2020年11月23日月曜日

2020.11.23 野口悠紀雄 『年金崩壊後を生き抜く「超」現役論』

書名 年金崩壊後を生き抜く「超」現役論
著者 野口悠紀雄
発行所 NHK出版新書
発行年月日 2019.12.10
価格(税別) 850円

● 大学の経済学部や経営学部で,年金経済論あるいは高齢者雇用政策論というタイトルの4単位の講義のテキストになりそうな本。今はどうなのか知らないが,40年前の大学だと新書本1冊は4単位の講義に相当する内容があったような気がするな。
 卒業に必要な単位は124単位だから,新書を31冊読めば学士になれるという,非常に大雑把な計算。大学なんてその程度のものと考えておいて,まず当たらずとも遠からず。文系の場合はだけどね。

● 以下に転載。
 「働こうとすれば職を得られるにもかかわらず,働こうとしない」高齢者が多いのです。(p7)
 組織に頼れば組織に使われてしまいます。組織をいかに使うかを考えるべきです。(p10)
 まず最初に,「有利な資産運用法などありえない」ということを知るべきです。昔から,金融資産の運用において巨万の富を築いた人は大勢イます。(中略)ただし,彼らは偶然そうなっただけです。(中略)バフェットが巨万の富を築けたのは偶然の結果なのですから,その真似をするのは,原理的に不可能なことです。(p39)
 この予測を用いて株を買えば,金持ちになれるでしょうか? 答えは「No」です。なぜなら,現在の株価は,その予測を前提として成り立っているからです。その予測はすでに使われてしまっているのです。(中略)公にされた予測を用いても,人を出し抜くことはできないのです。(p42)
 (日本老年学会が)現在65歳以上とされている高齢者の定義を,75歳以上に見直すべきだと提言しています。名前や呼び方は重要です。実態が変わっても,名称が変わらないと,古い観念に囚われる場合が多いからです。(p117)
 在職老齢年金制度は,就業する場合にも低賃金の就業を促進することになります。低賃金の就業を促進することによって,高齢者の能力発揮を妨げているとも言えます。つまり,この制度は,低賃金で高齢者を雇用する企業への補助金として機能しているのです。(p135)
 病気になって就労できなくなり収入がゼロになっても,前年の所得が多ければ,高額の自己負担額が発生し,払いきれなくなる事態は容易に想像できます。(中略)「働いていなければ命が助かったが,なまじ働いていたために,命を落とす」ということがあり得るのです。高齢者になって働くことは,現在の制度の下では,単に「損する」だけでなく,きわめて「危険」なことなのです。(p142)
 医療保険におけるペナルティは,所得にかかるのではなく,「働くこと」に対してかかります。したがって,現在の制度下で最も賢い方法は,退職金を金融資産に投資して,そこから所得を得ながら,医療費の自己負担からは逃れることです。(p144)
 医療,介護保険制度においては,所得を勘案して自己負担額が決められています。問題は,資産が勘案されていないことです。(p152)
 氷河期世代が深刻な問題を抱えていることは間違いありませんが,この世代「だけ」が特別に深刻な問題を抱えているというのは,多分にマスメディアが作り出した虚像なのです。(p163)
 日本では,道路運送法によって,許可のない人が自家用車を使って有償で人を送迎することは,「白タク行為」と見なされまず。(中略)新しい働き方を実現するには,規制緩和が不可欠です。(p177)
 問題そのものがはっきり捉えられていない場合もあります。漠然と不安を抱えているだけで,何が問題なのかを把握できない。だから,そもそも具体的な質問をすることができないのです。(p184)
 人間は,自然が作った平均寿命の限界を超えたのです。これは,誠に喜ばしい変化だといわなければなりません。(p219)
 多くの人が,「仕事は辛いけれども,生活のためにやらなければならない」と考え,仕事から解放される時間を「自分の時間」と考えています。しかし,私には,「仕事をやることこそが生きがいだ」としか考えられません。(中略)私にとっての悪夢は,仕事ができなくなってしまうことです。(中略)こうした仕事を見いだせたことは,本当に有り難いことです。(p222)
 AIの機械学習について,「過学習」ということが問題とされています。これは,AIが機械学習を行う際に,与えられたデータの中で学習しなくてもよいことまで学習してしまうことです。この結果,判断を誤ることになります。これと同じことが,日本の縦型社会において生じているように思われてなりません。(p223)
 日本には,「新しい仕事をやれ」と言われると,「その前にやり方を教えてくれ」と言う人が多くいます。「海図がなければ,航海には出ない」と言うわけです。しかし,それは,間違いです。新しい仕事に挑戦するとは,海図のない航海に出ることなのです。(p228)
 安定した社会が壊れる時は,意欲のある人間にとっては,チャンスの時になります。(中略)いまの日本は,表面的にみれば,安定しています。しかし,その内実を見れば,どうしようもないほど行き詰まっています。(中略)日本はいま「食い詰め」ようとしています。経済停滞が始まったのは1990年代のことで,それ以降,経済はほとんど成長していません。(中略)16世紀のポルトガルと同じ立場に置かれた日本に,いまこそ,エンリケやマゼランが現れて,新しい航海を始めなければなりません。(p230)

2020年11月19日木曜日

2020.11.19 なかむらるみ 『おじさん図鑑』

書名 おじさん図鑑
著者 なかむらるみ
発行所 小学館
発行年月日 2011.12.12
価格(税別) 1,000円

● 大人の絵本というかね。絵も著者が描いている。10年前に出たものだけど,女性が見るおじさんの世界は,永久不変かもしれないねぇ。

● レッテルをどう作るかが図鑑の決めてになりますか。たとえば「ぽっこりおなかのおじさん」。これ,ぼくのことですよ。ぽっこりの下でベルトをするのが基本スタイル,なのだ。なるほど,おっしゃるとおりだ。
 が,ぼくは違うぞ。ベルトをしないからな。しなくてもズリ落ちて来ないから。

● 「何となく嫌なおじさん」というのもある。「何か嫌な感じがして生理的に近寄りたくなりおじさんのこと」というんだけど,何だかギクッとするよね。
 その中には「しけべおじさん」もいる。電車に乗っていて,「隣に女性が座るごとに顔→全身 とチェックするようにじろじろと見る」おじさんのことだ。
 いやいやいや,身に覚えのあるおじさんがけっこういるんじゃないか。ぼくもヒヤッとしたぞ。

● という具合に,自分に引き寄せて楽しむことができる。そういうふうに読んでもらえれば,著者も本望なのだと思う。

2020年11月14日土曜日

2020.11.14 岸見一郎 『定年をどう生きるか』

書名 定年をどう生きるか
著者 岸見一郎
発行所 SB新書
発行年月日 2019.06.15
価格(税別) 830円

● 定年を絡ませる必要はなかったような気がする。無理に定年を持ち込んだために,文章がいったり来たりすることになってしまったような。冗長というか。
 著者にもサラリーマン経験はあるのだが,定年で辞めるサラリーマンの機微にはやや疎かったりするんだろうか。定年=やるべきことと人間関係の喪失=一気の老け込み,があてはまる定年退職者なんて,今どき,いてもごく少数派ではないか。そのごく少数派に向けて書いたのだと言われれば,そうでしたかと申しあげるほかはないが。
 アドラー理論の射程距離も無際限ではないのだろう。やや雑に流れたような印象を持ってしまった。


● とはいえ,以下に転載。
 これまでの人生のように上り坂を苦労して登らなくてよくなり,これからは自転車のペダルから足を外して坂を下るというふうに考えれば,むしろ老年は楽に生きられるというわけです。(p29)
 定年の前と後に価値的な優劣があるわけではありません。例えてみれば,冬が他の季節に比べて劣っているわけではないようにです。冬には冬のよさがあって,それは他の季節のよさと比べることはできません。(p30)
 私には,会社で働いている人が社会との接点を失った引きこもりの人のように見えることがあります。(p32)
 現実はこうなのだといってしまったら,そこから先には進めなくなります。現状はこうだが,そうであってはいけないと考えなければ現状を変えていくことはできないのです。(p40)
 人は「今ここ」を生きているのですから,未来のことを考えても意味がないということです。(中略)未来は「未だ来てない」のではなく,「ない」からです。(中略)不安は未来に関わる感情ですから,未来を手放せば不安から自由になることができます。(中略)今考えられることがあれば,それは未来ではなく,「今」する準備のことです。あるいは,このようにいうこともできます。今変われないのなら,未来にも変われない,と。(p53)
 過去も今できることをするための妨げになることがあります。今,変わるのであれば過去は手放さなければなりません。(p54)
 まず人間の価値を生産性で見ないということです。生きることそれ自体に意味があることを知らなければなりません。(p54)
 学校に行かなくなった子どもの親に私がよくいうのは,何の疑問もなく自動的に身体が学校に運ばれている子どもよりも,今は学校に行っていない子どもの方が,勉強することの意味や人生の意味などについて深く考えているということです。(p56)
 何かをしていなければ怠けているように思う人は,この何かをしなければならないという思いから脱却しなければなりません。人の価値を生産性で見ないという考えにつながっていきます。(p58)
 この趣味には何か意味があるかなどということを考えていれば趣味を楽しむことはできないでしょう。(p69)
 学校は英語ではschoolといいますが,その語源はギリシア語のschole,「暇」なのです。実用性から離れて時間をかけなければ学問とはいえないのです。(p70)
 何が与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかが大切だとアドラーはいっています。(p71)
 カメラを買ったのにすぐに使わなくなってしまうというような失敗をしないためには,最初から何もかも揃えて始めるというのではなく,できることから少しずつ始めるのが賢明なのです。(p72)
 自分が経済的に優位であるということを,妻や他の家族よりも優位であるということの根拠にする男性がいます。(中略)このようなことは劣等感によるものです。(中略)本当に優れている人はそのようなことはしないで普通でいられるのです。(p74)
 エネルギーがあればそのエネルギーの向けどころを変えれば立ち直りは早いのですが,エネルギーがあまりなければ,まずそのエネルギーを出すところから始めなければなりません。(p80)
 仕事の場でも,評価は必ずしも正しいとは限りません。(中略)入社試験もそうです。本当は優秀な能力を持っている人でも会社がそれを正当に評価できず,試験に落ちるということはよくあります。(中略)評価と自分の価値や本質は何の関係もないのです。(p82)
 愛という感情があるから二人の関係がよくなりよいコミュニケーションができるわけではありません。よいコミュニケーションができていると思えた時に,この人を愛していると感じられるのです。(p86)
 若い人は就職活動の時,ワードもエクセルも使えますと自分の持っている知識を会社にアピールするのですが,そのことは(中略)自分は他の人と同じ知識を持っている,言い換えれば,他の人に取って代わられるくらいの能力しか持っていないということを会社にアピールしているに等しいのです。(p111)
 仕事は何のためにするのかといえば,私は他者貢献だと考えています。(中略)貢献感を持つことができれば自分に価値があると思え,対人関係の中に入っていけます。(中略)理想をいえば,そんなことすら忘れて自分が取り組んでいることに喜びを感じられることが望ましいと私は考えています。(p127)
 仕事中心の人生を送ってきた人は家事の多くを免除されてきました。いわばそれまでずっと甘やかされて生きてきた人は,定年後には甘やかされて生きることから脱却しなければなりません。(p154)
 他者(定年後にはそれが家族になりますが)が自分の期待を満たすために生きているのではないことを知らなければなりません。(p155)
 いつも一緒にいなければ満足できないというのであればおかしいのです。それは依存であって愛ではありません。一人で過ごすこともできるが二人でいる時の方がより楽しいというのが,本当の意味での自立といえます。(p161)
 人生設計をしてみても,その通りにはならないのは,若い時も定年後も同じです。(中略)人生設計をすることを勧めないのは,このように先が見えない,先のことは決められないからということもありますが,計画を立てると「今」が将来の準備期間になってしまうからです。何かを達成してもしなくても,人は今ここでしか生きることはできないのです。(p167)
 効率的に生きることに意味はありません。誰もが必ず死ぬのですから,効率的に生きるというのは,できるだけ早く死ぬということになってしまいます。(p168)
 人は幸福であることを願うことも,願わないこともできるのではなく,誰もが幸福を目指している,幸福でありたいと願っているというのが,ギリシア哲学の考え方です。(p174)
 お金があってもなくても,また会社で高い地位についていてもついていなくても,幸福に生きるためには,そのようなことにとらわれないことが大切です。(p176)
 持っていないものを失うことはできません。過去も未来も持つことはできません。「各人は今だけを生き,かつそれだけを失う」(p184)
 哲学者の鶴見俊輔はこういっています。「敗戦直後,食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし,夕食をととのえない女性がいただろうか」(p193)
 現実がどんなに苦しくても,本を読めばそこには現実とは違う世界が待っています。苦しさを忘れ,愉快な気持ちになれます。これは現実逃避ではありません。本を読んでいる「今」も現実だからです。(p196)
 問題は間違うことではなく,間違うことを恐れてしまうことです。(p199)
 何もしないうちから,この歳になると記憶力が衰えたというようなことをいって何かを学ぼうとしない人は多いですが,学生時代のように本気で学べば大抵のことはかなりの程度まで身につけることができます。(p200)
 ドイツの詩人であるリルケは,批評してもらうべく自作の詩を送ってきtカプスに,批評を求めるようなことは今後一切やめるように,そして,「書かずにはいられない」のであれば,詩を書くようにと助言しました。(p201)
 とにかく朝目が覚めたら,今日という日を今日という日のためだけに生きる。できるのはこれだけです。(p205)

2020年11月5日木曜日

2020.11.05 帯津良一 『達者でポックリ。』

書名 達者でポックリ。
著者 帯津良一
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2008.10.23
価格(税別) 1,300円

● 高齢者向けの生き方論。帯津さんのこの分野についてのエッセイはすでにいくつも読んでいる。が,また読みたくなる。
 なぜかというに,こうだったら都合がいいのになぁと思うことが説かれているからだ。健康診断の数値? そんなものはクソだよ,とか。ときめきを大切にしろ,とかさ。
 それでいいんだったら自分にもできるかも,と思うじゃん。実際にできるかどうかは別にして。何か,中世ヨーロッパで教会が販売したという免罪符に似たものを買っている気がするんだよね。
 同じように考える人が多いのだろう。帯津さんの本は高齢者にかなり読まれているのではないか。

● 以下に転載。
 私たちの命は宇宙の大きな流れの中で循環しています。「死」は終わりではなく,魂のふるさとである「虚空」への旅立ちなのです。旅立ちなのですから,今を生きながら「死」に向かって,日々エネルギーを高め続けることが大事です。(p3)
 「人は死に損なうとろくなことにならない」というのが私の持論です。人間には死ぬタイミング,つまりそれぞれに「死に時」があると思うのです。(p21)
 高齢者がじっとしているというのは実によろしくないことです。からだのめぐりに支障をきたして,すぐになにかを起こすのです。(p23)
 舞台だってリハーサルなしの一発勝負ではうまくできません。それと同じで,死ということも普段から折に触れて考えておかないと,本当に死を迎えたときに上手にポックリいけないのです。(p52)
 死の不安に打ち克つために一番大事なことは,「死後の世界」を信じることだと思います。(p56)
 自分の死を折に触れ考えている人が来ると,死に直面している人は,死への恐怖が和らぐというのです。生を謳歌している人がいくらなにをいってもダメなのです。(p57)
 食の養生は「旬」であるといつも私は言います。旬で地場のものを食べるのが一番いいのです。なぜならばそれは「場」を共有しているから。(p117)
 食養生で一番大事なことは「おいしい」という心のときめきだと思います。食べたいものをガマンして食べなかったり,苦手なものを無理に食べたりするのはダメなのです。(p118)
 「ときめき」こそが生命のエネルギーです(p130)
 サプリメントもいろいろあって玉石混交の面があります。選び方のコツとしてはまず値段です。適正な価格であることです。月に何十万もするようなものはダメだと思います。そんなに高いわけがないのです。それからそれを売りに来る人の人相,これも大事です。人相の悪い人から買ってはいけません。(p160)
 私は食事の前に手も洗わないし,ガラガラやるのも苦手ですから,うがいもしたことがありません。あまり意味のない健康常識に振り回され,神経質になることは生命場を高めるうえでもいいことはありません。(中略)そもそも,からだ全体を考えず,細かい点にとらわれて命を永らえようとするのは,「達者でポックリ」の概念からは大きくはずれてしまいます。(p166)
 血圧を低めに抑えると,「脳出血」は抑えることができるのですが,今度は「脳梗塞」になるリスクが高まるのです。(p172)
 うちの病院でも以前は,落語家さんに来ていただいたり,落語のテープを聞くなど,笑い療法を取り入れていました。患者さんからも評判がよく,それなりによい効果もあったのですが,今は積極的には行っていません。それは人間,無理にでも笑えばいいものではないということに気づいたからです。(中略)ただ,あるがまま,つらいとき,かなしいときは,泣いたり,ため息をついたりしていいのです。(p177)
 もちろんリラックスは大事ではあるけれど,そればかりでも人生は面白くありません。人間はストレスや困難な状況があると,かえって命が爆発するのです。それが病気を治す起爆剤にもなりうるはずです。(p178)
 交感神経が一回働いて,それから副交感神経系が出てくるというバランスが大事です。一日リラックスして副交換神経だけ働いていてもよくないのです。(p179)

2020年11月4日水曜日

2020.11.04 堀江貴文 『情報だけ武器にしろ。』

書名 情報だけ武器にしろ。
著者 堀江貴文
発行所 ポプラ新書
発行年月日 2019.03.27
価格(税別) 860円

● 副題は「お金や人脈,学歴はいらない!」。すでに発刊済みの書籍やメルマガなどからタイトルに絡む文章を集めた箴言集のようなもの。堀江さんはすでに何冊も箴言集を出しているが,本書もそのひとつ。
 それだけ需要が多いのだろうし,新書版にして価格を抑えることで新たな読者が付く,ということもあるのかもしれない(ないか)。

● 以下に転載。
 情報を持たなければ,人は恐怖に駆られる。仕事や人生の,将来についての不安や恐怖の大半は「情報不足」が原因だ。今,「未来」の何かを怖がっているのなら,残念ながら,あなたは「情報弱者」ということ。(p5)
 僕は子どもの頃から「自分の強みを生かせる『市場』を選ぶ」という思考で過ごしてきた。だから,勝算がなさそうなら,「決められた土俵」には上がらない。(p16)
 まず伝えたいのは「情報とは,自分から積極的に取りにいくもの」という点だ。向こうから舞い込んでくるような情報には,むしろ軽快したほうがよい。(p21)
 幸運にも,現代では,「情報を手に入れる」ためのツールは揃っている。スマホのニュースアプリを使ってもいい。SNSを駆使して,「興味のある人」「先を行く人」の発信をフォローし続けてもいい。そして,情報をハントする「狩り」が終わったら,次は自分の頭で考え,自分なりの言葉で世界中に発信し,頭の中を整理するクセをつけるのだ。(p21)
 取り入れた情報は,すぐに忘れてもかまわない。本当に大事な情報は脳の片隅で待機してくれている。脳はよくできている。(中略)情報の端緒さえ思い出すことができれば,あとは検索するだけでいい。(p26)
 限界まで予定を入れて,やりたいことをやってみると,時間をどう使えばいいのかが浮き彫りになってくる。(p27)
 「抽象的なことをダラダラと考えるクセ」と縁を切ることもおすすめだ。「やりがいって何だ?」「人生において幸福とは何だ?」「努力って何だ?」 こんなことにいくら頭を使っても,残念ながら何も生まれない。(p27)
 「考える,調べる,試す」という「思考実験」を繰り返し行うことでしか,情報を価値あるものに高めることはできない。情報を得ている者が強いのではない。思考実験をし続ける者こそが最強なのだ。(p33)
 「○○さんに会う」というライブ体験に,過剰に心を踊らせるくらいなら,その人の著作やSNSを丁寧に追いかけたほうが,よっぽどいい。(p35)
 何かに没頭して自信を持って訴えかける熱量がないと,「会いたい人」に会っても,化学反応は起こらない。(p37)
 今の自分の「教養」のレベルと同等の情報しか手に入らない。だから普段から,「教養」を磨こう。(p44)
 情弱は「お金=豊かさ」と思っている人が少なくないと思うが,もうその時点でダメだと思うのだ。現代社会においては,お金と豊かさの相関性は高くない。社会が進歩すればするほど,その傾向が強まり,むしろお金の価値は低下している。(p52)
 貧困問題を解決するには,お金をあげればすむという話でもない。個別に見れば,「ちょっと工夫すればいいのに」という問題が多すぎるように思う。いってわからないバカは切り捨てるしかないと僕は思ってしまうが,それは冷たいことだろうか。(p54)
 わずか「10」でも信用があれば,「100」のお金を他人から借りて集めることができる。ところが面白いことに「100」のお金があっても,「10」の信用を得ることはできない。だから,お金そのものを欲しがるのではなく,信用を得ることに先に懸命になるべきなのだ。(中略)そのためにはまず「自分自身が楽しむこと」。あなた自身が楽しいと,その空気は周囲に伝わり,共感してもらえるはずだ。そして多くの人が集まってくるだろう。(中略)だから,あなたは何かに集中して,楽しんで,「自分自身の価値を高めること」に尽力すればいい。(p57)
 さらに多くの人が現金を使わなくなると,仮想通貨も身近な存在になる。そのとき,仮想通貨は再ブレイクするのではないか,というのが僕の見立て。(p64)
 多くの人は巨大な桃が流れてきたら,驚いたり,様子を見たりして,基本スルーだ。ところがおばあさんは平然と持ち帰る。(中略)運を味方につけられる人というのは,このおばあさんのように「これだ!」というものが出てきたら一も二もなく飛びつく。(中略)では,「自分の目の前にあるものが「桃」かどうかをどうやって見わければいいのだろうか。結局それは「自分が熱狂できるかどうか」で判断するしかないだろう。(p66)
 賛同者とアンチ,両方が次々にネット上に湧いて,議論が起こったほうが,世の中がよい方向へ変わったり,新たなファンを獲得できたりするものだ。(中略)立場によっては見解がわかれるネタで,「賛否がいい感じに拮抗するもの」ほど,活発な議論が展開され「建設的な炎上」となる。(p78)
 僕が問題だと思うのは大学の存在が大いなる無駄になっていて社会の負担になっているということだ。若者が4年間もボーッと過ごしているのが大学なのである。(中略)「大学生」という肩書が下手にあるおかげで何かやっている人であるかのような錯覚を本人にも周囲にも生み出している。(p83)
 本屋を「本を読む(本が好きな)比較的知的レベルの高い人たちが集まる場所である」と再定義したことで,何を掛け合わせれば,ちゃんと儲けることができるのかが見えてきたのだ。(p96)
 基本的な知識の吸収という面でいうと,ネット検索でかなりの程度まで事足りるはず。だから「調べられることは,1人でちゃんと調べよう」と声を大にして伝えたい。(p98)
 突発的なトラブルが起こると,自力で解決できず,立ち往生するか,誰かに助けを求めるというのが,情弱の特徴。だから,いいカモにされてしまうというわけだ。(p99)
 人生なんて,(中略)合理的に考えるだけでうまくいく。これが僕の信条だ。だから,あれこれ余計なことについては考えない。具体的にいうと「自分の力でどうにもできないこと」や「他人の言動や人生」について,考える必要なんてない。(p101)
 感情を排して,今ある情報を合理的に考えるだけで,ゴールに早く至ることができる。それは,クヨクヨする時間を短縮し,自分の時間を節約することにもなる。(p105)
 技術とは,もはやただの「情報」なのだから,知られてしまえばそれでおしまい。(中略)動画全盛のこの時代。技術格差はなくなったといっていいだろう。(中略)やってみる,チャレンジできる環境は間違いなく整っている。そして,この状況はさらに加速していくだろう。(p110)
 なぜこの和牛ビジネスが成立しているか。どうやって和牛を売ればいいか。それは,和牛にストーリーという「情報」を載せられるかどうかがカギになる。(中略)いってしまえば,「和牛ではなく,情報を食わせる」ということになる。(中略)人は情報に寄ってくる。ただいいサービスや商品をつくっているだけでは,お客からは相手にされない。(p113)
 ビジネスにおいては,まず「近しい情報を真似てみる」というのが王道だ。それは決して恥ずかしいことでも,志が低いことでもない。(p119)
 昔からよくいう「飯炊き3年握り8年」というのは,寿司職人が増えすぎないよう,見習いにノウハウを教えないための方便にすぎない。(p127)
 情報収集を終えたら,人前でリアルに「アウトプット」する。このサイクルを大切にしている(中略)アウトプットとは,情報を吐き出して終わりじゃない。その情報を行動に移してこそアウトプットといえる。(p135)
 アイデアに価値なんてないのだ。(中略)何かアイデアを思いついたら,それを自分でつくらなければ(行動に移さなければ)意味がない。(p145)
 大して好きじゃないから食っていけるレベルに到達できないのであって,時間を忘れるくらい好きな事ならどんな事であっても必ず食っていける(p151)
 世の中には「ああしなければならない」「○○の資格が必要だ」という「常識」という情報が無数に存在しているが,その大半は嘘であり幻想である。既得権を持った「ギルド」の連中が楽にメシを食うためにもっともらしいルールを張り巡らせているのがこの世界の実相だ。(p151)
 「情報の価値」を最大化するには,その情報をなるべく多くの人と共有することである。(中略)パクられたっていいではないか。(中略)人間は忙しい。やることは山のようにあるのだから,効率を優先すべきだ。(p152)
 僕の執筆スタイルは「ベッドで寝転びながら,スマホでフリック入力」だ。(中略)毎週のメールマガジンも,書評サイト用の文章も,短編小説の原稿さえも,すべて寝転びながらスマホで書き切っている。(中略)まずは「書くこと=時間がかかる」という心理的なブロックを,外してみてほしい。そんな心理的制約は,不毛すぎる。(中略)書評サイト用の文章は,400時詰め原稿用紙4~5枚に相当する。いつも10分で書き切るようにしているが,フリック入力がもっと上達すれば5分前後にまで短縮できる自信がある。(p156)
 飲食店の手法でいうと「常連が増えると客単価が上がる」という法則がある。それほど,お客さん全員が常連化するよう仕掛けていくのは重要なことだ。(p164)
 皆で一斉に横並びで同じことをやったって,自分の価値が高まるはずがない。(p173)
 この人物はお金持ちかもしれないが,こんなにもインプットもアウトプットもしない人間が,魅了的といえるだろうか。(p176)
 よくも悪くも超情報化社会に生きる僕たちは,「情報をスルーする力」を身につけることが不可欠だ。それが,大事な脳をセーブする(労わる)ことにもつながる。(p193)
 そうした世間の常識を押しつけてくるのは誰かというと僕の場合,田舎で暮らす情報リテラシーの低い親である。(p196)
 情報発信において心理できる人を1人でも多く見つけるしかない。これはリアルでもネットでも同じことだ。「情報強者」と探して,自分も「情報強者」になるしかない。(p198)