2017年9月7日木曜日

2017.09.07 『アンソロジー そば』

書名 アンソロジー そば
発行所 PARCO出版
発行年月日 2014.12.31
価格(税別) 1,600円

● “そば”に関する短いエッセイを集めたもの。書いている人は次のとおり。写真は小林キユウさんが担当。
 池波正太郎 島田雅彦 杉浦日向子 山口瞳
 五代目柳亭燕路 町田康 吉行淳之介 群ようこ
 東海林さだお 松浦弥太郎 川上未映子 入江相政
 福原義春 タモリ 神吉拓郎 獅子文六
 小池昌代 中島らも 尾辻克彦 川上弘美
 丸木俊 田中小実昌 荷宮和子 吉村昭
 山下洋輔 平松洋子 川本三郎 村松友視
 立松和平 渡辺喜恵子 黒柳徹子 佐多稲子
 色川武大 太田愛人 みなみらんぼう 大河内昭爾
 立原正秋 檀一雄

● “そば”自体について語っているものもあれば,“そば”は脇役になっているものもある。
 そば屋と酒は相性がいいのだろう。ぼくはそば屋で飲んだことはなくて,どうやら一度もないまま人生を終えそうな予感があるんだけれども。
 本書を読んで“そば”を食べたくなったかというと,案外そうでもなかったけれど,“そば”というのは端倪すべからざる食べものなのだなと,改めて思うことになった。それで充分。

● 以下にいくつか転載。
 小島政二郎の『食いしん坊』は大好きな随筆集だ。蕎麦のことがこう書いてある。東京の蕎麦屋で,自分のところで蕎麦を打っている家は数えるほどしかない。(中略)蕎麦屋ではおつゆだけ自分のところでこしらえて,お客に出すそうだ。なので,室町の「砂場」とか,神田の「藪」とか以外,どこそこの蕎麦がうまいというのはおかしな話ということだ。どこそこのおつゆがうまいというなら聞こえるが・・・・・・。とこんな具合の文章だ。(松浦弥太郎 p61)
 ひっそりとした店の中で,まばらな客から少し離れて,ほんの少し後ろめたい思いもしながら酒を飲むのはいいものだ。付き出しといってもせいぜい板わさとか卵焼きくらいしかないが,なに,ザルの一枚でもとってそれを相手にして飲んでいればいいのだ。これを一度やると野卑な蛮声に満ちた酒場へ行くのはつらくなってくる。(中島らも p105)
 飢饉の南部藩では,自分が植えたそばを打って食べることはご法度とされていた。そばがきなら粉も少量ですむが,打てばおいしさのあまり,つい食べすぎるということなのだろうか,きびしいお達しであったようだ。その名残りで,祖母たちの年代までは,そばもうどんも“ハット”と言う。(渡辺喜恵子 p172)
 “ハット”という言葉は,ぼくの祖母や母親も使っていた。こちらでは,小麦粉を練った団子のことをいう。
 野菜を醤油や味噌で煮こんだ鍋に小麦粉を湯で練ったものをちぎって入れていく。要するに,すいとんのことだ。それを“ハット”といった。おそらく,今は使われない言葉になっているだろう。

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