2021年8月22日日曜日

2021.08.22 アントワーヌ・ローラン(吉田洋之訳) 『ミッテランの帽子』

書名 ミッテランの帽子
著者 アントワーヌ・ローラン
訳者 吉田洋之
発行所 新潮社クレスト・ブックス
発行年月日 2018.12.25
価格(税別) 1,900円

● ミッテランの帽子が “打ち出の小槌” 的な幸運を呼ぶ小道具になる。わらしべ長者とは違うんだけれども,持ち主を幸せにする。幸せにすると,その持ち主のもとを去っていく。
 こういう話は探せばけっこうあるんだろうね。昔話も含めて。

● 著者も訳者もリベラルな思想の持ち主なんだろうか。思考を停めるとリベラルに流れるとぼくは思っている。政治なんてのはどうやっても必ず不満は残る。その不満が視界の大半を占めることになる。そのまま放っておけば,だいたいはリベラルに向かう。
 エラーは誰にでもわかるのと同じだ。ファインプレーに見せないファインプレーには,大半の人が気づけない。

● 「訳者あとがき」にはミッテランを “文人政治家” と評する一文がある。政治家は文人政治家であるべしと考えているようだ。文人政治家を良しとしているというか。
 政治家は他の職業とは違う特別なものだと見ているのだろう。あるいは支配者だと見ているのか。支配者なんだから,被支配者と同じ知的水準では困る,文化・教養・芸術といったものにも通暁しておいてもらいたい,と要求しているのだろう。
 だとすると,この熟度の低さは何事かと言いたくなる。それ以前にいつの時代を生きているのか。

● 政治家というのも職能のひとつであって,政治家は政治家として優秀であればいい。他国の政治家と渡り合うのに人文系や社会系の知識が必要ならば,その限りで身につけておく必要があるのは当然だけれども,文人であることは政治家であるための必要条件ではない。
 人として優れているとか人格者であるとか清廉であるとか,そういう必要もない。政治家という職能に秀でていればそれでよい。

2021年8月9日月曜日

2021.08.09 アントワーヌ・ローラン(吉田洋之訳) 『赤いモレスキンの女』

書名 赤いモレスキンの女
著者 アントワーヌ・ローラン
訳者 吉田洋之
発行所 新潮社クレスト・ブックス
発行年月日 2020.12.20
価格(税別) 1,800円

● 文具ユーザー界の愚鈍層の間で話題になっているので,本書の存在を知った。で,読んでみようかと思った。類は友を呼ぶというから,ぼくは類に呼ばれた友にあたる。

● 作者はフランス人。だったら,モレスキンじゃなくても,たとえば『黄色いロディアの女』でもよかったのではないかと思うが,原題は『La femme au carnet rouge』。
 carnet はノート,手帳という意味で,rouge は赤だから,そのまま訳せば『赤い手帳の女』でいいはずだ。

● モレスキンという具体的な商品名をタイトルに付けたのは,日本語訳の出版社ということになる。モレスキンとした方が訴求力が上がると考えたのか,それ以外の大人の事情があったのか。
 実際,『赤い手帳の女』では愚鈍層が話題にすることもなかったかもしれない。

● 作中の手帳がモレスキンであることが決定的な意味を持つわけでは,もちろんない。作中でモレスキンという言葉は4回しか登場しないし(4回は登場する),モレスキンを使っていることにするのが,主人公の「女」の性格造形に何ごとかの影響を与えることがあるかといえば,それも少々考えづらい。
 が,モレスキンを使っていることにするのが無難だとは言えるだろう。モレスキンは世界で一番売れているノートであって,したがって大衆性がある。同じのを自分も使っているという人が最も多くいるはずなのだ。本の販売上も美味しい理由になる。

● 「女」が男のアパートを訪ねるときのシーン。
 私はベルを鳴らし,彼の声を聞いた。(中略)不意にもう少し時間が欲しくなり,ごめんなさい,間違えました,と言ってしまった。大丈夫ですよ,よい夜をお過ごしください,その声は言った。(p165)
 間違ってインターホンを押した人にこういう対応ができる男ってカッコいいよなぁ。余裕があってね。洒落た恋愛小説の主人公になるには,この程度の余裕はないとね。
 日本だとできる人はそんなにいないよ。舌打ちしちゃう人,けっこういるでしょ。

2021年8月1日日曜日

2021.08.01 茂木健一郎 『脳がめざめる「教養」』

書名 脳がめざめる「教養」
著者 茂木健一郎
発行所 日本実業出版社
発行年月日 2019.08.20
価格(税別) 1,400円

● 「動的教養」という言葉が出てくる。というより,それが本書のキーワードだと思えるのだが,では動的教養とは何かというと,「あなたの身近にあるツールを使いこなして知識の幅を広げ,コミュニケーションに役立てる力」(p16)と定義される。
 たとえば,次のようなこと。
 そんな若宮(正子)さんの有名なエピソードとして,CNNから取材が来たときにGoogleトランスレートで英語を日本語に直し,日本語で書いた返答をまた英語に翻訳してメールをしたら,1時間後にはCNNで流れたという話があります。それを聞いて,僕は深く心を動かされ,「これから身につける教養というのはこのようなことだ」としみじみ感じました。(p97)
 いまの時代はあなたの経験不足や実力不足を補うツールが山ほどあるわけです。だったら,明日からでもプロフェッショナルとして生きるとしたら・・・・・・という自分ごと感,現場感を持って,実力不足や時間不足を補うツールを使ってアウトプットをする。その経験が教養を深めてくれるのです。(p108)
 現代の動的教養は「すぐに始められる」ものに変化してきています。何者かになるための積み上げが教養なのではなくて,何かをやりながら,同時に動的教養も身につけていくというスタイルです。(p144)
 ん? それって教養なのか。

● 以下に転載。
 潜在能力がほとんど生かされないまま残っているというのは,現代の脳科学でも定説とされています。(p23)
 天才たちの多くに共通するのが,学校教育ではない場所で知識を蓄積したことです。(p24)
 僕が世の中を広く知るために活用しているものといえば,「Twitter」です。え? いまさらツイッター? なんて思ったあなたは,ちょっと時代に遅れているかもしれませんよ。(中略)僕は自分でもひんぱんにツイートしますし,自分のツイッターにフォローリスト(僕が定点観測しているアカウントを集めた一覧)をつくっていて,そのリストを見ればいま世の中で起こっているおおよそのことが把握できるようにしています。編集者に見せてくれと言われましたが,こればっかりは見せられない,僕のトップ・シークレットです。(p70)
 ツイッターを見ることのメリットには,自分の発信力も磨けるということがあります。(中略)価値ある情報さえ発信できれば,それによって,社会的評価も上がってステータスを手にできるのが現代社会というわけです。逆にいえば,誰もが知っている情報をどれだけツイートしても誰も見向きもしません。それがツイッターの世界です。ツイートにオリジナリティがあってはじめて,みんなが注目してくれるのです(p72)
 読書をせずに「広く知る」ことは,いかにテクノロジーが発達したとしても不可能です。動的教養が増やせる読み方とは雑読乱読。(p74)
 雑読乱読がよいもうひとつの理由は,偏りのない読書法が脳全体のマッサージになるからです。(p77)
 僕がこれまで生きてきた経験からいうと,難題難問がふりかかってきたとき,その答えや解決方法は,すでに誰かが出していることが極めて多い(中略)ですから何かに困ったときも,哲学という教養を身につけていれば自分なりに考えなくてもいいのです。先人の知恵を参考にすればいいだけです。(中略)大抵のことはすでに先人が考えに考え抜き,最良の答えや結論に行きついている。それを知ることも大切な教養だということです。(p89)
 (白洲正子は)女性が能舞台に上がるなど言語道断とされていた時代に4歳から能の稽古に通い,家の中にはいまなら国宝級の器やなんかがゴロゴロしている。そんな環境で育ったのです。美しいもの,最上級なものに自然と触れる。そうすることで,脳に「美しいもの」の知識や経験が蓄積されていったのでしょう。その蓄積された知識や経験をギュッと押し詰めて,パッとつかめるようにしている=美的感覚に優れているということ(p102)
 神経回路をつなげるには,データを蓄積することが必要です。つまり,僕たちの脳はいろいろな知識や経験のインプットによって,ディープラーニングしている。その結果として新たな神経回路ができる。(p103)
 私たちの脳にディープラーニングさせるには,とにかく場数を踏むことが重要です。(中略)とにかくどんどん経験を貯める,そうすることで判断力や自分のスタンスが養われていきます。それが「センス」の正体です。(p104)
 教養を深めていくときに大切なのは,「現場感」を持つことです。(中略)「現場感」を持つということは,言い換えれば,「自分ごととして体験する」ということです。(p106)
 これからの時代というのは,ずっと動き続けている人がいちばん輝くことは間違いありません。(p118)
 教養として押さえるべきことは押さえておかなければいけない。それがケンブリッジでは当たり前のことなんですね。一事が万事,そんな具合ですから,ケンブリッジのトリニティカレッジの正門前にある本屋さん「ヘファーズ」の品揃えはすさまじいいものでした。(中略)自由に振る舞うためには,前提として知っておくべき教養がある。それを実体験として学ぶことができたのは,私にとって幸運でした。(p137)
 何かを生み出すのは無意識だと脳科学では考えられているのです。何かの選択肢を生み出すのも無意識です。それに対して,意識はその選択肢を選ばないという,いわば無意識の邪魔をする働きだと言われています。(p148)
 なぜ世界の映画学校はほぼ例外なく黒澤監督や小津監督の映画を生徒に観せるのか,(中略)それによって,やはり映画を学ぶための時間が効率化できるからです。プロが「これはいいよ」と言っているものは,教養として網羅しておいたほうが絶対にいい。(p184)