2020年5月16日土曜日

2020.05.16 下川裕治 『シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ』

書名 シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ
著者 下川裕治
発行所 平凡社新書
発行年月日 2019.06.14
価格(税別) 860円

● タイトルは「シニアひとり旅」。シニアにひとり旅を勧めるというのではなく(最終的にはそうなのだが),自身の経験を紹介し,どんなところなのか,何に気をつけたらいいか,などを説く。
 が,下川さんのこととて,内容は社会派。歴史や地政学的な位置づけを踏まえて,現状を論じるものになっている。

● 以下に転載。
 ここ数年,カオサンにやってくる日本人は一気に減ってしまった。バンコクでは,カオサン以外に多くのゲストハウスができたことも一因だが,やはり日本人の若者が旅から離れてしまったことが最大の原因かと思う。(p10)
 旅を是とする人からは,旅をしなくなった日本の若者が愚に映るかもしれないが,かつての若者が賢で今の若者が愚だとは考えにくい。どちらも愚に決まっている。
 では,なぜ今の若者が旅に出なくなったのかといえば,そういう時代だからだという他はない。ありていに言うと,外国より日本の方が安全だし,物価は安いし,インフラはきめ細かく整っていることが,広く知られるようになったからでは。
 もうひとつ。バックパッカーになって外国を彷徨ってみても,さほどに得るものはないということも知られてきたからではないか。あえて時間の無駄をしなくても,と。さらには,バックパッカーに稀少価値がなくなったことも影響しているだろう。
 かつてのバックパッカーは日本社会に馴染めない若者が外に活路を求めるという意味合いがあったが,今のバックパッカーは,馴染めないんじゃなくて単なるバカというイメージ。格好悪いものになってしまった。
 時代はバブル景気のただなかだった。派手は話が飛び交うほど,物質的な豊かさへの警鐘は高まるもので,物質文明の先にある精神世界といった文脈から,インドに憧れる若者は少なくなかった。(p17)
 「いまの若者はシャワーでしか水を浴びたことがないようなんですね。宗教的な儀式が,生活習慣の変化のなかで崩れはじめているんですよ」 サリーを捨ててスカートに走り,川での沐浴を嫌う。そんな若者がインドの中間層を中心に増えているようだった。(p23)
 北インドの人々にはそんなところがあった。弱さを見せようとしない。南インドの人たちは北インドと違うのかもしれない。シンガポールにいるのはタミル人が多かった。南インドに暮らす人たちだった。(p27)
 「でも絶対にどかせないとだめ。うろうろしていると,そこが彼らの席になっちゃうんです。インドは自己主張が強い国だってこと・・・・・・肝に銘じないといけません」 (中略)しかしその行動が正しかったのか。いまの僕は少し首を傾げてしまう。そこにあるインドの流儀,インド人の優しさのようなものが少しわかってきたからだ。(p31)
 インドと中国は,膨大な人口とどう向き合っていくかという面で,同質の問題を抱えている。列車のシステムはその一例である。中国のそれは,ひたすら管理である。(中略)そこには怖いほどのシステムがある。(中略)しかしインドは違った。同じように多くの乗客をさばく際に,最終的に人に委ねるのだ。これがインドという国をわかりづらくさせていた。(p38)
 いま,日本の山にのぼっているのが,六十歳台という,団塊の世代より十歳ほど若いグループになる。彼らは日本の山にはのぼるが,ネパールまでは行こうとしない。(中略)団塊の世代は退職しても勢いがある。(中略)そこから十年くだった世代は,(中略)なにかと慎重になる。乗りが悪いのだ。(p77)
 イスラム教徒を揶揄するつもりはないが,彼らは内部より外観にこだわる傾向が強いと思う。インドのタージ・マハルにしても,外観はみごとだったが,その内部はひどかった。(p97)
 クンジュラブ峠を越えるカラコルム・ハイウェイは,バックパッカーたちの憧れだった。(中略)その過酷さが,彼らの冒険心をかきたてもしたのだが,いまや,パキスタン人のカップルが気楽にやってくるエリアになってしまった。(p105)
 (バングラデシュは)人の多さに辟易もするが,同時に守られている感覚もある。路上でスリや置き引きにあったとき,声を出せば,近くにいる見知らぬ人が反応する。(中略)欧米の治安が悪い一帯は,いくら僕が被害に遭っても,近くにいる人が無関心を装う空気がある。あれは怖いと思う。(p117)
 洗脳の核にあるのはイスラム法だった。すべてがイスラムの法に基づいて統治される国家の建設,という理想を若者に吹き込んでいった。その論理は,こんな言葉に結びつく。後進国はいつまでたっても先進国に追いつかない(p118)
 バングラデシュと聞くと,なにか大変な国というイメージがつきまとうが,実際に歩くと,意外なほどスムーズに移動できる。選択肢がそれほど多くないこともあるのだが,バングラデシュ人はかなりのお節介だから,なんとかなってしまう。(p123)
 僕はいま,「もう援助は必要ないのではないか」と思っている。バングラデシュはまだ,多くの貧困を抱えているが,富裕層や中間層が次々に生まれている。そのなかで知恵を絞れば,新しい学校運営のスタイルも可能のようなきがする。これからの日本人は,金ではなく知恵を出す時代だとも思う。(p128)
 なぜ,中央アジアをすすめるのかといえば,二〇一八年の五月,ウズベキスタンを歩いたとき,「もう大丈夫」と確信したからだった。いちばんのポイントはビザだった。(中略)世界の国境が,職員たちの小金稼ぎの場というところは珍しくない。(中略)これまでも何回となく,「旅行者から金をくすねるな」といった指示は出ているはずだった。しかしその種の通達は効き目がない。それが公務員社会というものだろう。いちばん効果があるのは,経済成長と民度のように思う。(中略)ビザ免除になり,イミグレーションの職員がなにもいわずに,ポンとスタンプを捺したとき,僕が感じ取ったのはそういうことだった。(p133)
 独立というと,国内でナショナリズムが高まり,宗主国に対して独立を勝ちとるという構図が描かれることが多い。(中略)その国がいまも存続していることが多いから,独立戦争は美化されたストーリーに仕立てられがちだ。しかし中央アジアは違った。中央アジアが属していたソ連が崩壊し,たなぼた式に手にいれた独立だった。いや,多くの人が独立など望んでいなかった。(p142)
 旧ソ連時代につくられたものは,ほとんどが使いものにならなくなっていた。かといって,自分たちの力で産業を興すことも難しい。残る手段は出稼ぎだけだったのだ。(p147)
 中央アジアの人々は,シルクロードを担った人々の血を継いでいるから,国境というものへの関心が薄いのかもしれない。茫漠とした草原の国は,水田を開墾し,そこに水を引いて稲を育てる民族とは,土地というものへの認識が違う。(p155)
 そんなキャラバンが運んだ荷は,シルクロードの交易量の一部にすぎなかったといわれる。流通量が多かったのは,各オアシスにいる人たちが,次のアイアスに運び,そのオアシスの人がまた先のオアシスに届けるという駅伝スタイルで運ばれた物だったといわれる。(p159)
 幾度となく受ける検問にも,彼ら(ウイグル人)はへこたれない。いつも笑顔でバスに戻ってくる。(p203)
 ひとり旅は立場が弱い。しかしそれだからこそ,みえてくるものがある。新疆ウイグル自治区の旅は検問だらけだが,同じように,セキュリティーチェックに並ぶと,ウイグル人の心のなかが少しわかったような気にもなる。そして彼らの笑顔と優しさが心に染みる。(p204)

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