書名 宇都宮「街力」を掘り起こせ!
著者 桑原才介
発行所 言視舎
発行年月日 2022.05.31
価格(税別) 1,500円
表に出ることがあまりない市中の人が登場する。面白く読めた。知らないでいたことをいくつも教えてもらった。調べようと思えば,自分でも調べられるはずだが,こういうものは誰かにフィールドワークをやってもらって,その結果を教えてもらうのが手っ取り早い。
● メインは飲食業界の話。飲食というのは形而上ではなく下になるので,面白いことが多いはずだ。
居酒屋や食堂に入って酒を飲みご飯を食べて,街を歩いてみるのは人間勉強になるし,第一,面白い。ただし,この勉強の仕方はお金がかかる。
● 以下に転載。
テレビの普及が映画産業の斜陽化を促進し,その結果バンバの勢いが衰えていった。昭和34(1959)年には仲見世の強制的な排除が行われ,賑わいの衰えを決定的なものにした。(p14)
たぶんこれは順序が逆で,賑わいの衰えが決定的になったから,強制的な排除がなされたのだと思う。「餃子のまち宇都宮」は,B級グルメによる街おこしの時流にあまりにもうまく乗った。餃子が宇都宮のメタファになった。(中略)しかしいつの間にかそれが街のメタファになっていくと,もともと持っている街力が見えなくなっていく。またこれから成長しようとする新しい街力の芽を摘み取ってしまう。(p28)
宇都宮にはカクテルバーが異常といえるほどに多い。銀座,横浜並といっても言い過ぎではないだろう。むしろ集中度でいったら宇都宮のほうが勝るかもしれない。しかも東京都でカクテルバーといったら,シティホテル内のバーが中心なのに比べ,宇都宮のそれはほとんどが路面店舗だ。(p40)
フランスの三ツ星クラスの有名レストランで腕を磨き,帰国すれば中央で一流シェフとして華やかな舞台に躍り出ていくのが普通だ。しかし音羽(和紀)は郷土愛をおのれの生き方の基底に据え置いているようで,地元に帰り,泰然自若としてこの地を動かない。動かないがその磁力が半端ではない。(p48)
安生(勝巳)は修行先でさまざまのことを学んだが,一番学んだのは人間性だったようだ。お客を面白がらせ,スタッフ同士も面白がる。そうやって醸し出される陽気な雰囲気からみんなが生きる力を獲得していく。(p54)
京料理の本質は合わせものにあると良くいわれるが,植木(和洋)は「出会いもの」と表現していた。(p71)
街には必ず名店がある。そういう存在になりたいのです(p87)
大正9(1920)年,上野呉服店が東京風の百貨店形式の店を相生町に新築した。これによりバンバの賑わいは,二荒山神社前の上野百貨店を加えることとなった。(p108)
江野町の花街は,今では見る影もない。性風俗店が軒を連ね,暗く湿った空気が通りを支配している。(p110)
花街は色街と呼ばれるぐらい,性風俗に近い存在,あるいは同じ存在としばしば誤解されているためか,歴史から抹殺されている例が多い。(中略)しかし宇都宮のエンターテイメントを語るとき,この江野町の花街を抜きには語れない。(p111)
地理的に狭いところ,たとえば大通りの裏にバンバの仲見世や芸者と遊ぶ料亭街があり,さらに南に下ると日野町の裏側に青線があり,そのまた南には赤線(遊郭)がある。この風俗の多重構造は,人によっては消しゴムで消去したところもあるだろうが,街そのものの面白さからすれば,そのしわのような構造こそ街の活力をつくりだす源と見なければならないと思う。(中略)広場や大通りは裏側をつくり,その裏側はさらにその裏側を用意し,どんどんアンダーグラウンドの入り口に近づいていく。人を魅了してやまない都市や街は,必ずそのティープな部分を断層的に抱えているものだ。(中略)ただ街に対する感受性を持たないとその面白さはわからないかもしれないが。(p115)
品物は市民にとって普段はなかなか手が届かないものばかり。だから上野百貨店が年に一度行う特売日(大売出し)は,市民の特別な日になった。専売公社のように女性の多い職場では,その日を休日にするところもあった。(p127)
何気ない店にこのような絵が飾ってあると,街の文化の香りを感じるものだ。街づくりにはアートが欠かせない。(p146)
宴席の中で,鍛えられた踊りの芸を見せるというのは,(中略)だらしなく無作法になりがちな宴席を,社交の場として引き締める役割を果たしていたようだ。(p152)
江戸時代の長屋横丁の一軒の規模は3坪。2.5坪が居間兼寝室,0.5坪が台所と玄関。そこで庶民の人生が繰り広げられていた。その寸法をそのまま終戦直後に持ち込んだのがテキヤの人たち。横丁づくりにその寸法が持ち込まれた。「ハモニカ横丁」といわれた飲み屋横丁は,皆このサイズだ。(p210)

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