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2015年7月31日金曜日

2015.07.29 日垣 隆 『つながる読書術』

書名 つながる読書術
著者 日垣 隆
発行所 講談社現代新書
発行年月日 2011.11.20
価格(税別) 760円

● 日垣隆さんが読書術について語ったもの。
 まず,現状はどうなっているか。それだと何が問題なのか。著者の認識は次のとおり。
 全体として読書量が急降下していることは,私のまわりの編集者を見ていてもよくわかります。彼らの大多数は,子どもの頃から本が好きで,本を仕事に選んだ人たちのはずですが,「ちょっとした空き時間には,ついiPhoneを出してしまう」という声が圧倒的です。(p31)
 毎月数冊の本を読む人は,世界でも有数の読書大国である日本の働き手ですら,いろいろな統計を見ても,一パーセントもいません。(p232)
 三〇歳から四九歳までの社会人が読書(自主的な学習や研究)に使っている時間は七分半ほどでしかありません。 現代は,何が起きても不思議ではない激動の時代です。ものを知らないこと,あるいは自分で熟慮しない習慣は,失業や生命の危険に直結せざるをえません。(p234)
● 読書はまず,批判を抜きにして,素直に書き手のいうことに付いていくことから始めることが大切だと説く。
 本を読むという行為の基本は,著者がどのように述べているかを,まず正確に読み取るということです。著者の思考回路に入り,その主張にいったん飲み込まれてこそ,素直な読み方ができます。(p65)
● しかし,いつまでもその段階にとどまっていていいわけではない。というか,自ずと次の段階に移行する。
 何冊か同じ手法で読んでいるうちに,「疑問が生じ,そのために簡単な本を読んでもみたが,まだわからない」という事態も生じます。それは読み手の理解力に問題があるわけではなく,その分野のいいポイントを突いている可能性が大です。(p68)
 ほとんど彼(佐高信)の頭になりきって読んでいくうちに,本能的であれ自覚的であれ,彼の隠したい部分や逃げたい部分,触れられたくない部分までわかってきます。 「こう言うときには,こう言い返すだろう」「ここで詰むな」という仮説をもとに実際の佐高さんの言動を見ていると,ぴたりと当たる。(p69)
● “書く”ことについても。
 一人で考えず,本を読んで多面的に考えることが,問題の海で溺れない方法ではないかと。そして,思考の海で溺れない方法が,文章を書くことです。同僚との議論は,それからです。(p132)
 具体的には三~六語の単語だけ抜き出して,手早く書き留めるようにしましょう。映像的思考回路の持ち主であれば,図式化したものを,さっと記してもいいと思います。 「メモは詳しく書かなければならない」と思っている人がいるかもしれません。しかし,それは思い込みです。そういう人に限って,長い文章を書けないのです。(p146)
 メモを細かく書くというのは,自分の考えが一つのメモににじみ出ていない,ほとばしっていない状態。つまり,そのテーマは自分の中でまだ成熟していないということです。(p146)
● ほかに,いくつか転載。
 「ベストセラーなんか絶対に読まない」という人もいますが,私の勝手な調査によると,その多くは硬派なインテリというより,モテそうになり頑迷な人です。(p46)
 知的好奇心は学問によって満たされるというのは,明治までの話でしょう。今は「学校を捨てよ,本を読みに出よう」です。(p92)
 「どう書くか」を最初に考えてしまうのは,仕方がないことではあります。しかし,最優先して考えなければならないことは,どう読まれるかということのほうです。(p163)
 私は図書館で本を読む人に好意的ではありません。敵とも思いませんが,勝手にやってくださいというスタンスです。 図書館で丁寧に私の本を読んでくれるひとを大切にしたいとも思いませんが,購入したうえで私の本を乱暴に読む人は大切なお客さんだと思っています。(p213)
 ブックオフの愛好者は,著者には何の利益ももたらさないとは言え,何かの妨害者ではないでしょう。ただ,客層が貧乏臭いだけです。失礼。ただし,ブックオフにしょっちゅう「お宝」を探しにいっていながら,ブックオフを敵と見なす偽善的な古本屋は,早く消えてほしいと思います。(p219)

2015年6月22日月曜日

2015.06.21 日垣 隆 『情報の「目利き」になる!』

書名 情報の「目利き」になる!
著者 日垣 隆
発行所 ちくま新書
発行年月日 2002.09.20
価格(税別) 700円

● この著者から伝わってくるのは,覚悟のようなものだ。この本にもそれが全編に満ちている。
 ぼくからすると,わざわざハードな途を選んでいるように見える。そうしたいからそうしているというより,そうしないではいられないのだろうと思う。その心はといえば,廉直ということになろうか。

● 以下にいくつかを転載。
 物書きになりますと,もっとたくさん読んでいる人の存在を知ります。こりゃすげえや,と諦めかけましたが,せっかく死の淵から何度も立ち直ったのだから,一つくらい“トップ”を狙いたい。目をこらして上方を眺めると,どうやらプロでも「1ヵ月で100冊」がトップ集団であることがわかってきました。(p29)
 人生には,ある種の極端さはあったほうがいい,と私は考えているだけです。(p31)
 教科書を「なんとなく読む」「1日50ページと決めて読む」というような勉強をする方もおられると思います。そういう人は,早く寝たほうがいいでしょう。そうではなく,試験勉強では,幾多の出題と解答を先に見て,それを(仮説のように)踏まえながら教科書を読んでいく,というふうにすれば非常に効果的になってゆくはずです。(p41)
 脳は出力依存型なので,教科書や参考書を中心に勉強するより,ある程度の知識を入れたあとは,問題集を参考書代わりに使ったほうがよいでしょう。(p42)
 私はメディア・リテラシーを鍛えるうえで,自分に対してなされた質問に相手が満足する程度の長い文章で答える,というのが最も近道だと思います。(p64)
 習慣あるいは伝統を踏まえたうえで,敢えて冒した逸脱が一定の支持を得られたら,それが創造になります。(p81)
 辞書は原理的に言葉の守旧派です。市民や作家は,言葉を創造してゆきます。ある個人,あるいは小さな場(メディア)で支持されたものがカスタム化したとき,辞書編纂者はおもむろにそれを掲載して悦に入るわけです。(p84)
 エステと勘違いさせられて大腸洗浄を何度もやったりしたら,体内自然洗浄力ともいうべき,大腸内新陳代謝による便通能力が落ちるのみです。 医療行為の反作用というのは,基本的にそういうものです。解熱剤や頭痛薬や睡眠薬の多用は,本来もっている解熱や鎮痛や睡眠の力を落としてしまう。そのリスクをあえて負ってでも,現在の不健康を避ける価値がある場合にのみ,投薬をうけるべきなのと理屈はまったく同じです。(p112)
 別に,同情してもらおうと思って(原稿料を)公開したのではなく,ただ単に,私たちマスコミの住人は,他者に向かっては情報公開を当然のごとく求めてしまいがちな立場にいるわけですから,自分の住む世界の上方に関してのみ非公開をあたりまえにすべきではない,と思ったからにすぎません。(p147)
 出会い系サイトについて専門家(って何だ)に意見を求めると,否定的な意見ばかりが返ってきます。大昔,テレビが登場・普及し始めたときにも,最近では携帯電話がらみでも,同じような条件反射的拒絶は繰り返されてきましたから驚くには当たりませんが,無責任な恫喝だと思います。(p166)
 私が常に念頭に置いている先達は,ヘミングウェイのほかには,日本人では司馬遼太郎,現役ではD・ハルバースタム氏です。(中略) このような人々に,もとより対抗しようなどとは思っておりません(少しは思っている)。せめて資料収集の量で追いつこう,と努めているだけです。能力で格段に劣っているにもかかわらず,インプットでもまったくかなわなければ,いったいどうすればいいのよ。(p195)
 凡人には強引さと極端さが必要です。そうでなければトップランナーとの差は開くばかりだからです。いい仕事をした先達は,それだけの出費をしています。それだからこそ恥ずかしながら,私は出張費と資料代に,可能な限りの支出を惜しまないできました。(p196)
 旅先では,いろいろなことを,いやでも考えます。預金残高に余裕があるわけでは全然ないから,いつも崖っぷちで考えるわけです。そして日々,何かと出遭う。毎日毎晩,幾つものテーマが立ち上がり,行く先々で資料も集まってくる。遊んでいても,必ず何かを思いつく。自宅の風呂やトイレで思いつくことはないけれど,自分が動いているときには,もう勘弁してくださいというほど無数の「考え」が降ってきます。こういうことを言っていいのかどうか,しばしば完成された文章で降ってくるわけです。(p198)
 極端さはノウハウの母であるとは言えるので,自分より20倍とか50倍ほどの量をこなしている人のノウハウは,それなりに役立つはずです。(p202)
 ダイオキシンが史上最悪の猛毒というのは他の有害化学物質を見過ごさせる錯覚なのではないか,精子激減説は意図して捏造されたものではないか,刑法39条を削除して,本物の心神喪失者は「過失犯」として裁けば凶悪犯罪者を無罪放免にする愚は避けられるのでは,などというふうに,相当に取材と勉強を進めたある段階で,私の頭上から忽然と仮説が降ってくるのです。 そのような中途からの仮説(変更)を私は何よりも大事にします。そうしたおおきな仮説を“通らばリーチ”とするために,その仮説が降りてきた直後から短期間で集中豪雨的に,専門書や学術論文を浴びるほど読みます。(p210)

2015年4月5日日曜日

2015.04.04 日垣 隆 『折れそうな心の鍛え方』

書名 折れそうな心の鍛え方
著者 日垣 隆
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2009.09.30
価格(税別) 740円

● 日垣さんの作品はいくつか読んでるんだけど,こういう人でもウツになるのかというのがまず最初の驚き。その経過をかいつまんで書いているんだけれども,かなり以上に凄まじいストーリーだ。なるほどと思った。

● それでも,「ウツウツな気分なのに,ウツに関する大量の本を読み,事情を知ってくれている親しい友人たちに相談し,メモを大量に書きながら,私は自分の体験を客観視する努力を続けました」(p9)というんだから,恐れいる。
 ぼくにもプチウツはあるけれども,そんなときはまず書くことができなくなる。

● 「当時,抱えていた毎月の締め切りは約五〇本。ラジオ番組の収録が週一回。それらをこなしながら(原稿を一本も落とすことはありませんでした),何とかここから這い上がろうと,思いつく限りの「ウツに克つ」試みをしました。素人目で見ても,「そういうことはしないほうがいい」と言われるに決まっているような振る舞いでしたが,悪戦苦闘の末,ほぼ,立ち直ることができたのです」(p10)というに至っては,超人そのものではないか。

● ともあれ。その体験の果実が本書。以下に,いくつかを転載。
 「病気だ」という情報を得ることによって,自分の中の「あやうい部分」を過剰に引き出し,自ら誤ったラベリングをしないように気をつけたい(p19)
 心の病気についてはさまざまな論争がありますが,誰にも迷惑をかけず,暮らしの中で折り合いをつけられるなら,相当しんどくても「自分は病気だ」と判断しないほうがいいというのが,つらかったころに私がたどり着いた結論でした。(p26)
 精神が弱ってくると,何事につけ自分を責めてしまうものです。すべて悪い方向に考えてしまいます。いわば自家中毒の状態ですから,毒を外に吐き出すべきなのです。 とくに客観的に見て「誰もが悲しいだろうと思うこと」は,吐き出すことでラクになります。(p45)
 このときの自分の心理は,極度につらい事態に陥ると,人はそれを「特殊なケース」と見なしがちだという一例だと思うからです。つらい気持ちは相対化できないものですから,これは自然な心の動きではあります。 しかし,「自分は誰にも理解されない,特殊な事態に陥っている」という思いは,奇妙な自己陶酔を生みます。悲劇の主人公のように自分の苦しみに自分で酔いしれ,自分の中でストレスという毒をいっそう増殖させてしまうのです。(p53)
 ものとものとの間には摩擦抵抗があるので,最初に動かすときに一番力がいります。しかし,いったん動いてしまえば,あとはずっとラクに動かし続けることができます。(中略) 文章を書くことで言えばさしずめ,エンジンがかかる書き始め(というより椅子に座る)までが大変で,何とか書き出してしまえば,そう時間やエネルギーはかからないようなものでしょう。(p71)
 落ち込んでいるときには,テレビは消す,これをルールとしたほうがいいと私は思います。(中略) 「それをやろう」と対峙する心構えがあって向き合う映画や本,ゲームであれば,無防備なままエネルギーを奪われずにすみますが,テレビは知らないうちに元気を吸い取られるような気がします。(p77)
 人間は,「できる」と思うことしか,できません。逆にいえば「できる」と思っていれば,できてしまったりするものです。 地区大会の予選すら勝ったことがない野球部の高校生は,甲子園に行けるとはなかなか信じられません。しかし,先輩が甲子園出場を果たしたことがある高校では,野球部員は甲子園を実現可能な目標として捉えています。(中略)「甲子園に行ける」という思い込みと,出場して歓声を浴びるといったイメージトレーニングが,彼らの実力に大きくかかわっているということです。(p88)
 この一〇年ほど,「お金さえあれば,なんでもできるのか?」という議論が,しきりになされました。しかしこの論は,土台にある「健康」が確保された上でしか成り立たないものです。 元気がなくなってしまえば,お金があってもなくても,なにもできません。(p94)
 最後に,この重大な問題について,普通は言ってはいけない本当のことを言っておきます。 それは,たいてのストレス程度はお金で解決できてしまう,ということ。だから今後は「給料以外に稼ぐ」がストレスを大幅に減らす鍵になってゆく,という事実です。(p95)
 一〇代の女性vs四〇代の男性。この取り組みで一〇代の女性に軍配が上がるのは,「身の上相談をこなした件数」という勝負です。(中略) 一〇代の女性のほうが経験値は上であれば,四〇代の上司に心のうちを明かすより,久しぶりに会った親戚の女の子にポロッと話したほうが,役に立つということになります。(p96)
 スウェーデンでは,七〇代の人の三〇パーセントがウツだという新聞記事を目にしたことがあります。これを私なりに解釈すると,「定年退職とは,仕事がなくなることではなく,求められなくなることが問題なのだ」となります。(p101)
 現実というのは統計どおりにいかず,一概に強い・弱いということはない。努力次第で,弱い人が強い人を凌駕することもある-これは,体も心も同じだと思います。(中略) 「努力,努力」と書いているのは,人間の伸び幅には,凄いものがあると感じているためです。(中略) もともと人間が持っている個体差よりも,伸び幅に着目して努力する。それが,正しい楽観的な生き方と言えるのではないでしょうか。(p114)
 「一流の定義」について,私は何人かの人に聞いたことがあるのですが,「あることを一定のアベレージで,一〇〇〇回でも繰り返せる人」というのが結論のようです。簡単に言えば,成功の再現性ということだと思います。 この論にしたがうのであれば,「一流」に近づくには,若いころは小さな集団に属し,小さな成功を何度も繰り返したほうがいい,となるでしょう。(p117)
 人のエネルギーには限りがあるのですから,できないことよりも,できることに集中したほうが,メリットはたくさんあります。 「なぜ自分はできないのだ?」というストレスから解放されますし,得意なことを突き詰めたほうが気分はよくなり,お金の面でのリターンも大きくなります。(p121)
 トゲつきのままでサボテンを食べる民族がいたとしても,たいていの民族はそんなものは口にできませんから,「別に,食べられなくたっていい」とあきらめることができます。 ところが,みんなが平気で食べているキュウリが食べられない人は,往々にして「無理をすればキュウリくらい平気だ」と食べようとしてしまいます。しかし,嫌いなキュウリを我慢して食べることは,その人にとってはトゲつきのサボテンを食べることと同等の苦痛だったりするのです。それに気づかずに努力を続けてがんばってしまうと,本人が思っている以上のストレスになるものです。(p121)
 家族や人生のパートナーなど,「無条件で受け入れてくれる相手」は財産です。しかし,どんなに親しい相手であっても,一定の距離感を保ったほうがいいというのが,私の考えです。(中略) 人と人が「引き合う」のは,距離があるからこそです。密着していては,引き合うすきもありません。(p129)
 嫉妬は,「自己評価=自分にもできるという思い」と「他者評価=そうなっていない事実」の齟齬によって生じるものとも言えます。(中略) 解決策は,自己評価と他者評価を一致させることです。そしてその方法は,「自己評価を下げる」か「他者評価を上げる」かの二つに一つです。(中略) 自己評価を下げると(中略)うまくいけば謙虚で正統な自己評価となりますが,(中略)針が極端に振れて,自己卑下,自己否定までいってしまうと,落ち込み,拭いがたい無力感の原因になってしまいます。(p141)
 「家族モノ」は観客の感情を引き出しやすい,という面があるのは,なぜでしょうか。おそらく,誰もが自分の家族にキズを抱えているからだと思います。 完璧な華族など,おそらくどこにも存在していません。自分にとっての家族や,家族にとっての自分は,当然のことながら大小さまざまなキズを負っています。そのキズを見て見ぬふりをしているあいだは耐えられるのですが,そこを映画やドラマや小説で「引き出されてしまう」と,わりと簡単に涙腺が決壊してしまうのでしょうね。(p168)

2015年3月30日月曜日

2015.03.26 日垣 隆 『ダダ漏れ民主主義』

書名 ダダ漏れ民主主義
著者 日垣 隆
発行所 講談社
発行年月日 2010.05.27
価格(税別) 1,000円

● 全3章で構成。「メディア強者になる!」という副題がついているんだけど,これは第3章のタイトル。
 3分の2は読書について論じている。電子書籍は紙の本を駆逐するか。しないよ,両者並立だよ,というのが著者の意見。っていうか,これ以外の見方ってたぶんないと思うんだけどね。

● 街から書店が消え,書籍が売れなくなっているのはたしか。しかし,今ほど人が文字を読んでいる時代は過去になかった。
 著作権が切れた小説はネットからダウンロードして読むことができる。ブログやツイッターも含めれば,膨大な量の文章を今の人は読んでいる。

● ところで。本書の元になったのは,『週刊現代』の連載。
 週刊誌も部数減少に見舞われているに違いないけれども,こういうものが連載される日本の週刊誌の水準の高さ。たいしたものだよなぁと思う。

● 以下にいくつか転載。
 肝心なことは,エディターシップなしに本や雑誌を作ったらロクなことがない,という点だ。私は生涯,尊敬する編集者と仕事をしたいし,絶妙な変化球を投げてくれるのは彼ら彼女らである。プロを甘く見ないほうがいい。(p50)
 キンドルの『老人と海』と,新潮文庫の『老人と海』も,同時期に読み進めてみた。後者の解説は実に秀逸であった。当然キンドル版にはない。だが,どうしても引っかかるフレーズを原文ではどうなっているかをキンドルで調べるのは三秒とかからず,ヘミングウェイの天才的文体に直接触れるまたとない至福の時間に恵まれた。(p52)
 私も,四日間だけ無人島で過ごしたことがある。(中略)小さな船で大きな島に戻り,空港から日本に向かう飛行機のなかで,普段は読まない新聞(日本語)を,隅から隅までむさぼり読んだ。 嗚呼なんと新聞は楽しいのだろう。飢えていると,その吸収力たるやすごいものがある。(p63)
 声を大にして言っておきたいのだが,電子ブック版になった『日本大百科全書』全二六巻と,小さな電子辞書に入っている自称百科事典とでは,ボリュームや編集者の努力や年季という点で,まったく別物と言わざるをえない。(p73)
 今でもウィキ(ペディア)は信用できない」と言い張る人々も少なからずいるのだが,その人たちよりウィキは信用できる。(p74)
 何者かになる,ということは,多くの何かを捨てる,または諦めるということでもある。得ることだけを考えるのは愚かすぎる。(p126)
 一〇分でこんなにきちんとやってくれるなら(千円カットは)一万円でも良いくらいだ。プロにはカットに専念してもらったほうが,技術的にも信頼感が高まる。「時間がかからない」ことに価値を見出す人々が少なからずいることを発見した新業態は,非難されるべき存在では断じてない。(p132)
 私の持論の一つに,「極端さこそノウハウの母」という確信がある。極端なことをやりきることによって,多くの人が普遍的に摂取しうるノウハウやアイデアが浮き彫りになる。(p149)
 一〇〇個くらいあらかじめ質問を考えておき,たとえ一分しか時間が与えられなかったとしても「これだけは何があっても質問させてほしい」という,心の底から湧き出る感情がなければ,その質問はクソだ。この自覚はプロには必須だろう。(p180)
 「制限なし」というのは自由を醸成する反面,制限がないと自由な表現は成り立ちがたい,という悩ましい逆説も成り立つ。一枚のキャンバスに描く絵を念頭においてみればわかりやすいかもしれない。(中略)人生もしょせん,限られているから,いくばくかの努力やら我慢やらトキメキやらが続くのだと思う。(p192)
 何も知らない私が自分なりに理解したのは,「取材とは謎解きのこと」というものである。何も知らない,というのは謙遜で言ったのではない。何も知らない,ということさえ自覚すれば,事件や事故や恋愛や家族やら職場やら宗教やら,実は謎だらけであることに気づく。(p194)

2014年6月17日火曜日

2014.06.17 日垣 隆 『ラクをしないと成果は出ない』

書名 ラクをしないと成果は出ない
著者 日垣 隆
発行所 大和書房
発行年月日 2008.05.30
価格(税別) 1,429円

● さくら市のBOOK-OFFの百円均一コーナーにあった。ラッキーと思って購入。
 しかしなぁ,本の経年劣化というのも無残なものだなぁ。もちろん市場での経済価値の話にとどまるものですけどね。
 BOOK-OFFが引き取るくらいだから,外見はきれいなものなんですよねぇ。それでも価格はここまで下落する。一度誰かに買われたものはそれだけで半額になる。常識だろって言われると,それはそうだと頷くしかないんだけど。

● ぼくの書庫にも相当な書籍が読まれないままに積もっているんだけど,市場的には腐ったゴミ同様になってるってことだね。放置されれば本も腐る。
 積ん読の効用が説かれたりするんだけれども,あまり積んどかないでサッサと読んだ方が,経済的にも精神衛生からもお得なようだ。

● 逆にいうと,BOOK-OFFなんかを利用すると,百円でとんでもなく価値のある買いものができる(こともある)ということだ。本書もそう。ビジネス書であり,情報論であり,人生哲学書でもある。

● 以下にいくつかを転載。メモの効用,マス情報は不要である,創造的な人は人の真似をためらわない,過去のライフログなど無意味,即やることと継続することが大事,といった話。
 ときどき,記憶力に対して自信過剰な人がいて,一〇〇覚えておけると思ってメモをゼロにしてしまいます。このタイプは実際に記憶力が優れているので,九〇は覚えていますが,一〇は忘れてしまいます。 一方,私のように,一〇〇のうち四〇しか覚えておけない普通の人間であれば,六〇をメモしておけばいいのです。記憶力がはるかに劣ったとしても,仕事の質はぐっと上がります。(p25)
 新聞はもう,やめたほうがいいでしょう。NHKのニュースもいりません。この二つは不要だと私は断言します。(p40)
 情報は,収集しようと必死になっても得られません。なぜなら,情報とは「出合う」ものだからです。(中略)重大なことは人から教えてもらう。これがいちばんの情報収集法であり,それは「出合う」類いのもの。(p41)
 専門家になるためのインプットは青天井ではなく,三〇〇冊が目安になる(p49)
 多摩大学の創設時,初代学長を務めた野田一夫さんの教授選びには,ある強烈な基準がありました。 「最初にお誘いしたときに即答しない方は,こちらからご遠慮申しあげる」(p84)
 創造的な人ほど,素直に人の真似をします。逆に言うと,クリエイティビティに鈍感な人ほど,真似をしません。(p128)
 そもそもアイデアとは,パクリ合いで生まれます。既存のものを見つけて組み合わせることでオリジナリティが出てきます。創造性がある人は,このセオリーを良く知っているので,抵抗なく真似をするのです。(p129)
 もし,過去を記す習慣があるなら,これからは断ち切りましょう。「予定が終了して過去になったものの蓄積が,放っておくとデータベースもしくはゴミになっていく」それくらいの意識でいいのです。(p130)
 私の知人に,登山が趣味の男性がいます。定年間近ですが,せいぜい五〇歳にしか見えません。彼は長らく「月曜から金曜は,会社に行きながら,土日に元気に登山するための準備をする期間」と割り切って働いてきました。残業も無理もしないので出世もせず,傍目にはパッとしないように見えても,本人は充実していたのです。(p145)
 「自由な会議」を無制限にやると,何もわからない素人が,無責任に思いつきの意見を担当者に押しつけることになり,収拾がつかなくなってしまします。ここから集団の叡智など,生まれるはずもありません。(p171)
 長年にわたって試行錯誤をし,先輩や後輩,自分の次の世代も含めてたくさんの人に触れた結果,私はある結論にたどり着きました。 「天才など,一世紀に一人しかいない」 もちろん,私が出会った人の中には優秀な人や成功した人は何人もいます。しかし,彼らとて「天才」ではないのです。天才以外のその他大勢がほとんどであれば,そのなかで成果を上げ,抜きん出ていく方法は一つだけ。 継続することです。(中略)そして「好き」でないと,長くやり続けていくことはできないのです。(p194)
 文明の進化とは,退屈の克服と定義できます。遺跡を見れば,そこかしこに「遊んだ形跡」が残っていますが,これは霊長類だけの特徴です。(p218)
● それと,著者のいう「自爆の法則」(p88)。次の3カ条。
 1 嫌なことに二つ以上の理由をつける
 2 自分にできないことを,できると言ってしまう
 3 自分にできないことを他人のせいにしてしまう

2014年4月7日月曜日

2014.04.07 日垣 隆 『知的ストレッチ入門』

書名 知的ストレッチ入門
著者 日垣 隆
発行所 大和書房
発行年月日 2006.10.05
価格(税別) 1,300円

● いわゆる知的生産については,梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』以来,いくつかのエポックを画する著作が出ていると思うんだけど,本書もそれに連なるものだと思う。現時点で,「知的生産の技術」を考えるのであれば,本書を外すことはできないのじゃないか。

● 文章も読みやすい。ポンポン進む。「それがわかっていてもできないのが人間というもの・・・・・・とおっしゃりたい方は,そのまま安らかにお休みください」(p218)といった突き放しも気持ちいい。自分のことを言われているとも思うんだけど。

● インプットの延長にアウトプットがあるのではなく,まずどんなアウトプットをするつもりなのかが重要だと説く。それに合わせてインプットを考えろ,と。
 これまで知的生産の分野では,情報や知識を100ほど摂取して初めて,ようやく1程度のアウトプットが出せる,というようなことが,まことしやかに語られてきました。 (中略)できるだけそうした発想と訣別しましょう。アウトプットにまったく繋がらないインプットは無駄だと胆に命じてください。あるいは,インプットの量とアウトプットの量をイコールにしていくというイメージを,強引にでももってください。(p18)
 アウトプットする力をみがいてゆけば,わざわざ情報をとりにいかなくても,自分にとって重要な情報とは自然に「出合える」ようになります。 アウトプットする力を向上させるには,周囲の人から何か質問されたら必ず「打ち返す」という習慣を身につけるのが近道だと思います。(p19)
 一番大切なこととして,取っておくか捨てるかの基準はアウトプットするかどうか,この1点だけに決めました。スクラップブックを作る人のなかには,スクラップすること自体が目的になっていて,それに膨大なエネルギーを使っている人は少なくありません。私は,アウトプットの可能性がないものは,一切ファイルをしません。(p99)
 あくまで仕事においては,インプットの続きにアウトプットが出てくるのではなく,アウトプットが前提になっていて,そのためにインプットがあるのです。(p115)
 アウトプットの正体は,説得力だと考えて構いません。説得力のないものは,アウトプットとして失格です。もっと言えば,相手の納得というハードルをクリアしたものだけがお金になる,と言っていいでしょう。(p116)
● 火事場の馬鹿力的な瞬発力を出せるよう自分を追いこむのも,むしろ合理的だと説く。
 今まで30時間かかっていたものを25時間でやろうとするのは,これは単なるスピードの話でしかない。けれども,これまで30時間かかっていたことを,3時間でやるしかなくなったときには,人は違うことを考え始めるわけです。(中略) 追い詰められて,まったく別のことを考えたときに,クリエイティブな仕事が完成するということは,往々にしてありうることなのです。(p135)
 とにかく「本番さえできればいい」と腹を括って1週間の練習をした人は,練習では1度もできなかったことが本番は1発で決まってしまうというようなことが往々にしてある。 10年間の練習よりも,とにかく「この場で入ればいいんだ」という練習をしたのですから,「できる」という可能性は後者のほうが高いということはありうるわけです。(p135)
● 迷ったとき,悩んだときはどうすべきか。即答せよという。これまた説得力に富む。
 これが1番で,あれが2番・・・・・・と順序が明確であれば,1番を選べばいい。 第三の道がベストだったという場合も稀にはあるが,それを思いつかず悩んだ者が浅はかであるにすぎない。順序が明白でないにもかかわらず,どれかを択一しなければならない場合にのみ悩みは生じる。だから,即答するに限る。(p198)
 ベストな選択なるものが客観的に存在すると勘違いするから,その後に努力もせず,失敗すると他人のせいにしてしまう。(p199)
● その他,いくつかのトピックをとりあげて転載したけれども,それをやると1冊まるごと引き写すようなことになりかねない。
 読んでおいて損はない。