著者 奈良節夫
発行所 ぶっく東京
発行年月日 1988.04.25
価格(税別) 1,200円
● だいぶ昔の本。当時,宇都宮駅ビル(まだ“ラミア”という名前だったか)4階で営業していた岩下書店で購入してすぐに読んだ。
約30年後に再読したという次第。
● 本書の内容はタイトルのとおり。1985年の5月1日から8日までの8日間,順天からソウルまで自転車で韓国を縦断した。当時,著者50歳。
その様子を1冊にまとめたわけだ。
● ソウルに著者の取引会社があって,そこの社員の手厚いサポートを受けている。正直,大名旅行の印象がある。お金もだいぶ使っている。物見遊山もしているし,美味しいものも食べている。
釜山では「淡水苑」という喫茶店が登場する。著者はひとりでこの店に入り,“ウェイトレス”と店外デートまでしている。
● じつは,この「淡水苑」という店にはぼくも入ってしまったことがある。しまったと思った。露骨にいえば,ここは置屋だ。気に入った“ウェイトレス”がいればホテルに連れて帰るというシステムになっているらしかった。
コーヒー1杯ですぐに退出したけれど,かなりボラれたものだった。っていうか,喫茶店だと思うから法外な料金なのであって,そういうものならこの値段は仕方がないのだろう。
ということを,著者が気づかなかったはずはないと思うのだけれども,本書のとおりだとすれば,著者はいたって品行方正である。
● ともあれ。今なら,この程度のことは夏休みを使ってやってのける高校生もいるかもしれない。もちろん,サポートなしの単独行で。
要するに,著者の自転車旅行に“冒険”の要素はまったくない。が,本書中にはその“冒険”という言葉が何度か登場する。著者自身が自分のやっていることを“冒険”と言っているわけだ。
石田ゆうすけ『行かずに死ねるか!』をはじめ,自転車による世界一周の紀行文をいくつも読めるようになっている現在の目線で見れば,著者のやったことは児戯に類すると言ってしまってもいいかもしれない。
● しかし。当時,ぼくも本書をワクワクしながら読んだのだった。1988年はソウルオリンピックが開催された年で,日本国内は韓国ブームに沸き返っていたと記憶している。
それまでは韓国といえば,戒厳令と妓生だった。日本の中年男性が徒党を組んで,買春に繰りだすところというイメージしかなかった。
それが,この韓国ブームで,まともな情報がマスコミレベルで流れるようになっていた。韓国に関する書籍の出版点数も相当なものにのぼったはずだ。
● 要するに,韓国情報が増えだす端境期だった。それ以前は韓国がどういうところなのかわからなかった。
その時期に自転車で韓国を旅するのは,やはり冒険だったのか。
同じ行為が冒険になるのか,たんなる趣味的旅行になるのか。それを分けるのは“情報”なのだろう。
● いくつか転載しておく。
韓国では用のない限りあまり車には乗らないほうが,確かに無難である。(p17)
今,コミュニケーションの手段としての言葉や文字の社会から隔離され,聾唖の世界にとじこもった私は,手真似や態度で意思を伝えるしかない。ビール一本頼むにしても,冷えてなければ冷たいものに換えてもらうことだってできるが,ここでは我慢するしかないのだ。(p54)
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