著者 堀江貴文
発行所 幻冬舎
発行年月日 2015.01.15
価格(税別) 1,400円
● 堀江貴文さんの自叙伝。ライブドア事件で収監されるまでの半生記。『ゼロ』をはじめ,堀江さんが過去を語ったものはいくつかあるが,これは出所してだいぶ落ち着いてからのもの。
彼の人生観とか生き方論の元になっているのは,もって生まれた性格ではないのかと思った。親からもらった性格。
● 以下に多すぎる転載。
受刑者にもそれなりにやることは用意されていたけれど,1分1秒を惜しんで働いていた頃とは比べるべくもない。入所してしばらくは,暇という時間に戸惑い,苦しんだ。いや気が狂いそうになったという方が近いかもしれない。(p8)
僕は重い百科事典を戸棚から引っ張り出してきて,頁を開く。これが情報ジャンキーへの第一歩となった。(中略)感じなんて習っていなかったはずだが,不思議と書かれていることの意味は分かった。ん? これは面白いぞ! 紙の上に踊っている情報が,僕の頭の中にするすると流れ込んでくるような感じが心地よかった。(p33)
それはなんの前触れもなく,突然訪れた。小1の秋,肌寒い日だったと記憶している。小学校からの帰り道。一人であれこれと考え事をしていた時に,ふと浮かんできたのだ。「棒はいつか死ぬんだ」 猛烈な恐ろしさがやってきて,道路にうずくまる。(p35)
ではどうしたら死への恐怖から逃れられるのか。僕がこの答えを見つけたのはずっと後,もう大人になり,会社を立ち上げて磯アシク働いていたときだ。ふと,2年ぐらいあのパニックが起こっていないと気が付いた。ああ,そういうことか。忙しくしていればいいのか。(p37)
僕は中学の入学祝いとして両親にパソコンを買ってもらった。日立のMSXパソコン「日立H2」。値段は約7万円である。(中略)勉強のためという名目で(パソコンを)買ってもらったけれど,勉強なんかに使うわけがない。学校が終わってまっすぐ帰宅してすぐにパソコンを立ち上げる。深夜まで熱中していたのはゲームのプログラミングだった。(中略)単なる英数字の羅列が,やがて音となり,グラフィックとなる。画面の中に自力で世界を立ち上げたようなあの興奮は今でも忘れることができない。(p56)
この経験から僕は一つのことを学ぶ。借金をすることは決して悪いことではない。むしろいい借金は進んでするべきだという考えを得たのだ。お金を借りることができれば,明日にでも新しいパソコンが手に入る。「PC-88FR」を必要としているのは今の僕だ。1年かけて自分のお金が貯まるのを待つよりも,すぐに買える方法があるのであれば,そっちを選んだ方が合理的。1年早くパソコンを使えることになる。どちらにせよ新聞配達はしなくてはならないのだし。(p64)
お金以外にもこの仕事から得るものは大きかった。自作ゲームを作るのは難しいが,業務用ソフトを仕様通りに作るのは簡単であると分かった。そしてサービスで付加価値を付けると喜んでもらえることも理解する。(p67)
中学3年から高校1,2年の記憶があまりない。なにをしていたのかと問われれば,ただぶらぶらと遊んでいました,となる。でも今となれば,その時間もまったく無駄だとは思わない。(中略)辛い時期があったから今があるというストーリーは趣味ではないけれど,エネルギーを溜め込んでいた時期だったとは考えられる。(p71)
法律家になりたいから文系,科学者になりたいから理系というのならまだ分かる。数学が苦手だから文系かな,みたいな単純な苦手意識で将来を決めようとしている馬鹿が多すぎることに愕然とした。県下一の進学校である「フセツ」には,こういう真面目な勉強課タイプが本当に多かった。友達と呼べる奴は何人かいたものの,ほとんどとは話が合わない。彼らは見ていること,考えていることが,小さくて,つまらないのだ。(p74)
僕は中学入学以来ほとんど勉強をしていなかった。入学時は上位だった成績も,1年1学期の中間試験からガタ落ち。以来,200人中170番から180番あたりを低空飛行していた。(中略)僕は勉強する必要をまったく感じていなかったのだ。まず高校の勉強は大学受験のためのものと完全に割り切って考えていた。そして受験勉強は集中して半年もやれば充分だと予想がついていた。(中略)確かに今は170番から180番かもしれないが,同級生たちを見渡して,僕のポテンシャルが劣っているとは思えない。(中略)半年あれば充分。誰に教わったわけでもないが,これは自分の中で,シンプルな結論として揺らぐことがなかった。(p75)
苦労という言葉が大好きな日本人は,きっと血の滲むような猛勉強をしたのだろうと想像する。しかし僕にとっての受験勉強は面白いゲームのようなものだった。ゲームにハマっているうちにに,成績はどんどん上がっていく。そして僕は東大に合格した。(p79)
入学式直後のクラスコンパの段階から,東大にも面白い奴はいないということが分かってしまった。久留米の「フセツ」がそうであったように,多いのは真面目な勉強家タイプ。積極的に話しかけて友達になりたいなんて奴は見当たらない。(p87)
駒場寮で同室だった高見さんはその麻雀の強さからもただ者ではないことは分かるのだが,当時最先端のナノテクノロジーの研究者としても相当に優秀な人らしかった。しかし彼はよく「研究費が足りなくて満足な研究ができない」とこぼしていた。(中略)僕は早々に研究者への道を諦めていた。そうなるといよいよ本当に勉強する理由が見つからない。(p96)
ヒッチハイクは知っていたけれど,それが自分にできるとは考えたこともなかった。(中略)僕のような愛想がなくてお世辞も言えないような大学生とは無縁の世界だろう。しかし僕の同類であるはずの中谷君は,高校時代からヒッチハイクで全国を旅してきたのだという。「あんなのコツさえ分かれば誰にでもできるんだよ」中谷君がそう言うなら,僕にもできるのかもしれない。(中略)「断られてもいちいち落ち込まないこと」これも中谷君からのアドバイスの一つだ。(p98)
僕はお金はあったらいいし,なかったらなかったでなんとかなるという考え方なのだ。(p104)
先輩の中には何年も留年し,大学を卒業または退学してもまだ塾講師を続けている人が何人もいた。中には40歳を過ぎた学生崩れの世捨て人のようなおじさんや,東大の大学院まで行ったのにそのまま塾に就職してしまった人もいた。(p107)
大切だと思っているのは二つだけ。力を抜いて流れに身を任せること。そして目の前のことにひたすら熱中すること。そうしていれば人は,いつの間にか,自分が在るべき場所に辿り着くことになる。(p114)
どこまでが仕事で,どこからが遊びやプライベートなのか。世の中の多くの人はそこにしっかりと線を引いたり,バランスを取ることを意識したりするらしいけれど,僕にはまったくその感覚が欠如している。ただ楽しく働ければいい。そして仕事より楽しいことは特にない。その時の僕は単純にそう考えていたのだ。(p127)
光通信キャピタルの,というかそれはベンチャーキャピタルのということなのだろうが,冷酷さ,調子の良さには腹が立った。上場前にはあんなに持ち上げてきたくせに,初日にすべて手放すとは。実のところオン・ザ・エッジの将来になんてまったく興味もなく,とにかく売却益が出ればそれでよかったのだろう。僕は自分の甘さを痛感する。(p206)
いい加減落ち込むことにも飽き始めていたある日,僕は決心した。「『オン・ザ・エッジ』を世界一大きい会社にしよう」それを目標に経営を続けていこう。上場すればすべてが上手く行くと思っていたわけでは決してないけれど,ネットバブルの崩壊は思った以上に会社に打撃を与えた。個人的にも億単位の借金を抱えている。しかし,ここで立ち止まることは許されない。立ち止まることは流れの速いビジネスの世界では即ち敗北を意味する。(p209)
ビジネスにとって最も重要なこと,それはスピード。新しい事業を起こそうとした時,時間がかかってしまえばどんどん競争相手は増え,コストは嵩み,失敗のリスクは雪だるま式に増えていく。(p223)
彼らのような古い大手企業はなにをするにしても図体がでかい分,お金がかかる。投資に対するパーセンテージは低くならざるを得ない。その点,僕らは身軽であり,インターネットという新しいインフラに特化しているので,シナジー効果は高い。蟻と像ほどの違いがあれども勝てない勝負ではないと考えて,ここニューヨークにやってきた。(p227)
「マジで! やられたー」つまり僕らは株価をつり上げるための体のよい「当て馬」にされたようなもの。彼女たちは僕らに売るよりも高い値段で株式を市場で売り,キャピタルゲインを得たのである。華僑たちの図太さというか,利益のためなら米国の市場でも日本企業でも,なんでも利用してやるという執念を感じた瞬間である。シンガポールというのは,このようなことを国家ぐるみで行っているのだ。(p232)
なんと,こんなところにも日本政府のバカな規制が存在していたのだ。ある一定の学歴か実務経験を有さないとワーホリは認められないというではないか。(中略)僕はこの一件で,本気で政治というものを考え始めた。ちなみに今や我々がワーホリで求めていたような人材は世界中にいっぱいいる。そしてネット上のアウトソーシングサイトを使えば,彼らに簡単に仕事を外注できる。(中略)たったの10年あまりで理想の世の中になったのである。政府のクソ規制などまったく役立たず。技術は世界を変えるのだ!(p236)
知名度の低さはビジネスの様々な場面でマイナス要因となる。インターネット事業において,ユーザーや法人顧客の獲得に知名度は欠かせない。知らない会社のサービスは,信用できないサービスと思われることも多い。有名な方が安心という人間の心理はどうすることもできない。株価にしてもそうだ。知名度の低い会社の株価は上がりにくい。なぜなら知らない会社の株を買ってくれるという人はなかなかいないからだ。(p238)
僕は人からどう思われようと構わない性格だ。つまり嫌われても気にならないということ。僕を嫌いかどうかは,僕ではなく相手の問題である。(中略)そんな意味のないことに気持ちや時間を取られるくらいならば,眼の前の自分のやるべきことに集中した方がいいに決まっている。人生は短い。(中略)しかしおそらく僕は,このフジテレビ買収騒動以降の強烈な逆風,膨大なバッシングに晒される中で,なんとか自分を見失わないための自衛手段の一つとして,この思考方法を確立していったのだと思う。(p261)
選挙って面白いのだ。お祭りの神輿にたとえるのが分かりやすい。神輿に乗る者,神輿を担ぐ者,神輿を見ている者の3者のうち,もちろん一番面白いのは神輿に乗る者だ。だが担ぐのも,場合によっては乗るのと同じくらい面白いものなのだということが,スタッフの様子から伝わってくる。(p295)
イライラしっぱなしの取り調べだったが,拘置所にいる僕にとっていつの間にかその時間が唯一の楽しみに変わっていた。なぜなら取調室には人がいるのである。それがたとえ鬼だったとしても。(p321)
思考はどんどん底の方に向かっていく、しまいにはどこを見ても暗闇の中を歩いているような,自分がなにを考えていたのかすら判然としないような状態になってくる。「これは頭がおかしくなるぞ」なるべく自分に意識を集中させないように心がける。(p322)
女友達も僕の様子を心配して何度か訪ねてきてくれていた。やっぱり女性という存在は男にとって偉大である。(p337)
公判は驚きの連続だった。どう考えても嘘だろう! そんな証言をする人が何人もいた。検察側証人が嘘の証言をしたところで,偽証罪で捕まることもない。そんなデタラメな証言が裁判で採用されるはずなんてないと思っていたが,信じられないようなことがまかり通ってしまうのもまた裁判なのだと知る。(p343)
僕の経営者としての意識は,そんな日本の一般的な人生のスピード感とはまったく違うものだった。30代のうちに世界一の会社にしなければならない。20代の半ばから,僕はずっと焦っていたのだ。未来のビジョンを誰よりも先に形にすること,それこそがビジネスの成功だと思っていた。(p346)
ここで言いたいのは,世の中の人は驚くほど,あるきっかけで変わったという話が好きだということだ。多くの人は人生がしっかりした1本の線であるべきだと考えているのだろう。(中略)でも人なんてもっといい加減な,相対的なものじゃないだろうか。なにか一つのことがきっかけで変わったりするのではなくて,そもそも一瞬一瞬が別の,新しい自分なのではないか。(p351)
先日,とある呑み会で初めて会った女性から「堀江さん,血液型は何型ですか?」と聞かれた。(中略)たぶん僕はずっと,この「何型ですか?」が象徴するようなものに抵抗し続けてきたのだと思う。(p354)

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