2023年10月11日水曜日

2023.10.11 鹿島 茂・井上章一 『京都,パリ この美しくもイケズな街』

書名 京都,パリ この美しくもイケズな街
著者 鹿島 茂
   井上章一
発行所 プレジデント社
発行年月日 2018.09.28
価格(税別) 1,200円

● 面白い。ティプスというのか,細かい知識がずいぶん増えた。欧州の聖職者たちの生々しい部分や,娼館が情報活動の拠点になっていたとか,地方の武士が京に赴くのを嫌がらなかったのは京女と遊べる楽しみがあったからだとか,そういう話。
 京都の洛中に住む人の品性の下劣さも。洛中人に限らず,人はこうなるものだけどね。差別やいじめを産む元になる心ばえというのは,人の本性の部分に鎮座ましましているんでしょうね。爬虫類脳にあるんじゃなかろうかね。

● 以下に転載。
 パリ生まれ自慢という人はあまりいない。(中略)フランスのパリ盆地では,親子が別居で,兄弟が平等の「平等主義核家族」が普通です。これだと,家族や家計よりも個人が最優先され,家族や家系というものはあまり意識に入ってこない。(鹿島 p18)
 たかが茶の,しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか,器を扱う家の由緒がどうとかね。(中略)一般市民に毛が生えたようなのが,何百年続いているということを誇らしげに語るというのは,やっぱり,なんかどうなんでしょうね。(井上 p21)
 フランスには「売官制度」というのがあって,(中略)金ができるとブルジョワは,息子に高等法院の官職を買ってやり,法服貴族にする。息子が貴族になったら,親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから,創業何年というのを誇りにする伝統というのは,生まれなかったのですね。(鹿島 p23)
 創業数百年の名家になるとね,しきたり,親戚の陰口,もう大変なんですって。(井上 p26)
 鹿島 城ってね,船を持ってるのと同じで,買う値段より維持費のほうが高い。だから1億円でシャトーを買ったら,年間の維持費も1億円かかると思わなきゃならない。(中略)
 井上 じゃあ,シャトーの持ち主はある意味で,文化庁に代わってフランス文化の保存係をボランティアで担っているということに。(p29)
 フランスのブルジョワというのは,元はといえば基本的にどケチで,かなり節約タイプの人が多い。(鹿島 p37)
 鹿島 大手町の首塚ね。(中略)あの将門の首塚は一等地にありますが,祟りを恐れて絶対動かしませんよね。
 井上 僕はね,不思議やと思うんですよ。周辺の企業,三井物産かな。机と椅子が全部,将門公へお尻が向かないように設置されている。それは,要するに皇居へ尻を向けるのは構わないということですよね。
 鹿島 不敬よりも,怨霊のほうが怖い。(p44)
 キリスト教というのは,基本的に「この世は地獄で,あの世は天国だ」という考え方ですからね。キリスト教圏で幼児死亡率がなかなか抑制されないで,人工が増えなかったのは,「子どもが死んでも,天国にすぐ行けるからいいんだ」という考え方で,幼児ケアが改善されなかったからなんです。(鹿島 p46)
 井上 フィレンツェにも,世界最古の赤ちゃんポストみたいなのがあると聞いたことがあります。(中略)結局,それは修道士がしでかした不始末の処理場やったんじゃないかなという気がするんですよ。
 鹿島 不始末の処理場ということだったら,女子修道院がそうですね。(中略)女子修道院というのは,18世紀ころまでは,不慮の形で妊娠してしまった女性が子どもを産む場所ではあったんですよ。(中略)秘密の産院の機能を果たしていたことは確かですね。(p46)
 井上 ジャン・ジャック・ルソーなんて,みんな里子に出して。
 鹿島 はい。子どもの大切さを説きながら,自分の子どもは片っ端から棄児院に入れていた。(p47)
 アメリカにおける,ただし東海岸におけるフランス・コンプレックスは,かなりものがあります。(鹿島 p52)
 中世,たとえば百年戦争以前の段階においては,禁欲主義というものは,地に落ちていたんですね。(中略)ヨーロッパ中に女子修道院は,売春宿にほとんど等しかったようです。坊さんのスケベさ,悪辣さというものが,極まっていたことは確かなんですね。(鹿島 p56)
 滋賀の三井寺の坊さんに聞いた話ですけど,ご当人が銀座のクラブで僧服のままで入って行った。すると,周りの目が凍っていたと。(中略)「ああ,しもた。ここは京都とちごたんや(中略)」と。そう,堂々とおっしゃっておられました。(井上 p58)
 井上 京都の守護警備に,関東武士たちが唯々諾々と仕えました。何年か働くと,「何とかの守」にしてもらえる。(中略)だけど,私はそれだけじゃないだろうと思う。やっぱり,簾の向こうに垣間見えるお姉さんの姿も,彼らをつき動かしたんじゃあないか。(中略)京都の無力ならぬ美人力が政治的にも大きく働いたのではないかと思うんです。(中略)
 鹿島 フランス史でも,明らかにありますね。それは,なぜドイツ軍はパリを目指すかという話で。(中略)パリの女に対する,ドイツ人の幻想は大きいんです。しかも,ヒトラーのパリ占領でも繰り返されたんです。(p73)
 平安文学を読んでいると,朝廷の貴族たちは,一日中色恋に明け暮れているように思えてしまいますが,彼らは結構働いているんですよ。(中略)ただ,平安文学は主に女の人が書いているので,女の人は彼らの働いている姿を見てないんですよね。(井上 p103)
 井上 紫式部自身が,ということではないですけれども,彼女のいた世界はやっぱり,男にとっての「銀座」だったんだと思います。
 鹿島 そういうことですね。男はいろいろなことを自慢したいがために,そこにやってくるわけだからね。(p103)
 私はラ・ロシュフコーを初めて読んだとき,(中略)京都のおばはんが口にすることと,よう似てるなあとも思いました。(井上 p106)
 痴漢の出現率が,他国より高いのも,普段接触を禁じている日本文化のせいなんですよね。(中略)痴漢は,ハグができない日本文化のひどい副産物なんですよ。(井上 p113)
 脚が隠されていたのに対して長い間,上半身の露出には,ヨーロッパは非常に寛容でした。(中略)胸元の乳首のところだけを辛うじて隠して,肩は完全に露出する。つまりデコルテが夜会・舞踏会文化における公式の礼服となった。(中略)何人といえどもこれには逆らえない。日本の皇妃様だって,デコルテにせざるを得ない。(鹿島 p115)
 江戸時代の日本では,京都でも江戸でも,ファッションリーダーになったのは,歌舞伎の女形なんですよね。(中略)女装の男がファッションリーダーになったわけですよ。だから,胸がふくらんでいるなんていうのは下品。寸胴ぐらいのほうが美しいとされた。(井上 p118)
 鹿島 そのパリジェンヌ幻想の頂点であるパリのムーラン・ルージュやリド,あるいはクレイジー・ホースで踊っているフランス人は減っている。背が高く,スタイルが良く,美人で,肉付きもいいという,全部の条件を備えた女性となると,ロシアやバルト三国,あるいはウクライナなどの出身になる。(中略)
 井上 京都の祇園の芸妓さんも,京都出身の女の子はほとんどいないですから。(p125)
 それこそ世界中の外交使節が,パリで恥ずかしいことをしはるわけじゃないですか。そして,彼らの女遊びは,しばしば外交機密を娼館側にもたらします。だから,フランス政府も国益を考えれば,彼らに女遊びをさせたい。そのため,取り締まりはほどほどにしてしまう。(鹿島 p128)
 文化の魅力って,多くのおっさんにとっては,女道楽のテイストを請け合ってくれることだったと思います。(井上 p129)
 上海でね,そういう娼館を通した秘密情報が一番飛び交ったのは,フランス租界なんですよ。ドイツは第二次世界大戦でフランスを占領したので,フランス租界の管理人にもなりました。でも,娼館には手をつけなかった。そこで入手できる情報は,やはり大事だと思ったんでしょうね。(井上 p129)
 パリジャンにとって,処刑というのは最大の娯楽,見世物だから,中心を離れるわけにはいかない。(鹿島 p142)
 上流階級は邸宅から馬車で出て,チュイルリー公園などに直接散歩に行く。つまり,街中は歩かなかったんですね。(中略)だから,街中がいくら汚くても,そこを歩かない上流階級には関係ない。(鹿島 p144)
 墓地って,だいたい中心部から見て,西の外れにあるでしょ。日の沈むほうに。これは洋の東西を問わない。(鹿島 p145)
 パリを歩くと,日本人にとってはどこも古い街並みのように見えるけれど,実は大半が1867年ごろ,日本でいえば明治維新のころに建てられたにすぎないんです。(鹿島 p160)
 京都ではね,応仁の乱が終わった後,上京と下京の中間地帯は焼け野原になって,何もなくなるんですよ。(中略)秀吉の時代になって,(中略)近江とか伊勢から入ってくるんですよ。この新参者を「中京衆」と呼んでいたんですね。(中略)中京衆は,島原の遊郭では遊ばなかったんです。いや,遊べなかったのかもしれない。(中略)そんな新参者に見出された遊興地が祇園なんですよ。(井上 p160)
 ルーマニア人って,ラテン気質なんです。(中略)男は飲んだくれの道楽者で,稼ぐのは女というタイプの国だそうです。日本でいったら,土佐みないなもんです。(鹿島 p170)
 商人たちが付き合う権力の館は,御所じゃあなく,二条城やったと思うんですよ。幕府の出先である所司代,京都所司代だと。(中略)この近辺の,とりわけ政商たちは,天皇が東京へ移ったこと以上に,幕府がついえ去ったことを残念がったような気がするんですよ。(井上 p172)
 京都は,もう江戸時代から,江戸=東京をパトロンに持つ街として生き延びる方向を選んでいたんではないでしょうか。「江戸=東京何するものぞ」とは,あまり思わなかったんじゃないかな。(井上 p174)
 幕府の統制から離れて,日本の建築は,「表現の自由」を獲得したんですよ。ヨーロッパの都市では,いまだにあり得ない「自由」を。(井上 p178)
 京都観光のガイドブックが充実してくるのは,江戸時代の中ごろからなんですよ。そのころから,京都の経済力は落ちていて,京都の商人たちは,本店機能を大阪に移し始めるんですね。(井上 p194)
 伊勢は応仁の乱以降,収入が途絶えるので,遷宮を一切しなくなるんですよ。100年ぐらい経って,もう昔の伊勢神宮がどんな形をしているのかわからなくなって。今のは,その後で新しく造り出したものなんですよ。(井上 p199)
 文化立国というのは,要するに文化で人をたぶらかして来させるということですからね。(鹿島 p200)
 鹿島 パリがコンプレックスを抱いたことのある都市って,ローマだけなんですよ。
 (中略)
 井上 それは,西洋世界全部そうじゃないでしょうか。ワシントンなんて,ローマ帝国に憧れているとしか思えないような作りですから。(p231)
 鹿島 パリでおいしいレストランを探すのは意外に大変です。フランス料理って,基本的に時間をかける料理なんです。ソースが重要だから。時間をかけないで素材を活かした料理となると,イタリアンに絶対負けるんです。
 (中略)
 井上 安い食い物に関しては,京都より大阪のほうが絶対おいしいです。(中略)値のはる店だと,京都も水準は高そうですけれども。(p236)
 もともと農村から締め出された余剰人員が,暴力化したのが騎士だから,都市民のブルジョワジーとは相いれない。(鹿島 p240)
 商人には痩せ我慢の精神がない。商人は,おいしいものを愛でる。グルメの先駆けでした。そして,大阪は商人の街だったんです。(井上 p243)
 「考えるとは比較することだ」というものです。言い換えると,観察すべき対象が二つ以上なければ比較することは不可能なので,考えることもまた不可能だということになります。(鹿島 p266)

2023年10月9日月曜日

2023.10.09 和田秀樹 『六十代と七十代 心と体の整え方』

書名 六十代と七十代 心と体の整え方
著者 和田秀樹
発行所 バジリコ
発行年月日 2020.06.25
価格(税別) 1,200円

● 著者の既刊本と内容は重複するところがある。大事なことだから何度も書く,一度では通じないから繰り返し訴える,ということもあろうし,読者側も読むと元気が出る(ような気がする)から何度も読みたい,ということかもしれない。
 同じ本を何度も読むよりは,多少とも違ってる方が読んだ気がするからと,新著を求める。同じ人たちが読んでいるのだと考えないと,ベストセラー現象の説明がつかないからね。

● とはいえ,著者のベストセラー群の中で本書が最も読み応えがあるというか,お堅いというか。ですます調の軟らかい文章にはなっているんだけれども,内容は盛りだくさん。

● 以下に転載。
 大方のサラリーマンにとって,定年は本人が自覚する以上に心身に大きな影響を与えます。とりわけメンタル面における打撃が大きく,(中略)鬱症状を引き起こすことも珍しくありません。(p12)
 よく言われることだ。ぼくも退職するときに,先輩から言われたことでもある。しかし,ぼくにはこうしたことは1ミリも起きなかった。仕事や職場に体重をかけたことがなく,半分退職してるような気分のまま務めていたからだ。退職によって失ったものがない。やっと自由になれた歓びでいっぱいだった。
 あと,辞めたのが2020年の3月だったこと。コロナで世界が一変するその始まりに辞めたので,退職して云々はコロナに吸収された感があった。
 特に所属願望の強い日本人にとって,会社という「場」の喪失によりアイデンティティの揺らぎを引き起こすことが多々あります。(p14)
 これもぼくにはなかった。所属願望なんてなかったから。自分の勤務先が自分にフィットしているとはとても思えなかった。もちろん,適応しようとはしたし,それなりに適応できていたと思うんだけど,それとここに所属していたいと思うかどうかは別の話でね。退職時にはサイズが合わない服を脱ぎ捨てられたような爽快感があったけどねぇ。
 コロナだったから送別会だのがすべて中止になり,妙な儀式につきあわされずにすんだのも有り難かった。コロナ様々。
 以上に関しては,ぼくが少数派ということでもないような気がする。つまり,退職によるアンデンティティの揺らぎなんてものは,すでにだいぶ少なくなっているんじゃなかろうか。
 「老害」なんてものはありません。確かに高年世代の中に周りに迷惑をかける,つまり「害」をなす人間はいるでしょう。けれども(中略)害をなす人間はどの世代にもいます。(p22)
 本当にディメリットを与えるような人間であれば,高年だろうと若年だろうと友情は組織から排除されるはずです。その人物が居座っているのは,その組織にとって何らかの意味があるからに他なりません。一方で,判断力のない若い政治家や経営者は世の中にいくらでもいます。(p22)
 すべての人間は自分が世界の中心だと潜在的に意識しています。自分が在って世界が在る,人間の自意識とはそういうものであり,人間が人間であるための実存的真理です。(p24)
 高年者をはじめとする社会的弱者を差別し攻撃する連中に共通しているのが,表現は異なっても,まさにこの「生産性」の高低を論拠にしている点だからです。彼らに決定的に欠落しているのは,一言で申せば「明日は我が身」という想像力です。一寸先は闇,明日何が起きるかなんて誰にもわかるはずがありません。(中略)彼らは,そんなことさえ想像できない。要するに馬鹿なのです。(p28)
 私は,彼らが尊厳死などと言えるのは本人がまだ元気だからだと思っています。(p35)
 そもそも,生きたいという医師は人間に備わった本能です。したがって,たとえ家族といえども本人の意志とは無関係に,かわいそうだと勝手に決めつけて治療を中止するのは,やはり高年患者に対するある種の差別ではないでしょうか。(p36)
 私は「競争」を有益だと考えるものです。競争には,個々の人間を鍛え,結果的に全体のレベルを向上させるという原理が在るからです。(中略)競争のない環境下では人間に備わった諸々の潜在能力は向上しない(p39)
 個人が努力と創意工夫によって富を得ることは,何ら悪いことではないと私は考えています。ただ,その富は市場という名の「一般大衆」という存在があってこそ獲得できるわけです。したがって,成功者が自ら得た富の一部を,税金というかたちで大衆に還元するのは当然のことではないでしょうか。(p45)
 細胞にとって活性酸素はガンと並ぶ天敵とも言うべき存在です。(p59)
 大部分の人は高年になると病気になり,また介護など支援を必要とするのが現実です。(中略)迷惑をかけられたり,かけたりするのが人の人生であり,まったく気に悩むことはないのです。(p81)
 生きているからこそ病気になる。そして病気になるということも私たちの人生の一部であり,そこには何らかの意味が介在するはずです。(p82)
 すぐに動くということは大切です。動けば何らかの変化が生じます。行動するということは,不安を緩和する効果があるのです。(p88)
 雨風をしのぎ安心して眠れるという「家」に求められる本質的機能は,立派な家でも質素な家でも変わりありません。(中略)実のところ,我々の生活の中で本当に必要な人や物はとても少ないはずです。(p89)
 裕福だからできることもあるでしょうが,裕福だからこそ手に入らない幸せもあるのです。目を凝らして周りを見渡せば,「幸せ」はそこかしこに点在しています。そして,意識的に行動すれば金をかけなくても幸福感は得られるのです。(p90)
 老いるのも,病気になるのも,死ぬのも,この根本原因は生きているからです。そして,なぜ生きているのかと言うと生まれたからです。こんなに思い通りにならない人生であるのなら,いっそこの世に生まれてこなければよかったと考えても,もちろん思い通りにはなりません。(p102)
 常識のない人間や無神経な言動をとる人間というのは,どこにでもいるものです。そんな連中に腹を立てるのは正当な感情であり,否定する必要はまったくありません。けれども,そうした感情をひきずるのはよくありません。そんな感情はほっておけばいいのです。つまり,気にしなければいいのです。(p106)
 私たちはそれぞれ唯一無二,オンリーワンの存在として生まれてきました。考えてみれば不思議な縁であり,奇跡のようなことではりませんか。だからこそ,人生は誰にとっても貴重であり,高年になっても生きている間は生きることに懸命になるべきなのではないでしょうか。(p110)
 一つの食品に執着し他の食品の接種がおろそかになることは,とても悪いことだとも思っています。(中略)理想的な食生活とは,肉も魚も野菜も,要するに何でもバランスよく食べるということに尽きます。(p118)
 加齢に伴う食の嗜好の変化,すなわち少食になり脂肪を含む食品を忌避するようになることを放置したままでいると,自然の摂理に従ってそのまま徐々に老け込んでいきます。(中略)それでいいのだ,と達観されているのであれば,私から申し上げることはありません。(p122)
 臓器の活動時間ではない時間に食事をすると臓器に大きな負担をかけるので,不規則な食事は避けるようにしてください。(中略)臓器の活動時間からすると,朝食は七時~九時,昼食は十二~十四時,夕食は十九~二十一時が食事をとるのに望ましい時間です。(p125)
 ただでさえ,食事がおろそかになりやすい高年者にとって,食事を抜くなど自殺行為に等しいのです。(p125)
 一般に夕食には肉類など重い食事をとりがちですが間違っています。(中略)軽めの食事にしてください。(中略)夜は体に蓄積された老廃物を処理する腎臓の機能が高まっているので,なるべく水分をとるようにしてください。(p127)
 「散歩は旅だ」と誰かが言っていましたが,確かに「小さな旅」と言えなくもありません。(p144)
 煙草の成分には血管を収縮させる物質が必ず入っています。血管が収縮すると体内に酸素が行き渡らなくなるため様々な悪影響が生じます。体内の酸素は少な過ぎても多過ぎても老化を促進する原因となります。(p149)
 六十五歳以上の方にとって,禁煙するかしないかは微妙なところではあります。というのも,二十代から六十歳を過ぎるまで吸い続けてきた場合,禁煙による体の改善効果はあまり期待できないからです。有体に言えば,手遅れだということです。(p149)
 喫煙は恒常的に毒を飲んでいるようなものだし,今後確実に値上がりが続くであろう煙草にかけるコスト,そして禁煙によって間違いなく食べ物がおいしく感じられ食欲が増進することなどを考え合わせると,やはり止めるにこしたことはないでしょう。(中略)本書を読まれたことを機に禁煙にチャレンジされてはいかがでしょうか。(p149)
 著者がここまで明確に煙草を否定しているのは,本書が最初で最後かもしれない。
 心と体の大敵はストレスです。そして,往々にしてストレスは「がまんする」ことから生じます。(中略)「がまん」はすべてよろしくありません。(p152)
 基本的には「自分は自分,人は人」というスタンスで生きていくのが高年世代の心得としては正解です。(中略)「大きなお世話だ」と胸を張って我が道を行けばいいのです。何せ,一回こっきりの人生なんですから。(p153)
 人間はメンタルにおいてもフィジカルにおいても複雑系の存在です。今度は「ストレスのない生活」自体がストレスに転化するのです。(p154)
 高年世代の理想的生活の在り方は「心はノンビリと,脳と体は活発に」ということになりましょうか。(p154)
 活動的なのはいいことですが,毎日の時間割を作成するといった細かいスケジュールは立てない方がいいでしょう。なぜなら,スケジュールに押しつぶされるからです。(中略)せっかく自由な時間があるのだから,予定は大雑把でいいのです。(中略)出たとこ勝負,その日の気分の赴くままに活動すればいいのです。(p155)
 使わないまま死んでしまえば儲蓄も意味はありません。(中略)使える金は自分や妻(夫)のためにどんどん使うべきです。(中略)それも,できれば「モノ」よりも「コト」,すなわち体験に使うべきでしょう。というのも,「モノ」はアンチエイジングに影響を与えませんが,「コト」は確実に心身を活性化します。(p158)
 歳をとったからといって枯れる必要は全然ないと私は思っています。生きている間は懸命に生きようとする在り方,すなわち生命力自体に真の「美しさ」が宿ると考えているからです。そして,生命力の源は「欲望」です。したがって,人間の欲望を抑圧することは,生命に対する冒涜ではないかと私は考えています。(p159)
 要するに,太守は誰かを罰したいのです。他者の不正義を糾弾してスカッとしたいわけです。そして,マスコミはそうした大衆の暗い情念をすくい取り,迎合した記事を流します。(中略)こうしたマスコミと大衆の関係,その他罰感情は卑しく不健康であると言う他ありません。(p160)
 性欲を抱くことが不道徳だと言うのであれば,私は躊躇なく不道徳であることをおすすめします。(p162)
 バイアグラの効能はED治療にとどまらず,血管内皮機能を高め動脈硬化によって血流が悪くなった血管を改善することが最近になってわかってきました。要するに,血管を若返らせる機能です。血管が若返ると,体の様々な機能も改善します。(p162)
 「不良上等,余計なお世話だほっときな,私は私で生きていく」と開き直ってみてはどうでしょうか。(p163)
 人間,恰好をつけなくなったら終わりです。(p170)
 高年世代の方々に私がおすすめしたいのは,自ら情報を発信することです。(中略)脳のアンチエイジングにとても効果的だからです。(中略)文章を書くという行為は脳を刺激し活性化します。私的なメモや定型的な企業文書などと異なり,公開を前提とした文章を書くためには頭をフルに使うことになります。(p173)
 あらゆる事象は立体的であり,正面から見るだけでなく斜めから見たり,裏側にまわって見たりしなければ,その輪郭の総体を正確に捉えることはできません。(p176)
 私が臨床の現場で学んだ最も大きなことは,とてもシンプルなことでした。それは,人間はすべてオリジナルな存在であり,それぞれの人生に優劣などないという当然過ぎる真理でした。(中略)よく「平凡な人生」という言い方をしますが,実のところ平凡な人生などありません。人それぞれ固有の喜怒哀楽を経てきて,固有のドラマを有しています。だからこそ,個々の「生」には意味があるのです。(p201)
 そもそも八十歳以上になれば認知症を発症している人と,これから発症する人という二種類の人しかいないと言ってもいいでしょう。(p204)
 人間が生物である以上死も平等にやってきます。要するに必然であるわけです。必然的にやってくることをあれこれ悩むのは無意味であり,精神の無駄使いです。なるようになる,それが人生だと思い定めれば,心はずいぶんと軽くなるのではないでしょうか。(p205)
 医者の不養生という言葉がありますが,一般に医者は自分の体に無頓着であり,薬や定期健診を好みません。おそらく,数多の治療にたずさわる中で寿命なるものが運命であること,そして健康という概念の本質を直感的に感じ取っているからでしょう。(p205)

2023年10月5日木曜日

2023.10.05 若宮正子 『88歳,しあわせデジタル生活』

書名 88歳,しあわせデジタル生活
著者 若宮正子
発行所 中央公論新社
発行年月日 2023.07.10
価格(税別) 1,350円

● 副題は「もっと仲良くなるヒント,教えます」。
 内容はさすがに著者の既刊本と重複している。本書で新たに説かれている部分はほぼない。しかし,出せば一定の購入層がいるということだろう。
 老人本は堅いということですかねぇ。老人には本を読む人が多いのかもしれないね。

● 以下にいくつか転載。
 失うものばかりと思っていた老いの日々に,新しい可能性,学ぶことの楽しさ,生き生きとした毎日を連れてきてくれます。そう,シニアとデジタルは,とっても相性が良いのです。(p5)
 彼らと自分の考えはもしかしたら合わないかもしれないけれど,相手を「理解しようとする」ことは,これからの社会ではとても大切な姿勢ですから,インターネットがその助けになってくれると思うのです。(p39)
 「先生の教えるとおりにしない生徒ほど上達が早い」というのもデジタルの面白いところ。(p123)
 スマートフォンには,利用するすべての人ができるだけ便利に扱えるように,視覚・聴覚にハンディキャップのある人や高齢者に向けての機能が備わってします。(p137)
 人生100年時代には,いつまでも学び続ける気持ちが人生を豊かにしてくれます。(中略)その時々に必要な学びを積み重ねていくことが大切でしょう。私が特におすすめしたいのが,理科系の学び。(中略)理系老人「リケロウ」を増やしていくことが,マーチャンのこれからの大事な使命だと考えているのです。(p178)