著者 小池真一
発行所 講談社+α新書
発行年月日 2003.08.20
価格(税別) 840円
● 小澤さんの来し方や価値観,音楽への姿勢といったものを,本人や関係者,他の音楽人への取材を通して,まとめたもの。スラっと読めて面白い。
タイトルの所以は,「美しい音楽は,一人で夕陽を見つめた時のような悲しい味がする」という小澤さんの述懐。
● たとえば,次のような珠玉の言葉が登場する。
世界の基準と自国の基準を分けて考えるダブルスタンダードがある国はだめだと思うんです。「世界はすごい,日本はこの水準でいいや」と逃げることができちゃう。いろいろと世界中を見てきたけれど,それがある国はだめですね(小澤征爾 p44)
社会が豊かになって,商品やサービス,情報など選択する幅が広がり,かえって選べなくなっている。(中略)そこで人気という“偏差値”で選ぶようになる。(中略)そういう人たちはヒットを仕掛けられやすいんです(秋元康 p114)
『何かをする』ではなく『何かである』ことが大切。人間として経験を積み重ねて心を豊かにした上で,『何かである』という状態に自然になることで,音楽家の中から無意識な『自然』が出てくる。(オーギュスタン・デュメイ p139)
心に染みわたる美しさとか,心を打たれる美しさというのは,少し悲しみの味がするのよ。(小澤征爾 p148)● 未来に理想を描けば,現在のどこかを批判することになる。典型としてあげられているのが,年でのBGMの多さ。ホテルに行っても,ショッピングセンターに行っても,必ずといっていいほど何かの音楽が流れている。こうしたことがやり玉にあがる。言われてみればなるほどと思う。
ただ,どう注意していても,批判に回るときにはどこかに甘さが入りこんでしまう。批判に安直さが混ざってしまう。そういうことはないのだろうか。
● 昔は良かった式の言いぶりになる。けれども,その昔においても,さらに昔を措定して,昔に比べると今はここが問題だ,というような言論があったに決まっている。
上に転載した言葉も,その昔に,誰かが言っているに違いない。そういう意味では,目新しさなど滅多にあるものではないのだろう。
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