著者 下川裕治
阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2014.03.30
価格(税別) 660円
● ベトナムといえば日本の中高年はベトナム戦争を連想する。しかし,日本人の連想したものと現実とはかなり違ったらしい。
本書もそのあたりを詳述しており,その部分が最も面白かった。
● そこのところを書こうとすれば,いきおい,ベトナム戦争当時に学生だった自分を語ることになる。そこを含めて,読みごたえがあった。
● ちなみに,ぼく自身のことをいえば,興味がなかった。興味がなかったといってしまっていいと思う。
遠い世界の出来事だったし,政治やイデオロギーを熱く語る輩には相当以上の違和感を抱くタイプだった。そういう人を信用しないところがあった。たんに冷たい性格だったというだけかもしれないけれど。普通にはノンポリといったのか。
● 以下にいくつか転載。
戦争が終わってから,南部も急速に社会主義化が進んだ。おばさんは配給制度も経験しているはずである。しかしそのふるまいからは,社会主義のにおいがしないのだ。タイと同じように愛想がいいし,サービスということを知っていた。(中略) 社会主義という制度は受け入れたが,人と人の間にあるアジアはなにひとつ変わっていなかった。東南アジアの気質は,勘定高さと絡みあい,イデオロギーをも呑み込んでしまっているかのようだった。(p32)
大学へ入り,それが自然な流れのような感覚で,左翼運動に加わっていった。デモの隊列のなかで足並みをそろえ,夕暮れの三里塚で放水車の水を浴びた。しかしいまになって考えてみれば,それは全共闘世代のまねごとにすぎなかった気がする。若者はそうするものだと思い込んでいる節すらあった。遅れてきた青年だったのだ。(p119)
記憶というものは不思議なものだ。視覚に刻まれたものは,折に触れ,脳細胞の奥のほうからのっそりと顔をのぞかせるのだが,においの記憶というものは,なにげなく甦ることはない。しかしそのにおいが鼻腔に届くと,視覚の記憶とは比べものにならないほど鮮明に,そのときのシーンが脳裡に広がる。においの記憶は,より本能的なもののような気がする。(p157)
ローカル列車の車掌は,本当に働かない。自分の利権を使って,車内販売おばさんに,さまざまな用事をいいつけるのだ。 これも社会主義国の公務員らしい話といいたいところだが,同じことがタイでも行われている。タイの鉄道も多くは国営で,職員は皆,公務員である。公務員という人種は,どの国でも,こういうことをする。それは社会体制とは別次元の話である。(p232)
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