2018年8月1日水曜日

2018.08.01 pha 『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』

書名 人生にゆとりを生み出す 知の整理術
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2017.12.25
価格(税別) 1,300円

● 最も印象に残ったフレーズは「すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ」。疑いようもなくそのとおりだ。
 類書にはない新たな知見が披露されているわけではないと思えるのだが,同じ内容でもphaさんの文章で読みたいと思う人は多いだろう。ぼくもそうだ。

● ものの見方がひねくれていない。少し油断するとひねくれてしまうものだが。
 自分も図書館の恩恵を受けていながら,図書館は無料の貸本屋だなどと貶めてみたくなったりするのだが(ぼくのことだ),そういうお粗末とは当然ながら無縁。

● 扉に次の一文が書かれている。
 この本で伝えたいことはただ一つ。“一生懸命,必死でがんばっているやつよりも,なんとなく楽しみながらやっているやつのほうが強い”ということだ。
 本文はその各論,具体論ということか。しかし,ここでは各論まで目を通しておいた方がいいと思う。上の総論だけでは,どうしたらそうなれるのか,少々戸惑うだろうからだ。

● 以下に転載。
 知識があれば避けられる不幸が,人生には結構ある。だけど,たまたま知らないばかりに苦労し続けてしまっている人は世の中に多い。(p3)
 勉強でも仕事でも何でも,どれだけ根性を出してがんばるかということよりも,習慣や環境の力を利用して,無理なくなんとなく続けることが重要だ。できる人ほど,力を入れずにいろいろなことが回っていく習慣や環境を形作っている。(p7)
 勉強はゲームだし,仕事もゲームだ。試験の点数や順位や給与や売上高はゲームのスコアだ。もちろん人生だってゲームだ。人生は世界最大規模でやろうと思えば何でもできる自由度MAXの超オープンワールドゲームだから,プレイできる限り,思う存分楽しまないと損だ。(p15)
 ゲームとして楽しむときに必要なものは2つ,「余裕」と「達成感」だ。何かを楽しめないときはこの2つを持てていないことが多い。(p16)
 なかなか余裕を持ちにくいときには,僕は自分が宇宙人か未来人だと想像するようにしている。(中略)ヒマ潰しにバーチャルリアリティの世界で21世紀の地球人の人生を仮想体験しているだけ,みたいに考えるのだ。(p17)
 基本的に勉強というのは,自分が楽しいと思うことだけやればいい。これは勉強に限らず,すべてのことに言えるかもしれない。(中略)人間の体は,自分に必要なものはおいしく楽しく感じるようにできているのだ。(p21)
 僕は何か思いついたことや考えたことは,何でもすぐにツイッターやブログに書くようにしている。それは,考えていることを言葉にすると,考えが前に進むからだ。(中略)「言語化する」というのは,人間の持っている最も偉大な問題解決能力だ。(p44)
 言語化するというのは,「アナログで連続的な世界を言葉でデジタル化する」と言い換えることもできる。(p46)
 「何が問題か言葉にできたら,もう半分は解決したようなものだ」とよく言われる。対象を言語化するということは,それくらい大事なことなのだ。(p48)
 僕は,過去の自分のブログやツイッターを読み返すのが好きだ。(中略)書いたものを読むと,過去や未来の自分とやり取りできるので,一人でいながら誰かと相談するような効果が得られるのだ。(p48)
 授業中に余談をしてくれる先生はいい先生だ。(中略)人間の脳は物語や感情と結び付いたことを強く記憶するようになっているから,余談と一緒に覚えるのは効率のいいやり方なのだ。(p52)
 本に載っている無味乾燥の情報に,自分なりの思い入れや思い出や思想などを絡ませながら,自分の中の血肉としていく。無色透明の情報に自分なりの色を付けていく。(中略)情報を自分のものにするというのはそういうことなのだ。(p55)
 僕が文章をわりと書けるようになったのも,しゃべるのが昔から苦手だったせいだ。口でスラスラと思っていることをすべて表現できる人間だったなら,今頃文章なんて書いていなかっただろう。(中略)だから,自分の欠落は不幸ではなく,むしろ自分のやりたいことを決めてくれる個性だと考えるのがいい。(p58)
 想像力や創造性というのは,限られたリソースの中で何とかやりくりしようとするときに生まれる。(p60)
 僕はまったく知らないジャンルについて勉強するときは,本を最低3冊読むようにしている。そうすると,知識がちょうどいい感じに曖昧になるからだ。(p70)
 勉強のノートというのは,書いただけでは意味がない。ノートは何回も読み返すためにとるものだ。(p75)
 今の時代はもう,テレビも新聞もブログもツイッターも全部,情報源の一つとして並列している。これは歴史上初めてのとても特殊な時代だ。僕はそんな状況が楽しくてたまらない。ただ,誰でも情報を発信できるようになったことの弊害もあって,それは(中略)「誰でも気軽に発信できる」ということは,「内容がどんなにデタラメでも発信できる」ということでもあるので,ネット上の情報には嘘や間違いも多く玉石混交だ。見る価値のないようなゴミ情報も非常に多い。そこで必要となるのが,「キュレーター」と呼ばれる人の役割だ。(p87)
 ぼくがヒマ潰しにネットで見る場所は,ツイッター,はてなブックマーク,タンブラーなどなのだけど,それら全部に共通しているのは,自分の好きな人をフォローして自分だけのタイムラインを作れるというところだ。(p89)
 情報を実際に役に立てるには,単にその情報だけを知っているだけではダメで,その情報をどう位置付けるかという「文脈」や「思想」といったメタ情報が必要なのだ。(中略)本というのはそれを与えてくれるものなのだ。(p94)
 本の中に一つでも「へー」とか「よい」とか思う箇所があったらそれで十分に価値のある読書だ。もし,1冊の中に3つくらいいいフレーズを発見できたら,「大量だ!」というふうに考えよう。(p100)
 本を書く側の立場から言うと,(中略)その本で本当に伝えたいエッセンスのような内容は,どんな本でも20ページもあれば収まるものだと思っている。(p101)
 本を読んだらできるだけ読書メモをとるようにしよう。その理由は2つある。一つは,「読み返して情報を頭に定着させるため」だ。(中略)もう一つの理由は,「書くことで覚える」からだ。(p103)
 本というのは,自分自身を映す鏡のようなものでもある。だから,自分とまったくかけ離れている本を,人はおもしろいと思うことができない。(p107)
 人間の心理として,身銭を切ったものは身につきやすい。(中略)ただ,人間というのはすぐに刺激に慣れる生き物だ。お金を払うことに慣れすぎると,身銭を切る痛さがだんだん薄れてくる。(p112)
 知識というのは生きることにおいて大きな武器で,知識が多いほど有利に生きていくことができる。もし図書館がなかったとしたら,本を読むにはお金を払わないといけないので,たくさん本を読めるのはお金持ちだけになってしまう。(中略)そうすると貧富の差が固定されてしまう。(p123)
 僕がブログや本でこんなふうに文章を書いている最大のモチベーションは,「自分がもっといろんなことをわかりたいから」だ。「誰かに読んでほしい」とか「収入につながる」という理由は,なくはないけどオマケのような感じだ。普段なんとなくぼんやりと考えていることは,誰でもあるだろう。でも,それを文章にしようとすると,あやふやな理解ではうまく説明できないことに気づく。(中略)そうしたあやふやな思いつきを,ちゃんと調べてちゃんと考えて,「これはこうです」と発表できるところまで持っていくという作業を,本を書くたびに毎回やっている。(p134)
 「軽いアウトプット」のコツは,とにかく気軽にやることだ。それが良いか悪いか考えない。失敗しても気にしない,というか,むしろ失敗を積み重ねるためにやる。(中略)そして「軽いアウトプット」のツールとしてとても向いているのが,インターネット,つまりブログやツイッターだ。(p137)
 物事は何でも,「自分のため」「自分が好きだからやっている」という点がないと長く続かないものだ。自分自身のために何かをやって,あくまでおすそ分け的に他人の役にも立ったらいいな,というくらいがいいスタンスだと思う。(p140)
 大体みんな,人の話を聞くよりも自分の話を聞いてもらいたいと思っているので,この世界ではいつも話の聞き役が不足している。誰かに何かを話したいとき,一対一で聞く人を捕まえて話すのではなくネット上にかいたものをなんとなく置いておくという感じにしておくと,特定の聴手を拘束しないで済むので便利だ。(p146)
 何かを調べて文章にまとめてブログに書くと,「うわー勉強になります」というい自分より知識のない人と,「ここは正確にはちょっと違いますよ」という自分より知識のある人が,両方いる。そのどちらもが大事な読者だ。(中略)「自分には発表するだけの知識がないから」と遠慮することはない。無知な状態でもどんどん書いたほうがいい。(p147)
 作家の坂口恭平は,ツイッターにひたすら文章を書き続けて,それをあとからまとめるという形で出版していたことがある。僕もツイッターに書いたことを,そのままブログに載せるというのをよくやる。とりあえずツイッターに文章を連投して,それをあとからまとめて長い文章にするというやり方はなかなかいい方法だ。(p150)
 何かを書いたり作ったりするとき,とりあえず雑にたくさんアイデアを出してみて,それをあとから厳選したり整理してまとめ直したりするという手法がよく使われる。その最初のアイデア出しに,ツイッターはすごく向いているのだ。(p152)
 実名はなるべくネットでは使わないようにしている。それは,リアルの世界とネットの世界は分けておきたいからだ。(中略)表に出せないような一面を出したり,言えないような意見を言えるからネットはおもしろい。なので,ネットをヘビーに使うなら,ハンドルネームか匿名にすることをおすすめする。(p157)
 「ハンマーを持つとみんな釘に見える」という言葉がある。これは,手にしている道具によって思考や行動が影響を受けるという意味だ。(中略)小さい紙を前にしているとそれに収まるくらいの少しのアイデアしか出てこないし,大きい紙に書いていると自分でも思っていなかったような発想がどんどん広がっていったりする。(p164)
 アイデアを出すときの紙は横向きに使うのがよい。(中略)縦長の紙より横長の紙のほうが,アイデアに広がりや幅が出やすいからだ。人間の空間認識は,上下方向と左右方向に違う味付けをしている。上下は順番や階層といった概念などと結び付きやすいし,左右は並列や多様性といった概念と相性がいい。(中略)いろんなアイデアを出したいという場合,多様性を重視したいので,左右方向を優先したい。(p165)
 文章というのは,最初と最後がそれっぽい感じになっていれば,中間部分は適当に雑な内容を並べていても意外とバレないものだ。(p169)
 大事なポイントは,「最初から完成度を上げすぎないこと」だ。とりあえず,50%~70%くらいの完成度で,最初から最後まで作り切ってしまうのがいい。(p170)
 ある程度完成度が上がったと思ったら,そこで切り上げるのも大事だ。100%の完成度というのはありえないものなので目指さないほうがいい。(p173)
 僕は本を書くとき,大体いつも「今度は誰をパクろうかな」ということを初めに考えている。パクリは別に悪いことじゃない。(中略)誰も「無」から何かを作り出すことはできなくて,すべてのものはそれ以前からの集合体だ。そう考えると,人の作品をコピーするのは悪いことではなく当然のことでもある。(中略)パクリ問題が生じてしまうのは,一つのものからだけパクったときだ。(中略)それから,パクっても陳腐にならないための心がけとしては,「形をマネるのではなく,気持ちをマネる」というのが大事だ。(p175)
 僕はノートを最後まで使い切ったことはほとんどない。同じノートをずっと使い続けることにうんざりしてきてしまうからだ。(p186)
 「このノートはこういうふうに使おう」と決めていても,使っているうちにだんだん最初の意図や用途とはズレてきて,余計なものが積み重なってきてよくわからなくなってくるものだ。そういうときは,必要な情報だけを別の場所に書き写して,ノートを捨ててしまうとスッキリする。作業環境は定期的にリセットするのがいい。(p186)
 いいアイデアというのは,一生懸命何かをやっているときではなく,いったん考えるのをやめて休んでいるときに,フッと出てくるものだ。体力がある人は,なまじがんばれてしまうので,つい休まずに何時間もずっとダラダラと働き続けてしまう。(p187)
 勉強した内容は,勉強してすぐよりもちょっと時間が経ってからのほうが理解が深まる,ということが脳科学でも言われている。(中略)だから,いったん忘れてしまって,次の日また別人のような気持ちで見直しをする,というのが大事だ。いったん思いついたアイデアも,すぐに発表するのではなく,一晩か二晩寝かせて見直してみると,さらに改良できる場所を見つけられたりする。(p188)
 行き詰まったらダラダラと悩み続けるのではなく,こまめにリセットして休むようにしよう。(p190)
 大事なのは,細かい知識自体を知っていることよりも,どういうふうに調べれば必要な情報が出てくるかという,「情報についての情報(メタ情報)」をつかんでいることだ。(p194)
 文章を書いているとよく思うのは,「文章というのは,自分の中である程度終っているものや,ある程度一段落しているものについてしか書けない」ということだ。なぜなら,本当に何かの真っ最中にいるときは,何がなんだかわからなくて文章を書くどころじゃないからだ。(p195)
 「書くこと」,つまり他人に伝わるように言語化して説明するということは,ぼんやりしたものに形を与えるという効果や,終わりかけているものをハッキリと終わらせるという効果がある。(p195)
 僕は,やる気がしないときは,ツイッターに「だるい」「やる気がしない」「今日はあかん」などと書くようにしている。「だるい」とか「できない」という気持ちを文字にすることで,自分の中のだるさややる気のなさが書いた文字にいくらか移動して,少しだけ体が楽になるような感覚があるのだ。(p200)
 すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ。僕は,山田風太郎の『人間臨終図鑑』という,人の死ぬところだけを享年順に並べた本をときどき読んで,定期的に死を思い出すようにしている。自分の今の年齢で死んだ人の死にざまを見ると,「せっかく生きているんだから何かやろうか」という気分になってくる。(p207)
 精神や肉体が健康な状態なら,本当にやるべきことは自然にやりたいと思って体が動き始めるはずだ。どうしてもやる気がしないのは,自分は本当は「それをやらなくていい」と思っているからではないだろうか。(p208)
 「考えてみてもどこから手を付けていいのかまったく見当がつかない・・・・・・もうだめだ」というときは,視野が狭くなってしまっているので,ちょっと一息入れよう。(中略)基本的に,まったくどうにもならない問題というのはこの世に存在しない。だけど,敵との距離が近すぎるとうまく敵の全体像が把握できなくて,相手が攻略不可能の巨大な壁に見えたりする。(p213)
 なぜ,細かくスケジュールを区切るのがいいのか。それは,細かくスケジュールとタスクを分けることで,その段階で気にしなくていいことを全部忘れることができて,目の前の作業への集中力を上げることができるからだ。(中略)人間の脳内のメモリには限界があるので,気にしなくていいことはとりあえず忘れてしまったほうが,作業がはかどる。(中略)メモやノートや予定表というのは,とりあえず必要じゃないことを忘れて頭の中をラクにするためにある。(p220)
 特に問題なく予定通りに進んでいるときでも,週に一度は新しく作り直したほうがいい。古いメモやスケジュールというのはだんだんと鮮度が落ちて腐ってきて,そうするとやる気も下がってくるものだ。(p222)
 気分次第でやることを変えていけるのが人間の楽しさだし,僕らはいつだって,今やっていることと何か別のことをやりたいと思っているのだ。(p223)
 無制限にだらだらと何かをするよりも,時間が制限されていたほうが人間の生産性は上がる。時間というのは区切れば区切るほど増えるものだからだ。たとえば,「3時間仕事をして30分休む」よりも,「1時間仕事をして10分休むを3回繰り返す」というほうが,2倍くらい仕事ははかどる。(p224)
 散歩をしながら音楽を聴くというのが,僕の最強の気分転換術だ。勉強中や作業中は歌詞のない音楽や歌詞の聴き取れない洋楽を聴いて,休憩中は歌詞のある歌を聴くようにしている。(p228)

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