2022年10月20日木曜日

2022.10.20 吉田将英・奈木れい・小木 真・佐藤 瞳 『若者離れ』

書名 若者離れ
著者 吉田将英
   奈木れい
   小木 真
   佐藤 瞳
発行所 エムディエヌコーポレーション
発行年月日 2016.08.01
価格(税別) 1,500円

● 副題は「電通が考える未来のためのコミュニケーション術」。著者4人も電通の社員(出向者もいる)。
 本書は2016年の発行だが,4人の著者の中に東大卒はいない。東大の新卒者は電通を見限っているんだろうか。東大院卒の女子新入社員の自殺報道が効いているんだろうか。

● あの自殺騒ぎを報道されてしまったという時点で,電通の神通力はだいぶ陰ってきていた。
 さらに岸某が馬鹿をやらかし,どうやら電通はああいうのを良しとしていたらしいというのもバレてしまった。

● 岸某はナントカ賞を受賞した優秀なクリエイター? あんなのはお手盛りだよ,というのも何となくわかってしまった。
 頭よりもガッツというのが電通の伝統だった? 長時間労働を厭わず。運動部のノリで縦の序列を重んじ。そんなのはゴメンだよ,と。

● 電通の死は間近だけれども,まだ電通の活動が止んでしまったわけではない。本書の刊行もその1つだろう。
 若者の○○離れと言われるが,社会のほうが若者離れをしているのだ,という。なぜなら,少子化で若者が減ってしまい,若者が社会を左右する力を失っているから。量的に小さくなったので,若者が社会に占める比重が軽くなった。
 しかし,若者離れをしている社会よ,それでいいのか。そこが出発点(問題意識)。社会を中高年と言い換えてもいいのは,言うまでもない。

● 以下に転載。
 若者は “自分の思っていることを大人にわかってもらえた経験” にものすごく飢えている(p3)
 「わかってもらえている」という安心感や信頼があってはじめて,若者の行動はガラリと変わるのだ(p4)
 これだけ若者が少数派になってくると,まず起きるのが社会にとっての若者の「量の影響力」の減少です。(中略)量の影響力の少なさを理由に,社会全体が「高齢者最適化」されていく結果,そもそも若者に対して向き合っているサービスや商品,社会の仕組みが減ってきているといえます。(p15)
 高齢化によって,「長く生きたということだけからくる希少価値」が下がり,年齢という意味だけでいえば,「長老だらけの国」になりつつある日本においては,大人と若者の関係性は,かつての長老と村の若い衆の間柄とは異なります。(p20)
 その中心にいる若者たちは決して,「停滞した世の中を打破したい!」ちいった野心的なマインドによってこのような価値観に至ったわけではなく,生まれ育ってきた人生の「前提」が,最初から従来の前提と異なり,ごくごく自然に生きているだけで,これまでの前提を打破していくポテンシャルになっている(p28)
 これはいつの時代でもそうだったろう。
 若者の「量の影響力」がいまだ大きいおかげで,「質の影響力」を社会に還元できているそれらの国に対して,老い行く国,日本は対等に向き合えるのでしょうか。「面倒で話も合わないし,大して数もいない」という理由で,日本社会が若者離れしているのと同様に,「センスが古くてガラパゴスだし,大して数もいない」という理由で,「世界が日本離れ」していくおそれすらも十分にあると感じます。(p30)
 「おじさんによるおじさんのための,おじさんがわかりやすい若者論」という,若者本人不在の議論に陥ってしまう危険すらあります。(中略)若者との対話を本気で考えるには,まずは安易に自分の若いころの思い出や感覚と重ねずに「自分とは違う,という前提で向き合う」ことが大切です。(p34)
 こういうのも今の問題ではなく,いつの時代でもそうだった。新人類と呼ばれた若者も今は立派な中年だ。若者を理解するなんてできないのだと覚悟した方がいい。
 じつのところ,若者の方も中高年に自分を理解して欲しいなんて思っていないだろう。ぼくは23歳のときには,職場の30代(の特に女性)に対して,同じ言葉を喋る別の惑星の住人だと思っていた。
 SNSが若者にもたらした変化のひとつは,人間関係が「切れなくなった」こと。(中略)SNSを通じてうtながり続けることができるので,物理的距離の影響は薄まり,結果として,人間関係がふくらみ続けることになります。(p116)
 もうひとつの変化として挙げられるのは,「つながりが常時接続」になったことです。(中略)「コミュニケーションが生活の中心といえるほど,彼らはだれかと常時,接続状態にあるのです。(中略)それはつまり,かつての若者より「他人の目にさらされる機会」が多くなっていることを意味します。(中略)そのなかでうまくやっていくために,彼らは嫌われないコミュニケーションを大事にしているのです。(p117)
 いまの若者のコミュニケーションにおける特徴として「自分のキャラクターの使い分け」があります。(中略)ワカモンの調査では,「ふだんの生活で使うことのあるキャラは?」という問に対し,高校生では平均で5.7キャラ,女子高生にいたっては6.6キャラという結果になりました。(p120)
 Twitterの使い方でも,「複アカ」=複数アカウントの併用が当たり前になっています。(中略)普通に考えたらとても面倒ですが,そこまでしてキャラを使い分ける理由は,次のような発言に現れています。「フォロワーの興味のない和K台をつぶやきまくって,相手のタイムラインを埋めると悪いなぁって」。(中略)Twitterですら,他人への気遣いをものすごく意識しているのです。(p122)
 私は一人しかいない。だから,周りに合わせる必要はないんです。(松岡茉優 p137)
 私は,自分がいいと思ったものについては疑いません。好きなアイドルグループが有名ではなくても,確実にこの子たちが一番ですって言い切れます。(松岡茉優 p139)
 どんな職業にしろ,好きな気持ちだけではうまくいかないこともあると思うんです。だからこそ,自分の心が少しでも動くものを信じ込むことが大切なのかなと思っています。(松岡茉優 p139)
 私が尊敬できるのは宝くじに当たっても仕事を辞めないような人です。(松岡茉優 p142)
 ゆとり世代だって,ついていく大人は選んでますよ。(松岡茉優 p144)
 基本的に私は,生きてきた人の年輪にはかなわないと思っていますけどね。いまはネットでどんなことでも調べられるけど,実際に体験した人の言葉にはまったくかないません。(中略)ネットで得た情報をさも自分が体験したことのように語るのは怖いですよね。(松岡茉優 p144)
 それまでの「所有するモノによって自分らしさを発露する」時代とは異なり,(インターネットによって)わざわざ所有するモノを介さなくても,自分らしさはダイレクトにコミュニケーションで伝えればよいという発想が一般的になっていきます。(中略)自分らしさのあり方も,世の中という漠然とした対象に向いた形から,“内輪” という人間関係のなかでどのように振る舞うかということに意識の力点が移っていきます。(p163)
 国境や言語,国籍,地理的な隔絶など,これまで存在していた「絶対性を保つためのフェンス」がどんどん取り払われ,すべてが比較されてしまうような,人類史上類を見ないほどの「総相対化」の時代に突入していくでしょう。それはある意味,もっとも「自分らしさのあり方」を確立し,それを保つのが困難な時代ともいえるのです。(p168)
 日本は近代史上はじめて,「自分らしさのあり方」を内側から肯定することを求められているのかもしれません。帰属欲求の時代は「西洋文化」や「物質的な豊かさ」に属すること,優越欲求の時代は「人より金銭的,社会的地位に勝ること」や「人と異なる自分でいること」など,そこには必ず,「本人の “外側” に幸せのものさし」が存在していました。(中略)外側のものさしが有効な時代を生きていたかつての若者が,それに頼らず自分自身を肯定できていたかというと,必ずしもそうではないでしょう。(p172)
 情報洪水のなかを泳ぎながら日々過ごしてきた彼らは,「ほとんどの情報やコミュニケーションを「自分には関係ない他人ゴト」としてスルーする能力を持っています。(p201)

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