2023年2月28日火曜日

2023.02.28 堀江貴文 『疑う力』

書名 疑う力
著者 堀江貴文
発行所 宝島社
発行年月日 2021.05.08
価格(税別) 1,300円

● 副題は「常識の99%はウソである」。堀江さんの本はずいぶん読んでいるので(読んでいるだけだが)何が書いてあるかは読まなくてもだいたいわかる。というか,想像がつく。
 でも読んでしまうのは,一服の清涼剤が欲しいからだ。本なんてものはそれで充分に役割を果たしたことになると思っている。読書というのは読んでいる間が楽しければ,それでいいのだ。読書にそれ以上を求めるのは強欲というものだ。

● 以下に多すぎる転載。
 そもそも常識なんていうのは,とても曖昧で,バカバカしいものだ。(中略)そんなものに振り回されていては,一生バカを見る。(p1)
 「ファクト」と呼ばれる物事だって,光を当てる方向を変えれば,まったく違った様相をみせることがある。「オモテ」があるのなら,「ウラ」も必ずある。(p3)
 人と同じことをやっていたら損するだけだ。(p3)
 タックス・ヘイブンの何が悪いのか。大多数の個人事業主は,「節税」という名の事実上の脱税行為で税金逃れをしている。(p18)
 カード会社に手数料を払ってでもキャッシュレス化したほうが,お店の業績は伸びる。本当のお金持ちは現金をジャラジャラ持ち歩いたりなんかしないからだ。(中略)もっと言えば,彼ら上客は「カード不可」の店を敬遠し足を運ばなくなる。(中略)対して,安さを求める客は使ってくれる額も少なく,クレーマーにもなりがちだ。(p23)
 匠の技が機械化されないのは,たんに採算が合わないからだ。(p29)
 日本には「移民アレルギー」を発症している人間が多すぎる。「犯罪が急増する」という電波系の妄想に脅える人までいる。彼らの言うことが真実だとすれば,移民だらけのシンガポールは今ごろ「犯罪大国」になっていてもおかしくないはずだが,そんな話は聞いたことがない。それに経済も文化も,ダイバーシティ(多様性)の融合でより面白くなる。日本社会に外国人が増えて均質性が薄まれば,凝り固まったオヤジ的発想を打ち破るイノベーティブな世の中により近づくだろう。(p34)
 近年,インバウンド(外国人観光客)が増えているのは,他国のほうが豊かになってきたという一面もあることを見落としてはいけない。(p35)
 言語によって発声や発話は違うものだし,ゴミ捨てのルールや分別なんて,日本人が細かくやりすぎているだけだ。(p35)
 時給やギャラは,仕事の希少価値に左右される。レア度が低い仕事に,高いギャラが支払われないのは当たり前だ。(p39)
 誰もがやりたがらない仕事を引き受け,ひたむきにがんばる。こんな働き方をしている限り,給料は永久に上がらない。むしろ,「食べていくために」我慢して働いている人たちのせいで,労働単価が上がらないのだ。(p41)
 マスメディアによる熱狂的なメディア・スクラム(集団的加熱取材)は,「有名税」という言い方でごまかされてきた。これはパパラッチ週刊誌がポジショントークのためにつくった言葉だ。(p51)
 いつの時代もバカは一定数,ボーフラのように湧いてくるものだ。残念ながら,バイトテロ発生率をゼロにすることは困難だろう。そもそも,最低時給に近い安い賃金で働くアルバイト店員に「モラル」まで求めるのはおこがましいことだ。(p60)
 バカは活字を辛抱強く読むことができないから,タイトルやキーワードだけを感覚的,感情的にとらえて脊髄反射する。(p65)
 誰かを殺したら,ただちに逮捕されて殺人罪に問われるが,戦争で他国の人を殺しても,国際法に触れなければ無罪だ。戦争の本質とはそういうものなのだ。(p67)
 福島で事故が起きたからといって,「原発は二度と使うべきではない」と結論づけるのはあまりに短絡的だと思う。人類の文明の進歩を信じられない,単なる諦めではないか。(p71)
 極端な政策転換は,必ずひずみをもたらす。人々の生命と安全を守るライフラインは,急進主義ではなく漸進主義で慎重に運用していくべきだ。(p74)
 オウム事件を見ていると,非モテ男の執念のようなものを感じずにはいられない。オウム真理教には,東大や京大,医学部を卒業したエリートが大勢集まった。高学歴で成績はいいのに,コミュ障と非モテのせいで恋人ができず,友達からも人気がない。そんな非モテ男たちが,オウム真理教というコミュニティではとてつもない「自己承認欲求」を得られたんじゃないかと思う。(p90)
 塀の中にいた僕は,「ひょっとすると刑務所は孤独の受け皿になっているのではないかもしれないな」と思った。(中略)孤独にもだえ苦しみながらシャバで生きる人にとって,もしかすると刑務所はシャバより行きやすい場所かもしれないのだ。(p91)
 自分の店の料理に自信があるのなら,上質な料理に見合う値段をつけてよりグレードの高い客を相手に勝負すればいい,と僕は考える。生活に余裕がない層に向け,無理して安く高級食材を提供しようとすれば,どこかに必ずしわ寄せがいく。(p99)
 商品がレアになればなるほど,その値段は幾何級数的に上がっていくものなのだ。(p100)
 都会に出てきたばかりの地方出身者は,「遊び」を覚えると学校になんてまじめに通わなくなったりもする。せっかくバカ高いカネを払って入学したというのに,何割もの学生がドロップアウトする。だから専門学校ビジネスは歩留まりが良く,メチャクチャ儲かる。「調理師免許がなければ料理人として働けない」というデマをみんなが信じてくれれば,専門学校の経営者や教員は永遠に食いっぱぐれないで済む。(p103)
 資格試験なんてものは,要するに金儲けをしたい連中の利権を守るための仕組みだと理解したほうがいい。調理師試験を受験するには6000円以上かかる。試験を運営している連中は,何も知らない若者たちからカネをぼったくっているのだ。(p104)
 ムダな資格ビジネスは,モグラ叩きのように片っ端からぶっ潰して規制緩和しなければ,イノベーションの邪魔になるのだ。(p106)
 「2:8の法則」(パレートの法則)が示すとおり,組織内でまともに仕事をする人間はせいぜい2割だ。昼間にコメダ珈琲店やスターバックスに出かけてみてほしい。喫茶店はサボリーマンだらけではないか。(中略)組織内の8割の人間はまともに働いておらず,利益を生み出すだころか会社のリソースをただ食い潰しているのだ。(p115)
 化学調味料を悪者扱いする人に限って,ワケのわからないサプリメントや漢方薬にハマっていたりする。(p135)
 スマホさえフリーハンドで与えれば,子どもたちはわからないことを自分で調べ,どんどん先に進んでいく。学校や教師,親といった邪悪な存在から,子どもたちを解放してあげなければヤバい。(中略)子どもをがんじがらめに縛っているうちに,もって生まれた才能の芽を摘んでしまう。(p144)
 いわゆる「仕事」が向いていない,という人は,無理して働かないことが,社会貢献につながる可能性もある。(p173)
 遊び人のように好きなことだけ追求している人たちが,世の中を今よりもっと面白くしてくれると思うのだ。(p173)
 スポーツは,強すぎるチームをつくってアンチから憎まれるぐらいがちょうどいい,と個人的には思う。(p193)
 音声コンテンツは「時間対情報密度」がスカスカなので,短時間で効率よく情報を吸収することが難しい。(p198)
 音楽に限らず,文学でも建築でも,ものづくりにおいては,初めから「100%完全なオリジナル」なんてものはありえない。「独自性」「差別化」「オリジナリティ」などとゴタクを並べる奴に限って,たいてい失敗する。(p203)
 インターネットの登場によって,情報を独り占めすることの価値は薄まった。(中略)僕は「いいものは自由にパクれる世の中」こそがベストだと思っている。(中略)「良いメソッドはなんでもトレースしてやろう」というすがすがしいまでのパクリ根性をもつことは大事だと思う。その欲望こそが経済を回すのだ。(p203)
 紙の本をバカにするのは,本という「パッケージ」がそもそももつ力を知らない愚か者だ。(中略)世間一般的に「インテリ」とされている人々は,書店に足を運ぶ頻度が比較的高い。(中略)いわゆる「知的レベルが高い人」たちが集まる場所に,優先的に広告を出しているようなもので,ターゲッティング広告さながら,とても効率よく宣伝効果を得られる。(p209)
 今の宇宙産業を取り巻く状況は,IT革命の夜明け前とよく似ている。(中略)きたるべき「第五次産業革命」は近い将来,宇宙開発によって実現するのだ。(p218)
 「ホリエモンが言っているんだから,きっと正しいんだろう」
 そんな思考の「コピペ」をされたところで,僕はちっとも嬉しくない。(中略)「常識を疑う」代わりに「堀江の言うことを信じる」のでは,まったく意味がない。(p221)
 「それっておかしくね?」と,気づける人にしか,大きなチャンスはやってこない。(p222)

2023年2月23日木曜日

2023.02.23 成毛 眞 『39歳からのシン教養』

書名 39歳からのシン教養
著者 成毛 眞
発行所 PHP
発行年月日 2022.07.04
価格(税別) 1,700円

● 著者はこれまで読書や本の読み方についての著書をだしている。たとえば,本は10冊同時に読め,といったようなこと。あるいは,ノンフィクションはこれを読めといったようなもの。
 しかし,本書は「あえて本を読まずに教養を身につける方法を紹介するもの」(p28)だ。宗旨変えをしたのかといえば,そうではないだろう。39歳まで本を読まずに来てしまった人に,しょがねぇなぁ,それじゃこうしてみれば,と助け舟を出しているのかもしれない。

● 以下に多すぎる転載
 30代も半ばを迎えてから,ヨイショと重い腰を上げて教養を詰め込んでいるようでは,遅い。遅すぎる。時間は有限である。(p5)
 知識を得るために本を書い,あるいは図書館に行って本を探し,ページを開いて,そこに書かれた知識を自分のものにするのは結構だが,恐ろしく時間がかかり,コスト面からみても効率が悪いことこのうえない。(中略)筆者は今,知識の9割を,本ではなくインターネットから得ている。(中略)最大の理由はネットの文章が簡潔であることだ。(中略)断言しよう。これから差がつく能力はたった1つ。ネットでググる(Googleで検索する)力。これだけだ。(p6)
 「なぜ勉強しなければいけないのか」というレベルに留まっている人は,今すぐこの本をブックオフに売るなり,メルカリに出品するなりしなさい。(中略)教養とは,「何のために学ぶかわからない」「それを知っても得にならないかもしれない」,それでも学び続ける人にしか備わらないのだ。(p25)
 ウクライナで戦争が始まったら,「争いをやめろ」「民間人を救え」と叫びながら,日本政府が防弾チョッキを送ろうとすると「武器輸出反対」と言い出す。(中略)そのような論理性のない主張をする人々を一生懸命説得するのは,時間の無駄でしかない。(p26)
 それでもあなたが最小限の読書で本から教養を身につけたいと考えているのなら,「今の高校の教科書を読め」と言いたい。(中略)あまりの高度さに我が目を疑うはずだ。(p28)
 ググるのは,本を読むよりずっとラク。少し時間ができたら,スマホやパソコンで気になるキーワードについてググるだけ。それを1年,5年,10年と続ければ,そんでもない量の知識の蓄積になる。(p34)
 ウィキペディアはアテにならない。いい加減な情報ばかりで見る価値がない」
 そう言って最初から信用しない人がいる。そういう人は,ネットの黎明期の価値観をいまだに引きずっている「時代遅れ」だ。(p41)
 哲学的なもの,正解がないものについては,ググる必要がないと考えている。だから一切,手を出さない。(中略)哲学とは深い思索であり,情報収集や知識を得る行為とは,全く異なる次元のものであるから,そもそもググるメリットがない。(中略)ググるメリットなどなく,単なる時間の無駄。それより客観的な事実や正解のあるものについてググることに,頭を時間を費やしたほうが利口である。(p48)
 若い人のテレビ離れは深刻と言われるが,テレビの情報量はかなり多い。テレビというとワイドショーを連想する人がいるが,あれせいぜい中学生レベルの内容しか扱わないので観る価値はほぼない。観るべきは,NHKの教養系のBSプレミアムか総合テレビで放送される教養番組だ。そこから取れるネタは実に多い。(p51)
 はっきりいえば,「観たい番組」を観ればよい。なぜなら興味のある番組を観るからこそ,そこで新たな好奇心が湧き上がり,広く,深く知識を掘り下げたくなるからである。(p53)
 「貧困の解消」なども,個人の問題というより,社会制度の問題だ。個人が努力してもどうにもならない問題を解決するのは政治の役割であり,筆者は運も良く,努力すれば解決できる立場にあるのだから,おのずと社会問題に対する関心は低くなる。同じように,悲惨な話もあまり興味がない。それが個人の資質によるものでも,社会制度の不備によるものであってもだ。(中略)自分が口を挟むような問題ではない。「担当が違う」という認識でいる。(p54)
 もしもウィキに書いてあることの7割も理解できないという場合には,以後,その分野には触れないという諦めも肝心。(p60)
 見るのは,データのみ。憶測を含む,主観に基づいた「物語」は読む価値がない。経営者のインタビュー記事や談話も,未来予測にはあまり役に立たない。(中略)データを自分で解析し,評価するのがわれわれの仕事であり,そのための材料を提供してくれるサイトを活用すればいい。(p66)
 アマゾンについてのデータを集める際,漠然と「アマゾン」で検索していないだろうか? それこそ,アマゾンの公式サイトがヒットするだけだ。これでは効率が悪い。だから,キーワードを掛け合わせて検索するのだ。(中略)キーワードの掛け合わせ検索は,連想ゲームのようなもの。(中略)すべては連想する力,言ってみれば発想の豊かさとか志向の柔軟性が問われる。(p68)
 メモは取らなくていい。Google Chrome なら右端にある「履歴」をクリックすれば,過去に見たサイトが一覧で表示される。(p73)
 媒体側の人間がニュースバリューを判断し,仰々しいタイトルをつけた記事を目立つ場所にアップする。そういうニュースは,価値判断の邪魔になる。ニュースは事実だけを伝えてくれればいい。(p78)
 フェイスブックが貴重は情報源になる。学者や研究者のフェイスブックをフォローすると,正確で専門性が高いニュースをアップしてくれる。(中略)彼らの知見がフィルターとなり,ネット上に溢れる無数の情報から余計な情報をカットし,網にかかった選りすぐりの情報にアクセスできる。文系分野では,記者上がりの編集者系フェイスブックが役に立つ。(中略)「フェイスブクはオワコン」と言い切る人もいるが,どんでもない。世界中の “友だち” からの投稿は,ググりたいフレーズの宝庫なのである。(p79)
 すべてを知り尽くしているように書く人は,すでに探究心を失くしていると思っていい。最初の1行を読んだだけで「なんでこの人こんなに偉そうにしてるの?」と思った人をフォローから外すだけで,無駄な情報に時間を費やす必要がなくなる。(p80)
 自分の情報源として,いい書き手の新着記事を最低でも週に1回はチェックするのを勧める。(p85)
 主張が偏ってしまっている記事は,その主張が正しいか正しくないかに関係なく,絶対に読まない。時間の無駄だ。一切,視界から消すのがいいだろう。(p85)
 新潮社や文藝春秋など,校閲がしっかり機能しているオンライン媒体も信用できる。(p86)
 海外のメディアもいまひとつ信用できないが,中東カタールのドーハに本社を持つ「アルジャジーラ」は,信用に値する数少ない放送局の一つだ。反米でもなく中立的で穏健,そのうえ速報性で群を抜いている。(p86)
 どちらも出版社系の会員系サイトである「フォーサイト」(新潮社)や「クーリエ・ジャポン」(講談社)は見逃し厳禁だ。(中略)本来,貴重は情報には高額の原稿料が支払われるべきだから,広告収入頼みのサイトで実現するのは不可能に近い。新潮社も講談社もそれがわかっていて,会員系有料サイトとして,お金を出してでもハイクオリティの記事を読みたい人向けに配信している。(中略)はっきり言ってしまえば,「日本の0.1%くらいが読んでくれればよくて,99.9%は読まなくていい」というぐらいのスタンス。こういう会員制メディアは “マス” メデイアでない分,信頼が置ける。(p89)
 「日本のメディアに掲載される海外ネタはレベルが低い」ことが多い。(中略)(中略)知識がないから読むに値する記事を書けないのである。(中略)特定のジャンルであれば,You Tube を見ている素人のほうが,現地にいる記者よりも詳しいということも起こりうる。(p95)
 記事にアクセスする前に内容が面白いかどうかの見当をつけるコツがある。それは画像を見ることだ。面白い画像が出ている記事をクリックすると,文章も楽しめることが多い。(中略)ググる際には検索窓にキーワードを入れ,まず,画像を検索する。その中から読むべき記事を見つける。難解な理系テーマのキーワードは,この方法で概要を理解するのが手っ取り早い。(p103)
 素人に理系の知識を教えてくれる You Tube チャンネルの登場によって,理系の理論を,われわれ一般人も楽しめる時代になっている。(p130)
 教え方がうまい人の動画や,有名教授の講義を見ると,難解でとっつきにくい理論も,目から鱗が落ちるように理解できることがある。最近筆者がそのような体験をしたのは,「ローレンツ変換」だ。(p134)
 筆者の場合,30分以上の動画は,よほそのことがない限り見ない。(中略)10分以上になると,プロが作ったもの以外は見ていられない。(p138)
 大人になってからも,好奇心,探究心を持ち続けることは,人間としての成長に直結する。好奇心を失えば,知的な面での成長は止まってしまうし,メディアが流す情報を漫然と受け止めているだkでは,情報が溢れる現代で情報弱者となるのは否めない。(p142)
 興味のままにググる人たちは,コアな情報やマニアックな情報を集め,それだけで1冊の本を書けるぐらいの知識を簡単に集めてしまう。いわゆる「偏愛者」だ。(p142)
 この世には,われわれの想像の斜め上をいく事典が数多く出版されている。(p150)
 古典落語の3分の1超は,歌舞伎が元ネタになっている。そのため,歌舞伎を知らないと落語は楽しめない。(p157)
 歌舞伎も,ストーリーやその背景を知ったうえで観たほうが楽しめる演劇。映画のように,ストーリーがこれからどうなるかわからず,ハラハラ,ドキドキを期待するような観方はしないもの。(p158)
 個人ブログやSNSで大事なのは「キャラ立ち」である。書き手のキャラクターが立っていないと,面白いことを言っても「ふーん」で終わってしまう。(中略)ネットで話題になる発言を見ればわかるが,有名人も無名の人も,言っていることは大して変わらない。それなのに有名な人の発言ばかりが取り上げられる。(中略)本人のキャラによるところが大きい。(中略)ビジネスを考えると,世間にぱっとイメージしてもらえるようなキャラを確立し,そのイメージをうまく使いながら情報発信することが求められる。(中略)いい情報を発信しても,多くの人に受け止めてもらわないと意味がない。まずは多くの人に聞いてもうことが情報発信者の前提になる。(p165)
 過去の会長のらの強烈な個性に比べれば(トーマス・バッハ会長は)可愛いものである。もともとICO会長は,欧州の貴族の末裔が務めることが多い役職で,われわれの常識の斜め上を行くような人たちであると思ったほうがいい。(p181)
 話題になっている先端技術のキーワードを見つけたら,その起源すなわちスタート地点を知ることも,次に何が来るのかを考える際にとても参考になる。(p195)
 海外の情報に関するキーワードは,英語版ウィキにしか載っていない場合がある。そのためにも,英語版,さらに英語記事をググれば,これまで知らなかった世界が一気に広がる。(中略)もちろん,英語でサッと読めればいいのだが,さすがにネイティブ並みの速度では読み込めない。だからGoogle翻訳で和訳してしまうのが手っ取り早い。(p205)
 ヨーロッパのさまざまな言語は,そこから直接日本語に翻訳するのもいいが,できれば英語に翻訳することを勧めたい。(中略)一度英語にGoogle翻訳してさらにそれを日本語にGoogle翻訳したものを読む。そして記事の大枠を把握した後,必要があれば英語翻訳を丁寧に読む。(p221)
 昭和の時代に比べると,入手できる情報量は何万倍にも増えたと言っていい。(中略)これは,われわれの接することができる情報媒体の多様化であり,情報の取捨選択がますます重要になっていることを意味する。(p222)
 いちいち本を買うより,最新の状態になっているウィキをググって知識を入手する。それをSNSを利用して発信して,自分の知識をさらに広げてくれるフォロワーを増やし,彼らとのコメントのやり取りでさらに知識を磨いていく。(p224)
 令和の今は,「ながら族」になれない人は,非効率な昭和の遺物と思われている,と考えたほうがいい。限られた時間しか与えられていない人間にとって,複数のことを同時に行えるほうが効率的だからだ。「ながら族」だと効率が悪くなるタスクだけ,それをやめて集中すればいい。(p225)
 情報が溢れる時代に効率的に情報を入手するためには,2つのアプローチが重要であることは理解してもらえたと思う。つまり,①キーワードをググって知識を増やす,②不必要な情報を取り込む前にカットしていく--この2点だ。(中略)イデオロギーや宗教が絡む媒体はそもそも視界に入れない。(p225)