2022年1月8日土曜日

2022.01.08 伊集院 静 『ひとりで生きる 大人の流儀9』

書名 ひとりで生きる 大人の流儀9
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2019.10.01
価格(税別) 909円

● 「週刊現代」の連載をまとめたもの。著者がクモ膜下出血で倒れる前の文章だと思う。
 週刊誌はすっかり読まれなくなったが,それでもこういう連載がある。「週刊現代」に限らず,「週刊文春」や「週刊新潮」にも単行本にまとめて読まれる連載はある。

● が,週刊誌に未来があるかとなると,なかなか難しい。読者が高齢化している。高齢化の後はこの世の人ではなくなる。つまり,読者の多くが死亡適齢期にあって,この世から退場していく。
 それを埋めるだけの新規参入はあるか。ない。若者はどんどん減っているのに加えて,週刊誌は老齢ファッションになっているから,若い人は近寄らない。

● 以下に転載。
 “孤独” と遭遇したり,“孤独” を知ることが,生きることである。(p17)
 基本,他人と同じ学び方をしないで,その人独自の学び方を,どのくらいの時期に獲得刷るか,という点が大切になる。早ければ早いほどイイが,早すぎると,精神,情緒がともなわない場合が多く,私は優秀な人間であると勘違いをするし,傲慢になる。勘違いと傲慢は,その人の成長をたちまち止まらせる。(p22)
 「近しい人の死の意味は,残った人がしあわせに生きること以外,何もない」 二十数年かけて,私が出した結論である。そうでなければ,亡くなっとことがあまりに哀れではないか。(p27)
 仲良くしろ,一人で立って一人で生きよ,は相反しているように聞こえるが,実はどちらかを選択させようとすれば,後者の方に重きを置かなくてはならない。(p35)
 一度ならず逃げ出した経験を持つことは悪いことではないと思う。(中略)むしろ,そういう心境を味わうことをしてみることだと思う。(p40)
 今やっていることが少々辛くとも,(中略)目前のものは過ぎてしまえば何ということはないのである。(p42)
 私は “教える” という行為は,この世の中にほとんど存在しないのではないかと思っている。敢えて言えば “学び合う” ということはあるかもしれない。(p47)
 三十歳代,私はほとんど何も持たず(鞄さえ)旅へ出ることが大半だった。取材とて,カメラもテープも持たなかった。目で見たものと,耳で聞いたものが私の身体に入っていれば,それですべてが済んだ。(p50)
 ホテル暮らしです,と言うと,あら羨ましいと言う人がいるが,何か特別なものはないし,むしろツマラナイことの方が多い。(p52)
 昼間の銀座へ行くこともあるが,私に言わせると,昼間の銀座は,女,子供の街だ。(p56)
 絵画鑑賞で大切なのは,静寂と孤独だと私は思っている。だから日本の美術館がやたら入場数にこだわるのは,愚の骨頂なのである。(p82)
 犬,猫にはぎりぎりまでいらぬ手助けをしないことだ。(p85)
 人間は肌を切られて血を流してあわてるのである。銃で撃たれて,何が今,自分の身体の中に起こったのだと思うのである。それではすでに遅いのだが,大衆はいつも遅いことに気付かない。(p115)
 神楽坂は,どこからこれだけのジジイとババアが出て来たのかと驚いた。どう見ても何か用があって来ているのではない。その上,高齢者であふれているので歩調もゆっくりだし,合わせて歩いていると,こちらも段々おかしくなる。今の高齢者の大半は,高齢者ということに甘えているように映る。(p118)
 遊び盛りの少年で読書好きという子供はかなり変わっていると私は大人になった今でも思っている。(中略)作家になってから,新人の方や,たまに先輩作家でも,子供の頃から本が好きだったと来歴に記してあると,やはり人間の質が違っていたのだと思う気持ちと,本当かしら? という気持ちを半々抱く。(p120)
 今はシゴキはなくなっていると聞いた。あんなことをして気合いを入れさせるという発想がおかしい。日本人が持ついくつかある最悪な性癖のひとつである。(p147)
 私たちはテレビや新聞,雑誌が普及したことで,これが当たり前のことだとか,これが正義というものだ,と他人から,誰かから教えられた情報を,どこかで正しいと信じてしまう風潮の中で生きている。しかし,生きる実践(生きているという真剣な現場)で,そんなことは十にひとつもありはしない。(p152)
 時折,銀座の遊び場でネエさん方が,「今のお客さんの時計見ました? ✕✕✕✕で三千万円するのよ」と耳に聞こえることがある。よほどの成金か,バカなのだろう。(p162)
 私は今,この原稿をボールペンで書いている。“ジェットストリーム” という三菱鉛筆が製造しているものだ。(中略)今はこれが一番,指,腕に負担がかからない。(中略)私は毎月,四百枚から六百枚(四百字詰)の原稿を書いている。その大半が紹介したボールペンである。(中略)「書き易いですね。少し根を詰めて書くと,このペンのインクが二晩でなくなります」(p165)
 今頭に浮かんだ文章が印刷文字と同じようにあらわれると,何やらまともに映って,文章が上達しないのでは,と思う。(p167)
 乗り物に乗った時,私はずっと車窓から見える風景を眺めている。(p180)

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