書名 ウェブを炎上させるイタい人たち
著者 中川淳一郎
発行所 宝島社新書
発行年月日 2010.02.24
価格(税別) 667円
● 副題は「面妖なネット原理主義者のいなし方」。『ウェブはバカと暇人のもの』の流れ。よほどこの本は売れたに違いない。
面白かったもんな。痛快だったし。自分のことを棚にあげて,まったくそのとおりだ,よく言ってくれた,と快哉を叫びたくなる本だったからね。
● 本書の肝は「はじめに」に述べられている。
この15年ほど,インターネットは技術決定論的に語られてきた。要するに,「この技術を使えばこーんな夢みたいなことが起こりますよ!」ということだ。これは罪のなく頭の良い「技術ちゃん」を善人が理想的な使い方をする時に発生する原則論である。(p14)
心が弱く,あまりコミュニケーションも上手でない人がネットに救いを求めてもロクなことはないし,企業がネットユーザーの善意を信じて色々やろうとしてもロクなことは起こらない。(p19)
ネットで目立とうとしても,目立てるのはすでに高い能力を持った人だけである。(中略)「イケている人をますますイケている人にし,イケていない人との格差を広げる」のがインターネットなのである。(p19)
● 著者がそう考えるに至った源泉は,ネットニュース編集者としての経験。さんざん煮え湯を飲まされたというか,こんなヤツがいるのかと驚かされたというか(しかも,そういうのが普通にいる),そうした経験を山ほど積んできた。
それが仕事であるなら,人はたいていのことには耐えられる。老人介護施設で介護にあたっている人たちも,それが仕事だからできる。自宅で自分の親にできるかといったら,たぶんできないだろう。
仕事でも耐えがたかったとなると,それは相当以上な辛さだったのだと,とりあえずは推測できる。でも,著者はその仕事を仕事として全うしたようなのだが。
● 以下に転載。
人間には真に大切な人間はそんなにいない。(中略)それなのに,自分に関する情報をインターネットにアップし,のこのこと他人との関係を作ろうとし,もともと意図はしていなかったものの,あえて摩擦を起こそうとする人々がうじゃうじゃしているのがインターネットなのだ。(p25)
ブログから書籍デビューした人は大勢いるものの,一発出して終わりの人が多く,継続して書籍を出し続けたり,そのままメジャーになった人はあまりいない。さらに,身も蓋もないことだが,女性に特に顕著な「顔がいい」ことが重要になっている。(p28)
ネット上の自己表現・発言を勧める彼らはネットリテラシーも高く,頭も良い人々であり,さらには社会的地位も高い人々であるから不用意なことを書かぬ配慮や経験則,バカを論破するだけの能力を持っている。自分に能力があるからこそ,「みんな情報発信原理主義」的なところもあり,「皆が情報を発信できるのは素晴らしい!」という考え方を持っている。(p31)
09年秋~10年初頭にかけ,完全にネット界ではツイッター狂想曲のような状況になっていた。(中略)その結果,どれだけの企業がトンチンカンな使い方をし,そこにわざわざ人員を割き,炎上対策の会議をするなど,どれだけ余計なコストが増えたことか! 手段が目的化した場合,ネットで情報発信などしても意味はないのである。(p39)
ネットの世界で最強なのは「失うものがないバカと暇人」なのだ(p40)
「一流大学を出て,一流企業に入った」というほぼ同じようなクラスターで育ちも同じような人間同士でさえ,社内では軋轢ばかりが生じているのに,そんな育ちも考え方も生活レベルも,これまで経験してきたこともあまりに違いすぎる人間同士が分かり合えるわけがないのだ。インターネットはこうした「分かり合えぬ人々」同士の接点を増やしてしまった。(p46)
下劣な行為は,背後にどんな理由があれど下劣だ。炎上させる人間はろくでなしだ。それが私の結論だ。(p69)
本来,人を批判するには自分が反論されることを前提にしているべきはずだ。しかしネットでは,それが不要なのだ。(中略)罵倒された側はどこの誰かも分からない人間に対してどう反論して良いのかも分からないので泣き寝入りをする。(p83)
「玉石混交の中から『玉』を見つければいいじゃん!」と言われるかもしれないが,そこまで作業する必要はない。(中略)書店へ行けば,ピッタリのことが書かれた本を買うことができる。(p84)
日本の企業や日本人の実名ブロガーは,どう考えてもおかしいクレームに対し,妙に誠実に対応しているが,そんな必要はない。バカはバカなのである。無価値の意見など聞く必要もないし,そんなものはゴミ箱に捨ててしまえばいいのだ。(p84)
企業はネット上でブランディングが達成できることや,ユーザーがファンになってくれ,クチコミをしてくれることを夢見てきた。会員サイトを作ろうとしても,ブランディングを重視し過ぎるあまり,余計な音やFLASHが入っていて,ユーザーからしたら本当に知りたいものを見つけられない。(p100)
ネットユーザーはただ自分が好きだから,面白から使うのである。そこは情報の送り手側がコントロールできるものではない。(p101)
脊髄反射で反論をする必要はない。無視するのが一番である。(p138)
無料メディアの二大巨頭・民法テレビとネットの親和性の高さは“神レベル”である。(中略)メディアとしてのネットを語るにあたっては,本来テレビの存在は避けて通れないのだ。テレビで観た印象がそのままネットに反映されると思っておいた方が良い。(p151)
極論を言ってしまうと,ネットへの書き込みなど,ほとんどはバカバカしいのである。(中略)宣伝目的の二流芸能人が「今日のランチはカルボラーナ 量は多かったけどデザートは別腹」などと書き,それに対し暇人が「カルボラーナ,おいしそうですね」と返答をする。はっきり言うと「五流以下のゴミ溜めのような言論空間」がインターネットの大部分なのだ。(p152)
「本当にクレームする必要のある人は商品のパッケージに書かれた電話をかけてくる」と言いたい。投稿フォームがあってクレームをつけやすいから,本気でもない人間からクレームを受け,炎上するのだ。(p153)
ネットの双方向など,意味はない。時に「ネットの人の意見で素晴らしいことが起こった」と言う人がいるが,「ネットの人の意見で苦しんだ」という人の方がどれだけ多いか?(p154)
ネット上に自分の名前を出すことの利点を勝間氏や佐々木氏は説くが,そんなものは特に目立った実績もなければ,個人名で仕事を取りたい人以外には意味がない。あまりネットの力を過信し,それを伝導するのはどうかと思う。(p157)
イケてる人は,自分から何もせずとも勝手に仕事は来るものである。(p161)
最近,新しい飲食店に行く場合はグーグルで検索をするようにしている。(中略)「クーポンを発行している」ことが明らかになったら「必死に宣伝をし,さらにはクーポンを発行しなくては客が来ないレベルのたいしたことない店」であることが明白になる。そして,実際に店へ行ってみるとその判断は正しいことが実に多い。このように逆の検索もできるのがインターネットである。(p161)
人間など,自分とは考えが違う人があまりにも多いから多様性があって面白いのではないか! そして,多様性があるからこそ,様々なものが生まれるわけだろ! もう少し,自分とは違う人も認めてあげようよ!(p167)
10年現在,日本のインターネットユーザーは9000万人を超えた。もはやこれは「世間」である。リアルの世界で世間,そして他人に期待をすることはますます減っているにもかかわらず,インターネット上ではあまりにも他人に期待し過ぎる。(p170)
最近はとにかく「個人情報」が大切にされている。(中略)それなのに,同様に「世間」であるネットうえにはなんとまぁ,プライバシーが転がっていることか! どれだけ人は自分のことをさらけ出すのか!(p170)
だいたい,立場のある人間が,自分のことを他人に知らしめる必要もないのである。(p175)
テレビやゲームや漫画,雑誌や本,アミューズメント施設なども,「暇つぶしの多様化」をもたらしているだろう。だが,ネット業界にいる私から見ると,彼らは「実」があるように思えてしまう。(中略)受動的な情報の収集は時に思いがけぬ知識を与えてくれる。ネットは,基本的には自分の興味のあることだけを深掘りしていくため,こんな思いもかけぬネタを拾うことは難しい。(p193)
インターネットにハマり,そこに使う時間をいくら増やそうが人生は豊かにならないからだ。むしろ,ブログを必死に更新したり,ネット上で何かと議論をしたり,コメントを書き残したりする行為は暇つぶし以外の何物でもない。(p204)
ネット系のイベントやオフ会に参加すると顕著なのだが,はっきり言ってしまうと 参加者が子供っぽい のである。無邪気にネットやブログ,ツイッターの凄さを語り合う。(p207)
「情報を整理できる」「検索が可能」というとんでもなく有用な機能以上に何を求めているのか?(中略)2ちゃんねるは1999年の開始以降,「殺風景な灰色の画面に次々と文字が書き込まれる」という基本的な機能は何も変わっていない。というかもはや「スレッドに文字を書き込む」という2ちゃんねるの機能が究極の進化だったのである。(p210)
ネットはそれほどすごいことをもたらさない。(中略)一日の多くの時間をネットを見ながら過ごしていると,「結局すごいかすごくないかは使う人間次第」という話になる。(p213)
ネットはあくまでも情報をアップし,拡散する手段でしかない。すごいもの・すごい人がますます目立つためのツールなのである。そこでは凡庸な一般人が凡庸な才能をいくら披露しようと無視されるだけで,現実の辛さを味わうに過ぎない。(p214)
気付かなければいけないのが,ネット上で流行っていること,ネット世論など,ネット上だけに存在するものでしかないということだ。(p217)
では,ネット上で情報発信する本質とは一体何だったのか? すでにイケてる人が,その知名度と財力を元にさらに宣伝でき,ますます儲ける手段を手に入れたということだ。(中略)いきなり1万人がフォローしてくれるのも,宣伝行為が可能なのも,人々が親切に色々教えてくれるのも「有名人特権」に他ならない。(p219)
多額のカネを使ってブランドサイトを作っている企業の人々には悪いが,ネットをプロモーションに最大限に活用しているのは風俗店である。(p243)
『Twitterの衝撃』なんて書籍タイトルは所詮「単4アルカリ乾電池の衝撃」と同じ程度の意味しかない。(p243)
この15年間,日本を覆いつくしたインターネットのへの過度な期待・・・・・・これは何だったのか? またまた残念な結論になってしまうが,「子供のおもちゃ自慢大会に大人が巻き込まれた」ということでしかない。ネット上の日記,掲示板,アプリ,ブログ,SNS,ツイッター,セカンドライフ,質問サイト,レシピサイト,クチコミサイト・・・・・・。いずれも暇つぶしに最高の材料を与え,働き盛りの世代の人々の生産性を落とした。(p244)
ネットに書かれている情報は時に数千万人が一気に知ることになる。それらは知識として押さえておいても良いが,それだけを知っていても他者との差別化はできない。だからこそ,たいていは売れても数万部程度にしかならぬ「書籍」を読むべきだし,色々な人とリアル世界で交流すべきだ。その方が知の差別化はできる。(p254)
書名 ウェブでメシを食うということ
著者 中川淳一郎
発行所 毎日新聞出版
発行年月日 2016.06.30
価格(税別) 1,100円
● 「ウェブはバカと暇人のもの」と喝破した中川さんのエッセイというか,半生記。
誠実にネットと向き合ってきて,「Web2.0」に期待感を抱いたものの,バカと暇人に振り回され,ネットで飯を喰っていくにはどうすればいいかを考えに考え,経験則として固めていく。
本書にはその実践知が惜しみなく公開されている。
● ただし,知名度も富も名誉も役職も才能も持ち合わせていない,ぼくら一般人は,あまりこの実践知に囚われなくてもいいと思う。
書きたいことを書いたところで,どうせ誰も読みはしない。ブログやSNSが普及するとはそういうことであって,流れゆく大河にコップ1杯の水を加えたところで,別に何も変わらないのと同じだ。
感情的になって罵詈雑言を撒き散らすことは避けなければならないが,それ以外は好きにやればいいのじゃないか。
つまり,ウェブは自分のために利用すればいいのだと思う。ネットに寄り添うのではなくて,ネットを自分に引きつけて,自分に役立つように使う。それが著者の提言でもあるようだ。
● SNSにしても,コミュニケーションという意識ははずした方がいいのではないかと思っている。公開日記のようなものだと考えたらどうか。どうせ誰も読まないのではあるけれども,ひょっとしたら読んでくれる人がいるかもしれない。それを頼みにして,自分のログを残すということだ。
自分一個で完結する日記よりも,公開日記の方が継続するのは容易だろう。ひょっとしたらという頼みがあるからだ。
● 逆にいうと,Facebookを始めて友だちが増えないと悩んだり,Twitterでフォロワーが増えないと悩んだりするくらいなら,そんなものはやらない方が賢い。
いわゆるオピニオンリーダーと目される人たちをフォローしたところで,さほどに益するところはないような気がする。彼(彼女)の著書を読んだ方がずっと効率がいい(ただし,何ごとにも例外はある。ぼくは成毛眞さんをフォローするためだけにFacebookを使っている)。
● 以下にいくつか転載。
2000年10月,私は300時間の残業をし,もう耐えられなくなって会社を辞めることを決める。結局,サラリーマンの仕事というものは、自分より立場が上の人を出世させることにあるんだと悟り,そんな人生をこれから定年まで33年間も送りたくないと考えたのだ。(p63)
この時私はネットを主戦場とする人々に対し,若干の違和感を抱いたことはここで告白しておく。というのも,ネットで活動する人は「身元バレ」を極端に恐れているからである。(p89)
「ネットの側にすり寄る」姿勢を見せることで,支持を集められることはわかった。それは,「匿名容認」「マスコミ批判」「ネット・一般人の意見礼賛」という三つの軸を守るということである。ネットではこの三つを守っておけば批判はされない。(p126)
元々アメーバニュースは過激でバカなネタを扱う方針だったのだが,この方針はあっけなく取り下げられることとなる。というのも,ネットという空間はあまりにも言論活動の場として不自由だからだ。何かを書けば何も関係のない人からクレームがやってくるし,エゴサーチにより,関係者に書いたことがすぐバレてしまうのである。(p131)
カスタマーサポートは編集者である私の番号を問い合わせした人に伝えていた。だが,これは失敗だった・・・・・・。結局はヒマで罵倒をしたいだけのバカからの抗議だらけなのである。某航空会社のキャビンアテンダントの新しい制服を紹介したら,「私はこの会社に落ちたので,こんな記事を見せられて傷ついた」と言われたりする。(p132)
そこで私は一つの定理を獲得する。それは「誰もが知っている『あの人は今』的な記事はアクセスを稼ぐ」ということである。(中略)要するに,最旬のネタを追うのではなく,今でこそマイナーではあるものの,多くの人が知っているような話題をひたすら出し続ければ,アクセスは稼げ,それで広告費をも稼げることを理解したのである。(p136)
この時に感じたのは,結局組織力を持つ新聞社や通信社に敵うワケがないな,という無力感だった。というのも,ライターが書いたものを確認するのは私だけ。(中略)人手が足りないからである。(p152)
私は再び若干の無力感を抱き始めていた。というのも,一応はニュースサイトを始めた時は「Web2.0」に期待をしていたわけだし,ついに一般の人々がマスメディアと対等にモノを言えると思っていたのに,結局圧倒的なアクセスを稼ぐブログはテレビ出身の有名人だらけなのだから。(p153)
芸能人の参入により,「難しいことなんて考えたくないよぉ~」的な若者たちがネットの書き込みのかなりの部分を占めるようになっていくのである。(p155)
「えっ? 編集長の許可とかはいらないんですか?」「僕が読みたい本が出版される本です。中川さんはもう書いてください」 当時柿内さんは28歳だったが,この年齢でここまで言えるとは徹底的にカッコイイではないか,この時私は35歳だった。(p171)
ネットは便利なツールとして使用すべし。ネットに人生を引きずられるな,といった考えはこの頃すでに強固になっていた。(p185)
この席で津田さんからは一つの提案があった。「中川君さぁ,ツイッターは実名でやった方がいいんじゃないの?」(p191)
当時私はIT関連の本を読み,いかにその本が理想論だらけかといったことをブログに書いていた。実にアホである。なんでそんなことをやっていたのか,一言でいえば承認欲求が満たされていなかったため,突っ張って注目を浴びたかったのだと思う。(p209)
(東日本大震災の際のTwitter礼賛について)個人的には「ネットがあったから庶民に力が与えられた」という結論ありきの美談を作り上げたい人がいて,そのストーリーに多くの人が酔いしれた,というのが現実主義者である私の見立てである。(p214)
書名 読書で賢く生きる。
著者 中川淳一郎・漆原直行・山本一郎
発行所 ベスト新書
発行年月日 2015.04.20
価格(税別) 815円
● ビジネス書,自己啓発書の告発本的な色彩が濃厚。っていうか,そんなの読んでる奴って馬鹿なんじゃね,というのが基本のトーン。
ではないんだけれども,そう受け取った方が面白い。
● 言挙げされる出版社はサンマーク出版,ディスカヴァー・トゥエンティワンなど。著者の代表は・・・・・・と書きかけたけれども,それはやめておく。本書を読んでもらえばいい。
● 以下に多すぎるかもしれない転載。
書籍化されているものというのは,自費出版を除き,何らかの権威性を有している。(中略)だからこそ,書籍というのは「自分の責任を回避するために利用できる」「論理を補強してくれる」という側面があるのだ。それだけでも価値はある。(p16)
これから会う人・商談の話題に関する事前知識を得るのに,書籍は有用である。理由は,ネットでちゃちゃっと検索したものは,おそらく相手も把握しているからである。(p17)
本を読むべき理由というのは,本があまり売れないからである。(中略)知識の差別化をするにあたっては,逆説的ではあるものの,あまり多くの人が接しない情報に接することが有益である。(p19)
もう一つネットの特徴を。「普段から自分がフォローしている人は皆同じものを知っている」の法則がある。それは,SNS時代となり,相互にフォローしているような状態であれば顕著だ。(p20)
私がサラリーマンだった1990年代後半から2000年代前半,サラリーマンにとって日経新聞は「共通言語」だった。(中略)共通言語が重要なのは,会話がラクになるからである。(p23)
『経営心得帖』も『社員心得帖』も『人生心得帖』もすべて読んだが,徹底して松下氏は常識人であり続けている。「経営の神様」とはいわれるものの,「ただ,常識人たれ」という主張をしていると私は読み解いた。(p36)
私は元々書籍はそれなりに多く読んでいたが,基礎となったのはなんといっても学研の「ひみつシリーズ」である。(中略)子供向けだからとバカにするなかれ。これは本心から言うのだが,私自身,現在の基礎的な知識はこの「ひみつシリーズ」から学んだとしか思えないのである。(p45)
私としては最良のビジネス書とは,ロールモデルとして崇める人の著書にあると考えている。椎名(誠)氏,東海林(さだお)氏,吉田(豪)氏のようになりたいと考える自分がいる。だったら「師匠」である彼らの人生を,著書を通じて学ぶことこそもっとも役立つのである。(p53)
焦って関連書籍を求め続ける必要はない。そこにあるだけの情報でなんとかなるのだ。(p59)
本も一応,商材みたいなもんだから,もちろん売るためのテクニックやマーケティングの仕掛けなどはあって当然なんです。だた,ビジネス書で金儲けしようとしている人たちは,真摯じゃないというか。お客さんをカモにしようとしているんですよ。(p71)
自己啓発本なんて,原典,古典と評されている数冊程度を押さえておけば,他は読む必要なんてないんです。(p73)
コツ的なことを言えば,「目次には何度も目を通すべき」。まず読み始める前にザッと目次に目を通す。そして,1章を読み終えたら,また目次を確認。これを2章,3章と繰り返していくんです。(p87)
ビジネス書は小説とは違って,実務経験が言説の土台になるケースが多いから,実務から離れて講演とか著述業にドップリになってしまうと劣化は避けられない。ということで,よく知らない著者の本で,何を買っていいか迷ったら,まず初期作品を読んでみてください。(p89)
仕事って(中略)上を目指すのであれば,結局のところ目の前の仕事を粛々とこなして,実績を積み上げていくしかないと思っているんです。(中略)ビジネス書の中では,意識の高い著者が,ミッション・ステートメントやキャリアパスを明確に描きましょう,みたいなことを言うでしょう。でも,そんなことをしている暇があったら,目の前の仕事をしろよと。それはどんな仕事でもそうだと思うんです。(p100)
うちも海外あわせて2240人くらいのスタッフがいたけど,本当の業務の根幹を担っている人材は30人ほどですよ。言い方は悪いけど,他の人たちはいなくなっても何とか取替えは利く。そんなもんです。(p107)
人間生きていくうえでは必ず敵がいて,それって生きるうえでエネルギーになるんだよね。(p111)
(成毛眞さんの本は)目を通しておくだけで,ああ,なるほどなってものは得られる。ただ,成毛さん自身はものすごく嫌われている人でもあり,癖のある人ならではの視点がすごく興味深いんです。(p113)
まずは,これですよ,これ。「セルフブランディング」という言葉。(中略)死ねって感じですよ。(p181)
続いてのキーワードはこれ。「ライフハック」。これをブログで書いた奴はバカですね。(p182)
次も大人気のキーワードでしたね。「Win-Win」です。(中略)この言葉を聞くと,その人が突然胡散臭く感じますよね。実際,そんな関係ってありえないでしょう。(p183)
速読なんてのは横スクロールのシューティングゲームをやっていたら,自然と身につくものなんです。(p186)
キャラで売っていくのって燃え尽きるのが早いんです。勝間さんあたりはずいぶん長く,自分をブランド化する取り組みを続けていますけど,これは特殊というか,もはや才能の領域だと思う。(p195)
彼らはダマされるべくしてダマされているわけじゃないですか。役に立たない資格を取り,ふらふらと自分探しをする。私としては,「自分は何者なのか」,人間の根っこの部分と向き合おうとしない人が,本から読み取れるものなんてないと思ってるんですよ。目先の金儲けを追いかけて,橘玲の本ばかり読んでるような人に届く言葉を私はもっていないな,と。(p246)
電車内で文庫本を読んでいるとそれだけで「いい女補正」がかかる。逆に「同じことをしている姿」は誰が見てもバカにしか見えないんですよ。行列に並ぶとか。(p266)
本に書かれていても,ネットにないコンテンツはたくさんある。本当に価値のある話でネットにしか載っていない話はあまりないのも事実で。(p268)
だいたい人の後ろについていって,いいことなんてあるわけがない!(p275)
自己啓発という「秘伝のタレ」の調味に使う“厳選素材”は限られる。大ヒットしたスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』にしたってエッセンスはモルモン教じゃん。(p289)
でもさ,まず「バカは抜け出せない」じゃん。強いきっかけがあったり,誰かに強制され続けない限り,ダメな人はたぶんずっとダメだと思います。(p298)
書名 ウェブはバカと暇人のもの
著者 中川淳一郎
発行所 光文社新書
発行年月日 2009.04.20
価格(税別) 760円
● 先日,著者の『ネットのバカ』を読んで,4年前に刊行された本書も読んでみたいものだと思った。だけども,宇都宮の本屋のいくつかをあたってみても,置いてなかった。最近は書籍の回転も速いから,4年前のものなんてなくなってしまうのが当然なのかと思った。
が,東京に行く用事があったので,池袋の旭屋書店(東武百貨店7階)を覗いてみたら,さすが東京,ありましたよ。
● というわけで購入。帰りの車中で一気に読了。ぼく,読むスピードはどちらかというと遅い方だと思うんだけど,面白い本は速く読めるんですな。
副題は「現場からのネット敗北宣言」。内容はもちろんタイトルのとおり。
● いくつか転載。
集合知のすばらしさがネットの特徴として語られているが,せっせとネットに書き込みをする人々のなかには凡庸な人も多数含まれる。というか,そちらのほうが多いため,「集合愚」のほうがわたしにはしっくりくる(p17)
ここまでいくつもの例を見てきてお察しのことだとは思うが,ネットにヘビーに書き込む人の像がおぼろげながら見えてきたのではないだろうか? 揚げ足とりが大好きで,怒りっぽく,自分とは関係ないくせに品行方正で,クレーマー気質、思考停止の脊髄反射ばかりで,異論を認めたがらない・・・・・・と,実にさまざまな特徴があるが,決定的な特徴は「暇人である」ということだ。(p58)
この部分で例示されている具体的なケースを読むと,スーパーが貼りだしている「お客さまの声」を載せた模造紙を思いだす。だいたいは苦情,しかも重箱の隅をつつくようなもので,特定の人が何度も言っている。こんなものに対処させられる店員が気の毒だ。経営者はこの種の「お客さま」よりも自分の社員を大事にしろよ,と言いたくなるわけだ。
ここ数年,役所でもパブリックコメントなるものが定着した感がある。あれもどんな意見があがっているのやら。まともな大人は忙しくて,そんなものにかかずらってる暇はないはずだが。
この種のものは,だいたいにおいて「愚」か「狂」を集めてしまうものだろう。時間の無駄ではすまないものがある。
● さらに転載。
重要な情報を持っている人は,その情報をわざわざネットに書かない。「なんで,客の前で話せばカネになることをわざわざネットで公開しなきゃならないんだよ」「つーか,書いてる暇があったら寝たいから」というのが理由だが,当然である。(p72)
● 次は企業に向けた提言。
「オープンソースでプログラムを作る」などといった「頭の良い人」の世界では,Web2.0の概念が非常にしっくりきて,すばらしいプログラムの誕生へ役立つことだろう。だが,相手が暇つぶしの道具としてインターネットを使っている「普通の人」か「バカ」の場合,双方向性は運営当事者にとっては無駄である。(p92)
ひょっとして, ウェブは「バカと暇人」のもの,ではなく,「バカで暇な貧乏人」のもの,と言いたかったのではないか。
● 最後に著者は次のようにまとめる。
もちろん,知的で生産性のあるコミュニティは存在するし,ネットを使ってさまざまなものを生み出している人はいる。だが,多くの人にとってネットは単に暇つぶしの多様化をもたらしただけだろう。(p241)
書名 ネットのバカ
著者 中川淳一郎
発行所 新潮新書
発行年月日 2013.07.20
価格(税別) 720円
● 「2ちゃんねる」が今より異界だった(その分,勢いがあった)頃,著者の『今ウェブは退化中ですが,何か?』を読んで,愉快に笑わせてもらったことがある。
いまや,その「2ちゃんねる」を読みに行くこともほぼゼロになった。
● 総じて,ネットに書かれているものを読む時間は減った。自分でもこんなブログを書くようになったのが第一の理由で,人のものを読んでいる時間は減る道理だ。
今では,ブログは旧世代のものとなり,ツイッターだ,Facebookだということになっている。ホームページを開設して情報発信なんぞというのは,石器時代に言われていたことのように思えてくる。
● ともあれ,これだけ書く人が増えたんだから,その分,読む人は減っただろう。PVのトータルが百万を超えるブログもあるけれど,それらの多くはブログ普及の初期に立ちあげたもので,当時に比べると,最近のPVはガタ減りになっているんじゃないかと想像する。
● いくつか転載。
「実名」というのはバカにとっては抑止力にならない(p132)
ネットがあるから多様な意見を知ることになった,という主張は嘘である。特に,自らフォローしたい相手を選べるツイッターは,心地よい情報だけを入れることが可能になった。だからそうして,彼らは,マスコミの偏向報道の歴史や,在日韓国人にまつわる噂やらを信じ,確証バイアスを強めていく。(p195)
普段からやること,充実できることを持っている人は,別にネット上で過度にコミュニケーションを取る必要はない。仕事を引退して時間のある高齢者にとっては良いコミュニケーションツールなので,20年後のソーシャルメディアは相当多くの高齢者による書き込みが増えるだろう。(p217)