著者 伊藤浩志・pha
発行所 東京書籍
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,400円
● 「フルサト」とカタカナなのは,生まれ故郷という意味での故郷ではなく,今住んでる都会とは別の場所に人為的に住まいを作ろうよ,という提言だから。
著者たちは東京に住んでいる。でもって,熊野の廃屋(?)を共同で購入して住めるように直して,地域共同体とも係わりながら,自分たちの「フルサト」を作っている。
主には,その熊野での活動を例にしながら,なぜ「フルサト」なのかを諄々と説いていく。
● “地域共同体とも係わりながら”と言ったけれども,著者たちはそこに意味を見出しているようでもある。たんなる田舎暮らしの良さということではなくて。
ある意味で,流行の先端なのかもしれない。現代社会病理学のテキストとしても読めるように思う。
● ぼく一個は,これが滔々たる流れになるとは思わないけれども,過疎に見舞われて,何とか地域振興を図る手立てはないかと悩んでいる,地方の人たちにも参考になるのじゃないかと思う。
● 以下に転載。
変化が大きい現代社会は,常識的に安定と思われることのほうがリスクが高いことが往々にしてある。安定しているとは,世の中が動いている時期に止まっていることであるから当然である。日々チャレンジいていったほうが,変化に適応できるから長期的に見たら安定していると言える。(伊藤 p11)
何か変化を生み出すには小さな常識を超えることが不可欠だ。不安で思考が充満すると視野狭窄になって変化を生み出せなくなる。(伊藤 p11)
大事なものの多くは感覚的なものだ。例えば,暖かさだ。人間は,寒いと後ろ向きな気分になりやすい。(伊藤 p11)
並列に並んだ情報を比較していくうちに決められなくなる。こういうのは,勘と人との出会いで決めてしまうのがいい。(中略)理屈を超えた衝動が起きないと変化は起こせない。(伊藤 p18)
コミューンみたいな移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。(伊藤 p19)
イエス・キリストも自分の生まれた土地では奇跡を起こせなかったという。自分の子供の頃のことや自分の家族を知っている人たちがたくさんいる場所では思い切ったことがなかなかできないものだ。(pha p38)
通常,建築物というのは,計画とコンセプトを最初にがっちり決めて作り上げる。これは西洋的な手法と言ってもよいだろう。この,企業では当然の手法はそれなりの教育を受けて経験をみっちり積んでいて感覚の優れた人でないと大したものはできない。(中略)だからこそ,素人は1日といわず住みながら考えるぐらいのことをすればよいと思う。(伊藤 p92)
生活すること自体が価値になるのが21世紀だろうと思う。そこがおろそかだと,いくら時間をかけて働いても人生の質が上がりにくい。(伊藤 p94)
世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは,集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。(伊藤 p95)
同じ人間だけでずっと過ごしているとどうしてもいろいろ溜まったりよどんだりしてくるものがあるので,「人がある程度循環している」というのが居心地の良い場所を作るときに大事な点だ。(pha p126)
どんな世界でも新規ユーザーに厳しいジャンルは衰退する。(pha p128)
あまり先のことを決めすぎるのは不自然だと思うし,誰かが何十年もずっと継続しているようなことだって,結局は短期的な予定の積み重ねだったり偶然の成り行きだったり単なる惰性だったりすることが多い。(中略)人生なんて結局「ちょっと,とりあえず」の積み重ねに過ぎないんじゃないだろうか。(pha p129)
フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一には面白いからであり,さらに他者との関係をつくるためであり,そのついでに生活の糧を得るという順番である。(伊藤 p143)
遊びになるくらいの感覚で働くほうが集中力が出て質があがるだろうし,無理して働いているよりも人の能力が発揮されると思う。なにしろ個人のやるべき仕事は工夫と細やかさが勝負なので,やっている人の精神の余裕が鍵になってくる。(伊藤 p144)
自給活動はマネーを稼ぐための活動よりも費用対効果がよいことが多く,狙い目の分野なのでいろいろ検証してみる価値がある。(中略)自給力をあげたほうが楽だし,コントロールできる生活の範囲が広がる,というのが私の意見である。(伊藤 p148)
現代社会が何かとお金がかかるのは,サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが,直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。インターネットは基本的にこの中間をなくすように発展していくので,全体の傾向としてはこのような中間のコストは省かれていくだろう。(伊藤 p157)
もしかしたら,交換するものは究極的には物資やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれれば,無料で気分よくなれるのだからかなりの儲けもんだ。(中略)しかし一方では,昨今の挨拶は「あいつは挨拶ができない」と減点評価するために使われている。とてもつまらない現象だ。(伊藤 p158)
ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない,とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている,これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金と交換してもらう」とか,そういう意識で捉えている人は,はっきり言ってズレている。(伊藤 p159)
モノが飽和したこの時代においては,モノによる充足よりも自分の体を動かして普段できないことをする,ということにも価値がある。(伊藤 p169)
徳島県上勝町の葉っぱビジネスは,発案者の横石知二氏が自ら料亭に通い詰めて,どういう葉っぱがつまものにふさわしいかを実感できるレベルまで探求した,ということから発展してきていた。(中略)使う側の生活実感をしるかが勝負どころだった。生活を探求するというのがいかに大事かというのが分かる。(伊藤 p174)
バックパッカーが集まる都市には必ず安宿街がある。そして安宿街には,安く泊まれるゲストハウスと,気軽にごはんを食べられるレストランやカフェと,古本屋があるものなのだ。(pha p211)
都会にはどんな文化でも同じジャンルに詳しい人がたくさんいるので,ちょっとやそっとのレベルではなかなかイベントを開いて人を集めにくかったりする。田舎だったら人が少ないので他に同じことをやっている人があまりいないから,趣味の延長として気軽に文化的なイベントを開催しやすい。(pha p215)
ともすると経験値のある人ほど「めちゃくちゃ大変やぞ」と脅してくることがあると思う。それが正しいこともあるが,しかしどう大変なのかということを具体的に聞いてみないと,それが真実味があるのか分からない。(伊藤 p231)
高齢化社会の問題の一部に,老害問題がある。私は,ごく一部の権力を持った高齢者が力を振り回して被害を起こすという老害は,メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大,高齢化による思考力の減退,さらには趣味文化の低下による暇の処理不能,この三点がセットになったときに発生すると考えている。(中略)もし追求したい趣味があれば隠居のタイミングを逃さずにすむのだが,無趣味だとやることがないから仕事に逃げる。(伊藤 p236)
そこで大事なのは,書を書くなら書くこと自体を目的にすることである。うまく書いて褒めてもらおうとか,狭い業界で評判を得たいなどと考えていると本末転倒だし,来訪客に自分の作品を無理矢理見せたりして迷惑がられるのがオチなので,せめて老年期までにはつまらん承認欲求を軽々と無視して技芸趣味に没入できる枯れた境地を目指したい。そのためには若いうちからやれることをやっておく必要がある。(伊藤 p238)
理論をレクチャーするタイプの授業は講師によって質にバラツキのある集団講義じゃなくて動画で開いてしまえばよい。人から直接教わるのも大事なので,それは別途集中的に実習や研究を現場で行う。動画配信と合宿の組み合わせの教育を行えば,これまでの教育機関の内容を超えられる可能性は十分ある。(伊藤 p247)
人の活力が落ちれば企業の活力も落ちる。これまで地理的な高齢化や過疎化が問題視されてきたが,今後は企業の高齢化問題が顕在化してくる。過疎化する企業が出てくるだろう。(伊藤 p254)
世の中を見渡してみると,様々なジャンキーが存在する。延々と転職情報を集め続けて行動しない,というのは転職情報ジャンキーであるし,使わない資格を取り続けるのも資格ジャンキーである。使わないのに一気に買い物してしまうというのも消費ジャンキーだし,他人の悪口を収拾して話すのがやめられない,というのも罵詈雑言ジャンキーであろう。これらの原因は共通している。「暇」である。(伊藤 p255)
デジタルジャンキーが生まれやすいというのは個人的にはスマートフォンなどのデバイスやツールの問題だけではなく,他に刺激的なことが無いからだと思う。多くの人にとって一見刺激的なように見えて都市の風景は視覚聴覚どちらの面でも退屈である。(中略)直線的な建物が並ぶだけなので複雑性が圧倒的に足りない。(中略)だから自然の複雑な環境からの情報を得るための感知能力を持て余してしまう。(伊藤 p256)
空き家が急増していて,しかも人口が増えない状況を考えると,家をもっていることよりも,住むことのほうが価値を生み出すといえる段階に来ていると思う。この際,逆家賃を発生させてもよいかもしれない。つまり,住むこと自体が仕事になるような状況である。(伊藤 p262)
社会というのはおおむね保守的なものだから,追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。(pha p274)
その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。(中略)だから,ときどきいる場所を変えるといろんな視点を持ったり考え方を柔軟にしたりしやすくなるので良いと思う。(pha p302)
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