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2021年3月16日火曜日

2021.03.16 養老孟司 『AIの壁』

書名 AIの壁
著者 養老孟司
発行所 PHP新書
発行年月日 2020.10.12
価格(税別) 880円

● 羽生善治(棋士),井上智洋(経済学者),岡本裕一朗(哲学者),新井紀子(数学者)の4人との対談。が,この分野での対談となると,養老さんとは段差がありすぎて対談にならない。インタビューとしてかろうじて成立しているかどうか。井上智洋さんと岡本裕一朗さんについては特にそうで,どうしてこういう人を相手に選んじゃったの,という違和感がある。
 リベラル派のAI論といった趣。養老さんは野放図なAI化に対しては批判的。

● 以下に転載。
 AIについては,とくに情報技術の面でコロナ禍以降,社会的に大きな変化が生じた。(中略)世の中,なにが起こるかわからない。これは知識としてはよく知っているが,八〇歳過ぎまで生きてきても,それが身に染みる機会は多くない。(p4)
 極めて安易に「これからはAIだ」となってしまう雰囲気があることを警戒している。とくに中国や韓国で行われたことは,当然日本でもやらなければならないという雰囲気が目立つように思う。自分自身の必然性から出ていないことをする癖がこの国の社会にあることを心配する。(p5)
 僕はね,「AIってなんだ?」と問われたら,基本的には「高級な文房具ぐらいに思ってる」と答えます。パソコンだって,情報処理の道具という意味では文房具の一種でしょ? その延長線上で捉えていますよ。(p17)
 道具として見たときに,実際の仕事に使えるか,というと,パソコンという箱にしてもAIというシステムにしても,非常に使いにくいですね。なんといっても,僕らみたいな(中略)人たちが相手にしているのは,自然ですから。都会とか人間の作ったシステムの中では,ものすごく使いやすいんだと思うんですよ。(p18)
 人間の意識だけで社会を形作って「ああすればこうなる」というふうに原因と結果がきれいに揃う思考だけで物事を考えていると-僕が前から言っている「脳化社会」がそうなんだけど-そういう世界観の中にいたら,人間はコンピュータにはかなわないですよね。だから仕事がコンピュータに置き換えられるとか,AIに仕事が奪われるとかいう話になる。だけど僕から言わせれば,そういう原因と結果が必ずきれいに揃うという世界観で仕事をしている方が悪いんだよ。(p18)
 将棋の世界は「局面」で切れるという意味で,AI向きなんですよね。ところが,自然を扱うとなると勝手が違う。まず,「局面」が切れない。虫もそうですけど,どこまでが虫なのかという線引きの問題がある。(中略)自然を扱おうとすると,とても簡単に計算はできませんよ。調べるという行為自体が相手を乱しますから。量子の世界も,そうです。観測の問題として有名なのが,「不確定性原理」。測定しようとすると,途端に相手に干渉するという意味では,量子も自然なんですね。(p19)
 AIそのものが問題なのではない。人間の営みの中で,AIが占めるウエイトが一番問題なんだ。(p21)
 人って「できる可能性のあることはやる」というか,「できることは何でもやっちゃう」という,ある意味では悪く癖がある。そこも考えていく必要はあると思いますよ。(p24)
 医療分野で「診断を機械にやらせよう」という発想は実はそれほど新しいものでもない。(中略)それ以後,時間が経ったわりには機械による診断って全然進んでいないなと。これ,囲碁や将棋とは違うな,なぜだろうと考えて思い当たるのは,多分,医者の抵抗がものすごいからなんですよね。(中略)「機械に任せちゃ,危ない」と煽るのは,もともと医者の傾向じゃないですかね。「自分の仕事を取られる」っていう危機感。(p30)
 前提となる基準が統一されていないような分野は,コンピュータで扱いにくいんですよ。例えば,肝機能の検査は,当時は統一されていなかった。(中略)ただねぇ,僕ら医者はむしろ,統一化や画一化の弊害の方が大きいと感じてきた。(中略)人間をそういう統一した基準で測っていいのか,と。人間の知能を測るIQという基準なんて,典型でしたけどね。(p32)
 東大の医学部に入ってくる連中なんかは,偏差値で言ったら,ものすごく高いんですよ。血圧でいうと,完全に「高血圧」です。だからあの連中は,治療しなきゃいけない。(中略)僕,疑問に思うんですよ。どうして身体のことだと,「偏差値」が外れたらいけなくて,頭だったら外れなきゃいけないのかって。「これ,ダブルスタンダードじゃないの?」と。(中略)要は,社会が「頭のことに限っては,外れた方がいい値」とバイアスをかけているということです。それがまさにAI化が進んでくる背景と重なる。(p33)
 案外,人のおおもとに立ち返れ,ということかもしれないよ。僕ね,AIが人の暮らしに入ってきて,面白いと思うのは,こういう時代になって初めて,「人が生きるとはどういうことか」と,みんなが考え始めたこと。(p35)
 ここまで作ってきた社会は,簡単に壊せなくなっちゃった。これが困るんですよ。しかも,壊せないぐらい堅牢な組織なり,システムなりを作り上げた人が,力を持ってしまっている。例えば,車なんかもそうだよね。(中略)今まで車が殺した人間の数は,戦争より多いと言われている。だけど,今さら止められないのはここまで「作っちゃった」からでしょ?(p36)
 そういう「トリアージ」の問題って,医療現場では日常的に起こっていますよね。その都度,状況で判断していくしかない。それを,理屈ですべて詰めようというのは,どこかおかしいと思うね。本来の解決法は,それを理屈で詰めなくても良くなるような状況を発生させること。つまり,「自動運転にしない」と。(中略)そういう問題をぎりぎりと論理で詰めることは,本当はできないんだという結論になってもいいと思うんです。論理の問題じゃない。状況の問題なんだと。(p41)
 将棋で言えば,コンピュータと人間の価値観の差異として,時系列を意識するか否かの違いは大きい。人間は時系列を意識しながらインプットをしていく生き物です。それに対して,コンピュータソフトが選択していくのは,(中略)その瞬間に一番評価値の高い手を選んでいくことの繰り返しです。だから,人間から見ると,時系列がつながらずに全部が点。非常にまばらに見えるんですよ。一貫性がないんです。(羽生善治 p45)
 今の子どもに準備しなきゃならないのは,答えとしての「出力」ではなく,いかにいろんなプロセスを経験させるかという「入力」の方なんですよね。まず,五感を鍛えろと。(中略)子どものうちはやっぱり,あらゆる感覚を訓練しないことには,生き物として話にならない。(p46)
 ライブラリーが単なるデータとして蓄積されているだけでは,何も面白くない。ここまで分類されてくるのに,実はこんな積み重ねがあったとか,情報を深められる話まで入ってくると,豊かな情報になって見える世界に厚みが増してくる。(p47)
 今みたいな小学校という「箱」は,もういらないと思っていて。子どもたちは,あの箱に詰められて,学問も詰め込まれて,もはや虐待ですよ。だから,九月になると自殺が出る。とんでもないことでしょ? そういう事態を招いていることを,先生方が反省しないということがおかしいと思う。そもそも子どもなんて簡単に自殺するもんじゃないよ。(中略)僕の目から見たら,根本的には先生の集団が教育を妨害してるな,という感じですよ。(p49)
 子供のときに幸せを感じさせるということが,非常に大切だと思うんだよ。なぜかというと,いったん幸せを感じたことがある人は,またあるんじゃないかって,人生に希望を持てるから。お先が真っ暗でレールを敷かれちゃったら,希望なんて持てない。(p50)
 逆に局所,局所で最適な解を決めていった方が,全体でも辻褄が合うということもあるんですよ。(p53)
 「頭」だけで特別視されていたような人たちこそ,AIに負けちゃうよって世の中になってきたんだから。(p58)
 江戸時代に「生き馬の目を抜く」って言ったでしょ? あれ,「江戸」,つまり東京の人の形容ですよ。田舎の人から見ると,都会の人は頭が良く見えるんでしょ。頭がいいっていうことは,要するに,人をだますっていうことだよ。(p58)
 人が都市を作ったのは,ここ一万年。農業が始まってからですからね。都市化すればどうしても理性中心の世界になっちゃう。むしろAIが,理性中心社会からの脱却のために,いいターニングポイントを作ってくれればいいんですね。例えば,人間が肉体労働をして田舎で一年の半分を暮らしても,AIがちゃんと,知的な活動のかなりの部分を代わってやってくれるという。(p59)
 何をもって創造性というか。そこですよ。僕からすれば,新しい発見とは,多分「自分に関する発見」なんですよ。世間の評価なんてどうでもいい。(中略)「知らない」から「知る」へのジャンプ。今の教育の悪いところは,その発見になるようなことを,あらかじめ与えちゃう。だから,勉強するほど創造性が落ちちゃう。(中略)問いと答えをあらかじめ提示されちゃえば,発見の喜びは削がれますから。(p63)
 僕らは小さな発見をしょっちゅう繰り返しているじゃないですか。「目からうろこ」というあの感覚が,まさに発見の一つだし,あれこそが創造性だと思う。なのに,今は発見を本人の「能力」とかに被せがち。だから,創造性があるとかないとか言うんです。僕は発見は能力じゃなく,「状況」だと思うんですね。その人と,その状況とがセットになって,「あっ!」に結びつく。(p66)
 脳みそって普段,勝手に動いてるんで。(p67)
 メディアでよく「国際化」という言葉を聞くんだけど,全部を日本語で書いて,出版物として日本人のお客さんに売って,何が国際化だよって。(中略)そもそも,日本語を使っている時点でガラパゴス化してるんですよ。だから,それでいいんじゃないですかね。(p68)
 私が専門としてきた解剖学というのは,「一人一人」を,言ってみればバラしていく学問。「一人一人」から得られた情報を論文にする,つまり「情報化」するわけです。その作業というのが,科学の世界でいうところの「一次産業」なんですよ。現物を見て,そこから起こしていく。(中略)現物が相手だと,均一化・効率化ができないんです。(中略)そこの第一段階のところが,ほとんど経済活動としては認められなくなっているんですね。(p78)
 システムというのは猛烈な初期投資が必要であって,それを先にやってしまった方が勝ちなんですね。(p79)
 そういう流れで,「結果的にでき上がっちゃった社会」が勝手にシステムを構築していってしまう傾向って,その方向性を変えるとすれば,個人の反抗しかないんです。(中略)国レベルでの「反抗」をやっているのがフランスだと思いますよ。いわゆる「大衆化社会」に対して,国ぐるみで抗っている。フランスって,基本的に農業国ですから,国民の考え方が保守的というか,システム化にはあまり向いていないところがある。(p80)
 今,大衆化を一番バカ正直にやっちゃっているのがアメリカという国ですよ。つまり,僕の言葉で言えば,国民がこぞって物事すべてを「意識化」してしまう。これは考えると,無理もないなとも最近思えてきた。なぜかというと,「異文化の人をあれだけひと所に集めたら,議論って通用するの?」って。違いの乗り越えるには,普遍的な理性しかないんですよ。(中略)そして最後は「永遠なるもの」を求めるようになっていくんです。まがいもなく神ですよね。あれ,理性を突き詰めた究極のものですよ。(p81)
 コンピュータを駆使して,公平・客観・中立な社会を作ってきた。でも皮肉なことに,その結果はなんと,猛烈な格差社会ができ上がっていたという。(中略)なんでそうなったかと言うと,シンプルに言えば,「身体性」が置いてきぼりを食った,ってことなんです。(p82)
 カーツワイルは,ある意味で滑稽だけれども,その「不老不死」を希求するところが人間の本性でもありますからね。別に人間改造という文脈じゃなくても,AIあるいはコンピュータが珍重される理由だと思いますよ。つまり,コンピュータの中に入れたものというのは「不死」ですから。(p91)
 汎用AIを議論する前に,「意識って何なの?」と。エネルギーなのか,それとも電気なのか,磁気なのか,引力なのか。未だにわかっていないんですよ。(中略)意識とは何ぞや,という点を問わずに意識の問題を扱う。それは危ないと僕は思う。(中略)科学を推し進める場合に,まず扱うものがわかっているというのが大前提ですよ。じゃないと,錯覚が抜けない。(p97)
 学問というのは,社会にとって危険なんです。場合によっては,大砲を撃ち込むべきものでもあるかもしれないと,前提を問う姿勢は大事。それなのに,むしろいいものとして許容してしまったのは,六〇年代の紛争以降の大学ですよ。(p106)
 機能主義を突き詰めていくと失敗する(p106)
 アングロサクソン流というのは,物事を見るときに,非常に機能的に見るんですね。機能的に見るとこぼれ落ちるものがたくさんあるんです。なぜかというと機能というのは,「枠組み」を決定しない限りわからないから。(中略)本来,機能というのは,その枠組みを前提とするんです。(中略)前提を問うのが学問ですからね。(p107)
 意識って,根本的に矛盾を抱えていて,自分のことに言及するとおかしくなるんです。それは論理的に解けないでしょ。自己言及の矛盾というやつです。(p108)
 ベーシックインカムについて言うなら,日本という国が何をどれだけ必要としていて,何を買わなくちゃいけなくて,なんで稼いでいるのかという産業と需要の全体の帳尻を見なければいけないんだけど,その点を誰が見ているのかなという疑問がありますね。(中略)日本国の貸借対照表みないなものがね。日本全体の資産をあぶり出すというか。そうじゃないと,議論がどうも宙に浮く。いわゆる文化系の議論でね。(p116)
 理性って,簡単に言えばコンピュータ的思考。それでは多様性のあるものは把握できないんですよ。足掛かりに使うのが「統計なんだよね。統計って,物理学から量子力学に入っていったとき,そこに最初に登場するんです。(中略)世の中の事象って頭の中で統計として扱えば,コントロールできるんです。医学が完全にそうなりましたからね。(中略)どういう意味かと言えば,医者は患者を見なくなった。(p126)
 僕はイタリアみたいな社会に注目していて。紀元前からずっと都市をやってきて,都市で生きるとはどういうことか,相当わかっているはずなんですよ。そうするとローマは,東京みたいにはならないでしょ? 東京はちょっとでか過ぎるし,(中略)適正サイズというのがあると思うんですよ。それと同じで,AIも適正サイズがあると思いますよ。(p130)
 哲学者といっても普通の人です。ただ,考え方に癖はあります。例えば,究極的な一つの原理や,独自の発想が頭の中でぽんとでき上がると,「それですべての物事を説明したい」となる。こうした抑えがたい衝動が哲学者の特徴でしょうか。(岡本裕一朗 p135)
 自分たちが教えてきたのは,そもそも誰かの「偏見」から作られたものなんだ,という認識がないと。(p140)
 (人工知能は)方針をこうだと決めたら,揺らがずそこを走る。でもまあ,人間の方がコンピュータ的価値観に寄ってきたというか。今の人って,そういう世界観が好きなんですよ。オリンピックだって,「今年みたいに暑いんだったら,夏の開催はやめて,三ヵ月ずらしましょう」なんて,できないでしょう。いったん歯車に乗せちゃったら,そのまま動いちゃう。(p149)
 親が暇なしで子どもをかまってくれないから,かえって伸び伸びしていたという。子どもがあんなに自由だった時代って,日本になかったんじゃないですか。戦後しばらくの間というのは,日本始まって以来の自由だったんじゃないかな。(p156)
 人生を,経済的,合理的,効率的に生きるっていうなら,「生まれたら,即,死んだらいいだろう」っていうことになりかねない。(p158)
 「芸術とは心地よさだ」と定義したときに,いろんな物差しで測って安定しているということが,一つの評価軸としてあると思うんですね。多次元空間の中で「安定平衡点」っていうんです。これ,要するに普通の平面で考えたら,すごく窪んでるということですよね。そこに落ちるとしばらくじっとしていられて楽だよ,という。(中略)深ければ深いほどそこに溜まって動かないわけですから,生き物って,本能的にはそういう状況って気持ちがいいでしょう?(p161)
 日本人は文化的にも「自ずから」を尊ぶ。『古事記』『日本書紀』で一番使われているのは,「なる」という言葉なんだから。「自ずから,なる」。ひとりでにそうなる。それに対して,欧米人は,あらゆることは「俺がやる」というところがある。何にでも「私」が出てきて。(p169)
 「自ずから,なる」というのは,要するに客観主義に徹するというわけですね。(中略)僕は,発生をテーマにしていたんですけど,発生って,放っておきゃ親が交配して,受精卵がありゃ子ができちゃう。それを,なんで俺が理屈にして論文にせにゃならんのかって自問してしまって。(中略)「なるべくしてなる」って考え出すと,仕事の邪魔になるんですよ。(p170)
 僕は,現実と思われている社会も,もともとバーチャルに近いと思っています。(中略)逆に言うと,インターネットで(人々の欲求が丸裸になったことで)社会がリアル(本当の姿)に近づいたんですよ。自己愛とか商人欲求とか競争心とか,そういうものは教育とか倫理とか,いろんなもので縛ってきたわけで,ネットでそのタガが外れたということでしょう。(p182)
 最近「不安」を口にする人が多くなっている気がします。行政とか企業とかが何かをしたりしなかったりするときに,「それでは不安です」と言う。それをSNSに書いたりする。不安のない状態でいる権利があると考えている人が多い。自分に不安があるのは,相手が対策を間違っているからだって。ところが,ごく素直に考えると,不安を感じない人というのは恐ろしいですよ。(中略)だって,何するかわかったもんじゃないから。(p183)
 一%未満の人だけが発信していたときは,少数の人がホームページを持っていて,その情報をみんなが分散型で共有し信頼するというシステムが機能していました。ところが,八〇%の人が発信者側に回ったときには,嘘だらけになってしまいました。(新井紀子 p184)
 落としどころを探るというのが,女性の共通の傾向かもしれませんね。結婚して子どもを育てていると,原理主義では生活が成り立ちませんから。(新井紀子 p186)
 対談内容を本にしていただくのに,そういうことを言うとおかしいかもしれませんが,文字にして表現できることは一割もないと思うんです。読む側が受け取るのは,表現されたことのうちの一割程度かもしれません。すると,伝わるのは一%未満ということになってしまいます。(新井紀子 p188)
 AIの一番の問題はすべてデータに基づいて予想したり判断したりしていることです。しかもそれを積み重ねていきます。データというのはすべて過去のことです。今いる人間についてのことを過去のデータで判断するってことは,昔も今も人間は変わらない,時間の経過があっても人間は変わらないという前提がないと無理なんです。でも,そんなことありませんよね。(新井紀子 p193)
 人間ってちょっと変わった生き物で,バーチャルで生きていけるんですよ。いわゆる現実から離陸しちゃっても。(中略)制度とか肩書とかみんなバーチャルです。頭の中にしかありませんから。(p197)
 今の人って,物事は予測がつくという考え方をしますね。できるわけがないのに,予測できない方が悪いと思い違いしています。(中略)予測できない状況というのが非常に不安なんですね。(中略)管理できない状況を危機っていうんじゃないですか?(p199)
 人生って想定外のことが起きるんですよ。その常識がなくなってしまって,何でも想定しなきゃいけない,というのが圧力になってしまっていますね。子どもの育て方がそうです。わからないことがあっちゃいけない。(p200)
 「どうしたらいいか書いていない」と批判するのは,教えてもらわなかったら自分は何もできませんと告白しているようなものなのに,そのことに気づいていないんです。(新井紀子 p202)
 きちんと会社勤めしている人というのは,多分,そういう人ですね。答えが欲しい。そういう人と話していても,あまり面白くありませんね。(p202)
 人間っていろんなことができるんですよ。それは,身体だけ見ててもよくわかるんです。(中略)最初からできないって決めていたら,何もできませんね。でも,やろうと思ったら,できるようになるかもしれない。誰かに教わるわけじゃないですよ。自分で考える。だから,何でもかんでも教えちゃダメなんです。(p202)
 生き物は適応能力が非常に高いんですよ。特に,生死に関わるようなことになると,俄然,能力が出てきます。それから,責任を持たせると能力を発揮します。(p203)
 だいたい,食べ物に点数を付けて,それを参考にしようというのが,生き物として終わっていると思います。自分の臭覚で探さなきゃダメだと思うんですよ。評価の星の数が多いところで食べて美味しい気持ちになってしまうこと自体,生き物としておかしい。それが,五感を削いでいることに気がつかない。(新井紀子 p205)

2018年9月24日月曜日

2018.09.24 有限会社養老研究所・関由香 『まる文庫』

書名 まる文庫
著者 有限会社養老研究所
   関由香(写真)
発行所 講談社文庫
発行年月日 2013.02.15
価格(税別) 838円

● 養老家の飼い猫“まる”を関由香さんが撮影した写真を1冊にまとめたもの。養老さんのエッセイ付き。
 これはアレですよ,猫好きじゃないと撮れない写真だ。それくらいのことは,ぼくにでもわかる。っていうか,ぼくにでもわかるくらいに,猫好きじゃないと撮れない写真なのだ。

● どうでもいいことをひとつ。養老孟司さんが使っているパソコンはレッツノートだ。

● 養老さんのエッセイからいくつか転載。
 動物はいい。気持ちが休まる。なによりいいのは,人間世界の価値観が通用しないことである。(p112)
 人間はもちろんだが,動物の習性を即断してはいけない。生きものなら,たとえ虫だって,やることはなかなか複雑なのである。(p119)
 動物は反応だけで生きているわけじゃない。「自分で動く」ものである。でも現代社会では,タバコですら吸いにくいのだから,「自分でなにかをする」機会がきわめて限定されてしまう。(中略)「自分から出す」のは,ほとんど言葉しかないから,クレーマーが増えるのと違うか。(p121)
 ネコのような孤独性の動物をペットにするために,人間はおそらく「ネコの幼児性を延長する」という選択をしてきたのだと思う。(中略)だから歳をとると,だんだん可愛くなくなる。どうしたって,幼児性が消えていくからである。(p122)
 欧米人は自立を尊ぶ。だから可愛くない。(中略)その代わり,状況に上手に反応できる。相手に依存しないからである。(中略)だから欧米人は世界のどこにでも広がる。状況がちゃんと判断できて,適当な行動を自分で選択できるなら,どこに行こうが,心配はない。その代わり可愛くないのである。(p123)
 ここまで利口な動物はサルだけだと思う。ただし,ここまで利口だと,死なれるとたまらない。(中略)やっぱりペットはかなりバカでないと,ペットにはならない。本当の家族になってしまうのである。(p125)

2017年7月14日金曜日

2017.07.14 養老孟司・近藤 誠 『ねこバカ いぬバカ』

書名 ねこバカ いぬバカ
著者 養老孟司・近藤 誠
発行所 小学館
発行年月日 2015.04.21
価格(税別) 1,100円

● 養老さんは猫を,近藤さんは犬を飼っている。それを媒介にした対談なんだけども,二人とも医者だ。しかも,かなりとんがった主張をしている。養老さんは,喫煙とガンは無関係だというし,近藤さんはガンになっても治療なんか受けるなという。

● そういったことの真偽を判断できる情報は,ぼくにあるはずもない。が,そういう二人の対談なのだから,面白くないわけがない。

● 以下にいくつか転載しておく。
 僕は,わが子にも「アドバイス」ってしたことないの。あれこれ口を出すと,その子が持ち合わせていないものを,外側からつけ加えることになるから。余計なことをしなくたって,子どもも動物も,自分の能力の範囲でちゃんと生きていきますよ。(養老 p29)
 近藤 「ペットに言葉がいらない」っていうのは,本当にありがたい。 養老 こりゃラクです。現代社会で疲れることのひとつは「常に人の言葉に反応しなきゃいけない。人の言い分をいちいち聞いて,こちらもくだくだしく,言葉で説明しなきゃいけない」ことでしょ。(p59)
 生きものの体は,原因と結果の関係が,「ああすればこうなる」みたいな単純なものじゃないからね。体は理論どおりに動かないから。(養老 p62)
 結婚なんて考えてするものじゃなくて,はずみだし,だれと結婚しても変わらないんだから。(養老 p78)
 人生の目的はオーバーに言えば,世のため人のためでね,ひとりでいても,おもしろくもおかしくもない。(養老 p79)
 犬たちの体温や心拍なんかを測ったことも,一度もありません。そもそも僕は,人に対しても,犬猫に対しても,医療行為の価値をあまり認めていないから。元気かどうかは見ればわかるし,ふだんの測定値はそれぞれ違うから,急場に測っても意味がない。ふだん測定しているヒマがあるなら,抱っこして撫でてあげた方がずっといいと思っています。(近藤 p98)
 口もきけなくて,自分で口をあけてるかどうかもわからなくなってる人に食べさせるのは,本人の尊厳を傷つける。本人のことを考えたら,そんなことできないはずなんです。(近藤 p103)
 自然に任せておけば,治るものは治るし,治らないのは運命で,穏やかに死ぬるんですよね。(中略)人間は治療するから,のたうち回って死ななきゃいけない。(近藤 p107)
 最近はペットの医療もサギ的になっていて,人間の医療と同じで,「愛するこの子のために,できることはなんでもしてやりたい」という,飼い主の気持ちにつけこんでいます。抗がん剤とか免疫療法とか,なんの効果もないのに,100万円ぐらいすぐ飛んじゃう。無意味な代替療法やサプリがはびこっているのも,人間と全く同じです。(近藤 p112)
 最近は医者が内視鏡を持って,施設にわざわざ胃がんの検診に出向いたりする。寝たきり老人に内視鏡を突っこむと,おもしろいようにがんが見つかって「即治療」という話になります。そして胃を切除されたりすると,手術に耐える体力がないから,バタバタと亡くなっていく。(近藤 p116)
 ボケや寝たきりのかなりの部分は薬害と,僕はみています。病院通いが日課になっているお年寄りは,薬を山ほど飲まされて,その副作用で無気力や食欲不振になったり,ふらついて倒れて寝たきりになったりしています。特に,80才,90才を超えてからうっかり医者にかかると,たいていなにか病気を見つけられて,治療されて,早く死んじゃう。(近藤 p116)
 多くの人が,安楽死させる側のことを考えないんですよ。死刑もそうで,死刑を執行する人には非常に病む人が多いの。(養老 p120)
 僕は昔っから健診には行ってません。医者たちは,あんなもの役に立たないって,わかってるんだよね。だって,僕が現役だったころは,東大の医者たちだって受診率4割だったもの。(養老 p126)
 人間60才を過ぎたら,手術も薬も寿命を縮めるだけなんですけどね。(近藤 p126)
 もう60年近く,日本では狂犬病はまったく発生していないんですよ。イギリスやニュージーランドなどでは予防接種をやってなくて,日本でも必要ないのに,獣医と製薬会社のためにやってるような感じです。(近藤 p131)
 近藤 いくら早期発見・早期治療しても,がんで死ぬ人は減らない。5年生存率が向上したというけど,無害なものを見つけ出して治療をして「治った治った」って言ってるだけですから。 養老 まともに考えたら,すぐわかるよね。がんか,がんじゃないかってイエスかノーかの話になってるけど,生きものって「中間」があるんですよ。(p140)
 結核研究の権威が「日本の結核患者の激減はストレプトマイシンでも予防接種でもない。栄養の改善だ」と語っています。やっぱり「大気,安静,栄養」がいちばん大事です。(養老 p143)
 昔の親は「ひとの一生ってなんだろう」って,今よりずっと真剣に考えていたと思います。「あんなに元気だったあの子が,あっけなく死んでしまった。この子だってあしたはわからないから,いまこの時を存分に生きさせてやろう。遊ばせてやろう」って。そうしないと,急に死んでしまった時,悔いが残ってしょうがない。だから「子どもは子どもらしく」ということが尊ばれたんです。(養老 p146)
 いろんな場面で,「どうやればいいんですか?」っていう質問を受けますよ。そのたびに「バカ!」って言ってやるんだけど。やりかたなんて,自分で見つけるものですよ。(養老 p150)
 たまにカゴから逃げ出すヤツがいて,研究室の中に1週間いると,野性に返って,ものすごく敏捷な「つかまらないネズミ」になってるんです。だから僕も,人間のこと心配してないの。人間もおそらく同じだろうと思うから。脊椎ができてから何億年も生きているんだからね。頭で考えてヘンにしてるだけですから。(養老 p151)

2016年10月3日月曜日

2016.10.03 養老孟司・隈 研吾 『日本人はどう死ぬべきか?』

書名 日本人はどう死ぬべきか?
著者 養老孟司
   隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2014.12.15
価格(税別) 1,300円

● 日経BP社の養老さんと隈さんの対談集は『日本人はどう住まうべきか?』に続いて,本書が2冊目。
 この二人の対談が面白くないはずがない。読み始めれば,グイグイ読んでいくことができる。

● タイトルは「どう死ぬべきか?」となっているけれども,こういうふうに死ぬべきだという提言はない。
 「はじめに」で養老さんが次のように語っている。
 僕は,自分が死ぬことに関してあれこれ考えるのは「意味がない」と決めてしまっています。もし,それが問題ならば「生き残ったやつが考えればいいだろう,俺の知ったことじゃないよ」というのが,基本にして不動のスタンスです。(養老 p8)
● ふたりの話は四方八方に飛ぶ。だから面白いのだが。論より証拠で,以下に多すぎる転載。
 若い人たちが今,移るところは,ただの田舎じゃないんです。(中略)年寄りのいない田舎なんです。若い人にとって,年寄りって邪魔なんですよ。だって既得権を持っているでしょう。(中略)年寄りって,いるだけで邪魔という面があるんです。今,そういうことをはっきり言わなくなっちゃったけど,とりわけ若い人にとっては,うっとうしいに決まっていますよ。(養老 p21)
 一神教の世界では,神様と自分が向かい合わせにあるということで,社会秩序を押さえていますが,日本の場合は,世間で押さえているんですよ。(中略)それが,状況で押さえているということです。だから,状況が変わると,社会秩序のバランスが崩れるんです。(養老 p63)
 養老 建築家は,そもそも共同体の外に存在しているところがありますよね。 隈 共同体の外にいる,さみしい孤独の人という印象があるからこそ,共同体からモニュメントを発注されるんです。共同体に属しているイメージが強すぎる人には,仕事を頼みたくないですよね。(p71)
 隈 男と女で生命力が違うとか。 養老 それはもう分かりきっていることで,女性の方が強いに決まっているんですよ。哺乳類は女性の方が平均寿命が長い。哺乳類の染色体は女性がXXで男性がXY。メスの染色体が基本で,そこから作られるのがオスなんです。そうやって無理して作られているからね,オスは弱いんです。(p78)
 自然の世界ってそこが面白い。理屈で考えられることは,たいてい起こっていて,考えられないことまで起こっているんです。(養老 p79)
 日本の世間って結構うっとうしくて,そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないですよね。でも,丸々付き合ってしまって,にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。(養老 p81)
 やっぱり仕事にあんまり本気でなかったんだろうね。そう言うとけしからんと怒られるんだけど,実はそのくらいの態度が大事なんじゃないかと思っています。(中略)人って,あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては,適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をする人って,本来は仕事に関心がない人なんです。(中略)しょせん仕事なんて,誰かが代われるものなんです。そういうことに真剣になりすぎるって,逆にいえば使い物にならないということですからね。(養老 p84)
 人間の気持ちって,材料でものすごく変わります。それを知ってから,すごくこだわるようになりました。(隈 p98)
 隈 その「武士は食わねど高楊枝」が本当に太平洋戦争ぐらいまで受け継がれちゃったんですね。 養老 まさしくその通りなんですよ。一番ひどかったのは日本陸軍でしょうね。戦死者の七割が餓死と言いますから。(中略)日本は厳密な意味で戦争をしてないんですよ。他人の土地とか熱帯とかに行って,勝手に餓死している。すごく無駄なことをやっているんです。 隈 日本企業っぽいな。(p111)
 ちょっと疑っているのは,危険ドラッグを使うやつって,たばこを吸っていないんじゃないかということなんです。(養老 p113)
 ヒトラーとムッソリーニは,たばこを吸わなかったんですよ。反対に,ルーズベルトもチャーチルも,ご存知のようにぷかぷか吸っていたよね。人を捕まえて,「俺の言う通りにしろ」というのがたばこを吸わない人。(養老 p113)
 「乱世」という言葉自体は,平和な時代の人が見て,言っているだけのことだから,乱世に暮らしている人はそれが乱世だとは思っていない。(養老 p114)
 日本人は「ともあろうものが」という言葉をよく使うんですよ。(中略)これは世間のある種の期待というか,暗黙の前提でね。世間がそうやって押し付けてくる標準に人は無意識に従っている。それに対して個人が「そうじゃない」って訂正しようとすると,世間を訂正することになるから,すごく負担なんです。(養老 p117)
 デザインの中に哲学が宿るみたいに思っているところが日本人にはあります。僕の実感からすると,それは世界の中で案外と少数派です。日本人は「建築ドリーマー」が多い。(隈 p121)
 日本語って視覚中心の言語ですからね。だから教育もやけに書き方中心で整っているでしょう。対してヨーロッパの民族は,二千年前のプラトンのころから,金を取って弁論術を教えてきたわけですからね。(養老 p122)
 武道館を作れと言ったのは誰だっけ? あ,板垣退助だ。外国人に日本のものを見せるんだ,と。それで,そこで相撲を取ったから相撲が国技になったんですよ。その前までは,相撲は別に日本の国技だったわけじゃない。(養老 p150)
 それには,やはり建築のスケールが影響するんです。人間という生物は自分の体に比べてすごく巨大なものが存在すると,そこにある威圧感や永続性のイメージに圧倒されて,背後にどんでもないものを感じてしまう。人間に限らず生物ってそういう弱さ,流されやすさを持っていると思います。(隈 p150)
 日本人に馴染みのある「歌舞伎座」という型ができあがっていき,多少ずれていても頭の中で補正して見るようになった。だからその型の範囲でぼくが多少いじったとしても,みんな気がつかない。型という日本文化が持つ力を感じます。(隈 p159)
 建築って人間にいろんなことを錯覚させるんですよ。例えば破風屋風の下には特別なものがあるという錯覚。その錯覚は不思議なことに,時間がたつと錯覚じゃなくて本質になったりもするんです。(養老 p161)
 丹下健三さんとか黒川記章さんとか,巨匠と言われていた建築家は「都市計画」の概念を日本に持ってきた人たちです。でも,彼らの語る都市計画というものは壮大な大風呂敷なわけですよ。(隈 p183)
 女性は「何のために」という質問をよくしたがるんだよ。それを問うから,世間がつまらなくなる。面白いから行くのであって,だから当然,自己責任だよね。(養老 p210)
 人は生きる舞台があって,その舞台の継続性がちゃんと保証されていれば,それほど死を怖れることはなくなるんじゃないでしょうか。世界史の中で見ても,都市というものは,そのような舞台であったし,個人の死を超える生き方を探るために,王様や皇帝は街を作ってきたのです。(隈 p231)

2015年9月15日火曜日

2015.09.13 養老孟司 C・Wニコル 『「身体」を忘れた日本人』

書名 「身体」を忘れた日本人
著者 養老孟司
    C・Wニコル
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2015.09.05
価格(税別) 1,300円

● もう面白くて仕方がない。一級の啓蒙書といえるのではないか。自然保護から産業論,社会システム論,教育論,情報論,言語論,心身相関論・・・・・・。名前はどうでもいいけれども,話が次々に展開していく。圧倒される快感を味わえる。

● 以下に多すぎる転載。
 僕のアメリカの友人が日本の杉の人工林を見て,「花粉が多いのは,成長が止まって苦しいから,子孫を残すために必死になって花を咲かせているからじゃないか」と言ってましたね。(ニコル p14)
 林業も,いまの感覚で合理的に考えてやれば,成り立つはずなんです。(中略)なぜそれをやらないかというと,昔からやっている人は1本100万円の時代を知っているから,「またそういう時代が来ないかな」とどこかで思ってるんです。成功体験ってすごく邪魔になるんですよ。(養老 p15)
 日本はこんなにたくさん森があるのに,森の中で働いている人は圧倒的に少ないですね。それなのに,後ろで管理している人は多いからコストがかかる。(ニコル p15)
 この近くで数億円かけて林道をつくって,天然林を全部伐採して,運び出せた材がいくらだったと思いますか? 1千万円だったそうです。でも,馬を使えば,林道をつくらなくても,大きな道のところまで引っ張ってこられる。(ニコル p17)
 間伐もそうなんですよ。切り捨て間伐になっちゃうのは,間伐材が材として回るようなシステムがないからなんです。(中略)ということは,間伐を経済的に成り立たせようと思ったら,間伐材を使うという仕組みをあらかじめつくっておかなくちゃいけない。だから,どこかをいじろうと思ったら,全部いじらなくてはいけなくなるんです。(養老 p20)
 沿岸漁業を生かすためには,川から直さなきゃいけません。でも,川に手を付けるということは,森もちゃんとしないといけないということなんです。(中略)日本人は魚をたくさん食べるのに,なんでこんなに魚をいじめたんだろうって思いますね。(養老 p28)
 日本の漁業は問題だらけだから,極端なことを言えば,漁業権の補償費だけ払って,魚を捕らないほうがいいぐらいですよ。(養老 p34)
 限界集落をみんな「かわいそう」みたいに言うんだけど,全然違いますよ。若い人がいなくても年寄りが暮らせるくらいにいいところなんですよ。しかも,子どもたちが都会に来いって言ったって行かないんだから。ただ,そういうところは年寄りがかんばっちゃって,若い人が入れないんですよ。(養老 p37)
 都会の人は弱いですよね。僕は,それ一番よく象徴してるのが,第二次大戦のときにナチスに殺されたユダヤ人だと思う。ユダヤ人って結局都会の人なんですね。だから,抵抗しないで300万人も殺されてる。普通なら,そんなことあり得ないよね。誰かが抵抗するでしょう?(養老 p39)
 イギリスのワーキングクラスの人は,いろいろなものが食べられないんです。知らないものは食べられない。(ニコル p45)
 一番印象的だったのは,お役所の人がつらそうだったことです。帰宅困難区域に家畜が放置されたままになってるから,その面倒をみているNPOがあるんです。でも,お役所の人は安全を管理する責任があるから,そういう人たちに,「入ってはいけません」と言うしかない。国の被爆量の安全基準は1桁ぐらい厳しくとってあるんだから,ちょっと入って世話する程度なら,たいしたことないんですよ。でも,お役所の人は「牛もかわいそうだから,そうやって飼うのも仕方ないですよね」とは言えないんです。見ていて,本当につらそうだった。(養老 p54)
 何かあったとき,周りに助けてもらえないから,保険会社に保険料を払わなくちゃいけなくなったということです。昔は人間関係で補償していたものを,いまは全部お金に替えていっていて,それをやっているのが保険会社なんです。(養老 p57)
 グレートマザーの怖いところは,子どもがどこまで行ってもその向こうにいようとすることです。それを「子どもを理解する」っていうんでしょうね,よく言えば。でも,そうすると,子どもは母親の世界から出られなくなる。(養老 p68)
 子どもから自然を取り上げると,世界が半分になっちゃうということです。つまり,自然がなくなって人間世界だけになっちゃう。そうなると,いじめみたいな人間世界の中でのマイナスの重さが2倍になっちゃうんです。(養老 p73)
 書物やITで教えるのは,結局,素直に驚くことを邪魔しているんだよね。「よけいなことを教えやがって」って思う。(養老 p82)
 昔の先生は子どもが中心だったけれど,いまは教育制度を維持するために働いている。その証拠に,夏休みで子どもがいなくても,休まずに学校に行ってるでしょう? つまり,先生は自分の給料を出してくれるところに忠誠を誓っていて,子どもは付録になっちゃてるということです。(養老 p85)
 腸内細菌を100兆も飼っている野に、除菌グッズなんておかしいでしょう? こんな生活を続けていると,自己免疫が怖い。特に神経系がやられると,いわゆる難病になって,治療法がありませんから。(養老 p88)
 生き物は甘くない。だって,我々は,1個の細胞ですら,化学的にきちんと記述できないんですよ。(中略)それをいじって何かできたといっても,「正体不明のものをいじったら,別の正体不明のものができた」というのと同じなんですよ。(養老 p112)
 僕は,感覚というのは,違いを識別するものだと思っています。「においがする」ということは,それまでにおいがなかったということを意味するんです。それに対して,我々の意識は,いろいろなものを「同じ」にしようとする。この茶碗とあの茶碗はよく似ていても違うものですが,意識はどちらも茶碗だという。そうやって概念化していくんです。我々の意識が持っている一番強い能力は,「同じにする」能力なんですよ。(養老 p127)
 夢は一種の意識です。脳波をとると,覚醒時とほとんど変わらないですから,大脳の動きはほとんど同じです。だけど,下位の部分,つまり脳の中心部の大事な部分の機能がなくなって,大脳皮質が勝手に動いているような状態なんです。そうするとああいうふうにデタラメになるんですね。(養老 p141)
 聴覚と運動は,耳の中に体のバランスをとるための感覚器官があるぐらいですから,深く結びついているし,体操は音楽や号令を聞きながらやるでしょう? でも,目で見て動作をまねするのは難しい。これは何が問題かというと,視覚は時間を止めるものだからです。写真を撮ると,瞬間が永遠になるし,映画はコマ撮りの連続で動いて見える。目は瞬間を積み重ねているんです。 でも,言葉は目と耳を一緒にしなくちゃならない。そのために,「時間」と「空間」という概念を発明する必要が出てきたんです。つまり,視覚が聴覚を理解するためには「時間」という概念が必要だし,聴覚側が視覚を理解するためには「空間」という概念が必要だったんです。(養老 p142)
 情報を一言で定義すると,「時間と共に変化しないもの」を指しているんです。写真もそうだし,書かれたものもそう。10年経ったって一切変わらないんです。 そして,意識は変化しないものしか扱わないんです。だから,さっきも言ったけれど,いまの時代の人は,自分はいつも同じ自分だと思っている。こんなの完全な錯覚だけど,意識は同じだっていうんです,情報として見るから。(養老 p146)
 しかも,賞味期限の長い情報を珍重する。フローよりもストックに重きを置く。古典に頼ろうとする。
 言葉で何かを表そうとするとき,「自分」があって,「言葉」があって,表そうとする「対象」がありますね。日本語では,言葉と気持ちの関係性が固いんです。だから,自分の気持ちが言葉に直接いっちゃうんです。ところが英語だと,言葉と対象の関係性が固くて,自分がどう思っていても,言葉を変えることができない。これを客観的というんです。逆に言うと,英語はうそがつきにくい。うそをつくときは「真っ赤なうそ」になるんです。(養老 p151)
 だから,裁判制度も全然違ってきて,英語は証拠主義で証言主義になっちゃう。ものとの関係性が非常にきついので,もし自分のいいようにものを言おうとすると,真っ赤なうそをつかざるを得なくなる。だから,証拠とか証言に当たっていくとうそがバレるんですよ。一方,日本の場合は自白主義になるんです。しゃべらせていけば,ひとりでに悪いと思っているかどうかバレちゃう。(養老 p152)
 欧米人が「コーヒーにしますか? 紅茶にしますか?」と聞くのも,どちらが好きかということではなく,それを選ぶ主体,つまり,「あなた」がいまそこに存在しているっていうことを暗黙に指摘しているんだと思います。そういう主体を,ある意味で押しつけていく近代文化が,主語を必要とする言語をつくったんでしょう。(養老 p161)
 漢字も,もともとは象形文字で,「象」という字は最初は本当にゾウのマンガだったんだけど,やっぱりゾウとは似ても似つかない形になるんですよ。つまり,文字を目でみたときにゾウが見えてしまうと,耳は理解できないんですよね。「これはゾウの形をしている」ということは耳ではわかりませんから。だから文字はゾウの形から離れないといけないっていうルールがあるんです。ということは,ゾウの形のままの文字は原始的だということになる。日本語の音声は,そういう意味で原始的といわれる段階で止まっているんでしょう,きっと。だから擬音語が多いんですね。(養老 p165)
 すべてが明るくて解明できると,「いやな人たち」ができちゃうんです。東大医学部の学生が「先生,説明してください」とよく言うけれど,それは説明されればわかると思っているからです。それが気に入らないから,学生が男の子だったら,「説明したら陣痛がわかるのか」って言う。 わからないことがあるということを,必ず保留としておいていないと謙虚にならないんです。学問をするためには自分がものを知らないって前提がある。いまは本当の意味で学問をする人はいないと思いますね。「ネットで調べればわかる」「俺はバカじゃない」というのが裏にあって,説明されればわかると言うんです。(養老 p170)
 僕は,若い人を元気にするのに一番いいのは,年寄りが早く死ぬことだと思っています。年寄りがいなくなりゃ若い人が動かざるを得ない。若い人って責任持たせた瞬間に急激に伸びますからね。(養老 p182)
 いまの若い研究者が気の毒なのは,5年なら5年って任期を切られていることですね。(中略)僕は,そういう状況でやった仕事って,ほんとうじゃないと思ってます。人間って状況の産物で,そういう状況でやった仕事って,やっぱりそういう仕事なんですよ。(養老 p183)
 日本の社会は短期的で,長期にわたる答えが必要なことは考えないか,しないんですよ。(養老 p189)
 日本人って,冷たくないですから。考え方が,冷静でないっていうか,客観的でない。感情で動いているんですよ。だから,「もう一つ先を考えてください」って言うんです。(養老 p194)
 英雄だって,その人が英雄になれるような状況があったから英雄になれたので,状況が合わなければ,英雄にはなれない。(中略)性善説とか性悪説とか言われるけれど,それもやっぱり「状況」によるんです。ある状況に置くと,人間はとんでもないことをする。(養老 p194)
 今の人は絶対それを考えないんです。あの人はどこか変わっていたんだろうって結論にする。でも,「自分が危険だ」とは思っていないんですよ。(中略) 僕が放射能をあまり怖がっていないのは,「怖いのは俺のほうだよ。状況によっては,何をするかわかったもんじゃない」と思っているからです。 放射能を怖がって逃げているお母さんは,きっと「自分は怖くない」と思っているんですよ。でも,そういうお母さんたちをギリギリの極限状態に追い込んでいくと,ほんとうに何をするかわかりませんよ。(養老 p196)
 自分でやると,ひとりでにその人ができてくる。生涯お勤めが悪いとは言わないけれど,それをやっていると,自分がなくなる。組織に合わせなきゃならない場合が多いからである。そのうちに,自分がなんだったのか,それがわからなくなるのではないか。自分はいったい何が好きだったんだろうか。何をしたかったんだろうか。歳をとってそう思うとしたら,悲しいと思いませんか。(養老 p201)

2014年1月27日月曜日

2014.01.22 養老孟司 『死の壁』

書名 死の壁
著者 養老孟司
発行所 新潮新書
発行年月日 2004.04.15
価格(税別) 680円

● ベストセラーになった『バカの壁』に次ぐ,新潮新書の「壁」2冊目。

● 以下に転載。
 殺すのは極めて単純な作業です。システムを壊すのはきわめて簡単。でも,そのシステムを「お前作ってみろ」と言われた瞬間に,まったく手も足も出ないということがわかるはずです。(p18)
 他人という取り返しのつかないシステムを壊すということは,実はとりもなおさず自分も所属しているシステムの周辺を壊しているということなのです。「他人ならば壊してもいい」と身勝手な勘違いをする人は,どこかで自分が自然というシステムの一部とは別物である,と考えているのです。(p23)
 武士の切腹というのも,メンバーズクラブからの脱会方法の一つです。かなり強引で特殊な方法といってもよいでしょう。メンバーから抜けるにあたっては,腹を切りなさい,というのですから。(中略) 逆にいえば,そこまでしないと脱会は出来ない。死んだら抜けられるということは,裏を返せば,死ななくては抜けられないということです。(p95)
 脱会がそれだけ厳しいメンバーズクラブならば,入会だって相当うるさいのは当然です。生まれてきさえすれば即入会というわけにはいきません。だから,日本では「間引き」の伝統があるのです。すでにメンバーになっている側の都合もしくは判断で入会お断りとなる。(p98)

2014年1月20日月曜日

2014.01.20 養老孟司 『かけがえのないもの』

書名 かけがえのないもの
著者 養老孟司
発行所 白日社
発行年月日 2004.08.20
価格(税別) 700円

● 著者の講演をまとめたもの。「主題は自然と人工,つまり田舎と都会,個人でいうなら頭とからだ,つまり心と身体である」。
 すでに刊行されている著作で述べられていることが多い。これについても,著者の弁明というか釈明がある。それでも出版社が刊行したがるのは,出せば売れる著者だからということでしょう。

● 読了してから,この本は一度読んでいたことに気がついた。完璧に忘れているから,新鮮な気分で読めた。健忘症の効用だ。

2014年1月7日火曜日

2014.01.06 養老孟司 『読まない力』

書名 読まない力
著者 養老孟司
発行所 PHP新書
発行年月日 2009.03.02
価格(税別) 680円

● この本も雑誌連載の時評を集めたもの。ただ,出来事そのものに突っこんでいくのではなくて,出来事を素材にして自身の存念を語るエッセイ集。
 たぶん,『バカの壁』同様,著者の語りを編集者が文章に起こしたもの。

● 以下に転載。
 政治は倫理ではない。現実の取り扱い方である。その政治家が「倫理」だというのでは,本気のはずがない。何かの宣伝に決まっている。(p24)
 歴史学者は歴史は科学だというかもしれないが,それはおそらくウソである。歴史は思想であって,日本人なら「思想が現実に関与する」とロクなことにはならないと「知っている」はずである。 日中対立の根本にあるのはそれであろう。「思想」は「現実」に関与していいか。日本人は否といい,中国人は諾という。(p157)
 現代人が本当に理解すべきなのは,熱力学の第二法則であろう。自然のなかでは,秩序と無秩序は組になっている。一方的に「秩序だけを立てる」ことはできないし,「自由だけを謳歌する」ことはできないのである。 社会はむろん秩序の上に成り立つ。しかしその秩序は,つねに何かの無秩序と交換になっている。社会に秩序を打ち立てようとする人は,しばしばそこを忘れる。(p166)

2014年1月6日月曜日

2014.01.01 養老孟司 『こまった人』

書名 こまった人
著者 養老孟司
発行所 中公新書
発行年月日 2005.10.25
価格(税別) 700円

● 「中央公論」連載の時評をまとめた2冊目。

● 以下に転載。
 学問のあり方に関しては,私はマルキストである。社会がそれを決定する。アメリカの学問はアメリカの社会のあり方が決める。(p16)
 システムに必要なものは安定性である。(中略)システムとは数多くの要素が複雑に絡み合って成り立つ。その絡み合いが安定を生み出す。だれかがあっちに行けば,別の人はこっちに行く。それを全体として見れば,動かないことになる。民主主義社会が専制社会より安定するのは,乱暴にいうなら,このためであろう。社会のなかの個々人をとれば,民主政体のほうが勝手気ままに見える。しかし全体として見れば,逆に安定するのである。(p44)
 なんの役に立つか,その答えは価値観で決まる。その点で英米に学ぶことは多い。なんの役に立つのか知らないが,彼らはいまでも戦争ばかりしている。でもそこから彼らは,おそらく「なにか」を学ぶ。戦争はともあれ命がけだから,一所懸命にやらざるをえない。それなら,ひとりでに「なにか」を学ぶことになる。そこでその間,ボンヤリしていた人と差ができる。それが大英帝国,アメリカ合衆国の力の根源ではないか。(p95)
 希望は自分が変わることにあるので,世の中が変わることにあるのではない。世の中に比較すれば,自分個人なんてゴミの一粒である。それなら世の中が変わるより,その世の中を「見ている自分」が変わるほうが,よほど大きな変化をもたらすということは,わかりきっているではないか。(p168)
 規制にしたがって走る癖がついていると,(中略)「規制以上のこと」は考えない傾向が生じる。つまり原則規制はより「考えない人」を作る傾向がある。(p179)

2013年12月31日火曜日

2013.12.31 養老孟司 『まともな人』

書名 まともな人
著者 養老孟司
発行所 中公新書
発行年月日 2003.10.25
価格(税別) 700円

● 「中央公論」に連載された時評をまとめたもの。連載は2001~2003年。今となっては昔。当時,大きな問題になっていたのは教科書検定,ニューヨークの世界貿易センタービルを舞台にした自爆テロ,オウムのサリン事件,地球温暖化など。
 が,そういうこととは関係なく,今でも面白く読める。

2013年12月28日土曜日

2013.12.26 養老孟司 『超バカの壁』

書名 超バカの壁
著者 養老孟司
発行所 新潮新書
発行年月日 2006.01.20
価格(税別) 680円

● 身の上相談を「編集部の人がまとめて,それに答える形で作ったのが,本書である」。

● 以下に転載。
 仕事というのは,社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから,そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって,自分にあった穴が空いているはずだなんて,ふざけたことを考えるんじゃない,と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。(p19)
 本当に大切なのは先見性ではなくて普遍性なのです。その人が普遍性を持っていたらいつか時がくる。その人に合った時代が来るのだと思います。無理やり新奇なことをやろうとするのではなく,できるだけ普遍性を目指したほうが,結果的に先取りになっていることがある。(p31)
 大事なのは脳をどういう状態に置いてやるかなのです。だから身体を変な状態に置いたり,極限状態に置いたりすれば,人間というのはすぐ狂うし,とんでもなかう悪いことをする。(p41)
 免疫学者の多田富雄さんは「女は実態だが,男は現象である」と言いました。これは男女の違いを実によく言い表した名言だと思います。これに尽きるといってもいい。 言い換えれば女のほうが無意識に基づいて行動するということです。身体に基づいているといってもいい。男の方が意識中心で,頭でっかちになりがちです。(p61)
 自分の筋というものにとらわれると損をします。自分に対する自分の意見なんて,自分に対する他人の意見よりもはるかに軽いことが多いのです。そんなことに深刻になっているのは,若い証拠です。そういうときなんか,自分はないと思っているのがいい。「私は人の言いなりです」でいいのです。(p185)

2013.12.24 養老孟司 『バカの壁』

書名 バカの壁
著者 養老孟司
発行所 新潮新書
発行年月日 2003.04.10
価格(税別) 680円

● 10年前に出版され,400万部のベストセラーになったことは,もちろん知っているけれども,それを初めて読む機会を得た。
 充分に面白かった。でも,「ああ,面白かった」で終わってしまうのが,読書というもの。

● 以下に転載。
 私自身は,「客観的事実が存在する」というのはやはり最終的には信仰の領域だと思っています。なぜなら,突き詰めていけば,そんなことは誰にも確かめられないのですから。今の日本で一番怖いのは,それが信仰だと知らぬままに,そんなものが存在する,と信じている人が非常に多いことなのです。(p21)
 サラリーマンというのは,給料の出所に忠実な人であって,仕事に忠実なのではない。職人というのは,仕事に忠実じゃないと食えない。(p160)
 意識的世界なんていうのは屁みたいなもので,基本は身体です。それは,悪い時代を通れば必ずわかることです。身体が駄目では話にならない。(p170)
 学者はどうしても,人間がどこまで物を理解できるかということを追求していく。言ってみれば,人間はどこまで利口かということを追いかける作業を仕事としている。逆に,政治家は,人間はどこまでバカかというのを読み切らないといけない。(p182)
 原理主義が育つ土壌というものがあります。楽をしたくなると,どうしても出来るだけ脳の係数を固定化したくなる。(中略)それは一元論のほうが楽で,思考停止状態が一番気持ちいいから。(p198)

2013年12月16日月曜日

2013.12.13 養老孟司・久石 譲 『耳で考える 脳は名曲を欲する』

書名 耳で考える 脳は名曲を欲する
著者 養老孟司
    久石 譲
発行所 角川ONEテーマ21
発行年月日 2009.09.10
価格(税別) 705円

● 世の中に博覧強記の人はいるものだと思った。養老さんは何ていうのか,基礎から知ってるっていうか,根っこからものごとを見ているという印象。

● 以下に転載。まず,音楽に関する発言。
 とくにクラシックは論理性に傾いている。数学と音楽,なかでも作曲の才能が,個人のなかでもしばしば重なることは,西欧でも古くから知られたことである。(p3)
 音楽がきちんと言葉で説明できるなら,音楽は要らないんです。言葉で表現できないものを表現するために,芸術というものがある。(p33)
● あとは雑学に属するもの。ただし,ここまでくると,雑学は諸学の王ですな。
 科学の研究者でも,外国に行くと業績が上がる人が多いんです。たぶん緊張感が高いことがいい効果をもたらしているんだろうと思います。最初からテンションが上がっている。生活しているだけで,いろんな障害がありますから。(p121)
 オリンピックなんかを見ていると,水泳選手が最後のラストスパートでテンポが変わったりします。それまで三拍子のリズムだった泳ぎが,二拍子半になっているとかいう。本人は必死で努力しているつもりなんですね。だけど,実際にはむしろ遅くなっている。(中略) おそらくそういう場面というのは,「もうすぐゴールだ」と思った瞬間に,動きが変わってしまうわけです。本人は頑張っているつもりなんだけど,脳みその方が「ああゴールだ,もう済んだ」と思って締まっている。(p124)
 論理は人と共通項を持つことだということは,たいていの人が納得できます。しかし,感情だって,実は共感性が大事なんです。共感しない感情を誰かが持っていたら気持ち悪くてしょうがない。(p162)
 実際に事故の調査なんかすると,大きな事故というのは,不幸が偶然重なるものなんです。なんでこんなことが重なるんだ? ということが重なって起こる。必ずそうなんです。 歴史も僕はそうなのではないか,という気がする。この前の戦争なんかも必然性がない。偶然がぶつかり合った結果,特攻隊や原爆までいってしまった。それを筋にしようとしても無理だということです。(p166)

2013年1月28日月曜日

2013.01.25 養老孟司 『話せばわかる!』


書名 話せばわかる! 養老孟司対談集 身体がものをいう
著者 養老孟司
発行所 清流出版
発行年月日 2003.09.12
価格(税別) 1,300円

● 養老さんのイメージって,生き方の達人っていうか,何もかもわかったうえで飄々としているっていうか,大人喧嘩せずの風情があるっていうか。
 本書はその養老さんの対談集。全編,これ知恵の宝庫という感じ。すべて転載したくなる。
 ただし,その知恵を活かせるかどうか。ぼくは,たぶん,知識として知っただけで,そうなんだよなぁと思っただけで終わりそうだな。

2012年10月20日土曜日

2012.10.19 養老孟司・隈 研吾 『日本人はどう住まうべきか?』


書名 日本人はどう住まうべきか?
著者 養老孟司・隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2012.02.06
価格(税別) 1,200円

● 自分が何も知らないってことを教えられるね,こういう本を読むと。自分のバカさかげんを突きつけられるといいますかね。
 建築世界のアレコレを知らないのは当然だからこれは許すとしても,モノの見方がコンクリになっているとか,発想の貧しさとか,そもそも自分の頭で考えるとはどういうことかを知らなかったとか,根底的に自分はバカなのだなということを知らされる。

● 読みものとしても群を抜く面白さ。読みやすいしね。読み始めれば一気通貫で読了できる。

● 全編すべて引用したくなるが,いくつか引いておく。
 日本の大工さんは技術力が高くて,ベニヤを手早く組み立てることができた。それが逆説的にまずかったのかもしれませんが,建築家がどんなに勝手な造形で図面を描いても,日本の大工さんがいればたちまち世界で一番きれいなコンクリートが打ち上がるんです。建築家の妄想みたいなものを実際に形にしてくれる,素晴らしい職人さんがいたわけです。日本の建築と建築家は,丹下健三さん以来,黒川紀章さんも,安藤忠雄さんも,ベニヤをうまく組み立てられる日本の職人さんがいたおかげで世界に名前を知られた。まあ,甘やかされていたようなものなんですよ。もちろん,僕もその恩恵にあずかっています。それで,ものづくりの厳しさを,どこか忘れちゃったのかもしれない。(隈 p42)
 原理だけで建築を作ると,そのロジックが時代遅れになったときに,とんでもない負債を背負うことになります。(隈 p65)
 サラリーマン的であって一番よくないことと言えば,日本の場合は機能的じゃなくなることですね。現場にいる人は,機能的じゃないととても困るんです。(中略)現場というのはルールでは動かない。適当にごまかす方が早いしスムーズにいく。(養老 p73)
 都市というのは基本的に,賃貸という形を採用することで,家族形態の変化やライフスタイルの変化などに応じて,フラフラと移動しながら住むようにできているんです。経済状況だってしょっちゅう変わるし,それにつられていろいろなことが変わっていく。都市という生き物は,住宅を分譲して「資産だよ」と言った途端に,大きな病を抱え込むことになります。(隈 p99)
 プレハブはもう大変です。だって100年工法とか200年工法とか言われていても,その価値は100年なんか持たないもので,朽ち果てるだけですから。100年後には誰も住みたくないデザインのくせに,材料だけは200年持つということは,解体にお金がかかるだけ。手に負えません。(隈 p118)
 冷暖房を例に取ると,普通,人は寒いから暖かくして,暑いから冷やすんだと考えるわけ。これは機能論と言われますが,でも,本当はそうじゃないんです。人が冷暖房を使う理由をよくよく詰めて考えると,気温一定という秩序を意識が要求しているからなんですよ。要するに,人は暑くても寒くてもエネルギーを使っている。 (中略)その秩序を20世紀にどうやって手に入れたかというと,石油という分子をバラバラにして,無秩序を増やしたからです。秩序には,エントロピーという無秩序が付いてきて,それでもってつじつまを合わせています。都会で暮らしている人間は,頭で秩序を作り,秩序を要求しますが,それには必ず無秩序が伴うことを自覚した方がいい。そのためには,自分たちが要求しているのは秩序だということに,まず気が付いてもらわないといけない。で,次に,秩序ってそんなに望ましいものなのか,ということを考えてもらわなきゃいけない。(養老 p157)
 教育で一番大事なのは,向かない人に早くあきらめてもらうことだ。(隈 p170)
 国の診療制度だと今は出来高払いになっているから,あきらめた方がいい医者でも仕事を続けるし,あきらめた方がいい対象でも医療行為が続いてしまう。だから大変なことになっちゃったわけですよ。患者さんは,死ぬまで我慢の一生。(養老 p170)
 何もない平和なとき,人は何かをしたり,何かを考えたりはしないものらしい。大災害が起きたときに,人は新しいことをしたり,考えたりするのである。その意味で,人類史とは災害史である。(隈 p187)