2018年8月23日木曜日

2018.08.23 見城 徹 『読書という荒野』

書名 読書という荒野
著者 見城 徹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.06.05
価格(税別) 1,400円

● 『編集者という病い』以来の,ぼくは読者。本書は読書を切り口にした自叙伝だが,その要諦は第3章のタイトルでもある「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」にある。
 努力は圧倒的であって初めて努力になる。つまり,強烈なアジテーションに満ちている。

● 著者はまた過剰なほどの感情家だ。飛行機の中で本を読んで号泣したことがあるというのだ。
 どの分野であれ,第一人者になるほどの人は,喜怒哀楽が激しいものだと思っている。感情家であることは,その道で名を成すための必要条件ではないか。冷静で淡々としているのでは,その他大勢になるしかない。

● 以下に転載。
 読書で学べることに比べたら,一人の人間が一生で経験することなどたかが知れている。(p4)
 本を読めば,自分の人生が生ぬるく感じるほど,過酷な環境で戦う登場人物に出会える。そのなかで我が身を振り返り,きちんと自己検証,自己嫌悪,自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ,情けない自分と向き合ってこそ,現実世界で戦う自己を確立できるのだ。(p6)
 僕は編集者という仕事をしている。編集者の武器はただ一つ,「言葉」だけだ。言葉によって作家を口説き,心を揺さぶり,圧倒的な熱量の作品を引き出す。(p7)
 読書体験を重ねた人は,必然的に一度は左翼思想に傾倒すると僕は考える。人間や社会に対する思想が純化され,現実が汚れて見えて仕方がなくなるからだ。(p9)
 教養とは,単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察,言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。(p14)
 アート作品も,作品にまつわる情報をあれこれ取得するのではなく(もちろん,そうすることでさらに深く味わうこともできるのだが),アートを目にしたときの心の動きを知覚するほうが重要だ。(中略)アートは自分自身が「価値がある」と思えば,どのような作品であれ価値が発生するのだ。(p15)
 この詩(吉本隆明『転位のための十篇』)から学んだのは,戦いとは常に孤独であるということ。誰にも理解されないことが前提だということだ。それを飲み込み,絶望した上で,戦いを貫徹しなければならない。(p60)
 僕はかねがね,人生を生き切るには「善い人」でなければ駄目だと考えている。たとえ共同幻想の所産であっても良心がなければ,自分を突き詰め,追い込むことはできない。他者と本物の関係を作ることはできない。人生や仕事において,したたかさやずる賢さも時には必要だろう。しかし,それで一時的にはうまくいったとしても,そういう人間はどこかで必ず落ちる。(p66)
 誰だって全盛期があれば,衰退期も必ず訪れる。しかしピークを過ぎたあとでも,過去の栄光に浸るのではなく,暗闇でジャンプする。圧倒的努力と覚悟を持てば,どんな逆境からでも巻き返せる。(p75)
 ヘミングウェイに触発され,僕は27歳から37歳までの時期にウエイト・トレーニングに傾倒した。「身体が締まっていなければ,意志もたるんでしまう」と考えたからだ。(中略)僕はヘミングウェイの没年である61歳をはるかに超えてしまった。しかし依然として,身体がだらしなくたるんでいる状態では,仕事という戦場で戦えないと思い,苦しいトレーニングに励んでいる。(p77)
 今思えば,公文式にはベストセラーになる条件が揃っていた。まず,オリジナリティーがあること。(中略)オリジナリティーがあるということは,極端だ。そして極端なものは明解である。(p85)
 作家をパートナーとする編集者が本を作ろうとすれば,自分が魅力的な人間であることによってしか仕事は進行しない。つまり,どれほど相手に突き刺さる刺激的な言葉を放ち,相手の奥底から本当に面白いものを引き出すか。ただそれだけなのである。これは,テクニックでなんとかなるものではない。問われているのは,今までの自分の生き方そのものだ。生きてきた人生のなかで培った言葉が,相手の胸を打つかどうかだ。(p85)
 出版とは虚業である。(中略)人の精神という目に見えないものを,商品に変えて流通させ,それを何億もの金に変える商売だ。こんな商売はいかがわしいとしか言いようがない。それを誠実な営みとして成立させるには,編集者の生き様が厳しく問われる。編集者の仕事とはそういうものである。(p87)
 すでに作家として活躍している彼らと一緒にいると,自分には才能もないし,彼らのような「書かずには救われない」という強烈な情念がないことを思い知らされた。(p87)
 よく僕は「圧倒的努力をしろ」と言う。「圧倒的努力ってどういうことですか」と聞かれるけれど,(中略)人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない,手がつけられないくらい膨大な仕事を一つひとつ片付けて全部やりきること。それが圧倒的努力だ。努力は圧倒的になって初めて意味がある。(p90)
 リスクとは,絶対に不可能なレベルに挑戦することをいう。そうでなければリスクとは呼べない。また,それくらい無理なことをしなければ,鮮やかな結果など出ない。(中略)そして鮮やかに結果を出していれば,それまで無名であってもブランドになる。ブランドになりさえすれば,あとからビジネスも金もついてくる。(p92)
 五木寛之は社会に横たわる差別構造を鮮やかに描き出す作家だ。(中略)差別こそが感動の根源であることをこれほど理解している作家はいない。(p99)
 「野生時代」に配属された僕が自分に課したルールは,とにかく,人ができないことをやろうということだった。上司や同僚ができることをやっても,僕がいる意味はない。他の人ができないこととはつまり,角川書店とは仕事をしない作家たちの原稿を取ってくることだ。(p101)
 僕は常々言っているのだが,感想こそは人間関係の最初の一歩である。結局,相手と関係を切り結ぼうと思ったら,その人のやっている仕事に対して,感想を言わなければ駄目なのだ。(中略)その感想が,仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり,次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。(p102)
 僕は43年の文芸編集者生活を通じて,会社の看板や肩書きで商売をしないということを徹底して心がけてきた。すべて見城徹という個人として仕事をしてきたつもりだ。だからのちに幻冬舎をつくったときも,まったく無名の幻冬舎に錚々たる作家が書いてくれたのだ。(p103)
 文芸作品は想像力が現実を凌駕しなければ意味がない。リアリティのある「極端」が必要なのだ。それは生き方においても同じである。極端に貧しいか,極端に豊かなものからしか,人の心を揺さぶる表現は出てこない。(p108)
 仕事をする上で譲れない美意識を持っているということは大切だ。見栄や利害損得で行動する人は大きなことを達成することはできない。(p112)
 作品というのは,その人がいちばん書きたくないものを書かせたときにいちばんいいものができるし,売れるのである。(p123)
 作家だけでなくスポーツ選手もミュージシャンも俳優も,表現者である。僕は常に150人ぐらいの表現者と付き合っている。その一人一人に僕は「これを書いてください」というキラーカードをいつも3枚ずつ持っていようと努力している。(p124)
 表現とは結局自己救済なのだから,自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。(p127)
 僕が編集者として心がけていたのは,「3人の大物と,きらめく新人3人をつかむ」ことだ。(中略)そうやって大物作家と若い世代を押さえると,中間にいる作家たちは向こうから声をかけてきてくれる。(中略)3人のスーパースターと3人のきらめく新人をつかむこと。プロヂューサーや編集者ならそこに全力を尽くすべきである。(p130)
 人間は「極」をどれだけ経験したかで,度量が決まる。真ん中を歩いている人からは何も生まれてこない。極端を経験してこそ,豊饒な言葉を発することができるのだ。(p132)
 どんな社会も差別構造を持っているが,その差別はどこから来るかといえば,僕の考えでは「自然=時間=季節」から来る。季節があるから行事が生まれ,役割が決まり,それが差別を作り,物語を生むという構造だ。(p139)
 林真理子の原動力となっているのは,「美人ではない」というハンディキャップだ。その点では僕と通底する。その上で,劣等感が自意識を育み,その裏返しとして放蕩の限りを尽くしていた。文学は,このような過剰か欠落を抱えた人間からしか生まれない。(p143)
 小説家はマジシャンと似ている。両者はいずれも,「タネはこうだ」と指摘されたら不愉快に感じるのだ。それが合っていたとしても,間違っていたとしても,だ。(p146)
 残念ながら,村上春樹と仕事をする機会はほとんどなかった。彼の心をつかもうとして,多分,不愉快にさせてしまったことを悔いる気持ちもある。しかし,人間関係において小手先の技は通用しない。正面から本音を言って,それでうまくいかない関係があっても,それはそれでいいのだと思う。(p146)
 彼女(草間彌生)のアート作品の特徴でもある細かいドットは,性器のシンボルである。おそらく彼女には,性に対する強烈な原体験がある。そう考えた僕は,性の情念を小説にぶつけるよう助言をした。(p155)
 尾崎豊は「猜疑心」「嫉妬心」「独占心」など負の情念の塊だった。彼は「愛」とか「信頼」「絆」や「友情」「献身」などをまったく信じていなかった。信じていなかったからこそあれだけの歌詞とメロディで,感動的な歌を歌えたのだと思っている。(p163)
 テクニックで書いてもその人に切実な表現したいものがない限り何も伝わらない。(p165)
 本書(沢木耕太郎『深夜特急』)に魅せられて,多くの若者が旅に出た。しかしほとんどの旅は浅薄なものだ。それは旅の持つ本質に気づいていないからだ。旅の本質とは「自分の貨幣と言語が通用しない場所に行く」という点にある。貨幣と言語は,これまでの自分が築き上げてきたものにほかならない。(p172)
 五木さんは僕に「これで買い物をしていらっしゃい」とポンと100万円をくれた。その当時の僕にとってとんでもない大金だ。ジャケットから鞄,靴まで,欲しいものを片っ端から買いまくった。一種の恍惚状態になったとも言えるだろう。あれほど買い物が官能的だと思ったことはない。(中略)あれは僕にとって唯一無二の体験で,「物事は徹底的にやり切らなければ見えない世界がある」と感じる出来事だった。(p177)
 読書し尽くす,飲み尽くす,お金を使い尽くす。動き方が極端であればあるほど,官能が生まれ,文学的なメッセージを帯びる。狂ってこそ初めてわかることがある。(p184)
 恋愛の理不尽さに比べれば,仕事のそれなど甘いものだ。(p185)
 困難に陥ったときには,人は藁にもすがろうとする。そのときに心のよすがをどこから得るかといえば,やはり読書しかない。困難を突破する答えは,スマートフォンで検索すると出てくるように錯覚しがちだ。しかしそうして出てきた答えが,自分の人生を前に進めることはない。(p192)
 出版界の未来とか,電子書籍がどうなるとか,そんなことはどうでもいい。僕はエゴイストだから,目下の関心事は「どうやって微笑しながら死ぬか」。それだけだ。そもそも僕がなぜここまで仕事に没頭するかといえば,死の虚しさから逃れるためだ。(p196)
 死の瞬間を迎えるとき,僕は何もかも失っているかもしれない。信じていた人に裏切られているかもしれない。しかしどんなに貧乏で,どんなに孤独だったとしても,僕が○だと思えば○だ。人が決めることではない。(p198)
 社会の中で何も実践していないときは,人間は「天使」だ。しかしいざ,現実の生を生きようとしたときに,さまざまな困難や危険にさらされる。葛藤し苦悩し,血を流さずにはいられなくなる。つまり「天使」ではいられなくなるのだ。(p220)
 しかし世の中には,認識者にすらなれない人間が多い。「認識者」という土台なくして,良き実践者になることは絶対に不可能だ。(中略)そして認識者になるためには,読書体験を重ねることが不可欠だ。(p220)
 人生は短く,一瞬で消える夢のようなものだ。だから真面目くさって生きるのではなく,ただ狂って色濃く生きればいい。(中略)人生なんて一夜の夢にすぎない。だったら極端をやり切ったほうが面白い。(p222)
 ただ,団鬼六は,16歳でオペラ歌手になると決意したことを皮切りに大学時代は演劇に熱中,劇作家としてデビューし,翻訳の仕事をしながら小説も発表,中学の英語教師を始め,テレビや映画の仕事も猛烈にこなしている。生涯,小説を書き続け200以上の本を出版している。ものすごい量の仕事をやり遂げた上で,「一期は夢よ,ただ狂え」と言っているのである。(p223)
 彼らの作品は,民主主義国家にとっては都合が悪い。なぜか。それは民主主義国家の支配を揺るがす三つの要素を含んでいるためだ。その三つとは,変態性癖,非定住者,暴力である。(p224)
 縛りや制約と格闘すればするほど,その葛藤と懊悩の深さは,黄金の果実を実らせるはずです。(p233)
 正確な言葉がなければ,深い思考はできない。深い思考がなければ,人生は動かない。(中略)読書はそのための最も有効な武器だ。(p236)

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