著者 樫尾幸雄
発行所 中央公論新社
発行年月日 2017.03.25
価格(税別) 1,300円
● 今では百円ショップにもある電卓。その電卓を切り開いてきたカシオの,これは創業者のひとりによる社史のようなものだ。
● 電卓って,その黎明期においては,自動車1台分の価格だったことも知った。自動車も個人で買える人はごく少なかった時代のことだから,電卓に入れ込んで新製品が出るたびに買いまくったという人は,おそらくいないだろうけども,もしいたとすると,今の電卓を価格を見て,車にしときゃよかったと地団駄を踏むことになるだろうね。
● 歴史は繰り返す。同じことがパソコンで起こった。かつてのMacなんか一式揃えると車が買えると言われたからね。Macじゃなくても百万円のノートパソコンってあったよね。軽自動車が買えた(今は軽も高くなってるけど)。その百万円のノートパソコン,今は使いものにならないスペック。
こちらは比較的最近のことだけに,パソコンにつぎ込んだ人はかなりいるだろうねぇ。
● 以下にいくつか転載。
当時の大学の授業は,戦時中の本が一切使えないため教科書や参考書はなく,先生が講義でしゃべる内容をメモするしかありません。逆に言えば,学校に行かなくても,ノートがあれば何とかなります。(p32)
(当時の輸入物の計算機は)価格は三〇万~四〇万円と,自動車と同じぐらい高価でした。(p37)
ある日,営業担当の和雄が,販売会社である内田洋行との生産計画の打ち合わせで,リレー式計算機の在庫が積み上がっていることを知らされます。(中略)原因は,シャープが発売した電卓でした。(p78)
それでも,当時のカシオは,リレー式計算機にこだわり,最新型を出そうとしました。(中略)トランジスターを使った電子式の時代はまだ先だと考え,「まだまだリレーでいける」と思っていました。(p80)
「技術は生鮮食品のようなもの」というのが私の持論です。放っておくと,すぐに腐って使い物にならなくなってしまいます。「鮮度」が大事で,メーカーは常に世界の技術革新の流れを読まなければいけません。少しでも遅れると大変なことになります。ところが,兄弟でゴルフに熱中するあまりおろそかになり,電卓で出遅れました。これ以降,平日に四人でゴルフに行ったことは一度もありません。(p87)
カシオの電卓発売は,シャープより一年遅れましたが,もう一年遅れていたら,今,カシオの存在はなかったかもしれません。(p96)
(大ヒット商品になったカシオ・ミニの発売にあたって)志村君の説明では,「開発部門は,常に機能を上げていくのが使命です。機能を下げた製品を作ることは,認められないでしょう」とのことでした。(中略)「いかがでしょう」と問われた私はすぐ,「やろう」と答え,志村君の提案を全面的に受け入れることにしました。内緒で進めれば,誰からも反対されません。商品さえ完成してしまえば発売まで一気に押し切れると考えました。(p109)
時計業界への参入の難しさをあらかじめ知っていたら,二の足を踏んだかもしれません。あまり下調べをすることもなく,一気に進めたことが良かったのだと思います。(p134)
デバイス事業と自分たちの製品を両立させることは難しいと思います。デバイスの場合,顧客から注文が来た時に自社向けを優先したりすると,顧客の信用を失ってしまうので,自社製品のことを度外視してやらなければいけない場合もあります。 個人的な見方ですが,液晶で一時は世界を席巻したシャープが,その後,苦境に陥ったのは,デバイスとしての液晶と製品としての液晶テレビの両方に力を入れたからではないでしょうか。(p155)
コストの勝負になると,国内での生産では韓国や台湾などの海外企業にかないません。FA化による組み立てのコストダウンではとうてい追いつきません。(p157)
今のものづくりで重要なのは,コスト勝負となる半導体や液晶といった単体の部品ではなく,複数の施術を組み合わせた技術なのではないでしょうか。例えば、ファナックという産業用ロボットメーカーは,数値制御(NC)による機械の加工方法であるNC技術と,ロボットなどを制御するサーボ技術を組みあわせた複合的な技術で強みを発揮しています。(p158)
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