書名 老後は銀座で
著者 山崎武也
発行所 PHP
発行年月日 2003.09.22
価格(税別) 1,300円
● 「本書で銀座というときは,象徴的な意味も含めている。東京の銀座に限らず,質のよい賑やかさのあるところである。都市の中心地であり,町の繁華街である。とにかく,人間の活動が活潑に行われている場所のことである」(p2)
で,ぼくも可能なら “銀座” に住みたい。年金しか収入がない状態でどうやって銀座に住むんだという問題以前の障害物があるわけだけどさ。
● 田園というものに対する過度な期待というか思い入れが,日本の文人にはあるのかもしれない。晴耕雨読なんぞという四文字熟語に以外に簡単に感応してしまう。
で,歳を取ったら田舎に住んで土を耕して過ごそうなどと,幼稚にもほどがあることを言い出して,それが一定の支持を得るという摩訶不思議な現象がある。
● 田舎出身,田舎在住の身として言っておくが,若いうちは田舎に住むことができても,歳を取ってからは都会にいるべきだよ。若年期,壮年期を都市で過ごしたのに,老いてから田舎に移り住むのは,無謀すぎる。
高校を卒業するまで田舎で過ごし,大学入学を機に都会に出て,そのまま都会で就職した人が,定年退職したので故郷の田舎に帰るというのはどうか。それもぼくは勧めない。家庭の事情も色々あるだろうけれども,可能ならばそのまま都会に留まるべきだ。言われなくてもよくわかっているだろうけど。
● 以下に転載。
働くという「動」の世界にいるときは,休むという「静」の世界に憧れる。(p14)
夫婦で暮らしていたり家族と一緒にいたりすれば,自分の思いどおりにならないことがあるだけで,かなりの刺激である。(p14)
茶道の大成者といわれている千利休の教えに,「家は漏らぬほど,食は飢えぬほど」というのがある。(p120)
スピードを半分に落としてみる。すなわち同じことをするのに,これまでの二倍の時間をかけるのである。(中略)スピードが速かったために,文字どおり中途半端になっていたことが多い。(p130)
懐かしいという感情を持つことができるのは,自分の過去に自信を持っているときである。過去を肯定的に見ているときだ。(中略)前進することばかり考えて,過去に目をやらない姿勢では,人生の余裕は生まれない。(p165)
訪問販売の場合は,ドアは堅く閉ざして応対を敢然として拒否する。話ぐらいは聞いてやろうと思ってはいけない。(中略)電話を利用して押し売りをしようとするのは,精神的には土足で他人の家に入ってくるにも等しく,まさに悪徳商法の一つといわなくてはならない。(p172)
老人がしゃしゃり出るのはみっともない。(中略)「年寄と釘頭は引っ込むがよし」という諺を銘記して,若い人に道を譲って自分は控え目にしているのがよい。(p183)
成長期や成熟期には,全力投球をする姿は美につながっていったが,衰退期は自然の流れに従ってのみ美を保つことができる。(p185)
世の流れに対しても,傍観者の姿勢に徹してみる。(p187)

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