2022年1月24日月曜日

2022.01.24 伊集院 静 『ひとりをたのしむ 大人の流儀10』

書名 ひとりをたのしむ 大人の流儀10
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2021.03.03
価格(税別) 909円

● 著者の生死に関わる病気から回復した後の文章も含まれる。強運というのか強靭というのか,強をまとっている人なのだろう。
 ついに愛犬が亡くなった。そのことも記される。それからコロナのこと。

● 著者の文章のほかに,福山小夜さんの挿絵も味わいの対象になる。

● 以下に転載。
 子の喪失を嘆いてばかりでは,少なくともそれまであったはずの楽しい語らいや,ともに見つめた豊かなものや美しいものの記憶が甦ることもなく,違った記憶ばかりをたどることになる。たとえ三歳の早逝でも,三歳なりの四季や楽しいことがあったはずだ。大切なのは,出逢ったことである。たとえともに過ごした時間がわずかでも,出逢いはすべてのはじまりだから,何ものにも代えがたい。(p4)
 一人,独りで生きることには,忍耐が必要だ。忍耐は養わなければ成長しないし,耐えてみて初めて,同じように耐えているひとがいることに気づく。(p6)
 数十年過ぎて,本を読んでいたら,『流言は,智者に止まる』(荀子)の一行を見た。なるほど昔からこういう考えがあったのか,と感心した。(p34)
 「あの頃は良かったナ・・・・・・」などと語る神経が自分の中にない。普段から,私は過去を振り返るということを一度もしたことがない。おそらく死ぬ間際でさえ,そう思うことはあるまい。過去を振りむいたところで,何もありはしないのは本人が一番良く知っているからである。(中略)同時に,社会に出て,今,敬愛したり,見習わねばと思う先輩,同輩,後輩,若い人たちを見ていて,その人たちが過去を振りむいている姿を一度として見たことがないからだ。(p36)
 創作,創造を才能や,天賦のものがこしらえると考える人が多いが,それは違う。失敗の積み重ねが,わかり易い文章を作ってくれる。才能がかかわるのは,ほんの一部でしかない。(中略)一番注意,警戒しなければならないのは,失敗を知らない人,失敗をしたことのない人である。(p46)
 まだ誰も踏み入れていない場所を進むことには,誰も知らない故の,孤独感,おそれがともなう。実は,この孤独感,おそれが,人間の思考能力,とぎすまされた第六感のようなものを身に付けさせる。(中略)できるか,できないかということを思いあぐねても,その先のものは見えない。できるか,できないかは,やはりやってみるしかないのである。(p47)
 私は五十年近くゴルフをしてきたが,(中略)ゴルフの上手い人で,性格,人間性も素晴らしい人を,ほとんど見たことがない。(p73)
 哀しみを救う言葉は,実はない。見守るだけである。(p77)
 二枚目がジジイになると,やはり切なさが漂う。その点三枚目は年を取れば “味が出る”。若い時の口惜しさ,苦労が報われる。(p78)
 この人と以前,ゴルフのあと風呂に入った。同時にドアを開けて入ったが,私がタオルを忘れて取りに戻った。再び入ろうとすると,大兄はもう外へ出てこられた。えっ? もう身体洗って,出て来たの? ともかく速い。(中略)短気(イラチでもイイ)の上に瞬間湯沸かし器。でも私はこういう人が好きである。こういう人は人の何倍も責任感が強いし,人一倍やさしい。(p87)
 大きな峰ほど登り切る直前に,険しい下り坂と,考えられない試練を与える。(p88)
 文章が上手い人は,エッセイストとしては月並みな人が多いように思います。文章が難しいのはこの点です。ただエッセイ,随筆でベストセラーとなるには,よほどその書き手が独特の世界を持っていなければなりません。(p97)
 小説家は小説のことばかり言いがちですが,出版界支えているのはコミックです。(p97)
 銀世界と言えば美しく聞こえようが,美しく見えるものは,実は強靭なものを併せ持っている。厳しすぎるほどの寒さであった。(p107)
 私自身も,脱稿した一昨年の秋には,もしかして何かが書けたかもしれん・・・・・・という気持ちがあった。そう思う作品は,これまで四百冊以上の作品を書いて来て,数点しかない。(p109)
 哀しみと歩くと平然と言える人の神経を私などは,困ったものだと思ってしまう。(p111)
 “スマホがあれば何でもできる” とホリエモンが本を出していたが,あのタイトルは間違いだし,“何を抜かしてやがる,このボケ” と正直思った。こう書くとホリエモンが嫌いなのかと思われるが,そんなことはない。(中略)嫌いで言えば,元ZOZOのあの男のほうが百倍も嫌いだし,孫正義などは千倍も大嫌いである。第一,税金をほとんど払っていないで,何がグローバルだ。(p118)
 いったん,死を覚悟すると,行動の理よりも,情が先を行くことがわかる(p134)
 運が良かったのである。会社でも,雑誌でも,さらに言えば国家であっても,運が良くなくては滅びる。(p149)
 女子プロゴルフの渋野日向子が強い。スポーツにおいて “思いっきりの良さ” が大切なのを,この娘さんからあらためて教わった。(p149)
 スポーツなんて,たいしたもんじゃないって。日本のプロスポーツのスター選手に逢って少し話をすれば,そのことがよくわかる。(p150)
 “薀蓄” という言葉があるが,あれも大嫌いである。品性の欠けらもない。美食家と呼ばれる,どうしようもない連中が語る内容も大半がこの薀蓄である。その文章を読んでいても下品としか思えない。大人の男は,それを十分知っていても,「さあ,詳しくは・・・・・・」と応えねばならぬ時が多々あるものだ。それを待ってましたとばかり喋り出すのはただのガキで,バカである。(p162)
 もうすぐ手術から一年になる。(中略)以前からやろうと思っていたこともやるつもりだ。例えばフランス語をきちんと勉強し直す。もうフランスへ渡ることはかなわないかもしれないが。それなら次はラテン語をやればイイ。(p172)
 これを速いうちに学ぶと,生きものに対する考えが根本的に違ってくる。名著『ソロモンの指輪』ではないが,通じると信じて接していれば,生きものとて,相手の言葉を理解しようとするし,信頼も増す。(p177)
 十七年の歳月の中でも,彼には命の危機は何度かあったし,大勢の犠牲者が出た災難とも遭遇した。犬一匹でそうなのだから,ましてや強欲の一点張りの人間なら,無事に生きてるほうがおかしい。(p179)
 この病気,生きて帰る人はたまにいるが,ほとんどの人が重度の後遺症をかかえて余生を送る。(中略)回復振りのめざましさに,奇跡だ,こんな人初めて見た,素晴らしい,と言われても,私は何とも応えようがない。(中略)この病気は他の癌疾患や血液の病気,糖尿の方も全員そうだが,再発した折,または症状が進んだ時への覚悟を持たねばならないからだ。(p181)
 人類が感染病で滅びることはない。なぜか? 人類の誕生,進化にはおそるべきエネルギーと偶然の重なり合いが必要であった。私たちの肉体,立っている環境には,信じられないエネルギーと奇跡の連鎖があるのだ。この目に見えないエネルギーが,ウィルスと戦い続け,やがてワクチンや彼らを封じ込める方法を創造するだろう。(p186)

2022年1月8日土曜日

2022.01.08 伊集院 静 『ひとりで生きる 大人の流儀9』

書名 ひとりで生きる 大人の流儀9
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2019.10.01
価格(税別) 909円

● 「週刊現代」の連載をまとめたもの。著者がクモ膜下出血で倒れる前の文章だと思う。
 週刊誌はすっかり読まれなくなったが,それでもこういう連載がある。「週刊現代」に限らず,「週刊文春」や「週刊新潮」にも単行本にまとめて読まれる連載はある。

● が,週刊誌に未来があるかとなると,なかなか難しい。読者が高齢化している。高齢化の後はこの世の人ではなくなる。つまり,読者の多くが死亡適齢期にあって,この世から退場していく。
 それを埋めるだけの新規参入はあるか。ない。若者はどんどん減っているのに加えて,週刊誌は老齢ファッションになっているから,若い人は近寄らない。

● 以下に転載。
 “孤独” と遭遇したり,“孤独” を知ることが,生きることである。(p17)
 基本,他人と同じ学び方をしないで,その人独自の学び方を,どのくらいの時期に獲得刷るか,という点が大切になる。早ければ早いほどイイが,早すぎると,精神,情緒がともなわない場合が多く,私は優秀な人間であると勘違いをするし,傲慢になる。勘違いと傲慢は,その人の成長をたちまち止まらせる。(p22)
 「近しい人の死の意味は,残った人がしあわせに生きること以外,何もない」 二十数年かけて,私が出した結論である。そうでなければ,亡くなっとことがあまりに哀れではないか。(p27)
 仲良くしろ,一人で立って一人で生きよ,は相反しているように聞こえるが,実はどちらかを選択させようとすれば,後者の方に重きを置かなくてはならない。(p35)
 一度ならず逃げ出した経験を持つことは悪いことではないと思う。(中略)むしろ,そういう心境を味わうことをしてみることだと思う。(p40)
 今やっていることが少々辛くとも,(中略)目前のものは過ぎてしまえば何ということはないのである。(p42)
 私は “教える” という行為は,この世の中にほとんど存在しないのではないかと思っている。敢えて言えば “学び合う” ということはあるかもしれない。(p47)
 三十歳代,私はほとんど何も持たず(鞄さえ)旅へ出ることが大半だった。取材とて,カメラもテープも持たなかった。目で見たものと,耳で聞いたものが私の身体に入っていれば,それですべてが済んだ。(p50)
 ホテル暮らしです,と言うと,あら羨ましいと言う人がいるが,何か特別なものはないし,むしろツマラナイことの方が多い。(p52)
 昼間の銀座へ行くこともあるが,私に言わせると,昼間の銀座は,女,子供の街だ。(p56)
 絵画鑑賞で大切なのは,静寂と孤独だと私は思っている。だから日本の美術館がやたら入場数にこだわるのは,愚の骨頂なのである。(p82)
 犬,猫にはぎりぎりまでいらぬ手助けをしないことだ。(p85)
 人間は肌を切られて血を流してあわてるのである。銃で撃たれて,何が今,自分の身体の中に起こったのだと思うのである。それではすでに遅いのだが,大衆はいつも遅いことに気付かない。(p115)
 神楽坂は,どこからこれだけのジジイとババアが出て来たのかと驚いた。どう見ても何か用があって来ているのではない。その上,高齢者であふれているので歩調もゆっくりだし,合わせて歩いていると,こちらも段々おかしくなる。今の高齢者の大半は,高齢者ということに甘えているように映る。(p118)
 遊び盛りの少年で読書好きという子供はかなり変わっていると私は大人になった今でも思っている。(中略)作家になってから,新人の方や,たまに先輩作家でも,子供の頃から本が好きだったと来歴に記してあると,やはり人間の質が違っていたのだと思う気持ちと,本当かしら? という気持ちを半々抱く。(p120)
 今はシゴキはなくなっていると聞いた。あんなことをして気合いを入れさせるという発想がおかしい。日本人が持ついくつかある最悪な性癖のひとつである。(p147)
 私たちはテレビや新聞,雑誌が普及したことで,これが当たり前のことだとか,これが正義というものだ,と他人から,誰かから教えられた情報を,どこかで正しいと信じてしまう風潮の中で生きている。しかし,生きる実践(生きているという真剣な現場)で,そんなことは十にひとつもありはしない。(p152)
 時折,銀座の遊び場でネエさん方が,「今のお客さんの時計見ました? ✕✕✕✕で三千万円するのよ」と耳に聞こえることがある。よほどの成金か,バカなのだろう。(p162)
 私は今,この原稿をボールペンで書いている。“ジェットストリーム” という三菱鉛筆が製造しているものだ。(中略)今はこれが一番,指,腕に負担がかからない。(中略)私は毎月,四百枚から六百枚(四百字詰)の原稿を書いている。その大半が紹介したボールペンである。(中略)「書き易いですね。少し根を詰めて書くと,このペンのインクが二晩でなくなります」(p165)
 今頭に浮かんだ文章が印刷文字と同じようにあらわれると,何やらまともに映って,文章が上達しないのでは,と思う。(p167)
 乗り物に乗った時,私はずっと車窓から見える風景を眺めている。(p180)