2018年8月6日月曜日

2018.08.06 永江 朗 『おじさんの哲学』

書名 おじさんの哲学
著者 永江 朗
発行所 原書房
発行年月日 2014.04.02
価格(税別) 1,800円

● 『批評の事情』に連なる1冊。誰を取りあげるかの切り口が「おじさん」。「おじさん」の意味はアマゾンのレビューででも確認を。
 吉本隆明に対してけっこう辛口。田中小実昌,山口瞳,伊丹十三など評論家じゃない人も取りあげられている。若い頃に読んだ“コミさん”の小説を読み返してみようかと思った。

● 以下に転載。
 森高さんも,この歌(「私がオバさんになっても」)を作ったときは,二一世紀に空前の熟女ブームが来て,女性たちが四十代になっても「女子」とか自分たちを呼んじゃって,膝小僧を堂々と出す時代になるとは思っていなかったでしょう。(p7)
 ぼくが自分を成熟した大人ではないなと判断することのひとつが,こうして文章を書いていても,つい括弧で言葉を補いたくなってしまう癖です。ひとことでいい切ることができない。いい切る勇気がない。だからつい括弧で補ってしまう。補うのはたんに補足だけではありません。自分に対する批判や冷笑を先回りして述べるようなところがある。(中略)防御のためにあらかじめ自分でツッコんでおく。(p13)
 ぼくは人にものを教わるのが嫌いです。先生に教えてもらうくらいなら,本を読んで独学したほうがいいと思っています。実際,和服の着方は本を見て覚えました。しかも,教わるのだけじゃなくて,教えるのも苦手なんですね。他人から「教えてください」といわれると,「そんなことは自分で考えてよ」と追い払いたくなる。(p25)
 大学で教えてほしいという依頼を引き受けたのは,「そうだ,自分が知りたいことを教えればいいんだ」と思いついたからです。(中略)自分で知りたいと思っていることを,学生に調べて発表してもらったり,たまには自分でも調べて話せばいいや,と。(中略)これは当たりでしたね。(p26)
 先生と呼べる存在が身近にある,ということで人は何かを学ぼうとする。ときには(というか,たいていの場合は),実体としての先生以上のものを,生徒は先生に見る。そして学ぶわけです。(p32)
 人間,ジェラシーとプライドとコンプレックスから自由になれたら,どんなに幸福かと思います。ブッダのいう「悟り」って,そういうことでしょう?(p33)
 アドリブにもお約束はあります。ジャズだと,大まかなリズムとコード進行は無視しない。(p34)
 ブログというのは,そんなにじっくり考えて書くものじゃない。(中略)なんというか,勢いみたいなものがそがれてしまう。(p35)
 「叔父さんは勢いでものをいう」といいかえてもいいかもしれない。目の前にあることに対して,まずは発言してみる。発言したあとで,その発言の整合性を考えて,いろいろ理屈をこねる。内田樹のブログ文のおもしろさはそういうところにあると思います。(p35)
 物を買うために働き,ときにはローンで物を買い,ローンを返すためにまた働く。人びとは自分が持っている時間をどんどんお金に替えて,他人に売り渡してきました。バブルが崩壊すると,この魔法が効かなくなります。ニンジンをぶら下げられても欲しくなくなっちゃった。というか,ニンジンがニンジンじゃないと気がついた。(p57)
 彼ら(革共同両派など)の武力は国家権力に対してではなく,対立党派や自分たちの内部の異端分子に向けられました。これは思想的退廃です。(中略)ぼくはこれを「自分の右隣にいるヤツを殴る思想」と呼びます。右端にいるヤツじゃなくて右隣。右端を殴る勇気がないから,簡単なほうに逃げている。で,こういう風潮を広めたのは,吉本隆明なんじゃないかと思うわけです。(中略)吉本の攻撃スタイルって,右隣にいる人に「おまえは右に座っているじゃないか」と罵るものだったわけで。(p69)
 吉本のキーワードのひとつは「自立」です。考えてみると,同調圧力が強いといわれる日本人にとって,「自立」ほど魅力的な言葉はないのではないでしょうか。茨木のり子がブームになったのだって「倚りかからず」という言葉がかっこよかったからでしょう。(p72)
 とくにインターネットのツイッターやフェイスブックの世界では,目の前の事象に対して脊髄反射的に何かをいったり書いたりするようになっています。じっくり考えているとツイッターの速い流れについていけません。議論を深めることはできない。(p97)
 全共闘運動は大人たちがつくったシステムや価値観に「NO!」という,いわば駄々っ子みたいな運動だったわけですが,そのシステムや価値観のなかには旧来の「お勉強」が入っていました。(中略)勉強することが,当時の若者言葉でいうなら「ブルジョア的」だった。いま振り返ると滑稽ですが,中国の文化大革命やその矮小版であるカンボジアのポルポトがやったことなど,グロテスクで愚かなことが現実に行われたのですから,笑っている場合ではありません。(p95)
 でも,新しいことというのは,常に周縁から起きるんですね。ぼくの専門分野は出版産業,それも書店業についてですが,出版の新しい風は常に業界外から吹いてきました。(p99)
 とくにお年寄りの作家になると自分の文学観からはみ出るものに対しては理解より拒絶のほうが先立つみたいで。(中略)「中心」だけが選んでいたのでは文学賞も滅びます。(p100)
 鷹峯のお宅で(生田耕作から)うかがった言葉の中で,もっとも印象的だったのは「多数派はいつも間違える」というものでした。歴史を振り返ると確かにそうなんですね。日中戦争から太平洋戦争の泥沼に入っていく過程を見ても,日本人の多数は戦争歓迎でしょう。(中略)民主主義なんていうけど,軽佻浮薄な民衆に政治なんかまかせていたら間違ってばかりです。(p105)
 ぼくはツイッターに三日で飽きた男ですし,ミクシーもフェイスブックもやりませんが,ときどきネットの掲示板的なところを覗きます。五分ぐらいでどんよりした気持ちになりますね。みんな心のなかのどす黒い部分をネットで吐き出している。(p115)
 ネットからぼくが感じるのは「みんな聴いてほしいんだ」ということです。黒い書き込みは匿名だから,たんに吐き出すだけだけれども,やっぱり聴いてほしいわけでしょう。聴いてほしいけれどもだれも聴いてくれないからエスカレートしていく。(p116)
 ある週刊誌の元編集長がこんなことをいっていました。「間違ってもいい。一週間たてば次の号が出る」 旅の恥はかき捨てならぬ,報道の恥は書き捨て。マスメディアというものは本質的に刹那的なものだと思います。(p120)
 「善人がファシストになること,それがファシズムというものだ」と森毅はいいます。ぼくが『不良のための読書術』を書いたいちばん大きな動機はこれでした。人はほうっておくと善人になるし,善人はファシストになる。だから不良になるよう心がけよう。本を読んで不良になろう,というのがぼくの読書術です。(p130)
 「一丸となって」というのは多様性を失うことですから,失敗したときのリスクも大きくなります。(p132)
 「あんなにがんばって,たいへんだったろうな」と思います。勝つころで得られるのがおカネであれ地位であれ,あるいは賞賛や名誉であれ,そんなもののためにたいへんな努力をするなんて,と。(p134)
 植草甚一は変な叔父さん,変なおじいさんでした。その特徴は,徹底的な愚行です。分別のある大人ならやらないようなことをする。いや,大人だけじゃなくて,若者だってやらないようなことをする。(p156)
 なーんだ,一日四時間くらいなら,ぼくだって聴いていることがあるよ,と思ったけれども,植草甚一のほかの文章を読むと,ほかのことをしながらの「ながら聴き」ではないようなんですね。ガチで聴いている。もしかしたらノートなんかも取っているかもしれません。これはちょっとできないな。(p157)
 三年間二千冊という数字に,森本哲郎は「それはすごい。で,発見がありましたか?」という。すると植草甚一は「ないです」とひと言。すごいひと言です。一〇冊,二〇冊を読んでの「ないです」ではありません。(中略)たぶん二千冊も買い込まなくても,十冊,二十冊ほど読んだあたりで,発見は「ない」とわかっていたはずです。感の鋭い人ですからね。でも三年間,二千冊,律儀に買い込んじゃうわけです。(p160)
 ぼくの考えでは,スタンダードは簡単で難しい。(中略)スタンダードは奥が深い。うるさい人は襟幅やウエストの絞り方にミリ単位でいろいろいうわけです。(中略)それに比べれば,いわゆるモード系のほうがルールはゆるい。モード系のルールは流行からはずれていないかどうかだけですから。(p171)
 デパートに勤めているとき,ぼくが発見したことのひとつは,「お金持ちは値段を訊く」ということです。「値段を訊くのは恥ずかしい」なんて考えるのは貧乏人ですね。貧乏人ほど見栄っ張りです。(p186)
 コミさん(田中小実昌)がヨレヨレにもかかわらずかっこよく見えたのは,まず,働いているようすがなかったからです。ふらふらと東映本社の前を歩いていたりする。そのときコミさんの表情は弛緩しています。(中略)でもいま考えると,コミさんが働いていないわけがない。エッセイや小説の執筆でけっこう忙しかったに違いありません。(中略)この,忙しくても忙しいことを周囲に感じさせない,それどころか暇を持て余しているように見える,というところもコミさんの尊敬すべき点です。(中略)忙しいときに「忙しい」と自分でいうのは野暮です。(p195)
 行き先も確かめずに衝動的にバスに乗り,鞄からとり出した哲学書を読んでぼんやり考えるコミさんから,そんなふうにぼくは考えます。考えることを愛好する,智を愛するというのは,コミさんのような生活から生まれるんじゃないだろうか。案外,ソクラテスってコミさんみたいな人だったのかもしれない。(p199)
 非常に精緻にけなされても,それは何か自分の或る一面を衝かれているにすぎないと思うくせに,ほめられると,それがただの一言であっても,自分の全作品全生涯をほめられたように感ずるのである。(谷川俊太郎 p233)
 ぼくがツイッターやフェイスブックに近づかないのも,打たれ弱いからということがあります。(p234)
 以前,谷川さんにインタビューしたとき,ぼくは少し意地悪な気持ちで,斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』のブームについてどう思うかと訪ねたことがあります。それは批判的な言葉を期待してのものでした。でも谷川さんはぼくのその意図を察したのでしょう,少しぼくの目を見てから「あれはいいと思うよ」といいました。その目は,他人の口を借りてそこにいない誰かの悪口をいってはいけないと諭しているようで,その瞬間,ぼくは恥ずかしくなりました。(p234)
 英雄や偉人はいるだろう。でも英雄や偉人だって,二四時間いつも英雄であり偉人であるわけではないだろう,というのが小田実の「チョボチョボ論」です。(p244)
 世の中を不幸にするのはまじめな人たちです。ふざけていたずら半分で戦争を起こそうという人はいません。まじめな人が戦争を始める。(中略)ふまじめな人がする迷惑の範囲はたかがしれています。ところがまじめな人による迷惑はスケールがでかい。(p245)
 オウム真理教の信者たちは,邪悪でふざけた人だったわけではない。むしろ世間的な尺度でいえばまじめないい人たちでしょう。まじめないい人たちが,ばかげた宗教にだまされて殺人者になっちゃった・・・・・・のではなくて,まじめないい人たちだから,ばかげた宗教を信じて邪悪な殺人者になったんです。(中略)そして,普通の人は,たいていまじめです。放っておくと,どんどんまじめになります。(p246)
 取り調べが続くあいだ,彼(鶴見俊輔)は拘置所に入れられました。そこでは元ボクサーの殺人犯もいたそうです。ぼくが当時のことを彼に聞いたとき,「そりゃあ,いい人間だったよ」と彼は笑っていいました。「なにしろ人を殺しちゃうぐらいだもの,いい人間なんだよ」と。(p248)
 勝っている社会って,じつい居心地の悪い,いやなものです。バブル時代の日本がそうでした。(中略)だからバブルがはじけた時はほっとした。バブルで浮かれている時よりも,バブルがはじけて仕事が減って,「苦しいね。しんどいね」といっている時のほうが,気持ちとしては楽でした。(p250)
 敗戦当夜,食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし,夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく,女性は,食事をととのえた。この無言の姿勢の中に,平和運動の根がある(鶴見俊輔 p253)
 もちろん彼らも派手に論争しましたし,とくに吉本隆明は『試行』などで罵詈雑言を浴びせたわけだけれども,それはひとつの芸みないなものであって,罵詈雑言を浴びせられる方も芸だとわかっていて,つきあったりつきあわなかったりしたわけです。それに対してぼくらの世代,一九六〇年前後に生まれた世代は,批判されるといまひとつ冷静ではいられませんね。線が細いのかもしれない。もちろんあらゆることを世代に還元してしまうのは良くないけれど。(p257)
 だいたい合ってりゃいいんですよ。いや,合ってなくても,おもしろけりゃいいじゃん。(中略)正しくてつまんないことより,間違ってておもしろいほうがいい,とぼくなんかは思うんですけど。(中略)もうソースやエビデンスはいいので,ぼくはおもしろい叔父さんのアドバイスというかぼやきが聞きたい。(p258)

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