした時,母親は少年の頬を叩いた。初めて母親に殴られた。(中略)三日後にあんなに元気だった母親が死んだ。(中略)男は別れ際に言った。 「母は自分の命を賭して,少年の私に許すこととは何かを教えてくれたんです」 やがて私は,自分が許せなかったことなど,たかが知れていると思えるようになった。(p175)

2019年5月25日土曜日

2019.05.25 伊集院 静 『誰かを幸せにするために 大人の流儀8』

書名 誰かを幸せにするために 大人の流儀8
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2018.11.05
価格(税別) 926円

● テーマはずっと「大人の男」。185万部というのはシリーズ全体での数字だろうけど,それでもかなり読まれているといえる。
 「週刊現代」に連載されているわけだから,週刊誌は毀誉褒貶あるけれども,なかなかどうして大したものだ。
 本書を読んで変われる人はしかし,どれほどいるものだろうか。グウタラは何を読んでもグウタラで,その筆頭が自分だ。

● 以下にいくつか転載。
 3・11の時,東北にいた人たちは,津波で自動車が堤防を越えて流されている映像を誰一人見ていないのである。悲惨な街の姿を見るのは一ヶ月も先のことだ。災害にしても,戦争にしても,巻き込まれた人たちは,その実態を知らないのが本当のところだろう。(p22)
 人間は少しでも,それが他人事と感じると,敢えてそれをしない生きものだ。私は備えをしないことを悪いと言っているのではない。人間はそういう生きものにできていると思っているだけだ。(p23)
 己のしあわせだけのために生きるのは卑しいと私は思う。己以外の誰か,何かをゆたかにしたいと願うのが大人の生き方ではないか。(p29)
 鳥井(信治郎)と藤沢(秀行)の共通点は「わてら,わしらのやっとるもんは無限の可能性がある世界や,知ってることを教えれば,皆がさらに高みに行けるやないか」人間の格が違うのだ。(p74)
 風潮,風評というものは,昔から根拠なき所から,唐突に生まれ,知らぬまに,それが当たり前のごとく受け入れられるものだ。始末の悪いことに,根も葉もない話の方が世間にひろがり易いという側面を持っている。(p83)
 この事件,私たちが見逃しがちなのは,被害に遭った関西の大学が,事件の状況を把握し,すぐに謝罪を求める記者会見をしたことにある。最初は,珍しいことだ,と思ったが,ビデオなどを見て,ほどなく悟った。--これは初めてのプレーではないはずだ。これまでも,これに似た状況があり,選手の生命を守らねば,と監督,ディレクターは会見の場をつくり,挑んだと言って良い。(p109)
 若い人から(子供でもいいが),何か一言と頼まれると,男子なら“孤独を知れ”と書くことがある。人と人の間と書いて人間だ,わかるかね? と口にする人がいる。何を言ってやがる。それは理屈で,道理,真理とはかけ離れたものである。理屈は,やることをやった後での無駄口の類いのものだ。(p124)
 雨の日の煙草の美味さは,絶妙である。煙草を吸う人がいなくなった国は,私は必ず滅びると思っている。(p124)
 プロスポーツは天才でない限り,若い時にいかに苦しく辛いことをどれだけやれたかで,登る山の形が変わる。大人の男の仕事もそうである。(p131)
 失敗を顔に出せば勝負事は敗れる。(p131)
 小説を書くには才能があるだけでは上手く行かない。むしろ才能,才気は邪魔になる方が多い。根気,丁寧,誠実と言いたいが,そんな立派なことではない。良質の小説と,良く売れる小説はまったく違うものだ。昭和,平成を眺めても,よく売れた作品を書いた作家を見ると,大半は性格が良くないのが多い。では売れないものを平然と書く作家はどうか? もっと悪い,かもしれない。(p153)
 私は,或る時から,物と金を所有せずと決めた。だから所有者とか,預金者というのは愚か者と読むようにしている。(p158)
 私は海外へ旅する時は,事前に,その国の地図を求め,取材ノートにまず自分で地図を描いてみることにしている。地図は国全体だけでなく,街や村でもそうする。これが訪ねた土地を歩くのにとても役に立つし,記憶がより鮮明になる。さらに言えば,街なり村なりに着くと,まず一番高い所で車で行き,土地全体を見回してみる。(p168)
 私は物というものは,使われてこそ活きるもので,家の奥に仕舞われているうちは,価値がないと思っている。物とは違うが(私にすれば物そのものだが)お金なんぞもその典型で,使ってやればいいのだ。スパッと使ってしまえば,風通しも良くなり,せいせいした気分になる。(p173)
 私の短い半生の,半分近く,私は世間からガラクタのように見られて来た。こう書くと嘘と思われるかもしれないが,事実である。「あんな男見るのも嫌だ。ただの酔い泥れの博打打ちでしょう。ガラクタよ」そういう目で私を見た男と,女はゴマンといた。承知で歩いて来た。同じ目で見られる人に逢うと,気が合うかというと,これが本当にゴミだったりするから不思議だ。それでも“かがやくガラクタ”と数人出逢った。(p178)

2018年11月5日月曜日

2018.11.05 伊集院 静 『いねむり先生』

書名 いねむり先生
著者 伊集院 静
発行所 集英社
発行年月日 2011.04.10
価格(税別) 1,600円

● 色川武大(阿佐田哲也)の作品は若い頃にあらかた読んだ。それで作った色川像と本書で描かれている「先生」はだいぶ違う。作者と作品は別なのだから,それがあたりまえ。が,読み方の問題もあるか。
 松山の“懐かしい建物”が出てくる。映画館の小屋。「銀映」のことだろうか。もちろん,今はない。

● 以下に上手いなと思ったところを転載。
「ボクはやめました。今の小説を読んであらためてよくわかりました。才能がまるっきりありません」「才能なんて必要なのかな」 Iさんは言って首をかしげた。「一番大事なところじゃないんですかね」「そうかな・・・・・・ボクはそうは思わないな。必要なのは腕力やクソ力じゃないのかな」(p289)
 街は用もないのに屯ろしている者の数の多さで,懐の深さがわかる。(p294)
 十五分,三十分先に起こることを推測し,それを絵図に描き,描いた絵に惜しげもなく金を放り込む。遊びと言ってしまえばそれまでだが,普段人が為している行為もこれと大差はないような気もする。(p350)

2018年7月8日日曜日

2018.07.08 伊集院 静 『悩むなら,旅に出よ。 旅だから出逢えた言葉Ⅱ』

書名 悩むなら,旅に出よ。 旅だから出逢えた言葉Ⅱ
著者 伊集院 静
発行所 小学館
発行年月日 2017.07.31
価格(税別) 1,400円

● 『悩むなら,旅に出よ。』ながら,トラベルについて書いているわけではない。絵画や美術館の話だったり,ゴルフの話だったり,死に別れた友の話だったりする。人生という旅,を扱っているように見える。
 人生にはまさかという坂があることを体験した人ならば,共感を持って読み進めることができる。

● 以下にいくつか転載。
 同じ旅でも或る程度年齢を重ね,判断力が培われていると,それが邪魔をして,実はそこにかすかに見えている新鮮なものを見逃すことがある。(p29)
 画家という人々はすべからくそうらしいが,苦難を前にしても自身に情熱がたぎっていれば障害など何ともないらしい。(p32)
 上手くいかないのが私たちの暮らしですよ。なあに急ぐことはありません。悠々としていればいいんです。そういう仕事も世の中にはあるはずです。(p37)
 人生の経験(失敗でもいいが)を積まないと見えないものは世の中にたくさんある。そう考えると若い時に見過ごしているものがいかに多いかがわかる。しかし若い時にしか見えないものがあるのも事実である。(p57)
 若い人に学問(仕事,物事と言い換えてもいい)を教える行為と,それを教わろうとする若い人の向学心(探究心,志しでもいい)の間にあるものは,私たちが生涯で経験するものの中で,かなり上等なものだと私は思う。(p61)
 さまざまな五感の中で,旅人が意外と印象深く記憶しているものに飲食がある。私は美食家ではないし,個人的には,食にこだわることを卑しいと思っている。しかし美味しいものは,口惜しいが,よく覚えている。(p70)
 物事は何でもそうだが,最初に,それをはじめた人の勇気,精神力,忍耐強さに感心する。(p72)
 ゴッホが到着した翌日,アルルは雪の日となり,それでも生真面目なゴッホは画帳を手に写生に出かけ寒さに震えながら絵筆を握っている。(中略)ミストラルは私の想像を越えた寒さだった。--よくこんな環境で創作にむかえたものだ・・・・・・。(p84)
 私は同郷の出身であるが,種田山頭火は好まないので,そうなんだ,と返答だけをした。世間の人は,放浪,彷徨などと呼び,俳人がさまようことに憧れたり,時には讃える文章を目にするがその実体は決して美しくもなければ,そこに俗に言うロマンのような甘美なものはないと私は思っている。(p92)
 バーはバーテンダーの存在に尽きる。(中略)一流とそうでないバーテンダーは顔を,カウンターの中の所作をほんの少し見ればわかる。(中略)ほんの少しの所作でわかるのは,彼等が修行を積んでいるからである。顔でわかるのは仕事に誇りを持っているからであろう。(p98)
 人間には本当に必要なものがある。それを提供できる仕事を,本物の仕事というのではないか。(p107)
 私は自分が,或る時期,遊び放題の放埒な暮らしをして来て,なお今日,目覚めてほどなく仕事を始める習慣を続けてこられているのは,人のお陰もあるが,目覚めの茶にあると思っている。(p119)
 私たちの日々の暮らしの中で,その日ひとつだけでも新しい,瑞々しいものと出逢うことがあったら,それは素晴らしい一日ではないか,と常々思っていたからだ。(中略)新しいもの,瑞々しいものは,それがどこか劇的なものに思っていたのは私の先入観で,いつもと同じように時間が過ぎて行く中に,そういうものが常に私たちの周囲にあるのではないか,と思いはじめた。(p136)
 千年生きた木を使って,建物なり,木工品でもこしらえると,それは千年の間,きちんと役割を果たしてくれるらしい。それが千年もたない時は,その木を使って何かをこしらえた技術が未熟,または技術が悪いのだと言う。(p137)
 現代人は何もかも知ろうとして,日々の情報に目をむけるが,大切なものはそういうものの中にはないと語っているように思えた。(p139)
 美しいものは,その作品の前に立ち,ただ鑑賞すればいい。他には何も必要ない。そこであなたのこころが揺り動かされることがあったら,それが作品のすべてである。(p144)
 私たちは生涯を通じて素晴らしい仕事をした人を,絵画なら巨匠と呼んだりするが,その巨匠も,最初から本能や能力があったのではない。そこには必ず,大切な人との出逢いがある。これは百人の巨匠の内の九〇パーセント以上の人が出逢いによって新しい創造の標べを得ているということである。(p152)
 (熊谷)守一はこう述べている。「絵はそう難しく考えないで見たら,それで一番よくわかるんじゃないかと思います。絵は言葉と違いますから・・・・・・」(p159)
 ダリは女性の中に自分の創造のヒントと力を求めた。ダリの将来を決定づけたのは人妻,ガラとの出逢いだった。ダリは恋に落ち,それ以降,ガラはダリのすべてとなる。あらゆる制作物はガラのために生まれる。その徹底振りに驚くほどだ。(p165)
 子規という人物は,ともかく何か自分が魅了されたものがあると,他のものはすべて放って夢中になった。よく言えば情熱的な性格であろうが,子供っぽい,少年のような気性が生涯抜けなかった拙さもある。しかしその性格は私が子規を好きな理由でもある。(p189)
 “安物買いの銭失い”が一番あかんのや。人間がこしらえたもんには,それ相応の値が付くもんや。その人が,それを作れるようになった時間を買うのんが,大人の男の持つ道具やで。(p243)

2018年6月20日水曜日

2018.06.20 伊集院 静 『女と男の品格。』

書名 女と男の品格。
著者 伊集院 静
発行所 文藝春秋
発行年月日 2017.05.20
価格(税別) 926円

● 身の上相談あるいは人生相談。ろくな相談がない,もう辞めたいよ,と著者は本音(?)をもらす。実際,そうだろうと思う。
 相談するという時点で,なんかもう人間失格という感じもする

● 一方で,かなりシリアスな告白もある。身近な人の死や深刻な病気など。そうしたものに対する回答は著者の独壇場。
 相談者には申しわけないが,読んでいてスカッとする。

● 以下にいくつか転載。
 それで,あなたの心配は,三代続いた女たちの苦労が,この先も続くのでは? ということですか。私の勘ですが,そりゃおそらく続くでしょうな。どうしてかって? それはあなたが男たちの面倒をみるからですよ。(p5)
 他人の哀しみを理解しようとしてはいけません。しかしその哀しみに手を差しのべたり話に耳を傾けるなど,ともに生きる姿勢を持っている人がいれば,必ず笑う日がやってきます。(p10)
 職人の仕事で気ばっかり利いていたら,そりゃ二流で終わる。すぐに理解できるんじゃ,たいした仕事はできない。これまで私が立派な職人さんたちと話してみると,名人(別に名人じゃなくていいが)までなった人は,皆共通して,若い時は不器用そのもので,と語る人が多いもの。(p11)
 次から次に出版される新しい本をできる限り読もうなんてしてはダメだ。読書が辿り着くところは,君が,運命の一冊に出逢うところにあるんだ。(p13)
 すぐにわかる本は底が浅い。本というものはわからない所が必ずある。それがやがて人生の経験とともに理解できる日が来る。そう考えると,読書はそれだけでは意味がないということだ。本をよむかたわらで,きちんと日々を生きてる人にこそ良書との遭遇があるということだ。(p14)
 相談の大半は,自分はこうしたいんだが,それを賛成してくれて,背中を押してくれる人を見つけたいんだよ。(p24)
 人が人を救ったり,忠告,助言で,何かが変わるってことは,実はほとんどないんだ。相談ごとの会話ってのは聞き流すのが最良の方法なんだよ。(p24)
 あれに(セックスのことだが)特別の技術を持っとる男なんてのは,実にくだらん奴ばかりだよ。(p52)
 人を疑うことは,つまらない結果にしかならんのは,これ昔からの常識。(p67)
 他人に何かをしてやったという感覚を持つ人間を,わしゃ卑しいとしか思わんしな。本来,人は人を救ったりできる生きもんじゃないんだよ。言ってもわからんだろうが。(p70)
 家族というものは,世間の大半の人間があなたの家族を咎めても,社会のしかるべき人々(警察官や裁判官)があなたの家族を罪人と認めても,当人がそんなことはしてないと言うなら,世の中で唯一信じてあげるべき存在なんだから。(中略)家族というものは,或る時には,社会より大きな存在であってかまわんのだよ。世間で振りかざす“正義”なんてものは,怪しいものがほとんどだから。(p73)
 傲慢というのは人間が本来持ち合わせているもんだから,簡単には消えんぜ。生かされとるとあなたは言うが,誰が生かしてくれとるのかね。わしら自分のバカ力で生きとるんじゃないのかね。最後に感謝だが,感謝なんて口にだしてするもんかね。(p75)
 芸能人の半分以上は,普通の人間とは違う人種ですから。どういう人種ですかって? そうですね。やさしそうに見える人は,まずやさしさはありません。クイズ番組で難しい問題をすらすら答える人は,まずバカです。正義の味方が似合う人は,ほとんど悪人です。(p77)
 大人の男が,父親が,赤ん坊の笑顔を見て,丈夫に育てよ,きちんと育ててやるぞ,と一度思ったんだから,それを貫くのが,大人の男でしょう。(中略)相手は,女と子供だよ。女と子供が辛い思いをすることを,大人の男が口にして,どうするんだ。(p79)
 世の中には,それをわざわざ引っ張り出してきても“解決がつかない問題”というのが,昔からいくつもあったし,今もあるの。それが世間というもので,人間が生きるってことなの。“解決のつかない問題”はそっとしておいてやるのが大人のツトメなの。(p80)
 よくある,高層ビルの最上階で,デザイナーブランドの高級家具にかこまれ,休日はシャンパンとワインでなんてのは,どう見てもバカがやることでしかないのは少し考えればわかります。(中略)金を得ることが悪いとは言いませんが,それをどう使うかはセンスの問題です。(p93)
 世の中はいつもひと握りの人間に富が流れるようになっていて,その連中に品性,人格を求めても無駄。その連中はいずれあわれな末期を迎えます。金満家の子供がバカにしかならないのも,そのあわれな末期が時期遅れで来ているのです。(p94)
 (出された料理をスマホで撮影することについて)顔も見たことがない相手に,何か自分のことを主張したいという,その根性が卑しいし,くだらんよ。(p95)
 子供が欲しいと望んだものを,すぐに与えたら,将来とんでもない人間になるに決まっているでしょう。(p98)
 自分が何者かを見つめる時間を,旅は与えてくれるということなんだ。その時間と出逢うためには,実は旅の中に,何もしない時間がなくてはダメなんだ。訪ねた土地をただ目的もなく歩くとかね・・・・・・。(p100)
 人間の心配事や悩みの大半は,当人が勝手にいろんなことを思い過ぎることが原因なんだ。悩みの対象に,それを真っ直ぐぶつけてみると解決するものが,これも大半だ。(p102)
 仕事をしたり,何かを一緒にする人を選ぶ基準のひとつとして,運の悪い人,ツキのない人はなるたけ遠慮してもらうのは,これは世間の常識だから。(p112)
 一度結婚に失敗して,そして次から次に彼女が変わったということは,はっきり言わせてもらうと,まともなつき合いが一度もできていないということだから。(p114)
 ベストセラーの中の美談というものは,スキャンダル・醜聞と表裏一体なのは昔からの常識だからね。(p116)
 昔から,人は老いてからもうひと踏ん張りというのが,当たり前で,皆そうして来たんです。次に,奥さんの家計のやりくりですが,これはあなただけが被害者ではなく,大半の家庭がそういうものです。(p117)
 高齢というだけで,希望や,まぶしくてキラキラしたものと無縁になるはずはないという,信念が私にはあるんだよ。(p119)
 人間が一人でできることには限界があるし,きちんとしたことはすべて他人とともに築いたものなのです。(p124)
 女性という生きものは,私たち男より何倍もパワーを持っている上に,こういう出来事を決して忘れないという,おそろしい執着力を備えているんだよ。女を舐めとると,命取られるよ,ホントに!(p127)
 若い時の,青二才の,傲慢ほど醜いものはないからね。自分が他の連中と違って何かを持っていると思い込むことの愚かさがわかっとらんのだよ。(p139)
 自分にとって都合のイイ生き方をどこかに用意している輩は,この先,何をやっても,まともなことはできないから。(p139)
 大切なのは,目の前にあるものをどう受け止めるかだよ。どう受け止めるかというのは,あなたも娘さんも明るく笑って生きる道が必ずあるってことだ。(中略)嘆くより,笑わなきゃ。(p156)
 女性たちの領域でなされることは,彼女たちに預けた方が,結果として良い方向へいくケースがほとんどです。(p159)
 まず確率論をやめること。こまかい情報に左右されない。流れに逆らわない。荒れる日は荒れる目を追う。もうそろそろ固いのが来るという発想が一番愚かなことだ。ギャンブルは生きものだから,その日に出た流れは易々とはかわらない。(p168)
 遅れないで行くのは礼儀だ。誰だって寝坊したいし,楽をしたい。(中略)大事なのは誰も皆楽をしたいが,そうしてないことをわかることだ。(p177)
 “遊びは卒業”なんて言ってちゃダメですよ。くたばるまで遊び続けて,前傾姿勢で倒れて,それでオサラバがやはりまとまりがいいですナ。(p193)

2018年6月17日日曜日

2018.06.17 伊集院 静 『さよならの力 大人の流儀7』

書名 さよならの力 大人の流儀7
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2017.02.27
価格(税別) 926円

● タイトルの「さよらなの力」とは,次のようなもの。
 苦しみ,哀しみを体験した人たちの身体の中には,別離した人々が,いつまでも生きていて,その人の生の力になってします。だからこそ懸命に生きねばならないのです。(p187)
● 以下にいくつか転載。
 生きることが哀しみにあふれているだけなら,人類は地球上からとっくにいなくなっているはずだ。では別離は私たちに何を与えてくれるのか。(p3)
 文章は才能で書くものではない。文章は腕力で書くものである。腕力とは文字そのまま腕の力である。つまり体力が文章を書かせるのである。体力の素は,気持ち,気力である。(p45)
 私に言わせると,金で買えるようなものは碌なものではあるまい,となるが,そう言っても理解できまい。(p47)
 少しとぼけて生きることは大切である。(p56)
 職業というのは,要は覚悟である。(p56)
 私は自分の過去を振り返り,あれこれ思ったことは一度もない。これは性格なのだろう。亡くなった父親にも,そういうところがあって,昔話をしている父親を見たことがない。(p66)
 芥川龍之介も川端も,なぜいまひとつ作品を認め切れないかと言うと,自死には彼等が自分を特別な存在と信じ込んでいる傲慢さがうかがえるからだ。(p72)
 私は修羅場を目の当たりにすると,ひどく冷静になる。それはたぶんに私が少年の頃,何百回と相手に殴られて来たからだと思う。(p73)
 私については,その野球の時以外は日記を書いたことはない。だいたいが,私は過去でも,朝から起きたことでも,それを覚えないどころか,ほとんど興味がない。自分が書いた小説を読み返したことは一度もない。アラが目立って,情ないやら,腹が立つからである。(p93)
 種田山頭火は,或る冬,自分の日記を焼き捨てたらしい。 焼き捨てて 日記の灰の これだけか 私はこういう俳句を詠む男が好きでない。わざわざ焼き捨てたことを書くか。そこの私の嫌悪するナルシズムを感じるのだ。(p94)
 見渡す限りの人が,どうしようもない人と決めつけたものが,どうにかなるはずがない。法を犯してない,ということよりも,どうしようもない奴だ,許せない,と言う感情が,法を越えた。(p109)
 武器というものは,昔から机上の空論が大半で,実にバカバカしいものに人件費が使われ,原題も同様で,まずミサイルを撃ち落とすことはできない。少し考えれば,それが常識なのはわかる。(p118)
 人は,他人が自分と同じ哀しみを抱いていると思った時,初めて自分が抱いた同じ哀しみを静かに打ち明ける。(p154)
 弟,前妻以外にも多くの友を半生の中で亡くし,年齢の割にはそれが多すぎて,私のほうに問題があるのではないかと考えたこともあります。考え続けた結果,「いつまでも俺が不運だ,不幸だと思っていたら,死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが,輝いた人生だったと考えないといけない」と思い至ったのです。というより,そうするしか生きる術がなかった。(p182)
 たとえ三つで亡くなった子どもだって,その目で素晴らしい世界を見たはずです。だから「たった三つで死んでしまって可哀想だ」という発想ではなくて,「精一杯生きてくれたんだ」という発想をしたい。そうしてあげないと,その子の生きた尊厳もないし,死の尊厳も失われてしまうのです。(p186)

2017年5月31日水曜日

2017.05.31 伊集院 静 『無頼のススメ』

書名 無頼のススメ
著者 伊集院 静
発行所 新潮新書
発行年月日 2015.02.01
価格(税別) 700円

● 若い人に向けた人生案内。といって,年寄りが読んで悪いわけではない。
 巻頭に本書の肝が記されている。
 無頼とは読んで字のごとく,「頼るものなし」という覚悟のことです。何かの主義やイズムにせよ,他人の意見にせよ,自分の頭と身体を使って考えるのではなく,いつも何かに寄りかかって生きようとする人には,狭量さと不自由がついて回ります。(p3)
 自分はどうしようもない人間で,ひどい怠け者なんだ,と自分自身の弱さをとことん知っておくことが無頼の大前提です。(p6)
● 何を語るかではなく,誰が語っているか,どう語っているかが説得力を決める。本書は著者自身がペンをとって書いたのではなくて,たぶん口述筆記。ではあっても,著者の語りは損なわれていない。
 あらゆる分野の権威に屈しないという著者の面目は,本書でも存分に発揮されている。権威に屈しないというのは,真贋を判別する目が確かだということでもある。

● 以下に転載。
 正義について語るのは,「ありもしない話」をすることと同じだろうと思います。(p20)
 情報をかき集めるだけでは能がないし,もともとその種の「情報」というのは,流したい側と読みたい側が一致したところで得られる,全体としてみれば小さな枝葉にすぎないのです。(p26)
 ネットの中には気配がない,風が吹いていない,匂いもしない。幽霊だって気配ぐらいはあるというのに幽霊でさえない。無機質なデータと色があるばかりです。(p33)
 生涯ほとんど本を読まなくても,まっとうな仕事をして,素晴らしい人生を送るという人はいくらでもいる。(p35)
 「世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ」 それが私の理論で,昔も今も世の中では悪党のところに金は行く。(p40)
 戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったら,たかが黄色人種一人が死のうが生きようが,この世界にとっては何でもないんだな,と身にしみてわかるにちがいありません。それこそが「世界」を知るということで,どれだけネットで情報を集めても,決して世界のありようなど分からないのだと私は思います。(p44)
 辛酸と苦節続きでどうしようもなく苦しくて,とてもそうは(苦労は買ってでもしろ,とは)思えないときこそ,本当の「個」をつくるために必要な時期で実は恵まれているのだ。そう考えてもらいたいのです。(p49)
 いじめの根そのものを誰もが持っている以上,世の中に出てもなくなりはしない。だから,要は怒れるかどうか。怒れれば,乗り切れるはずです。(p55)
 人前での土下座,まして号泣するなんて話にもならない。言い換えれば,「目立つことはするな」ということです。自分は輪の中心にはいたくない,という発想ができるようになったら「個」として生きていける。(p65)
 平和主義がよくて軍国主義はダメだとか,そういう議論がしたいのではなく,自分の家族や仲間が蔑まれたり,殺されたりするなら,まず「怒る」ということが大前提だと言いたいのです。戦争は,泣き寝入りしていればいずれ嵐は過ぎ去る,という考え方では解決できるものではない。(p81)
 他人に自慢話をしたがる人は驕り者と考えた方がいいし,自慢話のほとんどは自分に都合のいいそらごとです。いくらか事実が含まれていたとしても,自慢したところで何の役にも立たない。単にその人が,他人の評価を気にしすぎているという証拠にすぎないのです。(p88)
 「セックスとは,果てるたびに小さな死と出会うこと」 ジョルジュ=バタイユのこの言葉は,それだけで人類史に残るものではないかな。(p94)
 人間というのは何をするか分からない生き物なんだ,ということを忘れてはならない。「えっ? なんでこんなことするの?」という場面に置かれたり,「こんなのアリ?」という状況に置かれたときに,「いや,人間なんだから,これぐらいやるだろうよ」と思えるかどうか。それは,世の中を生きていく上でとても重要なことです。(p106)
 私に言わせれば,そもそも人間というのは,自分の中にどうしようもない連中が何人も集まってできているようなもの。(中略)個人だといっても実は個ではない。いいものも悪いものもたくさん抱えながら,何とかかんとか生きていく。(p119)
 最近は大学入試を面接で決めるという話も聞きますが,(中略)たかだか十分程度の面接をする教師の器でしか生徒をはかれない。タカが知れている器で比較するための,別の条件をつくりだすだけではないのか。(p121)
 私は作詞の仕事でジャニーズ事務所に縁があって,あるとき事務所の車に乗せてもらったところ,運転手さんがいいました。「最近,立て続けに三回も追突されたもので,近いうちに川崎大師に厄落としに行こうと思ってるんですよ」 (すると)隣にいたメリー喜多川さんが身を乗りだしてこう言ったのです。「あなた,それは見当違いよ。今,向こうから運がパッと来てる。そう考えなさい」 なるほど,こういう考え方をするから巨万の富を得たんだろうな,と分かる気がしました。確かにメリーさんは,運がないというのか,何かを「持っていない」人を近寄らせないようなところがある。(p136)
 メリー喜多川さんは八割の悪党の中には入らないようだね。
 世間では,小説は才能が生み出すものと考える人は多いようです。けれど,わが身になぞらえて言うなら,ほとんどは気力と体力で,かつて吉行淳之介さんに言われたように,そこに宿る何ものかにすがって最後の一行まで書き上げることを繰り返してきたにすぎません。(p146)
 世間からエリートと呼ばれているような人には,自分はもともと「持っている」という大きな錯覚があって,東大なんか出ていると,社会に出ても自分は他人より優れているんだ,と頭から信じて疑わないところがあります。裏を返せば,どこまで行っても他人の評価が基準になっていて,自分の基準で「個」として考えることができない。(p151)
 「差し伸べている手の上にしかブドウは落ちてこない」ということです。(中略)無心で何かを見つけようとしている目,手を差し伸べて何かをつかもうとする姿勢が常になければ運は向いてこないのです。(p155)
 運や流れを引き寄せるのに必要な心構えを挙げてみよう。 うつむかない。 後退しない。前のほうへ行く。 それからウロウロする。(中略) そしてなるべく人のいるところへ行く。(p155)
 才能があり,素晴らしい作品をいくつもこしらえているのに,時代に合わず埋もれていった人はいくらでもいる。彼らには運がなかったのだ。そして歴史に名を残した芸術家は,みな時代とめぐりあっているのです。映画の世界でも,チャップリンがヒトラーと同時代を生きていなかったら,あれほどの名優として活躍していただろうか。(p161)
 いくら時代にマッチしたとしても,その作品に「核」となる何かがなければたちまち忘れ去られ,後世に残ることはありません。(中略)先が見えた「上手」より,先の見えない「下手」のほうがスケールが大きい(p162)
 スイスやオランダのように陸続きで国境があって,長いこと戦争や覇権主義にさらされてきた国のチームというのはどこもしぶとく,なかなか負けない。(中略)それに比べると残念ながら,日本の選手たちは弱々しく見えてしまった。(中略)私が感じたのは,顔つきが象徴する「球際」につきる,ということです。ここで取れるか取れないか。どちらがやるかやられるか。そういう場面で相手チームの選手とは顔つきが違う。すると一歩競り負ける。違いを突き詰めていくと,根源的な闘争心の有無かな,と思います。(p166)
 そうした偉大な科学的真実というのも,実はたったひと握りの天才のためにあるのではないか,ということです。(中略)何百年かに一度現れる人間とは思えないような天才がいて,世の中をパッと変えてしまう。(中略)中には何十年もかかって勉強と研究と発見を重ねる人もいるけれど,彼らには宇宙の成り立ちのような大きな発見は最終的にはできない。大発見の前段階までの基礎工事をする人たちです。(p171)
 技術とは,人間が信じるほどのものではなくて,実は曖昧で無責任なものではないか。(p174)
 年がら年中,飛行機に乗っていてつくづく感じたのは,「人間というのはカニみたいなもんだな」ということでした。陸地にへばりついてあっちに行ったりこっちに行ったり,時々,縄張りを争って戦争する。(中略)空の上からみた個人なんて,画面の中の砂粒みたいなもので,財産がいくらあるとか,名家の血筋だとか,非の打ちどころのないキャリアだとか言ってみても,人類全体として考えたら,どうでもいい,取るに足らないような差でしかありません。(p175)
 胃がんは,わりあい神経質で嘆き体質の人がなりやすいという。手術して切りとっても,「再発するんじゃないですか?」と医者に聞き続けるような患者ほど再発するという。わかる気がします。(p184)
 牧師さんや坊さんと話をするのも好きだし,ああ話をできてよかったなと思うことだってある。でもそれは案外少ないようです。何だか詐欺師みたいだと思うことも多い。前に,千日回峰行を成し遂げて大阿闍梨になられた方に会ったことがありますが,悟りを得た上人様というより,どこか常人にはないエネルギーを感じたものです。(中略)どこかアブナイ(p189)

2017年5月4日木曜日

2017.05.04 伊集院 静 『旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺』

書名 旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺
著者 伊集院 静
発行所 集英社
発行年月日 2017.03.29
価格(税別) 1,400円

● 伊集院さんの小説は一冊も読んだことがない。まず「いねむり先生」から読んでみたいと思っているんだけど,まだ果たしていない。
 が,エッセイ集はだいぶ読んでいる。本書もそのひとつ。

● 酒,ギャンブル・・・・・・,いずれも常人には想像できない深みに達して,しかもそれでいて,常軌から外れに外れて破綻に至る,ということにはならずにいる。
 競輪に狂っていた老人(今は故人)を知っている。奥さんはそれが原因で精神に異常を来し,元に戻らない病気になってしまった。こういう人はけっこういそうだ。
 弱い人間はギャンブルなどに手を出してはいけない。ましてやそこに淫してはならない。と,思っている。自分は弱い人間に属することもわかっているので,ギャンブルに手を出そうと思ったことはない。
 つまらない男はつまらないなりの生き方をしなきゃしょうがない。

● 伊集院さんのような人は,要するに稀な存在だ。ロールモデルにしてはいけないと思う。
 生命力の核が強靱な人なのだと思う。なぜ強靱なのかといえば,そういうふうに生まれたからだと言うしかない。努力でどうにかできる部分ではないように思う。

● 以下に少し多いかもしれない転載。
 私たちにはこの世に生まれてきて,やってみなくてはいけないことがいくつかあると,私は思っています。 それをせずに死ぬということは,生きることへの冒涜(いささかオーバーですが)ではないかとさえ,思います。(中略) 私にとって,この世に生まれてきて,これをしなくてはならないと思えるものは,断然,旅なのです。(p24)
 その土地に足を踏み入れたなら,目で見たもの,見えたもの,歩きながら身体に伝わってきたもの,酒でも食事でも口に流しこんだもの,耳から入ってきた音色,犬のように鼻を鳴らして嗅いだ匂い,肌で感じたもの・・・・・・それらすべてを実感だけで捉えるのが,私のやり方です。その体験の積み重ねだけが,旅人の身体のなかに,何かを泌みこませるのだと私は信じています。(p29)
 晩年に書かれた作品の一節だから,事の真偽はわからない。作家の大半は己の時間を美化し,平気で嘘をでっちあげる輩だから。(p32)
 なぜ軟弱なのか。それは連るむからである。一人で歩かないからである。“弧”となりえないからである。連るむとはなにか? 時間があれば携帯電話を見ることである。マスコミが,こうだと言えば,そうなのかと信じることである。全体が流れだすほうに身をまかせることである。(中略) 弧を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである。(p34)
 想定する生には限界がある。所詮,人が頭で考えるものには限界がある。想定を超えるものは,予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。(p43)
 国境が動いているのは今もかわらない。なぜなら人類は常に流動する生きものであるからだ。世界史は民の流動を記録したものでもある。国家はそこにあり続けるのではなく,そこに停泊しているに過ぎない。(p44)
 スコットランドにどうしてあれほどの数の酒造工場が点在しているのかを,ご存知か。それは,かつてウィスキーにとんでもない重税が課せられた時代に,酒好きの男たちが山のなかや海辺の小屋で酒の密造をしたからだ。(中略)元を辿ればひと癖もふた癖もあった連中があの味をこしらえたのだ。だから美味なのである。(p45)
 英雄は大衆のあやうい精神状態のなかから創造され,大衆と国家を津波のように動かしてしまう。(p57)
 どこで,どうやって,誰に,なぜ・・・・・・などという発想を捨てることだ。たださまよっていさえすれば,街はむこうから君を抱きにやってくる。何も考えずとも遭遇は隣の席に平然とあらわれる。(p66)
 旅人にとって大切なことのひとつに五感を磨いておくことがある。足を踏み入れた土地を,目で,耳で,鼻で,舌で,肌で,知覚することだ。鍛えられた五感は護身用のナイフより,脱出の際に見張り番に渡す袖の下の金より,旅人を生きながらえさせる。鋭い知覚は武器と言ってもいい。旅先で,旅人が思わぬ事故で死んでしまう原因は,ほとんどがこの五感の欠落による。(p74)
 百年前も,五百年前も,千年前も,そこだけずっと繁栄している場所がある。おそらく百年後も,五百年後も,千年後も栄え続けるだろう。 栄える場所と滅びる場所を決定するものは何か? それは場所の,力である。安堵と快楽を感じさせる力だ。土地にそんな力があるのか。間違いなくある。(p81)
 神を信じる土地に入ったら,神を否定しても仕方がない。(p82)
 厄介から逃げるのもひとつの術だが,生半可な逃亡は十中八九,背中から撃たれる。(中略)逃げるなら,大逃げを打つことだ。大逃げの難しいところは形振りかまわず逃走しなくてはならないことだ。(p88)
 旅に出て,その街を知りたければ酒場か娼家に行くことである。懐具合が気になれば酒場がよかろう。それもなるたけ場末の酒場がいい。(p116)
 娼婦を太陽の下に引っ張りだすな,と先達は言った。この言葉,やはり名言なのかもしれない。(p121)
 世界の名だたる都には見事な川が流れていると言ったが,それらの川には共通した風情がある。風情の正体は哀切である。哀切は都についてまわるものだ。 都に住む大半の人々は,都で生まれ育った人ではない。(中略)大半の人は疎外感をどこかに持っている。(p123)
 どんな人であれ生まれて死するまで順風な生を送れる者はいない。(中略)そんなことはこれまでなかったと言う人がいたとしてもいずれ厄介事,災いは訪れる。己一人ではどうしようもないことをかかえこむのが,生というものなのである。それゆえ,人は己以外の何かに依るのである。(p146)
 その神とて人が創造したものである。神が人のかたちをしていることがその証しだ。人間自体に欠落があるのだから,人が創造した神に欠落したものがあって当然である。そうであっても依るべきものがあれば人は安堵を持てる。(p147)
 多くの画家の作品のなかに置かれているとゴッホのあきらかな違いがわかる。かなり離れた場所からでも一目でゴッホとわかる。近代絵画の群れのなかでも彼の絵画は他のどの画家とも違うことが子供にでも理解できる。察知できるのだ。群れのなかでまぎれることがない。(p154)
 人が寄るべきものを探しあてられなければ他人,宗教,権力,名声,金・・・・・・に依って生きながらえようとするのだが,そえらのものに価値を見出せなければ(実際,価値などないのだが)探し続けるしか生きる術はない。 ゴッホはそれを実践した。実践の過程に創作活動はあった。(p156)
 いとおしい者へ惜しみない愛情を注ぐ。己のことよりも,いとおしき者へすべてを与える。そうせざるを得ない性癖。これこそが魔物なのである。惜しみない愛情は美徳という考えがある。私はそれを信じない。偽善とまでは言わないが,他人にやさしすぎることは,大人の男がなすことではない。(中略)他人に何かができると信じることに過ちがあるのだ。(p158)
 美術を学校で学んで何が生まれるというのだ。美術というものは欲望の具象化である。(p163)
 人は何を創造したかではない。何を残したかでもない。何とともに生きたかではなかろうか。(p171)
 文学の誕生するところは人の本能の善の領域からも発するが,その大半は善以外の領域を見る目から生まれる。それは人が善をなすより,それ以外の行為に走るからである。(p179)
 本当に魂というものは存在するのだろうか。私にはわからない。できることならそのようなものが存在しないほうがいいと願う。こうして文章を綴り,旅に出て彷徨した自分の時間が跡かたもなく失せることを望む。そう思っている大人の男は多いはずだ。 私の周囲でも,何人かの友がそんなふうに見事に立ち去った。彼等は生き残った者に名残りさえ与えない。それが大人の男の処し方のような気がする。(p188)
 よほど幸福な日々を送ってきた人でない限り,過去を追憶して充足感を抱く人はいないのではなかろうか。私にとって過ぎ去った時間は苦いものや忌まわしいものがほとんどだ。これから先も過去を懐かしんで気持ちが安らぐようなことはあるまい。(p192)
 若いということは肉体的にも精神的にもたぎるものがうちにあることで,その内包したものは常に自己中心に発散される。しかもその発散は大半が出すべきところを誤っており,他人に何らかの迷惑をかけている。(p192)
 賭博の基本を教わった。賭け事のベースにあるのは記憶力である。そのデータだけが,その人のギャンブルの腕を決める。打っている間の大半は,シノグことでしかない。記憶と流れが一致したとき,打って出る。いったん打って出たあとは,定石も加減もない。常軌をどれだけ逸脱できるかで,賭け事の高が決する。しかしそんなときは,半年に一度もない。(p219)

2017年3月13日月曜日

2017.03.10 伊集院 静 『不運と思うな。 大人の流儀6』

書名 不運と思うな。 大人の流儀6
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2016.07.04
価格(税別) 926円

● タイトルの由縁は次のようなもの。
 天上へ行った人々。海の底に,土の下に眠る人々。哀しみだけを想うのをやめなくてはならない。どんなに短い一生でも,そこには四季があったはずだという言葉がある。笑っていた日を想うことが,人間の死への尊厳ではないか。(まえがき)
● 今年も3.11が巡ってきた。6年目になる。ぼく個人も昨年6月に19歳のひとり息子を亡くした。
 この時期にこの本を読んだのは偶々である。偶々ではあるが,染みてくるものがあった。そうしたことを書く資格のある人が書いているからだと思う。

● 以下に転載。
 奇妙なもので,近しい人を亡くすと,世の中に,これほどの数の同じ思いをした人がいたことを知ることになる。家族の誰かしらに不幸があるのが世の中の常なのである。(p18)
 人は泣いてばかりで生きられない。泣いて,笑って,正確には,笑って泣いて笑う,が人の生きる姿である。(p19)
 他人事なのである。(中略)それは彼等の言葉,表情を見聞していればすぐにわかる。(中略)キャスターという仕事(彼等にとっては商売でもいいが)はつくづくおそろしいものだ。彼等は身が危険な間は決して現場に行かない。戦争をはじめた政治家が決して戦場にいないのと同じである。(p43)
 先に着き,座敷で待っていると,店の者の声で談志さんがあらわれたのがわかった。普段は無愛想な鮨屋の主人が,やや高い声で,師匠よくお見えに,と声が届く。一分,二分の男ではこうならない。千両が顔を出すと,場が華やぐのが世間である。(p48)
 娘さんを探している父親にお願いがある。 あなたが明るい顔で笑えるものを探しなさい。それが生き残った者の使命です。 「いやです。自分一人がしあわせなんて」 それはわかるが,自分一人が笑う方が辛いことなら辛いことを選ぶのも大人の男の選択ではないかと思う。(p53)
 ヤンキースにいた松井秀喜君もそうだ。時々,彼等の何でもない話を聞いていると,自分は六十年以上何をしていたんだろうと思うことがある。 小泉進次郎君に初めて逢った時も驚いた。さわやかだと評判だが,そんなものではなかった。立っているだけで風が立つ,という感じがある。全盛の長嶋茂雄がそうである。(p58)
 苦しい,切ない時間だけが,人を成長させる。(p59)
 やはり昔から言うように,“学者と役者と坊主にはまともな者がいない”とは本当である。(p87)
 私は犬にむかっても,普通に人に接触するように応対する。相手が理解できていまいがかまわない。少年の時から生き物にはそうして来た。(p90)
 君たち(犬)が去った後,哀しみの淵に長く佇むことが起きれば,何のための出逢いだったのかわからなくなる。(p94)
 私たちは勿論いなくなるが,やがてこの宇宙も亡くなる,ということである。 私たちが感動したもの,学んだものも私たちと失せるが,シェークスピアがいたことも,モーツァルトの曲があったこともすべて消え失せるというのだ。それが今の宇宙物理学では正当であるらしい。(p98)
 不幸の最中にはいかなる声を掛けても,その哀しみを救える適切な言葉はない。言葉とはそういうものなのである。(p121)
 「はい。ゆっくり丁寧に書くことです。それしかありません」(中略) 「ゆっくり丁寧なら大丈夫なんですか」 「大丈夫です。姿勢を正して書けば,それで十分です」(P124)
 若者はあらゆることを覚える折に,急ぐ傾向がある。それが若いということだが,若い時に何かひとつでいいから,基本を,ゆっくり丁寧にくり返す時間があった方がいい。(p126)
 新しい年を迎えると,大半の人は,今年こそはと,数日思うそうだ。この数日というのがよろしい。 その証拠に市販されている日記帳の大半は櫻が咲く頃には,どこに置いたかわからなくなってるらしい。 私はそれでいいと思う。あまり決意,覚悟,必死になると周囲に迷惑をかける。(p148)
 女性たちが立ち上がると,戦争は本物の戦いになり,しかも悲劇を迎える,と昔から言われている。(p165)

2017.03.06 伊集院 静 『追いかけるな 大人の流儀5』

書名 追いかけるな 大人の流儀5
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2015.11.16
価格(税別) 926円

● 「週刊現代」の連載を1冊にまとめたもの。週刊誌の読者も高齢化しているに違いない。若者は週刊誌など読まなくなっているのではあるまいか。
 昔の若者は背伸びをして(?),オッサンが読む週刊誌というものを読むことがあったのだと思うけれども,今はそんな背伸びなどする必要がない。

● が,毎回思うことだけれども,こういうエッセイが連載されているのだから,日本の週刊誌というのはレベルが高い。
 他の国では,知的階層がはっきりしていて,いわゆる週刊誌にこうしたエッセイが載ることはないと聞いたことがある。

● 以下に転載。
 私たちは日々,日常のさまざまなことに懸命にむかうのだが(そうでない人が多いし,それが人間らしくもあるが),今日はいい一日だったと実感が持てる一日はそうそうあるものではない。そのことは逆に言うと,私たちの日々は上手く行かない方が多いのである。これは万人が共通するところなのだ,とこの頃,わかるようになって来た。(まえがき)
 望み,願いと言った類いのものを,必要以上にこだわったり,必要以上に追いかけたりすると,それが逆に,当人の不満,不幸を招くことが,私の短い人生経験の中でも間々あり得ることを見て来た(まえがき)
 検査を終え,車椅子に乗って病室に戻って来た彼女が,Vサインをして私に笑いかけた時,その明るさに苦笑いをした。-なんだ,助けられてるのはこっちか。(p16)
 自分だけが,自分の身内だけが,なぜこんな目に・・・・・・,と考えないことである。気を病んでも人生の時間は過ぎる。明るく陽気でも過ぎるなら,どちらがいいかは明白である。(p17)
 並んでまで食べるものが,世の中にあるとは思えない。銀座では鮨店にも並ぶ。安くて旨いってか。鮨を並んで喰って,どこが江戸前の粋じゃ。(p21)
 「目の前にふらふらしているのをつかまえると碌なことはありません。だいたい目の前をふらふらしているのは蚊と同じだから」「どうしたらいいんですか?」「とっつかめて叩きつぶしなさい」(p22)
 作家は自分一人の才能で一人前になると思っている人もいようが,それは違う。人間の才能なんて高が知れている。どんな職業,仕事も周囲の人が見守り,育ててくれるのである。(p42)
 私は小説家であるから,本を読みなさい,と言う。しかし私はガキの頃,本を読んで何が面白いの,と思った。それでも読まないより,読んだ方が良かったと,かなり先になって感じた。(p91)
 太平洋戦争を,あれは軍部のひとかたまりがはじめたと今の日本人が考えたいたらこの国は大きな間違いをしていることになる。日本人の大半が,戦争を善し(やむなしは一番いい加減な肯定である)としたのだ。昭和の紀元節で日本人のほぼすべての人が,建国を祝い,自分たちにかなう敵国無し,と提灯をぶらさげて大騒ぎをしたのである。(p116)
 何しろ作家は負けず嫌いが多い。本当かって? 嘘だとお思いなら,作家を数人,ひとつ檻に入れてみるといい。三十分もしないうちに全員ブスッとした顔をして壁の方をむいて腕組みをしてるから。(p126)
 公共の場所,電車の中などで赤児が激しく泣き出し,それを五月蠅く思う時の対処の仕方を,私は母から教わった。“赤ちゃんは泣くのが仕事だから”。これが母の言い方である。(p131)
 “上手い”はつまらないものが多いのである。よく芸能人が絵を描き,××展入選などと新聞で紹介される記事を目にすることがあるが,バカも休み休みにしなさい,と私は思う。“上手”のレベルの絵は絵ではない。(中略) いかにも上手いという言うのは,私たちの小説の世界でも同じことが言えて,読む人が読めば上滑りしていることが見えてくる。(p141)
 手紙は気持ちを伝えようとした瞬間に,思ったことを文字にする方が良い。私はそれを井上陽水に学んだ。(p142)
 マキロイという若者が世界でトップというが,私はこの若者がまだ使えるボールを池に投げたのを見たし,今春,クラブを池に放った。人間がこしらえた道具をこういうふうに扱うバカは何十年経ってもまともな人間になれない。それが世界一というのだからプロゴルフの世界も程度が知れる。(p157)
 物を学んだり,物事を考察する行為は,最初,とっつきにくい所があっても,或る一点,或る領域を越えてしまうと堰を切ったように,知の並が押し寄せ,軽々とそこを泳いでいる自分がいたりするものだ。(p164)
 (“虚しく往きて実ちて帰る”の)“実ちて帰る”はどうでもよくて,“虚しく”のこの不安と孤独こそが人間を成長させる原動力であり,必須条件なのである。その証拠に空海は“虚しさ”の幅が人より何倍も大きかったから,人間業とは思えない能力を発揮して,密教をただ一人伝授されることができたのだろう,と私は考える。(p166)
 憂うのは,今の日本人の,個の甘さ,甘えである。皆がひとつの方向へ行けば,ワァーッとヒ弱な鳥のごとくそちらへ走る。(p177)
 昔は,大人の男が,知人でない相手に(知人であっても)食べ物が美味い,不味いは口にしなかった。食の話というのはどれほど慎重に書いても卑しさがともなう。(p179)

2015年6月27日土曜日

2015.06.23 伊集院 静 『逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方』

書名 逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方
著者 伊集院 静
発行所 角川書店
発行年月日 2013.03.10
価格(税別) 1,000円

● 松井がメジャーに行くときに,「戦後,日本がアメリカに送り出すもっとも美しい日本人」と書いたのが伊集院さん。
 松井のどこが素晴らしいのか,彼と自分との交友を絡めて1冊の本にした。

● 以下にいくつか転載。
 どんな人間にも生きて行けば必ず試練がやってくる。周囲の人が懸命に庇護していても,人生には,その人が独りで乗り越えなくてはならない状況がやってくる。生きるということは,それを乗り越えることだ。たとえ一度で乗り越えられなくとも,大切なのはその試練から逃げないことだ。一度敗れても二度,三度とチャレンジすれば,いつか乗り越えられるものだ。それでも私は松井選手にいきなり試練を与えたベースボールの神さまを少し恨んだ。神様,今じゃなくてもいいじゃないですか。少しメジャーの野球に慣れてからにしてくれても・・・・・・。(p15)
 これはメジャー1年目の開幕試合でのこと。このあと,松井は満塁ホームランを放つわけだ。
 しかし敗れた時,これが肝心なのだ。(中略)敗れた時にいかに冷静に結果を見つめ,次になるべきことを見つけ,成功までの苦しい時間を耐えられるかだ。その忍耐力があるかないかがその人の成長を決める。忍耐力を養うのに一番必要なことは,強靱な精神力である。ではその精神力はどうやれば培われるのか。それはなぜ自分がこの仕事をしているのか,使命感を持つことだ。(p21)
 これは後に,私が長嶋氏と対談した時,彼が言った言葉である。 「私が監督をしている時の九年間で,一番練習した選手は松井です。練習をしているかどうかはわかるんです。一ヵ月,二ヵ月一生懸命する選手はたくさんいます。調子が良くなると,彼等は練習をしなくなるんです。それではダメなんです。三年,五年,十年先の自分のバッティングがそうなりたいと思い描いて,それを信じて毎日欠かさず練習ができる選手でないと大成しないんです。松井はそれを唯一できた選手です」(p68)
 「日本のファンの方を裏切ることになるかもしれませんが・・・・・・」 その言葉を聞いた時,そこまで言うことはないのだよ,と思った。でもそれが松井選手がどれだけ悩み抜いたかの証明に思えた。そして,あの言葉が出た。 「決断した以上は,命を懸けて戦ってきます」私はその言葉を耳にして,背中に戦慄が走った。君はこの挑戦に命を懸けると言うのか・・・・・・。これまで松井選手と何度も逢って,彼が本心でないことを口にしたのを一度たりとも耳にしていなかったから,彼の決心がそこまでのものなのか,と驚愕した。(p83)
 注目されるべきは怪我をしたことではない。私たち野球ファンが感動したのは,グローブが取れた骨折した左手をぶらぶらさせながら,彼が芝生の上を子供がするように這いずりながら,右手でボールを取り,送球したことなのだ。そのシーンを見た時,私は彼のプレーヤーとしての真価を見せられた気がした。インプレーである限り,自分が為すべきことのベストのことをする。(p132)

2015年6月22日月曜日

2015.06.17 伊集院 静 『となりの芝生』

書名 となりの芝生
著者 伊集院 静
発行所 文藝春秋
発行年月日 2014.10.10
価格(税別) 1,000円

● 『悩むが花』の続編。悩み事に答えるというもの。質問者は主には若者,ときどき中高年。

● 以下にいくつか転載。
 まさか人生とか,仕事とかが面白くて楽しいものだと思ってるんじゃなかろうな。プロスポーツ選手のアホ,バカ言葉に,試合を,競技を楽しみたい,というのがあるが,楽しんで金もらうのは仕事じゃねぇだろうが。(p115)
 古い考え,新しい考え、などという区分は,コペルニクスの地動説,ガリレオの,それでも地球は回ってると言った大発見くらいの時しかないものなんです。 あとはだいたい昔からある物事に対する考えの方がほとんど正しいものなんです。(p117)
 生涯に渡って,一冊の本も読まなくとも,素晴らしい人生,生き方をした人は大勢いるし,むしろそういう人の方が読書家よりも,まっとうな生き方,賞讃される人生,仕事をしている例が多い。(中略)人生も,恋愛も,本に書かれてあることより,まず実践で身に付けたものの方がたしかで,応用がきくものだ。(p132)
 世の中に起きていることは必ず自分にも起こるってことを覚悟して人は生きてなくちゃいかんよ。新聞の三面記事は明日の自分。これも常識だから!(p143)
 君も四十二歳と言えば,ちゃんとした大人なんだから,周りの動きにいちいち反応するようじゃ,アカンよ。もっとドーンと構えて,平然とできる自分を持っておかんと・・・・・・。(p145)
 人見知りは悪いことじゃないからね。この頃,人見知りしないのが多過ぎて,気安く話しかけるんじゃないって,よく思うもの。もう少しシャイになれんのかって,ね。(p160)
 手を差しのべている人の手の中にしか,リンゴやブドウの房は降りてこないってことだな。だからもっと考え,もっと苦心しなさい。それしか方法がない。(p170)
 若い時に金で手に入るものにロクなものはないし,むしろその人をダメにするものばかりだから。(p175)
 まだ未熟,半人前と思われている人たちに何かを学ばせる基本は,ついてこさせる,という姿勢だ。(中略)ついて行くことで身に付けるものが大半だから,先輩,上司はただ懸命に働き,その姿を見せればいいんだ。(p214)
 要領が悪かったり,我慢強くなかったりするが,それは時間が何とかしてくれるものだ(君だってそうだったろう)。(p215)
 有名レストランのオーナーって十中八九(もっとかな)ダメだから。まず有名ってのがダメ。ほら有名人って,わけがわからない人種の呼び方があるでしょう。有名人って十中八九(こっちはもっとだな)ダメ。バカばっかり。だから裏を返せば有名人が好きって連中はさらにバカ。(p230)

2015.06.16 伊集院 静 『大人の男の遊び方』

書名 大人の男の遊び方
著者 伊集院 静
発行所 双葉社
発行年月日 2014.11.23
価格(税別) 926円

● 酒とゴルフとギャンブルについて指南している。入れ込みが並外れているわけですね。酒だったらボトル1本空けてもまだ足りないっていう。好きで入れ込んだわけではないのかもしれないけど。
 短期集中&長期ダラダラの併存。これ,真似したら体を壊すか,心を壊すか。少なくとも,生活を壊すことになるだろうな。

● 大学生が勢いに任せて飲むのと同じ飲み方を長じてからもやっている。とんでもない体力の持ち主なんだろうと思うしかない。
 ぼくは酒は飲むけど,ウィスキーでいえば,ボトル半分がせいぜいだ。

● 面白いのは,やはりギャンブルの部分。年季の入れ方がハンパないわけだから。
 一年を仮に四季と同じようにクォーターに分けて統計を取ってみるとわかるのだが,最初の四分の一で勝った年は,最後の師走までなんとかやっていけるものである。(p166)
 麻雀を打つ人ならわかるだろうが,麻雀においても先手必勝である。(中略)では先手必勝のためにはどうしたらいいか? それは人より早く,人より丁寧に,人より一歩先に臨戦状態をこしらえておくことが肝心なのである。(p167)
 フォームを定めると,奇妙なものだがパターンが生まれる。パターンは,勿論,“勝ちパターン”と“負けパターン”である。ギャンブルの大切なところは,“勝ちパターン”に入ったと見たら,いかに打っていけるか。これと“負けパターン”に気付いたらいかに早くその場を立てるか。このふたつである。(p174)
 これがカジノの一番大事なことなのだが,すぐに,飛び込みで賭けないことだ。それでたまたま勝つことはあっても,まずその日は負けると考えた方がいい。種目を決めたらまずそのテーブルなりエリアで賭けの状態を見る。見であるが,これが実は一番必要なことだ。(p189)
 カジノは賭けを進めるテンポがすこぶる速い。それがカジノ側からすると客を常に熱い状態にしてどんどん賭けさせる大事なところなのだ。速いテンポの中で瞬時にテーブルの流れ,自分のツキを読むのは至難の業だ。人間がカジノのあのテンポで全部に賭け続けるのは,せいぜい三十分である三十分したら休む。(p191)
 小博奕をいくら打って買っても,それは所詮小博奕でしかない。(p197)
 たとえばゾーン張りをしていて,気が付けば赤がもう二十回続けて出ているのがわかったら,それは無条件で赤に金を張るべきなのである。 「でもその時,たまたま潮目がかわって黒が出たらどうするんですか?」 そういう発想ではいつまで経ってもギャンブルは勝てない。(p199)
 ルーレットはチップを少しずつ増やすギャンブルではない。賭けるタイミング。勝負処の見方。そうして思い切って張って,短時間で勝負をつけることだ。(p215)
 あなたの目の前に二牌の牌がふせて置いてあるとしよう。その牌を仮に東と南としよう。このふせた牌をだれかが,どちらが東ですかと訊かれて,その牌をじっと見て,こちらが東です,と引き当てる確率が,六割から七割で的中できなければ,ギャンブルはやめた方がいい(p218)
● その他,いくつか転載。
 私の周囲にも“遊び人”と称される人たちが何人かいるし,今はあっちの世界にいってしまった“遊びの名人”と呼ばれた人を見てきた。そういう人たちの共通点がひとつある。それは一般の人たちから見ると,「バカなことをする人だ」ということである。 じゃどんなバカなことをする人たちかと言うと,このケースでそれはしないでしょう,ということを平然とやる人たちだった。(p14)
 酒というものは,毎晩,楽しくやれるものではない。酒をいつも良い気分で飲めるほど私たちの生活,仕事は楽なものではない。(p37)
 小説にとって一番の肝心は描写にあると私は考えて,ずっとこれまで仕事をしてきた。描写とは何か? 人間の内面が露出しているものを見逃さずに捉えることだ。(p98)
 情報はどこまで行っても情報でしかなく,知らなくて済むものが大半である。(p131)
 バカは伝染しますから。一度バカが伝染し体内にバカの菌が入ると取り除くのに時間がかかるし,放っておくと君は完全なバカになる。(p132)
 器量というのは己には見えない。そういうものなのである。この器量がわかるというが,ここまでが自分の範疇だと,仕事も生き方も見切ると,これが意外と当人の器量を伸ばす例が多い。(p172)