2018年10月16日火曜日

2018.10.16 夢枕 獏 『夢枕獏の奇想家列伝』

書名 夢枕獏の奇想家列伝
著者 夢枕 獏
発行所 文春新書
発行年月日 2009.03.20
価格(税別) 780円

● 玄奘,空海,安倍晴明,阿倍仲麻呂,河口慧海,シナン,平賀源内の7人を取りあげる。著者はこの中の過半の人を題材に小説も書いている。それらを読んでいく楽しみもある。人生はそんなに退屈しないですむようにできている。 

● 以下にいくつか転載。
 危ないところは助けてもらって,おいしいところだけをいただいて帰ってくる。こういう軟弱なことしかやれないという方がほとんどではないでしょうか。(中略)一つのことのために十七年もの歳月をかけるなんて,よほど心の中に激しい飢えとか欲望のようなものがなければできないはずです。玄奘三蔵は心にそうした気持ちを持っていた人なのです。(p31)
 玄奘三蔵は名声を獲得し,歴史に名を残すことになりました。でも,それは無事に帰って来られたからです。(中略)道半ばで死んだ人のなかには,彼ら成功者と同じぐらいの,もしくはもっとすごいものを持った人たちがいたかもしれません。(p34)
 人間の集団では,必ず成功者の陰に隠れる役回りの人が出てきます。それは集団としてどうしても必要なことです。(p34)
 仏教の考え方の中に,次の仏陀は五十六億七千万年後にこの地上に現れるという考え方がありますが,(中略)そこで空海は思うのです。「五十六億七千万年も待たなければいけないなんて冗談じゃない」 ここが空海の発想のおもしろいところです。(中略)空海の偉大なところは,こうした発想力にあると思います。(p46)
 空海は自分のことをたいへんな能力の持ち主だと思っていましたから(それはまったく正確に自己評価していたと思いますが),自分がやらなければこれからの日本の仏教はやっていけないというような感覚を抱いていたと思います。(p52)
 昔は今よりも言葉の力が強いと信じられていましたので,言葉にすることで天地が動く-簡単に言えばそういうことも信じられていたわけです。だから祈れば叶う。祈りが弱いと叶わない。その技術のもとになるのが言葉の持つ力です。その言葉の持つ力のことを,私は呪と呼んでいるのです。(p84)
 玄宗が残してきた庶民はどうしたかというと,これがまた傑作で,彼らは玄宗のいなくなった宮殿に乗り込み,したい放題に略奪を働きました。宮殿の最初の略奪者は安禄山の兵ではなくて,玄宗が守ろうとした長安の市民だったのです。(p126)
 イスラムのモスクは,キリスト教の教会と違って偶像を使いません。人間であるとか,神であるとか,動物すら描かれていない。描かれているのは植物,それも幾何学模様にされた植物の図柄だけです。そういったものだけで構成されているモスクという空間に,これが意外に,神の姿が見えてくるのです。キリスト教の教会は人間の偶像が多すぎて,人の声がやかましくて,かえって神の姿が見えない。(p158)
 そこに飾るべき絵や,調度品を建物が選ぶのです。音楽でも,この建物ではどういう音楽を聞きたいかというのが出てくるのです。だから,建物がふさわしい芸術作品を選んでいくのであって,逆ではない。(p175)

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