著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2018.11.05
価格(税別) 926円
● テーマはずっと「大人の男」。185万部というのはシリーズ全体での数字だろうけど,それでもかなり読まれているといえる。
「週刊現代」に連載されているわけだから,週刊誌は毀誉褒貶あるけれども,なかなかどうして大したものだ。
本書を読んで変われる人はしかし,どれほどいるものだろうか。グウタラは何を読んでもグウタラで,その筆頭が自分だ。
● 以下にいくつか転載。
3・11の時,東北にいた人たちは,津波で自動車が堤防を越えて流されている映像を誰一人見ていないのである。悲惨な街の姿を見るのは一ヶ月も先のことだ。災害にしても,戦争にしても,巻き込まれた人たちは,その実態を知らないのが本当のところだろう。(p22)
人間は少しでも,それが他人事と感じると,敢えてそれをしない生きものだ。私は備えをしないことを悪いと言っているのではない。人間はそういう生きものにできていると思っているだけだ。(p23)
己のしあわせだけのために生きるのは卑しいと私は思う。己以外の誰か,何かをゆたかにしたいと願うのが大人の生き方ではないか。(p29)
鳥井(信治郎)と藤沢(秀行)の共通点は「わてら,わしらのやっとるもんは無限の可能性がある世界や,知ってることを教えれば,皆がさらに高みに行けるやないか」人間の格が違うのだ。(p74)
風潮,風評というものは,昔から根拠なき所から,唐突に生まれ,知らぬまに,それが当たり前のごとく受け入れられるものだ。始末の悪いことに,根も葉もない話の方が世間にひろがり易いという側面を持っている。(p83)
この事件,私たちが見逃しがちなのは,被害に遭った関西の大学が,事件の状況を把握し,すぐに謝罪を求める記者会見をしたことにある。最初は,珍しいことだ,と思ったが,ビデオなどを見て,ほどなく悟った。--これは初めてのプレーではないはずだ。これまでも,これに似た状況があり,選手の生命を守らねば,と監督,ディレクターは会見の場をつくり,挑んだと言って良い。(p109)
若い人から(子供でもいいが),何か一言と頼まれると,男子なら“孤独を知れ”と書くことがある。人と人の間と書いて人間だ,わかるかね? と口にする人がいる。何を言ってやがる。それは理屈で,道理,真理とはかけ離れたものである。理屈は,やることをやった後での無駄口の類いのものだ。(p124)
雨の日の煙草の美味さは,絶妙である。煙草を吸う人がいなくなった国は,私は必ず滅びると思っている。(p124)
プロスポーツは天才でない限り,若い時にいかに苦しく辛いことをどれだけやれたかで,登る山の形が変わる。大人の男の仕事もそうである。(p131)
失敗を顔に出せば勝負事は敗れる。(p131)
小説を書くには才能があるだけでは上手く行かない。むしろ才能,才気は邪魔になる方が多い。根気,丁寧,誠実と言いたいが,そんな立派なことではない。良質の小説と,良く売れる小説はまったく違うものだ。昭和,平成を眺めても,よく売れた作品を書いた作家を見ると,大半は性格が良くないのが多い。では売れないものを平然と書く作家はどうか? もっと悪い,かもしれない。(p153)
私は,或る時から,物と金を所有せずと決めた。だから所有者とか,預金者というのは愚か者と読むようにしている。(p158)
私は海外へ旅する時は,事前に,その国の地図を求め,取材ノートにまず自分で地図を描いてみることにしている。地図は国全体だけでなく,街や村でもそうする。これが訪ねた土地を歩くのにとても役に立つし,記憶がより鮮明になる。さらに言えば,街なり村なりに着くと,まず一番高い所で車で行き,土地全体を見回してみる。(p168)
私は物というものは,使われてこそ活きるもので,家の奥に仕舞われているうちは,価値がないと思っている。物とは違うが(私にすれば物そのものだが)お金なんぞもその典型で,使ってやればいいのだ。スパッと使ってしまえば,風通しも良くなり,せいせいした気分になる。(p173)
私の短い半生の,半分近く,私は世間からガラクタのように見られて来た。こう書くと嘘と思われるかもしれないが,事実である。「あんな男見るのも嫌だ。ただの酔い泥れの博打打ちでしょう。ガラクタよ」そういう目で私を見た男と,女はゴマンといた。承知で歩いて来た。同じ目で見られる人に逢うと,気が合うかというと,これが本当にゴミだったりするから不思議だ。それでも“かがやくガラクタ”と数人出逢った。(p178)
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