著者 下川裕治
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.09.02
価格(税別) 1,700円
● ガイドブック的要素を加えた紀行文。下川さん,『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』や『シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ』でも中央アジアへの思いを語っている。
だいぶ気に入ってるらしい。タイに次いで,中央アジアが彼の第3の故郷になったのかと思うほどだ。ビザが不要になって旅しやすくなったこともあるようなんだけど,気候風土,食べ物,市場,人といったところに魅せられているようだ。
● 以下にいくつか転載。
そのなかで気をひそめるようにクラスウイグル人だが,笑顔は失っていなかった。(中略)つらい時代でも,笑顔を忘れないという遺伝子。シルクロードは,時代の権力にいつも晒されてきた。そのなかを生き抜いてきた彼らの処世術こそ,シルクロードそのものにも思えるのだ。(p45)
ウイグル人に囲まれる旅は楽しい。彼らは歌が大好きだ。10人にひとりぐらいはギターをもち込んでいて,それに合わせて,仲間や車内で居合わせた客が声を合わせる。(p48)
陸路で国境を越えると,風景や風習,そして人の顔がグラデーションのように変わっていく。おそらくシルクロードの時代もそうだったろう。しかし近代に入り,この国境は緊張が続いた。(p56)
旅を彩るものは想像力だと思っている。僕のように,あまり人が行かないエリアを歩くタイプは,想像力に頼る部分が大きくなる。(中略)僕は困り,路上に落ちていた石を拾い,バッグに入れた。その石をじっと眺める。(中略)その小石に,どれだけ想像力を込められるかということなのだ。(p98)
僕はどちらかというと,ホテルの予約は避けたタイプだ。それによって,旅の日程が決められてしまうと旅がつまらなくなってしまうのだ。気に入った街に出会ったらそこに泊まってみる・・・・・・。そんな自由を失いたくない。(p134)
インターネットの発達で,以前に比べれば,はるかに多くの情報を手に入れることが可能になったが,情報というものは,すべて見知らぬ人が得たものにすぎない。自分がその街の土を踏んだときの印象とは違う。旅とは自分でするものだから,僕は五感に届いた感覚を大切にしようと思っている。(p134)
海外への旅を前に,「言葉が・・・・・・」と不安を募らせる人は少なくない。しかし僕はそれほど不自由さを感じることなく,シルクロードの旅を続けてきた。(中略)旅をスムーズに進ませるもの--それは言語ではないと思っている。表情や目の力,体からにじみ出るエーテルのようなもの・・・・・・。そんな言葉にならないものでコミュニケーションは成立していく。(p137)
運賃を提示しないことである。なにもしない。英語を口にすることもしない。これが僕流の根切り術である。しかしこれはそれなりの精神力が必要になる。ただ黙っているというのは,意外なほどにつらい。(中略)僕の心境は穏やかではない。なにしろ相場を知らないのだ。(p139)
食通でもないのに,有名料理を避けようとし,それでいながら店になかなか入ることができない小心者。それが海外を歩く僕の姿である。そういう面倒くさい旅行者の編みだしたワザ・・・・・・。それが同じ店に何回も通うということだった。(p141)
はじめて店に入るときは勇気がいる。エイッ,と自分を奮いたたせて,1軒の店に入る。心のなかでは,店の主人や店員が,言葉もわからないひとりの外国人を邪険にしないことを願っている。優しさにすがるわけだ。だから混みあっている店は避ける。(p141)
僕はときどき台北に行く。小籠包で有名な鼎泰豊に行くことがある。しばしば,シニアの男性が,ポツンと座っていることがある。この店はあまりに有名だから一度は・・・・・・といったところなのだろうが,どこか寂しげにも映る。(中略)どこか情報に振りまわされている気がしないでもない。その時間があったら,泊まっているホテルの近くの店に通い詰める。そのほうがはるかに,その街の料理が見えてくる。そんなことを思ってしまうのだ。(p142)

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