書名 京都,パリ この美しくもイケズな街
著者 鹿島 茂
井上章一
発行所 プレジデント社
発行年月日 2018.09.28
価格(税別) 1,200円
● 面白い。ティプスというのか,細かい知識がずいぶん増えた。欧州の聖職者たちの生々しい部分や,娼館が情報活動の拠点になっていたとか,地方の武士が京に赴くのを嫌がらなかったのは京女と遊べる楽しみがあったからだとか,そういう話。
京都の洛中に住む人の品性の下劣さも。洛中人に限らず,人はこうなるものだけどね。差別やいじめを産む元になる心ばえというのは,人の本性の部分に鎮座ましましているんでしょうね。爬虫類脳にあるんじゃなかろうかね。
● 以下に転載。
パリ生まれ自慢という人はあまりいない。(中略)フランスのパリ盆地では,親子が別居で,兄弟が平等の「平等主義核家族」が普通です。これだと,家族や家計よりも個人が最優先され,家族や家系というものはあまり意識に入ってこない。(鹿島 p18)
たかが茶の,しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか,器を扱う家の由緒がどうとかね。(中略)一般市民に毛が生えたようなのが,何百年続いているということを誇らしげに語るというのは,やっぱり,なんかどうなんでしょうね。(井上 p21)
フランスには「売官制度」というのがあって,(中略)金ができるとブルジョワは,息子に高等法院の官職を買ってやり,法服貴族にする。息子が貴族になったら,親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから,創業何年というのを誇りにする伝統というのは,生まれなかったのですね。(鹿島 p23)
創業数百年の名家になるとね,しきたり,親戚の陰口,もう大変なんですって。(井上 p26)
鹿島 城ってね,船を持ってるのと同じで,買う値段より維持費のほうが高い。だから1億円でシャトーを買ったら,年間の維持費も1億円かかると思わなきゃならない。(中略)井上 じゃあ,シャトーの持ち主はある意味で,文化庁に代わってフランス文化の保存係をボランティアで担っているということに。(p29)
フランスのブルジョワというのは,元はといえば基本的にどケチで,かなり節約タイプの人が多い。(鹿島 p37)
鹿島 大手町の首塚ね。(中略)あの将門の首塚は一等地にありますが,祟りを恐れて絶対動かしませんよね。井上 僕はね,不思議やと思うんですよ。周辺の企業,三井物産かな。机と椅子が全部,将門公へお尻が向かないように設置されている。それは,要するに皇居へ尻を向けるのは構わないということですよね。鹿島 不敬よりも,怨霊のほうが怖い。(p44)
キリスト教というのは,基本的に「この世は地獄で,あの世は天国だ」という考え方ですからね。キリスト教圏で幼児死亡率がなかなか抑制されないで,人工が増えなかったのは,「子どもが死んでも,天国にすぐ行けるからいいんだ」という考え方で,幼児ケアが改善されなかったからなんです。(鹿島 p46)
井上 フィレンツェにも,世界最古の赤ちゃんポストみたいなのがあると聞いたことがあります。(中略)結局,それは修道士がしでかした不始末の処理場やったんじゃないかなという気がするんですよ。鹿島 不始末の処理場ということだったら,女子修道院がそうですね。(中略)女子修道院というのは,18世紀ころまでは,不慮の形で妊娠してしまった女性が子どもを産む場所ではあったんですよ。(中略)秘密の産院の機能を果たしていたことは確かですね。(p46)
井上 ジャン・ジャック・ルソーなんて,みんな里子に出して。鹿島 はい。子どもの大切さを説きながら,自分の子どもは片っ端から棄児院に入れていた。(p47)
アメリカにおける,ただし東海岸におけるフランス・コンプレックスは,かなりものがあります。(鹿島 p52)
中世,たとえば百年戦争以前の段階においては,禁欲主義というものは,地に落ちていたんですね。(中略)ヨーロッパ中に女子修道院は,売春宿にほとんど等しかったようです。坊さんのスケベさ,悪辣さというものが,極まっていたことは確かなんですね。(鹿島 p56)
滋賀の三井寺の坊さんに聞いた話ですけど,ご当人が銀座のクラブで僧服のままで入って行った。すると,周りの目が凍っていたと。(中略)「ああ,しもた。ここは京都とちごたんや(中略)」と。そう,堂々とおっしゃっておられました。(井上 p58)
井上 京都の守護警備に,関東武士たちが唯々諾々と仕えました。何年か働くと,「何とかの守」にしてもらえる。(中略)だけど,私はそれだけじゃないだろうと思う。やっぱり,簾の向こうに垣間見えるお姉さんの姿も,彼らをつき動かしたんじゃあないか。(中略)京都の無力ならぬ美人力が政治的にも大きく働いたのではないかと思うんです。(中略)鹿島 フランス史でも,明らかにありますね。それは,なぜドイツ軍はパリを目指すかという話で。(中略)パリの女に対する,ドイツ人の幻想は大きいんです。しかも,ヒトラーのパリ占領でも繰り返されたんです。(p73)
平安文学を読んでいると,朝廷の貴族たちは,一日中色恋に明け暮れているように思えてしまいますが,彼らは結構働いているんですよ。(中略)ただ,平安文学は主に女の人が書いているので,女の人は彼らの働いている姿を見てないんですよね。(井上 p103)
井上 紫式部自身が,ということではないですけれども,彼女のいた世界はやっぱり,男にとっての「銀座」だったんだと思います。鹿島 そういうことですね。男はいろいろなことを自慢したいがために,そこにやってくるわけだからね。(p103)
私はラ・ロシュフコーを初めて読んだとき,(中略)京都のおばはんが口にすることと,よう似てるなあとも思いました。(井上 p106)
痴漢の出現率が,他国より高いのも,普段接触を禁じている日本文化のせいなんですよね。(中略)痴漢は,ハグができない日本文化のひどい副産物なんですよ。(井上 p113)
脚が隠されていたのに対して長い間,上半身の露出には,ヨーロッパは非常に寛容でした。(中略)胸元の乳首のところだけを辛うじて隠して,肩は完全に露出する。つまりデコルテが夜会・舞踏会文化における公式の礼服となった。(中略)何人といえどもこれには逆らえない。日本の皇妃様だって,デコルテにせざるを得ない。(鹿島 p115)
江戸時代の日本では,京都でも江戸でも,ファッションリーダーになったのは,歌舞伎の女形なんですよね。(中略)女装の男がファッションリーダーになったわけですよ。だから,胸がふくらんでいるなんていうのは下品。寸胴ぐらいのほうが美しいとされた。(井上 p118)
鹿島 そのパリジェンヌ幻想の頂点であるパリのムーラン・ルージュやリド,あるいはクレイジー・ホースで踊っているフランス人は減っている。背が高く,スタイルが良く,美人で,肉付きもいいという,全部の条件を備えた女性となると,ロシアやバルト三国,あるいはウクライナなどの出身になる。(中略)井上 京都の祇園の芸妓さんも,京都出身の女の子はほとんどいないですから。(p125)
それこそ世界中の外交使節が,パリで恥ずかしいことをしはるわけじゃないですか。そして,彼らの女遊びは,しばしば外交機密を娼館側にもたらします。だから,フランス政府も国益を考えれば,彼らに女遊びをさせたい。そのため,取り締まりはほどほどにしてしまう。(鹿島 p128)
文化の魅力って,多くのおっさんにとっては,女道楽のテイストを請け合ってくれることだったと思います。(井上 p129)
上海でね,そういう娼館を通した秘密情報が一番飛び交ったのは,フランス租界なんですよ。ドイツは第二次世界大戦でフランスを占領したので,フランス租界の管理人にもなりました。でも,娼館には手をつけなかった。そこで入手できる情報は,やはり大事だと思ったんでしょうね。(井上 p129)
パリジャンにとって,処刑というのは最大の娯楽,見世物だから,中心を離れるわけにはいかない。(鹿島 p142)
上流階級は邸宅から馬車で出て,チュイルリー公園などに直接散歩に行く。つまり,街中は歩かなかったんですね。(中略)だから,街中がいくら汚くても,そこを歩かない上流階級には関係ない。(鹿島 p144)
墓地って,だいたい中心部から見て,西の外れにあるでしょ。日の沈むほうに。これは洋の東西を問わない。(鹿島 p145)
パリを歩くと,日本人にとってはどこも古い街並みのように見えるけれど,実は大半が1867年ごろ,日本でいえば明治維新のころに建てられたにすぎないんです。(鹿島 p160)
京都ではね,応仁の乱が終わった後,上京と下京の中間地帯は焼け野原になって,何もなくなるんですよ。(中略)秀吉の時代になって,(中略)近江とか伊勢から入ってくるんですよ。この新参者を「中京衆」と呼んでいたんですね。(中略)中京衆は,島原の遊郭では遊ばなかったんです。いや,遊べなかったのかもしれない。(中略)そんな新参者に見出された遊興地が祇園なんですよ。(井上 p160)
ルーマニア人って,ラテン気質なんです。(中略)男は飲んだくれの道楽者で,稼ぐのは女というタイプの国だそうです。日本でいったら,土佐みないなもんです。(鹿島 p170)
商人たちが付き合う権力の館は,御所じゃあなく,二条城やったと思うんですよ。幕府の出先である所司代,京都所司代だと。(中略)この近辺の,とりわけ政商たちは,天皇が東京へ移ったこと以上に,幕府がついえ去ったことを残念がったような気がするんですよ。(井上 p172)
京都は,もう江戸時代から,江戸=東京をパトロンに持つ街として生き延びる方向を選んでいたんではないでしょうか。「江戸=東京何するものぞ」とは,あまり思わなかったんじゃないかな。(井上 p174)
幕府の統制から離れて,日本の建築は,「表現の自由」を獲得したんですよ。ヨーロッパの都市では,いまだにあり得ない「自由」を。(井上 p178)
京都観光のガイドブックが充実してくるのは,江戸時代の中ごろからなんですよ。そのころから,京都の経済力は落ちていて,京都の商人たちは,本店機能を大阪に移し始めるんですね。(井上 p194)
伊勢は応仁の乱以降,収入が途絶えるので,遷宮を一切しなくなるんですよ。100年ぐらい経って,もう昔の伊勢神宮がどんな形をしているのかわからなくなって。今のは,その後で新しく造り出したものなんですよ。(井上 p199)
文化立国というのは,要するに文化で人をたぶらかして来させるということですからね。(鹿島 p200)
鹿島 パリがコンプレックスを抱いたことのある都市って,ローマだけなんですよ。(中略)井上 それは,西洋世界全部そうじゃないでしょうか。ワシントンなんて,ローマ帝国に憧れているとしか思えないような作りですから。(p231)
鹿島 パリでおいしいレストランを探すのは意外に大変です。フランス料理って,基本的に時間をかける料理なんです。ソースが重要だから。時間をかけないで素材を活かした料理となると,イタリアンに絶対負けるんです。(中略)井上 安い食い物に関しては,京都より大阪のほうが絶対おいしいです。(中略)値のはる店だと,京都も水準は高そうですけれども。(p236)
もともと農村から締め出された余剰人員が,暴力化したのが騎士だから,都市民のブルジョワジーとは相いれない。(鹿島 p240)
商人には痩せ我慢の精神がない。商人は,おいしいものを愛でる。グルメの先駆けでした。そして,大阪は商人の街だったんです。(井上 p243)
「考えるとは比較することだ」というものです。言い換えると,観察すべき対象が二つ以上なければ比較することは不可能なので,考えることもまた不可能だということになります。(鹿島 p266)

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