2014年4月30日水曜日

2014.04.30 小沢昭一・永 六輔 『平身傾聴 裏街道戦後史 色の道商売往来』

書名 平身傾聴 裏街道戦後史 色の道商売往来
著者 小沢昭一
    永 六輔
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2007.05.10(単行本:1972.04)
価格(税別) 880円

● 元版の単行本は昭和47年の刊行。その元になった週刊誌(アサヒ芸能)連載は昭和42年。その頃に生まれた人はそろそろ50歳になる。半世紀前の世界。まさしく戦後史。
 「アサヒ芸能」の連載がちくま文庫になるというのも,戦後史ゆえでしょうか。

● 週刊誌の連載だから,とにかくスラスラ読める。
 が,業界人からここまでの話を引きだすのは,誰にでもできることじゃないだろう。っていうか,普通の人では触ることもできないだろう。小沢さんの実力の一端が垣間見える。

● 当時の日本社会は元気だったとも思わせる。男たちが元気だった。
 日本のオヤジたちが徒党を組んで韓国や東南アジアに買春に出かけ,顰蹙を買っていたのは,ついこの間のことだと思うのだが,今の日本男児にそんな元気があるのかどうか。元気といっちゃいけないのかな,陽性の無邪気さっていうかね。今は内に籠もりすぎっていうか。
 あと,性観念の弛緩もあるだろうね。彼女がいくらでも応じてくれるんだから,そんなことにわざわざお金を払うってのがわからない。そういう若い衆も多いんじゃないかなぁ。
 いわゆる草食化もあるんだろうな。欲求じたいの減退。今の社会って,若者には相当な閉塞感を与えているのかもしれないね。上が詰まりすぎている。
 インターネットにその種の動画は無数に転がっている。美人でスタイルのいい女の子が,惜しげもなく全部を見せてくれる。それですんじゃう。生女(なまおんな)は見目麗しくないうえにめんどくさい。

● 以下にいくつか転載。
 街を歩いていても,わたしたちみたいなことをしている女性(コールガール)ってわかりますからね。声をかければ話はつきます。(p123)
 (進駐軍慰安婦の募集をかけたら)ゾロゾロ来るんです。ゾロゾロ・・・・・・当時,警察署長の月給が百五十円くらい。ところが,女の子に三百五十円,だから集まりましたよ。(p206)
 (彼女たちは慰安施設であることを知っていましたか)給料が高くて,メシを食わせて,着物も化粧品も支給するんですから,覚悟はしてましたね。(p206)
 (慰安婦の存在は)相当の防壁になったということは事実でしょうね。あれがなかったらどんな結果になっているか・・・・・・。そりゃ性の欲求なんてものは,はげしいですからな。しかも,あんなすさんだやつに・・・・・・。そんなのがなかったらたいへんだったでしょうよ。(p214)
 今でもその仕事は終わっていない。そして,オリンピックとか,見本市とか,外国から大量の人が来る時には,今でも接待用女性は集められ,供給されているのだ。 (中略)大手の商社では,外国人バイヤーのための手持ちの慰安婦をチャンと契約している。(p217)
 だって,むかしの歌舞伎の女形は,男を知るのが修行のはじまりなんですって。 そう,痔になるようじゃ駄目だった(笑)。(p234)
 ぼくは,ロケーションで(刑務所の)房のなかを見せてもらったことがあるんですがね。男の房よりも,女の房のほうが落書きがワイセツなのが多いですね。(p290)

2014.04.28 吉田友和 『自分を探さない旅』

書名 自分を探さない旅
著者 吉田友和
発行所 平凡社
発行年月日 2012.06.13
価格(税別) 1,600円

● 会社員で週末旅を自らも楽しみ,読者に推奨もしてきた著者が,会社を退職し,旅を仕事にすることに決めた前後を綴る。
 会社員の「卒業旅行」の行き先はインド。このインドでのあれやこれが本書の白眉で,じつにどうも面白かった。

● インドというと,はまる人と嫌う人がくっきり分かれる。嫌うのはインド人の物売りや雲助のしつこいまでの小ずるさに根をあげるから。あるいは,水の悪さや香辛料のききすぎた料理にやられるから。さらには,カオスともいえる雑踏にあてられるから。
 と普通に言われるのをなるほどと受け取っていたんだけれども,いや,ちょっと待てよ,と思わせる。

● 紀行文の書き手として,今やナンバーワンに躍りでた感がある。ほかには下川祐治さんと,自転車旅の石田ゆうすけさん。この3人が,ぼくの知る狭い範囲ではお気に入りの書き手だ。

● 著者は写真も上手だ。写真は特に勉強したわけでもないのだろうが,巻末に収められている写真はどれも見応えがある。

● 以下に転載を2つ。ひとつは,テレビに出たときの体験を綴ったもの。
 蟹の手をもいで身を出す瞬間を撮る際などは,同じ料理をもう一度誂え,一時間以上もかけて入念にワンシーンを撮影していた。それでもオンエア時に使うのは恐らく数秒なのだ。(中略) 振り回される側からすると大変なことは否定できないけれど,ある種の粘り強さこそが,物作りをする上では避けて通れない壁の一つなのだろう。(中略)熱は伝播するものらしい。真剣に取り組む人を目の前にして,どう向き合えば良いか,期待を裏切らないためには何をすれば良いかと今更ながらに考え,そして覚悟を決めた。(p115)
 もうひとつは,旅の期間の長短についての著者の意見。
 期間に限りがあると,旅人は貪欲になる。(中略)どちらがいいとか悪いではないが,短期滞在の方が旅の密度が高くなるのは紛れもない事実だと思う。(p191)
● この「卒業旅行」はしかし,途中で切りあげることを余儀なくされる。東日本大震災が発生したからだ。
 帰国後の行動は,書かれているとおりだったとすれば,典型的な馬鹿者のそれだ。ひょっとすると,発生直後に帰国したからかもしれない。発生時に東京にいれば,違った対応になったのかもしれない。
 しかし,西に逃げよう,はないだろう。

● 原発の放射能にしたって,少し以上に過剰反応だ。どれだけの線量が出ているのかは,公表されていた。著者もサイトでチェックしていた。ならば,あとは自分で判断できるではないか(公表されるデータが信じられないというのなら,また別の次元の話にならざるを得ないけれども)。
 ここで肝心なのは,それ以外の情報を遮断することだろう。マスコミや自称専門家や評論家は,常に必ず間違うものではないか。有事にはそうした情報を遮断する決断ができるかどうか。

● インターネットやSNSを称揚する連中にどこか胡散臭さを感じるのも,このあたりに理由があるのではないかと思っている。情報収集,情報収集というけれど,いざというときには収集よりも遮断の方が大事なのではないか。
 あの地震が起きた直後,ツイッターで情報が流れ,それを読んだ人は助かり,そうでない人は・・・・・・という噂(?)が活字になっているのを読んだことがあるけれども,これもぼくは疑っている。称揚派が針小棒大に言い過ぎているのではないか,と。

2014年4月27日日曜日

2014.04.27 長谷川慶太郎 『中国崩壊前夜』

書名 中国崩壊前夜
著者 長谷川慶太郎
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2014.05.01
価格(税別) 1,500円

● 著者は以前から中国は崩壊すると言ってきた。『破綻する中国,繁栄する日本』(実業之日本社)を2月に出したばかり。中国崩壊の警鐘を鳴らす本を立て続けに刊行した。
 その理由は「中国の崩壊は,もはや目前に迫っている」(p7)という危機感から。崩壊後の中国がどうなるかといえば,「七つの大軍区がそれぞれ独立宣言をして,互いに隣国を侵略し合う「内戦」が中国全土にわたって発生する」(p189)。
 解放軍としては,日本と中国首脳が和平への動きを取ることだけは断固反対である。日本の脅威を煽ることが,自らの存在価値を大きくしてくれる。予算も獲得でき,組織も大きくできる。幹部にとっては利権も増える。だからこそ,日中はいつまでも緊張・対立が続いて欲しいのである。(p51)
 二〇一二年の世界のがんによる死者数の最も多い肺がんの場合,新規患者の三六%が中国人。肝臓がん,食道がんでは新規患者の五割が中国人となっている。中国人の人口比率(世界で一九%)を考えると,その異常に高い数値は何を物語っているのか。救いようのない中国国民の悲惨さと無念さが伝わってくる。(p90)
● 「日本では,尖閣のからみで中国からミサイル攻撃等,何らかの攻撃があるかもしれないとの懸念が高まっている」が,それはあり得ない。なぜなら,「それは完全にアメリカとの戦争となり,中国自身,甚大な損害を被ることは明らかである」からだ(p225)。
 アメリカが日本という同盟国を失うような選択をするはずがない。「いまやアメリカは日本の技術に大きく依存している」からで,そんなことをすれば即アメリカの衰退につながる。
 「現代の世界において,技術というのはものすごい力になる。まさにスーパーパワーを決める最大要因と言ってもよい」(p227)のだ。

● 本書の副題は「北朝鮮は韓国に統合される」だ。中国が北朝鮮を支える余裕がなくなれば,北挑戦は切り捨てられる。金正恩はスイスに亡命。北朝鮮は韓国が引き受けるしかなくなる。
 その韓国の経済が減速を余儀なくされている。韓国経済を支えてきたサムスンに陰りが見られる。シャープやソニーの後を追う気配が濃厚になってきた。
 加えて,政治も迷走している。
 九七年の(韓国の通貨)危機は,IMF支援などというよりも,実質,日本が助けたようなものである。それから一カ月以上おくれてIMFが出てきて救済という形を整えただけなのである。(中略) そのような大変困難な経験があったことを伝えるスタッフが,現在の朴槿恵大統領の周辺にはいないのだろう。少しでもこのときの状況を知っていれば,日本との通貨スワップ解消や一連の反日政策はこわくて採れないはずである。残念ながら,今回は,自分でまいた種は自分で刈ってもらうということになるだろう。(p159)
● ほかにいくつか転載。
 総じて,経済新興国というのは,韓国も含めて,みな背伸びをしたがる。 自国の産業基盤が大きく他国に依存しているにもかかわらず,その実情から目を背け、自分たちの成果のみを強調するきらいがある。(p167)
 (韓国や中国には)日本のように同じ経営陣が代々受け継いでというものはない。なぜかと言うと,彼らにとって大切なのは,目先の金儲けなのである。儲からなければすぐにやめてしまう。日本のような「伝統」を継承していくのは大変なものなのである。そのことがいま日本でも再評価されているが,当然のことである。(p168)
 日本は,世界でも比類なき教育熱心な国だったと言ってよい。明治初期に招いた多くのお雇い外国人の中には,当時の参議であった伊藤博文の二倍以上の給料をもらっている者もいたという。当時の貧乏政府が,教育に対しては,破格のお金を投じたことになる。(中略) 中国では国家が教育の必要性に感心を向けない。その理由は一番儲からないからである。だからあまりお金をかけたくない。人口が多い国であるから,放っておいても金持ちの子弟は学校へ行き,そこから一定数の優秀な人材が輩出される。それで良いというやり方を過去何千年と続けてきた国なのだ。(p169)
 計画経済で統一されているということは,市場競争のない世界である。実際に長年それで通すとすさまじい沈滞ぶりを示すことになり,経済も民政も疲弊する。(p180)

2014.04.25 小林秀雄 『学生との対話』

書名 学生との対話
著者 小林秀雄
編者 国民文化研究会・新潮社
発行所 新潮社
発行年月日 2014.03.30
価格(税別) 1,300円

● 小林秀雄といえば,高名な評論家。もちろん,名前は知っていた。新潮文庫の『モオツァルト・無常という事』は高校生のときに読んだ。受験問題によく出るらしいという,じつに情けない理由で読んだものだ。
 で,さっぱり理解できなかった。以後,敬して遠ざけたまま今日に至っている。評論そのものからも遠ざかってきた。

● が,今回たまたまこの本を読んだところが,面白かった。少しは自分もモノがわかるようになったのかもしれない。高校生のときの自分は,高校生としても愚鈍だったのだろうけど。
 遅ればせながら(ひじょうに遅ればせながらだけれども),これからは小林秀雄さんが書いたものも,少しずつ読んでいこうかと思った。

● 以下に転載。
 今の歴史というのは,正しく調べることになってしまった。いけないことです。そうではないのです。歴史は上手に「思い出す」ことなのです。歴史を知るというのは,古えの手ぶり口ぶりが,見えたり聞こえたりするような,想像上の経験をいうのです。(p24)
 元は物質のほうにある。だから,物質を調べれば人間の精神もわかる。なぜかというと人間のほうは随伴している現象に過ぎないからだとマテリアリスム(唯物論)は言う。どうして,この自然にそんなふうな無駄があるんだ。たった一つでいいじゃないか。随伴した現象がどうして要るのですか。(中略)自然はそんな無駄,そんな贅沢を許さないですよ。 精神現象と物的現象は違うんです。関係はあるけれど違うんです。違うものなら自然は許します。(p57)
 偉い人の仕事を見ると,まず初めに仕事を好むことが土台になっている。その仕事に没頭できるか,できないかが,最初の問題です。(p87)
 喜びといっても,苦しくない喜びなんてありませんよ。学問をする人はそれを知っています。嬉しい嬉しいで,学問をしている人などいません。困難があるから,面白いのです。やさしいことはすぐつまらなくなります。そういうふうに人間の精神はできているんです。(p89)
 本当にいい音楽とか,いい絵とかには,何か非常にやさしい,当たり前なものがあります。真理というものも,ほんとうは大変やさしく,単純なものではないでしょうか。現代の絵や音楽には,その単純なものが抜け落ちています。そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを,私は強く感じます。たとえばデカルトには,何か近代人の及びもつかない単純性がある。明るくて,建設的なものがあり,陰気なものは影も形もないのです。けれども,現代の思想には,憂鬱なもの,皮肉なもの,裏に廻って見るような態度,いわば女々しいものがあります。(p92)
 「法師ながら」と言ったのは,坊主はだいたいにおいて悟っていないと宣長さんは見ているからです。日本人として生まれて,ごく当たり前に生活すれば悟ることができる。ところが,坊主はわざわざお経をあげて悟ろうとしている。これは〈やまとだましひ〉ではない。宣長さんはそこまで達した人です。(p105)
 批評というのは,僕の経験では,創作につながります。僕は,悪口を書いたことはありません。(中略)悪口というものは,決して創作につながらない。人を褒めることは,必ず創作につながります。褒めることも批評でしょう? 僕はだんだんと,褒めることばかり書くようになりましたね。(p111)
 僕らは天才じゃないから,天才のものを読みますと,自分がたいへん情けなく思えるのです。それは誰にでもあることで,そんなことを僕ら凡人はあまり気にしてはいけません。「僕は感受性を持っていないのではあるまいか」などと考えてはいけない。そうではないのです。そんな考えは感受性を隠します。わざわざよけいなことを諸君は考える必要はないのです。(p131)

2014.04.23 キャシー・バッセイ 『女性のためのサイクリングガイド』

書名 女性のためのサイクリングガイド
著者 キャシー・バッセイ
訳者 大田直子
発行所 ガイアブックス
発行年月日 2014.04.01
価格(税別) 2,200円

● 自転車に乗らなくなって2年。通勤に使わなくなると,それ以外でも自転車に乗るのが億劫になってしまって。
 自転車通勤(片道29キロ)を始めたのは4年前だから,結局,2年しか乗らなかったことになる。けど,まだ諦めたわけではなくて,機会があればと思ってはいるんですけどね。

● 車と違って,自力で移動するわけだからね。移動じたいが気持ちいいし。どこにでも行ける翼を得たようなものだと,大げさにも思ったりしたもんですよ。
 だものだから,こういう本を読んで,自転車に復帰する刺激にしたいと思ったわけなんだけど。

● 以下に3つほど転載。
 店を出るとき,自分の自転車に満足と興奮を感じていなくてはなりません。買い物の原則は普遍です。完璧にしっくりきて,自分をすてきに見せるものが見つかるまで,時間をかけて試すこと。(p39)
 自分に正直になりましょう。あなたは自分で触れ回っているほど,本当に忙しいのでしょうか? 本当に忙しい人は,自分がどれだけ忙しいかについて話ながらブラブラしたりせず,やるべきことをどんどんやります。(p56)
 淑女のみなさん,率直に言います。一般の人たちがあなたの下着を見る必要はありません。もしあなたがスーパーモデル並みのすらりとした長い脚と桃のようなきれいなおしりに恵まれているのでなければ。(p65)

2014年4月22日火曜日

2014.04.22 ディミトリス・コッタス 『一生に一度は泊まってみたい奇想天外ホテル』

書名 一生に一度は泊まってみたい奇想天外ホテル
著者 ディミトリス・コッタス
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2013.05.24
価格(税別) 2,000円

● 待て待て,泊まってみたいとは思わなかったぞ。それはおまえの好奇心が枯れてしまったからだと言われれば,反論のしようもないけれども。
 こんなホテルもあるのかとは思った。人の創造力の豊かさを知って安心するという効果はある。

● ただ,自分が泊まりたいかといえば,わざわざそこまで行って泊まらなくてもっていう,俗物根性が頭をもたげてしまう。オレ,普通のホテルでいいわ,っていう。

● そもそもが泊まるだけなら,カプセルホテルで支障はない。泊まる=寝る,だから。それ以外の付加価値をいろいろ付けてきて,今のホテルがある。その価値を必要としない者には邪魔でしかない。

● 昔,ぼくは貧乏だった(今もだけど)。ホテルなんて存在そのものが高嶺の花だった。ホテルを使える人ってどんな人なんだろうと興味があった。
 だから,初めていわゆるシティホテルに泊まったときに,一番したかったことはピープルウォッチングだった。ロビーに出て,行き交う人たちを眺めて,あれやこれやと想像すること。
 だけどさ,長く生きてれば,人間はしょせん人間で,お金のあるなしでそんなに違うもんじゃないや,ってこともわかってくるわけでね。

2014.04.21 『世界の美しい空港』

書名 世界の美しい空港
発行所 宝島社
発行年月日 2012.11.29
価格(税別) 1,800円

● 「空港鑑賞」の手引き。たしかに空港って気分を高揚させるところがある。近くに空港はないので,自分が乗るとき以外に行ったことは1回しかないんだけど(小学校の修学旅行で羽田空港に行った)。
 あの高揚する気分って何なのだろう。搭乗カウンターとか,出発便の掲示板とか,CAがさっそうと歩いている様子だとか,普段は目にすることのない非日常感がもたらすもの? 出会いと別れの場ゆえのロマンチシズム?
 それだけじゃないよね。はるか遠くまで出かけていくという滅多にない体験に,自分をすり寄らせる結果だろうかね。

● 昔に比べれば,海外に行くのは普通のことになった。では,空港に行ったときの気分の高揚もかつてほどではなくなったか。
 さよう,しかり。昔ほどではなくなったと思う。体験回数が増えれば,それだけ普通度が高くなるもんね。

● ただ,そんなには行かないから,空港の違いっていうのがぼくには認識できない。空港ってだいたいこんなものっていうイメージしかなくて,細部が目に入ってこない。
 吹き抜けの空間があって,エスカレーターがそっちこっちにあって,独特の匂いがしてて,レストランと売店がやたらあって,搭乗手続きが終わるとすぐそこに免税店がある。
 だから,本書を見ると,世の中にはどんなものにでもマニアがいるのだなと思う。

2014.04.19 ベルンハルト・M・シュミッド 『世界のポスト』

書名 世界のポスト
著者 ベルンハルト・M・シュミッド
発行所 ピエ・ブックス
発行年月日 2010.12.06
価格(税別) 1,800円

● ここでいうポストとは,郵便ポストではなくて(それも少しは登場するが),個人宅の郵便受けのこと。こういうものに目をつける人がいるのだな。

● 郵便受けまではなかなかメンテナンスが行き届かない。メンテナンスの対象に含めるという発想が(少なくとも,ぼくには)ない。だいたいが屋外にあって,風雨にさらされている。
 したがって,朽ちるのも早い。朽ちたままにされる。それがまた味を出すんだね。何の変哲もない郵便受けなのに。

● 粗末なのが多い。機能一点張りっていうかね。どの国でも金属製が多いけど,木製のもある。
 中には,お金持ちの邸宅なんだろう,ライオンの顔が彫られたブロンズ製と覚しきものもある。

● ただ,郵便を楽しみに待つという生活は過去のものになりましたかねぇ。個人の信書なんて郵便物の中にどれほどあるんだろうか。たいていは企業からのダイレクトメールか,銀行の残高通知書だもんな。
 そんなこともあって,郵便受けはいよいよないがしろにされているのではあるまいか。

2014年4月21日月曜日

2014.04.19 ベルンハルト・M・シュミッド 『新 世界の家』

書名 新 世界の家
著者 ベルンハルト・M・シュミッド
発行所 パイ インターナショナル
発行年月日 2011.09.01
価格(税別) 1,800円

● 写真として絵になるような住宅と背景が選ばれている。童話の絵本に描かれているような家が実在するんだね。
 中には,ここじゃ水害で簡単に流されちゃうだろうよとか,いくら何でも防風林が必要じゃないかと突っこみたくなるような家もある。

● おしなべて,人が住む家というのは,小さくてみすぼらしいものだとわかる。「教会」と比べると,その差が際立つ。人の住まいと神の住まいの格差,かくのごとし。

● いわゆる豪邸もいくつか収録されている。でも,普通に住むなら,適度な狭さというのは絶対条件だ。広すぎる家よりはアパートの方がいい。豪邸を建てようとするのは,「脳なし」がやることだとぼくは断じて憚らない。って,力むほどのことでもないけどさ。
 人が住む家は小さくていいのだ。小さい方がいいのだ。掃除も楽だし,機能性も高まる。あんまり機能性を高めて航空機のコックピットのようにしちゃっちゃ息苦しいけど,適度な狭さを欠いた家に住むのは,ストレスが多そうだ。

2014.04.19 『世界のタワー』

書名 世界のタワー
編者 森山晋平
発行所 パイ インターナショナル
発行年月日 2012.02.08
価格(税別) 1,800円

● ここでいうタワーには超高層ビルも含まれる。人はどうして高いものを造りたがるのか。人だから。

● 観光のガイドブックを見るようにページを繰った。都会の夜景の写真も多く収録されている。

● しかし,だ。こんな高層ビルで働くことになったら,ぼくなんかすぐにうつ病になりそうだ。高いところはたまに行くからいい。常時,そこにいなきゃいけないというのは,少々辛いかもなぁ。
 まして,そこで仕事をするってことになると,どんな人がいて,どんな会話が交わされて,どんなシステムで情報や書類が回っていくのか,なんだか予想できちゃうっていうか。ダメだ,勘弁してほしい。

2014.04.18 『世界の教会』

書名 世界の教会
写真 PPS通信社
発行所 ピエ・ブックス
発行年月日 2009.11.13
価格(税別) 1,800円

● 教会の写真集。田舎にぽつんとある教会のたたずまいが印象的。木造で,尖塔まで木で工夫して作ってある。あるいはレンガの教会。

● こんな場所に,あるいはこんな地形のところに,と思うようなのもある。何が何でも教会を造らないではいないという気迫を感じさせる。造らないではいられないと言い換えてもいいかもしれない。

● 一方で,世界遺産になっているような絢爛たる教会を見ると,これって壮大な無駄じゃないのかと,不謹慎にも思ってしまう。けれども,そうした壮大な無駄をしないではいられないのが人間なのだろうとも思う。

● 教会は公民館でもあるのだろう。コミュニティの中心になってきた。学術や芸術のセンターでもあった。今はどうなのだろう。

● 南米の教会はヨーロッパのそれとは,当然だけれども,テイストが違う。同じキリスト教という括りで括ってはいけないくらいの,内実の差があるのかもしれないと思わされた。

2014年4月18日金曜日

2014.04.18 和田茂夫 『今すぐ使える 手書き・一筆箋の書き方&活かし方』

書名 今すぐ使える 手書き・一筆箋の書き方&活かし方
著者 和田茂夫
発行所 ぱる出版
発行年月日 2010.01.07
価格(税別) 1,200円

● 手書きで一筆添えると雰囲気が和らぐ。「わざわざ書いてくれた感があります」とも。ごもっともな仰せだ。
 一筆添えるってのは,もともと女性間で行われていたことで,それが男性にも拡がってきているという。

● ぼくはこれあまりやったことがないですね。ポストイットに書いて本体文書にペタッと貼って送ることは,ときたまやったことがあるんだけど。

● これをやらなかった理由というのは,コピーが手元に残らないから。自分が書いたものはすべてコピーを残しておきたいと思う派なんですよ。
 昔,ワープロ専用機に飛びついたのもそれが大きな理由のひとつ。フロッピーの中に全部残る。デジタルで書くと,必ずコピーが残る。相手に出す分をプリントアウトしなきゃいけないっていう手間はかかるけど。
 メールはその手間も解消してくれた。瞬時に届くとか,切手が要らないとか,宛名を書いたり封入したりポストに投函したりする手間も不要にしたとか,そういうことももちろんメールのメリットだけれども,何より書いた文章が自分にも残るというのは大きい。
 もっとも,仕事上はべつにして,メールを出す相手はあまりいないんだけどね。

● 手書きだとそうはいかない。かといって,その都度コピー機でコピーを取ることもできない。そもそもわが家にはコピー機がない。いちいちコンビニまで行くのはまったく非現実的な話だ。
 一筆添えるのはもちろん,手書きで手紙やハガキを出すのは,その理由であまり気が進まなかった。

● でも,今はこれが払拭されましたよね。スマホのスキャナアプリで写真を撮れば,PDFで保存できるんだもんね。簡単にコピーを残せるようになった。
 これからは手書きでメッセージを伝えることも取り入れていこうかな,と思います。

2014年4月17日木曜日

2014.04.17 テリー伊藤 『テリー伊藤のテレビ馬鹿一代』

書名 テリー伊藤のテレビ馬鹿一代
著者 テリー伊藤
発行所 毎日新聞社
発行年月日 2011.02.15
価格(税別) 1,200円

● SMAPと明石家さんまが好きなので,テレビは次の3つだけずっと見ていた。
  「SMAP×SMAP」(フジ)
  「踊る! さんま御殿」(日テレ)
  「ホンマでっか!? TV」(フジ)
 ほかに単発で見たりするのもあったけど,今月からテレビは一切見ないことにした。今のところ,特に支障も禁断症状も出ていない。このまま見ないことになりそうな予感。
 スポーツ中継とかニュースとか天気予報は,かなり前から見ないようになっていた。オリンピックもワールドカップも1秒も見ない。
 ちなみに,新聞をとるのも数年前にやめている。

● ネットがあるからテレビや新聞はなくてもいいというんじゃなく,たぶん,ネットもやめてしまって大丈夫だと思う。そんなことをしなくても,情報はけっこう入ってくる。
 昼休みに大衆食堂に行けばテレビはついている。それをボーッと聞いてるだけで,何がニュースになっているのかくらいはわかる。
 書店にはけっこう行く。が,雑誌の立ち読みはあまりしない。表紙をみるだけで充分だ。それで何となく世相はわかる。世相なんぞ「何となく」以上にわかったって仕方がない。
 もっといえば,街に出て人を眺めていればいい。電車に乗って人のお喋りを聞いていればいい。家庭を持っている人ならば,奥さんやお子さんの話を聞いてれば,それで充分じゃないか。

● そんなことではすまない人も大勢いるだろう。商品開発だの,企画だの,接待だのってのがあると,テレビや新聞に背を向けてちゃ話にならないだろう。お疲れさまです,と心から思う。

● けれども,こういう本は読む。
 テレビ業界の内側にいるからこそ見えるものは当然あるはず。しかし,それを外側の人間にもわかるように書くのは難しい場合もあるだろう。
 テレビの功罪の罪の方にもきちんと目配りが届いている。もっとも,それをしなければ本にならない。

● 「テレビの習性」のひとつは,「さんざん落ち上げて,今度は叩く」ということ。ボクシングの亀田兄弟がその犠牲者。亀田兄弟のボクシングに対するピュアで真摯な態度を紹介して,擁護する。
 あるいは,沢尻エリカ。さんざんテレビでバッシングされたけれども,彼女はその態度によって誰かに迷惑をかけたのか。何も被害を受けていないのに,彼女を叩いて恥じない視聴者大衆を諫めるようでもある。

● 以下にいくつか転載。
 橋田壽賀子さんに最近のテレビについて話を聞かせてもらったとき,私がもっとも驚いたのは,こんなひと言だった。 「他のドラマは全部,敵よ」 (中略)橋田さんの言葉を聞いて,私はテレビマンとしての自分の甘さを恥じた。テレビの現場にいるかぎり,どんなに歳をとろうがキャリアを積もうが,「みんな仲間じゃないか」とか「他人は他人。ライバルは自分自身」などと言っているようではヌルいのだ。(p107)
 「最近のテレビはつまらない」とよく言われるが,テレビがつまらなくなったのではなくて「この番組はおもしろい」とキャッチする感性が乏しくなっているのだ。 テレビだけではない。音楽も映画もファッションも,「つまらない」というのは,そのものに興味を示したり感動できなくなったりした自分がそこにいるのである。(p169)
 よくあるヒーローインタビューのシーンを思い起こしてみてほしい。ほとんどすべての選手がマイクを向けられて開口一番,「そうですね」と言うはずだ。(中略)あれじゃあ,野球選手がみんなバカに見えてしまう。 つまり,ヒーローインタビューをつまらなくしているのは,せっかくのヒーローに「そうですね」と言わせてしまう側の問題だ。(p175)
 その日のために,あなたがやっておくべきこと。それは,いろんなことに熱中して,笑い,泣き,怒り,仲間と肩を抱き合って喜べるような体験をたくさんすることだ。 それは野球選手にとっての「素振り」のようなものであり,相撲取りにとっての「ぶつかり稽古」のようなものだ。(p219)

2014.04.17 『作家の履歴書』

書名 作家の履歴書
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2014.02.28
価格(税別) 1,300円

● 「21人の人気作家が語るプロになるための方法」が副題。作家になりたいと考えている若い人たちに向けてのもの。
 作家ってミステリアスな職業だと思っていた。今も思っている。音楽の演奏家なら小さい頃から楽器をいじってなければならない。その中の才能豊かな人がなるものだろう。長じてからでは遅い。将棋指しや碁打ちもそうだ。
 作家はそういうものでもない。作家になるための一般的なコースも存在しない。作文が上手だから作家になれるとは,もちろん限らない。どういう人がなるものなんだろうか。

● 病気や貧乏を経験してないとダメだとか,女遊びで身上を傾けたことがないと書けないとか,無頼であることが条件だとか,いろいろ言われた時代もあったのかもしれない。
 が,サラリーマンのように規則正しく仕事場に通っている作家もいるようだ。何が必要条件なのか。そもそもそんなものはないのか。

● 阿川佐和子さん。
 いろんな作家の話を聞くと,大変なものを背負っている方が多いんですね。そういう人と比べたら,私は(中略)何も背負ってないんです。(中略) じゃあ,そういう人間は小説を書いちゃいけないのか? って考えると,人間の物語はほとんどが本当に些細なことの積み重ねなんじゃないの? って思えてきて。些細なことで悲しんで,勇気づけられて生きてるんじゃないの? って。そう思ったときに,私は些細なことを何とか書いていこうという開き直りのような気持ちが生まれてきたんです。(p10)
● 石田衣良さん。
 作家には二パターンあると思うんです。みんなが見ているものを見る人,これは腕がよければ大当たりします。もうひとつがみんなと違うところを見る人。世の中全体の考え方感じ方に,もうひとつ別の見方を提示する人。(中略)これは作家の資質なので変えようがないんですけどね。(p19)
● 江國香織さん。
 私はほかのものにはなれなかったと思います。作家ってわりと性質だと思うんです。職業として成立するかどうかはまた別の話ですけど,性質としては私はもともと作家だった気がします。(p26)
● 大沢在昌さん。
 チャンドラーが自分にとっての神様になって,こういう小説を書きたいと思った。中学二年から三年にかけての一年で百二十枚の作品を書き上げて,それがすごくうれしくて,作家に,それもハードボイルド作家になりたいと思った。(p31)
● 北方謙三さん。
 (志望動機は)高校三年のときに肺結核と診断されたこと。「就学不可」って言われて,これではまともなところには就職できないと思った。(中略) 療養を兼ねて一年浪人しても治らなかったから,診断書を偽造して高校の保健室にもぐりこんで勝手にハンコを押して,なんとか大学に入った。(p55)
 中上が芥川賞をとった『岬』を読んだとき,おれだったらもっとうまく,流麗に鮮烈に書けると思った。だけどおれには書く材料がない。中上には血とか育ちとか,書く必然性がある。どんなに悪文でも,汚濁を書いても,汚濁の中に一粒の真珠がある。 自分は文学をやるために生まれてきたんじゃない,という痛切な自覚。これは言葉では表現できないな。 でもしばらくたって,おれにあって中上にないものがあるはずだって反問が生まれてきた。物語だ。物語を書こうって思った。(p56)
● 桜庭一樹さん。
 ヘッセの『知と愛』にもかぶれましたし,ガルシア=マルケス『百年の孤独』も読んでしばらくおかしくなった。異世界から帰ってこられなくなるような感覚はいまでもありありと思い出せ,それは書くときの感覚にも近い気がします。(p83)
● 誉田哲也さん。
 書いていくうちに自分なりの方法論ができました。まず最初に二千字で梗概をつくる。二千字にならなかったらまだネタが足りない。二千字に収まるように書くと,大事な部分だけが残るんです。プロット表もつくって,どこで誰が何を知るのかっていうところまで全部組み立てたうで書き始めます。(中略) 「今回,たまたま書けました」っていうのはいやなんです。創作をビジネスとしてやっていきたいので,どんなアイデアでも最低五十点は取れるように持っていくためのスキルが必要です。(p139)
● 道尾秀介さん。
 絶対条件が,やったことがないことをやる,使ったことのない主人公を書く,小説でしかやれないことをやる,でその三つをずっと守っています。いままでやったことがないって確信が持てるまで書き始めません。主人公を決め,全体のテイストが決まったら,昔なのか現代なのか,主人公は弱いのか強いのか,スタート時点で不幸なのか幸せなのかが,だんだん決まってくる。冒頭とラストが何となく浮かんだら,冒頭を書いてしまうんです。(p146)
 高校生のころ,ずっとバンドをやっていたので,ライブハウスに出入りするなかで,いろんな大人とつきあったんですよ。(中略) ひと言でいうならいろんな人生があるということを実感したんです。あの時,もし家で本を読んでいたら,ぼくは作家になれなかったと思うんですよ。(p147)
● 森村誠一さん。
 大学を卒業してホテルに勤めました。作家になるにはすごくいい職場でした。ホテルほど人間が無差別に集まる場所はありませんから。(中略)人間のライフスタイルすべてがわかる。そういう仕事ってほかにないんじゃないでしょうか。(p160)
● というわけだから,本書を読んだあともなお,作家という職業はミステリアスのままだ。

● ほかに,以下の作家たちが語り部として登場している。
 荻原 浩 角田光代 北村 薫 小池真理子 椎名 誠 朱川湊人 白石一文 高野和明 辻村深月 藤田宜永 皆川博子 夢枕 獏

● それぞれの作家たちが「編集者への要望」を語っているんだけど,これも千差万別。編集者にとっての“作家とのつきあい方”にも方程式はない。編集者も大変な職業だな。

2014年4月16日水曜日

2014.04.15 米田智彦 『デジタルデトックスのすすめ』

書名 デジタルデトックスのすすめ
著者 米田智彦
発行所 PHP
発行年月日 2014.02.10
価格(税別) 1,300円

● 副題は「つながり疲れを感じたら読む本」。スマートフォンの普及によってSNS人口が急増。そのネット上のつながりがストレスになって疲れてしまう。そうであっても,依存症的な状態を呈して,なかなかやめられない。
 だから,デトックスしましょう,そのためにはこんな方法がありますよ,というのが本書の内容。

● ぼくはFacebookもTwitterもやったことがないし,たぶん,この先もそういうものには手を染めないだろうと思う。実体験がないので,単純に考えてしまうんだけど,さっさとやめてしまえばいいんじゃないか。元を断てばいい。そんな思いまでして続ける価値なんかないだろうよ。
 「リアルな人間関係でのコミュニケーションにおいても,ネット上での「つながり」はかかすことができず,単に今すぐ電源を切ってやめればいい,という単純な話ではないのです」(p48)っていうのは,本当なのか。単純な話だと思うんだけど。

● 仕事上での人間関係を想定しているんだろうか。仕事に支障がでるからやめられない? いや,やめられるはずだよ。SNSをやめて支障がでるような仕事上の人間関係なんてあるのかよ(著者はその業界にいた人。あったのかもしれない)。
 もし,それで出世や昇進に影響が出るんだとしたら(そんなことはないと思うけど),出世を諦めればいい。諦めるという言い方は受け身的で抵抗があるというなら,出世を見捨てればいい,と言い換えようか。
 その程度のこともできないヤツって,何なんだよ。メダカかよ。いつも群れていないと生きられないのかよ。

● デトックスしながらSNSを続けるっていうのは,二重の無駄じゃないか。
 デトックスの方法として紹介されているのは,座禅だったり阿字観瞑想だったり滝行だったりウォーキングだったりするわけで,デジタル限定ではない。ネットが普及する前からあったものだ。
 座禅や滝行をやりたくてやるのはぜんぜんOKだけども,やらざるを得ない状況をわざわざ作って,デトックスのために座禅してますって,何だよ,それ。

● と思ってしまうんですけど,それはぼくが世間知らずならぬネット知らずだからかもしれない。
 ぼくのネット利用は,検索,ブログ,メール,LINEに大別できる。LINEは家族限定。LINEを手広くやるなんて,闖入者を自ら招き入れるようなものだと思っている。メールをする相手も一人しかいない。
 だいたい,友だちって少なければ少ないほどいいと思ってるんだけどね。だからリアルでも友だちっていないな。それを寂しいと思ったこともないな。強がりじゃなく。

● 気を取り直して,3つほど転載。
 正直に告白すると,ネットでの情報収集に慣れきっていた僕は,ここ数年本を最初から最後まで通しで読めなくなっていました。編集者にもかかわらずです。(中略) ネットのスピード感に慣れてしまって,結論をすぐに求めてしまうようになり,途中で関連情報をネットで調べてしまったりして,長い文章を読む堪え性がなくなっていたのです。(p65)
 人は無料の情報のメリットを享受しつつも,あまりに膨大な情報に食傷気味になり,やがて,替えの利かないリアルなものに出会いたい,どうせならそれにお金を払いたいという気持ちが強まっていくのではないか(p83)
 どんな行為でも,慣れてくると必ず人間は端折ることを覚えます。そんなに力まずに,楽に呼吸をしながら瞑想に入れるようになります。一度瞑想のやり方を覚えると,電車の中でもどこでも瞑想が出来て,ふっと力が抜けてきますよ。(川上修詮 p104)

2014年4月15日火曜日

2014.04.15 藤原智美 『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

書名 ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
著者 藤原智美
発行所 文藝春秋
発行年月日 2014.01.30
価格(税別) 1,100円

● 深刻な問題提起なのか,壮大な取り越し苦労なのか。
 政治も司法も教育も国家も,「書きことば」によって成立している。その「書きことば」が「ネットことば」に駆逐されようとしている。そのことの影響は甚大なものになるだろう。個人は個として中空に放りだされるかもしれないし,日本語が消滅することだって考えられる。
 著者の問題意識はそのようなものだ。
 インターネットで人は言語的な活動範囲を爆発的に拡大したといわれています。しかしその代償として,言語の自由が制限されはじめていて,思考が見えない壁でかこまれ,ひどく窮屈になっているのではないか。そう思えてしかたがないのです。(p22)
 人の認知力というのは案外あやふやで,ことばによっても変更されたり,創造されたりするものだということです。認知も思考も,ことばとひと続きにつながっている。(中略)ことばが変化すれば,認知の仕方や思考方法も変わってくる。(p28)
 日本語の土台の上に接ぎ木するようにして得た道具程度の英語力は,しょせんそれを母語とする人たちにはかなわない。英語という土俵に上がるまえに決着がついています。つまりその土俵とは思考そのものであり,日本語で考える人は圧倒的に不利なわけです。(中略) グローバルネットワーク拡大のもうひとつの側面は「英語」対「他の母語」という言語間の戦争なのです。それは静かに,しかし急速に進行しています。(p33)
 これまで社会は,書きことばを話しことばの上位に位置づけてきました。なぜなら書きことばは,印刷することで世の中に広範に伝播し,なおかつ時間をこえて未来に受け渡される記録性をもっていたからです。だからこそ社会は,書きことばの教育に力を入れてきた。しかし話しことばが,デジタル化しネットにのせることができるようになり,状況は一変しました。(p58)
● 印刷技術が歴史を作ったという視点から,西欧や日本の歴史を概観する。骨太で読みごたえがある。
 明治期に日本語をローマ字化してしまえとか,英語やフランス語を移植しろといった議論が真面目に検討された。そんなエピソードを紹介して,「言語を国家の政策として発言する文学者を,あまり信用しないほうがいいようです」(p136)という。
 坪内逍遙に始まる言文一致運動を生んだのも,近代国家建設に向かうエネルギー。

● 著者の結論は次のようなもの。 
 いま社会にあふれている「絆」「つながる」ということばに,ぼくは欺瞞の臭いを感じてしまいます。それは自己の思考力や自立をネット的な,あるいは情報的な場に回収する動きのようにも見えます。現代はむしろ他者との対話より,書きことばによる自己との対話こそがたいせつなのです。 書きことばとは突き詰めると,自己との対話であり,思考です。 他者との上っ面の会話や技術としてのコミュニケーション力で,自分を支えることはできません。(p227)
● 以下,いくつかを転載。
 現代人は読書から遠ざかり読む力が衰える傾向にあります。しかしそれを自覚しあらためようとするよりもむしろ,文書=書きことばがメッセージを伝えるものとしては不十分であり,信頼性にかけるものとみなすようになっています。(p53)
 文章では内容を評価しますが,プレゼンでは顔が見えるプレゼンターを聴衆が身近に感じるがゆえに,評価は話の内容よりもプレゼンター本人にむかいます。プレゼンの成功は話者そのものの評価になります。(p54)
 元旦に郵便ポストに届く年賀状は,そこに書かれている「明けましておめでとうございます」という紋切り型のメッセージよりも,元旦に届けられた郵便物であるということに大きな意味があります。一月一日に届いたハガキであるということで,メッセージも説明されつくしている。メディアがメッセージを規定している。つまりメディアはメッセージなのです。(p182)
 ネット社会ではだれもが「つながることができる」という幻想がふりまかれています。現在のコミュニケーション至上主義,対話絶対の人間論が,むしろ安易なネットのつながりに人を追いこむことになっているともいえます。(p213)
● 著者は,高校3年のとき,受験に備えて日本国憲法を暗記しようとした。ところがこれが難しい。「憲法作成当時の書きことばは戦前までの権威主義の衣を着たままでしたから,このような分かりにくいいいまわしを好んで使用しています。それは,現在でも官僚的な独特の表現形式として残っています」(p87)というわけだ。
 じつは,ぼくも中3のときに,日本国憲法の全文を暗記した。社会科の教科書の巻末に載っていたので,何気に読み始めて,よし憶えてやろう,と。
 前文を含めて,わりと楽に憶えることができたと記憶している。中3という年齢がよかったんだろう。「指示代名詞のオンパレードの文を」官僚的と感じるよりは,今まで見たことのない斬新な文章だと思っていたから。大人の世界を感じていたんだと思う。
 もっとも,「官僚的な」文章感覚をわざわざ自分に植えつけるような愚行だったかもしれないけれど。

2014.04.14 番外:Associe 2014年5月号-エリートに学ぶ仕事の流儀

編者 泉 恵理子
発行所 日経BP社
発売年月日 2014.04.10
価格(税別) 648円

● エリートの定義っていうのはあるんだろうか。この雑誌ではどうやら年収1,500万円以上のビジネスマンを想定しているようだ。
 サラリー収入で1,500万円以上って人は,全体の1%しかいないとあるんだけど,本当かね。勤務医は除外されているのか。

● 雑誌の特集だから,記事のすべてを読むことはない。いくつかをつまみ食い。
 最も印象的だったのは蛭間芳樹さんを取材した記事。勤めのほかに,ホームレスのサッカーチームの監督を務める。「野武士ジャパン」というらしい。「日本代表として戦うことを通じ,人生を諦めかけていた人たちに自信を取り戻させ,社会復帰させることが狙い」だそうだ。
 経済学者から「経済政策なら数万人の雇用が作れる」と言われた。それに対して,蛭間さんが「あなたは1人のホームレスさえ社会復帰させてないでしょ」と返したエピソードも紹介されている。痛快無比。そうなんだよなぁ,学者って。
 ただね,ぼく自身にもこの学者のような発想をしがちな素地があるね。っていうか,圧倒的多数がこういう発想ですませているよね。

● エリートの特性が次のような言葉で紹介されている。
 耳の痛い意見ほど喜んで聞く。
 自分が金持ちになるために仕事をする“近視眼的”な考え方の持ち主は,実はあまりいない。
 初速を高める。
 負けの経験から次の力を得られる。
 アドバイスを受け入れる度量。
 カンファタブルゾーンにいてはいけない。

 ハードワークはもちろんのことだ。グズグズするのは論外。時間を徹底的に惜しみ,最初からトップギアに入れる。それでもっって,家庭も趣味も大事にする。

● というわけだから,自分がエリートになれると思っちゃいけない。この雑誌の読者の中にはいるんだろうか。よし,やったるぞ,と思う人。
 「仕事で成果を上げる戦略ノート」が付録でついてる。思考整理ノートとかアイデア記録ノートとかブレスト用ノートとか。これを自分も使ってみようと思ってしまう人は,エリートからはほど遠い人だと思う。っていうか,こういう特集を読んでる時点で,すでにダメかもね。

2014年4月13日日曜日

2014.04.13 番外:モノすごい高くても売れているモノ mono特別編集

編者 杉本恵理子
発行所 ワールドフォトプレス
発行年月日 2013.08.01
価格(税別) 743円

● たとえば納豆でいうと,3個で47円っていうのがある。コンビニでも3個で78円で売られている。一方で,1個で150円のがあったりする。
 原料が違うんでしょうね。かたや中国からの輸入大豆,かたや国産大豆。発酵・熟成の仕方も違うのだろう。低温熟成とか書いてあるから。時間をかけているんじゃないかと思う。
 で,食べてみて,その違いがわかるか。残念ながら,ぼくにはわからない。わからなければ,いいモノを食べても仕方がない。だから,安い納豆を買ってるんですけど。

● 遺伝子組み換えだとか,有機なんとかだとか,世情いろいろ言われているものに対して,ぼくはわりと冷淡というか気にしないというか,さしたる違いはあるまいと思っている。もちろん,くわしく勉強したわけじゃないから,わからないままそう思っているに過ぎないんだけどね。
 ともかく,食べてみて違いがわからなければ,ぼくにとってはたんに高いだけに過ぎない。そんなにお金は持ってないから,たんに高いだけのモノを買う気にはならない。

● この本には,15,000円のトマトジュースや10個で8,500円の鶏卵,5,000円のヨーグルトなどが登場する。大量生産は効かないものだ。にしても,なかなか買えないほど売れているらしい。売れているんだから,作る側は正しいことをしている。
 世に馬鹿のタネは尽きまじと考えるか,すごいお金持ちがいるものだと思うか。
 でも,説明されるとなるほどと思っちゃいますな。なるほど,この鶏卵なら1個850円もしょうがないか,ってね。ぼくが食べても違いがわかるんじゃないかと思うもん。
 あとは,その違いにそれだけの差額を支払う気になるかどうか。

● 何だってそうだけど,ある水準に到達したあとの,その先の一歩が大変だ。僅差が大差になる。そこをどう見るかなんだろうけど。
 作り手は,わかる人に買ってもらえればいい,と思っているはずだし。

2014.04.11 林 望・岡本和久 『金遣いの王道』

書名 金遣いの王道
著者 林 望
    岡本和久
発行所 日経プレミアシリーズ
発行年月日 2013.11.08
価格(税別) 850円

● ご隠居がオダをあげているような印象を感じてしまったんですけど。
 岡本さんによれば,人の一生はおおよそ30年ごとに三分割することができる。「学び」「働き」「遊び」だ。「真の遊びとは,自分が本当に好きなことをしていると,それがそのまま世の中の役に立つものである」という。が,「遊び」の時代に入ってしまうと,まさにそのことによって,世の中とは一線を画されてしまうのかもしれない。

● 要するに,「遊び」に入ったら,あとは黙して語らない方がいいんじゃないか。語らずとも自ずと伝わるものがあるだろう。それで良しとするしかないのでは。
 どうしたって,世の中を支えているのは「働き」の時代にいる人たちであって,しかも時代は動いている。自分の「働き」の時代はもう過去のものだ。過去をもって現在の「働き」に語りかけても,相手にしてもらえないんじゃないのか。
 老兵は消え去るのみ,がいいんじゃないか。少なくとも潔い。

● と言いながら,以下にいくつか転載。
 被災地の支援のための資金がどこかの地方の「ゆるキャラ」を創るために遣われているとかね,似たような話は今でもありますね。大きな災害が来て,そのためだったらおカネを遣わなきゃいけない,という誰も抵抗できないような大義名分があると,ワーッとたかってくる奴がいるんですよ。被災地支援の資金が何故これに遣われているのかなと思うのがいっぱいありますよ。(岡本 p44)
 ちょっと誤解を恐れずに言うと,多くの場合,大企業で登用される女性って,見目麗しいタイプで,気が利いて,意思決定の時は「おっしゃるとおり」みたいなことを言っている女性でしょ。(中略) 組織が,男社会をできるだけ壊さないような女性を選ぼうとしているからなんですよ。(岡本 p87)
 ただ単に「儲かりますよ」という話じゃなくて,働く人が自分のやっていることに意味を見出せないと本当の力って出ないですよね。プロほどその傾向が強いと思います。 アメリカ社会では,そういう形で社会がよくなっていく『何か』が担保されているように思えるんです。それがすごく緩んじゃっているのが日本ですよね。(岡本 p91)
 大切なものを残して残りを処分するのはしみったれた考えだと思うんです。(中略)僕は一番大事なものから処分していき,「最後に死ぬときはどうでも良いものしか残っていない」,そういう死に方をしたいなあと思いますね。(林 p170)

2014年4月11日金曜日

2014.04.11 『フィンランドのマリメッコ手帖』

書名 フィンランドのマリメッコ手帖
発行所 パイ インターナショナル
発行年月日 2012.01.11
価格(税別) 1,600円

● マリメッコを知ったのは,伊藤まさこさんの本から。知っただけで,マリメッコの何かを持っているわけではないけど。

● 本書は,マリメッコとはどういう会社か,どう歩んできたか,どういう実績を残してきたか,会社の哲学は何か,折々のハプニングや事件,などをコンパクトにまとめたもの。
 マリメッコで仕事をしたいと考えている人に向けた案内書でもあり,広報誌でもある。

● デザインのことはまったくわからないけれども,マリメッコの印象は色彩の豊富さと原色の多用。すこぶる大胆。大雑把な印象を受けるんだけど,当然ながらそこは緻密に計算されているんでしょうね。
 ただ,悲しいかな,その緻密さが感得できない。フィンランドの白一色に染まるであろう長い冬が生んだ色づかいかなぁといったごく一般的な感想を持つだけだ。

2014.04.10 村松友視 『帝国ホテルの不思議』

書名 帝国ホテルの不思議
著者 村松友視
発行所 日本経済新聞出版社
発行年月日 2010.11.09
価格(税別) 2,400円

● ホテルにはときどきお世話になる。手っ取り早く快適さを味わいたかったら,ホテルに行くのがいい。観光地のリゾートホテルではなく,都会のシティホテル。
 余計なものがなく,スッキリ片づいている部屋。至れり尽くせりのサービス。美味しい食事。プールもサウナもいつでも使える。
 オープンスペースに置かれている椅子に腰をおろして,持参した本を読む。世の中にこれほどの贅沢があるだろうか。
 これで明日が来なけりゃ最高だ。明日は敵だ。とか思うわけですよね。必要なのはお金だけ。ホテルは天国だ。

● 「銀座療法」という言葉がある。いや,ないけど,ぼくが作った。
 平日に銀座を歩くと,エネルギーをチャージできる。休日はお上りさんで埋まるわけだから,あくまで平日。 背筋を伸ばしてくれる街だと思う。シャキッとした人が多いしね。もし仕事で大きく自信を損なうような出来事に見舞われたときには,銀座療法がいい。銀座を無目的に歩く。その日は帝国ホテルに泊まる。これでだいぶ回復できる。
 ただし。懺悔するけど,帝国ホテルには泊まったことがないんですよ。敷居が高すぎる。

● 宿泊費はペニンシュラとかパークハイアットとかマンダリンオリエンタルの方が高いのかもしれないけど,帝国ホテルは別格というイメージがある。
 年季の入り方と客質が違うでしょ,的な。小金持ちの若いカップルとか,あぶく銭を掴んだ中年オヤジは似合わないでしょ,的な。あんた,ここに来る前に,もうちょっと頭と品性を磨きなさいよ,的な。
 実際には気安いところもあるのかもしれない。だけど,そういうイメージがあって,なかなか帝国ホテルには近づけない。

● その帝国ホテルの実力を従業員への取材を通してあぶりだそうとしたのが本書。読みごたえがある。多くのセクションにプロがいる。明日は敵だなんて言ってるふぬけたやつに読ませてやりたい。
 プロが育つ風土があるんでしょうね。それについていけない人は辞めていくんだろう。
 ホテルって従業員の勤続年数が短い,人材は使い捨て,いろんなホテルを渡り歩きながらボロボロになっていく,っていう負のイメージもぼくの中にはあるんだけれども,それだけで見てしまうのはあまりに幼稚なんでしょうね。

● 村松さんの文章だから,文章そのものも味わえる。たとえば「そんな各セクションの縫い目に生じる,見えにくい小波に眼差しと神経を向けようという意志が,ロビーマネジャーの発足には込められていたはずだ」(p77)なんてのを読むとゾクッとする。
 以下にいくつか引用。
 苦情を言う人もプライドをかけているだろうから,いったん苦情を口にしてしまうと,あとへは引けないことになりかねない。(p89)
 多用なカテゴリーのお客が存在し,団体客,バスで到着する人などさまざまだ。それらの人々が,それぞれのレベルの期待をもって帝国ホテルをおとずれている。その全員に同じサービスをすることよりも,それぞれの人の期待値を,まず見抜いて対処するべきだ,と菅野さんは言う。 「それで,それに紙一枚を乗せたサービスをしなさいと」 紙一枚乗せなさい・・・・・・これは見事な言葉だと感服した。(p93)
● ホテル内の会員制バー「ゴールデンライオン」でピアノを弾く矢野康子さん。
 お客さまの中には作曲家だとか,いろんな本物がいらっしゃいますよね。(p155)
● ベーカリーの金林達郎さん。
 パンというのは焼き上がって,小さいパンですと小一時間したところが,たぶんいちばんおいしいんだと思うんですね。それもちょっと冷めごろですね。(中略)ただ,温かいパンとうのはおいしくはないんですけど,うれしいのはたしかだろうと思うんですね。だから,そういう意味でのよろこびがお客さまにあるんだとしたら,温かいパンを切り捨てちゃうのもいかがなものかと」(p199)
 恥ずかしながら,知りませんでしたね。焼きたてが一番旨いんだと思ってましたよ。市中のパン屋に行くと,ただいま○○が焼きたてですとアピールしているしね。
 魚だって鮮度が旨さの基準じゃない。寝かせた方がいいという話を聞く。パンも同じだったのか。

● シューシャインのキンチャン。
 (このお仕事の醍醐味は)靴が栄養をもらってよみがえると言うんでしょうか。愛情をもってシューシャインしたら,靴はかならずそれに応えてくれるんです。靴がそのよろこびを表現している手応えを感じているときの,磨く側のよろこびというのは,ちょっとたとえがたいものがあるんですよ。(p273)
 この境地に至るまでに,どれほどの時間と汗(ひょっとしたら涙も)がこめられていることか。襟を正させるに充分すぎる。

● オペレーターの野尻三沙子さん。
 お客さまってほとんど,第一声にキーワードをおっしゃるんです。その最初のキーワードを絶対に聞き逃さないようにしないと。お客さまとの誤解があったりして,何かのミスにつながるのが,最初のキーワードを聞き逃していたことにはじまっているっていうケースが多いんです。しかもそれ,録音が全部残るんですね。だから私たちオペレーターの通話は,まったくごまかしがきかないんです。(p298)
 過酷だ。言いわけが効かない世界だ。裸の自分を見せつけられる。急速に人を育てるだろうなと思う。しかし,この環境に自分が耐えられる自信はない。たぶん,つまらないプライドを捨てられないだろうと思う。
 そうしたつまらないプライドって,子供の頃に勉強ができたとか,そこそこの大学を出ちゃったよとか,雑な言い方をすると教育が作ってしまっているかなぁ。

2014年4月9日水曜日

2014.04.09 茂木健一郎 『脳を最高に活かせる人の朝時間』

書名 脳を最高に活かせる人の朝時間
著者 茂木健一郎
発行所 すばる舎
発行年月日 2013.03.27
価格(税別) 1,400円

● 朝の大切さを説く実用書といった趣の本。口述筆記だと思う。読みやすくできている。が,茂木テイストはちゃんとある。

● 3つほど転載。
 脳の凄いところは,好奇心を失わずに挑戦すれば,何歳になっても新しい神経回路が強化されていく点です。脳の限界は誰にもわかりません。想像をはるかに超える可能性を,あなたの脳は秘めているのです。 自分の脳に自信を持ってください。そして,自分が成し遂げたいこと,やりたいことを無限に想像してみましょう。脳の可能性を自ら狭い枠のなかに閉じ込めてしまうのは,とてももったいないことです。(p4)
 「自分らしく」-よく耳にする言葉。これは脳がホームの領域にいることに安心し,自己肯定しているに過ぎません。(p54)
 日本人の働き方は,短時間あたりの労働密度や仕事の効率が一貫して低いのが特徴的です。また,「定時」とされる5時や6時に仕事を終えて家に帰るなり,人と交流するといったワークスタイルも確立されていません。(p178)

2014年4月8日火曜日

2014.04.08 番外:クラウドサービスビジネス活用術 flick!特別編集

編者 村上琢太
発行所 枻出版社
発行年月日 2014.04.10
価格(税別) 780円

● クラウドと聞いて,まず思い浮かべるのはGmailだ。っていうか,それ以外のクラウドサービスは使っていないんだけど,Gmailをデータベースとして使うのは大いにありだと思う。
 何でもかんでもメールに添付して自分あてに送る。あとは,Gmailでいかようにでも料理できるのではないか。なにせ15GBもの容量があるんだから,画像や音声はべつにして,容量オーバーになる心配はない。
 といっても,じゃあおまえ,それやるのかよ,と言われると困っちゃうんですけど。たぶん,もっといいサービスが他にあるんだろうし。

● いや,GoogleドライブとかEvernoteの存在は知ってはいるんですよ。Googleドライブはちょっと使ったこともある(Googleドキュメントだった頃)。でも,ちょっとしか使わなかったからかなぁ,いまいちピンと来なかったんですよ。
 でも,EvernoteとDropboxの違いが,この本を読んで少しはわかった気がする。といっても,実際に使ってみるのが一番で,それをやらずにこういう本を見てたって仕方がないでしょうね。

● ロートルなぼくは外付けハードディスク2台を使って,二重にバックアップをとっているけど,まぁけっこう手間だったりしますよね。これを省略できれば嬉しいなぁとは思うんだけど,クラウドで作業をすればすべて解決なのかなぁ。
 フローというか現在使用中のデータは1GBのUSBメモリに余裕で収まる。ストックになっているのは,DVDをリッピングした動画データが1TB,CDをリッピングした音声データが200GB。あとは全部あわせても30GBくらいのものだ。
 この30GBをクラウドに移せば,バックアップの煩わしさとデータ消失の危険から解放されるのか。

● たぶん,ぼくはクラウドを必要としない環境なんだと思う。そこまでの水準に達していないっていいますかね。
 入力系の作業はスマホではやらないし。ちょこっとメールしたり,LINEを使ったりする程度で。あらかたの作業は自宅と職場のパソコンですむ。

● たんに,データをクラウドに置いておけば,異なったデバイスからアクセスして作業ができるっていうだけじゃ,少々インパクトに欠ける。同じファイルに複数の人がアクセスできて,協働できるっていうのが,クラウドのいいところなのかも。
 だから,そうした必要に迫られていないぼくのような人間には,いまいちピンと来ないのかもしれない。

● こういう本って,事業者側からだいぶお金が出てるんでしょ。こういうものがあるのかと思っている程度でいいような気がするんだけどね。
 でも,72ページの四角大輔さんの手記を読むと,うぅーんと唸ることになる。世の中にはこういう人もいるのか,と。

● 「段取りのいい人の書類,手帳,ノート術」にも登場していた成蹊大学法学部の塩澤教授が,こちらでも紹介されている。入力は立ったままの方がいいと,そのための環境を作っている。単純にすごいと思った。


(追記 2014.04.08)
 とりあえずは使ってみなきゃというわけで,Googleドライブにコンサートのプログラム(スキャンしたPDFファイル)をアップロードしてみた。1GBたらずのファイルをアップロードするのに1時間を要した。
 わけあって,Wi-Fiしか使えないので,Wi-Fi環境での話。無線LANを使えばもっと短時間ですむんだろうけど,もうやめたと思っちゃいましたね。普通にハードディスクでいいよ,オレは,とか思ったなぁ。
 これじゃ普段使いは厳しくないか。


(追記 2014.04.09)
 アップしてしまえば,たしかに便利かも。当然,スマートフォンにもアプリをインストール。SH-12Cを使っていた頃は,ファイルが表示されるまでに時間がかかって,これじゃとてもダメだと見切っちゃってたんだけど,SH-12CはLTE非対応だった。
 今は速いんでした。これなら実用になる。蔵書リストやCDリストをGoogleドライブにあげておいて,本屋やCDショップで二重買いを防ぐために参照するなんてことも可能っぽい。


(追記 2014.01.10)
 これはいいかもと思って,別のフォルダをGoogleドライブにアップロードすることに。容量は80MBだったので,ササッと終わるだろうと思ったんだけど。
 ほとんどがテキストファイルでファイル数は1万を超えていた。これねぇ,1ファイル1秒のリズムでアップロードしてくれるんだよねぇ。とてもじゃないけど待ちきれなくて,途中でキャンセル。
 このあたり,どうにかならないのかねぇ。

2014年4月7日月曜日

2014.04.07 日垣 隆 『知的ストレッチ入門』

書名 知的ストレッチ入門
著者 日垣 隆
発行所 大和書房
発行年月日 2006.10.05
価格(税別) 1,300円

● いわゆる知的生産については,梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』以来,いくつかのエポックを画する著作が出ていると思うんだけど,本書もそれに連なるものだと思う。現時点で,「知的生産の技術」を考えるのであれば,本書を外すことはできないのじゃないか。

● 文章も読みやすい。ポンポン進む。「それがわかっていてもできないのが人間というもの・・・・・・とおっしゃりたい方は,そのまま安らかにお休みください」(p218)といった突き放しも気持ちいい。自分のことを言われているとも思うんだけど。

● インプットの延長にアウトプットがあるのではなく,まずどんなアウトプットをするつもりなのかが重要だと説く。それに合わせてインプットを考えろ,と。
 これまで知的生産の分野では,情報や知識を100ほど摂取して初めて,ようやく1程度のアウトプットが出せる,というようなことが,まことしやかに語られてきました。 (中略)できるだけそうした発想と訣別しましょう。アウトプットにまったく繋がらないインプットは無駄だと胆に命じてください。あるいは,インプットの量とアウトプットの量をイコールにしていくというイメージを,強引にでももってください。(p18)
 アウトプットする力をみがいてゆけば,わざわざ情報をとりにいかなくても,自分にとって重要な情報とは自然に「出合える」ようになります。 アウトプットする力を向上させるには,周囲の人から何か質問されたら必ず「打ち返す」という習慣を身につけるのが近道だと思います。(p19)
 一番大切なこととして,取っておくか捨てるかの基準はアウトプットするかどうか,この1点だけに決めました。スクラップブックを作る人のなかには,スクラップすること自体が目的になっていて,それに膨大なエネルギーを使っている人は少なくありません。私は,アウトプットの可能性がないものは,一切ファイルをしません。(p99)
 あくまで仕事においては,インプットの続きにアウトプットが出てくるのではなく,アウトプットが前提になっていて,そのためにインプットがあるのです。(p115)
 アウトプットの正体は,説得力だと考えて構いません。説得力のないものは,アウトプットとして失格です。もっと言えば,相手の納得というハードルをクリアしたものだけがお金になる,と言っていいでしょう。(p116)
● 火事場の馬鹿力的な瞬発力を出せるよう自分を追いこむのも,むしろ合理的だと説く。
 今まで30時間かかっていたものを25時間でやろうとするのは,これは単なるスピードの話でしかない。けれども,これまで30時間かかっていたことを,3時間でやるしかなくなったときには,人は違うことを考え始めるわけです。(中略) 追い詰められて,まったく別のことを考えたときに,クリエイティブな仕事が完成するということは,往々にしてありうることなのです。(p135)
 とにかく「本番さえできればいい」と腹を括って1週間の練習をした人は,練習では1度もできなかったことが本番は1発で決まってしまうというようなことが往々にしてある。 10年間の練習よりも,とにかく「この場で入ればいいんだ」という練習をしたのですから,「できる」という可能性は後者のほうが高いということはありうるわけです。(p135)
● 迷ったとき,悩んだときはどうすべきか。即答せよという。これまた説得力に富む。
 これが1番で,あれが2番・・・・・・と順序が明確であれば,1番を選べばいい。 第三の道がベストだったという場合も稀にはあるが,それを思いつかず悩んだ者が浅はかであるにすぎない。順序が明白でないにもかかわらず,どれかを択一しなければならない場合にのみ悩みは生じる。だから,即答するに限る。(p198)
 ベストな選択なるものが客観的に存在すると勘違いするから,その後に努力もせず,失敗すると他人のせいにしてしまう。(p199)
● その他,いくつかのトピックをとりあげて転載したけれども,それをやると1冊まるごと引き写すようなことになりかねない。
 読んでおいて損はない。

2014年4月6日日曜日

2014.04.05 吉野朔実 『吉野朔実劇場 悪魔が本とやってくる』

書名 吉野朔実劇場 悪魔が本とやってくる
著者 吉野朔実
発行所 本の雑誌社
発行年月日 2013.07.25
価格(税別) 1,300円

● 紹介されてる本は次のとおり。
 リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』(白水uブックス)
 伊坂孝太郎『SOSの猿』(中央公論新社)
 五十嵐大介『SARU』(小学館)
 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)
 穂村 弘『君がいない夜のごはん』(NHK出版)

 入江敦彦『秘密の京都』(新潮文庫)
 メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』(創元推理文庫)
 阿佐田哲也『Aクラス麻雀』(双葉文庫)
 谷岡一郎『ツキの法則』(PHP新書)
 『新明解漢和辞典』(三省堂)

 ダニエル・L・エヴァレット『ピダハン』(みすず書房)
 ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(ビームコミックス)
 キャスリン・ストケット『ヘルプ』(集英社文庫)
 イアン・マキューアン『ソーラー』(新潮社)
 ポール・ホフマン『放浪の天才数学者エルデシュ』(草思社)

 キャロル・オコンネル『愛おしい骨』(創元推理文庫)
 アイザック・アシモフ『コンプリート・ロボット』(ソニー・マガジンズ)
 長沢 樹『消失グラデーション』(角川書店)
 藤田千恵子『美酒の設計』(マガジンハウス)
 上橋菜穂子『獣の奏者』(青い鳥文庫)

 穂村 弘『絶叫委員会』(筑摩書房)
 藤代三郎・亀谷敬正『馬券データ竜宮城』(KKベストセラーズ)
 バリー・ユアグロー『真夜中のギャングたち』(ヴィレッジブックス)
 春日武彦『天才だもの。』(青土社)
 くるねこ大和『やつがれとチビ』『やつがれと甘夏』(幻冬舎)

 ブライアン・セルズニック『ユゴーの不思議な発明』(アスペクト文庫)
 ジョイス・キャロル・オーツ『フリーキー・グリーンアイ』(ソニー・マガジンズ)
 孔枝泳『トガニ』(新潮社)
 『間取り図大好き!』(扶桑社)

● ぼくが読んでいるのは『Aクラス麻雀』と『ツキの法則』だけ。ミステリを読まないからなぁ。

● 入江敦彦さんとの対談も収録。入江さんによると,「『ダ・ヴィンチ・コード』の著者の英語ってひどいよ」ということ。間違いも多いし,レベル低すぎって感じらしい。

2014年4月5日土曜日

2014.04.05 野嶋 剛 『銀輪の巨人』

書名 銀輪の巨人
著者 野嶋 剛
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2012.06.14
価格(税別) 1,600円

● 台湾の自転車メーカー「ジャイアント」を取材したもの。世界のトップメーカーですな。
 台湾といえば,あの東日本大震災のときに親身に支援してくれたのが記憶に新しい。中国や韓国とは対照的。「ジャイアント」社も大いに奮戦してくれた。
 疋田智さんのメルマガが情報源なんですけどね。

● だものだから,次にロードか折りたたみ式のミニベロを買う機会があれば,ぜひとも「ジャイアント」にしようと決めている。

● 著者はジャーナリスト。だから読みやすいんだけど,表層をなぞっているだけなんじゃないかと感じる部分もある。たとえば,冒頭の次のような部分。
 昨今の日本は,自分たちの金城湯池だった製造業の分野で次々と外国製に敗北を喫し,「ものづくりの国」というプライドを揺さぶられている。(p8)
 グローバルマーケットにおける日本の製造業の「失敗」が,最も早い段階で,しかも劇的に進行したのが自転車産業だったのである。(p8)
● こういうのってさ,かつて日本のドル箱だった繊維,縫製がもはや日本では成り立たなくなったのと同じで,自転車とかテレビとかが日本では採算が取れなくなるのは理の当然。だけれども,日本でしかできない製造業の分野は厳然としてあって,そこでは日本は圧倒的に強い。
 「ものづくりの国」というプライドを揺さぶられているってのは,消費者に見えやすい家電やIT関連などで起きていることにすぎない。

● 自転車でいえば,組み立てて最終製品にするのはもう日本の仕事じゃない。けれども,自転車の心臓部である変速機の生産ではシマノが世界のトップシェアを握っている。エンドユーザーではなく企業相手のパーツメーカーとしてはダントツの存在だ。
 もちろん,かつてはシマノ以外にもパーツメーカーはあった。が,紆余曲折を経てシマノが残った。これは仕方がない。
 というわけだから,そんなに悲観することもないのじゃないか,と。

● もちろん,著者はそこははずしていなくて,シマノの社長にも取材している。
 新商品にこだわる理由について,島野は「業界間競争を勝ち抜くため」と強調した。(中略) 「スポーツにおいても,テニスもゴルフもスキーもあるなかで,消費者に自転車に乗ってもらうためには,ほかの業界にない価値のあるものをたくさん打ち出していけるかどうかにかかっています。(中略)自転車業界をいかに魅力的にするか,自分たちがどれだけ魅力的になるか。それがユーザーを育て,ユーザーによりいい自転車に乗ってもらうことになる。」(p195)
 「業界間競争」か。たしかにその通りだと納得した。自転車業界について日本で誰よりも考えているはずの人の言葉だ。